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ss1:内海愛の場合
内海愛の場合:夕暮れの商店街で
今日の夕飯は何にしようかしら?
内海愛は、西東京市錦織町の商店街の軒先を物色していた。
昨夜は、さんまの塩焼き風味。
その前が、牛肉のカレー風味だったか。
前の前が、なんだったっけ。ラザーニャか。
高くついても、やはり”風味”だけの擬似食品よりはおいしかったな。
口に入れた時の食感も違うんだけど、まず見た目が・・・。
でも、旦那の給料も突然上がらないからなぁ。
ほうっ、とため息をつきながら、魚屋の軒先を冷やかす。
マグロはおいしいんだけどなぁ。
内海は、軒先に掲げられた値段をちらりと眺めた。
擬似物で100グラム500円。天然物だと1500円か。
相変わらず、給料日以外は無理な値段だった。
内海は魚屋から離れた。
内海の親の世代が自分の年頃の時は、高騰が始まったばかりで、今の
1/3以下だったらしい。
けれども、日本の経済力と通貨が世界に占める地位が低下していく
に従って、どんどんと天然資源の値段が上がっていったと、内海は親に
聞かされた。
「NHK、午後6時のニュースをお伝えします」
お、もうそんな時間か。
電気屋の店頭に置かれたテレビに目が行った。
「今日のトップニュースです。3年前に国民投票で可決された抽選議院
の抽選議員当選者が先ほど発表されました」
肉屋に向いかけてた足が止まった。
そういえば、旦那に誘われて、自分も資格試験を受けて、抽選対象者
リストには登録しておいたんだっけ。
確か、年収1000万だったかな。
旦那の年収の2倍・・・。
議員になれば天然のマグロも食べられるのかな。
でも、当たるはず無いよね。
さ、今日は肉系!
ハンバーグにしよっか、生姜焼きにしよっか。
しかし足は動かず、目はテレビ画面へと吸い寄せられて動かなかった。
「抽選議員は、10代から80代までの各年代の男女から1名ずつ抽選され
ました」
あらやだ。
なんかドキドキしてきた。
「それでは、10代の議員から発表します」
やっぱ若い人優先なのね。
ま、数少ないから大切に扱ってあげないといけないんだろうけど。
「10代男性 白木隆さん、10代女性 中目零那さん」
内海の周囲でちょっとした歓声が上がった。
白木隆って、確か今年の夏の甲子園の悲劇のヒーローとかで有名に
なった子じゃなかったか。
野球は特に興味無かったが、甲子園の決勝で敗れたピッチャーが、誰
かを助けようとして大怪我して、プロ入り断念とか世間で騒がれていた
記憶があった。
内海の見覚えのある近所のおばさま達が、あちこちで歓声を上げていた。
「20代男性 奈良橋悠(ひろし)さん、 20代女性 二緒律子さん」
わっ、と大歓声が上がった。
内海も口の前を手でふさいでいたくらいだ。
二緒律子。日本で一番有名な女性。
不幸に見舞われた両親の会社を10代で引き継ぎ、世界最大の企業に育
て上げた超有名人。
極端に外部との接触を避けてきた筈の彼女が国会議員に選ばれるとは!
世の中もまだ捨てたもんじゃない。
さて、お肉屋さん行かなくちゃ・・・。
「30代」とアナウンサーが言った時、ようやく足が動いた。
旦那とのいい話題もできたのだ。
買い物を終えて、旦那が帰宅するまでに料理を終えなくてはいけない。
彼は食いしん坊なので、たくさん作らなくてはいけなかった。
安月給なのにね。
おかしくなって、くすり、と笑った時、アナウンサーの声が聞こえ
てきた。
「男性 牧谷明夫さん、女性 内海愛さん」
どさっ、という音が聞こえた。
両手に持っていた筈の買い物袋が路上に落ちて、中身が散らばっていた。
あら、いやだ。
同姓同名の誰かが選ばれたのね。
買い物袋に入れておいた卵は確か天然物だった。
高かったのに。割れてないかしら。
周囲の視線に気がついて、内海はテレビ画面を振り返った。
あれだけ騒いでいた周囲が静まり返っていて、自分の視線の先には、
抽選議員資格者登録した時の、自分の写真が映っていた。
視線が下がった。
いつの間にか、地面にへたり込んだらしい。
「ちょっと、奥さん、すごいじゃない!」
「おめでとう、内海さん。やったわね!」
商店街にいた人々が次々と周囲に集まって来た。
えっと・・・。
とりあえず、旦那には、なんて言おうかな?
子作りはしばらくお預けね、とでも言おうか。
それでも彼はきっと「仕様が無いね」とでも納得してしまうのだろう。
内海の視線の先で、買い物袋は周囲を取り囲んだ人々に踏み潰されて
しまっていた。
また買いなおさなきゃ。
そう思った時、何台もの車が傍に急停車する音が聞こえてきて、内海
を取り囲んでいた人垣が割れた。
なんだなんだ?
ぐるりと見渡すと、傍にいた近所のおじちゃんおばちゃん達がいつの
間にか黒服のがっちりした男達に入れ替わっていた。
そのうちの二人に両脇から引き上げられた内海の正面に、一人の少年が
立っていた。
15歳くらいの巻き毛がかわいい少年。
桜色の唇から漏れた言葉は、しかし外見とはひどくかけはなれた事務
的なものだった。
「内海愛さんですね。お迎えにあがりました。憲法裁判所所属抽選議院
議員付AIです。ひとまず、あなたの今後一年間の住居までお送り致します」
両脇からひきづられるように大きな黒い車に連れ込まれそうになった
内海は、地面に落ちたままの買い物袋を見つけて言った。
「でも、ほら、身の回りの物とかあるじゃない?それに旦那が帰ってく
るから夕飯も仕度しなきゃだし、卵も落ちちゃったから、買いなおさ
なきゃ・・・」
「食材なら新居にご用意してございます。ひとまず、私共とお越し下
さいませ」
「でも、でも、でも、ほら、いろいろと、そう、ほら、心の準備っても
のがあるじゃない?ね、だから・・・」
AIと名乗った少年は、つと近寄って内海の耳元で囁いた。
「抽選議院議員関連法案第一項第十二条。抽選された議員の自由は公的
に制限され、議員は公務に対して拒否権を持たない」
その声のよどみの無さに驚いて、内海のひざの力が抜けた。
15歳くらいの外見からは想像もつかない確かさがあった。
「お連れしろ」
再び地面にひざをつきそうになった内海を、両側から男達が支えて、
車まで運んだ。
ひどく大きな車だった。
大きな卵型の球体を前後2台の4輪の車体で支えているような外見に見
覚えがあった。
あまりにも高価すぎて、テレビのコマーシャルには出てこない車。
確か、日本の自動車メーカー達が共同開発した特殊車輌で、戦車の砲
弾を通さない電磁装甲とか、車体の真下で100kgの爆薬が爆発しても乗っ
ている人は無傷だとかニュースで聞いた覚えがあった。
世界でも限られたVIPしか乗れない車。
それが目の前に停められていた。
全長がバスくらいはある車体。卵の様な形をした中央部の下の方に割
れ目が出来たかと思うと、目の前に階段が現れた。
AIと名乗った少年は、入り口の脇に控えて言った。
「どうぞ、ご主人様」
ばきゅーん!
そんな擬音が内海の耳には聞こえていた。
昔の少女マンガ並に彼の瞳も白い歯もきらきらと輝いていた。
内海は両脇から自分を抱えていた男達の手を振りほどくと、AIの頭を
抱きしめていた。
苦しいとも痛いとも放してとも言わず、しかしするりと腕の輪からす
り抜けたAIは、内海の腕を取って階段を昇った。
「広い・・・」
階段を昇ると、寝室のダブルベッドが2つは余裕で入りそうなスペー
スが広がっていた。
AIは内海をその中央にしつらえられたゆったりとしたソファに導いて
座らせて言った。
「発進」
暗かった室内に、360度のパノラマが広がった。見慣れた商店街に佇
む場違いな超高級車。続々と噂を聞きつけた人々が集まってきていたが、
先ほどの黒服の男達や警官達がこの車を取り囲んで野次馬の接近を阻み、
この車の前後には10台以上のパトカーや白バイがいた。
「あなた達がお役人だってのは信じてあげる。でもとりあえず行き先を
教えてくれない?旦那にも連絡したいんだけど?」
「議院宿舎へ向かいます。すでにご主人様の旦那様も宿舎へ向かわれ
ています。現時点での通信は盗聴の危険性を排除できない為、宿舎到着
までお待ち下さい」
白バイを先頭にした行列は、静かに進み始めた。
「盗聴って、そんな大袈裟な」
「ご自覚下さい。今まで数百人いた参議院が廃されて、たった16人が抽
選議院の議員として選ばれたのです。その16人の2/3が承認が得られなけ
れば、基本的にどんな法案もこの国で成立できないのです。どれほどの
権限と誘惑があなたと周りの人々に降りかかってきたのか、ご想像下さい」
「想像、ね。ひとまず飲み物でももらえない?」
「かしこまりました、ご主人様」
AIがソファの脇の床に手を差し伸べると、床の一部が盛り上がって冷
蔵庫が現れ、AIはミネラル水のペットボトルを取り出して内海に手渡した。
冷蔵庫はまた音も無く床に消えたが、継ぎ目のようなものはどこにも
見当たらなかった。
はっ、と気が付くと、先ほど昇ってきた筈の階段も跡形も無く消えて
いた。
「どんな魔法なの?」
「ただの科学の産物ですよ。物質組み換えを実現したナノ・テクノロ
ジーの結晶です」
息つく間も無く、景色はいつの間にか見慣れた商店街を抜けて、首都
高速インターチェンジへと向かっていた。
夕暮れはオレンジ色から紫色へと変わり、住み慣れた町並みは夕闇の
向こうへと遠ざかりつつあった。
内海は背をソファにうずめてつぶやいた。
「で、これから私はどうなるの?」
「今夜は宿舎に落ち着いて頂き、明日からは抽選議院議員の為の研修が
始まります」
そういえば、そんな契約事項があったっけか。
内海は契約書類の内容など仔細に読みはしなかった。
「それって、私みたいのでもついてけるの?」
「はい。資格審査に通られた方であれば、どなたでも」
「自信あるのね。私は、無いわ」
「無くても、叩き込んで頂きます。ご主人様は、選ばれたのですから」
「そのご主人様ってのは何なの?」
「私はご主人様にお仕えするために任じられた召使いですから」
「ふぅん。こんなお子様がねぇ」
「私はAIです。人間ではありませんから、外見年齢は性能に関係ありません」
「そう。それじゃあなたの名前は?」
「ご主人様につけて頂くことになっております」
国もけったいな事をするものだ。
こんな可愛い少年の外見のAIを自分につけるとは。
こんな、もし、自分の子供が無事に産まれて、育っていれば・・・。
じわっ、と目が潤んだ。
内海は慌てて目尻をこすって、自分のソファの脇を叩いて、AIに命じた。
「ここへお座り、・・・ポチ」
AIは内海の脇に座り、言った。
「ポチ。それを私の名前とします。よろしいですか?」
「ええ。でも、あとから変えられるの?」
「ご主人様が命じて下されば」
「わかったわ。ひとまずあなたの名前はポチ。旦那と落ち合ったらまた
考えてあげる」
内海はペットボトルの栓を回して外し、口に含んだ。
喉を駆け下りる水の冷たさがありがたかった。
窓から差し込む沈みかけの太陽の光がポチの髪を赤く染めていた。
内海はポチの巻き毛に指を差し入れて、くしゃくしゃに撫でた。
髪の毛の感触は人の物のように感じたが、指や手のひらに体温は感じ
られなかった。
なぜか涙がこぼれ落ちて来て、内海はポチを抱きしめた。
ポチは口答えも身じろぎもしなかった。
夜も暮れた頃、内海は抽選議員宿舎で旦那と落ち合った。
旦那は、AIの名前がポチなのはあんまりなので太郎にしたらどうかと
提案した。
内海愛は、太郎ならばポチの方がマシだと主張した。
結局はAI本人の判断に委ねられ、AIは、ポチという名前を選んだ。
こうして、内海愛と旦那とポチの共同生活が始まったのだった。
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