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著者・編者 | トム・ローゼンスティール=著 |
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出版情報 | 日本経済評論社 |
出版年月 | 2002年12月発行 |
本書は、「人びとが友人、もしくは知りあいに会ったときに、まずはじめにすることのひとつは、情報を共有することである」と始まる。なぜなら「その人が自分たちと同じように情報に反応するかどうかをひとつの基準として、知りあい、友だちを選び、人物を判断する」(1 ページ)からだ。著者は、「情報が民主主義を作った」(11 ページ)という観点から、本書を執筆している。すべてのジャーナリスト、編集者だけでなく、われわれのようなネットで発信する一般人にとっても参考になる教科書である。
著者は、ジャーナリズムの嚆矢を 1609 年頃のイギリスのコーヒーハウスとした。東インド会社が設立され、欽定訳聖書が出版され、欧州大陸ではケプラーやガリレオによる科学革命がはじまった時代だ。
著者は、真実の定義が曖昧であることに触れたうえで、「ジャーナリズムの核心は検証の規律である」(87 ページ)と説く。つまり、「真実を追究し、それを市民に伝えるにあたって決定的に重要なのは、つまり、中立ではなく、独立である」(199 ページ)というのだ。
ここで気をつけなければならないのは、英語では真実(truth)と事実(fact)は異なる概念だということだ。真実には人の判断が含まれる。
著者は、「ジャーナリストは権力にたいする独立した監視役という役割をはたさなければならない」(143 ページ)と指摘する。そこで、「ジャーナリズムは大衆の批判やコメントのための公開討論の場を提供しなくてはならない」(175 ページ)という。
著者は、「ジャーナリズムは、私たちの現代の地図である」(219 ページ)と指摘する。
だが、ジャーナリズムも資本主義に組み込まれている以上、利潤を上げなければならない。ここで著者は、「聴視者を集めたいだけなら、街角でストリップショーをし、裸になることだ」(226 ページ)と嫌みをいう。
本書の述べられている「ジャーナリズムの原則」は調査結果であり、著者の主張ではないとしている。
これを信じるなら、ジャーナリズムは意見を書くことも、ある一部に利益になることを書いても構わない。だがしかし、嘘を書いてはいけない。聴視者が検証可能な真実を書かなくてはいけない。そのための材料を提供しなければならない。検証の場を用意しなければならない。
――さて、現代において、わが国のジャーナリズムは、これらの原則に従っているだろうか。
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