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離れていても我が子を想う父親の訴え(後編)


 われます。結果、事前に何も知らされない別れた側の親は、何も知らされないにもか
 かわらず、尚更に面接交渉が実現できないものとなります。これでは一種の騙しです。

7.15歳以上となっている子どもの意見を聴いたとしているが、子どもは、判断する
 のに必要な実父の情報が長年にわたり全く閉ざされており、民法上の錯誤、瑕疵ある
 意思表示、又は、意思の不存在に該当します。
 (しかし現実には、子どもたちは、その誤りを知ることもできません。)

8.面接交渉禁止、即ち実質父子間の接触の全面禁止の根拠は何だったのでしょうか。
 もし、百歩譲って当時そのような根拠があったと仮定しても、年月は経ち、当然今は
 そのような根拠は取れてなくなっているはずです。もし、現在も取れてなくなってい
 ないのであれば、それは普通の生活の状態あるいは一般的な社会生活の状態を、面接
 交渉禁止の根拠としているからです。

9.さらには、平成12年水戸審判当時、過去長年の相手方の様子から、期間を空ける
 ことで当然その後予期されたであろう平成16年(家イ)第121~123号調停で
 の子どもたちの硬化した状態、即ち、父子間の情報が完全に閉ざされた環境の中で、
 平成12年水戸審判の時よりも平成16年の子どもたちの状態は、実父への嫌悪感、
 恐怖感等および反面接交渉の意志をより増大させ、面接交渉拒否の姿勢をはるかに強
 固にしています。私が予想していたよりも格段に悪くなっています。そして、その悪
 化した子どもたちの状態を、その後の面接交渉禁止の根拠にしています。父子間の関
 係を遮断して子どもたちの状態を硬化させておいて、その硬化した状態を理由にまた
 父子間の関係を遮断するという悪循環です。これは極めておかしいことです。裁判所
 がもたらした、作為的な悪循環です。

10.参考として、米国ウィスコンシン州の裁判所の資料を添付します。特に本事件に
 あてはまるI、IV、V、VIII、Xをご参照ください。(添付資料2「離婚訴訟における
 子どもの権利章典」参照)
  また、そもそも本来はこのような長い空いた時間を置かせないということが、面接
 交渉の基本的な考え方のようです。子どものことに関して或る権威ある国連の方(オ
 ランダ人、法律学者)との会話を次に記します。
   私は
    「現在裁判中であるが、長年会わない子どもたちから、実父と会いたくないと
     言われている。その意見をどうとらえればよいのか。」
   と質問した。先ずはじめに返ってきた答えは
    「そのような状況は起こらない。」
   というものであり私はびっくりした。私の質問を理解してもらえなかったのかな
   とよくよく聞いてみると
    「そのような状況を起こさせないのが面接交渉だ。」
   というのであった。
  私は姿勢の違いを感じました。離婚の被害者であり将来ある子どもの利益と人間形
 成を長い目で見てきちんと考えるのか、その場の短期的な状況判断で対処するのかの
 相違です。面接交渉をフォローする体制の問題も感じました。

11.日本では、核家族化して家族関係が壊れやすく流動的になっている現代、離婚も
 多く連れ子も多い世の中において、離婚の被害者である子どもたちに対して、子の利
 益よりは、前近代的家族意識、因習、ならびに、封建的家族制度の維持、養子縁組と
 いう「家」の安定を、優先させているのではないでしょうか。
  子どもの福祉のためには、別れた親と会わせない方が子は混乱しなくて済む、子ど
 もが会いに来るまで待つべきだ、陰から見守るべきだ等々という言葉を、裁判所内で
 聞きました。面接交渉においては「子どもの福祉」が往々にしてその実は、監護親や
 大人の都合とか平安のためであったり、前近代的家族意識であったりします。
  これが本当に子どもの福祉と言えるでしょうか。よく裁判所で使われる「子どもの
 福祉」という言葉も、面接交渉においてどのような意味をもって使われているのか、
 私は今まで長年見てきて、ただ便利だから聞こえがいいから使われている、というよ
 うに思えてなりません。表面的な「子どもの福祉」という言葉が、子どもにとって本
 当に必要な「真の子どもの福祉」を、覆い隠し見えなくしてしまっています。
  面接交渉は、特に監護親が非協力的な場合、長い目で見た支援やフォロー、カウン
 セリングが重要なものとなります。裁判所は判断をする場所ですから、家裁に於いて
 このようなことをするのは手に余り、扱いきれないのかもしれません。(ただし、平
 成5年から平成10年の八王子家裁の調停では、調停委員、調査官のご尽力により長
 年にわたり、それを行い努力しました。その後の平成10年から平成11年の東京地
 裁は、女性の裁判官が、子どもたちを呼んだりして丸一日かけて相手方へ説得を試み
 たりもしました。)
  その上、裁判所は時間がかかり、子どもの成長発達する速度に対応できてもいませ
 ん。 
  面接交渉に関する集会等で、経験者から家裁の対応に対して、「臭いものに蓋」と
 いう言葉をよく耳にします。監護親が拒否する等で面接交渉が困難な場合、理由を付
 けて面接交渉を認めない、許可しない、させないようにすることのようです。「でっ
 ち上げDV」という言葉も、これは弁護士の戦略かもしれませんが、耳にします。も
 し、面接交渉が空証文になることを避けたいがため等で、臭いものに蓋として、徒に
 期間を空けることがあれば、それは国連の考え方に反し、子の利益に逆行するもので
 す。「子どもの福祉」という言葉が「臭いものに蓋」のために使われていないことを
 願うものです。
  また、面接交渉の否定は、実父のみならず実父側親戚との人間関係の否定にもつな
 がります。それだけ子どもにとって、身近で安全を見守るより多くの周囲の大人の目
 に触れる機会が減ることにもつながります。
  面接交渉は、一面では、子と会えない親の権利とも言いますが、その実は子を心配
 し子をよりよい方向へ指導養育し、子の安全な情報を知りたいという親の本能であり、
 結局は子の安全で健全な成長と表裏一体のものです。
  昨今社会問題となっている虐待防止にもつながります。私は虐待のニュースを聞く
 たびに、別れた側の親の悲しみはどれほどか、もし子どもと会えていたら防げた可能
 性もあったのではないかと心痛みます。全く様子がわからない自分の子どものことも
 とても心配です。

12.日本は、児童の権利条約を平成6年4月22日に批准しました。その第9条3項
 に面接交渉の記載があります。我々親子は、批准の丁度3日前の同年4月19日、離
 婚調停成立の中で、月1回の面接交渉を定めました。これも何かの縁だったと思いま
 す。我々親子は、その後の日本の面接交渉の流れに流されながら、平成8年の面接交
 渉を明記した民法改正の動きを経たりしながら、歩んできたように思います。長男も
 もうじき18歳となり児童の権利条約の対象から外れますが(日本では20歳が成人
 で差がある、平成12年水戸審判の効力も20歳になるまで)、しかし、長い過去1
 3年間の児童の権利条約の対象となっていた期間が、その条約が活かさずに、今の状
 態を作り上げています。平成12年水戸審判以降、こちらから裁判所にこの条約条項
 の存在を申し出ていますが、裁判所でこの条約条項を考慮していただけることはなく、
 結果、今の我々親子の状態を招いています。
  また、この条約が言う「児童の最善の利益」は、憲法の「公共の福祉」にもつなが
 るものです。

13.平成12年水戸審判およびその効力存続が、長年にわたり、実質的に(物理的に)
 もたらしたものは、面接交渉の禁止、接触禁止のみならず、それによって導き出され
 る実の親子の人間的関係の禁止、言い換えれば、実父でありながら、子どもたちの消
 息を得ることの禁止、子どもの成長に関与することの禁止、等々です。並びに、子ど
 もにとっての、父子間の関係が長年完全に絶たれたことによる、その将来への影響で
 す。 
  終わりに、裁判所は実の親子の関係を半永久的に引き裂いているということをご認
 識いただきたい。裁判所の主張には、長年父子関係を引き裂いていることに対して、
 正当な客観的根拠理由が見当たりません。例え、ストーカーであっても禁止期間は限
 られています、ましてや親子です。私には、子どもの身長も体格も学業も成績も、幼
 い時、別れているので小学校の通信簿も全く何も、多分、今は顔もわかりません。平
 成12年水戸審判には、「自身(実父)は一歩身を引いて、(子を)温かく見守るの
 が最も良い選択であろう。」と日本の美徳的なことが書かれていました。しかしこれ
 は、核家族化した現代社会において実態を理解しないものであって、実父としては、
 子どもたちの情報も消息も長年全く閉ざされ、子どもたちを温かく見守ることさえも
 許されていない状況です。子どもたちの情報を知ることができる唯一の機会は、裁判
 所へ申立てのたびに取り寄せる戸籍謄本と付票だけです。
  これだけ長く父子間の断絶という、子どもの人間形成および子どもの将来に確実に
 影響を与えた裁判所の決定は、実の親子という人権を踏みにじり、人道に反するもの
 です。裁判所が、憲法が保障する基本的人権を侵すものです。
  私は、人間として、親として、最低限の要求をしているだけです。面接交渉を実現
 し、より血の通った人間形成をすること、より多くの愛情を受けた人間を育てること
 が、真の公共の福祉につながるのではないでしょうか。


〔憲法〕
 第13条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
   すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の
  権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊
  重を必要とする。
 第98条【憲法の最高法規性、条約・国際法規の遵守】
 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを
  必要とする。
 第99条【憲法尊重擁護の義務】
   天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊
  重し擁護する義務を負ふ。

〔児童の権利に関する条約〕
 第9条(父母からの分離についての手続き及び児童が父母との接触を維持する権利)
 3 締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から
  分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持
  する権利を尊重する。
 第21条(養子縁組に際しての保護)
   養子縁組の制度を認め又は許容している締約国は、児童の最善の利益について最
  大の考慮が払われることを確保するものとし、また、
 (a) 児童の養子縁組が権限のある当局によってのみ認められることを確保する。
   この場合において、当該権限のある当局は、適用のある法律及び手続に従い、か
   つ、信頼し得るすべての関連情報に基づき、養子縁組が父母、親族及び法定保護
   者に関する児童の状況にかんがみ許容されること並びに必要な場合には、関係者
   が所要のカウンセリングに基づき養子縁組について事情を知らされた上での同意
   を与えていることを認定する。
 (外務省国際社会協力部人権人道課発行の「児童の権利に関する条約」より)


14.子どもたちは元気でいるでしょうか。最後には、子どもたちに会いたいものです。
 次女B子は大学へ行っているでしょうか。子どもにとって教育は将来の可能性を広げ
 る意味でも重要なものです。今からでも遅くはないです。もし必要なら、会えなくて
 も構いません、大学進学のための学費を出す用意があります。親の人生ではなくて自
 分の人生なのだということを、伝えて欲しいです。
                                  -以上-



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