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東南アジア縦断一人旅 その23 国境『ピンシャン』ベトナムとの国境間近の田舎町。さすがにここまで南下すれば、暖かかった。着いたのは、夜。運転の荒いバスで、ヘロヘロになった僕に、降りてすぐ変なおっちゃんが話しかけてきた。そのおっちゃん。この笑顔がステキなオカタは、3輪タクシーの運転手で、「ホテル紹介するぜ。」みたいな事を言っている。いつもなら断るトコだけど、ヘトヘトだったので了承。(この手の勧誘はバックマージン目当てなので、安くはない)3輪タクシーはなかなか爽快で、あっという間に宿についた。タクシー代を払ってチェックインすると、タクシーのおっちゃんが何やら話しかけてきた。「ベトナム行くんだったら、明日国境まで乗せてくぜ」と。ボられるのか?と、思いながらもOKすると、「じゃあ、7時に迎えにくるからな」ときた。はやっ!いくらなんでも早いやろ!ピンシャンに観光スポットはないのか?まいっか。翌日の朝、7時。これまたキッカリ、おっちゃんは迎えに来た。まさか時間守るはずは...と思ってたから、寝てました。でもちゃんと、部屋まで起こしに来てくれた。寝起きで目がパンパンになりながら、雨の降る早朝を、おっちゃんの後ろに乗り国境を目指す。ココで事件。お決まりのヤッテモウタである。(正確にはヤラレテモウタだけど)国境までは30分。雨の中、3輪タクシーで行くわけですが、田舎道を爆走中に、パンクですわ。おっちゃんにお金払ってたから、乗り換えるとまた金かかるなぁ。おっちゃんはすぐ直る!みたいな事言ってるけど。そう思ってるうちに、空車の3輪タクシーが通りかかった。おっちゃんは、そのタクシーを止め、何やら話しているではないの。なんと、おっちゃんは僕が渡したお金全額を、そっちに渡し、国境まで行ってやってくれと、交渉していた。ちっちゃい感動をありがとう。おっちゃんおっちゃんに同じ額のお金を渡し、シェシェと言って別れた。おかげで、無事、国境に着いた。意外に人は少なく、閑散としていてアッサリと国境を越えてしまった。ベトナムの入国審査を経て、外に出ると、やっぱりたくさんの客引きの人が、僕を歓迎してくれた。そして、分かりやす~い詐欺を披露してくれた。つづく
2004.10.06
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東南アジア縦断一人旅 その22 中国南寧に着いたのは、夜中だった。駅を出て、すぐ目の前にあるデッカイ宿にチェックイン。ホテルっぽいのに、鍵は壊れてるわ、アリンコは列を作ってるわでなかなからしい宿だ。辺りの雰囲気も、大都会とは違って危険なニオイがぷんぷんする。とりあえず、風呂に入り、洗面台で洗濯する。この旅行で1番困ったのが、洗濯物だ。たいがい干す場所が無くて、部屋に干す事になる。湿気が多い地方では、なっかなか乾きませんこれが。結局、まだ湿った、重い衣類を、バックパックに突っ込んで出発!ってのが多かったりする。皆さんは是非、ランドリーサービスや洗濯屋へ。んで、コバラが空いて外へ出た。あまり、夜中にウロウロする外国人はいないのか、みんなジロジロ見てくる。しばらく歩いていると、散髪屋があり、「マッサージ」の文字が。以前タイで行った、タイマッサージが頭をよぎった。旅の疲れがブッ飛ぶんです。ただ、これがヤッテモウタとは、その時気付くわけもない!中国のピンク系の店は、散髪屋だった!昼間は散髪でサッパリ、夜はにゃんにゃんでサッパリ、ときた。もちろん何も知らん僕は、店に入り、「マッサージプリーズ!」店員は女ばかりで、笑顔で接客。奥のピンクい部屋へときた。ジェスチャーで肩をもんでみると、「なんや、そっちか」みたいな顔をされる。値段が全然違うのだ。僕も男なので、そっちも興味ないことはない。むしろアル。でも、一人で異国のそっちの世界に乗り込んでいくほど勇気おません。実際安く、1時間500円ぐらい。ただ、僕の横に座って、片手で適当にやりやがる。「延長だ延長!」ってなって、(この客、満足するまで帰りやがらんぞ)と思わすのに、3時間かかった。結局、宿に戻ったのは、朝の5時。次の日は、睡眠不足で、国境の町『ピンシャン』へバスで向かった。北京でゆっくりし過ぎた僕には、時間がなかった。旅行中、日本の友達とタイのバンコクで待ち合わせをしたからである。中国、最後の町『ピンシャン』に着いたのは、またまた夜中だった。つづく
2004.09.21
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東南アジア縦断一人旅 その21 中国正解は、2でした!アホでしょ?ってゆうか、ビビリなんです。基本が。もし、次の街に、ATMがなかったらGAMEOVERですから。次の朝、残りのお金で、上海行きの切符を買って、その日に列車に乗りました。でも、当日にアセッて買ったのが間違いだった。寝台は空きが無く、リクライニング無しの椅子席しか取れなかった。中国の列車に慣れてきた油断もあって、『ま、いっか』で取ってしまったのが大失敗。乗ってビックリ!地元の中国人達が、びっしり座ってて、荷物は網棚の上。これだけでも不安。それだけじゃあナイ。向かい合いの席(日本で言う特急の様な)の向かいのおっさんが、足を僕の横におくのだ!周りを見ると、みんなそうしている。これがルールなのか...それだけならいいが、みんな足がクッサイ!慣れるのに2時間はかかった。後ろの席の中国の女の子に、イタズラで頭をたたかれたり、とにかく悲惨だった。デジビデをカバンから出そうものなら、絶対目をつけられる。(だから写真はありません)でも、楽しい事件もあった。現地の女の子に、ナンパされたのだ。厚底ブーツでミニスカートのその子は、思いっきり浮いていた。何か、上海に着いたら、案内をしてくれると言ってくれた。向こうで電話しろと、番号を渡されたが、筆談でいっぱいいっぱいの僕が、電話で会話できるわけないやん!と、心では思ったが、OKOK!と言っておいた。(もちろん電話してみたが、通じるワケはなかった。)そんなこんなで、2回目の上海に着いた。一応、しんどいので、1泊。また、夜景のきれいな川原で一人、自分のアホさに、たそがれた。もちろん回りはカップルだらけ。次の日、金を降ろして、速攻で桂林より南の町、『南寧』に向かった。これは、寝台でいけたが、来た道+さらに南下、なのできつかった~。30時間電車乗りっぱなし。最近見た景色、というのを忘れ中国ってでっかいなぁ~と思いながらも、あっという間(うそ)に、南寧に着いた。そこは、ベトナムとの国境に程近い街。初めて、陸路で国境を越えるワクワクとドキドキがいっぱいの僕は、中国最後のヤッテモウタをしでかすのである。つづく
2004.09.07
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東南アジア縦断一人旅 その20 中国徹夜で迷子してた僕は、宿に帰るとすぐに寝た。次の日の朝まで寝てしまって、目はパンパン。ここで、一つ、不安がこみ上げた。所持金の問題である。もう何千円ぐらい分の金しかない。もう少し、山暮らしを満喫したかったが、やっぱり海外では、金がないと生きてけない。渋々、山を降りる事にした。ふもとの村まで歩き、そこからバスに乗る。相変わらず、荒い運転で僕を、桂林の街まで運んでくれる。街に着いたらまず、貧乏旅行の基本、『宿探し』をしなければならない。安い宿を探す気力も無く、適当に入ったボロホテルが意外に安かった。ラッキー。部屋はボロかったが、まあまあキレイ目。顔バレた~荷物を置いて、早速お金を降ろす為に、ATMを探しに出た。銀行から、デパート、観光案内所まで回りに回った結果、無かった!クレジットカードなら、キャッシングで降ろせたが、僕の持っていたのは、国際キャッシュカード。これには、さすがにビビッた。何回目やねん!なションベンチビリ事件発生。途方にくれて、店でジュースを買って、宿に戻った。残りの現金は、約3千円。ここで『究極の選択』1、次の国ベトナムに近づく為、南下しながら新しい街でATMを探す。2、上海に戻って(片道24時間)、行った事のあるATMへ行く。さて、僕はどっちを選んだでしょう.....つづく(この終わりかたムカつきますか?やっぱり)
2004.09.06
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東南アジア縦断一人旅 その19 中国宿。えぐいでしょ?その山頂の宿には、欧米系の老夫婦と、カナダ人が泊まっていた。僕は、歳が近いこともありカナダ人と仲良くなった。朝からカナダ人は出かけるらしいので、僕はこの日、一人。外に出ると、山頂だけあって、霧か雲かわからんけど、辺りが真っ白になっていた。雲の海に僕らの宿がプカプカ浮いてるみたいだった。もちろん地図はない。とにかく出かけてみる事にした。人が一人やっと通れるぐらいの道(ほとんど迷路)を、どんどん進んでいった。途中、放し飼いのブタ、牛、犬、鶏。こいつらが僕を邪魔してくる。犬が苦手なので、道で対面したら、スグに目をそらし、じっとして通り過ぎるのを待ったりする。そんなこんなで腹が減った。それらしい所があったので、覗いてみると、壁が無く、テーブルが1つ(しかもちゃぶ台)、そして、あきらかにそこの息子と思われる赤ちゃんが、すでにうどんみたいな物を食べていた。OK?と聞くと、OK!と言う。とりあえずちゃぶ台に正座して待つと、(勝手に!)赤ちゃんと同じものが出てきた。小さなちゃぶ台で、赤ちゃんと僕が対面しながら食事が始まった。その子は、赤ちゃん流のキッタナイ食べ方を披露してくれて、吐き気をプレゼントしてくれた。その赤ちゃん。何とか食べきり(味は良い)、地元の小学校に迷い込んだりしながらも、日が暮れてきた。ここで僕は真っ青になった。帰り道が解らなくなった!!大都会で迷うならまだしも、こんな山奥で迷うと、さすがにオシッコもチビリそうになる。とにかく僕は、早歩きで戻ってみた。街灯はないし、交番なんかあるわけない。目印のなるのは、ポツポツ光る、民家の明かりだけ。途中、店屋で酒を買って、酔ってみたりもした。宿の名前すら覚えてなかったので、聞きようもない。店の主人と、いっしょに飲んでみた。するとどうだろう!辺りが明るくなってるではないですか!!そう、朝までのんじゃった。言葉は通じないが、とにかく笑っとけ!が役にたったのである。さすがに、明るくなると、見晴らしが良くなっていた。帰るべき宿は、すぐ30m先ぐらいに見えた。ベタなコントを、中国の山奥で実践した僕に拍手を下さい。その20につづく。。。
2004.08.17
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東南アジア縦断一人旅 その18 中国電車は桂林駅に着いた。客の事なんて、考えちゃ~いねえ。着いたのは、深夜1時。ガイドブックなしの僕は、あまりの田舎さにしばらく呆然。駅の前には、バスが何台もあり、相変わらずどこ行きなのか検討もつかんかった。その時!僕の名を呼ぶ声がっ!あの韓国人女2人組の1人だった。「まだおったんかい」と突っ込みたかったが、久しぶりの再開に笑顔。その子らは今、韓国人の男と、三人で行動してて、桂林からバスで40分ほどのヤンソーという村に泊まっていた。もちろん僕も一緒に行く。バスの車内で、「駅までわざわざ来てくれたん。ありがと~。」と、言うと。「ジャンケン負けてん。」生まれて初めて、自分が×ゲームになった瞬間だった。足の臭い中国人たちとで、ギュウギュウ詰めのバスは、真っ暗な村「ヤンソー」へ着いた。その日は、三人で飲み明かし、三人で2日酔い。次の朝、宿から外へ出て、ビックリした。昨夜は、暗くて見えなかった、山並みが目の前にあった。映画の世界だった。これは後で知った事だが、普通、観光客は、桂林に泊まり、そこから高い金を払って、船で山並みを見に行く。しかし、賢い奴は、桂林から、ヤンソーまで行き、レンタル自転車や徒歩で見に行く。有名な観光スポットだけに、みんな金を惜しまんらしいが、ヤンソーまで行った方がイイ!!景色はきれい、宿は安い、景色は最高。三人で早速、自転車を借り、月の丘というトコにハイキングに行った。途中、チャリンコをこぎながらキャッチセールスをしてきた中国人がいた。ほんまに何でもアリやな。ここでも、たいがい田舎だと思ってたが、翌日から、(ほんまに!)山のてっぺんで暮らすことになった。翌日、例の子2人に薦められ、さらに山奥の「ロンジー」という所に向かった。バスは無く、一般人に交渉して、車でそこへむかった。着いたのはやっぱり夜。途中、警官みたいなやつにカラまれ、賄賂を要求された。じゃ、その懐中電灯くれ!見たいな事言ったら、ほんとにくれた。絶っ対、警官ちゃうわ。あれ。中国、ええかげんにせーよ。ある程度登ると、車が通れない場所に着いた。大阪の夜道を、一人で歩くならまだわかる。中国の、街灯もない山道を一人で歩けってか?歩いた。ある程度、途中に民家があって、迷路みたいな道になっている。頂上付近まで行くと宿があった。意外にキレイな部屋で、メシもうまかったが、天井に穴が開いていた。次の日、オムツがいるかと思うぐらいの、チビリ事件が起こった。その19へつづく。。。。
2004.08.08
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東南アジア縦断一人旅 その17 中国次の日、宿に電話があった。北京で出会った、韓国人の女の子2人組からの電話。宿の人が、チン○ブラザーズの名前を叫んでいたので、「どっかいったで~」と、教えてあげると、「韓国人からの電話だ。」と言ってたので、僕が出てみた。すると、彼女達だった。彼女達は、水墨画のような景色で有名な、「桂林」という場所にいて、ブラザー達と、「広州」と言う街での、待ち合わせの確認をしたかったらしい。でも、ブラザー達は、広州に出発した。あ~あ。話を聞くと、景色が「ベリーベリービューティフル!」らしいので、(俺もイコ。)になった。彼女達の宿の場所を聞いて、そのときに、まだいれば駅まで迎えに来てくれると言う。この時、僕はガイドブックを持っていなかった。(捨てた。)今更、買おうとも思わんし、そんなにビューティフルなら行ってみよ。である。そして、僕は列車のチケットを買いに、場外切符売り場に、向かった。宿の人に、言われるがままに歩いていくと、信じられんくらいボロい建物の中にあった。(普通に通ったら気付きませんで)購入したチケットを見て、目が点になった。到着時刻を見ると、上海から桂林まで、25時間!はよゆえよ!そんなに遠いとは知らんかった。マイッタ。出発当日。僕は、ネットカフェに寄って、地下鉄で、上海駅に向かった。早めに着いたので、駅の食堂バイキングで昼ごはんにした。上海では、一番ココがうまかった。ほんまに。駅のATMでお金を降ろして、カップラーメンを2つ買って(ハマッタ)、いざホームに行こうとしたときだった。おなじみの、「ヤッテモウタ!」である。大事なノートが無いのに気付いた。ネットカフェに置いてきたのを思い出して、青くなった。そのノートには、色んな連絡先、集めた旅行の情報、さらに、この旅行記の元になっている日記が書いてある。コレを失くす事は、スッポンポンで、旅行してんのと同じ事。また、地下鉄に乗って、汗だくになって戻ったかいあって、見つかった!列車の時間にもギリギリ間に合った。こんなんばっか。。。列車のタイプは、上海に来たときのと、同じで居心地は良かったけど、寝台列車なのに、夜中でも関係なく、急ブレーキを踏む。おかげで、壁にゴンゴン頭をぶつけて良く寝れなかった。さすが中国。と思ってる間に、桂林に着いた。そこは、景色なんか、あんま好きでない僕でさえ、心から感動してしまう、まさに、水墨画の世界だった。ここから少し、僕は山にこもる事になる。その18へつづく。。。
2004.08.01
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東南アジア縦断一人旅 その16 中国上海に着いた僕は、ビックリした。想像以上の大都会だったからである。チン○ブラザーズがいるはずの宿に顔を出すため、駅をでて、地下鉄の駅に向かった。自動券売機は意味がわからんかったから、窓口で切符を買った。上海では、標準語ではないらしく、違う国に来たみたいな気がした。上海駅から3つ目の駅、「人民広場」までは、あっという間。ただ、日本と違い、電車のドアは制限時間がくると勝手に閉まりやがる。その時は満員で、僕の後ろのおばちゃんが、間に合わず、ワメキながら次の駅まで去って行くのが見えた。駅を出てしばらく歩くと、マクド(マック)があった!さすが、大都会!飲み物は選ばしてくれた!(韓国のマクド!学べよ。)その後、宿まで行くと、またビックリ!めちゃキレイやん!しかも、「地球の○き方」に載ってた宿よりも安かった。ここで、僕はそのガイドブックを捨てた。一泊、ドミトリーで50元(750円)、部屋はこの旅行を通して一番キレかった。【船長青年酒店】バンドにも程近い。部屋に着くと、日本人と、中国人がいた。ロビーには日本人が結構いた。もちろんしゃべりかけた。ただ、ここで一つ!!旅先で会う日本人の、男の大半は、ウンチクを語る。(ほんまに多すぎ。)お前のウンチク聞きに、こんなトコ来たんちゃうわ。である。僕が、世界一嫌いな物は、愚痴とウンチク。それを、近所の居酒屋ならまだ、許せるが、旅先でまで語られてはムード台無しやろ。そういうウンチクには、「へぇ~」っとしか返しようがないから困る。もちろん、チョウチョを追っかける振りをして逃げた。とりあえず、荷物を置いて、ブーラブラ。コンビ二があった!そこで、日本にお土産にしようと、中国語版【名探偵コナン】を買ってしまった。(ちゅーと半端な)12巻。その後、晩飯を食いに繁華街へ出た。ビックリ三回目。吉野家まであった!その時は、牛丼でした。一応、寂しく小龍包を食って宿に帰ると、チン○ブラザーズとばったり会った。1000km離れた所でまた会った。スグに帰るらしかったので、その日は一緒にブラブラして、本当の最後の晩餐で、吉野家にいった。2度目。そして次の日、ブラザー達を見送って、また一人になった。お土産もリュックの半分を占めていたので、日本に送るべく、郵便局に向かった。地図を持たず(ガイドブックは捨てたので)、上海の町を歩くのは勇気が要ったが、途中、変な雑貨屋に寄ったり、アブナそうな場所(色んな意味で)も通れておもしろかった。郵便局の対応は、適当で、(ほんまに着くんか?)と心配だった。船便で1ヶ月かかると言われ、え!?ってなったが、僕よりも早く着きそうだったので、送ってしまった。(意外にもちゃんと着いた)そして、その晩、僕は上海があまり好きにはなれず、もう、次どこ行こうかと考えた。宿の近くに「バンド」という、有名な景色のいい地域があって、そこの川のほとりで、悩むことにした。(周りはカップルばっか)きれいですね~世界地図を広げて、カップルがイチャつく中で、クレープを食べながら考えた。初めの計画では、「エベレストで一服」が目標だったが、上海まで南下したのに、まだ寒かったので、南へ行こう。んでベトナム行こう!になった。また、上海に戻って来るとも知らずに。。。その17へつづく。。チョイ書き この旅行記で書きたい事は、死ぬほどあるんですが、「その2000」までになってしまいそうなので、泣く泣く短くしてます。今で、4分の1ぐらいかな?もし良ければ、感想をお聞かせ下さい。ホームページのデザイン等についてもご意見が聞きたいです。「見にくいんだよ!」とかでも結構です。そして、いつも読んで下さってるみなさんアリガトウゴザイマス。
2004.07.30
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東南アジア縦断一人旅 その15 中国北京出発の日。荷物をパッキングして、宿のおばちゃんや、従業員に挨拶をして、写真をみんなで撮って宿を後にした。北京の駅までは、イーシャン(中国人)と、韓国人二人が、見送りにきてくれた。イーシャンは僕に、チャイナ服をプレゼントしてくれた。結構、列車の時間がヤバイのに、彼らは何枚も記念写真を撮って、「だいじょぶだいじょぶ。中国の電車は時間守らんから。」と言っていた。北京駅前。いわんこっちゃない。案の定、ホームに行くと、列車は出発寸前!サヨナラも走りながらになってしまった。旅先で出会うみんなは、温かい。一人旅ってええなぁ。と、再々確認した。列車に乗ると、自分の切符の番号の席へいく。僕の席は、2段ベッドの上。窓から景色を見る時は、下の人のベッドに座らせてもらう。パッと見て、外国人は僕だけだった。車両の中は、中華風の音楽が流れていて、みんな、マージャンしたり、ヒマワリの種を食ったり。ん~中国♪とりあえず、探検やろ? と、車内を見て回った。中国人は、常に、お茶の葉と、ガラスの水筒を持っていて、色んなトコにある、お湯でMYお茶を作る。案の定、座席の下に、お湯の入ったヤカンがあった。上海に着いたら、マイお茶の葉、マイ水筒を買おう。と思った。北京から上海まで、電車で15時間。僕は、流れる景色が大好物なので、全く苦痛はない。途中、停まった駅で物売りの人から、食べ物を買う。中国では、ラーメンは見かけなかったが、ここではカップラーメンはあった!辛めだが、うまい。駅弁も買ったが、ご飯がドブ臭くて食えるか!ってな感じである。色んな人が話しかけてきたが、この移動でゆっくりできて、風邪は完治。ただ、今どこを走ってるのかが、検討もつかず「上海通り過ぎてないよなぁ」ってずっと不安だった。とにかく、列車は中国らしさをモロに出してて、トイレはボットンで線路に垂れ流し、入り口ドアは駅員がきていちいち手で開ける、そこら中で口ゲンカしてる。そうして、なんとかかんとか、僕は、大都会「上海」に着いたのである。その16につづく。。。。
2004.07.28
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東南アジア縦断一人旅 その14 中国みんながどっかに観光に行った中、風邪で、僕は部屋にいた。ここの宿の従業員達は、すごく人好きで、しょっちゅう僕らの部屋に遊びに来ては、意味不明の中国語で、あーだこーだ言っている。その中の一人、コックの男が特に優しかった。みかんを持ってきてくれたり、ヒマワリの種を持ってきてくれたり(中国人がヒマワリの種を食っている姿は1日100回は見る。)と。しんどいからほっといてくれと、思いつつ優しいから、何も言えない。んで、(ジェスチャーでだが)「俺の部屋で寝ていいよ。ベッドがあるから良く寝れるよ。」みたいな事を言ってくれた。ナンテ優しいんや!ところがどっこい!!案内してもらうと、薄暗~い部屋にベッドが一つ。んで、ベッドには、お姫様の様な、白いスケスケレースのカーテンが!百歩譲って、それは我慢する。そのコックは、先にベッドに入り、「おいでおいで」と言う。おじゃましま~す。ってアホか!何か優しすぎると思ったら、こんなオチかい!もちろん僕は、ホモっけなしなので、チョウチョでも追いかける振りをしながら、その場を去った。いい奴なんですが.....そんなこんなで、夜になり、観光に出てたミンナが帰ってきた。そして、いつも仲良しの、韓国人の女の子二人組がケンカをしてるのに気付き、仲裁をするべく飲みに出た。原因は、なんとなく分かったが、言葉が通じず、飲むしか無かった。100円の焼酎ボトルを3本空け、30円のビールを20本は飲んで、いつの間にか仲直りしてた。そんな平和?な日も明けて、次の朝。いよいよ、仲の良かった、ちん○ブラザーズ達と、女の子二人は、別の場所へ旅立った。ブラザー達は、上海へ。女の子達は、桂林へ。その他のみんなは、チベットに行った。ブラザー達とは上海で落ち合う約束をした。そして、新しい観光客達が、僕のいる宿へ来た。もう、長老ですわ。その日、新人の韓国人達(またかい!)と、例のホモ疑惑コックとで、部屋飲みをして、最後の晩餐を楽しんだ。ホモ疑惑コックさんは、左から2番目。そして、いよいよ!次の日、僕も、上海へ行く事になる。初の中国列車は、突っ込みたい放題のギャグの宝庫だった。その15へつづく。。。。
2004.07.27
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二回目のタイ旅行-2002-二回目も、友達と行ってしまった。前回の人とは違うけど。8歳年上のアホ友達。通称アニキ。さすがに気合入れて、ビデオカメラもってった。ほんで、余裕の気分で、当日、アニキの家まで迎えに行った。飛行機の時間は午後2時、アニキを迎えに行ったのは午前11時。一応、大阪市内やから関空まで余裕です。アニキとは、怖いくらい気が合うので、常にテンションは同じ。大阪駅で、うどんなんか食ったりして、ほんまに余裕だった。大阪駅から、関空までは、関空快速で50分。と、思っていた。これが、すでに間違っていた!!!なななななななな、な~んと!関空に渡る橋の上、電車の窓から、僕達が乗るはずの飛行機が、びゅ~んって飛び立つのが見えた。電車の中で走ってみたが、意味はなく、顔面真っ青になって関空についた。。。。買ったチケットは、大韓航空の格安航空券、往復4万円。安いだけあって、ユウズウはきかん。でも、必死で代理店カウンターのオネーサンを説得!が、無理だった。僕らは二人で「やってもうた~」の連発。その日は日曜日で、大韓航空の電話は留守電。(アホか)このまま、かっこ悪く帰るか、明日まで待って大韓航空に、交渉するか。。。そら帰れんわ。で、結局、関空のベンチでタイ旅行、1泊目を終えた。目が覚めたら、人がガンガン歩いてた。そっから早速、交渉の電話。粘りに粘って、1万円でチケットを復活させてもらった!大韓航空最高。この事件があったせいで、今回のタイ旅行は、逆に面白かった。僕は、1週間だったので、二人で、バンコクからバスで、プーケットに直行。釣竿を買って、釣りに行ったり、バイク2人乗りで出かけたり、タイのガキドモと遊んだり、オカマにナンパされたりと、充実した1週間だった。アニキは1ヶ月いたらしい。タイにはまっていた。終わりだいぶ前の事なんで、記憶うすれて、詳しくかけません。ごめんなさい。
2004.07.20
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東南アジア縦断一人旅 その13 中国この日の晩ご飯は、泊まってる宿のみんなと、外へ食べに行く事になった。僕以外、みんな韓国人。メンバーは、おっちゃん1人、男2人、女2人、例の兄弟、そして僕。近くの安そうな食堂みたいなトコに入った。さすが、中国!店員は、一人が椅子に座ったままで、女の店員は、テレビを見ている。そんなのはココではあたりまえ。メニューを見ても、サッパリわからんし、漢字の雰囲気でアレコレ頼む。僕は白ご飯が無いと生きていけないので、それは、学んである。「ミーファン」である。中国はビールが安い。大ビンで30円ぐらい。やっすっ!しかも、ウマい。まあ、何でも安いけど。(携帯は高かった)んで、食卓ですが、会話は片言の英語と、韓国語。だからもう、言葉なんかいりませんの世界。ジェスチャーやったり、とにかく笑っとけみたいな感じですわ。そんなこんなで、僕は酔っ払って、日本流ギャグを教えたり、下ネタを教えあったり、手品を披露したりして、おおいに盛り上がった。ついには、店中の客、店員までもが、僕らのテーブルに集まった。今、出先なので、写真は後ほどUPします。ひたすら飲んで食って、一人600円ほど。僕らの旅行では贅沢な方やけど。その帰り、韓国人の男たちが、英語で僕に、こう言った。「僕たちは、朝鮮侵略など過去の事もあって、日本人が大嫌いだった。 だけど、あんたと会って、逆に日本人が好きになった。次は日本に旅行にいくわ。」少し、うれしかった。僕たちは、宿に帰って、更に日韓友好を深めるべく、朝まで飲んだ。もちろん、薄着の僕はその日のうちに、風邪を引き、北京滞在が延びることになった。次の日、一人で飯食いに出かけると、隣に座った男2人に声をかけられた。びっくりするぐらい、ヘタな英語の韓国人だった。(韓国人ばっかやな)世界公園というテーマパークに行こう!と、言われ一緒に行くことにした。そこは、突っ込まずにはおれん事ばかりを集めた、テーマパークだった。季節外れということもあってか、人気は無く、池の水さえもカラカラ。世界中の観光名所を、ちっちゃくしたやつを、たくさん園内においてあった。ここでも、マレーシア人、シンガポール人たちと友達になった。クラス替えを思い出すぐらい、人の顔を覚えるのが大変である。そんなこんなで、その日は宿に帰った。すると、熱が出て、頭が痛くなり、それから2日間宿にこもる事になった。宿にいても、なんだかんだある。未だにハッキリせんけど、「奴はホモなんか?事件」である。その14につづく。。。
2004.07.12
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東南アジア縦断一人旅 その12 中国北京2日目。僕が、天安門近くの街を、ブラブ~ラしてるときだった。人ゴミの中、一人のお婆さんが、後ろから僕の手を握ってきた。何か言っていたが、解かるワケない。必死にしがみ付いて、泣きそうな目で僕を見ながらずっと何か言っている。ホームレスだった。僕は、おばーちゃん子。だけど、「ホームレスに金をあげてもキリが無いからやめとけ」と、教えられていたので「ノー」と言い続けた。そしたら僕の手に持っていたファンタオレンジを指差した。(まさか)と思い差し出すと、お婆さんは喜んで人ゴミに消えていった。中国は、発展途上の土地が多いとは聞いていたが、飲みかけのジュースをもらって喜ぶお婆さんの姿には、ショックを受けた。中国政府!何しとんねん!この時僕は、〔飲みきらないジュースを買うお金分〕くらいは、あげる事にしよう。と決めた。その夜、長城観光に行った韓国人達と、ゲテモノ屋台街へ繰り出した。蛇はもちろん、幼虫、ザリガニ、クモ、バッタ。。。何でも食った。もちろん全部マズかった。そして次の日。ベトナムのビザ、上海への列車の切符をGETすべくバスに乗った。列車の切符は、宿の近くの、何屋か検討もつかん店で簡単に買えた。問題は、ベトナムのビザ。ベトナム大使館の場所を、地図で調べてバスに乗った。中国のバスは乗りこなすのが、なかなか難しい。まず、目的のバスを探すのが大変だ。人口の多い国だけあって、バス停も人でゴッタがえしている。何とか、目的のバスを見つけたんだけど、ア然。。。ドアは開きっぱなし、中はギュウギュウ詰め、案内電光掲示板ももちろんなし。バス停で止まると、切符係の人が(同乗してる)、理解不能の中国語で叫ぶ。乗ってる間、ずっと不安。地図を広げて、人間カーナビをしながら目的地を目指す。(アジア旅行では当たり前か。)僕は、常に、切符係の人の隣をキープして、地図を見せ、ココだココだと、何回も合図する。すると、目的のバス停で「オイ。ツイタゾ」みたいな事を言ってくれた。チップはナシ!そんなこんなで大使館に着き、これまた、ワケの解からん申請書に、ウソ800を書いて申請した。ビザが出来上がるまで、5日かかると言われ、「またこなあかんの!?」と突っ込んだ。貧乏旅行は面倒クサイ。でもオモロイ。再確認。この夜、僕は、日中韓友好に貢献する事になる。その13へつづく。。。
2004.07.08
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*************************************************************************************************************東南アジア縦断一人旅 その11 中国韓国人兄弟と一緒に、宿に近い「同仁堂」という中国では有名な薬局の中にあるATMへお金をおろしに行った。ATMにカードを入れ、余裕をぶっこいてブラザー達としゃべりながら操作していると、急に、「ズコン!」という音がして、カードが吸い込まれた!どのボタンを押しても何の反応もなく、一瞬で顔面真っ青になった。ガイドブックにこう書かれていたのを、思い出した。「防犯の為、海外のATMはカードを入れて、しばらく何もしないとカードを吸い込む」やってもうた。現金もない、帰りのチケットもない、カードも無い。となると、大使館へ行って日本直行か。。。今回の旅行はアッちゅう間やなあ、と遠くを見つめるしかなかった。韓国ブラザーに事情を説明し、とりあえず韓国語、中国語がしゃべれる宿のおばちゃんに説明してもらった。そこで韓国ブラザーには先に観光へ行ってもらい、宿のおばちゃんとATMへ戻り、薬局の人に言ってもらった。全く、中国語が分からなかったけど、おばちゃんは色んな人に聞いてくれて、ついに、ATMの会社の人を呼んでくれた。1時間も一人で待って、ようやく管理の人が来た。そしてカードが出てきた。。。。よっしゃああああ!!!寿命が5年は縮んだが、とりあえず宿に帰り、おばちゃんに「シェシェ」を言いまくった。宿の前の売店で、久々のタバコを買い(3日ぐらい無かった)、ファンタオレンジも買った。部屋に戻り、自分にビデオを向け、テンションが下がるまでしゃべった。この時のタバコとファンタは、大丈夫か?というぐらいホコリをかぶってたけど、人生で一番うまかった。気がする。落ち着いたら、腹がへった。宿の食堂で、焼き飯を頼んだ(メニューが読めず、これしか頼めなかった)。やっぱり日本人は珍しいらしくて、みんな(店員までも)が話しかけてきた。何言ってんのか全然わからんけど。その中で、一人、片言の日本語で話しかけてきた子がいた。イーシャンという大学生の女の子。大学で日本語を専攻してるらしく、発音はおもろいが、ある程度日本語がしゃべれた。しばらく日本語を話してなかった僕は、アホ程しゃべった。僕はその子に、オニーチャンと呼ばれ、それから何回か北京を、案内してもらうことになる。その日は、天安門広場、王府井に遊びに行った。王府井は、北京の繁華街で、でっかいデパートなどもある。しかも、路上にバンジージャンプがある、いかにも中国?って感じの街だ。宿に帰ると、ブラザー2人も帰っていて、4人で夕食を食べに出た。近くのレストランで、フナとか変なもんを食べた。イーシャンは韓国語もペラペラで、僕らのテーブルは、日本語、英語、韓国語、中国語、の4カ国語がとびかった。すげー。その日は、僕らの部屋のベッドがひとつ空いてたので、イーシャンも泊まっていった。中国を旅行する韓国人がひっきりなしにその宿にきて、ブラザー達としゃべったりするので、なんか韓国にいるみたいだった。次の日、隣の部屋の韓国人の女の子二人とブラザー達とで、あの有名な、「万里の長城」に観光に行った。中国のマクド 東南アジアの国々では、観光客を狙ったボッタクリが星の数ほどある。この長城の観光にしてもそうだ。あるツアーでは5000円なのに、あるツアーでは1000円とか、同じ内容でも全然値段が違ったりする。だから、常にそのへんはアンテナを張り巡らせておかんと、損をする。僕らは、450円のツアーを見つけた。もちろんバスでは、バスガイドさんが意味不明の中国語でガイドしてくれるし、安心だ。やっぱり万里の長城は長かった。もっとレアな場所に行けば、綺麗らしいが、観光名所の場所でも十分感動する。まだ、旅行の10分の1も進んでない。。。。その12へつづく。。。
2004.07.06
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大阪弁で語る、無料で始める稼げるHP作りここでは文章形式で紹介するため、あまり文章が長くならない様に、敬語は使いません。大阪弁のみ。おおまかに言うと、【まず無料でホームページを作り、そこから、広告収入やポイントサイト等で稼ぐ】実際、月収100万を超えるサイトオーナーもいるが、そんなのは初めから目指すなんてとんでもない。そういう人は、ほんの一握りだし、死ぬほど勉強したり、苦労してる。ここで紹介するのは、月にほんの数万円でいい。お小遣い程度に稼げるホームページを目指すこと。これを読んでいる方には、家事や子育てに追われる主婦、夜な夜なネットを楽しむサラリーマンもいるはず。楽にでっかく稼げる事なんかあるワケナイ!空いた時間を有効利用して、地道に稼ぎましょう。月収100万は、その後でも遅くない。もちろん【ネズミ講】や【悪徳商法】とは、分野も違うので、ノルマやリスクは全く無い。(アナログ回線でネットしてる人は別として。)1.パソコンを用意する!まず、何よりも道具は要る。ネットカフェや漫画喫茶でも可能かもしれないが、最低限自分のパソコン、プロバイダー、メールアドレスなどは無いとツライ。何も、性能が良くて、高いパソコンがいいわけじゃない。安くて、遅くて十分。有名メーカーのパソコンが20万以上するのは、色んなソフト、機能が初めから入ってたり、サポートがあったり、互換性に優れてたりするから。経験から言うと、そんなものは全く必要ない。必要になれば、ソフト等は後からいくらでも足せる。中古で十分。買い替えていく事を考えれば、中古パソコンの方がお得や。ほんまに。パソコンは、次から次へと新しいモデルが出る。金持ちなら新品を買い換えていけばいいが、そんなヤツァーいない。そう、キリが無い。新しいのが出たら買おうと思っても、すぐ古いモデルに成り下がる。それなら中古で十分。無駄なお金は使わない!いい響きです。ただ、ネット回線は、アナログより、光やADSL、ケーブルの方が、イイに決まってる。何より余計なストレスや金は使いたくない。すでにある人は関係ないが、無い人のためにいくつかお店を紹介する。PC-wrapとにかく安い中古パソコンがある。PC-HANDS色んな中古パソコンがある。DELL安いPCで有名。新品なのに安い。アンカーネットワークサービスMACもある。中古を扱っている。eデジソフト等たくさん無いと不安。新品がイイ。と言う人のための店。2.無料HPスペース・作成ソフトを用意する!ホームページを作るには、何通りか方法がある。とにかく、HPを置くサーバーと作成/転送ソフトが要る。が、例外もある。このページは
2004.07.05
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*************************************************************************************************************東南アジア縦断一人旅 その10 中国さあ、北京に着いた。中国の首都だ。時間は深夜4時。あの有名な、天安門広場のまん前にバスから降ろされた。辺りは真っ暗で、天安門の毛沢東の写真だけがキラキラ輝いていた。わがホームページのTOPにある写真ですな。バスから降りると、凍りつくような寒さで、セーター1枚の僕は、一人我慢大会。人生に何度かあるだろう「死の予感」を本当に感じた。ほんまにビックリするぐらい寒かってんから! 天安門広場と僕。北京のだだっ広い町を、韓国人兄弟と宿を求めてさまよった。中国では特別なことがあって、外国人が泊まれる宿は、政府が認可した所のみという事だった。時間も時間だし、そんなこんなだし、なかなか僕らを受け入れてくれる宿は無く、1時間は歩いたりした。途中、住所不定っぽいおっちゃんに声をかけられたりしながら、やっとたどり着いたのが、1泊1000円ぐらいのホテル。想像以上に設備が整っていてよかった。疲れ果てた僕らは、中国に着いたという余韻に浸るまもなく、眠った。次の朝、もちろん!というように、もっと安い宿を探すことになった。朝が来た。昼間はまだあったかかった。(それでも寒いけど)韓国人兄弟と宿を探すべく街に出た。北京の町は、「そんなに国土面積にあわさんでええやろ!」というくらい、道も広く、建物もバカでかい。「三つ目の角をまがって・・・」などと言われたら、2、30分は平気で歩く羽目になる。僕が持っていたガイドブックに載っているのより安い宿を、彼らは調べてきていて、そこに向かった。すぐに見つかった。1泊、450円!やすっ!即決だったが、その宿には裏があった。。。。経営者は、韓国と中国のハーフのおばちゃんで、その宿も、外国人は泊まってはいけない宿だった。公安のやつらがくると、おばちゃんは賄賂を渡し、僕らも一番端っこの部屋で隠れた。泊まりにくるのは、99%が韓国人。(あかんやん!)二階建てで、1階は料理屋。料理屋を抜けて、中庭の階段を登るとドミトリーの部屋がいくつもならんでる。1部屋にベッドは4つ。おばちゃんはいい人だった。 その宿。天安門のすぐ近くで便利だし最高!僕はこの宿で約2週間を過ごしてしまうことになる。それぐらい居心地がよく、おばちゃんも、従業員もアットホームだ。(友達かい!とツッコんでしまうくらい)その宿での1日目。無一文なので、ATMで金をおろして、天安門広場でも行ったろカイ!と余裕なぼくは、早速、「ヤッテモウタ!」をしでかすのである。その11につづく。。。
2004.06.21
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東南アジア縦断一人旅 その9 中国いよいよ4000年の伝統と、ラーメンマンの国、中国に突入する!フェリーで中国の天津と言う町に上陸するんだけど、フェリーでのことは省略しときます。特に何もなかったし。さあ!中国!と、意気揚々でフェリーから見える天津の街に感動しながら、上陸した。時間は深夜1時、まあよくもこんな中途半端な時間についたなあ。そこで僕は、海外に行くものにとって、最も重要なことを忘れていたのである!!!!まず、船を降り、入国審査へと続く。ここで、韓国で取ったビザにハンコを押してもらう。キャー!何か最高な気分になった。。それからみんながゾロゾロと行く方へついて行くと、いよいよ天津だ。セーター1枚しか持ってなかった僕が、「死ぬんか?」と思うぐらい外は寒くて、暗かった。んで、タクシーでも乗ろうかと思った瞬間!!「か、金ないやん!!!」そうです、両替するのを忘れてました。財布をのぞいても、1000円分ぐらいの韓国ウォンと、出発前、友達がセンベツだといって、くれた2アメリカ$。日本円は使い切っていた。(ATMでおろそって思ってたから。)時間が時間なので、銀行もしまっとるし、ATMもない。周りを見れば、ボロボロのタクシーやバス(ほんまにボロボロ)がいっぱいあって、客引きの中国人が全く意味不明の中国語でわめきながら、ワンサカ僕に押し寄せる。さすがに「死んだな」と思った。この後中国で何回か思うことになるが。ここで、中国史上?まれに見る現象が起こった!周りは、たくさんの客引きが旅行者に押し寄せてるのに、僕は、その、客引きに押し寄せていた。「エクスチェンジ プリーズ!!」(アホか)とあるタクシー運転手に、持ってる1000円分の韓国ウォンと、70元(中国)を換えてもらった。バリバリボッタクリ。んで客引きを振り切って、天津駅行きのバスを探した。ここからは英語も全く通じない。紙に漢字を書いて、筆談という手段での会話が始まる。(日本の漢字と微妙に違うが、雰囲気で通じる事が多い)あった!天津行きのバス。本間に走るんか?というぐらいボロボロで、客は僕を入れて3人だった。20元払って不安の中、30分ぐらいで天津駅に着いた。降りて宿を探そうとしたてら、訳のわからんうちに北京行きのバスに乗せられた。まあ、もともと北京行くつもりだったし、「いっか」って感じだったが、50元取られ、全財産がなくなった。「こんなんばっかりや!」と乗り換えたバスでウォークマンを聞いてたら、韓国人2人が声をかけてきた。僕と同じくらいの歳で、兄弟だった。後に、彼らを「ちん○ブラザーズ」と名づけ、中国では結構一緒にいることになる。 チン○ブラザーズ僕が、事情を説明すると(片言の英語で)、北京に着いたら一緒に宿に行って、宿代は貸してくれると言う。なんていい奴らや~。ひとまず心配が無くなった僕はある程度しゃべると、北京到着まで何時間かの眠りについた。北京でしょっぱなえらい目に合うことも知らずに。。。。その10へつづく。。
2004.06.19
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東南アジア縦断一人旅 その8 韓国→中国韓国最後の朝が来た。話を進める前に、韓国のマクドナルドについて物申~す。ある日、ソウルでマクドナルドに寄った。行く国々でマクド(マック)には寄ってみよう、各国の違いを見とこう。とおもったからだ。さっそく韓国で、カルチャーショックを受けた。普通に店に入って注文カウンターに行った。それから、英語でセットのNoを伝えた。ここからがえぐい。「お飲み物はどうされますか?」がない!!何も言ってないのにコーラが出てきた。やつらは外国人と分かると、なりふりかまわずコーラを出すらしい。わしゃ日本人や!どっちにしてもコーラを頼もうと思ってたから文句は言わなかったけどね。味は全然うまかった。アジア界隈のマクドは辛い系のメニューが多いみたいです。さて、僕はバックパックを背負い、安宿でカリパクしたガイドブックを握りしめて地下鉄に乗って(仁川)に向かった。ガイドブックの英語の振り仮名と、各駅ホームに書いてある英語の振り仮名が、違ってたりして途中何回も不安になった。夕方6:00には、港についた。タクシーを捕まえてフェリーターミナルへ向かおうとしたが、運転手さんに英語も日本語も通じず、地図を指差して「ココまで行って」みたいな事になった。わしゃデカか。何とかかんとか乗り場に着いた。さっそくチケットを買った。しばらく待合いロビーで待っていると、「おーい!」ってよばれた。かっちり制服を着たイカニモ船員みたいな人に。「なんか問題か?おれ掴まんのか?」と、心配したが悪天候で出航が1時間遅れるらしい。そんなことで呼ぶな!である。ビビるやろ。そして出国審査がはじまった。地元のおっちゃんらがツアーかなんかで、ズラーっと並んでた。外国人用の窓口で並んでるときに、改めて自分が外国人なのに気づいた。ここでそのフェリー情報です。天仁フェリー仁川(韓国)⇔天津(中国)火曜・金曜----仁川→天津日曜・木曜----天津→仁川一番安いランクで、11500円~。安いでしょ?僕は4人部屋で、テレビつきだった。またしてもガラガラで僕と中国人の医者と2人で貸切だった。その中国人は英語ペラペラで、中国ナマリがあり聞き取りにくかった。三国志の話で盛り上がった。 この人。中国は漢字の国。難しい漢字とか、変形させた漢字が多いけど、紙に書いて会話すればある程度会話可能です。日本人は、中国で、欧米系の人にモテルと聞いたが、なかなか頼りになるみたい。次の朝起きれば、そこはもうデッカイデッカイ中国大陸だ。その9へつづく。。。
2004.06.18
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東南アジア縦断一人旅 その7 韓国その時、1台の車がそのせまい道に入ってきた!普通なら、避けてすむんだけどそこは風俗街。僕らは素直によけた。そうすると道の両端に並ぶ店に大接近。オモイッキリおねーちゃんに僕らは捕まってしまった。腕をつかまれて「ヤスイカラ~」とまた訳のわからんことを叫びだ出した。そのパワーは(こいつオカマか?)と思ってしまうぐらいで、仕事熱心さが伝わってきた。。。。本当になかなか離してくれず、力いっぱい逃げようとしてもビクともしない。(ほんまやで)別に、僕はガリガリ君じゃないし、運動不足でもないのにだ。30分はかかったと思う。逃げるのに。そういう目に何回か合いながらも、僕らは風俗街全体を見て回った。(写真が無いのが残念!)中には、明らかにおばーちゃんやろ?ってのもいた。おばちゃんちゃうよ!おばーちゃん。ちょっと悲しくもなり、どんなんや?と不思議にもさせられた。結局、店には入らなかった。(それ期待してた人ゴメン)だってこわいもん。僕らは、何か知らんが負けた気になりながら、宿へ帰った。宿に着くと、テラスに何人か集まっていたので僕らも仲間に入った。すると、そやつらは風俗に行ってきたとおっしゃる。心ん中では(チッ)と思いながらも話をきくと、24000円で、風呂に入れてもらってその後ホニャララらしい。時間は2時間。高っ!と思う人もいるでしょう。僕も思った。飛行機乗れるやん!って。その中の一人が、コンドームをつけるのを忘れたらしく真っ青になっていたのが印象に残ってる。みなさんも気をつけてね。余談になるけど、もっと安いとこいっぱいあるらしいです。その日は僕も疲れて(歩きすぎてです!)寝てしまった。そして、次の朝が来た。韓国最後の朝が。。。その8へつづく。。。 こんなんも売ってた。
2004.06.17
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東南アジア縦断一人旅 その6 韓国それから2.3日経って、ソウルの町もだいぶ慣れてきた。今日の予定は、1、中国のビザを取りに行く!2、宿で知り合った日本人と二人で風俗街へ見学に行く!(ビビリなので見学を)まず、昼ごろ、宿から程近いところにある中国大使館に行った。移民の人や商売に行く人でゴッタがえしていた。ビザを受け取った僕は感動した。人生初のビザに。韓国から中国に入るには3通りある。飛行機で入る方法、船で入る方法と、北朝鮮を抜けて陸路で行く方法。三つ目はちょっと無理があるか。。。飛行機だと片道25000円ぐらいだったかな?船はもっと安かった。でも、もうフェリーはええやろ!?と考えていたので迷った~。とりあえず、宿に戻って夕暮れ時に知り合った日本人と2人で、地下鉄にのって15分ぐらいのトコにある風俗街に繰り出した。。。駅を出ると薄暗~い街が、それらしいオーラを漂わせてた。ひとまず2人で歩いて、ピンク色がいっぱいあるほうへ行くと人影が少なく(おい、だいじょうぶか?)とビビッてしまった。風俗店は、車1台がやっと通れるぐらいの道路の両側にズラッと並んでいた。店は小さい小屋みたいな感じで、一面ガラスの扉があり、中の様子が見える構造になっていた。シャワーみたいなのがあってマットも見えた。それぞれの店の入り口には、オネーチャンがこれまたズラッと並んでいて可愛い子は多かった。かな?みんなそれぞれ「オニーサ~ン!」「ワタシカワイイデショ~?」などと訳のわからん事まで、日本語で叫んでた。暗黙のルールみたいな物があるらしく、彼女らは店の敷居からは足を全く出さない。だから声で客引きしてるんか~。僕らが「すげー」とか言いながら歩いているとき、その事件は起こった!その7へつづく。。。
2004.06.16
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その5 韓国 ソウル 大元旅館のおばちゃん。 電話で例の子は、「私英語ダメだからペラペラの友達連れてくる」みたいな事を言っていた。おい!わしも英語あかんわ!と、つっこまずにはおれなんだ。しかし、なんでもなせばなる物やなぁ。と実感した。待ち合わせは成功した!すげー!んで、その子は友達のカップルを連れてきた。最初に三人は僕を、バーに連れて行ってくれた。そこでとにかく、片言の英語を武器に仲良くなった。次に連れて行ってくれたのが、カラオケだった。ここで僕はぶったまげた。各部屋にテレビモニターがいっぱいあって、そこに他の部屋の様子が映し出されていた。もちろんこっちも丸見え。聞くところによると、他の部屋と盛り上がり具合を競争するためらしい。どこまでアツイねん!お互い母国の歌を歌いまくって店を出た。(日本の曲めっちゃあんの)んで、もう夜中の三時を回ってたのでそろそろ解散か。と思ったのが甘かった。これから焼肉に連れていったる。ときた。順番バラバラやん!である。でもいてみるとメチャクチャうまかった。へんな葉っぱに肉と野菜とかを包んでガブッといって、日本で言う焼酎をグイッといく。もう最高でした。ガイドブックに載ってる店なんかより全然うまかった。この時(俺は正しかった)と確信した。せっかく旅行に行くのなら、トコトン現地に接する事が大事ですわ。その日、バーから焼肉まで全部彼らが、おごってくれた。もしかしたら、ボッタクられるかも、とビビッてた僕が恥ずかしいぐらいの笑顔で。タクシーで宿に帰ると、みんな寝てた。その夜は誰かのイビキで寝れなかった。その6へつづく。。。
2004.06.15
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その4 ソウルの初の朝 窓も無いラブホテルの一室で最悪の目覚めを迎えた。(一応エロビデオ見た。放送禁止部分はモザイクじゃなくて机の脚とかでうまいこと隠れてた。これも文化か。。。) スポーツマッサージですな。まず、ガイドブックの立ち読みに行こう!と、本屋さんを探した。観光案内所を運良く見つけて、「I need a guidebook on Japanese!」を連呼し、ようやくでっかい本屋を見つけ読みあさった。そしたら、その本屋の近くにゲストハウス(安宿)があるではないの!確か1泊1000円でドミトリー。いいねー!と、そっこーで行ったが迷う迷う。たいがい貧乏旅行者向けのゲストハウスって、訳の分からん路地裏にあったりするんです。◆大元旅館 738-4308 ドミトリー(色んな人と同じ部屋)1000円と個室2000円?がありました。 この手の情報を詳しく知りたい方は掲示板まで。行ってみると部屋は(てゆうかベッド)空いていたので即決!やさしそうなおばちゃんとおっちゃんが経営しているほのぼの宿だ。コーヒーと韓国製カップラーメンが食べ放題!!確か洗濯もタダだったような。。日本人が比較的多く泊まるらしく期待してたが、みんな出かけていた。とりあえず町ブラかと思ったが、ビビリの僕は中国に入るためのビザを取りに行こう!と観光案内所経由で大使館に行ってみた。4000円ぐらいで取れる様なので申し込んだら、パスポートを預けろときた。3.4日でできると言われても異国の地でパスポートなしってのは怖い。んで宿に帰ると、まだ誰も帰って来てなかったので、例のラブホテルを案内してくれた韓国人の名刺にある番号に電話した。お互い片言の英語でいっぱいいっぱいだったが、ソウルを案内してくれるらしく、地図もガイドブックも無いのに、翌日待ち合わせした。また宿にかえると、ポツポツ日本人がいた!あんまり覚えてないけど、3日ぶりぐらいに日本人と会えたのでキモイぐらいしゃべりまくった。何人か仲良くなり、いっしょにソウルに繰り出したりした。宿に泊まっていた日本人の中に中国から来た人がいて、その人の話によると、仁川(インチョン)という町から中国の天津(テンシン)までフェリーが出ているらしいではないの! 大元旅館に泊まってた人たち。やっぱり貧乏旅行はイイ!!!と再確認した。ツアーで着てたり、ホテル等に泊まるリッチな旅は、こういう出会いが少ないんではないか?ドミトリーで、誰かのイビキがうるさかったりするけど、そういう連絡先を交換するでもない共通点は旅行好き、というだけのインスタント的な出会いは心に一生?残ってんちゃうかーと思う。んで、次の日。宿のみんなは、風俗に行ったり遊びに行ったりしてるなか、より現地チックな事好きの僕は例の子との待ち合わせ場所にむかった。 その5へつづく
2004.06.14
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東南アジア縦断一人旅 その3 韓国ソウル ソウルに着いて、不安がこみ上げてきた。宿どうすんねん! とにかく、僕は「なんでもいっとこ」「なんとかなる」の人間なので、探してまわることにした。1時間は歩いたかなぁ~。道行く韓国人に「ヨインスク~」(安宿)と言って回り、ついに通じた!若い女の子二人だった。片言の英語でしゃべりながら、僕を宿まで連れて行ってくれるらしい。とにかく韓国は、兵役制で、男はみんな軍隊出やからイカツくて早く宿に行って安心したかったのである。そして彼女達に案内された場所は、なんと、ホテ~ル!ラブ・ホテ~ル!(韓国式のボッタクリか?)と思いながらも受付で鍵をもらった。彼女たちは名刺をくれて、「じゃあ」って感じで、帰っていった。色んな意味で期待と不安でいっぱいだった僕は、しばらくポカーンだった。やさしい子でよかった~!と、いざ部屋に入ると、せんまい部屋に布団と2つの枕、きったねー風呂とエロビデオがあった。風呂は汚なすぎて入る気がしなかったし、冷蔵庫にあった1本のミネラルウォーターはなんか白いものが漂ってて「水道水やん!」ってつっこまずにはおれんかった。とにかく疲れた僕は、風呂も入らず、何も食わずで一泊2000円のラブホテルで記念すべき東南アジア縦断旅の一日目を締めくくった。 その4へつづく。
2004.06.13
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東南アジア縦断一人旅 no.2 韓国写真は後日アップします。 大阪港と韓国の釜山を結ぶフェリーは、片道約22時間だったと思う。一番安い4人相部屋だったが、オフシーズンだったのか僕一人の貸切状態で、ごっつさみしかった。やっぱり、日本と韓国の間だけに日本語も通じたし、自販機も両方あった。ひとまず船内をウロウロしてみて風呂に入った。 船内は豪華やなぁ~って感じだったけど、ほとんどが韓国に帰郷するじっちゃんばっちゃんばかりで、会話した記憶ナシ。風呂から帰ってえらい事に気付いた。ガ、ガ、ガイドブック忘れてるやん!!!しょっぱなの韓国のガイドブックが家でお留守番してることに気付いた。この旅行で、一発目の顔面真っ青イベント。運動会の日に体操服を忘れたときぐらいのショックだった。 便器のタバコてなんや?ふて寝して、翌日の朝には釜山港に着いた。フェリーから見る釜山の町は、予想を遥かに超えた都会だった。 でしょ?港に着いて、ガイドブックの事はあきらめて、ひとまず、日本円を韓国のウォンに両替した。窓口のネーちゃんはごっつ愛想わるかった。とりあえず、ソウルを目指そうと決めた。というか、ソウルしか思い浮かばんかった。釜山の駅はすぐ近くにあり地下鉄で確か一駅ぐらい。訳も分からず地下鉄に乗ろうとしたが、切符の買い方すらわからんかったので、目をウルウルさせて韓国人が助けてくれるのを待った。ようやくやさしい韓国人が助けてくれ釜山駅に着いた。そこで、とりあえずビール!みたいな感じで、とりあえずピビンバを食った。なんやら日本とは違って、キムチやらたくあんやらが付いて300円ぐらい。韓国のハングル文字のメニューを見てもチンプンカンプンなのでピビンバにした。めっちゃうまかったー。 その後、ソウル行きの電車のチケットを買って、5.6時間でソウルに着いた。ソウルはすげー都会で、着いたのはもう夜の12時くらいだった。 その3へつづく
2004.06.12
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初のタイ貧乏旅行! -2001- あれは、雨の降る夕暮れ時でした。やることもないので、レンタルビデオ屋に行き、「ザ・ビーチ」という映画を借りてきました。レオナルドディカプリオ主演のやつ。これが、僕のバックパッカー人生のきっかけでした。(今でもペーペーですが)内容は、バックパッカーの役のディカプリオが、タイへ行き、未開の島にいくというやつです。すげー衝撃を受けた。だって、今まで海外旅行っつったらツアー旅行でチョコチョコっと現地を見て回るぐらいのもん。と思ってたから。ほんで、専門学校も卒業して一息付いたところだった僕は、オモイッキリ影響され、「とりあえずタイいっとこ。」と、なったのである。約1ヶ月、色々調べて、友達に言いフラして回った。(若かった。)友達の一人が「一緒に行きたい。」と言い出したので、二人で行くことになった。(あ~若かった。)そんで、タイのバンコク行きの往復航空券と現金7万円、そしてバックパックを背負って関空から、一路バンコクへと飛んだ。見るもの全てが、刺激的で、新鮮だった。大韓航空で韓国の仁川経由。機内食が少し凍っていた。その頃の僕は、「地球の○き方」に忠実で、バンコクのドンムアン空港につくと、バスで真っ直ぐカオサンに向かった。社内で日本人2人と出会い、4人でカオサンのバーのテラスで乾杯した。タイに着いた瞬間、ムア~っと蒸し暑い空気と、独特のニオイが鼻を突く。これは何度行っても同じだ。その日、日本人達と別れ、カオサンの裏路地にあるボロボロの安宿に泊まった。意外に宿はどこもすいてたみたい。ツインベッドで一泊240円だった。何日か、バンコクをブラブラした。有名な寺や、チャオプラヤ川など。。。ある夜、カオサン通りをウロウロしてると、レストランのBIGスクリーンで「ザ・ビーチ」が流れてた。しばらくボーっと眺めて(あぁ、ほんまにきたんやぁ。)とちょっと感動した。(キモイゆうな!)二人で島に行こう。ということになり、列車とバスと船のジョイントチケットを取った。列車にゆられ、バンコクからスラタニ、船に揺られ、スラタニからチャウエン、乗り合いタクシーで、ラマイビーチに着いた。海は、きれいで大きかった。そこで、日本人と知り合い、ムエタイのジムに通ったり、夜はバーに繰り出したりで忘れられんほどの、楽しい思い出になった。島は、夜になるとピンク色に輝きだす。昼間、レストランだったりした店が、イカニモって感じのおねーちゃんが踊り狂うキャバクラみたいなバーに変身するのだ。横を通りかかろうもんなら、「オニーサンカッコイイネー!フー!」などと、そこらへん一体にいるバーねーちゃんが大声で叫ぶ。悪い気分はしなかったが、初めは怖くて近寄れなかった。(キャバクラとか行った事無いの。)日本人にシステムを教えてもらってからは何回か行きました。ビックリしたのが、たった1杯のビール頼むだけで何時間でもいれる。ということ。会話は片言の英語や日本語だけど、何種類かゲームがあって、おねーちゃんが相手してくれる。何人か飲みに来ている日本人も見かけた。その光景は「男ってアホやな~」である。それからは、レンタカー(やっすい!)を借りたり、射撃場で実弾撃ったり色々と楽しかった。結局、島には2週間程度いた。バンコクに戻って、お土産なんかを買いあさって帰った僕は、「またくるぞ!」と心の中で叫んだ。この旅行で思ったことは、まず第一に、こういう貧乏旅行は1人でいく方がいい!ということ。今回、僕は片言の英語は勉強していったし、信念は「何でも経験しよう!」だった。ただ、一緒に行った友人がそうではなかった。チケット取ったりするのも僕、道を聞くのも僕、、、とお互いストレスが溜まった。やっぱり一人が1番です。2人で行くと、2人でしゃべりっぱなしだったりするから、現地人や、他の旅行者との交流が半減する。これは経験談です。★この旅行は4年前のことなので、記憶も薄れ、大まかにしか書けませんでした。東南アジア一人旅旅行記は、細かく書いてます。
2004.06.11
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ここでは貧乏旅行を推しています。それは、もちろん貧乏だから、という理由だけでなく若いうちにしかできないことだと思うからです。僕が、もし年をとって、ある程度金を持つようになり、家庭を持ち責任のある人間になった時、はたして僕は貧乏旅行なんぞできるだろうか。。。先の事はわかりませんが、今できる事は今せよ。明日できるなぁと思う事は今日せよ。が信念です。チャンスは必ず来る!と言います。だけど、僕に言わせれば毎日がチャンスです。今がチャンスです。僕は今まで後悔をしたことが多々ありました。だから余計に今は、今できることを優先しています。僕の友人は今まで勤めていた会社もやめ、貧乏旅行に出、ありのままの国々を見てきました。彼は後悔はないと言います。人生の見方が変わったとも言いました。僕はそんな貧乏旅行が好きです。豪華なホテルに泊まれる訳でもなく、有名なシェフの作るコースの料理を食べるわけでもない。より現地の人に密着した生活をし、虫も食えば、床で寝る事もある。今の豊かな日本が忘れた何かを感じることができる貧乏旅行をこれからも続けていきます。みなさんも僕のHPをみて何か感じることができれば幸いです。管理人:んぎゃ現在は、楽天の勉強段階ですが、これからガシガシ大きくしていきます。日々、更新していくつもりですので宜しくお願いします。現在の当サイトの目的は、これから主に東南アジアへ旅行に行かれる方行くつもりもサラサラない方行こうかどうか迷ってる方の、少しでもお役に立てたらいいなぁ、って感じです。一応経験者なので、手助けできたりすると思います。はたまた、されると思います。
2004.06.04
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東南アジア縦断一人旅 その1 -出発-確か2002.10/25ぐらい。何回か海外を経験したもんで、調子に乗って「一人で行ったろかい!」と思ってしまった。もんだから色々調べるのに大変でした。計画では、エベレスト登ってタバコで一服が目標だった。まず、船で韓国に入り、さらに船で中国。そんでチベット行ってバスで(しんどいのは苦手)エベレスト登って、南下していってベトナム、ラオス、カンボジア、タイと言う感じ。初めの予定では、1ヶ月くらいの感じだった。 約1ヶ月前から準備に取り掛かった。図書館でガイドブックを読みあさり、調べまくった。一般的に有名な「地球の○き方」を。。。 持って行く金は、とにかく現金のみで、残りは国際キャッシュカードで持っていった。予算的には14,5万で。とにかく、陸路で国境を越えたことが無かったので、ビビリまくってました。そして、いよいよ出発1週間前に、韓国の釜山(プサン)行きの船のチケットを買った。13000円片道切符。知りたい人は掲示板にでも「教えろ」と書いててください。調べますので。 当日、ビビリの私はでっかいリュックを背負って、大阪港から出航するのでした。その2へつづく
2004.06.03
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