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2020.06.20
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韓鶴子総裁御言選集 - 目次

韓鶴子総裁御言選集 1巻

韓鶴子総裁御言選集 2巻

韓鶴子総裁御言選集 3巻

韓鶴子総裁御言選集 4巻
 愛しき君よ 花咲かせたまえ

  第1部 真のお母様はいかなるお方か
第2部 聖婚と天の新婦の道
  第3部 荒野路程と真のお母様の勝利
  第4部 女性時代の開幕と世界巡回
  第5部 真の父母宣布と清平摂理
  第6部 最終一体宣言と天一国時代
  第7部 真のお父様の手紙


【参考記事】



​文鮮明先生が見た韓鶴子総裁​

第2部 聖婚と天の新婦の道

1. 小羊の婚宴と天の新婦の道



探している途中で亡くなったので、イエス様は再び来なければなりません。再び来て結婚しなければなりません。イエス様が結婚するという思想が、キリスト教の思想です。

それゆえ、再臨主が来られる時には婚宴をしなければなりません。婚宴をするということは、結婚するという意味です。 婚宴、すなわち「小羊の婚宴」をするには、イエス様を中心とした新婦がいなければなりません。新婦を探し出さなければならないのです。その新婦が誰かというと、エバです。堕落する前にアダムの前にいた、そのエバです。 ​イエス様は第二次アダムであり、これから来られる主は第三次アダムです。ですから、第三次アダムは、堕落する前のアダムの立場で来て、堕落する前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出し、「小羊の婚宴」をしなければなりません。​

人類の父母となるべきアダムとエバが、堕落することによって悪なる父母となりました。ですから、私たちが、堕落する前の善なる父母をもつようになれば復帰されるのです。人類には善なる父母がいなければなりません。 「小羊の婚宴」をするのは、善なる父母の座に即位するためです。これがキリスト教思想の骨子です。 (36-263, 1970.12.6)

本来、人間始祖は善なる父母として出発するべきでしたが、悪なる父母として出発したので、人間はみな、悪なる父母の血統を受け継いで生まれました。神様の愛を丸ごと自分のもののように受け、神様の懐に抱かれ、神様の直系の愛を通した血族として残された息子、娘になるべきなのに、そのようになれなかったのです。ですから、本来のそれ自体に帰っていかなければなりません。 これが正に新郎新婦を迎える「小羊の婚宴」です。主がこの地上に新郎として来て、一人の新婦を探し出し、ある基準の上に接ぎ木しなければならないのです。これが、キリスト教の主張する内容です。 その基準を設定して、確固たる目的を立てた宗教がキリスト教です。ですから今日、民主世界がキリスト教文化圏内で発展するのです。真なる父母を迎えるためには、そのように発展しなければなりません。今まで宗教は、真の息子一人をつくるために努力してきました。神様は、真の息子一人を探し出すために、今まで苦労されたのです。 (41-28, 1971.2.12)

数多くの宗教の経書の中で聖書が偉大なのは、「神様は人類の父母である」ということを掲げてきたという事実です。これがキリスト教思想の源泉です。また、「イエス様は独り子である」と言ったことです。「独り子」とは、天のお父様の愛を初めて受けることのできる息子です。そして、 キリスト教思想は新婦思想です。イエス様はそのような独り子ですが、新郎として来ました。それゆえ、新婦が必要なのです。独り子がいれば、独り娘が必要だということです。 新郎新婦は男性と女性です。新郎新婦の婚宴の日は、初めて神様が愛の旗を掲げて現れる日です。そのような婚宴の席が、エデンの園から願ってきたことです。これが崩れてしまったので、人類世界の終末で、この婚宴の席を再び回復しなければならないのです。 (135-125, 1985.10.4)

イエス様は、「私は神様の息子である」と語りました。また、「神様は私の父である」と語りました。それから、「私は独り子である」と語りました。「独り子」とは、初愛を受けることのできる王子です。神様の息子の中でも初愛を受けられる独り子であるというのです。 初愛を独り占めできる息子なのです。その次に独り娘がいなければなりません。新郎は独り子であり、新婦は独り娘です。結婚式をしなければなりません。それが「小羊の婚宴」です。 主がこの地上に来て、祝宴を開くというのです。「小羊の婚宴」をしたら、家庭を築くようになります。神様の願うものが家庭です。神様の願いは、人類を神様の愛を中心として独り子と独り娘とし、神様が本当に愛することのできる家庭をつくることです。 (160-272, 1969.5.17)

聖書を見ると、「終わりの日」にはメシヤが来て、「小羊の婚宴」をするとあります。 「小羊の婚宴」は、神様の血統の因縁を中心として夫婦になることです。そのようにして、人類の真の父母として現れたとすれば、サタンは存在し得ません。血縁的関係を中心として、その血統を結んでくれるのが、父と母、男性と女性、性相と形状の実体です。神様の愛を動機として生命を動かし、愛と生命と血統が一つになって渦巻くのです。その中で、 女性と男性の主人が入れ替わり、二人とも主人であると言える一つになったところで、生命の種、子孫が連結されます。それが創造理想です。 ところが、それらがすべて崩れてしまいました。それらを再び取り戻すためには、万物に代わって取り戻し、人間に代わって取り戻し、父母に代わって取り戻さなければなりません。これが救いの摂理の骨子です。 (325-131, 2000.6.30)

人間は本来、堕落せずに、時と環境を整えて、神様の祝福を成した真の先祖とならなければなりませんでした。ところが、そのようになれず、堕落した先祖になったので、万民の前に堕落していない善の先祖が登場しなければなりません。その方は、天上に行っている霊人たちにとっても父となることができ、地上に生きる人々にとっても父となることができる方です。そのような方をキリスト教では「再臨のイエス」といいます。 「小羊の婚宴」は、再臨のイエスが父として来られ、母を立てる祝宴です。これが正にキリスト教の真理です。キリスト教の中心はイエス様であり、イエス様の中心は愛です。聖書の中心も愛です。愛の中心は新郎新婦であり、新郎新婦の中心は「小羊の婚宴」です。この「小羊の婚宴」の中心となる意味は、本来、神様が許した時と環境を整えて、天と地を相続し得る真なる人間の先祖として祝福を受けることなのです。 (9-254, 1960.6.5)

(註:文総裁が「独り娘(独生女)」を語り始められた最初のみ言、以下)
​神様の独り子イエス様がこの地上に来られ、もし死ななかったら、「イエス様は独り子である」と言ったので、神様は彼の前に 独り娘 も送られたことでしょう。 聖書に、「わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすベてのうちに、ひとりの女子をも得なかった」(伝道の書7:28)とあります。神様の2000年の歴史は、新婦を探し求める歴史です。イエス様は真なる息子の姿で現れましたが、真なる娘の姿がないので、神様のみ旨を成すことができなかったのです。 それゆえ、2000年のキリスト教の歴史は、娘を探し求める歴史です。聖霊は神様の娘として来られました。神様を解怨するその日が「小羊の婚宴」の日です。 ( 7-303, 1959.10.11)

今まで宗教は、理想的な一人の男性と理想的な一人の女性を探し求めてきました。神様が「この人は丸ごと私の愛である」と言える一人の男性と一人の女性を探し求めてきたのです。 キリスト教で新郎新婦というのは、取りも直さず、世界を総網羅して、神様の愛を受けることのできる独り子と独り娘を探し出すための内容をいうのです。 完成した男性と女性がこの地上で出会い、婚宴を開いてこそ新しい世界が開かれるのです。それゆえ、来られる再臨主は、新婦を探し出して、「小羊の婚宴」をしなければなりません。 (41-27, 1971.2.12)

人間が堕落しなかったら、原罪のない子女を生み、そのまま天国に行ける家庭をもったことでしょう。そのような立場に立った父母が真なる父母です。また、その家庭は、神様と一つになった家庭です。その息子、娘は神様の家庭の子孫です。このようなみ旨を創世記で成し遂げることができなかったので、ヨハネの黙示録に至り、新郎新婦の名前を立てて成し遂げようというのです。新郎は完全な真の父として来られる方です。新婦は神様が愛することのできる真の母として登場する方です 。アダムとエバが堕落しなかったら、神様を中心として結婚式をしたはずですが、堕落することによってサタンを中心として結婚式をしてしまったので、それを再び取り戻し、初めて神様を中心として神聖な儀式を成すというのが、ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」という言葉なのです。 (53-37, 1972.2.6)

真の新婦の約束と理念を備えた基準と、真の孝子・真の孝女の基準の上に立てて式を挙げるのが「小羊の婚宴」です。この祝福を受けたその日から真の父母になります。無形の神様に代わる、有形の実体をもった人類の真の父母になるのです。 人間は本来、堕落しなかったら善なる世界で立派に成長し、神様の愛の祝福を受け、神様の心情に通じ得る子女になることができたのです。ですから、神様が「あなたたちは、私の心情に代わることのできる孝子孝女である」と言える心情の因縁を完結させなければなりません。心情が通じなければ孝子孝女になれません。神様がいかなる路程を歩んでこられたかを知らなければなりません。そうして、創造理念の前に立てることのできる本然のアダムとエバの形態を備えなければなりません。「小羊の婚宴」は正にその形態を備える式なのです。 (9-107, 1960.4.24)

天の新婦の道

み旨がなければ、先生はお母様と会うことができません。そのようなみ旨があったがゆえに出会ったのです。 (真の)母となる人は20代を越えてはいけません。本来は18歳を越えてはいけません。18歳を1日でも過ぎてはいけません。エバが16歳で堕落したので、3年を経て、19歳までつながるのです。 (231-24, 1992.5.31)

私がお母様と結婚する時、「神様、私は結婚する時になったので結婚します」と言って結婚したのではありません。神様が「時が来たので、しなさい」とおっしやったので、結婚したのです。それが原理です。 (93-59, 1977.5.1)

あの世に行った数多くの女王たちが頭を下げて尊敬し得る真の母ですが、何をもって誇るのか、知っていますか。清潔さ、汚れのない純潔です。純潔な女性です 。三大宗教圏を中心として訓練を受けた血統をもって生まれました。すべての価値基準から見てつぼみのようです。宗教が願う理想的新婦、最高の新婦であり、美しさにおいて最高です。美しい香りを放っているのです。 (572-146, 2007.8.16)

お母様自身も、愛を中心として羊のように従順に従わなければなりません。すべての面で絶対従順で従い得る条件を得なければならないのです。ですから、全面的に夫のために犠牲にならなければなりません。夫を愛するに当たって絶対的でなければなりません。そうなり得る条件を備えなければなりません。お母様が「私のお父さんにも及ばない。お兄さんにも及ばない」と比較の基準をもってはいけません。世の中のいかなる男性よりも、誰よりも良いと考えなければなりません。

なぜかといえば、エデンの園でエバは男性というものを見ることができませんでした。男性に対してほかの思いをもつ余地がありませんでした。エデンの園において、アダムはエバの父になるのです。その次に兄になり、その次に夫になるのです。それが復帰です。神様を探し出さなければならないので、真なる父を探し出さなければならず、真なる兄を探し出さなければならず、その後に真なる夫を探し出さなければならないのが、エバの立場です。 (97-296, 1978.3.26)

僕である天使長がエバを堕落させて、ひっくり返しました。ですから、同じように僕の暮らしをするのです。復帰の道では、僕の暮らしをすることが起きます。なぜなら、その主人、すなわちサタンよりも大きな愛をもたずしては、新婦を取り戻すことができないからです。 エバが、神様の真なる愛を中心として、自らのすべてを否定し、「私は死んだとしても、あなたのそばに行きます」と言うことができ、その夫に屈伏し得る土台をつくってこそ、取り戻してくることができるのがこの道です。もしそのようにできないならば、だましてでも奪ってこなければなりません。

では、ここで相対は女性ですが、女性について見た時、どのような女性でしょうか。女性の中で、新婦となり得る女性です。女性の中でも母である女性がいて、娘である女性がいます。これはレアとラケルを象徴します。これは、来られる新郎の本意ではなく、天理原則によって、そのような役事が起きるのです。

ところで、その母は、僕の立場で自分の娘のような人を大切に育てなければなりません。母が僕ならば娘は何になるでしょうか。僕の娘になります。そうして、正にその僕の娘を神様の娘として入籍する相続式をしなければならないのです。その式をして初めて、「新郎として来られた主の前に新婦が策定された」と、新しい時代の前に宣布式をすることができます。その時代は、統一教会で言うなら、1960年度に該当します。 (44-309, 1971.5.24)

大母様が主を迎えるために歴史的な受難の道を歩んできたので、お母様もそのような訓練を経た歴史があります。夫の道が、み旨のために情熱を注ぐ道ならば、さらなる情熱を注いでついて行ける女性とそのような家門が必要なのです。そのように考えて、お母様を迎えたのです。 (121-213, 1982.10.27)

大母様は、迫害を受けながら、新イエス教会から腹中教を経て、統一教会まで来ました。三つの教団に仕える歴史がなくては、お母様の先祖になることができません。大母様はお母様を、霊界の命令によって生んだのです。そのような歴史があります。 (539-60, 2006.9.17)

お母様になるためには、3時代の祭物的家庭にならなければなりません。一人娘の歴史を残さなければなりません。大母様が一人、お母様を身ごもってから出発しました。純潔な夫を探す3時代の女性たちが歩むべき十字架の峠を越えて育てなければなりません。お母様にとってお父様は、祖父の代わりであり、父の代わりであり、夫の代わりです。 それゆえ、お父様に対する時には、兄のように思い、父のように、祖父のように、王のように思ったのです。ですから、お父様がそれを知って、そのような妹の立場から育てていかなければなりません。婚約者の立場、夫婦の立場、母の立場、祖母の立場、女王の立場まで上がるようにしなければなりません。 (484-85, 2005.1.20)

お母様は尊敬をせざるを得ません。三つの教団を経てきました。大母様から、「将来、主が来られるが、主に侍るには、このように侍らなければならない」ということを何度も聞いたので、それが骨髄に染み込んでいるのです。そうでなければ、お母様になれません。この17歳になった娘が女王にならなければなりません。天の国の女王の位置まで進んでいかなければなりません。ですから、結婚した後に、相対の位置、母の位置、祖母の位置、女王の位置に上がらなければなりません。「母」と言うとき、その母は国を代表し得る母です。「妻」と言うとき、その妻は王に代わる妻なので、王に侍るのです。 (593-216, 2008.6.16)





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.06.20 15:51:15
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