奇   知   外   記

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2020.12.05
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カテゴリ: 天一国摂理史
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文総裁夫妻北朝鮮訪問、12月5日は文総裁の生家を訪れました。























一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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天一国経典・真の父母経 - 第8篇 - 第1章 -

​第3節 真の父母様の北朝鮮訪問と金日成主席との会談​

故郷定州の生家訪問
十二月五日、定州の生家を訪問して親族にお会いになった。 そして、「生家は世界の人々が巡礼する聖地になるだろう」と語られた。北朝鮮訪問は、国内外のマスコミの大きな関心の中で実現し、 十二月六日、平壌のソジェゴル招待所で開かれた歓送式で は、「愛は血よりも濃い」とされながら、「統一の原動力は真の愛である」と力説された。 ​​

1 私は北朝鮮を訪問し、故郷に行くのに、二機のへリコプターに分かれて乗り、二十八里を四十分で飛んでいきました。学校の運動場に降り、私の家があった所に 向かったのですが、そこも車が走れるようにきちんと道が整備されていました。およそ十日間でその道を整備したというのです。自分たちの主席が来るとき以上 に準備をしたのです。

私の父母の墓にも芝を植え、碑石を置いて、そこに文字を刻んで赤く塗ってあったのですが、みなよくやってくれました。また、私が暮らしていた家に行ってみると、すべてペンキが新しく塗られていました。金日成主席がそれを指示したのでしょう。

そこに土間があるのですが、その土間には石を積んでセメントを塗ってありました。庭には砂が敷いてありました。きれいに整えられていたのです。王のようなエサウが、弟を王のように迎えようとして、やったというのです。

2 金日成主席に、「私の故郷を開放しなさい」と言いました。私の故郷は、世界の人々が修練を受けながら参観できる場所になるので、差し出しなさいというので す。このような思いで押しまくりました。いくら反対しても、そこに引っ掛かるのです。天が垂らす公義の釣り針には、掛からないものがありません。私の父母の墓に台石を据え、芝を植えておいたのです。ほかの人がしたのではなく、金日成主席がそのようにしたのです。

私の故郷に行く道には二車線の自動車道が敷かれ、墓地まで行く道も、自動車が通れるように整備されていました。ですから、昔、イスラエル(民族)のヤコブを迎えたエサウより立派だというのです。なぜ立派なのでしょうか。

イスラエル民族は、第一の蘇生的イスラエルであり、キリスト教は長成的イスラエルです。アメリカは、私の故郷を聖地として開拓することは夢にも考え られませんでした。ところが、金日成主席がそのようにすることによって、第三イスラエルの民として権威を備えるようになったというのです。



そこに私が一つ条件を付けました。「昔、私が住んでいた故郷のように造ってほしい」と言ったのです。その最初の形どおりに、ここはこのようにし、あそこはあのようにするようにと、すべて指示してきました。そのようにしておけば、世界万国に散らばっている統一教会員たちの巡礼地になり、私が昔、話した ことを、生き生きと現実的な舞台で見て、感じることができるでしょう。

4 私が故郷に行った時、姻戚の八親等まですべて来ていました。私は言葉を一言も話しませんでした。皆が挨拶をしてすがりつき、放そうとしないのですが、私は共産党の世界をすべて知っているので、話をしなかったのです。

妹や姉に会うのですから、どれほどうれしいでしょうか。言葉を交わせば、その日にすべて上部に報告しなければなりません。妹の報告と姉の報告が異な れば問題になるのです。どのようにして全く同じように報告することができるでしょうか。甥も報告し、来ていた人々がみな報告書を出すので、その報告書が互 いに合わなければ、大変なことになるのです。虚言になり得るというのです。

このようになれば、私が再びそこに行く道も塞がり、彼らが今後、生きる道も塞がるのです。

北朝鮮では一家族全体が報告をします。夫が報告し、妻が報告し、幼稚園児から祖父母まで、すべて報告するルートが違います。だからといって、一家族 が全く同じように書いても問題です。「お前たち、口裏を合わせて書いたな!」と言われて問題になるのです。ですから、一言も語ることができません。そこ は、話をすれば問題が生じるので、口があっても話ができない世界です。

5 私は、故郷の地、北朝鮮の地をすべて失ってしまいました。父母が惨事に遭ったことをすべて知りながらも、金日成主席を愛し、「私の父母を保護してくれてあ りがとう」と挨拶した人です。(父母の惨事を)知らない人ではありません。ですから、どれほど悲惨でしょうか。その母の墓の前に立つとき、痛哭が出てくる でしょうか、出てこないでしょうか。歯を食いしばっても涙をこらえることができないほどつらいのですが、この怨讐たちの前で私は涙を見せないようにしたの です「父母の墓参りのために来た」という言葉を残さないために、歯を食いしばって耐えたことを、私は忘れません。その問題が自動的に解決するまで、自らの精誠を尽くして南北統一を完成しようというのです。

6 私が北朝鮮の故郷の父母の墓を参拝した時、姉や妹は悲しみにあふれた心情で痛哭しました。「お母さん、お父さんが待ち望んでいたお兄さんが帰ってきまし た、弟が帰ってきました」と言いながら痛哭したのです。哀切なその痛哭の声を聞けば、人間なら涙を流さざるを得ません。

墓に埋められている人々の中には、悲惨な死に方をした人たちが多いのです。ですから、自分の父母の墓だけにしがみついて、かわいそうだと涙を流すことはできません。

姉と妹がそのように痛哭しているのを見ながら、「お父さん、お母さん、すみません。私は公的な人として来たので、泣くことはできません。南北統一を してから来るときは、天下が、万国がひれ伏す中で、お父さんとお母さんが眠る場所と、お父さん、お母さんにお参りする場所を定め、孝子の責任を果たしま す。神様に侍り、万民の祝福を祈ってあげられる統一王国を建設してから、お父さんとお母さんにお参りします」と祈ったのです。

7 母は、私をとても愛しました。誰よりも愛したことを家族はみな知っています。自分たちを育てる中で、姉も(母が)弟をもっと愛したと思い、妹も(母が)兄をもっと愛したと思っていました。その母が、そのように愛する息子と死ぬ前に一度会いたいという恨を抱きながら悲運の道を行ったとも考えるのです。北朝鮮当局が、ありとあらゆることをしたと思います。私は、そのような北朝鮮を救ってあげるために行ったのです。

8 私の母は、本当にかわいそうです。息子、娘を十三人生み、五人を天に送って、八人の息子、娘を育てたのですが、私を一番愛し、私には何であれすべてしてくれた母でした。しかし、その母に対して、足袋の一足も、ハンカチの一枚も買ってあげたことがありません。それにもかかわらず、「私のために奉仕せよ」と 言ったのです。



9 皆さんも、お父様の故郷に行ってみたいでしょう。一九九一年にお父様が故郷に行って、失望しました。五十年前には、そこの山に木もたくさんありました。おおかみの鳴き声も聞こえたりしたのですが、今は木もありませんでした。その荒涼とした風景に失望したのです。むしろ「来なければよかった」と思いました。 そのような状況を目にすると、過去の印象がすべて消えてしまうのです。

過去よりもっと素晴らしい環境を見て過去を消すのであれば、過去の記憶が簡単に消えるのですが、反対の立場で消そうとすれば、かえって昔の記憶がすべてよみがえるというのです。ですから、故郷に帰り、世界にいる統一教会の勇士たち、若い精鋭部隊を集めて、昔、お父様が目にした本当の故郷の姿を再創造 しようと考えています。


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Last updated  2020.12.05 22:27:18
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