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2024.03.08
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「米国五十州巡回講演」祝勝会における御言

2001年4月18日 ニューヨーク州 イーストガーデン
 真のご父母様による「米国五十州巡回講演」(二月二十五日~四月十七日)の祝勝会で語られたもの。


 この場は、何をする場ですか? (「勝利の祝賀です。」)だれが勝利したのですか? (「お父様がされました。」)勝利したというよりも、もっと大きな責任を負っているということを知らなければなりません。祝賀していくと、どんどん上がっていくので、自分が立っていた位置を忘れやすいのです。そのことを警告します。

 人が失敗するとき、その動機は、いつもどこにあるのでしょうか? 迫害を受けているときには、失敗の道はありません。下がっていくからです。失敗の動機は、上がっていったときに、下がっていく立場を忘れることによって生じ、そのようなときに失敗するのです。分かりますか?

 自らの立場を守らなければならないということが、この全体会議の結論にならなければなりません。祝福してもよく、興奮してもよいのですが、その興奮の程度が、自分が立っている位置を……。

 上がっていって、その立場に下りてくることができなくなれば、飛んでいってしまうのです。分かりますか? 今ではもう、先生が、アメリカに対して越えるべき峠は、すべて越えたと思います。わたしが果たすべき責任は、すべて果たしたと思うのです。

 なぜ、そのように思うのかというと、神様の「(王権)即位式」を終え、今までにアメリカの指導者層、さらには宗教界の指導者層と国家の指導者層に対する教育を、すべて終えたからです。今回の大会だけでなく、すでに、その前にすべてを終えました。

 それで、これをすべて刈り取らなければならないという意味で、五十州の巡回大行進を始めたのです。背後で、天がどれほど苦労されたのかということを……。

 統一教会の教会員も苦労したと思いますが、それは、制限された環境内での働きでした。しかし、霊界のそれは、限界線を超えた働きだったのです。そこでは、国境を超越して働いたということを知らなければなりません。



 それゆえに、わたしたちは、霊界に行った世界のすべての国と民の前に、いまだに責任を果たすことができていないのです。彼らに負債を負ったということを思うとき、その負債を返済しなければならない責任があるということを知って、新たに覚醒しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 さらには、国家メシヤや、統一教会のすべての宣教師、あるいは外国から来た宣教師たちが、大きなみ旨を抱いて開拓の先頭に立って動きましたが、それらのことは、すべてある一時に起きたことではありません。数千年の歴史を通して、この一時において、どのようにして限界線を引くのかという歴史的期待が、どれほど長く、遠く、どれほどうんざりするような時日を経てきたのかという事実を……。

 それを解決できる焦点に立って、完全に解決したのかといえば、それは、今から始まるのです。分かりますか? 今からが始まりなのです。

 今まで、統一教会は、国家的限界線を超えることができず、世界的限界線を超えることができなかったという事実を、先生はよく知っています。分かりますか?

 人間が堕落してから今に至るまでの救援摂理歴史というものは、六千年ではありません。何千万年です。そのことを知らなければなりません。その期間、失ってしまったアダム家庭一つを取り戻すために、神様はお独りで……。そのことを、だれも知りませんでした。

 サタンは、反対一色でこれを破壊するのです。全面的に破壊し、足を折り、精神を麻痺させ、体までも麻痺させました。それを、何人間というのですか? (「『植物人間』です。」)植物人間のような立場にしてしまったのです。

 今の時代は、“このままほうっておけば、神様でも是正することはできない”というほど、放棄せざるをえない状態に差しかかっています。それでは、そのような時代において、今日、統一教会は、これをどのようにすべきでしょうか?

 “真の父母”として来たのであれば、偽りの父母から血肉を受け継ぐことによって、亡国の環境となってしまったサタン世界の霊界と肉界を、どのように修理するのかということです。

 それは、修理すべき責任を持った“真の父母”という人が来て、神様のように数千年間かけて役事するのではありません。アダムが一代で完成することができなかったので、一代で解決しなければなりません。

 ですから、それは、どれほど途方もないことでしょか? それは、皆さんには分かりません。摂理をよく知り、み旨に対する代表として立った先生は、そのことをよく知っているのです。それは、話したくありません。話したくないのです。それは、わたしよりもかわいそうなかたが神様であられる、ということを知っているからです。

 不孝息子が、自らの立つ場を見いだせないほどに恥ずかしい歴史である、ということをよく知っているので、話すことができないのです。分かりますか?



 イエス様は、地上で体を失ってしまったのです。体は死にました。キリスト教の重要な責任者たちは、すべてこの地上で犠牲になりました。体の立つ場がない、そのような道を経ながら、霊界に行って霊的世界を収拾し、キリスト教文化圏が勝利することができる日を地上に準備するために、歴史路程において、どれほど苦労してきたのかというのです。

 アメリカならアメリカとしての権威を立てたということも、当然、アメリカ国民よりも天が、そのような基盤を築いてくださったのであり、そしてついに、第二次大戦以後、分かれていたものを合わせるための摂理的み旨が訪れてきたのです。

 しかし、そうであるにもかかわらず、それが分からなかったのです。旧教と新教の原理を知らなければ、それは分かりません。カインとアベルが一つにならなければ、母親が立つ場がありません。聖霊が活動することができないのです。

 このようなことを考えるとき、旧教と新教が、来られる再臨主を、どのように来るものと……。「再臨主は、肉身を持って来られる」という一言だけでもあれば、このようにはなりませんでした。

 ですから、過去の摂理時代において、地上に生を受けては死んでいった、天の代表である責任者たちが、どれほど慎重な立場にいたのかというのです。そのことを知らなかったので、それを提示し、発表することができなかったという事実が、悲痛なことなのです。

 それを先生の時代において、霊的基準の一方通行路において下したすべての結論を、肉的基準の一方通行路に打ち込まなければなりません。しかし、それをだれも歓迎することはできません。

 過去においては、キリスト教自体も知らなかったので、当然、歓迎することができないのです。旧教と新教が一つにならなければならないということを、夢にでも考えたでしょうか?

 しかし、旧教と新教が分かれて闘いが展開し、数多くの宗教が闘い、数多くの教派が闘いを展開する、このような局面において、これを収拾しなければなりません。

 ですから、キリスト教を代表するカインとアベルが反対して、このことを逆さまに打ち込んだので、それを正すためには、キリスト教圏を放棄することはできません。いくら他の宗教が歓迎したとしても、キリスト教圏を放棄することはできません。

それゆえに、わたしたちが原理のみ言を中心として見てみるとき、本来は、キリスト教の名前を使う必要はありません。事実、世界基督教統一神霊協会は必要ないのです。

 わたしたちがロシアに入っていき、中国に入っていくとき、神様を抜きにして運動することもできるのです。世界基督教統一神霊協会をなくしてしまって、「家庭連合」という言葉を使うこともできるのです。

 しかし、第一次、第二次イスラエルが失敗した基盤の上には、旧約、新約が失敗した上には、成約を成立させることができません。それは、必然的な運命です。今もそうです。

 わたしは、「イスラエル民族が無慈悲にイエス様を十字架で殺したので、滅んだ。」と言いました。滅んだので、今から生き返らなければならず、生き返るようになっているのです。

 そして、ユダヤ教がイエス様を殺したので、ユダヤ教が、キリスト教以上にイエス様に侍ることができる環境をつくってあげなければなりません。イエス様が堕落していない基準を、だれがつくってあげるのでしょうか? イエス様自身では、できないのです。



 そのみ旨を完成するために、再臨時代においては、第一次アダム時代、第二次アダム時代に失敗したことを、すべて乗り越えなければなりません。家庭的基準で失敗したことを国家的基準で勝利することによって、家庭を乗り越えることができ、吸収することができるようになるのです。

 それで、再臨時代を中心として見れば、第二イスラエル圏と第一イスラエル圏が失敗したことを、来られた再臨主が第二イスラエル圏において復帰しなければ、本然の道を訪ねていくことはできません。

 土砂崩れによって崩れた山が、高速道路をふさいでいれば、それを片付けてしまわなければなりません。元の姿に返っていくということは、簡単なことではないのです。そのことが、どれほど大変でしょうか?

 神様は、帰ることができる道よりも、帰ることができる中心を取り戻すために苦労されましたが、今日の再臨時代においては、帰ることができる道を収拾しなければなりません。

 そして、今まで“来られる主”として、果たすべき責任遂行を完結すると同時に、曲がった道を整備して、帰ることができる道までも取り戻さなければならないのです。その使命を成したのが、先生の立場でした。

 しかし、キリスト教が先生と一つになることができませんでした。アメリカ自体が、反対したのです。英・米・仏、エバ国家、長子国家、天使長国家が一体となった勝利基盤を中心として、霊界と肉界を統一することができる地上基盤が完全に訪れたにもかかわらず、彼らが反対するとき、ぼう然としてしまうというのです。

 そのときは、独立運動のために四か国に出ていった韓国の愛国者たちが集まり、自分たちを中心とした国権を立てようとしたのですが、キリスト教は、“キリスト教を中心として、連合した国権を立てよう”とは考えなかったのです。完全放棄です。

 大韓民国が重要なのではありません。大韓民国を中心として、天の国を立てようという関心はなく、自分たちがいた所で、ロシアならロシアを担ぎ出し、中共なら中共を担ぎ出し、アメリカならアメリカを担ぎ出し、日本なら日本を担ぎ出して、神様のみ旨とは関係のない外的問題を中心として、キリスト教が踊り始めたのです。このように、いつも外的なことが問題なのです。

 内的問題に定着して収拾していかなければならない先生の立場では、全世界的に旧教と新教が反対し、キリスト教全体が四分五裂したので、バランスを取ることができずに、立つことができませんでした。そして、み旨の基盤を築こうとしたすべてのものが破壊されたのです。

 一番の問題が何かというと、梨花女子大学事件です。 これは、六大宗団を総合した所です。延世大学と梨花女子大学は、若い二世です。国が倒れたとしても、二世を中心として、大学基盤を連結して基盤を築いていたならば、キリスト教文化圏にいる人を先生が収拾することは、問題ありませんでした。

 ところが、政府と朴パクマリアが一つになり、さらに三大女性が一つになったのです。フランチェスカ(当時、李承晩大統領夫人)、朴マリア、金キム活フアル蘭、この三人が一つになったのは、歴史的です。そして、築いておいた基盤がすべて崩れて、追い出される立場に立つようになったのです。

 このような歴史を一代で解決しなければなりません。一代でするのです。分かりますか? 何代ではありません。先生一代で解決しなければなりません。

 アダム家庭が、一代で勝利できなかったことを歴史的に総蕩減して、先生一代で整備しなければならないのですから、それが、どれほど途方もないことであるかということを考えてみてください。だからといって、(助けを求めて)手を出す所は、四方を見回してみても、どこにもありません。神様しかいらっしゃいません。

 その神様も、わたしが神様のことを同情したのであって、神様がわたしを協助してくださるようにはなっていません。協助できないようになっているのです。協助すれば、サタンが黙っているでしょうか?

 キリスト教の基盤を中心として、イスラエルのユダヤ教とキリスト教が責任を果たすことができずに、基盤を失ってしまったので、神様がお独りで、レバレンド・ムーンが独りで立たなければなりません。その立場で四十年間です。 ​お母様を中心として四十年です。​

 アダム家庭の一代において、理想的夫婦として立つことができずに堕落した夫婦となって世界を滅ぼし、それ以降、四千年の歴史を経て、また再臨の時まで引き続いてきたものを、その四十年間で先生夫婦が……。

 お母様が、原理を知っているでしょうか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて、先生は、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者の役割も果たさなければなりませんでした。そのような立場として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません。

 荷物があるとすれば、宇宙のすべての存在世界が肩にのしかかり、自分が水の中に落ちたような気分です。そのような立場を経てきたということを、皆さんは知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 アダム家庭からノア時代、アブラハム時代、モーセ時代、イエス時代、そしてキリスト教の二千年歴史を経て、流れていたすべての主流思想を、銃弾が撃ち込まれるように自らの一身で受け止めなければなりません。

 そのように、レバレンド・ムーンに対して世界的に反対するのです。サタン側で攻撃しなかったという歴史時代があってはならないので、すべての民族、国家が動員されて、レバレンド・ムーンに石を投げなければならないのです。サタン世界が、そうではないでしょうか?

 キリスト教自体がそのようになり、サタンが入り込んできたので、そこには“赦し”というものがありません。越えていくべき道があり、川があり、大海があり、五大洋があれば五大洋を越えなければならず、山脈があれば山脈を越えていかなければなりません。それを越えていくときには、だれの助けもありません。自ら自身で解決しなければならないのです。

 それゆえに、蕩減条件というものが絶対に必要なのです。広がったすべての世界的版図を代表して、すべてを引き寄せて、一つの祭壇のような立場に立って闘うのですが、祭物をささげるとき、サタンは承諾しません。神様も思いどおりになさることはできません。

 そのように、人間が勝利的基盤を立ててこそ、神様が降臨なさって、占有することができる所有権が決定されるのです。そのことを、統一教会の教会員たちは、よく知らなければなりません。

 “生畜”の祭壇において、歴史時代を分別したという事実を知らずにいるのが、統一教会の指導者たちです。今回、“総生畜献納”について言いましたが、それを皆さんは、どのように考えているのでしょうか? 今まで日常、先生が話してきた、統一教会の一つの記念日のようなものとして残すためのものだと思っているのですか? 

 運命を懸けて、歴史を引っ繰り返さなければならないのです。しかし、それを願う人は、だれ一人としていません。そのような条件で、どのようにして神様の解放式をするのですか? 神様が、そのような条件の上に立たれるようになっているのですか? その条件的基盤は、韓国だけではできません。

 第一イスラエルを代身して蕩減することができる第三イスラエルというものは、アメリカまで消化したうえで、このことをしなければならないのです。それゆえに、先生はアメリカに来て三十年間……。

 イエス様は、三十四年を中心として、ローマを超えることができませんでした。そして三十三歳で亡くなられたのです。三十四歳までに、これを超えなければなりません。アメリカの教会を超えて、国連まで上って定着し、そのような蕩減条件を立てて超えていかなければならない立場です。それを超えていかなければなりません。

 それは、地上だけではありません。霊界まで整備しなければならないのです。皆さんは、霊界が分からないから、そのことが理解できないのであって、すべてそうなのです。知らなければ、千年たってもそのままですが、知っていれば、じっとしていることはできません。

 そうして、蕩減過程の条件を超えて、地上と一つにならなければ、統一圏が生じません。何のことか分かりますか? (「はい。」)

 ですから、李相軒氏のような人が霊界に行くようになったのも、そのような、急がれるすべての事実を正しく判別するための資料を内的、外的に編成して、教育の資料として明らかにさせるために送ったのです。

 しかし、皆さんは、それも信じません。ミスター黄も信じていなかったでしょう? 信じましたか、信じませんでしたか? 自分たちが、何を知っているというのですか?

 先生が、皆さんのような中途半端な心を持っていたならば、今ごろ、どのようになっていたでしょうか? すべて、めちゃくちゃにしてしまっていたことでしょう。

 しかし、わたしが責任者なので、死ぬまで、倒れるまでは責任を持つのです。「やめなさい。」という言葉は、わたしは言えません。そのようにしながら引っ張っていくのです。

 それでも、先生がひとりで機関車に乗って出発して、簡単に行けば、どれほどよいでしょうか? しかし、世の中の重荷をすべて載せたのです。四千年、六千年歴史の重荷をすべて背負って引いていかなければなりません。何のことか、分かりますか?

 そうして、それを一代で終えなければなりません。数千年の歴史、数千万年の歴史を、一代で整備しなければならないのです。

 ですから、神様はそれをご存じなので、第二次大戦以降に、英・米・仏がキリスト教を認め、統一教会を歓迎することができる立場に立てば、七年間ですべて終わるようにされたのです。しかし、それに反対したので、行くべき道が、すべて引っ繰り返ってしまいました。それを正さなければなりません。

 それを、だれが知っているのでしょうか? 数千万年の間、どん底に落ち、出てくることができない落とし穴で、永遠に埋葬されかねません。しかし、神様は、そのことをご存じなので、出てくることができる道をすべて連結してこられたということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 今回も、そうです。「神様王権即位式」を行いましたが、だれが、その「神様王権即位式」を行うことを信じたでしょうか? 郭クアク錠煥氏が信じましたか? 即位式をしても、“今まで、統一教会で先生がしてきた宣布式の日と同じ記念日だろう。”と思っていたのであって、このように重要だとは思わなかったのです。

 ここ米国の五十州でも、お母様が一緒に回りながら、「なぜ、時間をそのように長くするのですか? なぜ、簡単にしないのですか?」と言うのですが、責任者が、そのようにすべきでしょうか?

 別れれば、もう出会うことはできないのです。ですから、答弁できることをすべて話し、“それ以上質問することができない、というところまで責任を持って話した”という条件を立ててから離れてこそ、そこに集まった人たちが、讒訴できなくなるのです。ですから深刻です。

 先ほども、「朝食を食べられなかった。」という話をしていましたね? ここにも、「朝食を食べられなかった。」と言って、先生を恨む人がたくさんいますね? (笑い)朝食を食べるために歩んでいるのではありません。

 トンネルを掘るときは、最後に残った一つの壁が問題です。設計した人が、その前に死んだら、どうするのですか? それを繰り返さなければなりません。整備しなければならないのです。ですから、深刻です。最後になるかもしれないのです。深刻なのです。分かりますか?

 すべて終わったのですか? もう、皆さんは責任を持ったのですか? (「責任を持ちます。」)責任を持ったのです。今は、もう責任を持っているというのです。統一家の祝福家庭が、ただ遊んで、信じるだけで世話になってばかりいて、先生だけが、このようにするようにはなっていません。自立しなければなりません。

 今は、世界時代において、すべての限界(線)を整備したので、塀がありません。迫害がないのです。今から、皆さん自身を中心として迫害を受けることができるようにすれば、それは、皆さんの所有権を所有することができ、主人となることができる資格を認定できる迫害となるのです。そこには、蕩減がありません。分かりますか? (「はい。」)

 今から、どれほど汗を流し、どれほど血を流し、家庭の父母となって、どれほど子女を苦労させ、その環境や一族、一国を救おうとする立場で、どれほど早く走るのか、ということが問題です。

 車も準備しておき、道もすべて準備しておき、運転の方法もすべて教えてあげました。今ではもう、ガソリンを入れて、アクセルを踏みさえすれば、走りだすようになっています。それもできないというのであれば、死んだほうが、ましでしょう。車もつくっておき、道路もすべてつくっておき、人を教育までしたのに、それでもできないというのであれば、すべて飛ばしてしまったほうがましです。そのように思うのです。

 もう、これ以上の投資は必要ありません。投資したものを刈り取らなければなりません。そうではないでしょうか?

 秋が来れば、苦労して一所懸命に農作業をした主人は、“早く収穫の日が来ればよい。”と思うのですが、飲み食いしながら遊び回っているうちに収穫の日を迎えれば、地をたたくときが来るのです。顔を上げることができません。

 自然は、貢献することができる実りを、苦労した主人に奉献するにもかかわらず、自分は、自分が食べる分も準備することができずに、どのようにして九月を迎えて父母や先祖にささげる儀式をするのですか? そうではないですか? 負債を負えば、それは恥ずかしいことです。恥ずかしいというのです。分かりますか? (「はい。」)

 ですから、今までは、先生が一代を中心として、生涯をかけて全体蕩減し、「神様王権即位式」に至るまで千辛万苦を経て、峠を越えてきたのです。その式を終えて、そのことを考えてみれば、皆さんが千年間祈祷したとしても分かりません。深刻です。分かりますか?

 そのようにして成し遂げた神様の「王権即位式」であるということを、だれが知っているでしょうか?

 「神様王権即位式」を中心として血統問題が重要になるのです。一番目は血統です。純潔問題です。それから、差別問題です。男性として女性を差別し、女性として男性を差別し、「自分は学があるのに、夫は学がない。」などと言って差別し……。それは、いけません。アダムとエバが勉強したでしょうか? アダムとエバは、大学を卒業してから相続を受けるようになっているのでしょうか?

 それとも、大学も行かずに、ただそのまま子供として相続を受けるのでしょうか? (「子供として相続を受けます。」)血統が連結されてこそ、相続を受けるということを知らなければなりません。そのような原則を、今回の五十州で話しました。

 五十州では、それぞれ別の話をしました。毎回、できる限り、その前日に話したことを繰り返さないようにしました。対する角度が東西南北、三百六十度の方向から中心に向かってくるので、中心となっているわたしは、一つの話だけをすることはできません。

 先生は、そのような位置に立って、道を築いてあげなければならないので、行く道において、それぞれ語る内容が異なるのです。内容は一つでも、異なるというのです。調べてみてください。重複してはいません。

 お母様は、「ああ、アトランタのときの話は簡単だったのに。」と言うのです。それは、十八分で終わりました。お母様は、「そのようにすべて三十分以内で話せば、いくら遅れても一時間二十分、一時間半あれば、すべて終わるのに、なぜ二時間半、三時間半もかけるのですか?」と言うのです。

 それは、方向が違うのです。そこには山もあり、川もあるのです。そして、高い山を越えようとすれば、ひもを縛りつけてよじ登るか、そうでなければ穴を開けなければなりません。そのようなことを知らないのです。不平を言うなら言い……。

 そのように、いつでも先生に忠告するのです。そのようなお母様を連れて行きたいでしょうか、連れて行きたくないでしょうか? どちらだと思いますか? それは、自分の十字架です。

不平を言いながらも、ついて行くようになっているのです。赤ん坊は、泣きながらでもついて行けば、息子になるのです。たたかれたとしてもです。母親のスカートのすそをつかんで、えんえん泣きながらついて行けば息子になりますが、スカートのすそをつかまずに、つばを吐いて背を向ければ、離れていくのです。そのようなことを、皆さんは知りません。

 聞いてみてください。すべて違うでしょう? ある所では、原稿を中心としなければなりませんが、そのような時間がありませんでした。原稿の五〇パーセントは、初めての人には分かりません。原理を知って、初めて理解できるようになっています。

 摂理史を知らなければなりません。それは、必要とする人、牧師たちが読んでみれば、分かるのです。小学校、中・高等学校を出た人が、それをいくら覚えたとしても、何の役に立つでしょうか? 理解できる人が、知らなければならないでしょう?

 ですから、一代でこれを合わせなければなりません。皆さん。今から十二年残っています。皆さんの国を復帰しなければなりません。深刻に考えてみてください。神様を王権即位させなければならない歴史時代を、先生独りですべて踏み越えていくということは、夢のような話です。死んだとしてもできません。

 “生きん”とする心を持っては、行くことができませんでした。忠臣になるとしても、それは一生涯、忠臣でなければなりません。そうすれば、神様も同情なさるというのです。

 ですから、先生は八十歳になるときまで、どれほど忙しかったでしょうか? 統一教会は、九七、八年から上がり始めたのです。三年以内にすべての峠を越えなければなりません。どれほど忙しかったでしょうか? 皆さんは、知らなかったでしょう?

 皆さんは、自分の生涯路程において、毎日、訪れる日々が、そのまま継続すると思っていたかもしれませんが、そうではありません。何のことか分かりますか? 一代で終えなければなりません。皆さんも、そうです。今から一代で終えなければなりません。九十二歳までです。そのようにしてこそ、先生がその上で……。

九十二歳とは何かというと、八十歳から十二年です。二〇一二年までです。そのときは、先生が生きているか、霊界に行っているか分かりませんが、希望を持っているのです。 先生がいる間に、このことをしなければならないということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい。」)

 今、私が何と言いましたか? (「先生がいらっしゃる間に、このことをしなければならない、とおっしゃいました。」) 先生が行くときに、不孝な息子、娘になって、地獄に追い出される人がいてはいけません。少なくとも、その国を代身して、「天の国の孝子」という名でも残すか、「忠臣」の名を残さなければなりません。“聖人”までは行かずとも、死んでも「忠臣」の名を残さなければなりません。

 “聖人”たちは、宗教圏を超えることができるので、国家を超えて、糾合して暮らしているのです。分かりますか?

 ですから、少なくとも天の国の孝子となり、孝子家庭とならなければならず、天の国の忠臣家庭にならなければならない、というのが、統一教会の皆さんが立っている現在の立場です。そして、神様の即位式をしたうえで、国家を即位させなければならないというのが、祝福を受けた家庭の立場なのです。

 祝福家庭は、今、そこに首を懸けている時であるということを知らなければなりません。それをしますか、できませんか? (「やります。」)執着するものが、どこにありますか? 執着するものが、どこにあるというのですか? 家が何であり、土地が何であり、自分の妻が何であり、子供が何ですか? 自分の国が、失われていくのです。先生は、そのように考えました。

 先生の家庭の子供をすべてほうり出して、振り返ったことがありますか? ですから、國進は、わたしたち父母を座らせて、このように詰め寄ったのです。

 「あなたがたおふたりは、わたしたちの父母ですか? それとも、見たくもない三十六家庭や、わたしたちににらまれた、あの人たちの父母なのですか?」

 それで、何と言ったのでしょうか? 先生は、「あなたの父である前に、あの人たちの父にならなければならない。」ということは、言いませんでした。そのように言えば、終わってしまうのではないでしょうか?

 わたしは、すでに皆さんに対しては、役目を終えたのです。それでもだめならば、身ぐるみはがして、皮をもう一度つくりなおしてでも、改造しようと思っているのです。皆さんの世話にはなりません。わたしは、そのように考えています。

 そして、時が満ちたので、皆、悔い改めるようになり、外的なサタン世界が、自然屈伏するのです。九十度を超えれば、すべて元に戻って終点に着きます。分かりますか? アルパとオメガです。

 ですから、すでに時が近づいているので、“わあ、すでに世界は、このようになったのだなあ。”と、自分たちで、すべて分かるのです。

 父は、自分たちが批判していた父ではなく、また、世界はどのようになるのか、ということを知るようになるのです。しかし、その時になって分かっても、だめです。あらかじめ分かって、そのようにしてこそ、相続を受けることができるのです。分かりますね? (「はい。」)

わたしが今、話しているのは、摂理を一代で終結することができるように、神様は完成したアダムを捜し求めてこられたということです。そのことを思うとき、神様は、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代を、一代で終結しなければならないということをご存じなので、どれほど急がれたか分かりません。

 しかし、それでも歴史は六千年間かかったのです。それを四十年間で蕩減しなければなりません。一代でするのです。四十年間以上、時間をかけてはいけません。このようにして、千辛万苦してそれを蕩減し……。

 今まで、たくさんの宣布式をしたでしょう? そして、海に対する問題、陸地に対する問題、それから第四次アダム圏、心情圏帰一点まで宣布したのです。それをするためには、祝福を受けていない人を祝福してあげ、聖人も祝福してあげ、先生の子供と祝福を受けた息子、娘を兄弟愛で結んであげるのです。そのようにすることによって、霊界の国境が撤廃されます。

 それをするためには、聖人と殺人鬼を一緒に祝福してあげるのですが、それは簡単です。

 それは何かというと、水が水平になるのです。潮の干満によって、一日に二度ずつ水が入ってきます。十二時間入ってきて、十二時間出ていくのです。これは公式的です。一つは夜を象徴し、一つは昼を象徴するとして、神様が昼にいらっしゃるとすれば、わたしが夜を処理しなければなりません。

 蕩減条件さえ立てれば、よいのです。神様が降りてきて、してくださるのならば、心配することがあるでしょうか? 代表的なことをしてこそ、すべて解決することができるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか?

 ですから、夜の世界に聖人がいて……。そうではないですか? 堕落した世界に聖人がいて、”聖子”がいます。そして、潮の干満によって、夜の間に水が出ていくのです。真っ暗ですが、だれにも分からないように出ていくのです。

 それでは、だれが出ていくのでしょうか? そのとき、先に、聖人たちが出ていかなければなりません。そうではないですか? 入ってきて、大海の近くにいるので、この水が流れていくときには、中心から流れていかなければならないのではないでしょうか?

 そうして、すべて出ていくので、最後は、この殺人鬼たちが流れて出ていくのです。濁り水や、糞尿が混ざり、あらゆるものが混ざったものが、そうして出ていくのです。

 それでは、そのように水が出ていくときには、聖人が先に出ていくのですが、入ってくるときには、だれが先に入ってくるのでしょうか? 殺人鬼たちが、先に入ってくるのです。夜の暗い所に入ってきて、そこに落ち着くのですが、満水になると、入ってきた水が回るのです。回って、先に出ていった水が、上を覆います。

 それは、なぜでしょうか? それは、澄んだ水だからです。澄んだ水は、軽いと思わなければなりません。汚い水は、下に行かなければならず、澄んだ水は上に行くので、すべてを覆ってしまうのです。そのようにして回るのです。

 そのとき、神様も嘆息され、息が詰まるようになっています。サタンも、水の中に倒れるようになっています。聖人たちもそうであり、サタンもそうであり、すべてが死ぬようになっているのです。

 そのようになれば、神様も自分の思いどおりになさることはできません。「退きなさい。」と言うことはできません。分かりますか? サタンもそうであり、聖人も分からないので、どうすることもできず、サタン世界も、どうすればよいのか分かりません。

 それでは、主人はだれでしょうか? 神様も、真の父母を捜し求めるのです。真の父母が、これを解決しなければなりません。解放してあげる者は、真の父母しかいません。サタンもできず、神様もできません。神様ができるのならば、すでに、すべてなさっていたことでしょう。絶対権限を持つことができるかたは、だれかというと、真の父母なのです。

 それで先生は、“原理を通して、天地のすべてのものを統治することができる絶対権を中心として、このような最後の障壁をけ散らしていくことができる決意をしているのか?”と、自問自答したのです。何のことか分かりますか? (「はい。」)死ぬか生きるかの境地が問題ではありません。深刻なことです。ですから、この闘いを……。

 闘いというよりも、救ってあげることのできる、この環境を開拓したのが真のご父母様である、ということを、皆さんは知っていると思います。

 先生が、神様に「神様。今まであなたは、このために失わないようにと……。」と申し上げれば、神様は、「ああ、そうだ。」と答えられるのです。そしてサタンに対して、「今までおまえは、サタンとして、神様にお返しすることもせずに、このようにしただろう?」と言って、「宗教圏は、中間で行ったり来たりして、橋を架けて水平を成すことができずに、谷間になっているので、山になっている所を崩して、水平になるようにしただろう?」と言うのです。

 ところが、この水平が、まだ成されていません。ですから、その水平をつくらなければならないのです。

 それでは、その水平をつくって、何をしようというのでしょうか?

 神側もサタン側も、だれが、その水平をつくるのか、自分たちでは知りません。サタンは、サタン側だけを知っているのであって、天のことを知っているでしょうか? また、天の側を知っている者が、サタン側のことを知っているでしょうか? 知らないのではないですか?

 それでは、だれが、これを埋めてくれるのでしょうか? 先生が、埋めてあげるのです。高い位置にいる者は引き降ろし、低い位置にいる者は引き上げるのです。

 それは、堕落した人類の先祖が、偽りの父母になり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統に汚してしまったので、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を中心として調整しているのです。

 それは、神様も願われることです。神様をも助けてあげるのです。そして、神様に尋ねるのです。「あの死にそうなサタンは、どのようにしなければならないでしょうか? 戻ってくるようにしなければなりませんか、助けてあげなければなりませんか?」とお尋ねすれば、神様は、わたしに対して何と言われるでしょうか?

 神様ご自身には、権限がありません。「わたしの思いどおりにするのだ。サタンを助けてはいけない。」とおっしゃることはできません。ご自分が同情されたのならば、神様も、今度は同情してあげなければならないでしょう?

 ですから、神様は、「それは、自分が助けてあげることはできないが、助けてあげなければならないだろう。」と、それくらいの言葉は言わなければなりません。そうではないでしょうか? そのようにしてこそ、霊界と肉界が和合するのです。

 このようにして、神様とサタン双方を助けてあげて、その次に何をしようというのでしょうか? サタンを解放したなら、その次には宗教圏を一つにしなければなりません。宗教圏は、すべて死に瀕するようになり、「助けてください。」と言っているのです。

 そうして宗教圏を一つにすれば、今度はサタンに聞くのです。「さあ、今までおまえに反対してきた宗教圏を助けてあげなければならないか、それとも殺してしまわなければならないか?」と。するとサタンは、自分は神様から同情された立場であるので、「助けてあげなければなりません。」と言うのです。そうして、「そうか?」と言って、助けてあげるのです。

 その次に、世の中の悪なる人、地獄に落ちていった人は、どのようにしなければならないでしょうか? 

 サタンに、「あの者たちは、水の中で腐って死ぬようにほうっておくのか? 神様もごらんになっており、サタンも見ていて、聖人たちも見ていて、地獄に行った霊も、すべて見ているが、あれをどのようにすればよいだろうか?」と言えば、「ああ、助けてあげればよいです。」と言うのです。こうして、すべてが「オーケー。」と言うようになります。このようにして抜け出さなければならないのです。分かりますか?

 そのように、全員、先生の世話を受けました。ですから、わたしが思いどおりにしても、サタン世界も不平がなく、神様の世界も不平がありません。そのような基盤の下で、霊界の楽園と地獄を撤廃するのです。

 そうして、「異議がないだろう? この者たち。サタンよ、おまえも異議がないだろう? 屈伏したのだから反対できないだろう? 神様も異議がありませんね?」と言うのです。それがアダムの全権というものであり、アダムがすべきことです。原理が、そのようになっているのではないでしょうか?

 そうでないとすれば、エデンの園において、神様が自分の思いどおりにされたとするならば、なぜ、今まで苦労をなさったのかというのです。ですから、このようなことをすべて終えて、整備しておいたので、「神様王権即位式」をしたのです。

 個人で行くとしても、狭い道であったとしても、中央に通じる直線の道が生じなければなりません。分かりますか? 車が行くことができる高速道路を……。それは、行って、また戻ってくる道ではありません。

 そうしてこの道路を家庭から氏族、民族を経て世界、地獄にまでつなげ、何千年の解放圏を中心として、地上と一つにしておきました。ですから、今ではもう、天国に行くか行かないかは、自分たち次第なのです。

 それで国民になれば、小学校、中・高等学校、大学に行き、一所懸命に勉強して、やがては自国の国家権力にかかわる省庁に進むようになることもあるでしょう。

 しかし、そのような上下関係の区別があるような国家の省庁において、その省庁の責任者になるかどうかということは、自分たちが一所懸命に勉強したうえで、さらに、それが国法にのっとって選抜されるかどうかということに懸かっているのです。

 そのように、あくまでも自分で選んでそうなる、という解放的基準を行くようになっているのであって、そこまですべて同じ位置に立ててあげるということはできません。何の話か分かりますか? (「はい。」)分かったでしょう? (「はい。」)

 そのようにして、神様の即位式をしたのです。ですから、先生が引っ掛かってはいけないのです。一番の問題は、「血統」です。それから何ですか? 「人権問題」です。それから何ですか? 「公金を略取してはいけない」ということです。

 先生は、統一教会の女性たちの兄の中の兄であり、婚約者であると同時に将来の夫であり、将来の父であり、将来の祖父であり、将来の王です。女性たちは、皆、そのように願うのです。

 先生は、兄であると同時に婚約した人であり、結婚することができる夫であり、父になることができる人であり、祖父になることができる人です。全員が、そのように信じるのです。

 しかし、み旨は、そのようになっていません。女性たちを妹として育てなければならず、未来の母として育てなければならず、未来の国の王妃として育てなければならず、天下の、宇宙の母として育てていかなければなりません。それを自分勝手にすることはできません。何のことか分かりますか?

 家庭に困難なことがあって、橋を架けることができる女性の基準が折れてしまったとしても、神様の国を建てるためには、折れた柱を使って、再び建てなければなりません。代わりを立てることはできません。何のことか分かりますね?

 いくら女性たちが過ちを犯したとしても、修理して使わなければならないのであって、代わりを使うことはできないのです。何のことか分かりますか? 先生に侍る女性たちは、そのことをよく知っていることでしょう。

 「(真の)神の日」を設定した後からは、さらに厳格です。傍らに来て道をふさぎ、「自分を愛してください。」と言う女性たちもいましたが、「このようにしてはいけない。」と言って……。いいかげんにはできません。いくら女性たちが誘惑しても、だめです。

 ですから、父母が血統を尊重したのか、というのです。何のことか分かりますか? (「はい。」)お母様に聞いてみてください。いいかげんに生きることができないのが、天のみ旨に従っていく人です。分かりますか?

 たとえ何があったとしても、自分の威信と体面を立てなければなりません。サタンの恨みが吹き荒れる中で、うめき苦しまれた神様を傷つけるようなことは、死んでもできません。

 わたしは、どれほど差別を受けたことでしょうか? そうでしょう? 白人から差別を受け、黄色人から差別を受け、黒人まで、監獄にいる人にまで……。

 わたしが監獄に入っていったとき、「おまえはレバレンド・ムーンではないか? こいつ! よく来たな。」と。よくもまあそんな恥を……。しかし、そのような話はしません。その男の一族を訪ねていって、腹を引き裂き、骨を粉々にして吹き飛ばしてしまうに値する者たちです。

 しかし、神様はそれ以上の侮辱を受けられたので、いまだに「逆賊」の名に値するサタン世界に辱められ……。

 サタンは、このように考えるのです。わたしたちは、そのような神様の直系の子女になったので、それ以上の境地を通過させようと……。

 ですから、槍で心臓を突き刺されても、それでも血を流していないことがありがたい、と考えることができるような道を行かなければなりません。イエス様が問題ではありません。

 イエス様は、よく知りませんでした。何のことか分かりますか? 解放がどのように成されるのか、よく知らなかったのです。わたしならば、必ずそれを成し遂げて、そのみ言を必ず、聖書のどこかの一節に残したことでしょう。

 皆さん。聖書の中に、「原理」でも分かっていない箇所が三か所あるのです。それを尋ねてくる人を、一人も見たことがありません。それは、わたしが霊界に行っても蕩減しなければならない責任を持っているのです。何のことか分かりますか? (「はい。」)

郭錠煥氏? (「はい。」)今回の霊的体験で、“赦しがない”と感じたそうですね? (「はい。」)今は、先生が赦してあげるので、自分勝手に暮らしていますが、赦しはありません。この基準に合わせるのです。完全に合わなければ、十回離して、また合わせてもかまいません。砥石で研ぎ、やすりで磨き……。​

 ですから、先生が一代において歴史全般を収拾して、いくら繕ったとしても、それが一つの水平になり、でこぼこになったりせずにきれいに埋めることができる版図をつくらなかったとしたならば、神様を、その恥辱の立場に……。

 “獄中生活”をされる神様に、たとえ貧しい家の一部屋でも整えてさしあげれば、神様が感謝されるということを知っているので、そのようにしたのです。

 しかし、それは条件的な基準であるということを知らなければなりません。王宮を造ることからしなければならないのではないでしょうか? 今でも、そのことが残っているのです。

 ですから、数多くの国々を、早く息子、娘の立場にしなければなりません。自分の国を復帰しなければならないのではないでしょうか? イエス様の責任を果たさなければならないでしょう?

 再臨主が来れば、その父の前に息子、娘として、長子としての責任を果たさなければならないのが、イエス様の責任ではないでしょうか? 百二十か国をすべて奉献して、“総生畜献納”しなければなりません。どのようなことがあろうと……。

 今からは、宣教師も辞めて、自分の故郷に帰り、金氏なら金氏、一人残らず……。天国大移動のための準備をしなければなりません。カナン復帰路程においてイスラエル民族は、自分の一族が残っていれば、一家族でも残した人がいれば、残した人は引っ掛かります。同じことです。

 ですから、訪ねて行って、祝福してあげなければなりません。千里、万里の道を夜を徹して行きながら、神様が失ってから捜し求めてこられた、その悲壮な復帰の道を繰り返していく、そのような追憶を残すことができる歩みを、皆さんは、国家復帰基準において再び蕩減しなければならないのです。そのことを知らなければなりません。

 今や迫害はありません。楽に暮らすために自分一身の幸福や安楽を願う立場にいたならば、そのような道を行ったりはしないでしょう! 何のことか分かりますか? (「はい。」)はっきりと知らなければなりません。

 皆さん一代で終えなければなりません。先生が四十年を中心として成したのですから、これから二〇一二年までです。

 その時までに国家を、何があっても、これを奉献してさしあげなければなりません。どのようにするのでしょうか? 言論機関を通してすることは、問題ではありません。それで先生は、ワシントン・タイムズとUPIを中心として……。 郭錠煥氏 は、きちんと知らなければなりません。

 これから、上院下院制度を中心として、その国が王制を敷いていれば、その国の利益のためにある国会が下院となり、世界の利益を追求するのが上院となります。上院は、王がいなければなりません。

 それで、その国のカインの王、アベルの王を国家メシヤが責任を持たなければなりません。そのようにしようとすれば、自分の国を復帰した実力がなければ、教えてあげることはできません。分かりますね? それをできない人が、国家メシヤになることができますか? そうすることができてこそ可能でしょう?

 そして、十二歳を過ぎた者たちを、すべて参加するようにしなければなりません。それに十二年を足して二十四歳ならば、三十六年を中心とした先生の路程の三分の二の二十四年の中で……。

 ですから、最近、参加するのは二十四歳までではないですか? そのように話しているでしょう? 本来は四十八、四十九歳ですが、それをすべて動員したならば、統一教会の責任者が全員、飛んでいってしまいます。それで、二十四歳までの人を措置しようと思います。教育しなさいということです。

 今回、修練生を十九日まで……。公文を送ったでしょう? (「はい。」)そこに動員されない人がいては、いけません。国家試験をするときも、試験をしたからといって、全員が合格するでしょうか? 合格するラインというものがあります。それを超えることができなければ、何度でも繰り返さなければなりません。

 そして今後、霊界直属の人たちと競争しなければなりません。聖人たちと競争しなければならないのです。彼らは、数千年間、どれほど待ったことでしょうか? どれほど退屈だったことでしょうか? ですから、それが解放の日を迎えて、一瞬のうちに、すべての天下を思いどおりに平準化させたいという心があるのです。

 しかし、自分勝手にはできません。まず、自分の先祖から解放しなければなりません。そうではないでしょうか? 自分の先祖を先に伝道しなければいけないということです。それで、国家メシヤたちを全員、自分の国に……。

 すでに、その準備をすべてしていなければなりません。国家メシヤが、「ああ、私の家に何々があるので、できませんでした。」と言えますか?

 「パンタナールで魚を百六十匹釣りなさい。」と言ったのですが、それは何ですか? 修練です。今回は、重要な期間でしょう? 今回、修練会に参加した人は、四日間でしょう? 四日間、来なければ、事故が起きるのです。事故が起きる期間です。それが皆さんには分からないのです。深刻なことです。

 既成教会の牧師にも事故が起きたり、この責任者たちにも事故が起きるかもしれないので、精誠を尽くさなければなりません。精誠を尽くせば、深刻さが分かったことでしょう。

 それで、先生が行く道の前に橋となり、犠牲の祭壇を連結させなければなりません。世界的です。国家が集まってすべて……。ですから、修練会に参加しなかったという事実は、問題になるというのです。分かりますね?

 総結論は、そうです。数千万年の歴史を一代で蕩減して、片付けてしまわなければなりません。ですから、お釈迦様のような人は、知っています。統一教会を見てみると、水辺で戯れる小さな魚の世界のようであり、まるでめだかのようになって、先生に侍っているというのです。

 エベレスト山の高さ以上に深い、一万メートル以上の深い大海で暮らしている魚もいるのに、皆、批判しているではないですか? そのことを知らなければなりません。何のことか分かりますか? 自分で仕事をしてみれば、分かるのです。

 国のために山を越え、野を越え、自分が計画したとおりに行くためには、夜の十二時を過ぎても続け、計画したことを明け方までに終えてから、帰って昼寝をし、そのように時間を短縮させてでも埋めていかなければなりません。

 自分の計画があれば、計画したとおりにしなければならないのではないでしょうか? 八十歳を中心として、先生が計画もなく、ただやみくもにしてきたでしょうか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かります。」)

 皆さん一代で、孝子になるか忠臣にならなければなりません。一代でしなければなりません。そのようにしなければなりませんか、してはなりませんか? (「そのようにしなければなりません。」)さあ、“自分は間違いなく、そのようにします。”という人は、手を挙げてください。

 “やるならやり、やらないならやらない”という人は、先生と関係ありません。真のご父母様は、国を建てるために責任を持っているのです。

 ですから、皆さんは、そのための闘いにおいては、“生きるか死ぬか”ということよりも、勝利を持ってこなければなりません。死んだとしても、“勝利の功臣”にならなければなりません。分かりますか? (「はい。」)分かりますね? はっきりと分かったでしょう? (「はい。」)

 一代だけではありません。一代で、そのことだけをするのですか? 死ぬ前に、その国の歓迎を受けなければならないでしょう? そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)“そのようにする”という人は、手を下ろしてください。

 一代で終えなければなりません。それが、先生の宿命的な課題なのですから、どこに休む暇があるでしょうか? 山を越えても、足が痛ければ、転がって雪の塊のようになってでも、降りていかなければなりません。考えてみてください。そのような責任を持っているということを考えてみなさい、というのです。

 一年ではありません。全歴史的事実です。ですから、明白でしょう? 今回の「神様王権即位式」のみ言をすべて聞いてみてください。どこかに抜けた所がありますか?

 「日久月深(月日がたてばたつほど深まり、強まること)」、ただひたすらの願いが、それです。寝ても覚めてもです。その条件が成し遂げられる環境を創造するまでは、主体と対象をつくることはできないでしょう? それが原理でしょう? ですから環境をつくらなければなりません。

 今回も、牧師たちが皆……。それは、“どれ、見てみよう。牧師たちが動くか動かないか見てみよう”というのです。動かなければ、この国は滅びます。そうなれば、荷物をまとめて中共に行き、ロシアに行くのです。そうすれば、かえってもっと早くなるのです。アメリカの人たち、全員、聞いていますか?

 ですから、「訓読会」を一所懸命にしなさい、というのです。霊界を知りなさいということです。霊界を知らなければ、越えることができません。

 ですから、神様の前に“孝”の道を行き、神様の前に“忠臣”となり、サタンの前においても家庭の“孝子”となり、国の“忠臣”とならなければならないということが、統一信徒が行くべき鉄則です。分かりますね? (「はい。」)サタン世界の“孝子”、サタン世界の“忠臣”が問題ではありません。さあ、そのようなことをはっきりと知って……。

 そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい。」)先生が、一代でこれを終結するために、どのようにするかを考えたとき、どれほどぼう然としたことでしょうか? 何を食べて、何を着て、何をどうしようということは、考えません。

 (以下、日本語で語られる)日本のメンバー、分かりますか? 何の話か聞いていますか? (「はい。」)先生が、今、話した内容をはっきりと分かっていますか?

 日本は、「総生畜献納」を模範的にするのです。まだ限界を超えていません。エバが堕落したのです。エバによって、世界を失ってしまいました。

 国境を超えるには、死を覚悟しなければなりません。敵地を平定するためには、闘わなければならず、そのために“総生畜献納”をするのです。分かりましたか? (「はい。」)

 エバ国家の女性たち、覚悟をしなければいけません。国を超えて、世界に対する母の使命は、まだまだ果たされていません。そのような教育をすべきです。

 三代を続けないといけません。三代を続ければ、日本に女性が残るでしょう。二十代から六十代まで祝福して残って、三代の孫まで祝福していくような女性にならなければ、日本の国は、母の使命を完成した日本とはなりません。皆さんには、そのような考えがないのではないですか?

 血統を作るには、三代が必要です。神様とアダムの二代では、血統が続きません。アダムの子供まで、三代をつなぐことによって、初めて血統が定着するのです。あなたたちも、そうです。

 あなたたちの子供を結婚させて、その子供がなかった場合には、ご父母様の希望は切れてしまいます。三代を超えて、孫を愛することができなければ、血統がつながりません。

 子供を生めない女性になってしまった場合は、一代で終わります。いくら愛し、いくら生命が一体になって死んだとしても、未来の神様を招来する民族や家庭の出発はなされません。三代をつなぐところに家庭ができるのです。

 神様は、三代を抱擁して、愛したいのです。しかし、三代をつなぐことができなければ、孫を迎えてキスすることができない神様になってしまいます。あなたたちは、どうですか? 先生から三代つないでいるのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従。そのようにして三代つながるので、そのように血統がつながるのです。

 “日本の国”や“民族”という観念が、先に立ってはいけません。“神の国”と“神の家庭”と“神の国土”という観点を定着させなければいけません。今、神様の祖国がありません。それを設定しないと、キリスト教、宗教は犠牲となるのです。

 それを先生は、第二イスラエルであるキリスト教を立てるために、アメリカで三十数年の間、投入してきました。第二イスラエルの基盤は、日本にはありません。クリスチャンの対人口比率は、日本は一パーセントほどですが、アメリカは九〇パーセント近いのです。

 先生は、そのアメリカで三十数年の間、生涯を懸けて犠牲の道を歩み、投入し、投入しては忘れる道を来ましたが、日本のメンバーは、“先生だから、それくらいはしてもよいのではないか?”などと考えたりしているのではありませんか?

 日本では、先生のことを「日本の者たちを犠牲の道、悲惨な道に送る独裁者である。」などと悪宣伝する者が、たくさんいるのでしょう? そうやって、親兄弟や親戚たちから反対されるのです。ここにいる日本のメンバーの中で、父母や親戚から反対されなかったという人は、手を挙げてみてください。

 しかし、そのような反対は、悪くはないのです。それは、サタン圏の所有権をあなたたち神の側に転換させる神の作戦、戦法、戦略なのです。分かりましたか? (「はい。」)

 そして、それでもずーっと、怨讐を愛していけば、最後には皆、手を着けずとも、相手は自動的に屈伏するのです。それは、神様の戦略です。そうして三百六十度回って、勝利するのです。

 先生は、普通の人ではありません。恐ろしい人です。先生が願っているのは、一国ではありません。千国、万国、万年の歴史の祖国建国を目標としているのです。日本の歴史に、それに比肩する何ものもありません。

 皆さんは、明治天皇を慕い、追って自決した乃木大将の歴史を知っていますか? 日本の統一教会の母として、それ以上の聖人を養育する、そのような資格のある女性がいますか、いませんか?

 今、皆さんの隣人の中に、そのような徹底的な教育をする母親たちがいると思いますか、思いませんか? 統一の女性たちは、そのような聖人の総司令官の子供を生むような母親にならなければ、神の国の母の使命を果たす道は、永遠にありません。

 一生涯、一生をかけて全歴史を蕩減する責任を持った人は、真のお父様以外にはいません。それを成しえましたか、成しえませんでしたか? (「成しえました。」)死なないで、よくも生き残って、よくも闘い切って……。

 (ここまで、しばらくの間、日本語で語られたため、韓国人の責任者たちに向かわれて)何の話か、分かりますか? (笑い)ああ、日本の人たちは分かるのに、なぜ、分からないのですか? 兄が弟を指導しようとすれば、弟の言うことが分からなければならないでしょう?

 ですから、わたしもアメリカに来て、英語を一所懸命に勉強しています。今も、しています。ところが、頭が、昔と同じではないのです。

 昔は、十ページでも、辞書のどこにどのような印をつけたのか、はっきりと分かっていたのですが、今は、二十回繰り返しても、頭に残りません。勉強しやすい時ですか? 本当に易しい時ですか、本当に難しい時ですか? (「本当に難しい時です。」)本当に難しくても、しなければなりません。

 今、横で通訳する人の通訳の量が、年ごとに何パーセントずつ少なくなるか、ということです。それを鑑定しながら聞いているのです。わたしが話しをしていて間違ったところを、金キム孝律ユル氏が忠告してくれるのです。

 ところが、お母様は、「毎回、忠告されることを、なぜするのですか? やめてください。」と言うのです。それは、分からないから、そのように言うのです。

 赤ん坊は、おなかがすいて「ご飯。」と言えば、何度忠告されても、その忠告を忘れてしまうのです。そうして、「ご飯、ご飯、ご飯。」と言うのです。そのようにして学ばなければなりません。

 息子が反対し、妻が反対し、先生が反対し、自分自身が反対したとしても、続けて繰り返しなさい、というのです。そのようにすれば、越えていくのです。分かりますか?

 十年間、勉強したという人がいれば、“今から十年間、一所懸命に勉強して、死ぬまでにその人を追い抜こう。”と考えているのです。分かりますか? ですから、わたしに向かって自慢してはいけません。孝律氏。忠告したら、そのことをわたしが問答します。分かりますね? (「はい。」)

 英語も勉強しなければならず……。英語というものは、中身のない“輪”のような言葉です。内容のない言葉です。ですから、“何でもない”と考えれば、千年たっても、問題なく英語ができるのです。分かりますか? 何年でするのですか? なぜ、できないのですか? ご飯は、しっかりと食べて……。

 赤ん坊は、六か月もすれば、話すのです。うちの一歳の赤ん坊が、遊びながらでも話しているのを見ると、“やあ、おじいさんが孫になり、孫がおじいさんになる……。入れ替わればよいのに。”ということも考えます。(笑い)分かりますか? そのような気持ちで勉強するのです。分かりますか? (「はい。」)

 さあ、一代ですべてのことを終えましょう。さあ、一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)一代清算。(「一代清算。」)

 清算できなければ、休んではいけません。ご飯を食べることに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。眠るのに忙しいのではありません。働くのに忙しいのです。そのようなことを優先させていては、すべて失敗します。

 先生は、朝なのか夜なのか分からず、昼夜が入れ替わってしまうときが、何度もあります。夕方に座りながら寝てしまい、ふと目が覚めると、まだ夜なのに、“朝だ。”と思って、“ああ、太陽が昇ってくるなあ。”と思うのです。

 そして、夕食を食べる時間なのに、先生が「朝食を食べる。」と言うので、「先生が狂った。」という話をたくさん聞きました。「なぜ先生は、あのように言うのか?」と言うのです。

 先生は、そのように生きてきました。背後がどのようになっているのか、蕩減復帰というものに、どれほど厳しい曲折の道が絡まっているのかということを知って、その道をすべて整理しておいたのです。

 ですから、今からは、皆さんには迫害がありません。死んで、地獄に引かれていくということはありません。これからは、“どのくらい、より高く行くのか”ということが、皆さんの課題として残っています。

 それは、国を復帰する“忠臣”になるのかという問題です。分かりますか? 家庭において“孝子”になる問題、世界に貢献することができる“聖子”になるという問題が残っているのであって、道をふさいで反対する人はいません。歓迎するようになっているのです。

 朴パク久培氏。活動していると、周囲は、朴久培氏を協助しようとしますか、反対しようとしますか? (「今は、協助しようとします。」)「今は、協助しようとしている」のですか? (「最初は、よく分からなかったようです。」)分からないのですから、教えてあげなければいけません。(「はい。」)

 今は、教えてあげれば、協助するようになっているのです。分かりますね? 昼夜なく、教えてあげなければなりません。

 さあ、一代清算。(「一代清算。」)それを覚えておくのです。今から、もう一度、行かなければなりません。皆さんは、国を復帰していかなければなりません。先生は、必要ありません。祝福の中心家庭が、どれほど恐ろしい家庭なのか知っていますか? 神様が千年、万年の間、待ち焦がれ、数多くの……。

 イエス様も、祖国光復をどれほど待ち焦がれたでしょうか? ローマの四百年間、霧のように消えていった哀れな魂たちは、どれほどかわいそうな者たちでしょうか?

 彼らは、自分の国ができることを、どれほど待ったでしょうか? それ以上に深刻でなければ、国を持つことができなかった歴史時代を超えていくことができる道はありません。分かりましたね? (「はい。」)

 さあ、そのように理解して、夕食を食べたあと、今からプログラムが違います。ハドソン川に行って、だれが、いちばん(たくさん)ストライプトバスを釣るのか、という競争をします。これを何日間か行ってから故郷に帰り、「自分の国は、自分の手で取り戻す。」と言うことができる“忠臣”の道を開拓する革新者となることを願います。

 そうして、先生の大会を勝利して終えたことを記憶する、その一場面として残されることを願います。分かりますね? (「はい。」)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.03.08 23:32:43
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