ピカルディの三度。~T.H.の音楽日誌/映画日誌(米国発)

Jun 14, 2009
XML
「Carpe diem いまを生きる」

 室内楽の実技講習会に参加した。
 最近ピアノの練習に忙しすぎて、バイオリンをほとんど触ってなかった僕がいけないのだけど(←おい)、自分の実力のなさを否応なしに認識させられた一日だった。


brahms cl 5tet.jpgブラームスのクラ5(1楽章)
  僕(Vn1)、ボブ(Vn2)、シャーマン(Cl)、オリビア(Va)、デイビッド(Vc)


 お仲間受講生四人は、自分に厳しく、他人にはもっと厳しい猛者ばかり。音大卒の人もいる。
 そして僕らの担当教官はマイケル先生。フィラデルフィア管、ボストン響、オルフェウスなどで演奏してたというおじ(い)さん。優しそうな笑みとは裏腹に、情け容赦なく辛辣な言葉で巧みに指導なさる。

 先生は開口一番「この曲をひとことで形容しなさい」と聞いてきた。みんな、passionate、powerful、incisive、lyricalなどの単語を口々に言う。僕は nostalgic(郷愁)

 数小節ごとに中断しては、僕の弾きかたに関して細かいツッコミが入る。「キミは、この曲を演奏するうえで陥りやすいワナにまんまとはまってる」。
 表情豊かに弾こうとしてるつもりが、「そんなヘンなところで溜めたり揺らしたりするのは止めなさい」。
 しまいには、「私にはキミが何をどう表現したいのかが全くわからない!」と一蹴。

 弾きかたに覇気がないのだそう。一瞬のフレーズだけならまだしも、だらだらと懐古プレイ、妄想プレイをするのは不可。そもそもアレグロなんだし、必ず要所要所で現実に戻ること。もっと「いまを生きる」べきとも。
 曲調が変わる箇所はきちんと強調し、テンポを再確認。「そのままなだれこむ」べき箇所もないことはないが、それでも何らかの理由づけは必要。
 重力に任せてどんどん垂れていくなんてもってのほか、枯れずにアンチエイジング。

 とにもかくにも話し合うべき箇所が山ほどあった。
 フォルティッシモが全く出てこず、クライマックス部分ですら単なるフォルテどまりの曲なので、そのあたりの音量表現をどうするかとか、楽譜に書かれてる16分音符を(一般に曲解されてるように)32分に置き換えて弾いてもいいものかとか。

 ま、曲の解釈なんて十人十色。思わず自暴自棄になって、「楽しく弾ければそれでいいじゃん」と言いたくなるのをグッとこらえる僕。

 全てのコマのレッスンが終了し、ホッとしたのも束の間、一日の締めくくりに、修了演奏会に出させてもらった。
 会場には受講生(とその家族)、講師、事務局の人だけぢゃなく、付近の住民(野次馬)までもがちゃっかり客席に座ってる。


 終了後にみんなで先生のとこに挨拶に伺ったら、さすがの先生も苦笑してた。

 疲れたけど、いい勉強になった。
 今まで自分がこの曲に対して「こう弾きたい」と思っていたことをことごとく否定されてしまったのは正直、意外だった。歪んだ解釈をしてたという自覚は全くなかった。
 いろいろ自分なりに提案してみたけど多数決で負けたし、彼らを納得させるだけの説明も演奏もできなかったのだから仕方ない。

 凹んだけど、たまにはこうやって「まな板の上」に横たわるのも悪くはない。このテのワークショップは自虐的に楽しまなきゃ損だし、いちいち落ち込んでばかりもいられない。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  Jun 16, 2009 07:50:56 AM
コメント(7) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ピカルディの三度TH

ピカルディの三度TH


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: