ほんやく☆こんにゃく

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ちゃしー

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December 7, 2010
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カテゴリ: 日々つれづれ
一昨日、水野さんがブログにわたしの記事
レンタルビデオ店に感じたプロ意識
取り上げてくださり( 当たり前という枠を捨てる )、
「当たり前」ということについて考えるきっかけを
与えてくださいました。

一昨日一人で考え、昨日友人の翻訳者さんと一緒に
考えたのですが、答えは出ず。
すぐに答えが見つかるものではないようです。

思考過程にも価値がありそうなので記事にしてみます。
(今日の記事はいつもより長めです)


わたしが当たり前だと思っていた「調べもの」と
「コミュニケーション」について、水野さんの記事からの
引用です。
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結局のところ、「当たり前」のことなんて存在しないのではないでしょうか。
多くの人が当たり前だと「思い込んでいる」ことはたくさんあっても、じつは当たり前のことなんて存在しない。

どうなったら当たり前だと思えるのか、「はかって」みるとよいでしょう。

もし、数値化できない(はかれない)ことが感覚としてわかったら、もう一歩前に進めると思いますよ。
*******************************************************


*******************************************************
「はかれる」ものは、簡単に他者と同じ目線に揃えることができます。
「はかれない」ものは、共通の土俵に乗せるために手間と労力を必要とします。
*******************************************************


「当たり前」を「はかる」ためのヒントをいただきましたが、


で、やってみたのが
一般的に当たり前だと思われていることとわたしが当たり前だと
言っている「調べものをする」ということを比べるということ。
「比べる手段=はかる手段」だと思ったからです。


一般的に当たり前だと思われていること。
何だろう。

そもそも、「当たり前」は人によって、所属するグループによって
違うもの。重なるところもあれば重ならないところもあり、
広さ、深さはそれぞれ違う。
となれば、「一般的な当たり前」なんて存在しない。

でも、当たり前をはかるには、その対象が必要だし・・・。

とりあえず、「当たり前」の内容については今は深く考えずに
当たり前と思われていることを考えてみました。

思いついたのは「年賀状を書く」ということ。
メールで済ませる人もいますが、今のところ、「年賀状を書く」
「年賀状を送りあう」というのは、年始の挨拶として「当たり前」と
言ってもよいのではないか。

ということで、比べる対象に選んだのはこの2つ。
「年賀状を書く」ということと「調べものをする」ということ。

そして比べようとしたとき、またひと思案。
比べ方がわからないのです。
しばらく考えて思いついたのは、英語の疑問詞「1H5W」。
それを応用して、「年賀状」「調べもの」それぞれについて、
項目ごとに書き出してみました。
主な項目はこのとおり。
 ・誰が
 ・誰のために
 ・何を
 ・いつ
 ・どれくらいの時間をかけて
 ・どこで
 ・どうやって
 ・なぜ

それぞれの項目ごとに自分はどうしているか、ほかの人は
どうしているのかを比べる。自分とほかの人との共通点が
多いほど、「当たり前」の事柄だと言える。
そして、その共通点の多さを「年賀状」と「調べもの」で比べると、
共通点が多い方が他方よりも「当たり前」だと言える。

そう考えたのですが、残念ながらこれは失敗。
ほかの人がどうしているか、わからないからです。
年賀状に関してはある程度想像できますが、調べものは
ほかの人がどうしているかなんて、全然わかりません。

それに、この方法だと「当たり前かどうか」を自分と
他者との違いから導き出そうとしていますが、
本来「当たり前かどうか」に他者は関係ないはずですよね。

また、この方法は「年賀状」「調べもの」がどういうことかを
書き出しているだけ。
考えたいところである「年賀状/調べものは当たり前」の
「当たり前」部分とは論点がずれてしまっています。
(一昨日はこう思っていましたが、水野さんの この記事
読んだ今は、書き出したこともはかるためには必要なこと
だったのではないかと考えています)



こうして行き詰ってしまったので、今度はまったく
別の観点から考えてみることにしました。

そして、何の脈絡もなく思いついたのが、
「当たり前と言えるのは絶対的な理由があるとき」
ではないか、ということ。

わたしは「調べものは当たり前」と思っていますが、
その理由は
 ・調べものをしないと品質の高い訳文を作れないから
 ・品質の高い訳文を納めることは絶対に譲れないところだから

もし、理由がもっと弱かったらどうでしょう。
 「訳文の品質、高い方がいいなぁ」
だったら、
 「調べもの、した方がいいよね」
になり、「調べものは当たり前」にはなりません。

う~ん、これはいい線いってるかも??


そういう思いを抱えながら、昨日友人の翻訳者さんと
お会いしてこの話をしてみると、興味深い話を
聞くことができました(ご本人の記事は こちら )。

「はかる=数値化すること」
「職人技(数値化できない)=はかれないもの」
なのではないか、ということ。


なかなかおもしろそうです。
職人技について書いてある本をいくつか紹介して
もらったので、読んでみようと思います。


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Last updated  December 7, 2010 09:48:58 AM
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