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カテゴリ: カテゴリ未分類
母方の「おばあちゃん」が母の継母だというのは
小さい頃から知っていました。
自分の母親は自分が小さい時に死んでしまったのだと、
母は私と妹に教えてくれました。
近所のおばあさんは、
まだ幼くて母親の記憶がほとんどなかった母に、
「アカシアの花のような人だった」
と言っていたそうです。

だから私は、実は母のお母さんは生きていて、

親戚の「ばあば」が、
その「母のお母さん」だったということを、
ずっと後になるまで知りませんでした。

大人になった私には、記憶の中の「ばあば」に
はっきりと母の面影を見ることができます。
けれど、いつもアカシアの満開の白い花のような母の隣にいた、
まだ子供の私には、50代後半の「ばあば」の中に、
アカシアの花の面影を見ることはできませんでした。

小学校6年生の秋、
私の描いた絵がコンクールに入賞して、
私はその授賞式に行くことになりました。

授賞式の会場のそばに住んでいたばあばに、
私の付き添いを頼みました。
そうして私は数年来会っていない、
会った時にも特にかわいがってもらった記憶のない、
端的に言えばあまりよく知らない「ばあば」と


授賞式の後、私はばあばにCD屋さんに寄りたいと言いました。
子供の浅はかな知恵で、この親戚らしい「ばあば」が
CDを買ってくれるのではないかと密かに期待したのです。
でもCDを手に持った私にばあばは、
「お金は持ってるの?」と聞き、
「うん。」と答えた私にそれ以上何も言いませんでした。
結局期待が外れた私は、
1000円程度のそのCDをレジへ持っていき、
自分のお小遣いで買いながら、無意識のうちに
ばあばと自分との「親戚としての距離」を測りました。
だから余計に、ばあばが母の本当のお母さん、
つまり私の本当のおばあちゃんだとは、
微塵も思いませんでした。

私が小学校低学年の頃に
ばあばの旦那さんが亡くなって以来、
家族でばあばとおじさんの家に行くことが
すでにぱったりとなくなってしまっていたので、
それが私がばあばと会った最後の記憶です。

後は、「息子の営業成績のために保険に入って欲しい」
とか、そういう電話がごくたまに来て、
母が「いつも全然連絡寄こさない癖にそんな時ばっかり電話しても
協力するわけないでしょ。たまには○○ちゃん(私)元気?とかいう
電話の一つもしてきなよ。」
と言って、一週間後位に
ばあばから、「○○ちゃんは元気?」という
しらじらしい電話が来る、というくらいのものでした。

私が20歳の時、私たち家族に
とても辛いことが起こりました。
その時ばあばが、母に一通の手紙を寄こしました。
母は、その手紙を隣にいた私に見せてくれました。
その時にはもう、私は「ばあば」が母の母親だと知っていましたが、
手紙の内容は、娘を心配して胸が張り裂けそうな
母親が書いたものと言うよりは、
小学校時代の先生が、記憶も思い入れも薄い、
遠い昔の教え子の一人に書いたもののような、
そんな他人に宛てた手紙のようでした。
だから、少しでも力になりたい、というようなことは
一言も書かれていなかったし、文章の中で呼びかける母の名前も、
漢字を全く間違えていました。

そのばあばが、昨日亡くなりました。

ばあばは、母がどんなに願っても、実の娘である母のことを
母が私を愛するようには愛してくれませんでした。
孫である私や妹のことももちろん愛してくれませんでした。

けれど、それでも私はもう二十年も会っていないばあばが亡くなったと聞いて、
ばあば――母のお母さんに
最期に一目会いたいと思いました。

私の中に、ばあばにかわいがってもらった思い出はありません。
母がばあばに複雑な感情を持っているのも知っています。
でも私は、ばあばが私の大好きな母を産んでくれた、
そのことだけで、十分だと思っています。
「ばあばのこと、どう思う?」とある日母に唐突に聞かれた時から、
ずっと、私がばあばを大切に思う理由は
それだけで十分だと、そう思ってきました。

今夜お通夜で明日が告別式と聞いて、私は、
今から家を出て、明日の告別式に出たいと言いました。
だんなさんは、病気が悪化するし、
きっとたどり着けないで結局いろんな人に迷惑をかけるし、
止めた方がいい、と言いました。
でも私は、最期に母のお母さんを一目見たいと思いました。
跡かたもなくなってしまう前に、
母にそっくりな顔をした母のお母さんに会いたい、と思いました。

母に電話をかけると、
母は、ありがとう、と言って、
でも私の体がどうかなったらその方が困るから、と
「じゃあ、写真と、形見分けの時に何かもらってきてあげる」
と言いました。
実際、私も今の体力で何時間もの長旅に耐えられるか
全く自信がなかったので、それでやっと納得しました。

母が写真と形見をもらってきてくれたら、
私はそれを大切にしようと思います。
たぶん、母がそれを大切にする以上に
大切にすると思います。





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最終更新日  2013年03月28日 22時43分49秒
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