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暇すぎて 生きている意味がわからなくなる。 動物園の檻に入った動物は そういうことを思ったりしないのかな。 シロクマが将来について悩んだりは しなさそうだけど。
2017年06月22日
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北村薫の『スキップ』を読んだ。本を閉じて思ったのは、「承服しかねる」納得できない、というのとも違う。高校2年生、17歳の主人公は、うたた寝をして次に目が覚めると42歳になっていた。自分の周りには知らぬ間に25年の月日が流れている。夫がいて、仕事があり、17歳の子どももいる。25年という時を失った主人公はそれでも前向きに「今」を生きようとする。立派だ。その通り、そうするべきだと思う。時間は決して元には戻らないのだからそれが正解だ。全く正しい。けれどこれは外見がどうあれ主人公の中身が17歳だからできることだと思う。30代の私は17歳の主人公のような気持になれない。病気のせいもあるかもしれないがでも年のせいもあると思う。時々そのことを思い、背筋がぞっとする。私もほんの数年前までは、心が、少なくとも自分の心が、年を取るということがどういうことか想像できなかった。この主人公のようにすべてを一からやり直すことになっても、やる気さえあれば、いくつになったって、何だってできると素直にそう思っていた。もうここ何年も、私の時間は止まったままだ。同じ場所でもうずっと立ち止まっている。いつも、病気が治ったら、動けるようになったら、と思っている。それが今を耐え、いつか再び歩き出す、希望だ。でもそれは、いつまで有効なのだろう?時間は止まっていると思っていた。私は立ち止まっていると思っていた。けれどそうじゃない。私にも時間は確実に流れている。私は確実に年を取っている。鏡に映る自分はあの頃の自分とは違う。それよりもっと深刻なのは私の心が、確実に年を取っている。数年前と同じ気持ちで今を生きられない。「いつか」が来た時、私は再び歩き出したいと思うのか?もう一度頑張ろうと思える、その気持ちは若さだ。日々の中に、その気持ちがどんどん薄れていくのを感じる。私が失っているものは、私が思っていた以上にずっとずっと大きく決定的なものなのではないか。それなのに私はそれをどうすることもできない。「いくらあなたが、私を好きでも、私が江戸時代の人間だったら、どうすることも出来ないでしょう。それと同じことよ。そのずれが、もうちょっと小さく起こったの」前向きになるというのは、諦め、割り切って捨て去るということでもある。そんな風に色々なことをすっきりと置いて歩いていくことを、とても難しいと感じる。数年前の私だったらできたかもしれない。数年前の私がタイムスリップして今目が覚めたらどうだろう?よく分からない。
2017年02月15日
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「どうにもならないことっていうのは誰にだってある。歯噛みして地団駄踏みたいことは。そこでどうするかが、人の値打ちじゃないかな」 それは間違いのないことだ。絶対の真理である。わたしなどが――今、こうして現に、食べるもの、寝るところに困らず、働く仕事がある人間が何をいっても、それは無限に近いほどの数の不幸な人々から見たら、世迷言の類だろう。贅沢なわたし、わがままなわたし。だが、ことは世界でただ一人の自分のことなのだ。そうなると、理屈通りに、気持ちが整理できない。北村薫『スキップ』
2017年02月14日
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みなさんお久しぶりです。誰も読んでいないのは分かっているのですが。最近ばかなことを書く気分ではなかったので日記を控えていましたが、夫から、日常は送った方が良いというアドバイスを受けたのでくだらないこともまたちょびちょび書いていこうかと思います。さて、今年もこの時期がやってきました。私のコアなファンならお気づきでしょう。そうです。バレンタインデー反省会です。あの時ああしていれば良かったのか?こうしていれば受け取ってもらえたのか??と、片思いの彼にチョコレートを渡せなかったあの日を繰り返し思い、反省し続けて早22年。(本当に、時の流れなんてあっというまですね。)1-2年前(たぶん)になってやっと、これは、と思えるチョコレートの渡し方を思いつきました。それは、バレンタインデー当日、彼が登校してくる前に彼の机の中にチョコレートを入れておくという作戦です。(これも私のコアなファンの方なら覚えておいででしょう。重松清の本の中にあったものです。)それまで、呼び出す・・・なんて皆に注目されるようなことはできないし、どこかで2人きりになれるタイミングを見計らって・・・というのは実際にやったら放課後になって制服の後姿を見送るしかなかったし、と20年も悩み続けていたので直接渡さないこの方法を発見した時は目からウロコでした。これなら誰にも知られずにチョコレートを渡すことができます!私はこれをベスト・バレンタイン・シナリオとして以来頭の中で何度も上映してきました。そして今朝。たまたま早く目が覚めたので1年ぶりにこのベスト・バレンタイン・シナリオをシミュレーションしていました。すると、この方法で本当に誰にも知られないのだろうか、他の人に見せびらかして馬鹿にしたりするような人ではないと思うけど例えばチョコレートと気付かずに机から出してしまって皆に見られるとか・・・というかそもそも机なんかに入れて気持ち悪がられないだろうか(真剣すぎて)・・・と心配になってきました。そしてお布団の中でああでもない、こうでもない、と考えていると、それよりももっと良い、今度こそ完璧な作戦を思いつきました!そういうわけで前置きが長くなりましたが苦節22年、ようやく完成したパーフェクト・バレンタイン・シナリオをここに披露したいと思います:1. 彼と席が近いY(女の子)に協力を要請。バレンタインデー当日の朝、登校してきた彼と3-4人でおしゃべりをしていてもらう。2. そこへ私が出向き、3. 「おはよう!チョコレート持ってきたよ!」とYと前もって約束しておいた友チョコ交換。4. いいなーという雰囲気の中、Yと一緒におしゃべりしていたA(女の子)に「Aにもあげるよ!」5. Aがちょっとびっくりして喜ぶ中、自然な流れで6. 「〇〇くんにもチョコレートあるよ!」と彼に渡す!!!7. 受け取ってもらっても努めて平静を装いつづけ、彼の隣で一緒におしゃべりしていた人(男の子でも女の子でも誰でもいい)にもチョコレートを渡し、「たまたまそこにいたからYに渡すついでに渡すのよ」という自然さをさらに装う。以上。どうですか?これなら完璧でしょう??
2017年01月25日
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みなさんお久しぶりです。 なぜこんなに久しぶりに日記を書いているのか? 1. だんなさんが出張でいない 2. 友達が相手をしてくれない 3. 仕事がない さあ理由を当ててごらん。 ヒントはね 現在午前6時。 正解は… 1 2 3 全部だよ。
2016年07月07日
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買い物でした失敗を 買い物で取り戻そうとする (自由律川柳)
2016年02月08日
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衝動買いして後悔のコート 2着 (自由律川柳)
2016年02月07日
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『3月のライオン』というマンガで 棋士の一人が対局中に ブドウ糖を摂取しているのを見て、 インターネットで探して ブドウ糖の飴を注文しました。 少しは体力の消耗を 防げるかもしれません。 がんばれ、私。
2016年02月03日
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12月4日の『シカゴ』で、初めて、 観劇中に耳栓を使いました。 それからいつものように寝込んで、 いつものように起きられるようになって 感想を書こうとしたら、 文章が書けなくなっていました。 本も読めなくなっていました。 これまで肉体的体力だけが 低下した感じでしたが、 知的体力も低下した感じです。 動揺はしましたが、 今までが不自然だったので この方が自然なのだろうという 理解もありました。 最近マンガを読むようになったのは そういういきさつで、 私はこれまでほとんどマンガを 読んだことがなかったので しばらく夢中になりました。 社会にでられるかもしれない 唯一の拠り所がなくなってしまう 恐怖を考えなくて済んだので、 逃げるために夢中になっていたのも 多分にありました。 そして時間を稼いで ゆっくり前向きになってきたかなと 思っていたところへ、 今度は急に マンガを読んでも 何も感じなくなってきました。 どうしよう。
2016年02月01日
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相手に自分の思っていることを伝えられたら、すごく嬉しくて幸せ。久しぶりに話したからかな。世界がキラキラする。
2016年01月28日
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会いたい 寂しい 恋がしたい
2016年01月26日
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沈んでいた気持ちが一気に晴れました。 今朝私は落ち込んでいました。 落ち込むことなんて誰だってあります。 そんな時は、 少しのきっかけがあれば、 少し見方を変えれば、 ほんの少し気の持ちようを変えれば、 景色は案外簡単に変わる。 そう、分かっていても どうしてか それが一人ではとても難しい。 病気になって、 外にも出られない、 好きな人にも会えない、 昨年より体力が落ちて 今年はクリスマスカードも 年賀状すら書けなかった。 一人、 そういう毎日になっていくのかなと思っていました。 …疲れてきました。 うまくまとめられません。 書きたかったのは、 落ち込んでいるということではなくて、 私にはまだ落ち込んだ景色を変えてくれる人がいて、 それで私はすごく嬉しいということです。 会えなくても、話ができて、 落ち込んでいる時でも 他愛もない会話が 私の景色を変えてくれる。 一人ではどうしても変えられなかったのに、 たった一言で、魔法のように 沈んだ気持ちがぱっと明るくなりました。 私は一人ぼっちなんかじゃないんだなと思いました。 幸せだと思いました。 文章が変だけど忘れたくなくて書き留めました。
2016年01月02日
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パソコンの整理をしていたらこんなのが出てきました。こういうことで悩んだ時期もあったな。でもそういえば病気になってからひとから相談事を受けること自体がなくなったような・・・2009年06月18日の下書き「友達」最近友達に、出会い系サイトで知り合った人と友達になった、と言われて、「えーなにそれすごーい。でも変なことに巻き込まれないように気をつけてね。」と返事しました。私は今でも、こういう時に友達としてどういう態度を取るのがいいのかよくわかりません。私の周りには昔からなぜか心に満たされないものを抱えていて自分を傷つけるような恋愛をしてしまう人が多いのですが、以前はそのたびに、やめさせようと鬱陶しいくらい真剣におせっかいを焼いていました。でもそれで一度、友達が私に相談することもやめてしまい、そのうちに一人で暴走してひどく傷つく結果になってしまったことがあって、それからは友達としてするべきことというのは、悪いことを悪いと言ったり、友達のために、と思って何かを言ったりすることよりも、無条件に味方になってあげることなのかな、と思って、友達のすることには基本的に反対せずに受け入れるようになりました。でも、それで本当にいいのかな、といつも思います。「友達が傷つくのが嫌だ」とか「不道徳なことは許せない」というのがおせっかいだとして、出会い系などなら、トラブルに巻き込まれさえしなければ・・・とも思えるのですが、たとえば不倫だと、相手の奥さんや子供のことを考えずにはいられなくて、自分の友達が他の誰かを積極的に不幸にしていること、それを自分が知っていながらそうさせておいていることが、とても間違っていると感じます。ずっと友達の味方で全て受け入れつつ、一方でやめるように諭すというようなことができればいいのですが、そんなふうにうまくいったためしがありません・・・今回の友達は飛行機で何時間も離れているようなところの人とメールかチャットをしているだけのようなので放っておいてあります。ただやっぱり心配なので、何をしている人なのかとか自分のことや写真などどこまで相手に伝えているのかとか友達に聞いています。
2015年12月28日
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パソコンの整理をしていたらこんなのが出てきました。確かにこんなのあったなぁ。役に立たなかったなぁ。今どうなっているんだろう。2009年06月17日の下書き「Chumby」チャンビー(Chumby)がうちに来ました。チャンビーって知っていますか。こんなの↓手のひらサイズです。ぬいぐるみに埋まったテレビみたいです。メールが見れたり、お料理のレシピや天気予報やニュースが見れたり、果てはデジタルピクチャーフレームになったり時計になったりゲームもできちゃうすぐれものなのです。
2015年12月28日
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パソコンの整理をしていたらこんなのが出てきました:2009年06月12日の下書き「コーヒールンバ」 昔アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた哀れな男に しびれるような香りいっぱいの 琥珀色した飲み物を教えてあげましたコーヒーって、飲むと「心うきうき」するものなのかな。私はかつてコーヒーを飲んで一度もそういう気持ちになったことがありません。昔のコーヒーは今とは違ったのかな。それともアラブのお坊さんが飲むコーヒーじゃないとだめなのかな。ちょっと前に、最近コーヒーを飲むようになったと書きましたが、今はもう飲んでいません。あんまりおいしくてブラックで何杯も飲んでいたら頭が痛くなってしまいました。時々コーヒーのことを思い出して懐かしくなることもあるのですが、飲むことを思うだけで、同時に頭痛がしてきます。それだけならまだいいのですが、この影響がなぜか紅茶にまで及んで、今では紅茶すら飲めません。朝起きてすぐに、午後、一息つきたい時に、いつも飲んできたのに、それがコーヒーのせいで・・・。コーヒーにはまったことが悔やまれます。 やがて心うきうき とっても不思議このムード たちまち男は若い娘に恋をした男もきっといつか私の気持ちが分かるでしょう。
2015年12月28日
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パソコンの整理をしていたらこんなのが出てきました。そう言えば、アメリカから帰国して3日目、渋谷のマックでホームシックになって泣きそうになったこともあったな。携帯でステフにメールをしたけどアメリカにいた頃とは違って時差があるからもう寝ていて、あの時は心細かったなぁ。2008/08/24日本に帰って半年。まだ日本になじめません。・・・。前々からかなりマイペースで私ってどうも少々変わっているんではないか、と自分でも思ってきましたが、それでも、日本にいた頃はまだなんとか順応していました。それがアメリカに行ってどうものびのびしすぎたみたいです。もう戻れません。ごはん食べる時、ハンカチを膝にひく。・・・。お店が出すナプキンひけばいいと思う・・・。出さないお店はそういうお店なんだからそんな気取って食べなくてもいいんじゃ・・・?でもあるCM見てびっくりしました。OLが社内でお弁当を食べているCMだったんですが、そのOLの膝にもハンカチがひいてあった・・・!!もしかしてそれ日本の新しい習慣?マックとか行っても膝にハンカチひくのかな?「どういう雑誌読んでる?」・・・ぴあで演劇情報だけ見てるって言ったら怒られますか。私の友達に、30代独身キャリアウーマンが読みそうな雑誌を毎月毎月すみずみまで読む子がいますが、服装、趣味、話し方、職業観、頭の先からつま先まで、メディアに洗脳されているような気がしてなりません。でもそう思って周りを見回してみると、週末のデパートのレストランで、同い年くらいの人、みんな同じような服装してる。変なのは私の方だった・・・!なんか、とても窮屈です。アメリカにいた頃は、こういうことで居心地の悪さを感じませんでした。私は私のままでいられて、誰も私を枠にはめようなんてしませんでした。アメリカに戻りたいです。友達と会いたいです。
2015年12月28日
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真夜中にブログ (自由律川柳) みなさんお久しぶりです。 「私クリスマスはちょっと用事があるので...」 と先生の前で一応言ってみたものの、 後で病院に電話をして 25日に予約を入れた私です。 おもしろい話がこれくらいしか 思いつきません... 最近本当に体力がなくて (そういう症状)、 起きる→食べる→疲れる→寝る→起きるともう夜→食べる→お風呂→寝る で何をした記憶もなく一日が あっという間に過ぎていきます。 クリスマスカードももう間に合わないし、 年賀状も今年は私の分は書けないかもなぁ。 病気で会えないからこそ つながっている努力をしたいのですが、 健康でないと努力をするのも難しい。 健康なんて昔は当たり前で 考えもしなかったので、 こうして、どうしても、どうしても 手に入れられないというのが いまだに不思議でなりません。 健康でいるために努力なんて したことはありませんでした。 本当に簡単なことだったのです。 それが今は全く変わってしまいました。 どうしてでしょうか。
2015年12月24日
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目が覚めたら夜 (自由律川柳) 病気とはいえ... 最近の私はちょっと 体力の消耗が激しすぎるのではないか と思っています。 今も起きたばかりなのに ここまで書いたらもう 疲れてしまいました。 たぶん次に目が覚めたら 午前0時になっていると思います。 一日がとても短いです。 寂しい。 不安。
2015年12月21日
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最近、暇で暇で、うっかりすると「生きている意味が分からない」と思ってしまうくらい暇なので、映画のDVDを借りてみました。(インターネットで注文すると家に届けてくれる。)・・・すみません、疲れたので今日はここまでです。これが私が暇な理由。
2015年12月18日
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エネルギーが欲しい・・・(自由律川柳)
2015年12月09日
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しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで もう20年以上 思っていませんね。 私まだ30代ですが。 人生って何でしょうねぇ。
2015年12月02日
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枯れている 心もお肌も睡眠も (自由律川柳)
2015年11月14日
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オレオ食べ過ぎて吐き気 (自由律川柳)
2015年11月08日
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先生:「お仕事…毎日しているんですか?」 私:「?」先生:「どこかに毎日お勤めしているんですか?」 私:「していませんよ…知ってるじゃないですか。何でですか?」先生:「その服装。」 私:「あぁ…。4月に一時的に具合が良くなった時、久しぶりにおしゃれをして思ったんです。私は病人ですけど、私らしく生きることまで諦める必要はないって。それから、病気で具合が悪くても、外に出る時にはきちんとした服装をしようって思ったんです。だから今日も具合悪いですけどおしゃれしてきました。私のプライドです。」先生:「で、着てみたらブカブカだった、ということですか。」 私:「……。」先生:「たくさん食べて、大きくなりなさい。」おしゃれは健康な体から。
2015年11月06日
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暗い夜道を歩いていたら、前方から20~30代くらいの男性が口笛を吹きながら歩いてきて、私とすれ違っていきました。スマートフォンに近くにいる見知らぬ人と話せる機能があったらいいのにな。そうしたら私、絶対聞いていました。「もしかして、大黒摩季?」って。
2015年11月06日
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こんばんは。 現在外食中。 パスタとケーキのセット注文しました。 独りで。
2015年11月06日
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人間とは かくも非合理的 生き物なり シンプルに生きたいのに。
2015年10月03日
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みなさんこんにちは。と言ってもいつもながら誰も読んでいないと思いますが。しばらく前から日記が滞っていましたが、今回はなんと1年近くもほったらかしにしてありました。昔読んでくれていた人、コメントをくれていた人、もうみんな読んでくれていないんだろうなぁ。もうここ何年も辛気臭い話題ばかりなので無理もないですが。それで1年ぶりの日記もやっぱり辛気臭いですよ。病気ですけど、予想外にも全く治っていません。最初にかかったお医者さんの話では大体11カ月くらいで治るということだったのですが、今月で病気にかかって…3年?4年?おかしいですね。薬はまじめに飲んでいますし、毎日の体調を日記につけて、できるだけ体調に障ることを減らしてできるだけたくさんのことができるように工夫しています。例えば人と話す時以外は耳栓をするとか(音に弱いので)、お掃除はフローリングシートでするとか(掃除機は重くてエネルギーをたくさん使ってしまうので)、休憩が必要な時は横になったりするよりも効率よく体力を回復するために眠くなる薬(睡眠薬ではない)を飲んで眠ってしまうとか。それからインターネットで「シャキッとしろ」というような言葉を見かけますが、私は普通にやる気はありますし、わりとシャキッと頑張っています。お医者さんに「休め!休まないなら薬はもう出さん!」と怒られたこともあるので思い込みではないと思います。(今はきちんと休んでいます。)で、この数年で本当に身にしみて分かったのですが、こういう「心の病気」と呼ばれている病気は、「心」の問題なんかじゃありません。乱暴に言ってしまえば、怪我や肺炎や癌と同じです。自分ではコントロールできません。肺炎の症状がひどい咳だったり、癌の症状が痛みだったりするのと同じで、やる気が出なかったり、気持ちが沈んだり、心が辛くなったりするのは病気の症状で、本人の心の問題ではありません。私の家族ですら分からない家族もいるので(悪気はない)、感覚的に理解できない人もいるのだろうと思いますが、分からないなら、せめて、無理に自分の理屈をつけて理解したり判断したりしようとせず、「分からない」という自覚と一緒にそのまま受け入れてくれるといいな、と思います。病気○周年にあたって思っていたことを書きました。途中からもうとても疲れてしまっているのでめちゃくちゃだったらすみません。あーみんな私を見たら分かるのにな。沈んだり落ち込んだりする代わりにひどく疲労してしまうのが私の症状です。動けなくなってきたので眠ります。
2015年07月08日
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夜更かししたら 次の日寝込んだ(自由律川柳)ひとに言っておきながらこんなにすぐに自分に訪れるとは思いませんでした。日常の落とし穴。このように、掃除機で片づけられない割と大きな落とし穴もありますので、私たちは常に頭の片隅で細心の注意を払っている必要があるのです。うう、気持ち悪い。ベッドに戻ります。
2014年08月03日
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必要な時に限ってだんなさんがいません。今夜は仕事関連の人たちと集まりがあって、明日からは研究室の合宿で月曜日までいません。というか、先週末も学会でいませんでした。その前の週も地方に行っていました。・・・もしかして必要な時というよりいつもいないのではないでしょうか。薬を出そうと思ったら、カプセルが外れて中身がバラバラこぼれてしまいました。私はこのようなできごとを「日常の落とし穴」と呼んでいます。毎日同じことの繰り返しのように思える日常ですが、時々こうした落とし穴があることを忘れてはなりません。明日はあなたに訪れるかもしれませんよ。なにしろ一日の大半を眠って過ごしているヒキコモリ病人専業主婦の私にもあるのですから。なんちゃって。まあ訪れても、外れたカプセルは閉め直して水と一緒に飲み床にこぼれた中身は掃除機できれいに吸い取って何もなかったことにすればいいだけですが。
2014年08月01日
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今日で7月が終わりました。明日からは8月です。ついこの前、セミが鳴き始めたのに気づきました。もう1ヶ月以上前から鳴いているものと思っていたのですが。昼間6時間以上眠っているので気がつくとあっという間に夜になっています。夜になってご飯を食べて、待っても待ってもだんなさんは帰って来ません。
2014年07月31日
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だんなさんに、一人でいるよりも二人でいて蔑ろにされる方が寂しい、と伝えました。だんなさんと仲が良い方がやっぱり楽しいです。今日はいい日でした。
2014年07月29日
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友達に会えないのは寂しいです。でもそれは、私には友達がいるという意味でしょう?今日が終わる前に気づけてよかったです。
2014年07月28日
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昨夜いろいろ心配しましたが、今日起きたら生きていました。おかげで体が冷たくなっていました。だんなさんが出張の最後の日は寂しくならないようにと思って大好きなアイスをとっておいたのに食べたくなくなって残念でした。
2014年07月26日
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夜7時頃から吐き気が強いので今まで寝ていましたが(私にはよくある症状なので)、2時間近くも寝たのに全然治まりません。もしかしてうつ病による吐き気ではなく・熱中症・お昼のサラダに十分火が通っていなかった・そのために食中毒…?・まさかO-157...!?いずれにしても孤独死は嫌です。明日だんなさん日付けが変わるまで帰って来ないので今夜死んだら絶対私腐ってると思います。念のため今日冷房強めにして寝た方がいいでしょうか…もし腐っていたら・火葬してから友達を呼んでください。可愛くないのを見られたくないです。・その代わりに最近アメリカに行った時の写真の中から可愛いのを飾ってください。・家にあるリースも一緒に飾ってください。アメリカから持ち帰ったお土産です。・それにBath & Body Works の Secret Wonderland をかけてください。お気に入りの香水です。
2014年07月25日
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みなさんお久しぶりです。相変わらず誰も読んでいないと思いますが。最近具合が悪く、誰かと話したいのですが・友達のほとんどがアメリカにいるので話したい時に起きていない。・夫とも生活時間帯がずれているので話ができない。・たまに話せてもTwitterを読んでいて聞いていない。・日本の友人その1は私より深刻な状況にあるため、私の方が話を聞いている。・頼れるのがもう日本の友人その2しかいないので、迷惑に思われるのが怖い。というわけでどうしたらいいかと悩んでいたところ、この日記の存在を思い出し、友達の代りにこの日記に話をすれば良いのではないか!と思いつきました。が、主な症状が極度の疲労の私は具合の悪い時に日記なんかとても書けないことに昨日すぐに気づきました。夜になって具合が良くなるとつい起きていたくなりますが、明日がひどくなるので寝ます。活動時間2時間…誰か私にベッドタイム・ストーリーを読んでくれませんか。
2014年07月24日
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目が覚めると、眠っている間に 悪い魔女に魔法をかけられたみたいに 体が鉛のように重くなっています。 そのままベッドにいるしかないですが、 鉛みたいな手足と、 石のような背中が辛くて、 とってもいられません。 部屋はもう真っ暗になっていますが だんなさんは帰ってきません。 こんな時に、一人でベッドから起きて、 一人でご飯を温めて、 一人でテーブルで食べる事を考えると、 何もせずにお腹をすかせていた方が ましな気分で、辛い時間を ベッドの横に置いている筋弛緩剤で ごまかしながら過ごします。 だんなさんが帰って来るのは12時近くで、 それまでの5、6時間は、 筋弛緩剤2回分で眠ってしまえば あっという間なのに、 それがろくに効かず、目が覚めたまま ベッドでじっとしているのは とても長いです。 体が辛くて、時間が長くて、 私以外は忙しく、 慌ただしい時間が過ぎているのを、 眺めて待っています。 寂しいです。
2014年04月24日
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今日友達が家に遊びに来てくれました。正確に言うと、私がアメリカで知り合った友達の妹さんなので、友達というほどお互いの事を知りません。でも色々な話をたくさんしました。とても楽しくてとても嬉しかったです。この前、だんなさんが実家に行く用事があって、私と共通の友達と会いました。私は仲の良い友達がほとんどアメリカに住んでいて会えないのが当たり前になっているので、今までそういう感覚はあまりなかったのですが、実家に帰省するといつもはだんなさんと、共通の友達と、私と3人で遊んでいたのに、今回はだんなさんと友達と2人だけで会って、病気になるってこういうことなんだな、と初めて思いました。それで、友達にも会えなくて、生きていくのにどんな意味があるのかなと少し考えてしまいました。でも今日友達の妹さんが遊びに来てくれて、たとえ外へ出られなくても私はたぶんちゃんと家の外でも生きているし、また外へ出て、友達に会ったり、ショッピングをしたり、レストランで食事をしたり、できるようになりたいなと思いました。これからいっぱい遊んで、まだまだいろんな話をしようね、と約束しました。今日は本当に嬉しかったです。
2014年02月17日
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今日はバレンタインデーでした。東京は雪が降って、ホワイトバレンタインになりました。毎年この時期は中学3年生のバレンタインデーを思い出します。バレンタインデーは他にもあったはずなのに、どうしてかいつも中学3年生のバレンタインデーを思い出します。少し前に、重松清さんの『小学五年生』という本を読みました。その本に、「どきどき」というお話が載っています。中学時代なんてずっと前のことのはずなのに、昨日のことのような気もします。中学3年生の「私」は、皆の前でチョコレートを渡す勇気なんてとてもありませんでした。何かで二人になってそっと渡せるチャンスはないかと一日中思っていたのですが、結局なくて、机の中に入れておくっていう方法もあったなー、とか、でもやっぱり直接渡さないと、「コウジ」くんみたいに誰にも言わずにパッとしまってくれたらいいけど、他の人に見せびらかされて笑われたらどうしよう…とか。今年、チョコレートをあげました。でもやっぱり中学3年生のあのチョコレートを渡したかったなぁと思います。今日、たくさんの小さな恋たちが、相手に想いを伝えられていたらいいなと思います。
2014年02月14日
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最近、ふとした時に、東日本大震災のことばかり考えています。土曜日、お夕飯の時にだんなさんと仙台の話題になって、少し前にだんなさんが学会で仙台に行った時に地元の案内の方と一緒に被害にあった土地も見た話になりました。だんなさんは、「日本人として一度見ておいた方がいいと思う」と言いました。私は、分かりません。被害に遭った人たちの中には、話をしたい人、話したくない人、話さずに理解してもらいたい人、思い出したくない人、相手の反応に傷つきたくなくて話せない人、色々な人がいると思います。家を失くし、財産を失くし、職を失くし、家族を失くし、友人を失くし、故郷を失くし、その恐怖、深い悲しみ、理不尽さへの憤り、忘れたくても忘れられない景色、何度も、何度も、思い出させるたくさんの物々、それらは、経験した人にしか分かりません。私には、人に話したくない過去が2つあります。1つはこの日記に何回か書いたこと。もう1つはこの日記に一度も書いていないこと。この日記に何回か書いたことは、私と私の家族、だんなさん、そして本人、それと、顔も名前も知らないこの日記を読んだ人しか知りません。この日記に一度も書いていないことは、実は当時の私の知人はみんな知っていることです。そしてだんなさんと、だんなさんと共通の友人は、「当時の知人」の一人です。何年かぶりに、だんなさんと共通の友人に会うようになって、何回目かに会った時に、同窓会で私の話題が出たと言われました。「死んでるんじゃないの?」って。私はそれを聞いても、別に傷つきませんでした。教えてくれた友達のこともそんなことで嫌ったりはしませんでした。なぜってそんなこと、ずっと想定していたからです。その程度にしか思っていない人はたくさんいるのです。だからずっと同窓会に出ていません。私の母は、私と妹を抱きしめて、「みんなで一緒に死のう」と言いました。母の言葉を聞いて、ああ、私死ぬんだな、と思いました。怖くはありませんでした。私は母ほど追いつめられてはいませんでしたが、追いつめられて泣く母を見たら、とても切なくなって、一緒に死んでもいいと思いました。あの時の部屋の景色を、今でも昨日のことのように覚えています。そんなこと、想像もしないでしょう。聞かされても困るでしょう。別に責めているわけではありません。そこまで思い入れのない私の、そんなに重い話を聞かされても、気持ちがついていかないのは仕方のないことだと思います。傷ついているからといって、誰もいちいちそれに付き合っていられないし、私に関心を持ってほしい、私の傷を理解してほしいなんて、そんなこと、求めたりしません。だけど私は一度で十分、あまりあるほど傷つきました。だから関係ない人の無責任な反応で二度も傷つきたくないのです。何も求めていません。その代わり私が傷つくような言動は、私の見えない所でしてほしいのです。私は、同じことを、震災の被害に遭った人にも思わせてしまうのではないかと、それが怖くてなりません。「心配している」「気の毒」そう言っても次の日には忘れている、本人の目の前から離れた途端、ゴシップのネタにする、私の何か軽率な言動がそう思わせて、二度傷つけてしまわないかと、それが怖くてなりません。同じ経験をしていない私が、気持ちが分かる、なんてとても言えません。けれど少しでも分かるように努力したいし、その心の傷に、できる限り寄り添いたいと、思っています。その言葉を、傷ついている人たちに届けたいのですが、どうしたら誤解されずに、傷つけずに、届けられるか分かりません。それで私は、ほんの少しだけれど、笑われるような額かもしれないけれど、震災以降、毎月ずっと、忘れずに募金を続けています。傷を半分こできなくてごめんなさい。今はこれしか思いつかなくてごめんなさい。
2013年11月13日
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日曜日にマンションの草取りがありました。分譲マンションなので、自治会があって、時々こうしたイベントもあるようです。住人のほとんどは売り出された当時からずっと住んでいる人たち、というのは後から分かったことで、私たちはお部屋を探していて、不動産屋さんで見つけて普通に借りただけなので、たまたま所有者が賃貸に出した分譲マンションということが借りた時にはあまり良く分かっていませんでした。そのようなわけで、この草取りと懇親会について掲示板に貼り紙が出されて以来、軍手とスニーカーを用意して、日曜日が来るのをとても緊張して指折り数えて待っていました。そして当日、集合場所に行くと、思っていたよりずっと少ない人数が集まっていました。それにどうも役員以外の住人同士はあまり知り合いではないようで、「私初めて参加するんですけど、どうしたら良いでしょう?」と、先月引っ越してきたばかりの私が知らない中年の女性に聞かれました。それで準備運動のラジオ体操に始まり、知らない人同士で草取りをしたり落ち葉を集めたりして、その後役員の人たちが用意してくれたご飯を食べながら当たり障りのない話で何となく盛り上がって終わりました。私は、私たちの隣の棟の1階の人が、「外の草がぼうぼうでベランダに布団が干せない」と言うので、その棟の前の草取りを3-4人の人と一緒に一生懸命やりました。ここのところお天気が悪くて土が湿っていたおかげで、草の根元を引っ張ると根っこから簡単に抜けて、1時間後には見違えるようにすっきりしました。お布団もばっちり干せるようになりました。私はそれで昨日一日と、今日の午前中疲れてずっと眠っていて、たぶん今日もこれからまた眠って一日が終わると思いますが、とても喜んでもらえて、充実感でいっぱいになって、楽しかったし嬉しかったです。
2013年11月12日
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久しぶりに、鉛の鎧を着ているみたいです。しばらくこんな疲れ方はなかったのになあ。仕方ないかな。あ、鍵の音がした!と思ったらお隣さんでした。早くだんなさん帰って来ないかなあ、と思う時間に音がするので、いつも間違えます。
2013年11月08日
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ディンドーン、ディンドーン、ディンドーン。お隣さんが、振り子時計を持っているみたいで、毎正時に、その時刻の数だけ、ディンドーン、ディンドーン、と鐘が鳴ります。それから30分にも、一回だけ、ディンドーンと鳴ります。ディンドーンが聞こえると、私は数を数えます。今は10回だったので、10時ということです。今日はだんなさん、私が起きている間に帰ってくるかなぁ。
2013年11月07日
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みなさんお久しぶりです。こんにちは。と言ってもいつも通り誰も読んでいないと思いますが。さて、引越をしました。ブログではなくて、だんなさんと私が転居をしたのです。だんなさんの仕事の都合で地方から再び首都圏へ戻ってきました。それでまた匿名性が保たれるようになったので日記も再開しようかと思います。病気の方ですが、この1年で急激に回復しました。健康にはまだほど遠いですが、一時はベッドから起きあがるだけでへとへとになって、一日中泥のように眠っていたり、めまいと吐き気が激しくて、生きるために苦しんでいるのか、苦しむために生きているのか分からなかったりしましたが、今は外にも出られるようになりました。昨日も初めての病院に行ってきました。それで今日は疲れて一日寝込んで、今やっと起きて、だんなさんの帰りを待っています。ただ今まで上り調子で回復してきたのが、この一カ月は体調が悪くなって少し大変でした。私は体の症状が主で、心の症状はほとんど出ないのに、今回は、引越しがひと段落すると、急に心が訳もなくとてもとても辛くなって、毎日わんわん泣いていました。それでどうしても耐えられなくなって、いつもは電話をしない友達に電話をして、一時持ち直しましたが、また泣いたり、極端に悲観的になったり、色々して、仕方ないので、片づけや、手続きや、お世話になる人への挨拶や、これからのことを考えたりすることを一旦全部お休みして、最近ようやく落ち着いてきました。引越しがこんなに負担になるとは思いませんでした。だんなさんは私とは逆で、水を得た魚のようです。今までは出張でしか東京へ行けなかったので月に1-2回、関係した学会がある時にしか行けませんでしたが、今はちょっとした勉強会や隣接分野のイベントにも全部参加できるし、空き時間に分刻みで人と会う予定を詰め込まなくても、会いたい人にいつでも会えます。大学もとても楽しそうです。今回のポジションは研究センターの所属で、学部の授業は持たず、大学院生との研究に専念できるポジションなのですが、学生がとても優秀で、鋭くて、それにバラエティーに富んでいて、毎日充実しているのが伝わってきます。ただ、以前は地方の古き良き研究室だったのでまだ良かったのですが、今回は都会の研究室にありがちな、「お昼頃に集まりだして、夜中に研究、時に残留(学校に宿泊)」という空気が家庭的に(少なくとも私的に)問題です。以前は大学から帰って来てから(私が)寝るまでの間は話ができましたが、今は帰って来る時間が遅すぎて私と会うことすらままなりません。私は今は病気で不規則な生活に合わせるのが体調的に難しいので会う時間が少なくて寂しいですが、なによりだんなさんが一番仕事がはかどるのが大事なので、寂しいのは仕方ないかなと思います。そんなところです。
2013年11月06日
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慢性疲労症候群について研究している大学病院に行ってきました。診断では、私は「慢性疲労症候群まではいっていない」とのことでした。とりあえず報告終わります。
2013年05月23日
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できること:- 身の回りのこと- 簡単な家事をすることできないこと:- 午前中にパソコンや携帯の画面を見ること- 午前中に文字を書いたり、手書きや小さな文字を読んだりすること- 電話をすること- 外に出かけること- 窓を開けて外の音を聞き続けること- 慣れない人と会うこと- 3時間以上連続して起きていること- 簡単な家事よりも大変なこと全部「できないこと」をするとどうなるかと言うと、吐き気、めまい、頭痛、頭重、筋肉痛、関節痛が、疲労と一緒に大体この順番の割合で出ます。なんだかたくさんの症状の羅列で現実味に乏しいかもしれませんが、それがびっくりするくらい本当なのです。中でも吐き気とめまいはとても苦しくて、生きるために苦しんでいるのか、苦しむために生きているのか分からなくなります。なので、とてもとても気を付けて、そうっと生活をしています。だけど、時々それがとても嫌になります。それで「できないこと」をします。そうすると次の日から一週間以上寝込んで、ベッドの中でいつも祈らない神様に必死で祈ったりしながらとても後悔します。そういう時は神様に祈っても自業自得と素っ気なく言われる気がしてあまり効き目がなさそうですが、時にはどうしても必要で「できないこと」をすることがあります。今週末、精密検査をするために遠くの大学病院に行ってきます。とても不安ですが、がんばります。
2013年05月17日
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待たなければ寂しくない。そんなの分かっているけどやっぱり待ってしまう。何にもしたくないな。ご飯はもう一時間も前に炊けているのにベッドから起きていって食べる気になれません。五月病かな。もう病人だけど。毎日ベッドに横になって窓の外を眺めています。一ヶ月前、窓から見える小さな山の上に、遅咲きの桜が咲いていました。それがなくなってつまらないと思っていたら、今度は中腹のそこここに房なりの藤の花が現れました。今朝カーテンを開けるとまだ咲いていると思っていた藤の花が周りの木々に埋もれるように消えかけて、それと交代に、山裾に水色のアジサイが咲き始めていました。突然咲いて驚かせて、いつの間にかなくなってしまう。そういうの、いいなあと思います。
2013年05月16日
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体が、とても辛いです。今日も一人。嬉しかったこと、楽しかったこと、ベッドの中で思い出しています。誰かにそばにいて欲しいです。
2013年05月15日
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最近だんなさんが、「疲れた」しか言いません。だんなさんは朝起きるのがとても苦手で、朝ごはんなしで10分で支度して出掛けるので、朝は会話がないです。なのでいつも家に帰ってから会話をします。でも最近は疲れたしか言いません。夜はいつも9時過ぎから10時くらいの間に帰って来て、私は以前は待っていてご飯を一緒に食べていましたが、病気になってからは体に負担がかかるので、先に食べるようになって、お夕飯を一緒に食べることも少なくなりました。だんなさんがお夕飯を食べている間は私も一緒にテーブルにいます。でも疲れたしか言わないのであまり会話になりません。仕事の話を聞くともっと疲れたしか言わなくなるので、私はできるだけだんなさんが好きそうな電化製品とか歴史とかの話題を振りますが、なんかうまくいきません。ツイッターやウェブサイトが好きで、それを見ていると楽しそうです。私は寂しいけど、仕事で疲れている時に目の前の人と話をするのはもっと疲れるのかなと思います。何笑ってるの?と聞きますが、ツイッターの相手の人と会話しているので私の声が聞こえる時は少ないです。画面を通した相手と会話する方が楽なのは私も何となく分かります。私は朝は普通に起きて、朝ごはんも食べるし、朝の家事もするので、だんなさんが遅く起きてきて慌ただしく支度をしても、いつも行ってらっしゃいのお見送りだけはしていました。でも病気になってから、時々どうしても起きられなくてそれもできないことがあります。週末はだんなさんは出張で、家にいないことが多いです。だからたまに家にいる時は、以前は一日中どこかに一緒に出掛けていました。でも今は私が病気でそれもできなくて、だんなさんはつまらないと言っています。私は再来週、専門の先生に診てもらうために、少し遠くの大学病院に行くことになっています。だんなさんに付き添ってもらう予定でしたが、だんなさんは翌日に出張が入ってしまって、帰りの付き添いは実家の両親に頼みました。でも最近になって前日にも用事が入ってしまいました。私の病気は長時間の外出が難しくて、しかもこんなに長い時間移動するのは病気になってから初めてなので、以前は不安で一緒に行って欲しいと思っていました。でも今はなぜだか、一人で行ってもいいかなと思っています。もしだんなさんが忙しかったら、無理して付き添わなくてもいい気がします。付き添ってもらっても具合が悪くなる時は悪くなると思うし、私はかなり痛くても苦しくても気持ち悪くてもそういう事には慣れているので、一人でもホテルまではたどり着けるんじゃないかと思うのです。もしも動けなくなったり、倒れてしまうようなことがあっても、電車か駅の中なので、誰か一人くらいは気付いて救急車を呼んでくれるんじゃないかと思うし、救急車はだんなさんが呼んでも見ず知らずの人が呼んでくれても同じなんじゃないかなぁと思います。疲れているのに無理することないし、今日帰ったら提案してみようと思います。
2013年05月10日
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母方の「おばあちゃん」が母の継母だというのは小さい頃から知っていました。自分の母親は自分が小さい時に死んでしまったのだと、母は私と妹に教えてくれました。近所のおばあさんは、まだ幼くて母親の記憶がほとんどなかった母に、「アカシアの花のような人だった」と言っていたそうです。だから私は、実は母のお母さんは生きていて、自分が子供の頃に時々会いに行っていた親戚の「ばあば」が、その「母のお母さん」だったということを、ずっと後になるまで知りませんでした。大人になった私には、記憶の中の「ばあば」にはっきりと母の面影を見ることができます。けれど、いつもアカシアの満開の白い花のような母の隣にいた、まだ子供の私には、50代後半の「ばあば」の中に、アカシアの花の面影を見ることはできませんでした。小学校6年生の秋、私の描いた絵がコンクールに入賞して、私はその授賞式に行くことになりました。母は何を思ったか、「たまにはばあばに頼みごとをしよう」と言って、授賞式の会場のそばに住んでいたばあばに、私の付き添いを頼みました。そうして私は数年来会っていない、会った時にも特にかわいがってもらった記憶のない、端的に言えばあまりよく知らない「ばあば」と授賞式に行くことになりました。授賞式の後、私はばあばにCD屋さんに寄りたいと言いました。子供の浅はかな知恵で、この親戚らしい「ばあば」がCDを買ってくれるのではないかと密かに期待したのです。でもCDを手に持った私にばあばは、「お金は持ってるの?」と聞き、「うん。」と答えた私にそれ以上何も言いませんでした。結局期待が外れた私は、1000円程度のそのCDをレジへ持っていき、自分のお小遣いで買いながら、無意識のうちにばあばと自分との「親戚としての距離」を測りました。だから余計に、ばあばが母の本当のお母さん、つまり私の本当のおばあちゃんだとは、微塵も思いませんでした。私が小学校低学年の頃にばあばの旦那さんが亡くなって以来、家族でばあばとおじさんの家に行くことがすでにぱったりとなくなってしまっていたので、それが私がばあばと会った最後の記憶です。後は、「息子の営業成績のために保険に入って欲しい」とか、そういう電話がごくたまに来て、母が「いつも全然連絡寄こさない癖にそんな時ばっかり電話しても協力するわけないでしょ。たまには○○ちゃん(私)元気?とかいう電話の一つもしてきなよ。」と言って、一週間後位にばあばから、「○○ちゃんは元気?」というしらじらしい電話が来る、というくらいのものでした。私が20歳の時、私たち家族にとても辛いことが起こりました。その時ばあばが、母に一通の手紙を寄こしました。母は、その手紙を隣にいた私に見せてくれました。その時にはもう、私は「ばあば」が母の母親だと知っていましたが、手紙の内容は、娘を心配して胸が張り裂けそうな母親が書いたものと言うよりは、小学校時代の先生が、記憶も思い入れも薄い、遠い昔の教え子の一人に書いたもののような、そんな他人に宛てた手紙のようでした。だから、少しでも力になりたい、というようなことは一言も書かれていなかったし、文章の中で呼びかける母の名前も、漢字を全く間違えていました。そのばあばが、昨日亡くなりました。ばあばは、母がどんなに願っても、実の娘である母のことを母が私を愛するようには愛してくれませんでした。孫である私や妹のことももちろん愛してくれませんでした。けれど、それでも私はもう二十年も会っていないばあばが亡くなったと聞いて、ばあば――母のお母さんに最期に一目会いたいと思いました。私の中に、ばあばにかわいがってもらった思い出はありません。母がばあばに複雑な感情を持っているのも知っています。でも私は、ばあばが私の大好きな母を産んでくれた、そのことだけで、十分だと思っています。「ばあばのこと、どう思う?」とある日母に唐突に聞かれた時から、ずっと、私がばあばを大切に思う理由はそれだけで十分だと、そう思ってきました。今夜お通夜で明日が告別式と聞いて、私は、今から家を出て、明日の告別式に出たいと言いました。だんなさんは、病気が悪化するし、きっとたどり着けないで結局いろんな人に迷惑をかけるし、止めた方がいい、と言いました。でも私は、最期に母のお母さんを一目見たいと思いました。跡かたもなくなってしまう前に、母にそっくりな顔をした母のお母さんに会いたい、と思いました。母に電話をかけると、母は、ありがとう、と言って、でも私の体がどうかなったらその方が困るから、と「じゃあ、写真と、形見分けの時に何かもらってきてあげる」と言いました。実際、私も今の体力で何時間もの長旅に耐えられるか全く自信がなかったので、それでやっと納得しました。母が写真と形見をもらってきてくれたら、私はそれを大切にしようと思います。たぶん、母がそれを大切にする以上に大切にすると思います。
2013年03月28日
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