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2005年10月29日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
アップルコンピュータ創業者であるスティーブジョブスが


読むだけで、元気づけられます。
毎日を面白くするのもつまらなくするのも
自分次第ですね。

では。

__________________________________________
PART 1 BIRTH
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門

までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけで
す。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐとい
うお話です。
 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそ
こらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?と
いうことになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決
めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、
ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っ
ていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場に

リストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんで
す。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。
彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は
大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけで

て何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母
親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

PART 2 COLLEGE DROP-OUT
 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわ
けなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでし
まったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんです
ね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなってい
た。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける
手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、
親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全ての
ことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれ
は人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目
はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面
白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋
の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるん
だけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩い
て街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これ
が無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く
は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたん
だね。
 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

PART 3 CONNECTING DOTS
 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供す
る大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひ
とつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されて
いました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえ
ずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみるこ
とに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字
間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要か
を学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要
素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものば
かりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを
設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕
たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォ
ント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体
も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なる
パクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコン
は地上に1台として存在しなかったことになります。
 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかっ
た。
 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げ
てみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほど
またハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言いま
す。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな
い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ
そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じな
くてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じるこ
と。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そ
う信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。
結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、
間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

PART 4 FIRED FROM APPLE
 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができ
た。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。が
むしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4
千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、
マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は
会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれません
が、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社
を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。
けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまっ
た。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を
追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分
騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私は
もうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分の
せいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡さ
れたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで
全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボ
ブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリ
コンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんで
す。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ち
をいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、
一から出直してみることに決めたんです。
 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の
人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であること
の重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対
して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自
分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんです
ね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、
素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ス
トーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオで
す。
 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復
帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。
ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私
にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要な
んだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こ
るものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれ
たのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったから
です。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋
愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろ
うけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴し
いと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら
進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかって
ないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそ
ういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ね
るごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてし
まってはいけない。

               ◆◇◆





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最終更新日  2005年10月29日 03時21分10秒
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