声を上げることの難しさ


 おかしいと思うことがあっても黙って見過ごしたり、見て見ぬふりをしたりしていては何も解決しません。また、おかしいことに怒って腹を立てるだけでもだめです。実際に声を出し、行動しなければ何も変わらないのです。誰もがそんなことはわかっていると思います。
 あなたは、組織内での不正や企業のモラルの欠如、ルール違反、街中でのマナーのなさに対して「おかしいですよ」「そんなことしていいんですか」と問いかけたい衝動にかられたことはありませんか。
 たとえば、身近なことでは、歩きながらたばこを吸っている人に「その吸い殻はどうするのですか。小さいお子さんにたばこの火があたったら危ないですよ」と言いたくなります。
 でも、実際に内部告発すれば冷遇されることが多いでしょうし、注意したりしたら組織内では嫌われたりするケースもあるでしょう。
 知らない人に注意して報復を受けるのも馬鹿らしいのでむやみに声を出せません。実際にマナーを注意してケガをしたり、殺されたりしているのを耳にすると尚更です。
 自分のことを考えても街中で歩きタバコをしている人やポイ捨てをしている人に注意することはできそうもないし、何かの列に割り込む人に注意することもはばかられます。
 組織内でも職場の仲間の少しの遅刻などのルール違反に対して目くじらを立てると「堅いことを言うな」と嫌われそうです。
 しかし、見て見ぬ振りでは何も改まりません。では、個人に勇気を出して注意しなさいと言うのは酷だとしたらどうすればよいのでしょう。
 公衆道徳とか、マナー、社会・組織のルールを守ろうという雰囲気や風土を築いていくしかないのでしょうか。
 日本は、シンガポールやどこかの区のように罰金を課すことでしかマナーなどが守れない社会だとしたら悲しく、なさけないことだと思います。
 おかしいことをおかしいと言える雰囲気をつくり、声を出した人を周りのみんなが支援するようにすることで、正しいことが正しく守られる社会にしていきたいと願わずにはいられません。
 (03/4/1 メルマガ69号より)



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