子ザル飼育日記

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2007.12.12
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カテゴリ: 徒然
ここんとこ咳風邪をひいてしまってコンコンコンコンいってたら

何のことは無い、筋肉痛だったプレです。こんにちは。

どこまで日頃筋肉使ってないのかっつー話ですけども。
すいません。 脳みそと筋肉はほとんど使ってません。



私には、非常に大きく壮大な人生目標がある。
それは「幸せになること」だ。

今引いた人、もうちょっとがんばって付いてきてくださいね。


この目標を立てたのは実はかなり昔で、かれこれ・・・え~っと・・・



当時のワタクシは学校でいじめにあったり
なんだりかんだり踏んだり蹴ったりで
生きるか死ぬか殺そうか(オイ)。
と悩んでいた多感な少女でした。
その中でひとつ気づいたことがあったんです。

「こんなことばかり考えていても、ちっとも幸せじゃない」

ふと外側から「私は幸せじゃない」と思ったわけ。
「苦しい」「悔しい」「悲しい」「辛い」なんかの
いうなればマイナスに占められてた私は
自分が幸せかそうじゃないか?
な~んてことは考えたこともなかったんです。

でも私は思ったんですね。
「私は幸せになってもいいのか?」と。

幸せにはなりたいに決まっている。
でも、こんなに嫌われて無視されているような人間が
果たして幸せになってもいいのか?

私なんか、いないほうが喜ぶ人がいるんじゃないか?

で、色々と考えまして。結論としては「いいじゃん」


何で人は生まれてくるのかっつったら、
『不幸になるためじゃないよな。』って思ったんです。
少なくとも不幸になる為に生まれてくる人なんかいるはずないよね。
だったら幸せになるために生まれてくるんじゃない?と。
つーことは、誰にも平等に「幸せになる権利」があるんだなー。と。

でも、誰でも幸せになれるわけでもないですよね。
一生涯を通じていつでも幸せいつでもハッピー。いつまでもハッピー。
そんな人はいるとしてもごくごくわずかでしょう。きっと。。
じゃあ、何でそうなるのか。
なりたくもない病気になる人とか事故にあってしまう人。
心ならずも事件に巻き込まれて命を落とす人もいる。
そういったことはわからないけど、少なくとも、生きている限り
おおよそ自分の努力があれば、幸せは感じられるはず。

ここでいう幸せは、
大金持ちになって何不自由のない生活が出来るとか
見目麗しく異性にモテモテとか
世界征服するとか
そんな大きなことではないけれど・・・

たとえばご飯がおいしいとか。
大好きな人が一緒に笑ってくれるとか
空を見上げたら一番星を見つけたとか
三色アイスでもう一本当るとか

そんなことでもいい。
自分が気をつけてれば感じられるごくごく当たり前のことだって
それだって実は十分に幸せなはず。
そしてそれは、自分が見つけないと、気づかないと
決して手に入れられない種類の幸せ。

どんなにお金があっても見目麗しくっても世界征服しても
自分が自分で見つけなければそれは決して手には入れられない。

幸せの種類はたぶんみんな違う。 そして、不幸の種類も。

私は過去には脳挫傷一歩手前の大怪我をしたし
学校でいじめにもあったし
本当にいろんなことはあったけど。

でも生きてるし、家族(この時点では実家)もいて
寝るところも食べるものもあって
数は少ないけど友人もいる。
今のところ、まだまだ長生きも出来そう。
そして何より、つらいことがあったから
だからこんなこと考えるきっかけが出来た。
幸せになる方法を自分なりに見つけられた。


気づいていない幸せは、実は私も持っていたんですね。
でも、私には見えてなかった。
つらい事があるとついついそこに目を奪われてしまうけど
人生は長くて大きい。そこだけしか見ないのはすごく損なんじゃない?

人はみんな、幸せになるために生まれてくる。
だから幸せになる権利がある。
でも、同時に、幸せになる義務もあって、
それは幸せになるための努力をしなければならない。
と言うことではないのだろうか。と。

むかし、私は雅に「幸せにしてあげる」といったんです。
「私はあなたが好きだから、あなたといると幸せなの。
あなたも私を好きでしょう?だから、私はあなたを幸せに出来る。
あなたが幸せなら私も幸せ。私が幸せだと、あなたも幸せでしょう」

当時若くて恋に浮かれたおポンチパンチでイタイイタイの私には
怖いものがなかったからこんなことが言えたのだけれど
実はこれに近いことは今も思っているんですよ。

幸せは、結局周りの人と一緒に手に入れるもの。
自分の幸せを願わない人とは、ともに幸せになることなど出来ない。
逆に、人の幸せを願わない人も、幸せにはれない。
それは他でもない、本人の責任。
人の幸せとは、与えられるものではなく、自分で気づくもの。
なっていいとか悪いとか資格があるとかないとか、そんなことですらない。

私は「気づくか気づかないか」それだけだと思っているんです。
気づくためにも努力は必要だし、望む幸せが特にあるときは
手に入れるための努力をしなければならない。
それは権利であって義務だ。何度もいうけど、義務なのだ。

与えてもらえる幸せといったら生まれてくることぐらいなモノ。
でも、それだって自分で必死に産道をくぐって出てこなければならない。
努力無しに得られる幸せはない。そして、誰かがいなければ
一人きりで幸せになることも出来ないのだと私は思う。
自分でつかむものであり、しかし、与えられるものでもある。
ギブ&テイク。欲しがるだけではダメなんじゃないかな。

逆境はある。生まれた環境も色々ある。
でも、それは自分が乗り越えるべきものであって
同時に乗り越えられないものでもないはず。
だって、私には「幸せになる権利」があるんだもの。

「大切なのは、今よりもっともっと幸せになること」

そう思ったら、なんだかすごく物事がシンプルに思えて。
実際はそれからの20年間にもたくさんつらいことはあって
正直こんなことは忘れてた時期もありました。
「何で私ばっかり」とか「こんな目にあうなんて世の中不公平だ」
なんてことも思ったり。
今でも時々そんな気持ちになることはあるんです。
修行が足りませんね。

でも、私は幸せになりたい。なっていいはずだ。いや、ならなくっちゃいけない。
そんな三段活用で私は生きてます。
生まれてきたんだから、生きているんだから、幸せにならなくっちゃいけない。
私を好きだと思ってくれる人のために。私が大好きな人のために。
私の場合は親だったり夫だったり子供や友人や、
とにかく大切な人のために私は幸せにならなくっちゃいけない。
権利があれば、義務もある。

だから、私は頑張らなくっちゃいけない。
頑張り続けると人は疲れちゃうから、たまには息抜きもしなくちゃだけど
そうやって頑張ったり休憩したり笑ったり泣いたりしながら
最後の最後の死ぬときに。もしくは死んで魂ってものになったとき
「あぁ、幸せな人生だったな」って思えるように。
残してきた人たちがその時は悲しんだとしても後から私を思い出したときに
「あぁ、あの人がいて楽しかったな」って思ってくれるように。

最後の最後に、きっとご褒美はあると信じて、頑張ろうと思うんです。

♪本日のテーマソング♪
http://hp.kutikomi.net/nutrition/?n=page13






これね、いいのよ。ホントに。
みんなあのチーターの底抜けの明るさと
「何で男みたいな格好なの?」とかって部分に目を奪われすぎ。
(↑それは自分)
歌詞をちゃんと読んで御覧なさいよ。いいこと言ってるよ?
さすがチーター。草原の覇者。(チーター違い)


チーターが言ってるわけじゃないけども。
人生、歩くことをやめちゃダメなのよね。
下がっても転んでもいいけど、歩くことはやめちゃダメ。
歩いてさえいれば、少しでも進めてるんだよね。
時間が経って振り返ると
「こんなに進んでたの?」なんてこともあるよね。

みんなが幸せになるといいなあ。と、ふと思ったわけです。
ウフフ。たまには真剣なことも書きます。





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最終更新日  2007.12.12 20:50:43
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