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<外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名インドネシア共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)64位通貨ルピア1ドル=9,224ルピア(2012年3月16日)国花ムラティ(別名、茉莉花またはジャスミン。香りが強い、小さな花。)国旗&国章上に赤、下に白を配した横二色旗である。デザインはモナコの国旗と全く同一だが、縦横の比率が異なる。インドネシア国内では "Sang Merah Putih" と表記される。Merah Putih が「紅白」を意味し、赤は勇気と情熱を、白は真実と聖なる心をあらわす。Sang はヒンドゥーの神や王、英雄の名前など、尊敬の対象となるものの前に置かれる敬称である。インドネシアの国章は「ガルーダ・パンチャシラ」(Garuda Pancasila)と呼ばれる。これは、胸に盾を抱え、足で巻物を持った金色の神鳥ガルーダである。盾(シールド)にある5つのエンブレムは、インドネシアの建国5原則であるパンチャシラを表す。国の標語ガルーダが掴む巻物に書かれている文字はインドネシアの国の標語である。古いジャワ語の成句である「Bhinneka Tunggal lka」は、文字どおりには「ばらばらであるが、それでもなお一つ」を意味する。つまり「多様性の中の統一」と訳される。面積:平方キロ<1, 922,570平方km日本の5.1倍、JETRO>人口:千人241,030千人人口密度:/平方キロ128人首都ジャカルタ 9,590千人東京からの大気圏距離:5,794km時差:JST-2時間(サマータイム無し)言語インドネシア語宗教イスラム教 88.1%、キリスト教 9.3%(プロテスタント 6.1%、カトリック 3.2%)、ヒンズー教 1.8%、仏教 0.6%、儒教 0.1%、その他 0.1%政体大統領制、共和制元首大統領:スシロ・バンバン・ユドヨノ(三選禁止)→2014.10.ジョコ・ウィドド・ジャカルタ特別州知事が僅差で軍出身候補を破り当選、庶民派⇒2019.4ジョコ・ウィドド大統領再選議会国会地方代表議会政権内閣は大統領の補佐機関であり、大統領が国務大臣の任免権を有する。軍事(1)予算 47.5兆ルピア(2011年予算)(2)兵役 志願制(3)兵力 正規軍約30.2万人(陸軍約23.3, 海軍約4.5, 空軍約2.4)(IISS, Military Balance 2011)主要産業<ネタ帳>製造業(24%):輸送機器(二輪車など),飲食品など<木材製品、セメント、肥料>農林水産業(15%):パーム油,ゴム,米,ココア,キャッサバ,コーヒー豆など商業・ホテル・飲食業(14%)鉱業(12%):LNG,石炭,ニッケル,錫,石油など(2011年)GDP:億ドル 8,466億ドル一人当たりGDP:ドル 3,543ドル実質GDP成長率 6.5%物価上昇率 3.8%失業率 6.6%財政収支/GDP比 ▼1.6%外貨準備高 1,065億ドル経常収支(国際収支) 21億ドル貿易収支(国際収支) 353億ドル貿易額:輸出 2,035億ドル同 :輸入 1,774億ドル貿易品目:輸出石油・ガス20.4%、鉱物性燃料13.5%、動物・植物油10.6%同 :輸入石油・ガス22.9%、一般機械機器13.9%、機械・電機部品11.5%貿易相手国:輸出日本16.6%、中国11.3%、シンガポール9.1%、<EU,米国>同 :輸入中国14.8%、シンガポール14.6%、日本11.0%対日輸出27,160億円337億ドル 内訳石油・天然ガス、機械機器、銅鉱、エビ、天然ゴム、合板等対日輸入 14,123億円 194億ドル 内訳一般機械、電気機器、輸送用機器等直接投資受入額195億ドルうち日本15.2億ドル対外債務残高2,248億ドル主要援助国日本52.5%、豪州11.7%、仏11.5%、米国8.7%、独6.1%日本の援助実績2010年度無償: 37億円有償:439億円技術: 86億円デヴィ・スカルノ夫人:日本生まれでインドネシア国籍の文化人、タレント、コメンテーター。 インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(元大統領の命名:Ratna Sari Dewi Sukarno、サンスクリット語で「宝石の聖なる女神」という意味)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称はデヴィ夫人。インドネシア語(マレー語)・仏語・英語に堪能である。「デヴィ夫人」の愛称で日本のワイドショーやバラエティ番組に出演している。芸能活動以外には、主催チャリティパーティの慈善活動を行っている。大統領夫人時代に親交があった北朝鮮の拉致問題や餓死問題にも活動。日本の拉致被害者援助や120トンの米支援を行っている。 ・・・WIKIPEDIA抜粋
Jul 31, 2012
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インドネシア共和国の基本情報(2011年)略史<外務省>年月略史7世紀後半~スマトラに仏教国スリウィジャヤ王国が勃興。8世紀中部ジャワに、仏教国シャイレンドラ王朝が興り、ボロブドゥール等の有名な仏跡を残す。13世紀イスラム文化・イスラム教の渡来。北スマトラのアチェ地方に最初のイスラム小王国が現れる。ジャワにマジャパイト王国が勃興し、ジャワ以外にも勢力を伸長。1596年オランダの商船隊、西部ジャワのバンテン港に渡来。1602年オランダ、ジャワに東インド会社を設立。1799年オランダ、東インド会社を解散、インドネシアを直接統治下におく。1942年日本軍による占領(~1945年)。1945年8月17日、スカルノ及びハッタがインドネシアの独立を宣言。スカルノが初代大統領に選出。オランダとの間で独立戦争(~1949年)。1949年ハーグ協定によりオランダがインドネシアの独立を承認。1955年バンドンで「アジア・アフリカ会議」開催。1965年軍部と共産党との緊張の高まりを背景に「9月30日事件」が発生。翌1966年3月11日、スカルノ大統領は権限をスハルトに一部委譲。1968年スハルト大統領就任(第2代大統領)。1998年アジア通貨危機をきっかけに、ジャカルタを中心に全国で暴動が発生。民主化運動も拡大し、スハルト大統領は辞任。ハビビ大統領就任(第3代大統領)。1999年住民投票により東ティモールの独立が決定。ワヒッド大統領就任(第4代大統領)。2001年メガワティ大統領就任(第5代大統領)。2004年国民による初の直接投票によりユドヨノが大統領に選出。ユドヨノ大統領就任(第6代大統領)。2005年ヘルシンキ和平合意(独立アチェ運動(GAM)との和平成立)。2009年ユドヨノ大統領再任。
Jul 31, 2012
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リヒテンシュタイン公国の基本事情(2010年)略史<外務省> ヨハン・アダム・アンドレアス公が、1699年、シェレンベルク領(現在の低地部)を、ついで1712年、ファドーツ領(現在の高地部)をそれぞれ購入し、公国の基礎を固める。年月略史1719年神聖ローマ帝国カール6世が両領に対し自治権を付与、リヒテンシュタイン公国に昇格。1852年オーストリアと関税同盟締結。1919年オーストリアが第1次大戦に敗北、ハプスブルク帝国崩壊。 →リヒテンシュタイン、オーストリアとの関税同盟を解消。 1921年憲法制定1923年スイスと関税同盟を締結、スイス・フランの導入。1975年OSCE(欧州安全保障協力機構)加盟1990年国際連合加盟1991年EFTA(欧州自由貿易連合)正式加盟1995年EEA(欧州経済地域)加盟、WTO加盟2003年憲法改正 <外務省、WIKIPEDIAなど>国名リヒテンシュタイン公国通貨スイス・フラン(CHF)(2012年7月現在、1スイスフラン=約81円)国花オレンジリリー国旗青が空を、赤は炉の火を表すとされ、冠は人民と統治者が一体であることを表している。国の標語Für Gott, Fürst und Vaterland(ドイツ語: 神・公・祖国のために)面積:平方キロ:A160平方km小豆島くらい人口:千人:B35千人(2009年末)労働者の約半数はスイス、オーストリアから毎日越境通勤している。人口密度:/平方キロ B/A219人首都ファドーツ(人口5千人)東京からの大気圏距離:9,569km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間民族主としてゲルマン民族(外国人1/3)言語独語宗教カトリック約80%、プロテスタント約8%、イスラム教約5%政体立憲君主制元首ハンス・アダム2世議会一院制政権(1)首相 クラウス・チュッチャー(祖国連合、VU)(2)外相 アウレリア・フリック(進歩市民党、FBP、女性)、VUとFBPの連立政権軍事非武装中立政策外交と同じく、1919年の合意に拠り、スイスが防衛を担当している。独自の軍事力を持たず、100名ほどの警察のみを保有している。主要産業精密機械、牧畜、医療機器、国際金融、切手<タックスヘイブン>GDP:億ドル 54.5億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル GNI 140,468ドル実質GDP成長率 2.2%貿易収支(国際収支)A-B 15.3億ドル貿易額:輸出A 37.5億ドル(2011年)同 :輸入B 22.2億ドル(2011年)対日輸出 6300万ドル(2011年)対日輸入 1000万ドル(2011年) ***世界が羨むリヒテンシュタイン侯爵家秘蔵のコレクション 約140点ついに日本初公開*** 優れた美術品収集こそが一族の栄誉との家訓のもと、 500年以上にわたってヨーロッパ美術の名品を収集。 その数は3万点に及び、英国王室に次ぐ世界最大級 の個人コレクションといわれる。 ルーベンス、ラファエッロ、クラナッハ、レンブラント、 ヴァン・ダイクなど名画あり。 2012年10月3日(水)~12月23日(日・祝) 国立新美術館 2013年1月5日(土) ~ 3月7日(木) 高知県立美術館 2013年3月19日(火)~6月9日(日) 京都市美術館 詳しくは:下記http://www.asahi.com/event/liechtenstein2012-13/news/AIC201206250010.html
Jul 30, 2012
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モナコ公国の基本事情<外務省、WIKIPEDIAなど>略史年月略史1297年グリマルディ家がモナコを占拠1861年モナコ独立1911年モナコ憲法制定1918年フランス・モナコ保護友好条約締結1940年イタリアによる占拠1943年ドイツによる占拠(1956年4月)(モナコ公国レーニエ3世と米国女優グレース・パトリシア・ケリーがモナコ大聖堂で挙式。「クール・ビューティ」の女優から公妃となるが、後に、二女との同乗運転中の自動車事故で自らは死亡。)1962年新憲法採択1993年国連加盟2005年レーニエ3世公死去アルベール2世公(母:グレース・ケリー)即位フランス・モナコ友好協力条約締結 国名モナコ公国通貨ユーロ(EUには加盟していないが、EC(欧州共同体)と通貨協定を締結しユーロを公式通貨として使用)国花カーネーション国旗上下に赤・白で均等に塗り分けられた二色旗。国の標語Deo juvante (ラテン語, With God's help)面積:平方キロ2.02平方kmバチカン市国に次いで世界第2の小国人口:千人35,881人(2009年)人口密度:/平方キロ17,763人首都モナコ市東京からの大気圏距離:9,968km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間言語フランス語(公用語)宗教カトリック(国教)政体立憲君主制元首アルベール2世(2005年即位)王位継承は男子優先の長子相続。議会一院制政権アルベール2世公の下に、政府を代表する国務大臣が任命され、5名の政府顧問(大臣に相当)が国務大臣を補佐する。5名の政府顧問は、対外関係省、財務経済省、内務省、社会問題保健省、設備・環境・都市計画省をそれぞれ所掌する。国務大臣:ミシェル・ロジェ対外関係・国際経済財政担当相:ジョゼ・バディア軍事モナコは警察部隊のみを有し、軍事力を有しておらず仏によって領土の防衛を約束されている。主要産業 観光業、金融業先代の故レーニエ3世公の下では、主に観光業、工業(化学、精密機器等)を中心に発展。現アルベール2世公は経済分野の一層の多様化に向けて、金融業の他、環境、バイオテクノロジーや医療研究等の高付加価値産業を重視。<タックスヘイブン><カジノやGRAND PRIXでも有名>GDP:40億269万ユーロ(2009年)一人当たりGDP:54,464ユーロ(2009年) モナコグランプリ(Monaco Grand Prix)はモナコ公国のモンテカルロ市街地コースで行われるF1のレースのひとつ。インディ500、ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つに数えられ、現在ではF1のイメージリーダーともいえる名物レースとなっている。
Jul 29, 2012
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サンマリノ共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIAなど>略史 4世紀初頭、ローマ皇帝によるキリスト教徒迫害を逃れるため、マリーノという石工がこの地にたてこもり、信徒を集め共同体を作ったのが建国の伝説とされている。中世にも天然の要塞を利用し外敵の侵入を防ぎ、自由と独立を守り続けた。1631年にローマ法王により独立的地位を認められた。1862年にイタリアとの友好善隣条約を結び近代国家としての主権と独立を確立した。国名サンマリノ共和国通貨ユーロ国花アキザキシクラメン国旗青・白地に国章の入った旗。国章は盾の中に、3つの丘に3つの塔が立ったものに、リースと王冠が飾られ、下には「LIBERTAS(自由)」と言う文字が入った帯がある。国の標語Libertas(ラテン語: 自由)面積:平方キロ61.2平方km人口:人31,534人人口密度:/平方キロ515人国の位置イタリア半島の北東部、アペニン山脈の東麓にある世界最古の共和国。首都サンマリノ東京からの大気圏距離:9,698km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間言語イタリア語宗教カトリック教政体共和制元首執政2名。6ヶ月毎に議会の議員の中から互選し、毎年4月1日と10月1日に就任。マウリツィオ・ラッティーニ執政(2012年4月就任)イタロ・リーギ執政(2012年4月就任)議会一院制政権「サンマリノのための協定」連合(連立与党・中道右派)国家評議会。任期は議会の立法期に同じ。首相職はなし。アントネッラ・ムラローニ外務・政務・通信・運輸長官軍事通常の意味での軍隊は存在せず、城塞警備隊、大評議会衛兵憲兵隊及び民兵隊よりなる護衛隊が任務にあたる。主要産業観光、金融、繊維、電気、製陶等<タックスヘイブン>GDP:億ユーロ10億4800万ドル(2004年、WIKIPEDIA)8.16億ユーロ(2009年) 一人当たりGDP:ドル34,600ドル(2001年、WIKIPEDIA)物価上昇率3.0%(2009年)失業率3.7% (2009年)より増加傾向貿易収支(国際収支)A-B4億ユーロ貿易額:輸出A21億ユーロ同 :輸入B17億ユーロ貿易品目:輸出建築用石材、石炭、木材、栗、小麦、ワイン等同 :輸入消費財全般、食料品等貿易相手国:輸出輸出の約85%は対イタリア、東欧、南米、中国、台湾同 :輸入伊、東欧、南米、中国、台湾等対日輸出2.93百万ユーロ対日輸入4.16百万ユーロ
Jul 28, 2012
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アンドラ公国の基本事情<外務省、WIKIPEDIAなど>略史(1)10世紀以来、宗主のウルヘル司教と、司教から封土としてアンドラを与えられていたフォア伯爵との間で統治権をめぐる争いが発生した結果、両者は、1278年に対等の封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を共有する「対等の宗主契約」を結び、以後、両者がアンドラの共同領主となった。(2)共同領主の地位は、司教側で現在に至るまで代々ウルヘル司教に引き継がれているが、フォア伯爵側では当時のフォア伯爵がフランス王(ブルボン朝初代のアンリ4世)として即位して以来、フランス国王に引き継がれ、フランス共和国となった後はフランスの国家元首(大統領)に継承されている。(3)1993年2月には新憲法がアンドラ国会で可決、同年3月住民投票で賛成多数で承認され、アンドラは国家として独立した。フランス及びスペインは1993年6月1日に、アンドラ公国を主権国家として明示的に承認した。ただし、国家元首は引続きフランス大統領とウルヘル司教が共同元首。また、同年7月国連加盟国の全会一致で国連加盟が認められた。国名アンドラ公国通貨ユーロ国旗左側から順に青色、黄色、赤色の三色旗である。中心部に国章を配置している。フランス国旗の青、スペイン国旗の黄、両国共通の赤をとって作ったもの。左上には、赤い地に黄色と白の司教冠と黄色の司教杖が重ねて描かれている。共にアンドラの共同元首であるウルヘル司教を象徴するものである。右上には、黄色の地に赤い3本の線が縦に入っており、アンドラの共同元首であったフランスのフォワ伯爵家の紋章に基づいている。左下では、黄色の地に赤い4本の線が縦に入っている。これは隣接するスペイン、カタルーニャ州の紋章である。右下においては、黄色の地に2頭の赤い牛が描かれている。赤い牛は、角やカウベル、ひづめの部分のみ青く彩色されている。国の標語Virtus Unita Fortior(ラテン語: 「力を合わせれば強くなる」)面積:平方キロ468平方km日本の金沢市並み人口:千人84千人人口密度:/平方キロ179人国の位置ピレネー山中にあり、フランスとスペインに挟まれたミニ国家。首都アンドラ・ラ・ベリャ東京からの大圏距離:10,348km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間 言語カタルニア語(公用語)、スペイン語、ポルトガル語、フランス語宗教国民の大多数がカトリック政体共同元首を擁する議会制共同元首フランス大統領及びウルヘル司教(在スペイン)議会一院制政権2011年5月13日マルティ・プティ民主党内閣発足(1)首相:アントニ・マルティ・プティ(2)外相:ジルベール・サボヤ・スンエ実質的にはフランス大統領がフランス外務省を通じてアンドラの外交権を行使してきた。EUには未加盟。軍事軍隊は保持していない主要産業観光業、サービス産業、タバコ産業タックスヘイブンの国GDP:億ドル37億ドル(2008年)一人当たりGDP:ドル43,975ドル(2008年)貿易額:輸出1.5億ドル(2006年)同 :輸入17.6億ドル(2006年)貿易品目:輸出スペイン、仏、独同 :輸入スペイン、仏、独
Jul 27, 2012
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バチカン市国の基本事情略史<外務省>年月略史64年頃ネロ皇帝の迫害のため殉教したキリストの使徒ペテロが、バチカンの丘に葬られる。349年ペテロの墓の上に、聖ピエトロ聖堂建設。756年カロリング朝ピピンが、ラヴェンナ等の都市をローマ法王に寄進(法王領の始まり。)1870年イタリア軍、法王領に侵入(「ローマ問題」)。1929年イタリアとローマ法王庁との間でラテラノ条約締結(イタリアは、バチカン市国を独立した主権国家として承認) バチカン市国の基本事情<外務省、WIKIPEDIA,その他>国名バチカン市国。ヴァチカンやバティカン、ヴァティカンとも表記される。通貨ユーロ国花マドンナリリー(ニワシロユリ)国旗黄と白の縦二色旗の白部分中央に、国章に近い紋章を配した旗。長方形ではなく正方形。右側には、国章の主な部分である、交差する金と銀の鍵と、冠が描かれている。この鍵は、キリストの使徒、聖ペトロの後継者である教皇の象徴。冠は、「三重冠」と呼ばれる教皇冠で、教皇の権威を象徴している。国の定義ローマ法王及びローマ法王庁(政府に相当)を総称した概念。約11億8千万人とも言われる信者を擁するカトリック教会の最高機関。法王を国家元首とする独立国家たるバチカン市国と、法王を首長として世界のカトリック教会を支配する法王聖座の聖俗両面の総称がバチカンとされている。国の位置などイタリアのローマ市内にある世界最小の主権国家。面積:平方キロ A0.44平方kmこのほか、市国そとの伊領土内に治外法権を有する施設有り。(CF.日本の皇居:1.15平方km)人口:人 B793人バチカン居住権は聖職者も含め、基本的にバチカンで職務についている期間に限って与えられる。また、バチカンの市民権は上記のように職務に対応する特殊な地位であるため、たとえバチカン市国内で出生しても出生地主義による国籍の取得はできない。人口密度:/平方キロ B/A1802人首都バチカン東京からの大気圏距離:9,871km時差:サマータイム JST-7時間 冬時間 JST-8時間言語公用語はラテン語。また、一般に外交用語はフランス語、業務用語はイタリア語。宗教キリスト教(カトリック)政体バチカン市国委員会が統括し、市国政庁が執行。元首ローマ法王(立法、行政、司法の全権を行使)首長:ローマ法王(第265代法王ベネディクト16世、2005年4月24日即位。ドイツ出身。2013.2.28退位で空位) 法王は原則的に終身制であるが、現法王は2013.2.28を以て退位を宣言し、空座になり、シスチーナ礼拝堂で「コンクラーヴェ」(=ラテン語でcum clavi 鍵がかかった意)なる法王の選挙が行われる。 80才未満の枢機卿による選挙で、2/3以上の得票を要し、7度で上位2名の決選投票が許される。選挙が終わるまでは、外部との接触を断たれて、秘密が守られる。被選挙者である法王は枢機卿でなくても信者であれば良いとされる。→2013.3.14新266代・法王:フランチェスコ1世(アルゼンチン出身、ブエノスアイレス大司教、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿、中南米出身者が法王に就くのは初めてで、欧州以外からの法王は1300年ぶり。)議会司教会議が議会に準ずる(世界中の司教の代表の集まり)。政権法王の公務執行中央機関であるローマ法王庁(Curia Romana)が政府に相当する。その最高機関は国務省で、内務省に相当する総務局と外務省に相当する外務局が設置されている。この他に9聖省及び12評議会等が設置されている。(1)首相名 タルチジオ・ベルトーネ国務長官(2)外相名 ドミニク・マンベルティ外務長官軍事<WIKIPEDIA>軍は存在せず、スイス衛兵が法王身辺と法王宮殿を、市国警察がその他の警備に当たる。<バチカン市国は一切の軍事力は保持していない。警察力もスイスからの傭兵である「市国警備員(スイス人衛兵)」がいるものの、基本的にイタリアの警察に依存しているため、「別国」でありながら、実際の警備はイタリア国家警察(Polizia dello Stato)が行っている。テロを警戒してイタリア軍がバチカン一帯の警備を行うこともある。なお、公共に開放されている区域への入国は原則的に自由で、イタリアとの国境の管理や検疫は行われていない。>主要産業主な産業として出版業、モザイク製作歳入は「聖ペトロの献金」(Peter's Pence)として知られる世界中のカトリック信徒からの募金、切手の販売、バチカン美術館の入場料収入、出版物の販売などによるものである。GDP:<WIKIPEDIA>歳入277億円(2003年)歳出290億円歳出A2億3534万ユーロ歳入B2億4519万ユーロA-B 985万ユーロ
Jul 26, 2012
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RD-SX34については、HDDやDVD-RAMに関しては、異常がないが、DVD-RW(DVD-Rはもともと対応していないが)は壊れて反応しない(治らない)。DVD-RAMは機能するが、DVD-RAMは高価なため、安価なDVD-Rを利用できる、RD-s304kを購入したのであった。その新鋭機が、今では、DVD-Rを挿入すると、ギーギーと 軋むような音を立てて今にも壊れそうに感じるくらいだ。今になって、原因が判ったのであるが、説明書に「DVDはそれを利用しないときは必ず取り外しておくこと」と明記しているのだが、小生は、DVDを取り出さずに、いつもトレイに入れたままであったのである。そのために、たえずレコーダーはDVDを意識しており、回転を続け、焼け付きかけていたのであろう。説明書を良く読まないで2台までダメにしかかったのは小生が「機械の扱いに疎かった」のである。家電(メーカー)に故障が多いと言っていたのは、間違いで、「小生の使用の仕方が真逆の扱いであったのであった。」「今からでは、遅かりし」であるが、DVDを取り出して、掃除機などでレコーダーの表面の埃を取り除いて、安静に保ったことで、「ギーギー、ガリガリ」音は小さく、少なくなった。「安静に保つ」とは、録画や、再生について、画面の精度を落として、機械に負担を懸けないようにしたのである。画面は霞んでいるが、今のところは、霞んだなりの再生は可能である。もう少し落ち着いてから、画面の精度を上げてみようかと思う。兎に角、メーカーの仕様が悪くて故障したのではなく、使用者の小生がDVDを取り出さずに放置した「付けがきた」のである。この機械に限らずに、電子機械は埃を集める習性があり、機械の中身は埃だらけである。メーカーは、自分で掃除が出来るように内部を解放できるような、または、自動埃取り装置付にする工夫を考えて貰いたい。さもないと、DVDの回転で熱と静電気が発生して、埃を機械内部にため込むために、故障が多発すると思う。自分の説明書を最後まで(94頁にあった)読まなかった失敗も反省している。RD-s304kの特殊機能のXDEが機能して、不鮮明な画像も シャープ化出来るかもしれないので、息を吹き返せば大丈夫 かも知れない。
Jul 25, 2012
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今日は、火曜日の民間企業社宅付コートをお借りして 奥様達とのテニス会の日である。 着替えて、さあ、コート周りの庭園のお掃除に出かけるかと した時、電話のベルが鳴った。 話しぶりから、「ごめんなさい」、「今日はだめです」という 感じの通告内容である。 なんと、寮生が夏休みに帰省して、コートに自家用車を 置いたままなので、いまから移動が出来ない、という。 寮の管理人が、我々の登場する前に、コートに置いた 自家用車を移動してくれていたが、連絡が旨く出来ずに 帰省した者がいたらしい。 管理人の指示がきちんと通じないらしい。 自家用車の駐車場はコートではなくて、社宅の裏手に あるのだが、いつもコートを利用している輩がいるらしい。 日本では、貴重品として扱われる自動車だけに、 テニスボールボコボコにしては騒動になる。 本日は、雨でも、改修工事でもない、 単なる意図しない悪戯であるが、 われわれのテニスを中止するには充分な「危険物」の 存在である。 今回は、諦めるしかないが、こんなコートの利用は止めにするか 考えるには良い機会である。 ただ、場所は問題であるが、奥様達との 人間関係は捨てがたいものである。 さて、今日は、壊れた電気掃除機事件を顧みる。 この家電メーカーは、社宅付コートをお借りしている、 大手金属メーカーと同系列のメーカーである。 しかし、社宅に行っても、電気機械は、「系列商品」ではないようで、 グループの中での調達はあまり意図していないようである。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 電気掃除機がものすごい音を立てだして参った。 先の回転ブラシを使うのがいつものクセになっているので 床板でも、絨毯でも回転ブラシがゴミを取ってくれていた が、ブラシの回転が停まっているのにガーガー、ギリギリ と悲鳴を上げている。 ブラシを分解して、絡み付いた糸くずなど、おびたただしい 量のゴミを取り出したが、なぜか、床に接した途端に大音響の 騒ぎになる。 小生が、いつも掃除機の点検を行い、絡み付いたゴミを取り除い ていたら、このような故障は起こりにくかったかとも思う。 しかし、すでに、故障は内部の回転モーター・ギヤにも及んでいた のだろう。 電気店が5年間の保証の延長を薦めてくれていたので、 これに入っており、本年末までの保証期間内にある。 メーカーの修理部門に廻ったらしく、「たしかに故障しており、 修理いたしますが、修理しても機械のキーン音は治りませんが、 いいですか?」と、言ってきた。 小生は、「機械のキーン音は購入時にも性能としてあるものなら、 それを了解して購入しているので、修理してくれ」と伝えた。 結局、2週間もかからずに、修理から揚がってきた。 今は、問題なく機能している。 修理代は、保証範囲(購入代金の1年目90%、2年目80%、 3年目70%、4年目60%。5年目50%)であったので、 1円もかからず、また、修理期間の間は、代用品(小型の簡易版) の無償支給も受けられた。 この電気店は、栃木県出のオーナーで、その「安さ日本一」、 「サービス日本一」を実践する、信頼の置ける全国チェーンである。 メーカーは、新製品作りに躍起となるが、「売らんかなの姿勢」が 「顧客サービスに優先する。」 電気店は、顧客に怒られながら、新製品の機能を顧客に解説して、 顧客が使いやすいように、使用方法を工夫し、売り込みを賭ける。 今回も、メーカー側は、設計上での織り込み済みなのか、 「顧客の荒っぽい使用方法や、メンテナンス不足」は、言わない。 小生としても、もっと簡単に、メンテナンスが可能ならば、 分解してゴミを取り出して、故障が起こりにくく対応するのだが、 今の電気機器は、構造が複雑すぎ、ついつい掃除が後回しとなる。 例えば、メーカーは、内部の電子機器を開閉して弄られないように、 「ブロック化部分を多くしており、電子部品にゴミが溜っても、 取り出せない」のである。 販売することに目が向いて、顧客によるメンテナンスが 劣後に置かれているのである。 お掃除ロボットのように、完全に自動化してくれればいいが、 それでは高額商品となるので、中途半端な構造なのである。 今後の、メーカーとしてのあるべきは、ゴミ取り等を完全自動化か、 メンテナンスし易く、故障を防ぎやすい構造にするか、では あるまいか。
Jul 24, 2012
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マルタ共和国略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史紀元前1000年頃レバノンからフェニキア人が渡り支配者となる紀元前400年頃カルタゴの支配、その後ローマ支配。地中海貿易で繁栄870年アラブ人の進攻でイスラム帝国の支配下1127年ノルマン人占拠1479年スペインの支配下1530年聖ヨハネ騎士団(ロードス島を1522年に追われ、後のマルタ騎士団)の所領となる。1565年にオスマン帝国から包囲<1次>されるが、4ヶ月で撃退。首都バレッタは騎士団の団長の名をとったもの。 エジプト遠征中のナポレオンに占領されたが、没落後は英支配下に入り、第二次世界大戦では、枢軸側のマルタ包囲線<2次>を耐えて、ジョージ6世から「ジョージ十字勲章」を授与される。1964年9月21日独立(英連邦に加入)1971年6月~労働党政権1974年12月13日共和制(総督を廃し、大統領制となる)1979年3月31日英軍撤退1987年5月国民党政権1989年12月3日東西冷戦(ヤルタ会談1945年~)がここマルタ会談(ソ連ゴルバチョフ&米国ジョ-ジ・ブッシュ)で終結した。1996年9月労働党政権1998年9月~国民党政権 マルタ共和国<外務省、財務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名マルタ共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)14位通貨ユーロ国花マグルマギク キク(菊)国旗赤・白の縦二色旗。第二次世界大戦中のマルタ国民の勇敢な行動に対してイギリスより贈られたジョージ十字勲章がカントン部分に取り入れられた。国の位置イギリス連邦加盟国である。地中海に浮かぶ島国であり、いわゆるミニ国家のひとつ。面積:平方キロ316平方km淡路島の1/2人口:千人420千人(2011年)人口密度:/平方キロ1,339人首都バレッタ人口約6000人東京からの大気圏距離:10,260km時差:夏時間 JST-7時間 冬時間 JST-8時間 言語マルタ語及び英語が公用語宗教カトリック政体共和制元首ジョージ・アベーラ大統領議会一院制政権国民党単独政権<但し、僅差>首相:ローレンス・ゴンズィ軍事(1)予算 4,500万ドル(2)兵役 志願制(3)兵力 1,954人(ミリタリー・バランス 2010)主要産業製造業(主に、半導体、繊維、造船、船舶修理)、観光<タックスヘイブン>GDP:億ドル81億ドル89億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル19,359ドル21,028ドル実質GDP成長率2.3%2.1% (2011年)物価上昇率4.0%2.4%(2011年)失業率6.9%6.4% (2011年)財政収支/GDP比▼3.0%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.9億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼12億ドル貿易額:輸出A32億ドル同 :輸入B44億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>半導体機器、薬品、コネクター等<機械類、雑貨、薬品>同 :輸入<ネタ帳> 集積回路、石油、航空機・宇宙機器等<機械類、鉱物資源、燃料、食料品>貿易相手国:輸出仏、米、シンガポール、独、英同 :輸入伊、仏、英、独、米対日輸出80億円<91百万ドル・本邦財務省> 内訳魚介類、半導体等電子部品、自動車部品等対日輸入 148億円<165百万ドル・本邦財務省> 内訳船舶、乗用車、ゴム製品等政府総債務残高/GDP70.9%
Jul 23, 2012
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昨夜は、NHKスペシャルで「メルトダウン連鎖」が放映された。 呆けの小生も、別の作業をしながら少しだけ眺めた。 少しだが、臨場感があって息が詰まりそうであった。 大地震の後の、津波により破壊された原発を、 外部電力が枯渇・不足した中で 懸命に維持しようとする、 作業員達は決死の覚悟である。 自分がそこから逃がれる時間的な余裕もないし、 なんとか、原発を制御しないと自分だけでなく、 付近の住民達の生死も左右することになる。 既に原発は、冷却用の水の循環装置が 電力の供給を絶たれているから、 (なんとも不思議に思えたのは、電気回路は水、 特に塩水に弱いのに拘わらず、電気回路が 海水に無防備に晒されたことであるが、・・・・・) 原子炉内の温度上昇が高まっており、爆発に向かっている。 冷却装置自体が長大なパイプで繋がっているものであり、 それ自体が地震・津波で 部分的に壊れているかも知れない。 炉内の水蒸気圧が高まれば炉が破裂する畏れがあり、 燃料棒が露出すれば それ自体が超高温になり炉自体を溶かす、 メルトダウンが起こる可能性もある。 その様な緊迫感の中で、小生が憶えているのは、 1.緊急冷却水供給用ポンプのための電源バッテリーの調達、 2.炉内の水蒸気圧の減圧としてベント(中の空気を塔屋から 排出)する、ベントのための弁の解放<手動、電動>など。 1.緊急冷却用やベント解放のための電力として、外部電力が絶た れているから、12Vの電源バッテリーが大量に必要であるという。 しかし、東電の調達部が用意したのは、何と全て2Vのバッテリーだ。 あわてて、追加的に依頼した12Vものは遂に間に合わなかった。 呆けの小生には、2Vのバッテリーでも6本直列すれば12Vが 得られると思うが、電気音痴にはその程度しか考えられない。 天下の東電なので電気知識はお手の物であり、バッテリーの変圧 操作などの機械は、内部にいくらでもあるだろうに! 自動車のバッテリー(12V)を外して持ってくるよりも、2Vバッテリー の数珠繋ぎ直列方式で代用できないのか?間違っているか? 2.ベントができなかったというが、パイプの中の弁が動かない場合 はパイプを切断したり、あらかじめ、バイパスを作っておかなかった のか?(心臓手術などでも血管のバイパスは常識ではないか?) 3.爆発で放射能が、遠くに拡散できたことで、直接には原発被害 が悲惨な姿に現れなかったとでも、東電は考えているのだろうか。 4.福島原発事故は、「爆発で終了したのではなく」て、今でも、 炉心からメルトダウンした燃料棒は落ち込んだままである。 それは、冷却されているだろうが、膨大な放射能をもち、取り出す 方法すら見いだしてはいない。 その研究には、これから人類の叡智の全てを懸けるしかない。 爆発で、飛び散った放射能も、ホットスポットを各地に作った ままで、その場所を確定し、除染するのは大変な作業である。 首相は、既に解決済みのような姿勢で、休止中の原発を再稼働に 「任命する」。 大臣を任命して、何度も問責されるが、原発は問責できない。 デモに対しては、首相がデモと話し合う前例はないと突っぱねる。 ところで、東電の下請が「線量計(APD)に鉛版、被爆隠し」 という報道が騒がしい。 高い報酬の仕事として、「確率的に危険な環境での仕事」があるが、 「確定的に命まで削っての仕事」では、元も子もない。 まだ、福島第一原発の炉心でメルトダウンした燃料棒が存在し、 それを取り出す手立てが見つからないのに、他の原発を再開する。 他の原発の真下には、直下型地震の畏れの亀裂の有無は不明。 首相の考えは、どこか彼等に似ていないか、心配になる。 なにかに憑かれたような、首相の「早合点(脚注)が続いている」 ようで、・・・・・・・・・ ここらで「一呼吸入れないといけない」のではないだろうか。 「一呼吸」が、「問責や議会解散」であっても仕方がないと思う。 「一命を賭す」というのが、一人の人間でなくて、日本国で あるなら、焦らずに、まずは、「一呼吸を置くべきなのだ」。 五箇条のご誓文でも、主権は国民にあるとして、読み替えて 熟読してもらいたいものである。 <脚注>約束していないのに、 国民のためと、消費増税を自分の 命と引き換える意気込み。 米国はそこまで言っていなくても、日米安保条約があるからオス プレイ配置に異議なし、など。
Jul 22, 2012
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キプロス共和国略史<外務省>年月略史1960年8月16日英国より独立を宣言1974年7月15日ギリシャ軍部指導によるクーデター1974年7月20日トルコ軍キプロス侵攻1983年11月15日トルコ占領地域、一方的に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言・・・キプロス共和国の実効支配地域でない部分が現存する2004年5月1日EU加盟 キプロス共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名キプロス(Cyprus)共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)49位通貨ユーロ(2008年導入)国花オリーブ国旗国土のキプロス島の形が黄色でデザインされている。この黄色は、キプロス特産の銅(主に黄銅)を表し、下の葉は、ギリシャとトルコを表す二本のオリーブの枝であり、民族の平和を表す。キプロスは常に、ギリシャ系とトルコ系の紛争が絶えないこともあり、ギリシャ国旗の青とトルコ国旗の赤は意図的に避けられた。民間においては、この国旗が用いられる事は少なく、ギリシャ系住民はギリシャの国旗を、トルコ系住民はトルコの国旗を用いる事が多い。領土の位置付け キプロス島の一部は、イギリス海外領土のアクロティリおよびデケリア(254平方km)であり、往来は容易であるものの共和国領ではない。さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部36%(3,355平方km)を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国(残り5,641平方km)は国際連合加盟国193ヶ国のうち、192ヶ国(トルコを除く)が国家承認をしている。キプロスは、元来、ギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。面積:平方キロ全島9,251平方kmのうち5,641平方km<A>を実効支配全島は四国の半分程度人口:千人(キプロス共和国人口)803千人820千人(2011年)<B>1974年のトルコ軍による軍事侵攻以降、キプロスは南部のキプロス共和国実効支配地域と北部のトルコ軍実効支配地域とに分かれており、上記人数は前者地域の人口。後者地域の人口については公式な数が不明である。人口密度:/平方キロ実効支配地域では145人となる<B/A>首都ニコシア人口:315千人東京からの大気圏距離:9,068km時差:サマータイムJST-6時間 冬時間 JST-7時間民族(実効支配域以外を含む全島)ギリシャ系(キプロス共和国実効支配地域)、トルコ系(トルコ軍実効支配地域、キプロス北部36%占領・・・当該国でない)、その他(マロン派、アルメニア系等)言語公用語:現代ギリシャ語、トルコ語 (この他、英語が広く用いられている。)宗教ギリシャ正教、回教、その他(マロン派、アルメニア教会等)政体共和国元首(デメトリス・フリストフィアス大統領)→2013.2決戦総選挙・・・・アナスタシアデス大統領<民主運動党DISY党首>(大統領制、大統領は元首兼行政の長、任期5年)議会一院制政権キプロス問題を巡る立場の相違によりDIKOが連立を離脱し、AKEL及び無所属による改造内閣が樹立。→2013.2大統領選挙で民主運動党党首・アナスタシアデス大統領<行政の長兼務>となったばかり軍事1)予算 376百万ドル(2010年)(2)兵役 徴兵制24か月(3)兵力 国家守備隊10,000人(出典:2011年ミリタリー・バランス)主要産業観光業(毎年200万人超)、金融業、海運業<タックスヘイブン>天然ガス埋蔵量:60兆立方フィート(キプロス~イスラエルの海盆)1つの鉱区だけでも800億ドル相当が確認GDP:億ドル232億ドル250億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル28,854ドル30,571ドル(2011年)実質GDP成長率1%0.5% (2011年)物価上昇率2.5%3.5% (2011年)失業率6.4%7.8% (2011年)財政収支/GDP比▼6.5% (2011年) 経常収支(国際収支)▼21.1億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)▼70億ドル貿易額:輸出14億ドル同 :輸入84億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>医薬品、電子部品、有機化学材料<衣料・付属品、果実・野菜、薬品>同 :輸入<ネタ帳>石油、石油製品、機械類、電気製品<石油、石油製品、機械類、化学品>貿易相手国:輸出<ネタ帳>ギリシャ、独、英、伊、露<英、ギリシャ、露、UAE,レバノン>同 :輸入<ネタ帳>ギリシャ、伊、独、英、イスラエル<英、米、伊、ギリシャ、独>対日輸出1.2億円1.4百万ドル 内訳ジュース類(果物及び野菜)、フルーツ缶、機械類対日輸入178億円206.3百万ドル 内訳乗用自動車及び部品、機械類、タイヤ政府総債務残高/GDP71.8%
Jul 21, 2012
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タジキスタン共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名タジキスタン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)94位通貨ソモニ(Somoni)1ドル=約4.76ソモニ(2012年2月現在)国旗赤・白・緑の三色旗。赤と緑に比べて白の帯の幅が長い。中心には、七つの星と王冠があしらわれている。赤は国家統合の象徴、白は産出される綿と、国民統合の象徴、緑は国土の自然の象徴である。面積:平方キロ143,100平方km日本の40%人口:千人7,850千人(2011年)人口密度:/平方キロ55人首都ドゥシャンベ(Dushanbe)東京からの大気圏距離:6146km時差:JST-4時間サマータイムなし民族タジク系79.9%、ウズベク系17.0%、キルギス系1.3%、ロシア系1.0%、その他0.8%言語公用語はタジク語。ロシア語も広く使われている。宗教タジク人の中ではイスラム教スンニ派が最も優勢。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い。政体共和制元首エマムアリ・ラフモン大統領議会二院制政権与党人民民主党首相 アキル・アキロフ軍事総兵力8,800人(陸軍7,300人、空軍1,500人)準兵力7,500人インド軍、ロシア陸軍が駐留(ミリタリー・バランス2011)主要産業農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電GDP:億ドル56億ドル65億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル734ドル831ドル (2011年)実質GDP成長率6.5%7.4%(2011年)物価上昇率6.5%12.4% (2011年)失業率2.3%財政収支/GDP比▼2.1% (2011年)経常収支(国際収支)▼1.5億ドル (2011年)貿易収支(国際収支)▼15億ドル貿易額:輸出12億ドル同 :輸入27億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>非貴金属(主にアルミニウム)、繊維・繊維製品(主に綿花・綿花製品)、輸送機関・車両・設備、鉱物、植物製品<アルミニウム、電力、綿繊維>同 :輸入<ネタ帳>鉱物(主にボーキサイト)、輸送機関・車両・設備、化学製品、植物製品、非貴金属、食料加工品<電力、石油製品、アルミニウム酸化物、機械設備、食料品>貿易相手国:輸出中国、トルコ、露、ウズベキスタン、イラン、チェコ、蘭同 :輸入露、カザフスタン、中国、ウズベキスタン、ウクライナ、アラブ首長国連邦、トルクメニスタン、トルコ対日輸出10.4億円(2011年) 内訳非鉄金属等対日輸入0.7億円 (2011年) 内訳自動車、化学製品等政府総債務残高/GDP35.4%日本の援助実績有償:なし無償:157億円技術: 41億円
Jul 20, 2012
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タジキスタンの基本事情略史<外務省>年月略史紀元前4世紀アレクサンドロス大王により制圧紀元前250頃グレコ・バクトリア王国成立1~3世紀クシャーン朝による支配6世紀中頃~テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる7世紀ソグド人の活動が最盛期に8世紀以降アラブ勢力の侵入、土着のイラン系住民がイスラーム教を受容。テュルク系諸民族がこれらイラン系住民をタジクと呼ぶようになる9世紀後半~10世紀イラン系のサーマーン朝成立(文芸・学問の発展)13世紀モンゴル帝国の支配14世紀後半~15世紀ティムール帝国の支配16世紀シャイバーン朝の支配18~19世紀ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配1860年代現在のタジキスタン北部がロシア帝国に併合1890年代パミール地方の大部分がロシア帝国に併合1924年中央アジアの民族・共和国境界画定により、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内にタジク自治ソヴィエト社会主義共和国が成立1929年ウズベク共和国から分離し、タジク・ソヴィエト社会主義共和国に昇格1990年2月ドゥシャンベ事件(アルメニア難民移住への抗議行動を契機とする騒乱事件)1990年8月23日共和国主権宣言1991年8月31日国名を「タジキスタン共和国」に変更1991年9月9日共和国独立宣言1992年5月タジキスタン内戦状態に1992年11月19日ラフモノフ最高会議議長就任1994年11月6日ラフモノフ大統領選出1997年6月27日タジキスタン内戦の最終和平合意成立1999年11月6日ラフモノフ大統領再選2006年11月6日ラフモノフ大統領再選
Jul 20, 2012
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オスプレイとヘリコプターについて6月19日に感想を記載した。 詳しくは、その日記を改めたので見て欲しい。 呆けなりの要点。 1.現在のオスプレイは、主翼を動かさないままで、プロペラ& エンジン部分を上に回転させて、双発のままで上昇させている。 そのために、低速時に二つのプロペラの力の均衡が保ちがたい。 2.呆けの素人考えでは、高速持久力を望む上では、双発は 是非必要であるが、低速時には、二つのプロペラでは浮力を 競い合うので、低速・ホバリング時にはプロペラは一つの 「タケコプター」に改造するべきではと思う。 その方法を呆けが考える。 1.主力「タケコプター」とする(例えば右翼)プロペラ・エンジン 部分を持つ右翼先端を大きく真上に持ち上げながら、 そのプロペラが 機体の真上に来て、水平となるようにする(揚力主導)。 他方(左翼)のエンジン・プロペラは停止させながら、機体の 斜め後ろ30度位上方に翼を移動させて、垂直・オートジャイロ 低速回転をさせる。 左翼が後ろに来る前に、機体は少し沈み込みプロペラが地面 に当たらないように、車輪などに余裕をあたえる。 つまり、大きく羽を広げる姿ではなくて、タケコプターの 羽根を真上に高く広げたら、もう一つの羽根を姿勢制御 だけに使用する姿に変身すればどうだろう。 これでは、当初、空中での変身は難しいかも知れないが、 機能上は可能であり、訓練次第では空中での離れ業も 可能かも知れない。 機体に過度の変形を空中で期待するよりも、まずは、 その機能を順次に発揮していくことで十分ではないだろうか。 オスプレイの飛行は、現状では双発の場合は「水平飛行」 という、プロペラを前進のみに限定する飛行に日米間で 協議して、とりあえずの安全を図るべきである。 そして、双発ヘリ飛行については、安全性と、改造が図られたら 許可する(ただし、戦時体制となるとこの限りではない)ことで、 一件落着とならないものだろうか。 呆け呆けの頭でも、危ないように思うのだから、 オスプレイの使用を、 改造の無い場合は、 当面は、ホバリング飛行を空港内、 市街地などでは原則禁止し、 通常の水平飛行に限定することならば、 沖縄でも受け入れると思う次第。 訓練は、当面は、海上での 限定訓練として、改造を 急ぐべきであろう。 P.S. 岩国基地にオスプレイが陸揚げされて、大型運搬船の 中から、「翼を胴体の上に回転させて同軸とし、プロペラ 3本を一つにまとめ上げ、見事にコンパクトに、折りたたま れた姿を見せてくれた。 呆けには、双発エンジンの位置が見えなかったが、胴体に ぶつからないように、格納されていたのだろう。 このように、変身できるのであるから、格納された機体で 考えると、翼の中心より前方の半翼の先端を90度上げて、 プロペラを水平にする。 当然、プロペラは、エンジンと共に、翼の前面から、側面に スライドして、頂点で回転するようにして、エンジンと翼の 距離を保つ。 もう一つの、格納した翼は動かさない(または、姿勢制御 のために、30度以内に翼を傾けて動かすが、多分、プロ ペラが大きすぎて、邪魔になるだろう)。 尾翼から姿勢制御等用のプロペラを引き出して利用する。 (上記の二つの翼は、互換性があるとおもう。) 素人考えだが、胴体の真上で1本のプロペラが回転する 方が、猛烈な砂塵が地面に直接当たることが少ないので 操縦機能上も良いように思う。 さらに、現行の通常双発ヘリコプターとの類似点では、 飛行機のような形ではなくて、胴体の上でプロペラは 回転しているのだから、むしろ、胴体に平行してプロペラ を配置できないかと思う。 あたらしいオスプレイの形式としては、 水平飛行時には、双発飛行<飛行機の形>とする。 ただし、ホバリング時はヘリコプターの形とし、次の 2つの形に変形する。 1.単独プロペラの「竹とんぼ型」に変身 2.胴体の上に双発のプロペラを付ける形に変身 (翼をスライドして前後に広げる機能を付加する。) どちらでも、可能と思うが、より安全なものを選択する。 以上は、岩国基地の映像を見た後の、呆けの空想である。 New P.S. 上記の双発ヘリ変身について、簡単にできそうである。 双発ヘリというと、今のオスプレイ型ヘリでなく、 通常双発ヘリに近い形に変身できないか、である。 今、岩国基地で、空にプロペラを振り上げているものを、 そのまま、翼を胴体中心に対して90度回転させて、 翼を胴体の真上に位置させることで、 通常の双発ヘリ型に変身させる のは、割と容易いのではないだろうか。 そうすれば、通常の双発ヘリは問題なく飛行している のだから、問題点は見つけやすいと思う。 航空力学を知らない、素人考えでも、プロペラの下に 胴体があるので、砂塵の巻き上がりは少なく、 浮力も安定化できるのではなかろうか。 すでに、翼を胴体の真上にスライドさせる機能を 具備しているので、変身は今の機能の範囲であろう。 あとは、日米の取り決め方だけであり、 平和時には: 「長距離飛行には通常飛行機型」、 「ホバリング時には胴体の上でプロペラ を回転させる双発ヘリ型」と取り決めておき、 ただ、 戦時には:オプションとしてどのように使用するかは、 目的が、最大の武器・戦力の発揮であるから、 司令官の判断に委ねられるとおもう。 戦時モードの訓練だけは、海上で行って貰うこと が、両国民の安寧や安全や協調を考えると自然では なかろうか、と思う。 呆け頭なので、纏まらない。
Jul 19, 2012
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キルギス共和国の基本情報(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名キルギス(キルギスタン)<渡航危険情報あり>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)65位通貨ソム(Som)1ドル=46.90ソム(2011年2月10日現在)国の位置北から時計回りにカザフスタン、中華人民共和国、タジキスタン、ウズベキスタンと国境を接する。日本人の俗説当国には、「キルギス人と日本人は昔、兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は日本人となった。」という俗説がある。国旗赤地に黄色の太陽を描いた旗。太陽は40本の光条を放ち、内部には円形のシンボルが描かれる。キルギス人など遊牧民の伝統的なテント式家屋(キルギスではユルトと呼ぶ)の頂部にある構造 を表したもので、祖国や宇宙を象徴する。国花綿(Cotton)面積:平方キロ198,500平方km日本の1/2人口:千人 5,400千人人口密度:/平方キロ 27人首都ビシュケク(Bishkek)東京からの大気圏距離:5533km時差:JST-3時間民族キルギス系75%、ウズベク系14.3%、ロシア系7.2%、ドウンガン系1.1%、ウクライナ系0.3%、その他ウイグル系、タタール系など言語キルギス語が国語。(ロシア語は公用語)宗教主としてイスラム教スンニ派75%、ロシア正教20%、その他5%政体共和制元首アルマズベク・アタムバエフ大統領議会一院制政権社会民主党、共和国党及び「アタ・ジュルト党」による連立政権首相 (オルムベク・ババノフ辞任2012.9.6) →ジャントロ・サトゥィバルディエフ(1)ロシアとの良好な関係維持を重視(特に安全保障面、貿易等経済面で、密接な関係を有する)しつつ、中国や米国といった大国の中でのバランス外交を標榜。(2)CISの枠内で、1996年3月にロシア、ベラルーシ及びカザフスタンと関税同盟条約及び統合強化条約を締結(両条約には後にタジキスタンが参加)。関税同盟は後にユーラシア経済共同体に発展。上海協力機構(2007年議長国、同年8月ビシュケクにおいて首脳会合開催)、CIS集団安全保障条約機構(2008年議長国、同年10月ビシュケクにおいて首脳会合開催)等にも積極的に参加。(3)1998年10月、同国はCIS諸国で初のWTO(世界貿易機関)加盟国となった。軍事総兵力10,900人(陸軍8,500人、空軍2,400人)準兵力9,500人(ミリタリー・バランス2011)露空軍が駐留している(カント基地)主要産業農業・畜産業(GDPの約3割)、鉱業(金採掘):主要産業は農業及び牧畜業(GDPの約3割)、農畜産物を加工する食品加工業、金採掘を中心とする鉱業である。エネルギー資源には恵まれていないが、水資源が豊富。GDP:億ドル 46億ドル 59億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル 843ドル 1070ドル (2011年)実質GDP成長率▼ 1.4% 5.7% (2011年)物価上昇率 7.8% 16.6% (2011年)失業率 8.4% (2009年) 7.9% (2011年)財政収支/GDP比 ▼4.8% (2011年)累積債務問題推定20億ドルGDPの90%<政府総債務残高/GNP比 52.4%>経常収支(国際収支)▼1.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼15億ドル貿易額:輸出A15億ドル同 :輸入B30億ドル貿易品目:輸出<ネタ帳>貴金属・真珠・宝石、化学製品、鉱物製品、繊維製品、野菜・果物:<綿繊維、毛、肉類、タバコ、金、水銀>同 :輸入<ネタ帳> 鉱物製品、機械設備、化学製品、運輸関連製品、食料:<石油、ガス、機械設備、化学製品、食料品>貿易相手国:輸出スイス、露、ウズベキスタン、カザフスタン、UAE同 :輸入露、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、米国対日輸出 2億円 内訳アルミニウム及び、同合金対日輸入 64億円 内訳機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械日本の援助実績有償:257億円無償:146億円技術:111億円
Jul 19, 2012
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キルギス共和国略史<外務省>年月略史17~18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行18世紀後半~19世紀前半コーカンド・ハン国による支配1855年~1876年ロシア帝国に併合1918年ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる1924年中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる1926年2月キルギス自治ソヴィエト社会主義共和国成立1936年ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格1990年6月オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突)1990年10月アカーエフ大統領就任1990年12年12日「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言1991年8月31日共和国独立宣言1993年5月国名を「キルギス共和国」に変更2005年4月政変によりアカーエフ大統領辞任2005年7月バキーエフ大統領当選2009年7月バキーエフ大統領再選2010年4月政変によりバキーエフ大統領辞任2010年6月南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突2010年6月国民投票により、新憲法採択2010年7月3日オトゥンバエヴァ大統領就任2010年10月10日議会選挙実施2010年12月連立与党結成・新内閣発足2011年12月アタムバエフ大統領就任
Jul 19, 2012
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トルクメニスタン共和国 略史<外務省>年月略史8~10世紀頃トルクメン民族の起源とされるオグズ族が、アラル海付近のステップ地帯を中心に中央アジア地域に展開10世紀イスラム教に改宗したオグズ族の他称としてトルクマーンが使用されるようになった11世紀~12世紀頃テュルク系セルジューク朝の下、各地で軍事的な主力として活躍14世紀~16世紀現在のトルクメン諸部族の形成が進む16世紀~19世紀ヒヴァ・ハン国やブハラ・アミール国の下、現在のトルクメニスタン領オアシス地域に徐々に定着。半農半牧の生活に移行1869年帝政ロシアがカスピ海東岸に侵攻し、クラスノヴォツク(現トルクメンバシ)の礎を築く1881年ギョクデペの戦い(帝政ロシア軍の侵攻に対する熾烈な抗戦)1885年帝政ロシアがトルクメン諸部族のほとんどを支配下に1924年ソ連の民族共和国境界画定によりトルクメン・ソヴィエト社会主義共和国が成立1990年8月22日共和国主権宣言1990年10月27日ニヤゾフ大統領就任1991年10月27日共和国独立宣言1992年5月16日共和国憲法採択1995年12月国連総会において「永世中立国」として承認される1999年12月28日議会の全会一致によりニヤゾフ大統領が終身大統領に2006年12月21日ニヤゾフ大統領死去2007年2月14日ベルディムハメドフ現大統領就任トルクメニスタン共和国の基本事情(2010年) <外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名トルクメニスタン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)171位通貨マナト(Manat)1ドル=2.85マナト(2012年2月9日現在、固定レート)国旗白の三日月と5つの星を配する緑色旗である。旗竿側に絨毯文様のある赤色の帯があることが特徴的であり、世界で最も複雑な国旗と形容されることがある。5つの星は、トルクメニスタンの5つの州を象徴する。国の位置カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。西側でカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。面積:平方キロ488000平方km日本の1.3倍人口:千人5,100千人人口密度:/平方キロ10人<砂漠を除くと7倍>首都アシガバット(アシガバート)東京からの大気圏距離:7008km時差:JST-4時間(サマータイム無し)民族トルクメン系81%、ウズベク系9%、ロシア系3.5%、カザフ系1.9%、その他アゼルバイジャン系、タタール系など言語公用語はトルクメン語(テュルク諸語に属し、トルコ(共和国)語やアゼルバイジャン語に近い)。ロシア語も広く流用。宗教主としてイスラム教スンニ派政体共和制元首グルバングルィ・ベルディムハメドフ大統領議会一院制政権(1) 首相 (制度上存在しない)(2)外相 ラシッド・メレドフ(副首相兼任)1995 年12月の国連総会では、同国の「永世中立国」としての地位が認められている。軍事総兵力22,000人(陸軍18,500人、海軍500人、空軍3,000人)(ミリタリー・バランス2012)主要産業鉱業(天然ガス・石油など)、農業(綿花)、牧畜GDP:億ドル200億ドル257億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 5006ドル4658ドル(2011年)実質GDP成長率9.2%14.7%(2011年)物価上昇率4.5%5.8%(2011年)失業率 60% (2009年)財政収支/GDP比3.5%(2011年)外貨準備高36億ドル(2007年推定)経常収支(国際収支)4.7億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B15億ドル貿易額:輸出A97億ドル同 :輸入B82億ドル貿易品目:輸出天然ガス、石油、石油製品、織物、綿繊維同 :輸入生産技術プラント、電気機器、機械装置、原料・資材、消費財(非食料品)、輸送機器貿易相手国:輸出ウクライナ、イラン、トルコ同 :輸入UAE、露、トルコ、中国、ウクライナ、イラン、独、米国対日輸出0.6億円(2011年) 内訳美術品・収集品及び骨董対日輸入 216億円 (2011年) 内訳建設用・鉱山用機械・鋼管政府総債務残高/GDP15.4%日本の援助実績有償:45億円無償: 7億円技術: 8億円 <海外渡航危険情報の抜粋>・・外務省 1.中央アジア5カ国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン)において、外国人に対する誘拐の脅威があります。2.特にキルギスにおいては、過去に邦人が誘拐された事件が発生しています。3.つきましては、中央アジア5カ国に渡航、滞在を予定されている方は、現地の情勢に基づいて、その渡航の是非を検討し、不要不急の場合は渡航を延期することも含め、万全の安全対策をとるようお勧めします。また、すでに現地に滞在されている方は、下記の点等自らの行動には十分注意するとともに、不審な情報がありましたら、現地の日本国大使館に速やかにご連絡願います。
Jul 18, 2012
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ウズベキスタン共和国略史<外務省>年月略史紀元前4世紀アレクサンドロス大王により制圧紀元前250年頃グレコ・バクトリア王国成立1~3世紀クシャーン朝による支配6世紀中頃~テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる7世紀ソグド人の活動が最盛期に8世紀以降アラブ勢力の侵入、イスラーム教の受容9世紀後半~10世紀サーマーン朝成立(文芸・学問の発展)13世紀モンゴル帝国の支配14世紀後半~15世紀ティムール帝国(首都サマルカンド)成立15世紀末~16世紀遊牧ウズベク集団の侵入、シャイバーン朝の成立18~19世紀ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配1860年~1970年代ロシア帝国による中央アジア征服1867年ロシア帝国、タシケントにトルキスタン総督府を設置し、植民地統治を開始1918年ロシア連邦共和国の一部としてトルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国成立1920年ブハラ人民ソヴィエト共和国、ホラズム人民ソヴィエト共和国成立1924年中央アジアの民族・共和国境界画定によりウズベク・ソヴィエト社会主義共和国成立1989年6月フェルガナ事件(ウズベク人とメスフ人の民族間衝突)1990年3月カリモフ大統領就任1990年6月20日共和国主権宣言1991年8月31日共和国独立宣言、「ウズベキスタン共和国」に国名変更1992年12月カリモフ大統領再選1995年3月国民投票によってカリモフ大統領の任期延長2000年1月カリモフ大統領再選2005年5月アンディジャン事件2007年12月カリモフ大統領再選 ウズベキスタンの基本事情(2010年)<外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ウズベキスタン共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)80位通貨スム(Sum)1ドル=1,731.63スム(2011年10月現在)国旗上の空色の帯は、青天と純水の象徴である。この色は、かつてティムールも自軍の旗に選んでいる。白色は、平和と純粋さの象徴である。下の緑色は、天恵の自然の具現である。各色の間には、赤色の細い帯が走り、生命力を象徴している。上部の空色の帯状には、晴天を象徴する三日月と12個の星が描かれている。三日月は、イスラムとウズベク人の伝統に基づいている。12個の星が選ばれたのは、12という数字が完全性の象徴だと考えられているからである。面積:平方キロ447400平方km(外務省)人口:千人27,800千人(外務省)人口密度:/平方キロ62人国の位置北にカザフスタン、南にトルクメニスタンとアフガニスタン、東でタジキスタン、キルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。首都タシケント人口2,220千人 主要民族ウズベク系78.4%、ロシア系4.6%、タジク系4.8%、タタール系1.2%言語ウズベク語(公用語)、ロシア語宗教イスラム教スンニ派政体共和制元首・大統領イスラム・カリモフ大統領(逝去)→シャフカト・ミルジョエフ2016.9.8(代行から12月選挙で、国民復興民主党)議会二院制政権大統領を補佐する役職の副大統領を廃止して首相職首相 シャフカト・ミルジョエフ→?自由民主党が第1党を維持<イスラム急進派の活動を禁止>軍事総兵力67,000人(陸軍50,000人、空軍17,000人)、準兵力20,000人独軍が駐留(ミリタリー・バランス2012年)主要産業綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス<主要産業は綿花栽培。また、天然資源にも恵まれ、天然ガス、ウラン、金などが豊富。>GDP:億ドル390億ドル435億ドル(2011年) 一人当たりGDP:ドル1199ドル 1572ドル (2011年)実質GDP成長率8.1% (2009年)8.3% (2011年)物価上昇率7.3%7.6% (2011年)失業率1.0% (2009年)財政収支/GDP比 7.5% (2011年)外貨準備高111.5億ドル(2009年)経常収支(国際収支) 23.0億ドル26.2億ドル (2011年)貿易収支(国際収支)A-B<国家統計委員会> 27.7億ドル<42億ドル>45億ドル(2011年)貿易額:輸出A<国家統計委員会><130億ドル>150億ドル(2011年)同 :輸入B<国家統計委員会>< 88億ドル>105億ドル(2011年)貿易品目:輸出<国家統計委員会>エネルギー製品24.8%、綿繊維11.3%、食料品9.7%、サービス9.1%、鉄鋼非鉄金属6.8%、機械設備5.5%、化学品・プラスチック製品5.1%同 :輸入<国家統計委員会>機械設備44.1%、化学品・プラスチック製品14.3%、食料品10.9%、鉄鋼非鉄金属8.4%、エネルギー製品6.0%、サービス4.7%貿易相手国:輸出<国家統計委員会>露34.0%、中国6.9%、カザフスタン6.5%、トルコ5.5%、アフガニスタン5.1%,イラン4.4%,ウクライナ1.3%同 :輸入<国家統計委員会>露22.0%,韓国16.6%,中国13.5%,カザフスタン10.9%,独4.9%,ウクライナ4.3%,トルコ2.7%,ブラジル2.6%,伊1.5%対日輸出<国家統計委員会><16.5百万ドル>172百万ドル・・日本通関統計0.5億ドル(2011年)39億円(2011年) 内訳金(99.1%、綿織物など)対日輸入<国家統計委員会> <105.9百万ドル> 77百万ドル・・日本通関統計1.3億ドル(2011年) 190億円(2011年) 内訳自動車(53.4%)、ゴム製品(17.3%)、繊維機械(6.8%)直接投資受入額8.2億ドル対外債務残高40億ドル(2009年)日本の経済協力 日本は1~2位有償:1250億円無償: 215億円技術: 130億円政府総債務残高対GDP比9.1%
Jul 17, 2012
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カザフスタン共和国の基本情報(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名カザフスタン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)101位通貨テンゲ(Tenge)1ドル=148.08テンゲ(2011年10月現在)国花チューリップ国旗青地は空、中央の黄は32本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ステップ・イーグル)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様である。この青地はまた、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴している。中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとこの地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表している。面積:平方キロ2,724,900平方キロ日本の7倍。旧ソ連ではロシアに次ぐ。人口:千人16,020千人人口密度:/平方キロ6人首都アスタナ(旧アクモラ)故黒川紀章氏設計1997年12月アルマティより遷都東京からの大気圏距離:5569km日本との時差:JST-3(サマータイムなし)[西部都市のアクトベ市との時差:JST-4] 民族カザフ系63.1%,ロシア系23.7%,ウズベク系2.9%,ウクライナ系2.1%,ウイグル系1.4%,タタール系1.3%,独系1.1%言語カザフ語が国語。ロシア語は公用語。宗教イスラム教70.2%,ロシア正教26.2%政体共和制元首ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領議会二院制政権与党「ヌル・オタン」(首相) カリム・マシモフ →大統領から解任された2016.9.8露との良好な関係維持。中国、米、EU,日本とも良好な関係維持。軍事総兵力49,000人(陸軍30,000人、海軍3,000人、空軍12,000人、その他4,000人)、準兵力31,500人(ミリタリー・バランス2012)主要産業鉱業、農業、冶金・金属加工石油、天然ガスなどのエネルギー資源、鉱物資源(レアメタル、ウラン、クロム、亜鉛)に恵まれた資源大国。GDP:億ドル1,384億ドル1,783億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル8,883ドル10,694ドル (2011年)実質GDP成長率7.0%7.5% (2011年)物価上昇率7.4%8.3% (2011年)失業率5.8%5.4% (2011年)財政収支/GDP比5.8% (2011年)外貨準備高190億ドル(2008年2月)経常収支(国際収支)136億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B177億ドル貿易額:輸出A476億ドル同 :輸入B299億ドル貿易品目:輸出石油、石油製品、無機化学品、貴金属、有機・無機化合物同 :輸入機械設備、食料品、鉄鋼、鋳鉄製管、中空形材、石油、石油製品、自動車貿易相手国:輸出伊、中国、露、仏、蘭同 :輸入露、中国、ウクライナ、独、伊対日輸出607億円 内訳合金鉄対日輸入271億円 内訳自動車、鋼管、建設用・鉱山用機械政府純債務残高/GDP▼13.6%日本の経済援助有償:951億円無償: 62億円技術:123億円
Jul 16, 2012
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カザフスタン共和国の基本事情(その1)略史<外務省>年月略史14世紀頃まで現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着15世紀後半遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立18世紀初ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化18世紀初大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂1730年代カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従18世紀中頃清朝にも朝貢1820年代までロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める1837年~1847年ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)1850年~1860年代カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)1920年ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)1924年中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更1925年首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更1929年首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転1936年ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格1986年12月1日アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)1990年4月24日ナザルバエフ大統領就任1990年10月25日共和国主権宣言1991月12月1日ナザルバエフ大統領再選1991年12月10日国名を「カザフスタン共和国」に変更1991年12月16日共和国独立宣言1997年12月10日首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転1999年1月10日ナザルバエフ大統領再選2005年12月ナザルバエフ大統領再選2011年4月ナザルバエフ大統領再選
Jul 16, 2012
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<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名アゼルバイジャン幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)144位通貨マナト(Manat)1ドル=0.79マナト(2012年2月現在)国旗(上から)青、赤、緑の横三色、赤部分の中央に三日月と八角星を配した旗。八角星の八本の光は8グループのテュルク系諸民族を象徴している。青はテュルク人の色、緑はイスラム教の色、赤は進歩を示す。国の位置カフカス山脈の南、カスピ海の西南岸に位置する西アジアの一地方。面積:平方キロ86,600平方km北海道よりやや大人口:千人9,300千人人口密度:/平方キロ107人首都バクー東京からの大気圏距離:7536km夏時間:JST-4時間冬時間:JST-5時間民族アゼルバイジャン系90.6%,レズギ系2.2%,ロシア系1.8%,アルメニア系1.5%言語公用語アゼルバイジャン語宗教主としてイスラム教シーア派政体共和制元首イルハム・アリエフ大統領議会一院制政権与党「新アゼルバイジャン党」首相 アルトゥール・ラシザデ米露とのバランスを考慮しつつ、伝統的友好国のトルコ、アゼルバイジャン人が多く住むイランとも等距離善隣外交を継続。外交上の最大の課題は、アルメニアとの間のナゴルノ・カラバフ紛争。1994年に停戦合意し、米・仏・露の仲介により和平交渉が断絶的に行われているが、解決の見通しは不透明。軍事総兵力66,940人(陸軍56,840人、海軍2,200人、空軍7,900人)、準兵力15,000人。ブルガリア軍(OSCE)、ハンガリー軍(OSCE)、リトアニア軍(OSCE)、ポーランド軍(OSCE)、英国軍(OSCE)が駐留(ミリタリー・バランス2012年)主要産業石油・天然ガス、石油製品、鉄鉱等、農業GDP:億ドル544億ドル623億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル6008ドル6832ドル(2011年)実質GDP成長率5.0%0.1% (2011年)物価上昇率5.7%7.9% (2011年)失業率6.0%6.1% (2011年)財政収支/GDP比13.3% (2011年)外貨準備高40億ドル(2007年)経常収支(国際収支)164億ドル貿易収支(国際収支)148億ドル貿易額:輸出214億ドル同 :輸入 66億ドル貿易品目:輸出原油、石油製品、天然ガス、灯油同 :輸入機械、電気製品、食品類、鉄製品貿易相手国:輸出伊、仏、イスラエル、米国、ウクライナ同 :輸入露、トルコ、独、中国、ウクライナ対日輸出0.6億円 内訳石油及び同製品対日輸入 69億円 内訳機械類及び輸送用機器、鉄鋼日本の援助実績(累積)有償:1012億円無償: 82億円技術: 29億円政府総債務残高/GDP10.2%
Jul 15, 2012
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アゼルバイジャン共和国(その1)略史<外務省>年月略史紀元前6~4世紀カフカース・アルバニア王国3~7世紀サーサーン朝ペルシアの支配7~10世紀アラブの支配11世紀~トルコ系諸民族の大量流入11~13世紀セルジューク朝諸政権の支配13世紀モンゴル帝国に編入、イル・ハーン朝の支配13~15世紀テュルク化の進行16世紀サファヴィー朝の支配下に入り、シーア派を受容16~19世紀イランのサファヴィー朝、ガージャール朝による支配1813年~1828年ロシア・イラン戦争の結果、ゴレスターン条約とトルコマンチャーイ条約により北アゼルバイジャンがロシアに併合1918年5月アゼルバイジャン人民共和国独立宣言1920年4月バクーにソヴィエト政権樹立、アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国成立1922年グルジア・アルメニアと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加1936年アゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国として連邦に加盟1988年2月同共和国内のナゴルノ・カラバフ自治州においてアルメニアへの帰属替えを求めるアルメニア人の運動が高揚。スムガイト事件が発生。1989年10月5日共和国主権宣言1990年1月バクー事件(ソ連邦中央によりバクーを軍事制圧)1991年2月5日「アゼルバイジャン共和国」に国名変更1991年8月30日共和国独立宣言1993年10月ヘイダル・アリエフ大統領就任1994年5月アルメニアとナゴルノ・カラバフ紛争に関し、停戦協定締結1998年10月ヘイダル・アリエフ大統領再任2003年10月イルハム・アリエフ大統領就任2008年10月イルハム・アリエフ大統領再任
Jul 15, 2012
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アルメニア共和国略史<外務省>年月略史前4~3世紀東アルメニアにエルヴァンド朝成立~前1世紀西アルメニアにソフェネ成立前190年~後10年頃アルタシェス朝古代アルメニア王国成立1~5世紀アルサケス朝の支配、ローマとペルシアにより分割301年アルサケス朝のトルダト3世、キリスト教に改宗5~7世紀サーサーン朝ペルシアとビザンツ帝国による分割統治652年アラブ勢力により征服885年頃~1045年バグラト朝成立11世紀セルジューク朝諸政権により征服1050年頃~1375年キリキア(アナトリア南東部)にアルメニア系王朝14~15世紀ティムール朝、カラ・コユンル朝、アク・コユンル朝による支配16~18世紀オスマン朝とサファヴィー朝によるアルメニア争奪戦1828年トルコマンチャーイ条約により東アルメニアがイランからロシアに割譲1918年5月アルメニア共和国(第一共和国)成立1920年アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国成立1922年グルジア、アゼルバイジャンと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加1936年アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国成立1988年2月ナゴルノ・カラバフ帰属を巡るアゼルバイジャンとの抗争が表面化1990年8月23日共和国主権宣言1991年9月21日共和国独立宣言1991年10月テル・ペトロシャン大統領就任1994年5月アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフ紛争に関し停戦協定締結1996年9月テル・ペトロシャン大統領再選1998年3月コチャリャン大統領選出2003年3月コチャリャン大統領再選2008年2月サルグシャン大統領選出 アルメニア共和国の基本事情(2010年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名アルメニア共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)172位通貨ドラム(Dram)1ドル=395.85ドラム(2012年5月現在)国花コーヒー(果実はサクランボに似ている)国旗赤は独立闘争で流された血の色、青は空と大地、オレンジは国民の勇気と団結を表す、上下3色旗国の標語アルメニア語:一つの国家、一つの文化面積:平方キロ29,800平方km日本の1/13、旧ソ連邦中で最小人口:千人3,100千人人口密度:/平方キロ104人首都エレバン、東京から7944km、時差JST-5時間民族・言語アルメニア系97.9%,ロシア系0.5%,アッシリア系0.1%,他1.5%公用語はアルメニア語(印度・ヨーロッパ語族、独自の言語と文字)宗教主としてキリスト教(東方諸教会系のアルメニア教会)。 なお、アルメニアは、国家として、また民族としても、世界で最初に公式にキリスト教を受容した国である(301年)。政体共和制元首セルジ・サルキシャン大統領が2013年2月再選(得票58.6%)(任期5年)議会一院制政権与党勢力「共和国ブロック」(首相)大統領が解任2016.9.8隣国であるトルコ及びアゼルバイジャンとは対立関係にあり、ロシアとの関係が強固。グルジア、イランとは良好な関係を維持する。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ(シリア、イスラエル、イランには比較的大規模なアルメニア人社会があり、欧州では仏に40~50万人が多方面に社会進出、米国にも80万人いる)。外交上の最大の課題はナゴルノ・カラバフ紛争(1988年にアゼルバイジャン領内のナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニアへの帰属変更を巡って開始された紛争)の解決。軍事総兵力48,834人(陸軍45,846人、空軍/防空軍(統合)1,061人、その他防空軍1,927人)、準兵力6,694人ブルガリア軍(OSCE)、ハンガリー軍(OSCE)、カザフスタン軍(OSCE)、ポーランド軍(OSCE)、英国軍(OSCE)、ロシア軍が駐留(ミリタリー・バランス2012)主要産業農業、宝石加工(ダイヤモンド)、機械製作GDP:億ドル94億ドル101億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル2,846ドル3,033ドル (2011年)実質GDP成長率2.6%4.4% (2011年)物価上昇率8.2%失業率7.0%19.0% (2011年)財政収支/GDP比▼2.7%経常収支(国際収支)▼12.5億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼28億ドル貿易額:輸出A10億ドル同 :輸入B38億ドル貿易品目:輸出食料加工品、アルコール・ノンアルコール飲料、硫黄・土類、鉄鉱石、燃料<ネタ帳:銑鉄、未錬銅、非鉄金属、ダイヤモンド、鉱物製品、食料品、燃料>同 :輸入穀類、動物性・植物性食用油脂、タバコ類、製薬品、化粧品等日用品<ネタ帳:天然ガス、石油、タバコ、食料品、ダイヤモンド>貿易相手国:輸出独、露、米、ブルガリア、グルジア、蘭同 :輸入露、中、ウクライナ、トルコ、独、イラン対日輸出2億円 内訳化学製品、有機化合物、たばこ等対日輸入 11億円 内訳建設用・鉱山用機械、電気機器等政府総債務残高/GDP35.1%日本の援助実績有償318億円無償 66億円技術 26億円
Jul 14, 2012
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「南九州の地名」 青屋 昌興著が「土地に刻まれた記憶」 として、歴史上の事故から危険地名を研究している。 現在の、土地改良などで危険性は少ないかも知れないが 「過去の地名=土地の謄本」は生活する上での 必須の知識であろう。 決して、風評ではなくて、地形上の危うさから、住む上で その地形の状態を理解して置く必要があると思い、 抜粋してみた。 図書出版 南方新社の了解を得て WEBに掲載されていたので、写経の つもりで、自分なりに纏めてみた。 拾い読みなので正確さは期していない。 詳しくは、原文を参考にしてください。 <窪地> 窪山、川窪、窪見の上、北窪ノ頭、クヨツカ、大窪、鉢窪、 大窪平、 <崖崩れなどの危険地域> ホキノ上、ホキノコバ、ホキ山、ホッキ山、ホキノ元、ホツノ尻、 ホッタ、ホキヶ山、ホキノ下、保キ山、ホキの頭、ホツガ迫、 ニッポキ頭、犬ボキ、犬ボキ尻、ホキ、ホキ頭、ホキ崎、 小牧ホキ平、小松ホキ段、松ボキ、東盗ボキ、東ボキ、 辺保木、辰洞(タツボキ)、長洞、椎洞、椎洞谷、 洞ノ下(ホキノシタ)、沖田ホキ、丑牧ノホキ、樽ヶホキ、 ホケ、ホケノ上、ホケ口、ホケノ頭、辰洞(タツボキ)、山神洞、 崩毀面、崩毀平、崩毀北平、崩毀山、保木畑、保木ノ本、 赤穂木段、 崩山、崩ヶ平、崩ヶ迫、黒崩、赤崩、大崩、大崩下、上崩、 崩ノ平、崩ヶ宇都、崩渡、山崩、崩丸、大崩、崩ヶ丸、崩淵、 白崩、崩平、崩之門、崩場、古崩、上崩シ、クエ、崩ノ元、 崩ノ宇都、崩ノ谷、新崩、崩ノ原、崩手、崩穴尻、崩穴上、 牧原崩穴、崩之頭、白砂崩、崩内、松崩、崩渡、大グエ、 クヨノ下、西クヨノ下、崩ヶ峰、後クエ、宍喰、水喰、水喰谷、 土喰(ツックレ)、水クレ、 迫戻し、 落走、落合、板越落ノ元、早落シ、追落シ、逆落 地岳谷(ジゴクダニ)、悪谷、 荒木段、荒平、荒谷、洗出、荒尾、荒比良、 名シラス迫、上名シラス、 見オロシ、 <斜面> 日当平、 以上の分類は、小生なりの当てずっぽうもあり、 正確には原文が必要と思われるが、 WEBに掲載されているので、覗いてみるのも 興味深いかもしれない。 P.S. 小生の、故郷の「高知」市は「かわち」と同じく、 川底、荒れ地を表すようで、洪水を防ぐのが殿様の仕事であり、 (封建時代は、武家屋敷側の堤防を高くして、反対側を低くして 遊水池としていた。)他方、古里の四万十町(窪川町)は 大河四万十川が「つ」の字形に 方向を変える窪地にあり、 台風時は洪水で逆流が生じ、時々氾濫していたことを思い出す。 このように、昔の地名は、土地の状態を明確に表す表記であった。
Jul 13, 2012
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九州では未曾有(59年ぶり)の豪雨が降り、 多数の死傷者がで、 住宅浸水で避難が続いている。 大学のゼミの友人で、 熊本県の阿蘇山麓出身のゼミテンがいたことを 思い出し、本人は東京在住だが、お見舞いのメールを打った。 丁寧な返事が来て、ひとまず安心した。 「ご心配頂き恐縮です。 小生の実家はご指摘のとおり南阿蘇村中松ですが、 家そのものは実在するものの現在は法事のときなどに 家族が集まるだけになっています。 現在の兄弟の居住地は熊本市内です。 先程兄達と電話で話したところ、 阿蘇地方の水害はかなりひどいようです。 テレビ報道では伝わってきていない 深刻な災害状況を耳にしたところです。 昭和28年6月、 阿蘇地方を襲った豪雨大水害当時を思い出します。 熊本県で死者400名を数えましたが、 その大半は今の南阿蘇村での被災でした。 我が家の近くで、突然の山津波 (土石流)に襲われた郵便配達夫の人が 逃げ場がなく電柱によじ登ったところ 電柱もろとも濁流に押し流されてしまった光景を 今思い浮かべているところです。 我が家も一部流失し暫くの間近くのお寺で起居 していた頃のことを鮮明に覚えています。」、とある。 彼の話では、「未曾有災害」ではなくて、 「彼の子供の頃に経験した災害」の再来である。 小生が思うには、普段でも湧き水があるが、大雨が降ると、 阿蘇のカルデラに溜まった大量の水が「白川」に集まり洪水と なって荒れ狂うようだ。 観光客には、外輪山で放牧をするゆったりした景色が楽しめる 素晴らしいところであるが、 集中豪雨があると保水能力が乏しいため、 盥の水をぶちまけたような洪水や、 山崩れの危険がある地域なのだろう。 湧水池は埋め立てているというが、 このような水害への対策は講じていただろうか。 彼の話だと、当時の死者は400人であるから、 今回は死者19人、行方不明7人と被害は比較して少なく なっている(P.S.訂正)ので、ハード、ソフト面の改善が なされてきたのであろう。 宮崎県、鹿児島県にもシラス台地があって、 水捌けはよいが、土壌が脆く、水害には弱い地層がある。 シラス台地では、果物のような、美味しい「さつまいも」が 摂れて芋焼酎は 抜群に美味(昔は森伊蔵が好きであった)であるが、 畑地は豊穣とはほど遠い。 地名にしても、九州には、洪水に弱い地名が目立つ。 この度のお見舞いを申し上げると共に、 新幹線だけでなく、この地域の災害復旧に多大な支援を 政府にお願いしたい。 財政収支は赤字でも、円高であり、資金は豊かであるのだから、 政府のやり方が悪いのではないか。 日銀の機能を有効に利用して、このような復興支援にこそ、 豊かに資金を供給して貰いたいものである。 金が流れれば景気は良くなり、税収は増えるはずである。 「増税」ばかり言うと景気は萎んでしまう。 楽天過ぎるかも知れないが。 裸の王様・首相は、「消費税増税法案に反対する党員 は、公認しない=選挙資金を与えない」、という。 国民は、消費増税法案はSPEEDI過ぎると 反対しているのであり、 「選挙民が独断専行のあなたこそ公認しない」 と言われるのを、 拒否しているかのようである。 「どちらが主権者なのかをお忘れ無く!」、 と言いたい。 新党への期待は、いままでの期待が裏切られて来たことで、 小さいままであるが、それだけ潜在的な期待が多きいのだ。 P.S. 子供の頃の天災の思い出は、南海地震で家にいたたまれず、 真っ暗な裏の畑の竹藪で家族が震えていたこと、毎夏に強い 台風が襲い、雨戸を物干し竿で挟んで閉め切り、ゆらゆら揺れる 家屋を気遣っていたこと、程度である。 今回の、死者は7/18日現在29名、行方不明者3人と報告。 ご冥福を祈ります。
Jul 13, 2012
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サリンやVXガス発生犯罪組織には、 警察および国家公安委員会 が国の機関として立ち向かうのであるが、 原発の人災事故 に対しては、 原子力安全委員会しか取締機関がないのだろうか。 もし、オームが原子力に関する物、エネルギー利用ではなく 核廃棄物や放射能発生物をまき散らしたなら、 原子力ではない ので、危険な放射能放置犯罪として、 警察、国家公安委員会が 取り締まりを行うものと、 この、素人の呆け頭は考える。 原子力発電所が、 内部機関から事故の発生の危険を指摘されていて、 それを遵守せず、 水素爆発(放射能拡散)事故を起こしたのであるから、 本来の取り締まりは原子力委員会であろうが、 何故か、それでは、不十分な領域にあるらしい。 不十分とは、 委員会と当事者・東電のもたれ合い構造にあると 言うものらしい。 いまの原子力委員会は内閣府にありながら、 委員長は、過去ように大臣兼任でなくなり、 また、国政調査権を充分に 具備していないようだ。 国家公安委員会(や海上保安庁)は、 内閣府の外局として強力な権限を持って いると思う。 (注:海上保安庁は現在は国土交通省の外局の 位置づけであるが、本来は海の公安警察を担う。) 公安は 原子力委員会や東電に対しても、 警察庁の職員に調査させる指示を 出せる立場にあるものとおもう。 今回、 実質国営化されているのに、 東電は、 事故当時のTV会談などに「プライバシー保護の名目」で 提出できない ものがあると、「異常な主張をしている。」 枝野経産省大臣は、 東電に提出を助言しているが、 東電は、監督官庁としての助言でなく、「業務命令」と認識 すべきではないか。 東電の原発事故が「自然災害でなくて、人災である」と 事故調が暴いた以上は、 「人災=人間の犯罪」と捉えて、 国家公安委員会が登場して、 事故の顛末を紐解いて 貰いたい。 もちろん、国家秘密に関するものであるから、 公表できない部分(技術的、人脈的など)もあるのは 間違いないが、 判りうる範囲、知らせて構わない範囲で、 国民に知らせてもらいたい。 原子力は、単純な電気エネルギー発生物ではなく、 使い方により、地球を何回も破滅させるだけの 武器エネルギーともなりうるから、 国家公安委員会が管理上もっとも適した機関でもあり得る。 今後の原子力の取り扱いには、原子力委員会の上部機関に 国家公安委員会を置くべきではなかろうか。 テロ行為が原子力に及ぶ危険は大きいのだから。 もっと、呆け頭を巡らせば、 民間機関に原子力を任せること自体が国家安全保証上で 問題であり、 東電の欠陥機関は一度清算して、原子力を切り離し、 原子力発電は国営に移管して、 東電は、原子力以外の電力発電に限定することでは どうだろうか。 他の原子力も国営化する方が、 いずれは廃止にしても、超長期の 運営を強いられるだけに、望ましいと思われる。 国営化の買い取り価格は、将来の費用が大きいので、 ゼロまたは、マイナスであろう。 東電は、賠償費用が巨額であり、一度清算して、 原子力部門を国営化し、 残りの発電・送電部門で再出発すべきであろう。 そうすれば、事故時のTV会議の秘密主義は、 国家公安委員会、会計検査院などの厳密な検査態勢で 透明化されるものと思われる。 呆け頭の空想であるが、 国家安全上のことであり、学士院の頭脳明晰な 学者がまともな原子力の扱いを考えてもらいたい。 富士山さえ怒って爆発しないとも限らない。 山麓に亀裂が走っているようで、怒るのは当たり前だろう。 IAEAの「原子力の利用調査」で「イランの平和利用目的」 如何が世界でもめているなかで、東電の秘密主義だけが プライバシィとして守られるはずがないのである。
Jul 12, 2012
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グルジア共和国の基本事情<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名グルジア<本来の呼び名は:ジョージア>(表記上は米国ジョージア州と同じで、米国の当該州名は英国王ジョージ2世が当時の植民地に特許状を与えたことに由来する。)グルジアはクルドが「強い民族」を表し、クルド人の地に由来する。キリスト教のグルジアの守護聖人:聖ゲオルギウス(ドラゴン退治の英雄、大地で働く人=農夫の意あり。象徴は赤色十字旗、竜、白馬上の姿)に由来する。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)169位通貨ラリ(Lari)1ドル=1.66ラリ(2012年2月現在:グルジア国立銀行)通貨ラリ(Lari)1ドル=1.66ラリ(2012年2月現在:グルジア国立銀行)国花葡萄<ブドウ原産地>国旗白地に赤のエルサレム十字を描き、イングランドの聖ゲオルギウス十字に似た図案である。白地に五つの十字架を用いる図案は、中世のタマル女王期のバグラティオニ朝グルジア王国の旗として使用された。国の位置カフカース山脈の南麓、黒海の東岸にあたる。北側にロシア、南側にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと隣接する。古来より数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾たびもの他民族支配にさらされる地にありながら、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。また、温暖な気候を利用したワイン生産の盛んな国としても知られる。面積:平方キロ69,700平方キロ日本の1/5人口:千人4,300千人人口密度:/平方キロ62人首都トビリシ東京との大気圏距離:7836km時差:JST-5(サマータイムなし)民族グルジア系83.8%,アゼルバイジャン系6.5%,アルメニア系5.7%,ロシア系1.5%,オセチア系0.9%言語公用語:グリジア語宗教主としてキリスト教(グルジア正教)政体共和制元首ミヘイル・サーカシヴィリ大統領→2013.11ギオルギ・マルグベラシビリ大統領 議会一院制政権与党:(統一国民運動)→イワニシビリ氏率いる「グルジアの夢」が支持を広げ勝利首相 (ニカ・ギラウリ)→ビジナ・イヴァニシヴィリ氏が2012.10.25就任2004年以来10年間、親米欧路線を取って、露とは国交断絶状態にあったが、ワインなどの対露輸出が停止されて経済が悪化し、世論は対露関係の改善を求めていた。新大統領は露と対話深める姿勢。 グルジアは国内に、アブハジア、南オセチア(オセット人はイラン系民族、キリスト教徒)の分離主義地域を抱え、両地域には中央政府の実効支配が及んでいない。(2008年8月、両地域はロシアによりそれぞれ「共和国」として独立承認されるが、現時点でロシアの他に独立承認を行ったのは数カ国のみ。)軍事総兵力20,655人(陸軍17,767人、空軍1,310人、国家警備隊1,578人)ロシア軍が駐留(ミリタリー・バランス2012年)主要産業農業(茶、柑橘類、果物、たばこ、ブドウ栽培、畜産業)、食品加工業(紅茶・ワイン)、鉱業(マンガン)GDP:億ドル117億ドル143.5億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル2,658ドル3,210ドル(2011年)実質GDP成長率6.4%6.9% (2011年)物価上昇率7.1%8.5% (2011年)失業率13.6%14.9%(2011年)財政収支/GDP比▼0.87% (2011年)経常収支(国際収支)▼18.2億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼35.2億ドル貿易額:輸出A15.8億ドル同 :輸入B51.0億ドル貿易品目:輸出くず鉄、金属、輸送用機器、食料品(ナッツ、ワイン、ミネラルウォーターなど)同 :輸入 燃料、石油製品、輸送用機器、医療品貿易相手国:輸出アゼルバイジャン、トルコ、米国、アルメニア、ウクライナ同 :輸入トルコ、ウクライナ、アゼルバイジャン、中国、ドイツ対日輸出7.1億円 内訳化学製品等対日輸入 152.9億円 内訳自動車、ゴムタイヤ・チューブ等政府総債務残高/GDP33.9% (2011年)出身力士栃の心、黒海、臥牙丸ハングリー精神
Jul 11, 2012
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グルジア共和国略史<外務省>年月略史前6世紀西グルジアにコルキス王国成立前4~3世紀東グルジアにイベリア(カルトリ)王国成立4世紀イベリア(カルトリ)王国がキリスト教を国教化。グルジア文字の考案562年西グルジア、ビザンツ帝国により併合6世紀東グルジア、サーサーン朝ペルシアにより征服7世紀後半東グルジア、アラブにより征服975年バグラト朝成立。タマラ女王(在位1184年~1213年)のもとバグラト朝最盛期、南コーカサス全域を領有13世紀以降数次にわたる外敵の侵入、国土の疲弊16世紀以降オスマン朝とサファヴィー朝により東西に分割1783年ロシア帝国、東グルジアのカルトリ・カヘティア王国を保護国化1801年東グルジア、ロシアに併合19世紀前半西グルジアの諸地方、漸次ロシアに併合1844年ロシア帝国、チフリスにカフカース総督府設置1878年アジャリア併合によりグルジア制圧完了1918年5月グルジア・メンシェヴィキによりグルジア共和国独立宣言1921年2月赤軍チフリス入城、グルジア・ソヴィエト社会主義共和国成立1922年アルメニア、アゼルバイジャンと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加。1956年トビリシ事件(民衆集会・運動が軍により流血の弾圧)1989年4月トビリシ事件(独立回復要求集会へのソ連軍の弾圧)1991年4月9日独立宣言1991年5月ガムサフルディア、初代大統領に当選1992年1月6日反ガムサフルディア派、大統領官邸占拠。ガムサフルディア大統領、グルジアから脱出1992年2月国家評議会創設。シェヴァルナッゼ元ソ連外相が帰国し、国家評議会議長に就任1995年11月シェヴァルナッゼ大統領就任(2000年再選)2003年11月野党勢力が議会を占拠、シェヴァルナッゼ大統領辞任(バラ革命)2004年1月サーカシヴィリ大統領就任2007年11月反政府デモ隊と治安当局の衝突により多数の負傷者が出たことを受け、非常事態令が発出。2008年1月に大統領選挙を繰り上げることで事態は収拾2008年1月大統領選挙が行なわれ、サーカシヴィリ大統領が再選2008年8月グルジア軍と南オセチア軍の軍事衝突を契機に、ロシアが介入。ロシアは南オセチア及びアブハジアの独立を一方的に承認。
Jul 11, 2012
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モルドバ共和国略史<外務省>年月略史1349年ボグダニア公国建国(後のモルダヴィア公国)1457年シュテファン大公即位(~1504年)、モルダヴィア公国の最盛期1512年オスマン・トルコの宗主権下に1792年ヤシ条約(現在の沿ドニエストル地域がトルコからロシアに割譲)1806年露土戦争(1812年、ブカレスト条約によりベッサラビアがロシア領に編入)1859年モルダヴィア公国とワラキア公国の合併1917年ロシア革命、人民投票によりソヴィエトとの併合を決議1918年ルーマニア、ベッサラビア(現モルドバ共和国)を占領1920年パリ条約でルーマニアの領有を承認1924年ソ連、ドニエストル河東岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分として「モルダヴィア自治共和国」を創設1940年ソ連、独ソ不可侵条約秘密議定書に基づくドイツとの合意に従い、ベッサラビアを占領1940年ソ連、モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を創設1947年連合国とルーマニアの平和条約でベッサラビアのソ連への委譲を確認1989年モルダヴィア人民戦線の結成1990年6月6日共和国を「モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国」から「モルドバ・ソヴィエト社会主義共和国」に変更1990年6月23日共和国主催宣言1991年5月23日国名をモルドバ共和国に変更1991年12月21日独立国家共同体創設協定議定書に署名1992年沿ドニエストル紛争1993年通貨レイ導入1994年モルドバ共和国憲法採択 モルドバ共和国の基本事情<外務省、世界経済のネタ帳、WIKIPEDIAなど> 国名モルドバ共和国モルドバはルーマニア東部の川の名で、「黒い川」の意。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)175位通貨レイ(MDL)1ドル=11.83レイ(2012年4月現在:モルドバ中央銀行)国旗青・黄・赤の三色旗に国章があしらわれている。パラグアイの国旗やサウジアラビアの国旗同様、国旗に表裏がある。歴史・文化共にルーマニアと強い結びつきがあり、かつて部分的には両国が統合していた時代もある。現在の国旗のデザインもルーマニアの国旗とよく似ている。モルドバの国章(Coat of arms of Moldova)には、くちばしに十字架を加え、爪で杖とオリーブの枝を掴んだ図案化されたワシが描かれている。国章の図案の作者によると、ワシはモルドバの国民の起源がラテン人であることを象徴している。面積:平方キロ33,843平方キロ九州よりやや小人口:千人3,560千人(2011年)沿ドニエストル地域を除く人口密度:/平方キロ105人首都キニショフ(モルドバ語の読みはキシナウ)東京からの大気圏距離:8545km夏時間:JST-6時間冬時間:JST-7時間民族モルドバ(ルーマニア)人78.4%、ウクライナ人8.4%,ロシア人5.8%,ガガウス(トルコ系)4.4%言語公用語はロマンス語系のモルドバ語(ルーマニア語とほぼ同じ)、ロシア語も一般的に通用宗教キリスト教(正教)が優勢政体共和制元首:大統領(ニコラエ・ティモフティ=親欧米派)→2016.11選挙 イーゴリ・ドドン野党「社会党党首=親露派」当選議会一院制政権(1) 首相 ウラジーミル・フィラト(2)副首相兼外務欧州統合相 ユリエ・レアンカ党4党(自由民主党、自由党、民主党、「我々のモルドバ」同盟)が過半数を獲得し、与党連合「欧州統合のための同盟」(AEI)を結成<沿ドニエストル問題: ロシア系住民が入植し、ロシア軍の駐留する沿ドニエストル地域がモルドバの独立前後に「独立」を宣言し武力紛争に発展。停戦状態にある現在もモルドバ政府の実効支配が及んでいない。>(2)2016.11大統領選で親露派のドドンが52%余の票を獲得し、親欧米路線からの変更も取りざたされている。議会で多数を占める親欧米派がEU加盟を目指していたが、約1千億円が主要銀行から消え去る事件の発覚で政権批判が高揚していた。選挙自体の適正性にも疑問が出ていて混乱が起こる懸念がある。軍事地上軍と空軍で構成。地上軍は歩兵部隊を中心に5,148名。空軍は850名で輸送機、ヘリコプターを保有。徴兵制を維持。<なお、沿ドニエストル「政府」軍として、地上軍が約5,400名。同地域には約1,500名のロシア軍部隊が駐留。>主要産業鉱工業(17.1%)、農林水産業(10.6%)、建設業(5.9%)、サービス業(66.4%)(2008年:CIS統計委員会)市場経済移行中であり、欧州最貧国とされる。小麦、葡萄などの産出国GDP:億ドルGNI 55.6億ドル(2009年:世銀)70億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル一人当たりGNI1,560ドル(2009年:世銀)1969ドル (2011年)実質GDP成長率-6.5%(2009年:CIS統計委員会)6.4%(2011年)物価上昇率0. 0%(2009年:CIS統計委員会)7.7%(2011年)失業率6.7%(2011年:モルドバ統計局)財政収支/GDP比▼2.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼7億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼20億ドル貿易額:輸出A13億ドル(2009年:CIS統計委員会)同 :輸入B33億ドル(2009年:CIS統計委員会)貿易品目:輸出繊維、食品、植物製品(2009年)同 :輸入化学品、自動車、機械類(2009年)貿易相手国:輸出露(26%)、ルーマニア(16%)、伊(10%)同 :輸入露(15%)、ウクライナ(14%)、ルーマニア(10%)対日輸出(2009年:露NIS貿易会)497万ドル 内訳衣類、食料品対日輸入(2009年:露NIS貿易会)726万ドル 内訳自動車、機械、ゴム製品政府純債務残高/GDP23.4%(2011年)
Jul 10, 2012
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ウクライナ「チェルノブイリ原発事故はウクライナ、ベラルーシ、ロシアが被災」略史<外務省,WIKIPEDIA>年月略史8世紀キエフ・ルーシの成立1240年モンゴル軍キエフ攻略1340年ポーランドの東ガリツィア地方占領1362年リトアニアのキエフ占領1648年フメリニツキーの蜂起(ポーランドからの独立戦争)1654年ペレヤスラフ協定1764年ポルタヴァの戦い(ロシアからの独立戦争)1853年クリミア戦争1914年第一次世界大戦1917年ロシア革命、ウクライナ中央ラーダ政権成立1922年ソビエト社会主義共和国連邦成立1932年大飢饉1939年第二次世界大戦1941年独ソ戦開始、独によるウクライナ占領1954年クリミアをウクライナに編入1986年チェルノブイリ<現:ウクライナ領内>原発事故発生 当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)のRBMK-1000型を使用した4つの原子炉が稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(世間一般でいう「メルトダウン」)ののち爆発し、放射性降下物がウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアなどを汚染した、史上最悪の原子力事故とされている。 1991年のソ連崩壊以後は原子力発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。 1991年ソ連邦崩壊、CIS創設、ウクライナ独立1996年憲法制定、通貨フリヴニャ導入2004年オレンジ革命、曲折を経て2010年親露派ヤヌコーヴィチ大統領、2014年2月最高議会同大統領解任、暫定新政権誕生、クリミヤ・セヴァストポリのロシア編入 ウクライナの基本事情<2010年、外務省、世界経済のネタ帳、WIKIPEDIAなど> 国名ウクライナ幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)174位通貨フリヴニャ(UAH: hryvnya)1ドル=7.98フリヴニャ(2012年2月現在)国旗黄色と青色の旗や紋章は、古くはキエフ・ルーシの大公ヴォロドィーメル1世の時代から使用されていたと言われる。由来には、二つ説がある。一説によると、青色は空を表し、黄色はステップ(草原)に豊かに実る小麦を表すということである。もう一方の説は、青色は水で、黄色は火であるという。あるいは、黄色は向日葵であるという話もある。この二つの色は、長い間ウクライナ人のシンボルとして使われている。国名の由来「辺境の地」面積:平方キロ603,700平方キロ人口:千人45,870千人人口密度:/平方キロ76人首都キエフチェルノブイリから92.6km東京からの大気圏距離:8,214km夏時間:JST-6時間冬時間:JST-7時間民族ウクライナ人(78%)、ロシア人(17%)、ベラルーシ人(1%)、モルドバ人、クリミア・タタール言語ウクライナ語(国語)、その他ロシア語等宗教ウクライナ正教及びウクライナ・カトリック教。その他、イスラム教、ユダヤ教等。政体共和制元首大統領選挙でペトロ・プロシェンコ元外相当選。2014.6.7就任⇒2019.4大統領選でTVドラマ主役のゼレンスキー氏が当選、5月に就任議会一院制政権首相:(アルセニー・ヤツェニュク)→2014.7.24親欧州派連立崩壊で辞意。解散・総選挙の可能性東部諸州で親露派の争乱状態、クリミヤのロシア編入問題。 軍事NIS諸国の中でも最大規模の軍事力を保有(兵力約15万人、文民スタッフ5万人、総兵力20万人)。主要産業サービス業(59%)、鉱工業(30%)、農林水産業(7%)、建設業(4%)(2008年)GDP:億ドル1,379億ドル1,650億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 3,010ドル(GNI) 3,621ドル(2011年)実質GDP成長率4.2%5.2%(2011年)物価上昇率9.4%8.0%(2011年)失業率8.8%8.2%(2011年)財政収支/GDP比▼2.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼92.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼93億ドル貿易額:輸出A514億ドル同 :輸入B607億ドル貿易品目:輸出鉄鋼・金属製品(34%)、機械・機器(11%)、農産物(8%)、化学製品(7%)同 :輸入 鉱物性燃料(35%)、機械・機器(13%)、化学製品(11%)、自動車(6%)貿易相手国:輸出 露(26%)、トルコ(6%)、伊(5%)、中国、カザフスタン同 :輸入 露(37%)、中国(8%)、独(8%)対日輸出177億円<貿易統計> 内訳食料品、鉄鋼、金属製品対日輸入401億円<貿易統計> 内訳自動車、一般機械、電気機器政府純債務残高/GDP35.3%(2011年)
Jul 9, 2012
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小生は、単位に疎いので脳梗塞リハビリ勉強のために、 原発事故の放射能放出量について少し掘り下げてみる。 福島原発事故(F)は11347京ベクレルを放出し、 チェルノブイリ事故(C)は13194京ベクレルで、 放出規模はその85%に相当する。 放出ガスの構成は、Fは希ガス中心であること、 Cは希ガスが半分、揮発性元素が4割、後の1割を 中度から難揮発性元素がそれぞれ占めている。 放射性元素の半減期が、 人間の寿命に比較して長い「難揮発性元素」 のウエートが Fは低いとは言え、なにせ単位が「京」であるから、 気になる話である。 0.1324京Bqとは1323兆Bqでいいのだろうか。 超長期の半減期をもつ核種が飛散したのだから、 天文学的数値でなくて 天気予報のように「メッシュ」を設定し 単位平方メートルあたりで判らないのだろうか。 拡散面積が均等と仮定したら(あり得ないが)、 単純に半径50kmの円形では面積は 78.5X(10の8乗)平方mであり、 呆け頭では 単純計算で単位平方mあたり16.86万Bqではなかろうか。 呆け頭だから、きっと間違っているに違いないし、 もっと偏ってばらまかれているだろうから、 気休めにも「心配ない」と言ってくれる 学者がいれば小生には神様みたいに拝みたいものである。 拝むといっても「○○しょうこう様」では困っちゃうが。 とにかく、元素もたくさんあるし、風任せの拡散であったので、 天文学的な数字を操るのは素人には不可能である。 不可能なことをやるのは馬鹿かも知れないが、 天文学は真理を追究し神業に近い所まで到達している。 机上の計算でなくても、 地道に測量することで、 伊能忠敬のような地図がそのうちに放射能マップ として公表され、 モーゼの示したような安全マップに無事に住処を 見つけることができることを祈るばかり。 原発事故の放出放射能:核種別 (出所:WIKIPEDIAを合計、整理) 単位:10の15乗<京>ベクレル(Bq) 放射性核種チェルノブイリ原発事故福島原発事故<放出量> 希ガス653311000 揮発性元素5518334.713中度の揮発性元素60611.88001 難揮発性元素693.0460.1324321 単純合計13350.0511346.725 公表値1319411347 誤差▼1560<構成比> 希ガス48.9%96.9% 揮発性元素41.3%2.9%中度の揮発性元素4.5%0.1% 難揮発性元素5.2%0.0% 単純合計100.0%100.0%<index=チェルノブイリ100> 希ガス100168.4 揮発性元素1006.07中度の揮発性元素1001.96 難揮発性元素1000.019 単純合計10084.99 放射性元素の半減期放射性核種最小・半減期最大・半減期 希ガス5.25日(キセノン133)10.72年(クリプトン85) 揮発性元素2.3H(ヨウ素132)30年(セシウム137)中度の揮発性元素4.3H(アンチモン129)29.12年(ストロンチウム90) 難揮発性元素2.35日(ネプツニウム239)376000年(プルトニウム242)
Jul 8, 2012
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<APPENDIX 1: 大気中への放射性物質の放出量比較> 小生なりの解釈で、重要と思われる資料を追加> (資料:WIKIPEDIA) 単位:10の15乗ベクレル(Bq) <100=index hiroshima>比較項目広島原爆チェルノブイリ原発事故福島原発事故ヨウ素131 (放出量A) 63 <100> 1760 <2794> 160 <254> <炉心量B> 63 <100> 3200 <5079> 6100 <9683>放出割合A/B%100%55%3%セシウム137 (放出量A) 0.089 <100> 85 < 95506> 15 <16854> <炉心量B> 0.089 <100>280 <314607>710 <797753>放出割合A/B%100%30%2%注:半減期 ヨウ素 8.04日、セシウム137 30年 詳しくは、WIKIPEDIAをご覧下さい。 APPENDIX 2:拡散面積と濃度 チェルノブイリと福島原発事故のさらなる比較 (WEB記事より指数化) 比較項目チェルノブイリ原発事故福島原発事故爆発の高さ9000m数百m放射能拡散距離500km(~750km)50km<拡散面積> A(パイ・アールの二乗)1 (=index)1/100ヨウ素131放出量B19/100セシウム137放出量C118/100B/A (=面積当たり濃度)19C/A (=面積当たり濃度)118ヨウ素131炉心量11.91セシウム137炉心量12.54 あくまで、粗っぽい指数化です。
Jul 7, 2012
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ベラルーシ共和国略史<外務省>年月略史10-12世紀キエフ・ルーシ時代13-14世紀リトアニア大公国の構成地域となる1569年ポーランドとリトアニア大公国の連合国家成立1772年第一次ポーランド分割により、白ロシア東部、ロシア領となる1793年第二次ポーランド分割により、白ロシア中央部、ロシア領になる1795年第三次ポーランド分割により、白ロシア西部、ロシア領になる1919年白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国の成立1921年ポーランド・ソヴィエト戦争の結果成立したリガ条約により、白ロシアの東半分がソ連領、西半分がポーランド領となる1922年ソ連邦の結成に参加1939年ソ連軍ポーランドに侵攻し西半分を占領(同年9月)、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきポーランド西半分を白ロシア領に編入1986年4月26日チェルノブイリ<現:ウクライナ領内>原発事故により多大の被害1990年7月27日共和国主権宣言1991年8月25日共和国独立宣言1991年9月19日国名変更1991年12月8日ロシア、ウクライナとともに独立国家共同体創設協定を締結(これによりソ連邦の解体は決定的なものとなる)1994年ベラルーシ憲法制定1996年憲法改正の国民投票(大統領権限の大幅強化)2004年憲法改正の国民投票(大統領の三選禁止規定削除) ベラルーシの基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など> 国名ベラルーシ共和国 (白ロシアの意)<チェルノブイリ原発事故の被災国>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)170位通貨ベラルーシ・ルーブル(BYR)1ドル=8,070ベラルーシ・ルーブル(2012年3月現在)国旗赤はベラルーシの歴史を示している。(ソビエト連邦時代の鎌とハンマーは除かれた。)グルンヴァリトの戦いを戦ったベラルーシ軍が使用した赤や、第二次世界大戦中にナチス・ドイツ軍と戦ったベラルーシ赤軍の赤などを表す。緑はベラルーシの明るい未来と国土の深い森林を表す。旗竿側の装飾文様は、1917年にデザインされたもので、伝統的な織物に使用される文様である。2012年に若干文様のデザインが変更された。面積:平方キロ207,600平方キロ人口:千人9,480千人人口密度:/平方キロ46人首都ミンスク東京からの大気圏距離:8,140km時間:JST-6時間<夏時間が標準時であり、夏時間自体廃止><チェルノブイリ原発---ミンスク距離:345km><CF.福島第一原発---東京:223km>民族ベラルーシ人(83.7%)、ロシア人(8.3%)、ポーランド人(3.1%)、ウクライナ人(1.7%)言語公用語はベラルーシ語(東スラヴ諸語の一つでロシア語に近い)、ロシア語宗教ロシア正教が最も優勢、その他、カトリック、無宗教政体共和制元首アレクサンドル・ルカシェンコ大統領欧米はルカシェンコ大統領による強権的な政治に対し再三懸念を表明し、制裁(高官の入国禁止、海外資産凍結等)を実施、強化している。議会二院制政権首相 ミハイル・ミャスニコーヴィチ2011年11月、ロシア、カザフスタン及びベラルーシの3か国は「ユーラシア経済同盟」の創設に関する宣言に署名。2012年1月には統一経済圏へと移行。軍事地上軍と空軍及び防空軍で構成。地上軍は約5万人、空軍は軍用機約350機を保有。主要産業鉱工業(32.8%)、農林水産業(10.2%)、建設業(10.8%)、サービス業(46.2%)(2008年)<冷蔵庫、トラクターなどの生産あり>GDP:億ドル547億ドル(世銀GNI)555億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル6,130ドル(世銀GNI)5,881ドル(2011年)実質GDP成長率7.6%5.4%(2011年)物価上昇率7.8%53.2%(2011年)失業率1. 2% (2008年)0.6% (2011年)財政収支/GDP比3.3% (2011年)経常収支(国際収支)▼58億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼73億ドル貿易額:輸出A213億ドル(2009年)同 :輸入B286億ドル(2009年)貿易品目:輸出鉱物製品、化学品、輸送機材同 :輸入鉱物製品、機械・設備、金属製品貿易相手国:輸出露(39%)、蘭(11%)、ウクライナ(10%)同 :輸入露(52%)、独(7%)、ウクライナ(5%)対日輸出670万ドル 内訳粉乳、レーザー機器、繊維対日輸入 5,100万ドル 内訳自動車、繊維、機械、通信機器政府純債務残高/GDP50.2% (2011年)
Jul 7, 2012
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原発事故調の冷徹な分析にひとまず安堵。 官邸バスのスピード違反的な行政処理に危険を感じながら その運転を見守るしかない乗客・国民が多いと思う。 消費税増税は任期内にはしないと約束をして置いて 野党を巻き込んで造反し、理性薄く公共工事を 中止して置いて、消費増税のあがりを得られると見るや、 闇雲に「コンクリートから人へ」の道を猛スピードで 逆走違反走行する。 そんな異常な中でも、今回の原発事故調は、原発事故を 「人災」と 明確に断定、「天災である地震・津波自体は起こりうる 自然災害であるものの、指摘された不備を放置して きた東電の危機管理体勢の甘さこそ 原発事故を招いた根幹である」、 と明確・的確に抉っている。 官邸は、この原発事故直後に混乱を増幅 させたものの、事故発生の直接責任が東電にあり (事前に地震・津波対策を講じる余地あり)、 さらに、事後処理体制を迅速にとるべきだが、 いたずらに 官邸に依存しようとして、当事者責任を免れない。 原子炉を扱う資格と責任能力を問われた東電は、 もはや 原子炉を扱うことが危うい機関なのだ。 「撤退(軍隊が陣地や拠点を引き払う)」と 「避難(異常な自然災害、人災から人命、財産を 守るための移動)」さえ区別できない 「業務命令」の曖昧さが 東電の内部統制・情報管理の拙劣さを物語っている。 事故調は、国会の付属機関であり、 国政調査権があると思われ、 今問題となっている、「東電内部のTV電話」、 「ネット連絡=メール」などの内部資料を 「内密に検査する調査権」を 持っている。 今少し、これらの内部資料を精査して、 公表しなくても、 当時の生々しい対応ぶりから、 今後同様の事件が発生したときの予防体制作りに 役立つ対処方法を構築願いたい。 菅元首相や、約束のスピード違反の現首相に 原子力統制を任せられないこと、 はこの分析でよく分かったので、 原子力については 国防と同じ次元、 または、 それ以上の統制力を発揮できる 長期的視野に立った、 学士院委員を含めた強力な原発管理運営陣営を 組織して貰いたいものだ。 東電は一度、 破綻処理して、問題点を国政レベルで裸にして、 問題を無くし、別の新しい組織に組み替えるべきであろう。 その組織は、国営であっても、公益法人であっても、 国民の 税金や負担で莫大な旧債を費やす必要があるのだから、 一度、 清算するしかない。 「国民生活が第一」 というのであれば、 「消費増税反対」だけでなく、 「東電の清算と 電力業界の<原子力部門を国営化?>」 などの抜本対策を望みたい。 現政権では、首相の意地のみが目立ち、 国民の生活が劣後に置かれた ままである。 ゼロから出発すべきである。 また、これで幕引きをするようなら、 現政権のスピード違反 がまた見つかったことになる。 国民は、 政府のスピード違反を 栃木県警のような曖昧な速度検査機で見守って いるのではないことを、 間もなく国政選挙で示すであろう。 呆け頭には選挙基盤が軋んでいるように聞こえる。
Jul 6, 2012
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マケドニア旧ユーゴスラビア共和国<国名問題あり>略史<外務省 >年月略史6、7世紀頃スラヴ人が定住15世紀以降オスマン・トルコの支配下に入る1918年セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国建国1945年旧ユーゴ構成共和国の一つとして発足1991年旧ユーゴより独立1993年国連加盟 マケドニア旧ユーゴスラビア共和国の基本事情<2010年、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳(2011年資料)などより> 国名マケドニア旧ユーゴスラビア共和国地域的に、領内を流れるヴァルダル川にちなんで「ヴァルダル・マケドニア」と呼ぶこともあるが、隣国には攻撃的な響きを与えるようだ。ちなみに、ギリシャに属するテッサロニキがマケドニア地域の都市であり、マケドニアの名称をギリシャ以外が使用することにギリシャは異論を唱えている。古代マケドニアの地域は、マケドニア共和国が4割、ギリシャが5割、ブルガリアが1割と概括されるため、EUや日本は「旧ユーゴスラビア」を挟んだ「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という国連加盟時の暫定呼称を使用。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)不明通貨マケドニア・デナル1ユーロ=61.5デナル(固定)国旗赤地に8本の光を放つ黄色の太陽を描いた旗。面積:平方キロ25,713平方キロ九州の2/3ほどの大きさ人口:千人2,060千人人口密度:/平方キロ80人首都スコピエ東京からの大気圏距離:9,347km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間民族多数派のマケドニア人(スラブ系)、少数派のアルバニア人。アレキサンダー大王に率いられた古代マケドニアとの民族的な繋がりはない。言語マケドニア語宗教キリスト教(マケドニア正教)70%、イスラム教30%政体共和制元首ギョルギェ・イヴァノフ大統領議会一院制政権内部マケドニア革命組織・マケドニア国民統一民主党(VMRO-DPMNE)が主導する連合(右派)を中心とする連立内閣ニコラ・グルエフスキー首相軍事(1)予算:2009年 1億6,700万ドル(2)兵制:志願制(3)兵力:現役 約8,000名、予備役 約4,850名主要産業農業(たばこ、ワイン、とうもろこし、米)、繊維、鉱業(鉄等)GDP:億ドル103.3億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル4,431ドル(IMF)5,016ドル(2011年)実質GDP成長率0.7%(IMF)3.0%(2011年)物価上昇率1.5%(IMF)3.9%(2011年)失業率32%(IMF)31.2%(2011年)財政収支/GDP比▼2.6%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.8億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼23.5億ドル貿易額:輸出A26.9億ドル同 :輸入B50.4億ドル貿易品目:輸出繊維製品、食品・飲料・たばこ、燃料、化学製品同 :輸入繊維製品、一般機械・輸送機器、食品・飲料・たばこ、燃料貿易相手国:輸出独(16.7%)、セルビア(12.5%)、コソボ(11.6%)、ギリシャ(10.7%)、伊(8.0%)、ブルガリア(8.0%)同 :輸入蘭(10.2%)、露(9.8%)、ギリシャ(8.7%)、伊(7.1%)、トルコ(4.9%)、ブルガリア(4.8%)、セルビア対日輸出(財務省貿易統計)9.3億円 内訳たばこ、ワイン等対日輸入6.2億円 内訳自動車、電気機器、一般機械等政府純債務残高/GDP25.1%(2011年)
Jul 5, 2012
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アルバニア共和国の基本事情略史<外務省>年月略史1912年オスマントルコから独立1939年イタリアの保護領、後に併合1944年共産党臨時政府樹立、全土解放1961年ソ連と断交1976年中国の経済・軍事援助停止1985年ホッジャ勤労党第1書記死去1990年野党設立許可、複数政党制導入、外貨導入解禁1991年初の自由選挙、臨時憲法制定、米、英と国交回復、ECと外交関係、IMF、世銀、CSCE加盟1992年総選挙で初の非共産政権樹立、OICに加盟1994年PFP包括協定、PFP個別協定調印1995年欧州評議会に加盟1997年ねずみ講問題を発端とする騒乱が発生。6月の総選挙の結果、社会党を中心とする連立政権成立1998年新憲法制定2000年WTO加盟2003年EUとの間で安定化・連合協定(SAA)交渉を開始2006年EUとの間で安定化・連合協定(SAA)に署名2009年NATO加盟 基本情報<2010年、外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名アルバニア共和国(「エルベイニア」が発音)アルバニア語で国名はレプブリカ・エ・シュチパリセ「鷲の国」の意アルバニアはラテン語の「albus」(白い)が語源とされ、石灰質岩質で「白い土地」に由来。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)157位通貨レク(Lek)1ドル=約99レク(2011年4月現在)国花赤と黒のケシ(ポピー)<WIKIPEDIA>「樫」と言っているWEBもあり。国旗アルバニアの国旗は、赤地に黒の双頭の鷲を中央に描いた旗。この国旗のデザインは、15世紀にオスマン帝国の支配に抵抗し、一時(1443年 - 1478年)独立を勝ち取った中世アルバニアの英雄、スカンデルベクの紋章にちなんだものである。<WIKIPEDIA>面積:平方キロ28,700平方キロ四国の1.5倍人口:千人3,160千人人口密度:/平方キロ110人首都ティラナ550千人東京からの大気圏距離:9,504km夏時間:JST-7時間冬時間:JST-8時間民族アルバニア人言語アルバニア語宗教イスラム教(大半だが、世俗的;30%),正教(20%),ローマカトリック(10%)政体共和制元首バミル・トピ大統領議会一院制政権首相 サリ・ベリシャ民主党、「統合のための社会主義運動(SMI)」等4つの党で構成される民主党連合が与党軍事(1)予算 2億5,400万ドル(2009年)(2)兵役 徴兵制(3)兵力 14,295人(出典:ミリタリー・バランス)主要産業農業、工業、製造業(世銀2008年)GDP:億ドル120億ドル(世銀2009年)128.5億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル 4,000ドル(世銀2009年)3,992ドル(2011年GDPベース)実質GDP成長率7.5%(世銀2009年)2.0%(2011年)物価上昇率2.2%(EIU 2009年)3.4%(2011年)失業率13.8%(EIU 2009年)11.5%(2011年)財政収支/GDP比▼3.5%経常収支(国際収支)▼13.8億ドル貿易品目:輸出(統計局2009年)繊維、鉱物、建築資材同 :輸入機械、食料品、建築資材貿易相手国:輸出伊、ギリシャ、コソボ同 :輸入伊、ギリシャ、韓国対日輸出1.8億円(通関統計) 内訳 魚介類、繊維製品対日輸入 5.6億円 内訳 機械類、金属製品政府純債務残高/GDP58.9%(2011年)
Jul 4, 2012
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庭に、可憐な紫の花が、クローバーのような葉っぱの うえに咲いている。 葉っぱは、小さいのから大きなものまで色々だが、 紫の花は背の高い茎の上にあり、小さいのは なんだか黄色の花である。 辞書で調べると、「カタバミ」とある。 「カタバミ」は庭のあちこちに出回っている。 「龍の鬚」の間からも、また、日当たりが良くても悪くても 到る処に頭を出している。 茎を引っぱると切れてしまうが、深く探ると、球根状のものが 付いて出てくる。 球根の周りには菌糸状のものが纏い付いているものもある。 葉や茎に蓚酸を多少含んでいるので、昔は銅の鏡を磨くの に使用されたらしく、たくさん食べると体には良くないらしい。 絞り汁は、虫さされのかゆみ止めの効果もある。 夜になると葉を中央で折るように閉じるという就眠運動を するため、カタバミの名が付いた。 紫の花は気高い感じがして、 花言葉は 「嫉喜び」「心の輝き」だそうだ。 「カタバミ」の家紋には、元祖・長曽我部元親がいるが、 列島改造論をぶった田中角栄氏もいるらしい。 凄まじい勢いでフアンを獲得していく角栄氏の演説は 「カタバミ」の 勢いがあり、美しく聞こえたものであった。 日本では、カタバミは子孫繁栄、金運上昇と結びつけられる。 花は可憐で美しいが、庭園を荒らし回るために、あまり花屋で 売っているのを見たことがない。 今日は、「カタバミ」の駆除に丸一日かかったが、 まだまだあちこちに片割れがあり、 いくらでも出てきそうな予感がする。 政治の世界には、 民の代表となるべきポリティシアンが現れたと 心躍る時もあるが、いつもがっかりさせられている。 今回も、二大政党体勢で互いに競い合い日本を良くする 政党が現れたと国民が期待していたのに、その政党は 国民との約束を故意に裏切る姿勢を見せており、 まるで 首相は裸の王様気取りである。 政党内にその違反を誅する意見は「逆に造反」とされて 真逆の意見を持つ政党を味方に引き込み、 「国民との時間約束」 以外の消費増税(真逆の政党の目標)のみを 第一目標としている。 一応、政治家たるものはカタバミのような球根を持って いるのだろうが、自分の球根でなくとも他人の球根の栄養を 吸い取る寄生植物の才能を持ち始めている。 地下で繋がっていては、見分けて、退治するのが難しい。 しかし、少しずつながら、国民の味方ではないかも知れない 性質が見え隠れしてきたようである。 国民も、カタバミのような植物でも、先が鋭く二またに 分かれた、棒状の駆除スコップで根気よく、探しまくれば、 駆除は可能である。 裸の王様をそのまま受け入れる国民はいない。 主権者が国民であるのを忘れていられるのは、 自分の裸に気づかない間だけなのだ。 いずれは、国民を瞞した罰は自分で受ければいいのだ。 首相であるのは、あり得るのは、国民からの信任・信託 であり、世襲でも、独裁継続でもないからだ。 こんご、 今回、民主党政権の信託基礎の脆弱さを 反省して、 カタバミのように国民の中に深く根を下ろした 新しい政党の出現を期待したい。
Jul 3, 2012
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ついでに、小生が利用している、HI-VISION RECORDER RD-s304k(VARDIA)が息も絶え絶えに、ブーブー、ギーギー と唸っているので、息子に何とかならないか、というと、 「バッファロー製LINK STATION (LS-WHGL/R1)が余ったが 必要か?」と聞いてきた。 ネットで調べると、「ネットワーク対応」の便利なものらしい。 レグザでハイビジョンが楽しめると明言している、 使えそうなので、暇なとき持ってきてくれないか、 と頼んだ。 ところが、この機械はただ者ではない。 小生のような素人は、簡単に繋がるように思っていたが、 REGZAリンクといっても液晶TV(22AV550,19R9000)等の ような安物、RD-s304kなどとのレグザリンクをしようとしても、 認識しないのである。 (むりに接続しても連携の画面が霞む) DLNAという最新式の連携ができなければ この LINK STATION は機能しないらしい。 息子に言うと、LAN接続の機械であり、LANがダメならUSB というのは無理な話で、USBの端子があるといっても、 無理に接続すると壊れるそうである。 (やってみてもいいよというが。) 小生のREGZAのレグザリンクの操作パネルでは、 「録画番組を見る」、「予約を確認する」、「HDMI 連動機器を操作」しかなく、 「設定メニュー」の中でも「USBハードディスク設定」、 「録画再生設定」、「HDMI連動設定」しかないので、 課題のLINK機器の操作は予定していないようなのだ。 小生には、LINK STATION の商品機能の説明が LAN接続器では 間違っている としか思われないのだ。 USB利用のLINK STATIONも別途有るが それは別物であると思う。 小生の場合は、 「USB接続の2TBのHDD機器」が安くなっているので、 その方が 無難だという(パソコンでもTVでもとのことだ)。 RD-s304kがギーギーと悲鳴を上げているが、 DVD-Rを取り出すと 音は消える。 不思議と、DVD-RAMを入れると音は小さいし、 録画再生ができる。 DVD-RAMとDVD-R,DVD-RW を比較すると重さが違う。 RAM が重いのである。 いっそ、DVD-Rを二枚接着剤でくっつけて重くすると、 RAMと間違えて 旨く動かないものかと、呆けは「感傷的」になる。 間違いなく、機械は壊れるであろうが、どうせ壊れそうなら、 一度くらいやってみたい。 それだけ、この機械には故障が多いような気がする。 メーカーはこの機械の専門の修理部門を抱えているが、 もっと壊れない機械を作ってもらいたいものである。 女性のなかでもこの種の家電は汎用性が低く、新しい 機械を買った方が便利に出来ているという。 まさに、売らんかな、の姿勢であり、家電ユーザーの 便宜は考慮されていない。 折角、録画機を買って記録して大事にとって置いても、 録画機はDVDなどの媒体と連携があり、録画機が壊れると、 保存して置いた媒体は全て無駄になるような家電業界の 体質があるようでならない。 中国のように、自由すぎるのは困るかも知れないが、 消費者のことを考えた家電の汎用性を高めていかないと 日本の家電は使い勝手が悪すぎると、 世界から嫌われるかも 知れないと思う。 <小生が、RD機器にDVD-Rなどを使用しないのに入れた ままにしたことも、消耗を早めた自己(事故)責任があるが。> 結局、 息子は、宝の持ち腐れだと、LINK STATION を持ち 帰ってしまった。 置いてくれても、迷ってしまう脳梗塞の小生を懸念して のお持ち帰りであった。
Jul 2, 2012
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ウインブルドンでは錦織圭選手の頑張りが見事に花開いて いるという。 今頃、デルポトロ選手との3回戦録画を観戦中である。 この試合も見事勝利したと言うから(誰か間違って小生に 教えたらしい)、ブレークされても、安心して楽しめる。 さて、昨日の続きである。 台所(キッチン)TVの地上デジタルやBSデジタルの 映像可能性は、スカイツリー電波塔の開業(来年1月)を 待つしかない(勿論、屋根にデジタルアンテナを付けたり、 ポータブルデジタルアンテナを購入すればいいが、これは 勿体ないから止める)のであるが、以前に、アナログTVを チュナーを利用して、「転写映像」させたように行ってみる 手もあると思う。 CATVから電波を受けて、 地上デジタルはYAGI-HDMI DIGITAL HI-VISION DTC10を使っていた。 また、CATVでの共聴ではBSアンテナを残してくれて、 BSパラボナからも受信できる混合方法を取り入れているから CATVケーブルからBS放送を取り出せるのである。 もしかして、地上デジタルは間違いなくDTC10を利用すれば VIDEO受信のLINEを通しても見られるに違いない。 DMP-HV200にどのようなケーブルの入力端子があるかを 見れば判る。 1.DYPFM02という整合器がPANASONICから出ており、 1000円以下であるらしい。 これをDTC10からDMP-HV200に接続すれば 映るかも知れない。 ただ、これだと電力はDTC10を利用する分だけ 余分にかかることになる。 TOSHIBAのBS DIGITAL HI-VISION TUNER を持っているから、BS放送も可能であろう。 ただ、DYPFM02という整合器が良いのか、別のLINEでの 入力が有効かも知れない。 小生には、CATVは変調しているから、台所TVでは乱れて 見えない可能性が予想されるからである。 (やってみないと判らないが、無駄な出費となる。) 2.別のと言うと、VIDEO受信のLINEであり、慣れている 映像+音声の3本(黄色、赤色、白色)ケーブルから出力し、 ピンジャックで入れる方式である。 その名前はRP-CVPM3G15というPANASONIC製品 (ピンプラグ+RCA変換ケーブル)であり、電器音痴の小生は この方が判りやすい。 とにかく、これらを使用すれば台所TVでも地上デジタルは 見ることが可能であるような気がしてきた。 けれども、このような複雑な形式は、小生なら我慢するが、 綺麗好きの家内には気に入るはずがないので、 来年までスカイツリー電波塔を待った方が良さそうである。 PANASONICはCATVの会社と連携して、 CATVに合わせた台所TVを開発 (というより簡単な設計操作)を行って貰いたいものだ。 小生などでも、簡単に分かるものであり、中国製品に このような汎用機が現れるのも間もないことであろう。 さて、まだ、5ゲームであるが、デルポトロ選手が4-1 でリードしている。 どうして、形成を逆転したのか(情報が違っており 後では負けていた)楽しみであり、日記を書くのは 止めてまじめに観戦しよう。 P.S. 今日の、早朝テニスには、左の腰はサービスの時に痛いが、 なんとか練習には出ることができた。 そのとき、だれかが言っていたので紹介する。 錦織選手の着衣に付いている、ロゴの「ユニクロ」というのに もう少し工夫が欲しいと言うのだ。 理由は、カタカナのそのままが二つ並んでいるだけで美的 センスが全く見られないという。 そういえば、UNIQLO以外にもカタカナが3つも見える。 うるさい観衆もいて申し訳ない気がするが、第1セットは 落としたものの、第2セットの1ゲームから調子は上がった。 <しかし、情報とは違い、さすがはシード上位のデルポトロ 強かった。 錦織選手も善戦であった!!!>
Jul 1, 2012
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