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めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Sep 15, 2013
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カテゴリ: アジア州





「蒙古襲来」のような「国難」であると思う。

・・・敢えて、写経的に回顧してみる・・・

★モンゴル帝国(定住→中国・元朝)

モンゴル高原の遊牧民をチンギス・ハーン(およびその後継者)が統合した遊牧国家。

モンゴルから領土は、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、

南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、

東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国(大連合国家)を作り上げた。

最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、

当時の人口は1億人を超えていた。


★モンゴル帝国・元朝に滅ぼされた国

1218年 ナイマン王国<モンゴル高原西部の遊牧民族>

1218年 西遼<1132年から1218年までトルキスタンに存在した国>

1227年 西夏<タングートの首長李元昊が中国西北部に建国した王朝>

1231年 ホラズム・シャー朝<中央アジアからイラン高原まで支配したイスラム王朝>

1233年 大真国<金朝の将領が中国東北部で建国した国家>

1234年 金<中国の北半を支配した女真族の王朝>

1240年 ルーシ大公国<キエフを首都とした東欧の国家>

1254年 大理国<雲南地方を主たる領域として統治>

1258年 アッバース朝<中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝>

1279年 南宋<北宋が、金に華北を奪われた後、南遷して淮河以南の地に再興した政権>

★モンゴル帝国支配下の国

 コンギラト

 オングト

 オイラト<モンゴル高原・西部から東トルキスタン(新疆)北部に居住する民族>

 カルルク<ジュンガル盆地やイリ地方に存在したテュルク系遊牧民>

 天山ウイグル王国<新疆ウイグル自治区に存在したウイグルのつくった王国>

 ルーム・セルジューク朝<アナトリア地方を中心に支配したテュルク人の王朝>

 大アルメニア王国

 キリキア・アルメニア王国<現在のトルコ南岸部キリキア地方でアルメニア人建国の王国>

 グルジア王国

 サルグル朝

 →インジュー朝<ファールス地方を中心にイランを支配した王朝>

 ケルマーンのカラヒタイ朝(西遼の将軍バラク・ハージブがイラン南東部に建国)

 ロレスターンのアタベク政権

 クルト朝<イラン東部ホラーサーン地方のタジク人 スンナ派イスラム教徒の王朝>

 バーヴァンド朝

 イスパフバド朝

 ノヴゴロド公国<公座を大ノヴゴロドに置く中世のルーシの主要な都市国家の一つ>

 モスクワ公国<キエフ・ルーシの北東辺境地に成立した国家>

 (大理国:段氏は以後も大理地方の運営に携わる)

 チベット<南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた国家>

   陳朝(クビライ治世末期からはほぼ独立状態、ベトナム北部を支配した王朝)

 高麗<朝鮮半島を統治していた高麗王朝>

 パガン王朝<現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝>

   チャンパ王国(朝貢関係・宗主権のみ承認。ほぼ独立)<ベトナム中部沿海地方王国>

   マジャパヒト王国(朝貢関係・宗主権のみ承認。ほぼ独立)

        <ジャワ島中東部ヒンドゥー教王国>

★モンゴル帝国の侵攻を妨げた国

 マムルーク朝<エジプト中心に、シリア、ヒジャーズ支配のスンナ派イスラム王朝>

 ▲陳朝<ベトナム北部を1225年から1400年まで支配した王朝。国号は大越>

 (解放)奴隷王朝<北インド支配のデリー・スルタン朝最初のトルコ系イスラーム王朝>

日本(鎌倉幕府)

 ▲マジャパヒト王国<ジャワ島中東部中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国>

 神聖ローマ帝国

   <現在のドイツ、オーストリア、ベルギー、チェコ、リヒテンシュタイン、

    ルクセンブルグ、モナコ、オランダ、クロアチア、サンマリノ、スロベニア、

    スイス、フランス、イタリア、ポーランド>

 ・・・・・

★「蒙古襲来」<中国・元朝軍の襲来を日本に焦点を当て説明>

1259年 高麗王国がモンゴル帝国(フビライ)に降伏

1266年 フビライが日本に朝貢を要求

1268年 蒙古国書が8代執権・北条時宗(18才)に届く

1274年  文永の役(11月11日~26日) ・・北条時宗(24才)

1280年 フビライの死者を北条時宗(30才)が斬る

1281年 弘安の役(6月16日~8月29日) ・・北条時宗(31才)

1284年 北条時宗死す(34才)

1294年 フビライ死す(80才)


(★文永の役・戦況)

元軍は対馬、壱岐、肥前沿岸を殲滅、毒矢・鉄砲と集団戦法で圧倒、

日本軍は一騎打ちでの戦況とはならず、太宰府まで敗退した。

元軍は上陸後、1司令官を遠矢で射抜かれて劣勢に転じ、激戦で矢尽き

疲弊し、撤退を決めて戻る途中に暴風雨に遭遇して散り散りになった。

戦闘での勝敗ではなく、元軍散り散りとなり、結果的に、日本が勝利。


(★弘安の役・戦況)

東路軍は朝鮮から出発、対馬、壱岐、一部は長門を侵攻し、

主力が博多湾の海上に出現し8日間にわたる海上、陸の一部

で戦闘があり、日本軍の激しい防戦で上陸を阻まれ、壱岐を経て

肥前・鷹島に退いた。遅れて到着した江南軍が東路軍と合流し、

大挙して、大船団で博多湾に押し入ろうと構えていた。

その夜半に、暴風雨に遭遇し、元軍は壊滅状態になった。

暴風雨<神風神話>が起こり日本軍勝利

(★元軍の敗因)

☆兵の大半は属国の中国人、朝鮮人であり士気は低かった

☆元・モンゴル将兵にとって乗馬は得意だが、船や海には不慣れ

☆元軍は食糧、武器、兵站の補給に不安であった

☆海路は岩礁が多く、暴風雨に遭遇し多くの船が遭難した

☆相手の日本軍は恩賞を貰うために必死であった


(★日本への影響)

☆「神風」により日本が救われるという、神仏祈祷に依存の「神国思想」

☆幕府にとっては相手が自滅したにすぎず、領土は増えず恩賞の対価なし

☆御家人は恩賞を貰えず、不満が高まり、幕府は徳政令を発布

☆国内では反社会的集団「悪党」が、海外では「倭寇」が高麗や、

 衰退気味の元朝を苦しめ始めた。

☆北条氏は、専制支配を強化し難局を逃れるため、合議制を廃そうとし、

 かえって人心が北条氏から離れ鎌倉幕府は崩壊に向かう。


★日蓮上人

1222年 千葉県鴨川市・旧安房郡天津小湊町の小湊で誕生

1238年 清澄寺で出家

1242年~1253年 比叡山、三井寺、薬師寺、高野山、仁和寺、天王寺、東寺遊学

1254年 清澄寺を退出、鎌倉に出る

1260年  立正安国論 を著し、前執権北条時頼に送る。他宗派僧の焼き討ち遭遇

1261年 幕府による伊豆流罪(法難)

1264年 安房国で念仏信仰者の地頭に斬りつけられ負傷、弟子を失う

1268年 蒙古から幕府へ国書届き、他国からの侵略危機が現実のものとなる。日蓮は執権・

    北条時宗などに書簡を送り他宗派との公場対決を迫る

1271年 幕府・諸宗批判の名目で佐渡流罪(処刑されかかるが免れる)。流罪3年中に開目

    抄、観心本尊抄など著述、法華曼荼羅を完成

1274年 赦免、幕府評定所で 蒙古来襲の予見 を聞かれ、「法華経を立てよ」。身延

    山久遠寺を開山。予言して5ヶ月後に 蒙古襲来<文永の役>

1281年  蒙古軍再襲来<弘安の役>

1282年 死去享年61歳

<比較項目、元朝軍(モンゴル帝国・高麗王国連合軍)、日本軍(鎌倉幕府軍)>


比較項目



元軍



日本軍



説明



1. 文永の役・兵力



総数3.2万人


元朝軍2万、高麗軍1.2万人


総数1万人


元朝軍には金、南宋の降伏兵を含む



2. 文永の役・船力



900艘


300艘



3. 弘安の役・兵力



総数14万3千人


東路軍・・元軍1万人、高麗軍1.5万、水手1.7万人


江南軍・・南宋軍10万人



総数12.5万人


博多の防人・鎮西軍4万人、中国地方2.5万人、京都から四国6万人




4.弘安の役・船力



4,400艘


東路軍900艘、江南軍3,500艘



(沿岸に沿って石塁を構築)




 脚注:資料出所:WIKIPEDIAなど








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Last updated  Sep 16, 2013 09:12:31 AM
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