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Jan 9, 2014
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カテゴリ: 宗教


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

〔福沢諭吉「学問ノススメ」から〕

人は本来平等であって,貴賤上下の差別はないということ

と、辞書にある。

これは、辞書だから言えるのであり、

これを理解する人は知識人である。

「本来!」と「現実!」には「乖離」があると言うこと

が難しい話となる。



もっと難しいのは、「人生を導くはずの宗教」が「差別」の上に

成り立っているという人間社会である。



キリストは「罪深くして生まれた」というように、最初から「罪」は

人間である以上、全ての人間が抱えているという認識から始まる

(主は全ての人間の罪を唯一人で背負って十字架にかかる)ように、

この呆け頭は考える。

宗教的でなくても、食物連鎖の頂点に立つ人間は、

ある意味では全ての生物の頂点にあり、

科学的にも最も罪深い生物なのかも知れない・・・





「学問」=「科学」であるが、

現実の世界では、例えば、ヒンドゥー教(バラモン教)などでは

身分的な「厳しい戒律」がある。

(仏教はその身分的戒律、輪廻の解釈に問題があるとして

ヒンドゥー教から新たに生まれた宗教ではなかったか?)



人間社会では、「分業」でもって社会が進化(産業化)してきた。

やりたくない仕事、衛生的でない仕事、道徳的見地から忌み嫌う仕事など

は、仕事を分業上振り分ける(仕分け作業の)ために必ず人を必要とする。

だれも希望しないから、その時代の勢力者が、犯罪者や被征服者などを

そこに宛がうこととなる。

それが次第に慣習化していくことになる。

どの国にでもそのような職業的身分制度のようなものがあるかも。



征服者は最上位であり、最も武力の強いものが国権を占有し、

その地位を安定させるために

宗教的な権威付けを行う宗教者が、武力をもつ最高権限者に崇められる。

宗教者は武力者に利用されるのであるが、その上に立つことも

あり得ないことではなく、他方で、武力者が宗教的な力を

併せ持つようになると絶対的な政権となるのが、

人間世界<中世の絶対王制>のようである。



もちろん、分業として「政権者」は必要であるが、

それなりの責任は重大であり、謙虚であらねばなるまい。

・・・・・・・・・・・



話をヒンドゥー教に限定すると、「人間が普段暮らしている世界」と

「人間らしく暮らせない世界」が、この宗教的世界には存在する。

そのような、非人間的社会生活を余儀なくされる社会階層が

カーストの社会の最下層にダリット(旧不可触民))として存在する。



ヒンドゥー教(カースト社会)とその他宗教(カースト外の社会)
<2001年国勢調査>

宗教名

「カースト内・外の社会」の比率

ヒンドゥー教(カースト社会) 

80.5% 

イスラム教 

13.4% 

キリスト教 

2.3% 

シーク教 

1.9% 

仏教 

0.8% 

ジャイナ教 

0.4% 



(注)ヒンドゥー教徒は他宗教への改宗は可能。
他宗教からの改宗も可能であるが、カースト社会
構造の、下位層のシュードラ(=農耕・労働者)または、
ダリット(=旧不可触民)に配置される。
ヒンドゥー教徒は1961年83.4%→2001年80.5%に低下。



インドのカースト構造

カースト構造

カーストの名前

バラモン 

司祭 

クシャトリア 

戦士 

バイシャ 

商人 

シュードラ 

農耕・労働者(5割弱) 

ダリット 

旧不可触民(2割弱) 



(注)上位カースト(バイシャ以上)、と
下位・後進カースト(シュードラ以下)とは、
同じ井戸の使用、同じ寺院の参拝など禁止。
地位は継承され、生を受ける「輪廻転生の世界観」
で生まれ変わるという社会原理がある。



新憲法とカースト制度


1950年には新憲法が制定されて、カースト制度に

基づく「差別」自体は撤廃されている。

それは、人口の7割弱ほどを占める後進カースト層を

政治的には無視できないことで、現実には被差別層への

優遇策が進んでいることから、差別感覚は都市部では薄れているようだ。

しかし、農村部などでは、カーストに基づいた差別が依然残っている。

特に階層外の結婚問題は困難なようである。



ロミオとジュリエットのような悲劇では

言い表せない、宗教世界が

農村部ではまだまだ残っているようなのだ。

民主主義の多数決の原則の浸透で多少は

薄められて来ている戒律なのだが・・・

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

の考えも、輪廻転生という世界観では

本人の特定化が難しく、

考え方次第で、自分が他人になったり出来そうで、

DNA概念をこの世界観に持ち込む必要が

あるのかも知れない。

A→Bは必然ではなく、心の持ち方、日頃の行いで

CでもDでもXでもZでも到達するのが人間生活とした方が

生活に張り合いがありそうだ。

お互いに張り合いのある生活が、必然の堅苦しい生活よりも

人間には相応しいかも知れない・・・





呆け頭の小生では曼荼羅の無限の広がりは万華鏡を見るようで、

あまりに美しすぎるが、美しいだけに

誤魔化されそう であると

思う次第。



小生は宗教家でも信者でもない

唯の呆けである、ことをお断りしておく。













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Last updated  Jan 10, 2014 12:45:34 PM
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