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私は、X年からの4年間、ブラジルの企業に出向した。
以下は、自分が体験した、ブラジルに関する音楽のエピソードである。
(・・・宇治見氏はViolin奏者でもある・・・)

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勤務は東京だった。
ポルトガル語を知らなければ仕事にならないので、
週1回、ポルトガル語の学校に通い、悪戦苦闘した。
そして何とか
「日本人ブラジル移民100年史」 を
翻訳できるまでに漕ぎ着けた。
この本は、ブラジル移民の苦難の歴史である。
ご関心のある方は、
「めいてい君の日記」
寄稿文
2013.11.14-15を
ご覧下さい。
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ポルトガル語 は、
日本に最初に入ってきた西洋の言葉である。
京都の先斗町( ポント=Ponto 、つまり 先端、 点、地点、を意味する*)、
カステラ(=pao de Castelra) 、
襦袢(= gibão ← jubbah アラビア語 ) 、
おんぶ (=ombro,子供を背中に背負うこと)、
カルタ(=Carta) 、
てんぷら(=temperar) 、
合羽(=capa) 、
ピリピリ (=Piripiri,唐辛子が辛いこと)、
ボーボラ (= abóbola, 九州でかぼちゃのこと)
コンペイトウ(=confeito) 、
メリヤス(=meias) など、
沢山日本語になっている。
(*先斗町については、「都の先端pontoの町」や
「四条大橋・三条大橋という橋ponteがある町」
などの諸説がある。)
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ブラジルに出張の機会が訪れた。
片道24時間かかる。
成田で搭乗手続きをしたが、搭乗拒否された。
理由は帰りの切符を所持していなかったためである。
外国為替レートの関係で、帰国の切符は,予め、
ブラジル側で安く購入してあった。
従って携行できなかったのである。
出発2時間前であり、必死に交渉した。
ぎりぎりで、航空会社が妥協案を提示した。
結局、成田で、ブラジルから出国の際の切符を買い
(ウルグアイへの出国)、何とか飛行機に乗ることができた。
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現地では、休日を利用し、アマゾンに飛んだ。

ジャングルの中に突然現れる大都市マナウス、
ここのオペラ劇場「テアトロ・アマゾナス」を見学した。

19世紀末、ゴム栽培で巨万の富を蓄えた成金たちが、
パリのオペラ座そっくりの劇場を、ここアマゾン河岸に作り、
夜な夜な、遠いヨーロッパの芸術を楽しんだ。
現在でもコンサート会場に使われている。
オペラ座と違う点は、各座席の下に円い穴が開いていることだ。
奴隷が、地下から扇いで、涼しい風を観客に送った名残である。
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ブラジルの東部にペルナンブーコ州がある(州都はレシフェ)。
ここで採れる「 ペルナンブーコ」 という植物の枝で、
実はバイオリン の弓のスティック本体部分を作る。
皆さんの弓もこの材質のはずだ
(ビオラ、チェロ、コントラバスも同じです)。
現在、乱獲で少なくなり、輸出禁止である。
思わぬところで、バイオリンと関係があるのに驚く。

<Webよりペルナンブーコ(=英名:Brasilwood)の花>
・・・・・
植物の名前は、原産地の州の名でも呼ばれるが、
学名はCaesalpinia echinata、英名はBrasilwoodである。
弓としては、「Brazilwood」は安いもの、「ペルナンブーコ」が高級品に
使われるらしいが、本来は同じものを意味している。
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出張の帰路、成田空港で買った航空券を使い、
ウルグアイの首都モンテビデオ に立ち寄った。
タンゴ 「 ラ・クンパルシータ(注) 」 は、
実はここで作曲された。
タンゴはアルゼンチンだけの専売特許ではないのである。
作曲者(ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲス)の家で記念撮影した。
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Wikipediaより
<注:「ラ・クンパルシータ」とはスペイン語で「小さな行列」を意味し、
ウルグアイの 作曲者・ロドリゲスが学生行列をイメージし作曲した。
ラプラタ・タンゴを代表する曲として、またウルグアイでは
「タンゴの国歌」として愛されている。
アルゼンチン・タンゴの代表曲で、最も普及している 歌詞
アルゼンチン人によるものであり、双方で自国の音楽であると
主張される。>
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さて、ブラジルには関係ないが、
音楽教育での経験談をひとつ。
Y年5月、R国・A皇太子夫妻(現大公夫妻)が来日された。
ある日、バイオリン幼児教育の大御所、W先生宅をご訪問、
私に、英語通訳の役割が廻ってきた。
そのときの模様が、W先生の回顧録にある。
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「 A殿下は、わざわざ拙宅に足を運ばれ、
孫をはじめ4歳から8歳までの男女4人の幼児にレッスンする様を、
熱心にご覧になられた。(中略)

両殿下は、私の教え方について、いろいろご質問くださったりして、
感銘深いご様子に見受けられた。
そして、帰国後はこれを同国の音楽教育に役立てたいとのお言葉に、
大変名誉なことと感激した。 」
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・・・国際親善のお役に立てて、光栄であった。
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2014年の夏、テレビで、
ノルマンデイ上陸作戦70周年記念式典の
模様が放映された。
関係国首脳の記念撮影のシーンに、
R国・A大公が登場した。
仏大統領が主催国ホストとして中央に立ち、
向かって左手に、英女王と米大統領、
向かって右手にA大公と露大統領という配列であった。
実は当時、露のクリミヤ半島国有化で、
米国と露は緊張関係にあった。
仏大統領が知恵を働かせて、
両大国首脳の距離を微妙に離したのではなかろうか。
A大公の重みをあらためて認識した。
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以上
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