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★
随分前になるが「継体天皇」については、
故人である寺尾公男氏が
「茜色に燃ゆ」(倭三国志演義)
で
継体天皇を取り上げた。
最近の読売新聞の「日本史アップデート」で
いわい
教科書に出ているその「 磐井の乱
」が
有名である
ことを知った。
この継体天皇の生涯は寺尾公男氏の
あかねいろ
「茜色に燃ゆ」
に詳しいが、
いわい
主に「磐井の乱」の経緯で終わる。
そが はつせ あまかし くずは
記載は、主に大和朝廷(蘇我、泊瀬、甘橿、樟葉、
うだ
みわ
いわれ
宇陀、三輪、磐余)や
つくし
やめ
くま
こくぶ
さいとばる はやと
九州(筑紫、八女、球磨、国府、西都原、隼人)や
現光陽郡 きめ きょんじゅ こそん とうらい
朝鮮半島(
牟婁 *
、金海、慶州、固城、東莱)や
おきなが たんば
日本海沿岸~中央へ(
息長、丹波)や
はりま しわく おわり
播磨、塩飽(瀬戸内海)、尾張(名古屋市)、
いせ
伊勢(三重県)などで,
さど こし いじみ いすみ
佐渡、古志(新潟県)、伊甚・夷隅(千葉県)は
わずかの記載で、関東地方までの
詳しい記載はないように思われる。
* 「馬老」(牟婁)・「曦陽」から現在の地名である
「光陽」に改称。奈良県の
牟婁ではない。
日本書紀には、
東国での「武蔵の国造りの乱」
について記載があるという。
ワカタケル
継体天皇の数代前の 雄略天皇
の名を刻む鉄剣が
出土したのは埼玉県行田市にある古墳群であり、
日本国(=大和政権)では東国にも有力な勢力が
存在していたことがわかる。
同族で争った豪族の墓には最大の前方後円古墳・
(埼玉県行田市~132.2m)
二子山古墳があり、これが大和政権の支援で勝利
みやけ
して、武蔵4か所を 屯倉
として同政権に差し出
した人物だという。
前方後円古墳群としては、
(宮内庁の指定する古墳: 太田茶臼山古墳
とは異なる)いましろづかこふん
継体天皇の古墳の 大阪府
にある 今城塚古墳
(約180m)、
草香王
だんぷやまこふん
継体天皇の妃の父、 尾張
の 断夫山古墳
(約150m)、
いわとやまこふん
磐井の乱の磐井を祀る 福岡県
の 岩戸山古墳
(約
132m)
などなどがある。
群馬県藤岡市~145m(150m超?)
七輿山古墳
~は二子山古墳に祀られた豪族
(地方官「国造」の座を同族の兄弟喧嘩の弟に味方して敗れた)
に敵対した、大和政権に敗れた他の関東の豪族❓
かもという~思い入れらしい。
★
寺尾公男氏がご尊命なら、
面白がったに違いないだろう。
勝者によって
「歴史は作られる」
というが、
古代には
お互いが戦った人物でも~
古代の日本では共存できたのだろうか?
埼玉県行田市
群馬県藤岡市
この二子山古墳と七興山古墳の共存が
それを物語っていないだろうか。
★
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