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お食事の介助をするようになって、自分自身がなんだかとても違和感がありました。定年して、畑仕事やら、旅行やら、グランドゴルフやら好きなことをしていて、今までどんな時も、、父が仕事時代の私が子どものころから弱い雰囲気を感じさせることがなかった父。父が弱音を吐くような場面を一度も見たことがなかった。全然関係ないですが、昔の話、私が子どものころ、家の近くの道を深夜に大きな音で走るバイクがたくさんと通ることがあったのです。兄と二人で、父さんが 「うるさい!しずかにせんかー!」って言いに行くんじゃないかと心配していたことがありました(^^;今考えれば、さすがにそんなことはしないのですが、子どものころは真剣に心配してました。そういうキャラクターの父親です、、。父に対しては、なんだかちょっと一線あるような。フレンドリー家族なら自然な気持ちでお食事の介助とかもできたのかな。父のつくった家族の形も好きだと言ったけど、やっぱり、こういうときに父が思ったことをすんなりと出せる関係だったら良かったなと思います。私自身も思いやりや感謝の言葉をもっともっと素直に出せればよかったなと思います。それから、病院のお食事はあまり口に合わない様子でした。自分で食べられないから食べにくい様子でしたし、「あーしろ、こーしろ」といいながらなんとか食べていました。まさか父が亡くなるなんて考えていなかったので、「たくさん食べてほしい」と思うだけだったのですが、今思えば、もっと好きなものを聞いて、用意して、食べさせてあげたかったなぁって思います。病院からはダメって言われたかもしれませんが!そして、転院希望の時の説明で話されたように父の体の機能が弱まってきていたからか、食事が上手に飲みこめなかったり、痰が詰まったりするようになりました。「痰をとってくれ」と父が頼むと、看護師さんがズズズーっと取ってくれていたのですが、それがとても頻繁になり、入院して、10日くらいから時々、たまに父が認知症のように訳の分からないことをいうようになる時がありました。看護師さんにその様子を話して、大丈夫でしょうか?と聞いたことがあったのですが、特に問題もない様子で、「年齢もあるし、そういうこともありますよ」と軽い返事でした。年をとってから環境が急に変わるとそういうことがあると何かで聞いたことがあったし、看護師さんもそういうので、気になりながら、私たちも父の話に合わせたりしていました。専門の方がこの話を聞いたら、「あー、あの状態ね」みたいな何か理由が分かるのでしょうか?なにもない病院の天井を見て、「天井から紙みたいなのがたくさんぶら下がってるなー」と言ったと思えば、椅子の上で立って父と話をしようとする娘に 「危ないからそんなところでたっちゃいかんぞ」と注意してくれたり。とてもむらがありました。そんな中でも意識がはっきりしている時には、家に戻った時、どんな風にリフォームするかとかも母と話し合っていたようです。ところが、急に体調が悪くなり、意識もはっきりしなくなってしまいました。誤嚥性肺炎になってしまったのです。担当の先生から、「チューブを入れるという治療は出来ますが、それを外すことはできなくなります。どうされますか?」というような話をされました。家族で集まって話し合いをしました。意識がない状態で、チューブを入れるということが父の望んでることだろうか、ということです。そして、それを外せない。意識のあるときに、尊厳死の意思をはっきり持っていて、その書面を用意しており、妹に病院に持ってこさせていた。みんな父の答えはなんとなくわかるのですが、決断ができない。でも、やはり、父の性格や、用意してあった尊厳死の書面、考えて、考えて、チューブを入れる治療は断ることに決めました。それからは意識が戻ることはなく、入院して2週間で父は亡くなりました。
2017年10月19日
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転院希望を出していた病院に母と兄と私で話を聞きに行きました。担当の話の先生では父は肩から下が動かない状態だと、動かない部分の内臓機能も弱まってくることになるだろうということでした。ほとんどのことについて介助が必要な父に対して、ナースステーションの近くの病室が必要になるだろうと言われました。「なかなか受け入れは難しいところですが、何とか出来るようにしましょう」と先生に言ってもらえて、暗い気持ちでいた中に少し明るさが見えた時でした。ここの病院の先生はとてもお話の仕方が優しく、私たちにも分かりやすく説明もしてくれて、とても温かい気持ちになりました。お話した看護師さんの方々も優しい方ばかりでした。わたしも入院するならこの病院!(できればそのような状態は無い人生を送りたいですが(-_-;))と思ったほどです。父にも良い知らせができるのを嬉しく思いました。一週間後くらいに転院になる予定だったと思います。良い知らせにやはり父は喜びましたが、ここに転院することはなく父は亡くなります。
2017年10月17日
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自動車事故でしたので保険会社とのやりとりが多かったのですが病院での父の状態をお知らせしたところ、最初に連絡をした時に担当した方から別の方に担当が変わりました。後遺症が残る大きな怪我になったからだと思います。そのような事故の場合、専門の方がいるようです。やりとりの中で、免許証のコピーをくださいと言われて、父が携帯していたコピーを渡したのですが、それが最新の免許証のコピーではなかったらしく、兄に「この免許証の情報ですと保険がおりません」という連絡が来て、兄から母に「免許証の確認をして!」と動揺した感じで電話がかかってきたと母が後で言っていました。保険に入っていたので、とりあえず、入院費の心配はしなくていいと思っていたのが急に不安になったと言っていました。もちろん大丈夫だったのですが「もぉ、おとーさんったら(-_-;)」と!本人にはいいませんでしたが!!コピーを持ち歩くのなら最新に入れ替える必要があるよね、ということです^-^また後で書きますが、この後も保険会社と病院の書類で大変なことがありました。
2017年10月17日
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入院している病院での出来る治療が終わり、次はリハビリができる病院への転院をする必要があるということで、ソーシャルワーカーの方と話し合いをすることになりました。入院してから一週間たったころだった気がします。母、兄、私が参加して話を聞きました。救急で運ばれた病院で治療できることが終わると転院することになるようです。しかし、父のように治る見込みがあまりなく、ほぼ体が動かないとなると、なかなか受け入れて入れるところ探すのが難しいとのことでした。入所出来たとしてもずっといられるわけではなく、何か月とかでまた次を探す、という形になるといった話でした。また、私たちが通うことを考えて近くにする、という、そんな都合の良い病院がそこかしこにある訳もなく、、。どうなるのかな、と心配に思ったのを覚えています。ただ、父がボランティアで行っていた病院がそのような受け入れがあり、父もできればそこに転院したいと言っており、お話を聞きに行けるように手配して頂けました。また、障がい者手帳についてや父が帰ってきた時のことを考えてのリフォームのことなどいろいろ話を聞くことが出来ました。今回の話し合いの件もそうですが、それぞれが進めた手続きなど共通認識できるようにノートを一冊作っていました。父がぶつかったガードレールの修理の件、保険請求の件、必要書類の件、今後の予定、などなど、その都度書き足していっていました。バタバタしていて、それぞれの時間で動いていたので、役に立っていたと思います。
2017年10月17日
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戸惑ったことが多かった父の交通事故。記録でもありますが、もし同じようなことが起こってしまった人の助けになればいいなと思って書いていました。でも気持ちが重くなってしまい、続けられなくなっていました。復活!集中治療室を出てからは、お食事の介助のためもあり、病院から出来るだけ毎日来てほしいというようなお話がありました。母が主に公共交通機関を使って行ってくれていましたが、専業主婦の妹が子どもの幼稚園や学校に差支えのないところで車を出して母と一緒に行ってくれたりしてくれました。兄は塾で働いていて主に仕事が夕方からだったので、午前中のうちに病院へ行ったり、保険会社の人と何度か会って話をしたりしていました。私は仕事の休みを少しずらしてもらって平日に行ったり、仕事が終わってから娘と一緒に行ったり、という感じで病院へ行っていました。主人も父を慕ってくれていて、忙しい中一緒に何度か来てくれました。3人兄妹だったから、「明日は誰がいつ行ける?」という感じでなんとなく役割分担していましたが、もしこれが兄妹がなく、1人だったらと思うと仕事なんてしていられない状況だな、思いました。自分の子どもは一人でしたので、もっと自分が若くて選択ができるのなら、もう一人欲しいな、、と思うだろうな、と考えてしまいました。
2017年10月17日
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