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妖怪百物語 [ 藤巻潤 ]
「百物語」の集いでは、百本のろうそくを灯し、怪談をひとつ語り終わるごとにその火を一本ずつ消していって、最後は憑き物落としのまじないで締める。悪徳商人の但馬屋は、酒席の余興で百物語を催したが、その傲慢さから締めのまじないをバカにして、やらなかったのだ。そればかりか但馬屋は寺社奉行と結託して、甚兵衛長屋を強引に取り壊し、岡場所をつくろうとしていた。市井に生きる人々を苦しめやりたい放題の但馬屋や寺社奉行だっが・・・。
『妖怪百物語』は、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』との二本立てで公開されました。
おりしも子供のムーブメントが、怪獣から妖怪へと移り変わる端境期でした。
特撮ドラマ『ウルトラQ』 (1966年) 『ウルトラマン』 (1966~67年)から始まったとされる怪獣ブーム。
ガメラ・シリーズは、この怪獣ブームの一翼を担っていました。
しかし、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』は、制作費が前作の3分の1となり、過去作の映像を使いまわすという期待外れな作品でした。
また、公開時、ガメラ・シリーズは本作で打ち切りの予定だったそうです。
一方で、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(1968~69年)の登場あたりから、妖怪ブームが巻き起こります。その流れに乗って、『妖怪百物語』を皮切りに、『妖怪大戦争』(1968年)、『東海道お化け道中』(1968年)と妖怪映画が続いて公開されました。
もちろんガメラ・シリーズは、このあとも継続します。
それは、この二本立てがヒットしたからであり、ガメラ・シリーズが命拾いしたのは妖怪のおかげといえるのではないでしょうか。
ガメラ対宇宙怪獣バイラス 大映特撮 THE BEST [ 本郷功次郎 ]
妖怪大戦争 [ 青山良彦 ]
東海道お化け道中 [ 保積ぺぺ ]
ちなみに、当方は、小学校の中学年で怪獣ブームを、そして高学年で妖怪ブームを経験しました。
もっといえば、低学年のころは『鉄腕アトム』(1963~66年)『鉄人28号』 (1963~65年)などのアニメブームでした。
ここで、「二本立て」についてなのですが、大映は1966年にも魅惑の二本立てを公開していました。
それは『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と『大魔神』です。
その『大魔神』を見ている途中で、当方は隣席の弟に話しかけました。
「大魔神はいいもん(正義サイド)だぞ」
そうしたら、そのまた隣の男の子が「え⁉、大魔神って悪モノじゃないの?」と聞いてきました。
全然知らない子ですが。
事前に見た新聞広告には、手前を逃げ惑う人々が群がり、その背後から巨大な大魔神が迫る写真が掲載されていました。
その構図は、大魔神が人々を襲撃しているように見てとれました。
何しろ「魔神」ですからね。
それに、ゴジラもガメラも、初登場時は人間と敵対する怪獣でしたからね。
そんなことから、映画を見る前は、単純に「大魔神」=悪モノだと思っていたわけです。
その大魔神と人々がどう闘い、撃退するかという話だと予想を立てていました。
ところが映画は、謀反を起こした下剋上家老がいて、城主の子供たちや城下の人々をやりたい放題苦しめます。
そして、巫女の信夫が、悪徳領主左馬之助に「このまま領民たちを苦しめ続けたら魔神による神罰がある」と訴えます。
このような展開を追っていけば、「大魔神」の役割は人々を救いに現れることしかありません。
(とはいうものの、いったん怒りとともに出現した大魔神は、敵味方の見境なく暴走する面もあったのですが。)
さて、『妖怪百物語』についてです。
基本的に、人は妖怪を恐れます。恐いんです。
妖怪とは、「もののけ」とか「化け物」、「変化・魔性の物」です。
それらのイメージから、妖怪とは、怪異を起こして人に災いをなす存在だと受け取られました。
(「座敷童」など、幸運をもたらす妖怪もいますけど)
たとえば、『ゲゲゲの鬼太郎』では、鬼太郎が善玉ヒーローで、妖怪は悪党ヴィランという設定です。
鬼太郎は、悪い妖怪から人間たちを守ります。
けれども、『妖怪百物語』の妖怪はニュートラルな立場だと思うんです。
ニュートラルというのは、人間の味方でもなければ敵でもないという意味です。
映画の中で、妖怪たちが襲いかるのは、悪徳商人とそれに結託する極悪奉行です。
この人たちは、百物語をした後、憑き物落としのまじないをしません。
まじないのかわりに、「この世に小判に勝るお守りはございません」などとうそぶき、賄賂を配る有様です。
こんなのは、妖怪たちにとって、「神をも恐れぬ所業、暴挙」なわけです。
実際に、お社を打ち壊すような大胆不敵すぎるふるまいもあります。
妖怪というのは、やはり畏怖の対象なのですよ。
憑き物落としのまじないをしないのは、妖怪たちにとってみれば、「自分たちのことを軽く見られた」のです。
だから「ふざけるな!」と怒って、罰を与えるのです。
映画のお話としては、長屋の人々や大家さんが悪徳商人と極悪奉行に苦しめられていて、それら人間の悪者たちを妖怪たちが懲らしめます。
結果的に善人である長屋の人々たちが助かることになりますが、妖怪は必ずしも彼らを守ろうとしたのではないという印象があります。
ニュートラルというのは、例えば平成ガメラ。
平成ガメラにとって、最優先事項は地球を守ることであり、そのためには人類と敵対する可能性もあるとされます。
あるいは、護国聖獣のバラゴン、モスラ、キングギドラ(『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)』)は、土地としての日本の守護神であるが、必ずしも人間の味方ではないというようなことがいわれています。
さらに、レジェンダリー・ゴジラも、上記の怪獣たちと同じような役割をもっている存在であることがほのめかされているのです。
してみると、妖怪も怪獣も、人間の都合を正義として行動するわけではないのです。
といったところで、怪獣ブームの真っただ中に公開された『大魔神』。
大魔神って、怪獣なのかな?
あるいは妖怪ブームの先取りだったのか?
特撮キャラクターであることはまちがいない。
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