全1171件 (1171件中 1-50件目)
前回の文面で毎日を丁寧に暮らすこと丁寧に生活しようと心掛けることそんな大切さを綴ってみた。例えばお正月に食卓を飾るおせち料理。和食の良さや素晴らしさは普段何気なく口にしている季節ごとの食事の中にあるような気がする。日本において健康で暮らす為には和の食事が大事であるように感ずるらしい。和は平和の和に通ずることからまずは和やかな雰囲気作りが大事なってくるように思う。和やかで楽しく明るい食卓である。言い争いや議論の少ないゆったりとした穏やかで安らかな食卓だ。家族同士であろうと友人同士や仲間同士だろうと食卓つまり同じテーブルを囲む折りには和のテイストが大事になるように思う。明るい和やかな雰囲気作りを皆が心に掛ける必要がある。そうした細やかな気配りは和を持って尊しとなすと説いた古代の偉人(聖徳太子)を思い起こさせ何とはなしに趣き深い。日常の食事の基盤を和食にと思うのには和食はギラギラとした油脂類を多く使わないのでヘルシーだからである。我が国は雨量が比較的多くそうした気候風土もあってさっぱりとした薄く淡白な味付けが多いのも理由の1つであるように思う。和食は春夏秋冬四季それぞれに存在する旬の素材を取り上げ器に凝り生け花を始めとする周囲の雰囲気作りにも配慮する。よって食卓近くには一輪の花を飾るのもいいのではないだろうか。器や生け花は日本人の繊細さや優しさおもてなしの心が反映されていて快い気分に浸れるからである。慌ただしい暮らしの中にあったとしても日々時間に追われることなく心して1日の中に自分なりのゆとりの時間を持つことが大切なことなのだと感じられる。自分なりの時間なのだからその人その人なりの好みが反映されていて構わない。ある人は本を読み開くだろうしある人は映画を観味わうだろう。またある人は楽器を奏でるだろうしある人は歌を歌うかもしれない。入浴時の鼻歌などはストレス発散には大変有効である。実際同年代の友人達の何人かは数名の仲間同士でギターなどをつま弾いている。1つのグループは仲間同士でCDまで制作したらしい。また別のグループは小さなコンサートを様々な場所で開催し音楽を楽しんでいる。音楽は人の心を癒すから演奏するのも観賞するのもいいものだとつくづく思う。他にもボランティア活動に精出す人などがいて書き出すとキリがないが諸先輩がたや同輩達が実践している趣味分野は本当に多岐に渡り広範囲に及んでいる。毎日仕事に追われ忙しく慌ただしい生活を送っている人ほど自分の世界に浸り自分の時間を作り出すことが大切だ。自分の世界なのだから人と比較し比べることはない。だからこそ全く持って何もしたくない考えたくないと言う人はただ単純にボォーっとしているだけでもいいのである。ゆとりの時間として理に適っている。ボォーっとしているだけでも十分その人なりに自分の時間を楽しんでいたりするからだ。好きな飲み物を楽しむだけでもいい。カップから温かな湯気が立ち上るのをただ眺めているだけでも(かぐわしい香りを楽しむだけでも)いいように思う。例えばである。イマジネーションの世界に飛んでみるとする。朝の光が窓に射し静かに揺れている。本当に静かな休日の朝だ。そうした静かなひと時を味わってみたい。鼻歌の1つも捻りたくなってくる。そこでついつい出窓の観葉植物に水をあげながら歌い始める。朝の優しい光が体を包んでくれる。朝の優しい光線を心に嬉しく感じながら今生きていることがただただ有難い。今ただ生きていると言うことが嬉しくて仕方ない。心からそう思えてきたりする。お湯を沸かし温かな飲み物を作り始める。ラジオのスイッチを入れると軽快な音楽が流れ出し嬉しくなる。朝の時間は若さと同様過ぎて行ってしまうけれどもいつもずっとこうした柔らかな朝の光のように愛する優しい気持ちを大切に生きていたいと心から思う。どうだろうか。イマジネーションの世界は優雅で面白い。しなやかであたたかみのある成熟した姿勢と実践をこれからも心に掛けようと思う。大寒は過ぎたもののまだまだ厳しい寒さが続くようである。どちら様もどうぞお体大切に。
2016.01.27
コメント(0)
あっという間に今年も暮れてゆく。師走も半ばを過ぎた。1年は長いようで短い。心して時間を大切に使わなければと思う。健康でいられることに感謝し日々を大切に暮らしたい。大切に暮らす為には笑顔が肝心だ。笑顔で暮らす為には心から時間を楽しむことが必要になる。生活を楽しむ為のキーワードは丁寧を心掛けること。丁寧もその1つであるように感じられる。明るい微笑みとウィットに富んだ笑いゆっくりとした温厚な言葉も幸福な日常生活には欠かせない要素だ。こうして時折り文章作りにいそしめるのも幸せなことであり有難く嬉しいことである。今回もちょっとした感動を書き綴ってみたい。せんだってもこんなことがあった。アイロンをかけながら予め撮っておいたテレビ番組を何気なく眺めていた折りのこと。ブラウン管に今年デビュー35周年になる歌手のマッチが作家の伊集院静と映っていた。51歳になったマッチの歌も良かったが伊集院静の話が趣き深かった。伊集院は番組内で披露されたギンギラギンにさりげなく愚か者大人の流儀と言う3曲に携わる。大人の流儀と言う歌は伊集院静の著書と同じタイトルだ。伊集院曰くこの世にはお酒で救われている人達がいっぱいいる一生懸命頑張っても報われない上手くいかないことを一瞬のうちに消してしまえる不思議な力がお酒の中にはあると。マッチは人生で悲しい時辛い時酒を飲みながら話を聞いてくれた伊集院に感謝の意を伝える。自然と会話は(酒場における)大人の流儀の話になった。再び伊集院曰く大人の流儀の大人とはどう生きていくべきか本物の大人とは何か大人とはやっていいこととやっていけないことをまずもって決めるかどうか何の基準をもって決めるかには2つある1つはそれが卑しくないか品格があるかもう1つはそうした時に自己嫌悪にならないか後悔しないかだ後で後悔するのは誇りがないからだからつまり(選択には)品格と誇りが必要で安いことしちゃダメだってこと僕達の昔の大人の男性は今よりもっとしっかりしていた今の男の人達が軟弱と言われるのは軟弱じゃないと言う人が少ないから軟弱にならない為には苦しいこと辛いこと切ないことなんかをいかに長い時間経験しているかが大事楽して得られることは何もない深いい話だと思った。ブラウン管のマッチもいい話だなぁとしきりに頷いていた。マッチ曰く50代の今だからこそ歌える愚か者があるやっと愚か者が今しっくりくるように思うやっと周囲から笑われようがコケようが自分を素直にさらけ出せるようになってきたと。伊集院も言う。俺も何かを突破したかった自分が変化しなきゃと思った背伸びすると背が高くなるから背が伸びた分遠くが見えるんだ今までよく頑張ってきたよお互いもう少し頑張ろうぜと。マッチより年上の分だけ兄貴の風格があった。トライアスロンの日本代表になったマッチ。鉄人レースと言われるトライアスロンはスイム1.5キロバイク120キロラン30キロをこなさなければならない。そうした過酷な競技に挑戦するには日頃から厳しい鍛錬が不可欠になる。大人の流儀を歌う50代のマッチは黒いトレンチコートが似合っていた。鍛錬した細身のボディーがダンディズムを醸し出していた。ダンディーな50代にはポッコリお腹は似合わない。ポッコリお腹やしまりのないボディーはカッコ悪い。伊集院が述べた品格と誇りと言う内面を表わす2項目の存在もカッコ良さ(クールさ)や清々しさ爽やかさ人としての深みや温かみに繋がってくる。お洒落でイケてる50代は会話がウイットに富んで楽しく周囲の配慮を怠らず人格が優しく温かい。また周囲への感謝の念を忘れずに人に言っていいこと悪いことの分別がつく。向上心があって我慢強い。50代だけでなく中高年の中にはカッコいいヒトはいっぱいいる。例えば80歳を超えてエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎高齢になっても自分なりの目標を掲げ計画的に努力する人は素晴らしい。素直にこうべを垂れ敬意を表したいと思う。若者にだって素晴らしい人は沢山いる。例えば自分の記録を更新したフィギュアスケートの羽生結弦。自分自身を超えて自分の記録に挑戦し続けている。他者と比較をせず以前の自分と現在の自分とを比べて更に高みを目指し努力するところは大変素晴らしいと思う。色々な面で教えられる。話はマッチの歌だった。仲間が数十人集う忘年会でマッチの歌歌いたいな。次回の放送マッチの次はユーミンの登場らしい。音階が自分の声色に合っている方が歌いやすいのかもしれない。いずれにせよカラオケは健康にとてもいいそうである。これからも明るいカラオケダンスで皆と楽しく盛り上がりたいと思う。そうこうしているうちに師走は暮れてゆく。寒さも厳しくなる。年の暮れどちら様もお体大切に。世界が平和でありますように。
2015.12.17
コメント(0)
「秋は夕暮れ。」と言ったのは枕草子を書いた清少納言であった。が秋の風情と言えば何と言ってもやはりお月見ではないだろうか。お月様を愛でる心に古今東西変化はないようだ。太古の昔より多くの古人がこよなく月を愛し(愛で)歌にして詠んでいるのはその証でもある。それでせんだってのスーパームーンがとっても大きかったのを思い出した。あの大きな綺麗な月ご覧になっただろうか?いいですよねぇ。お月見の風情。夜空を見上げる心にはロマンがある。月が皓皓と空に輝く絵になるシーンを脳裏に想像するだけでも感極まる。そんな折りネオンなんて全く持って無用な存在。自然美に勝るものなしの感だ。無心で夜空を見上げていると月の柔らかで和やかな光が私達を静かに迎え静寂の世界に導き心を解き放ち解きほぐし何かしらを諭し伝えてくれているように思える。そうした風情ある趣きがいい。さても今回感じたスーパームーンの趣きを振り返ると東の山の端から顔を出すその瞬間にそうした感動があったように思い出す。まんまるい月が空高く昇ってしまってからと言うよりも山の際にほんのりと(月の)顔が出でるほんの短い時間帯の中にそうした何とも言えない風情があった。東の空にうっすらと月が顔を出す気配がありそうこうするうちに山の上の木々の間から月の光がみるみる溢れ出す。山の上に立つ樹木の形が月光の中にクッキリと浮かび上がり何とも言えない温和な風情を醸し出す。言葉にならない趣きと言うのはこういうことを指して言うのだろうか。男性であればこうした日本独自の風情ある趣きの折り横に和風美人がいてくれたなら?!と想像するのかも。薄(すすき)と秋の花が綺麗に生けてある縁側かなんかで着物美人に手酌してもらいながらほんのりほろ酔い気分になって特別大きな月の風情を愛でてみたいそう感ずる面々もいるかもしれない。「ススキの簪(かんざし)」の髪飾りを付けた浴衣のお姉さんでなくてもいい…。「もう一杯いかが?」なんて…言ってくれなくてもいい…けれどもし言ってくれれば…くれたで嬉しい…ような気もする…。ともかくこうした折りにあってはおしゃべりは興ざめだ(興を削がれる)。が優しい言葉は掛けて欲しい。優しく温かい雰囲気は有難いと思う。何やら話がそれてしまったようだ。ふと脳裏に記憶が蘇ったことがあった。中学生の折りのことである。学校の文化祭(体育館の壇上)で当時イケメン優秀成績運動抜群非の打ち所のない女学生ら憧れの先輩(男子中学生生徒会長)がギター1本片手に吉田拓郎の旅の宿を1人で歌って全校の拍手喝采を浴びたことがあった。しかしながら…である。よくよく今になって考えてみるとその生徒会長何と大人びたこましゃくれたおませな中3だったことか。「妙に色っぽいね」とか「君を抱くこともできないみたい」なんて言うような大人の台詞(歌詞)を学校の文化祭の場で白昼堂々披露し大喝采を得たのであるから。それでまた1つ思い出したのだがこの当時の文化祭は大喝采を浴びた演目がまだあった。つうと与ひょうが登場する木下順二の演劇「夕鶴」であった。当時の演劇部渾身の力作発表だった。文化祭に備え夜遅くまで練習に取り組んだ成果がよく発揮されていた素晴らしい発表であった。割れんばかりの拍手で幕が下りたことを今も鮮明に覚え印象深く記憶に残っている。今の子達の文化祭の様子(実態)はよくわからないけれどエレキやドラムを使った軽いノリの出し物だけに終始しない分当時の文化祭の文化水準は高く内容も深いものがあったように思う。秋は文化の秋であり食欲の秋スポーツの秋でもあるようだ。それぞれの秋を十分に満喫し充分に味わいたいものである。文化の秋。せんだってテレビで放映していた川平慈英演ずるドナルドキーンの功績は心打たれるものがあった。日本に帰化し日本文学を世界に知らしめ広めた功績はとても大きな価値があるように思う。ドナルド曰く日本人は何かに火が付くと全国民的にその火が広がり様々に飛び火して人々を巻き込んでゆく傾向がある国民性らしい。よって第二次世界大戦(太平洋戦争)を教訓にこの先もずっと穏やかな平和な世の中が持続するように冷静で落ち着いた行動と正確な判断を心掛けなくてはと改めて思った。日本文学をこよなく愛するドナルドは日本人はもっと自国の文化に誇りを持っていいわかりやすく海外に自国の文化の良さをアピールしなくてはならないと結んでいた。文字にして或いは言葉として表に表われない行間に潜む日本独自の情感(余情)も味わい深い日本文化の1つとして大切にしてゆきたいものだと思った。映像が先行しやすい現状(世の中)ではあるけれど今後も文字に親しみ書物を愛してゆきたいと改めて感じたらしい。その映像で今しがた思い出したのだがジブリの最新作「思い出のマーニー」を見先日ラスト部分で感涙してしまっていた。最後の部分に説明が隠されていてよく出来たアニメだと感動した。人には愛だとつくづく思う。文化の秋と来たらスポーツの秋で体も健康的に動かさなければならぬ。何も他者と競い合うようなスポーツ(運動)でなくていい。その人その人なりに自分に合った適切な運動を暮らしの中に取り入れ日々愉しんだらいいと思う。わたくしごとで恐縮なのだが音楽が大好きなのでリズム(ビート)を体に刻むダンスが好きだ。踊っている時は無心無我夢中の境地で振り付けに没頭しダンシングを楽しんでいる。今回インストラクターが選曲してくれた今期一曲目のナンバーはアリアナ・グランデのプログレムであった。既に上記のナンバーは振り付けを全て完全に覚え感情を込めて踊れるようになった。ダンスは体幹が大切であるが指先や目線まで心を配って柔軟にセンス良く自己表現(パフォーマンス)しなくてはならない。今回セレクトしてくれたアリアナのナンバーがとってもお洒落でセクシーなメロディーだったので受講生達は皆ほとんど夢中になって曲に没頭し大変気に入って講座が始まるプレレッスンの時点から熱を入れた練習ぶりだった。インストラクターが考案してくれた振り付けも非常に色っぽくセクシーな振り付けだったので腰を振るセクシーな振り付けも目の回るのような高速ダンスも皆一心不乱になって練習していた。汗が吹き出し飛び散りレッスンの激しさを伝えていたように思う。つくづく思うのだが難しい振り付けをマスターしただけではダンス上達には程遠い。歌詞の意味合いや音楽の高揚感を取り入れ感情を体で表現しカッコいいイケてるパフォーマンスが上手に出来るようにようになって初めてどうにかダンスが上達し自分のものになったと言えるように思う。スポーツも奥が深い。どの運動も何かしらの「道」に通じるようだ。日々の精進と養生が大事になる。これからも文武両道学習も運動も大切に一歩ずつ取り組んでゆきたいと思う。寒くもなく暑くもない過ごしやすい季節を迎えている。健康に感謝し笑顔で過ごしてゆきたい。秋の深まりと共に朝夕と日中の気温も変化が大きい。どうぞ気温の変化には十分気を付けて。どちら様も体大切に。
2015.10.15
コメント(0)
日本には日本の夏がある。お盆の迎え火送り火の炎には日本独自の風情を感じるしナスやキュウリで牛や馬を作り仏壇に供えて故人の霊を迎え送り慰める様子も日本らしい趣き深い夏の風情だと思う。そうしたような仏教儀式だけでなく先日テレビに映った長崎浦上天主堂のミサも日本の夏として心に残るものがあった。祈りの折り女性達が頭から被る白いレース。こうべを垂れ両の手を静かに合わせるその白いレースが特別印象深く美しく感じられ日本ならではの夏の光景として心に残った。(この機に改めて世界の平和を祈念したい。)日本には日本(独自)の趣き深い夏の風情があるように思う。先月最終土曜の夜に市内を流れる一級河川の河川敷で毎年恒例となっている花火大会が催された。夏の風物詩と言えば夏の夜空を彩る何千何万発の花火達であろう。一瞬で消えゆく夜空の祭典に多くの人々が魅了され食い入るようにして夏の夜空を見上げる。そうした夜空の祭典の為に花火師達が腕と技とを磨き長い時間を費やして制作してきた芸術作品は人々の興味関心を大いにそそるものであるらしい。何もかも忘れてただボォーっと打ち上がる花火を眺めながら過ぎゆく時だけを愉しむ。過ぎゆく時に身を委ねる。過ぎゆく時の空気感を味わう。そう言ったような心のゆとりがこのせわしなく慌ただしい現代社会を生きる人々には必要なのだろう。瞬時に消えゆく美の饗宴は無心に時間を愉しむことの大切さを忘れかけた我々の心に知らせてくれる。無心に時間を楽しむ。なるほどなあとつくづく思う。そうした趣き深さに思いを馳せていたらいつぞや猛暑日の夕刻我が家のワンコを2人で散歩させながら途中寄り道し店に立ち寄った折り夫が冷えたビールとおつまみを買い涼風の吹く川べりのベンチに腰掛けた時のことを思い出した。ほんのりとアルコールが回って心地良いほろ酔い気分になり他愛無いおしゃべりが弾む。いっときではあったけれど夫婦で同じ風景を眺め同じ光景を共有出来たことは貴重な時間であるように感じられ趣き深かった。日本の夏金鳥の夏。そう言ったコマーシャルもあった。蚊取り線香がしめやかに煙を立てている風情も日本ならではの夏の光景であるように思われ味わい深い。散歩途中にどこかの軒先で軽やかに涼やかにリンと風鈴が鳴ったのも耳に心地良く感じられ夏らしかった。夏の川辺でのスイカ割りや川床料理向日葵が元気にお日様に向かって咲き出でる光景朝顔の咲く早朝の風情日中の蝉の鳴き声青田の瑞々しい緑の色合いなどなどそのすべてが夏ならではの光景であろう。夏の夜店市お化け屋敷流れるプール(これは1年中かも?)では流し素麺(特に流さなくてもいいけれど)などなど数え上げたらキリがない。そうであった。1年中で思い出したが1年中プールで泳いでいるプール男が1人我が家にはいる。我が家の次男坊なのだがそうしたプール男にはプール=夏の風情ではないらしい。1日トータルで10000メートル越えて泳ぐ時もあるようで母である私をビックリさせている。彼のみならず他の部員達もプールの水を汚さないようにと日焼け止めを使わずに泳ぐ為逆三角形で体脂肪が少ない引き締まったボディーは眩しいのだが眼(ゴーグル使用の為)の周囲を残してあとの上半身は真っ黒け。紫外線(の害)が怖い私は彼の裸体に遭遇するたびにクワバラクワバラである。そうした息子なのだが夏独自の行事である大学のオープンキャンパスに親しい仲間4人と参加して来た。友達とお泊りし楽しい時間を過ごして来たようだ。同級生仲間4人が先輩の下宿に一泊させてもらい貴重な体験をさせてもらったらしい。可愛い子には旅をさせよは本当のことのようだ。親が教えようと意識し努めているうちは子は本当の意味で育たないと言われるけれども人間と言うものはどうも自らが気付き自らが学ぼうとしないと本当の勉学にはなりにくい。何事も本人が自ら本心でやる気を持って前向きに取り組んでこそ本当の意味で身に付き力になるものだと思う。話が逸れてしまった。夏の風物詩の話であった。夏の風物詩と言ったら今開催されている甲子園の高校野球だろう。毎日のように汗と涙の熱戦が展開されている。勝っても負けても感動の汗と涙がある。甲子園野球の開催100年となる節目となる記念すべき年に母校野球部も今年の夏夏の高校野球県大会を勝ち抜き見事優勝して甲子園への切符を手に入れた。猛暑の中甲子園球場にも熱心に足を運んで母校野球部の応援に馳せ参じた野球好きの同窓生達もきっと多かったのではなかろうか。猛暑の甲子園球場までは足を運べなかった私も沢村栄治とベーブルースのモニュメントが飾られた日本三大球場と言われる県営球場までは同窓生の仲間達と2度ほど足を運んで母校野球部の応援が出来た。今年は私達の学年の同期生達にとって記念すべき大事な年であることも重なった為同期生で予め同期の数字と同期のコンセプトになる言葉をあしらったお洒落なTシャツを作った。そうしたお揃いのTシャツを野球応援や祝勝会などの飲み会で皆で着て団結を高め交流を図った。お揃いのTシャツを着て1クラスくらいの人数の男女が沢村栄治とベーブルースのモニュメント前で同じポーズをとり写真におさまったのだがクラスの垣根を越えて同じお揃いのユニホームを着ると同期の仲間意識が更に高められたように感じられて面白く思われた。団結を強める為同期生同士球場の応援席や飲み会の中でも起立し肩を組み合って校歌や応援歌を懐かしく誇らしく歌い合ったり賑やかにカラオケに繰り出したりした。時を越え皆青春時代に戻ったようで仲間達は皆若々しく頼もしく感じられた。若々しく健やかであることは大変良いことだと思う。これからも体に気を付け健康に気を配って時間を楽しむことを忘れず明朗に過ごしたい。8月8日は立秋であった。先月の最終週にはもう既に早朝秋の虫達が草むらで鳴き始めていた。夕刻になるとトンボが飛び早稲の稲穂は垂れオレンジ色のコスモスがもう既に綺麗に咲き出している。猛烈な暑さは峠を過ぎたと言うけれどまだまだ厳しい残暑は続くように思われる。残暑お見舞いを申し上げたい。どちら様もどうぞ体には十分気を付けて。
2015.08.12
コメント(0)
紫陽花にも様々な色合いがある。どれもその花なりに味わいのある色合いが多くてその花なりに素敵なのだが人の好みは人それぞれ。であるゆえ色に対する好みのほうもまた趣き深く思えて面白い。白や淡いピンク色紫色の紫陽花もそれはそれで綺麗で愛らしいと思う。がやはり青色の紫陽花は飛び切り風情があるように思われ瑞々しい気品と清々しさが感じられ美しく鬱陶しいこの梅雨の季節を和ませてくれるようだ。紫陽花の花びらは青色が好みではあるけれど着る洋服に寒色系の色合いを持ってくると顔映りが淋しくなってどうしても老けがちになる。地味な色合いの洋服はデザインを考慮しないと暗く老けた感じになりやすい。であるからして洋服を選ぶ際には面倒臭がらずに必ず試着をして自分の体に合っているかどうかフィット感着心地等を確かめ本当に似合っているかも含めて再度鏡の前で確認してから購入したい。人はTPOを考慮に入れて着るべき洋服を選ぶのが一般的ではあるけれど個性の主張も重要であり尊ばれるべき要素であるように思われる。また当然のこととは言えお洒落とはブランドを着こなすことでも身に付けることでもない。私は高額な洋服を身に付けていますと人に対し宣言し見せびらかすことではないのである。せんだっても偶然テレビ番組「サワコの朝」を見ていたら齢82歳になる女優の岸恵子が出演していた。司会の阿川佐和子が岸に向かって「50代60代70代の方々に対して何か伝えたいことはありますか?」と投げ掛けると岸はすかさず「1人の時もお洒落をしなさい。」と答えていた。そうした言葉が潔く耳に残って印象深く感じられたようだ。1人の時もお洒落をと言うのは人に対し見せびらかさないと言うコンセプトが含まれている。本当のお洒落は自分の中で楽しむものであって人に対しアピールするものではない。何かしら趣き深いコンセプトであるように思う。今しがた見せびらかさないと言う奥ゆかしく慎ましやかな言葉が脳裏に浮かんだら脳細胞が急にシナプスを繋いでドラマ「ランチのアッコちゃん」の最終回の中のワンシーンを思い起こさせた。そうしたシーンのコンセプトも確か「人に見せびらかなさい幸福」だったようである。情報を情報として単純に受けとることや情報を受ける側の心(気持ち)の有りようも非常に大切だと感じられた。人は食べたもので出来ている。食べることは生きること。感謝の気持ちを持って健やかに和やかに生きたいものだと思う。明るく朗らかに微笑みを絶やさず楽しんで生きることも大事なことであろう。見せびらかさないと言うキーフレーズがとても奥ゆかしかったので奥ゆかしさを感じさせる風情の有り様に対し思いを馳せてみた。そしたら今度は心の中に古語である「ゆかし」と言うフレーズが何故か浮かんで来た。「ゆかし」は以前から大好きな古語である。意味合いは心惹かれるだ。心惹かれるものがあり興味関心の芽が多岐に渡る人は若々しく老けにくいと言われている。何かに心惹かれるからこそもっと学びたい上達したい深く味わいたい楽しみたいと思うからだろう。逆に心惹かれるものがないと言う人は心淋しく孤高であるように思われる。小さなことであってもその中に喜びや幸せ楽しみを見出す人は素晴らしいと思う。そんな人になりたいものである。休日の朝3者が集っておしゃべりに興じる「ボクらの時代」と言うトーク番組がある。そのトーク番組に教育評論家の尾木直樹と東京都教育委員の乙武洋匡精神科医の泉谷閑示が出演し楽しいトークを展開していた。会話の中で登場していた「平等こそが子供をダメにする」と言った示唆も面白く感じられた。誰か1部でも傷付く子がいるから(上記の事例としては学校にバレンタインデーチョコを持ってきてはいけない理由が挙げられていて残念でナンセンスと話し合われていたチョコをもらえないからこそ気付くこともありその子の学びにつながると言った内容だった)やめなさいと言うのは皆一緒じゃなければいけないと言う思想につながると嘆いていた。教育現場でのイジメも話し合われていて道徳教育を強化したところでイジメはなくならない道徳的判断と実践の間には大きな段差があると指摘していた。悪を排除するだけだと薄っぺらな人間を作ると言う発言があり性善説でも性悪説でもない性弱説を挙げ道徳教育もこれが正解ですじゃなくて嘘はいけないと言うことを教える項目なら子供達に対し嘘って本当についちゃいけないものなの?と問いかけじゃどんな時なら嘘をついても許される?と言ったような考えさせる道徳の授業をやって欲しいと提案していた。「道徳こそが人をダメにする」と言う上記の項目の次に語られていたのは「恋愛離れこそが若者をダメにする」(失恋から様々なことを学ぶから)と言う項目であった。「五体不満足」と言う著書で有名な乙武は「男友達が僕に対していいなあ乙武お前はモテるからなあと言うんですが五体満足で案外イケメンの友達が重度障害者の僕に向かってそう言うのは何か可笑しな感覚があって…要するに女性は見た目や頭の良さなんかよりその人と一緒にいて楽しいとかその人が話を親身に聞いてくれて嬉しいとか…そう言うことだと思うんですよね。」と発言していて非常に印象的だった。つまりは言葉表情態度などを褒める認める受け入れるそうした要素が人間関係コミュニケーション能力には大切なのだと思う。夫婦と言う単位には同じ共同プロジェクトをやっていけるかと言う要素が大事になるがまずは心惹かれるか安心でホッとできるか素のままの自分を出せるかが重要項目だと語られていた。心惹かれるが出て来たので心惹かれると言った意味合いがある「ゆかし」と言う大好きな古語に再度思いを馳せてみたい。「ゆかし」が効果的に使われている味わい深い一句を紹介し今回はお開きにしたいと思う。「山路来て何やらゆかしすみれ草松尾芭蕉」いやはや流石ですね。梅雨末期は大雨傾向。どちら様も大雨にはどうぞ気を付けて。
2015.07.06
コメント(0)
今年も梅雨の季節になった。今しも1年の半分が過ぎようとしている。光陰矢の如し少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んずべからずなどなど様々な格言が心をよぎる。過ぎゆく時を大切に一瞬一瞬その時その時に感じたことを蔑ろに捉えず心して生きたいとつくづく思う。せんだっても視聴率低迷に悩む大河ドラマを数本まとめて見ていたら感動したことがあった。数日分まとめて録画してあったのを久しぶりに飛ばしながら観賞していた時の話である。第23回目の放送のドラマの中のワンシーンに感銘を受けた。書物にあっても論説文の中にではなく小説の中にこそ人生の機微や真実人生の何たるかを見出せるとは言うけれどこうした大河ドラマのような作り話のドラマの中にもほんの些細な小さな一言二言の中になるほどなあと心が痺れる宝石のような深い感慨が存在したりする。今回の視聴の中で心に残ったのは攘夷の策略に失敗し公家三条実美を長州に匿うことになり自暴自棄になって男泣きする久坂玄瑞の背中を優しく癒そうとする芸妓(愛妾)の辰路の台詞の中にあった。「幸せなあんたさんの奥方はあんたさんの心の本当の真ん中には触れられん。」そんなような非常に趣き深い台詞であったように思う。勿論上記の台詞は物語の中にあって作られたものだと解釈出来るのだがそれにしてもよく練り上げられた味わい深い台詞だなあとつくづく感動してしまった。人は書を読み勉強し人臣を極め研鑽を積んで教養を深めた高潔の秀才英才達だけが素晴らしいと称えられるのではなく人の心の裏に優しく寄り添え人の身の上や心情を推し量り温かな同情が出来る思いやりある人間が素晴らしいのだと改めて思う。久坂のことを最初から淋しい人と見抜いた辰路はワイワイと賑やかに大家族の中で育った久坂の妻文のことを幸せな人だと感じ取る。勿論そのように育った文が悪いはずもないのだが文には久坂の心の闇は癒せないと察知する。不幸せな星のもとに生まれ物心ついた時から置屋で育ち淋しさの中で過ごして来た辰路だからこそ感じ悟った言葉なのだと思われた。そんな辰路だからこそ久坂自身にもわからない彼の心の淋しさが見て取れ想像出来たのではなかろうか。温かな思いやりの心は学を極めた崇高な人物の中にだけ育成され存在するものではなく様々な人生の中で苦労を重ね悲しみに涙を流し続けた辰路のような人間の中にも育まれるものだ。「幸せなあんたさんの奥方はあんたさんの心の本当の真ん中には触れられん。」と言う台詞は深く趣き深い指摘であるように感じられた。幸せに育った文には読めない(見えない)久坂の心の闇。そうした心の闇の部分をいとも簡単に指摘した辰路の言葉は重みのある趣き深いものとして印象に残った。小説やドラマから学ぶことは多い。そう思うらしい。今放映中のドラマ「ランチのアッコちゃん」も台詞内容が面白い。ドラマの中で語られるこんな台詞も趣き深かった。「あなたランチをなめているんじゃない?あなたの体は何でできていると思う?あなたが食べたものでできているのよ。残り物が悪いわけじゃない。その残り物をどうせ残り物なんだからと思いながら口にしていることが悪いの。だからあなたは生き方も変えられない。そうでしょ?あなた人生を変えたいんでしょ?生き方を変えたければ食べ物を変えなさい。」そんなような言葉だったように思う。心に残る台詞だった。話は変わるけれど自宅の庭に青く綺麗な色の紫陽花の花が咲いた。今年も沢山咲いたので花瓶に生けるだけではなく両家の墓前に供えたり実家の母やお世話になっているジムに届けたりして皆に喜んでもらった。切り花の贈り物はいいものだと思う。世の中に生花を嫌いな人はまずいないし単純に喜んでもらえるからである。花を育てたり家庭菜園に水をやったりすることは植物に対する思いやりにも通ずるように思われる。わたくしごとで恐縮なのだが先月の母の日に「お母さん、ありがとう。」と言って夫と次男の連名で数本の栄養ドリンクとカーネーションの鉢をもらった。そのカーネーションの花は毎日の水やりで今も綺麗に咲いている。そうした母の日には親元を離れて暮らす大学生の長男からも嬉しいメールが送られてきた。「今日は母の日でしたね。お母さん、いつもありがとう。」そんな嬉しい内容だった。彼は5月の弟の誕生日の日にも「誕生日おめでとう。」のメールを送っていたようで心優しく育ってくれて嬉しく思った。先日父の日を前に実家の両親にそれぞれ傘を贈った。喜んでもらえて嬉しく思う。せんだっての休日の日曜日には夫婦でとあるアウトドアの大会に参加。(配られた地図を片手に限られた時間内に丘陵地帯に隠されたポイントを探して走り得点を競うレクリエーションスポーツなのだが)そうした大会にエントリーし一般ペアの部で見事総合1位になれた。写真を撮ってもらい賞状と記念品を頂きいい思い出になった。また大好きなダンスの方はインストラクターが選曲してくれた西城秀樹の「情熱の嵐」ジャニーズのNEWSの「KAGUYA]EXILEの「FLY AWAY]と踊りの振り付けを覚えダンスのレッスンを重ねて踊ることが出来るようになった。そして今はSEAMOの曲を練習している。雨の季節は続いてゆく。どちら様もどうぞ体には充分気を付けて。
2015.06.12
コメント(0)
今春は天気がグズつきやすく地域によっては気温が低めに推移し雹に見舞われたところもあった。そうした天候不順のせいで体調管理が難しくなっている。雨降って地固まると言う言葉があるがこの時期冷たい雨にたたられたりすると農作物などの被害も深刻だろうし体のほうも自律神経のバランスが崩れ大変になってくる。どちら様も体には十分気を付けて。お体どうぞお大事に。さてそうした時期は桜の開花の季節も重なっていた。3月末に開花したソメイヨシノは桜前線となって日本列島を北上し日本列島を淡いピンク色に染め上げて行った。日本人にとって桜の花は格別な存在である。卒業や入学などの別れやハレの門出に咲き出で様々な新しい旅立ちの場に寄り添うようにして咲き誇る。満開の桜の風情は言うに及ばないがハラハラと花びらが散った後にも味わいが残り感慨一入(ひとしお)だ。散り落ちた無数の花びらがまるでピンクの絨毯のように感じられ見る者を一味違った趣きある世界に優しくいざなってくれる。花びら舞う桜並木の在り様も格別ながら薄桃色のカーペットが敷き詰められた風情ある道を歩む折り大層心が慰められてああ日本に生まれて本当に良かったとしみじみ嬉しく感じられて来る。心がホッコリと温かくなるようである。ライトアップされた妖艶な夜桜の風情もよし。雨にうたれて咲く桜の姿も愛おしくたおやかで非常に美しいと思う。そうした桜達も春の雨に濡れ次第に消え姿がなくなっていった。路上に散り落ちた花びらは降りしきる雨に流されていつしか見えなくなった。葉桜へと姿を変える一連の桜の変身にアッパレ見事と感心することしきりであった。今春は3月31日4月6日の2回親孝行の花見が叶った。実家の両親を車に乗せ桜並木に連れ出しては満開桜のお花見スポットを楽しく観賞することが出来た。両日ともに天候に恵まれ風もなく暖かな日で有難かった。いい思い出になったように思う。父は新しく購入したカメラ片手に満開の桜をバックに愛妻と娘を何枚も撮り上機嫌だった。1回目の花見が行なわれた3月末の折りには桜を眺めながらお弁当を広げた後母の希望でサーティーワンアイスクリームにも寄れた。そのサーティーワンのお店は大きな書店の一角にありテーブルや椅子も備え付けられていた。大層暖かないい日で父はダブルに乗った冷たいアイスを食べ終わるとそそくさと書店の中で本を物色書物を購入していた。母娘のほうは随分と久しぶりのサーティーワンアイスにややはしゃぎ気味の様子で2人して女子高生気分に浸りかなりハイテンションであったように思う。いずれにせよ楽しいひと時を味わえ満足だった。綺麗な桜を今年も味わい眺めることが出来たことで両親共に嬉しそうであった。父は昨年の花見同様撮影した写真を大きく引き伸ばしフレームを付けてプレゼントしてくれるであろう。他にも前回のブログから今回のブログまでの期間には実に様々なことがあった。息子や自身実弟や友人達の誕生日があり夜桜乱舞の舞いの披露(交通機関を一時ストップさせて大通りをチームごとに同じ振り付けでダンスに興じるジャズダンスハイアップバージョンの舞い)があった。掛け声を掛け合いながら踊るのは本当に気持ちのいいものだった。そうそう春の選抜高校野球では母校の野球部が甲子園に出場。三回戦まで進出した。そうしたお蔭で同窓生らも数多くの人が甲子園球場まで出向き熱心に応援親睦を深めた。同窓生達の中には子供が結婚し新しく家族が増えた人もいた。「お嫁さんもらうのもいいものだよ。自分の娘も可愛いけれどお嫁さんも娘同様可愛くて家族が増えていいものだなあと感じるよ。」と吐露してくれた男性(ひと)がいた。また「モスクワ大学に今年娘が留学してね。下の息子の方は今春浪人決定。毎年15人程度東大合格者を出す高校なんだけど今年は33人受かってね。」などと近況を教えてくれたひともいた。皆いろいろと大変なんだなあ優秀で凄いなあと様々に感銘を受けた期間でもあった。ペルーへ大手商社マンの息子夫婦を送り出したひと。ジャカルタでずっと1人暮らしパートナーの愛妻は東京で生活年に数回しか会わないけど仲良しディンクス夫婦その夫である彼も元東大生であった。2年間のエクアドル単身赴任生活を終え地元に帰還したスペイン語に堪能な冒険好きなひと30年間も音信不通だった高校時代の親友とネットを通じて交信がつきシンガポールに暮らしていたことが判明し大いに喜んでいたひとなどなど様々に趣き深かった。国際語である英語は既に必需品なのだと再確認できた貴重な期間でもあったように思う。資源が乏しい我が国は貿易を通し日常生活を営んでいる。そういったことが実感出来た感慨深い期間だったようだ。健康第一。そう思う。が更に自分の好きな趣味を持つことの素晴らしさも同時に心嬉しく感じている。身近に茶道を習う知人もいるが教育テレビの番組で春の茶事を勉強。茶の湯(茶会)が醸し出す優雅でたおやかはんなりとした所作の中に覗く繊細な心配りに改めて感動を覚えた。強くたくましい凛とした強靭な精神の中に優しい心遣いの有り様が見て取れて本当に勉強になった。1例として立礼のお点前を挙げてみるとお抹茶を頂く折りにはまず右隣りの客に対し心配りをし運ばれてきたお茶碗をやや右前方に置き直す。そして右隣りの客に向かって軽く会釈し「お相伴致します。」と挨拶をする。次にお茶碗をやや左側に置き直し左側の席にいる人(先生)にも「お先に頂戴致します。」と同じく挨拶するのである。そして最後に前方を見軽く頭を下げお茶を点ててくれた茶会の亭主に対しても「お点前頂戴致します。」と述べる。そうしたのち器を回して飲み口になる部分を探し味わいながら口に含むのだ。お茶を頂くまでの一連の動作の中に日本人ならではの事細かな優しい心遣いが見て取れて感心しきりで見とれていた。茶道は我が国が世界に誇る1つの礼儀形式である。こうした素晴らしい礼儀作法を小学校などの義務教育の場でも取り上げ大いに取り入れて活用していけば随分と優しい思いやりのある子が育つような気がする。健康である為には栄養のバランスや適度の運動が不可欠ではあるが日々感謝の思いを持ち謙虚さや優しい心遣いを忘れずに笑顔を大切にして明るく暮らしたいものだとつくづく感ずるようである。
2015.04.19
コメント(0)
雨の休日は殊の外文章作りが似合うような気がする。徒然なるままに文章を気ままに書きつくろった兼好法師の心境が何とはなしに想像出来趣き深い。さて今回は何のテーマにしようか。心に思うままに心に浮かぶ泡沫(うたかた)をツラツラと自由に書き綴ってみることとしよう。人間万事塞翁が馬だと言う。何がどう幸いするかわからない。健康によいと思って一生懸命運動していたら筋肉痛になってしまったなんて言うこともあるだろう。1つの笑い話である。筋肉痛は痛いけれど新しい筋肉を再生するには欠かせない。つまりは過剰な運動を一時やめ運動内容を見直し様子をみなさいと言う体の警鐘でもあるわけだ。そうした体が発する警告を素直に受け留め休息を取り入れる人には筋肉痛が和らぐ場合が多い。人間には心の素直さが大切であることをしみじみと痛感出来る機会になれたりする。そこで心の素直さと言うことを応用的に考えイマジネーションの世界を広げてみた。そしたらである。偶然こんなことが脳裏につらつらと浮かんできた。女性脳は会話を好む。つきあいのある多くの年上同年のレディー達を拝見していても彼女達は揃っておしゃべりが大好きだ。女性脳と言うのは会話を得意としている分会話が弾むことによって心癒される。おしゃべりによってストレスを解消していると言ってもいい。男性脳だってそうだろうと思う人もいるかもしれない。が男性脳の多くは会話内容に依る場合が多いようだ。女性脳は他愛無いこと他愛無い話の内容だろうと話が弾むこと自体を単純に喜び話を単なる一つの話として消化し受け留める。では男性脳は言うとここが実に趣き深いのだが男性脳はちと違うのだ。男性はどちらかと言うと話を話として単純に受け留める人は少ない。彼らは往々にして(口に出さなくても)だから一体何なんだ結論を言え先に結論をこの俺に対し一体何を言いたいんだ俺に何を望んでいるんだと言うふうに考えがちになってしまう。つまりはである。会話が弾むのをただ単に楽しみ単純に話を1つの話として受け留めることは少ない。これは古来男性が女性や家族を敵から守り狩りを得意として強靭な肉体と精神を鍛え育んで来たからであってそうした男性の本能は早期に利潤や勝利や成功を期待し追求しようとするよう作られているからである。そこでどうしても会話の裏側にある人間の心理を読み解こうとし話を1つの話として受け留めない状態が介在する。これは生まれつき持ち合わせている本能であるからして仕方のないことなのだ。よく同年代の友人が連れ合いの夫君の愚痴を零すのも最もなことなのだと理解出来るわけである。心の素直さの観点から考えると全ての人間が自分に対し素直に心開き明るく朗らかな笑顔で会話を交わし意地を張らずに可笑しな見栄を捨て感謝の気持ちを持って会話自体に向き合えば世の中は今よりもずっと平和で過ごしやすくなることだろう。そう言えば今しがた思い出したのだがAWESOME !(サイコー!)で必ず締めくくるブログで有名な世界一の最高ブログ賞を受賞したアメリカ人の男性も人生を幸せにする心掛けの1つに自分に対する素直さ(自分に忠実であること)を挙げていたように思う。彼の英語でのスピーチを字幕スーパーで聴いたことがあるけれど気持ちを切り替え新たな心で顔を上げて進むであるとか3歳児と似た心境で豊かな感性を心に大事に育み興味関心の眼を大切にしていくなどなど素晴らしい取り組み姿勢に感銘を受けたことを思い出す。感性と言う言葉を聞くと五感を豊かにすることを脳裏に思い浮かべる。自宅の庭に今年の春咲いた数々の花々を思い出す。山茶花が咲いた後白梅が咲き白木蓮が今年も見事に咲き誇った。白木蓮の落花と共に桜花が開きそして散っていった。庭には夏蜜柑の大きな木もあり今年も夏蜜柑の収穫は大量で大変有り難かった。やや酸っぱめな味が好みにあってとても重宝だった。先日夫が細長いプランター7つ楕円形のプランター5つほどに黄色や赤や白のチューリップとパンジーを植え並べ今自宅の庭は明るい風情でいっぱいである。遠く里山からは山不如帰の美声が風に乗って聞こえ鳥たちも本格的な春の到来を喜んでいるかのようだ。昨日も小川べりの桜並木の下などでは何処かの家族や仲間たちが敷物を持ち出し優雅にお花見(花見酒)をしていた。花見が出来る平和な世の中に感謝しなければとつくづく嬉しく有難く思う。この桜の花は実に様々なことを私達に教えてくれる。桜愛でずして何の人生か人生は楽しんで明るく朗らかに生きるためにある人生に終わりがあろうと心悲しむこと勿れ楽しみを味わい心豊かに人生を謳歌せよと。桜花の季節である。日本列島は今春爛漫だ。
2015.03.30
コメント(0)
実家の両親を乗せ世界遺産をバックにカメラを構え風光明媚な景色を選んでシャッターを切ろうと半月ほど前から夫婦で考え親孝行ドライブの案を立てていたのだが奇しくも昨日天候は雨模様ドライブは一週間後に延期された。それで昨日の雨の日は久しぶりにホームシアターでもしようかと言うことになり家でユックリと寛ぐ休日になった。そうした休日の午後のひと時予め録画しておいた古く懐かしいプレミアムシネマを夫婦で眺め堪能することが出来た。その名画は3時間半を超える大作で様々な感慨を私達の心に与えてくれた。タイトル名は「風と共に去りぬ」ご存知の方もきっと多いに違いない。「風と共に去りぬ」とは男女の別れを指しているのではなく懐かしき良き時代の「南部の時代」は南北戦争の敗北と共に崩壊し風のように過ぎ去ってしまったと言う意味に訳されている。あまりにも有名な映画なので誰もが知っているタイトルであると思われたが3時間半以上に上る大作ゆえに感動も一入(ひとしお)で書きたくなってしまった。見終わった直後に1番感心に心に感じたことは夫婦共々この大作が既に70年も前に制作された映画であることへの驚きであった。南北戦争さなかの混乱したアメリカ社会を描いているのは周知の如くなのだけれど数多くのキャスト膨大な人数のエキストラを使っていること大がかりな仕掛け(爆破装置)や広大な風景(土地)で表わされた迫力ある映像であることは70年も前にこのような大作が出来るアメリカ社会の底力を見せつけられたように思え感動しきりであった。せんだってもNHKでロシアのエカチェリーナ宮殿やモスクワのクレムリン宮殿内の装飾美の素晴らしさに心打たれたばかりではあったが70年も前(日本で言う戦前)の時代に出来た奴隷制度が残るアメリカ南部社会の住宅の内部の構造内容も非常に素晴らしくて心を奪われ感心しきりで見入ってしまっていた。ベルベット生地で出来上がった立派な高い階段や豪勢で重厚なカーテングルリと伸びた長いスロープやギリシャ神話にも出て来そうな円柱構造などは広い住宅規模を誇るアメリカ社会ならではの光景なのだが素晴らしく大層見事に感じられた。女主人公スカーレットの着る豪華な衣装にも心ときめいた。数々の美しいデザインのロングドレスは70年後の今の現代であっても何も遜色なくスマートにクールに感じられ印象深かった。そのどれもが手の込んだ美しい斬新なデザインに仕上がっていて女性を美しく見せることに手を尽くしているように思え美的センス抜群に感じられた。コルセットを背中の後ろで締め上げウエストを細く細く見せようとするシーンには女心の可愛さが良く出ていて大層愛らしく大好きな物語「大草原の小さな家」の中にも登場する話として非常に面白く趣き深く感じたようだ。「大草原の小さな家」の中ではローラのお母上が若かりし頃とてもお綺麗で結婚前ウエストがローラの父(夫)の両手の中に入ってしまう程非常に細かったと記されていた。それ程までに当時の女性はウエストの細さを強調しレディーの嗜みの1つとして誇っていたのである。実際「風と共に去りぬ」の中でもこんなセリフが登場していた。スカーレットの実家のメイドマミーのセリフである。「レディーは沢山食べてはいけません。少しずつ食べ物を口に運び口を閉じて食べ小食を心掛けるように。」そんなような言葉であったように思う。レットバトラーがスカーレットと共にニューオリンズに外遊し食事した際にも「そんなにガツガツ食べるな。太ったら離婚するぞ。」と言い放ち感慨深く面白いセリフが使われていた。気丈な性格で我儘お嬢様育ちのスカーレットがそんな彼の忠告を真に受け食べるのをやめることなどなくどこ吹く風の面立ちで持ってチョコレートケーキを欲し憚らずいた。今回改めて長編シネマを完全に字幕スーパーで観賞してみて心に思ったことは不運や不幸などの逆境深い悲しみから立ち上がろうとする人間の芯の強さであった。逆境から立ち上がろうとする凄まじい気力に改めて心打たれ深く感じ入ること大であったように思う。また当然と言えば当然であるけれど戦争の悲惨さ平和の尊さや有難さ生まれてきたことに対する感謝の念そうしたことと共に男は男らしく女は女らしくあるべきであると改めて心に思ったようだ。スカーレットが心惹かれたアシュレーのように大の男が女々しく弱々しくひ弱であっても魅力を感じないし逆に言えば気だけは強く剛腕なところがあるスカーレットのように強がりで己を省みず会話のタイミングがずれても気付かずに素直になれぬまま率直に気持ちを相手に伝えられないところも非常に残念で気の毒に思われた。いずれにせよ映画鑑賞は五感を育み心豊かになれるのと同時に世界と視野を広げられるので本当にいいものだなあと改めて思ったようである。平和な社会で暮らせることへの感謝の気持ちもそうした名画観賞で新たに感じることが出来幸せであった。故郷を大切にしたい気持ちは誰にでもある感情である。日本に暮らすわたくし達夫婦が70年も前に制作された古いアメリカ映画を鑑賞することでそうした人間の心の機微やそれに伴う友情や愛情などを味わいしみじみ趣き深く心に思うことが出来嬉しかった。人は芯の強さと心優しさを兼ね備えた温かな人間がいいと思う。家に侵入してきた暴漢(脱走兵)を拳銃で打ち殺さねばならなかったスカーレットは人殺しになってしまった。自分の身は自分で守らねばと言うアメリカ銃社会の悩みを垣間見ているようで心悲しくなった。世界的に見ても力を持つアメリカは広大な面積と資源を持つ大国で移民社会である。合衆国としての誇りと素晴らしさの陰に様々な大変さ(困難)があり悩みも複雑だ。そうした広大なアメリカと比べたら資源も乏しく住居や土地も狭く小さな日本はこじんまりとしている分島国ならではの良さ(安全で極端な差別がない時間を守り勤勉である)があるように思われる。自国の良さは長所として堅持し他国のいいところは取り入れて行きたい。柔軟に対処し協調するべきところは譲歩して行きたいと思う。そして我が国の良さも積極的にアピールし世界の国々に伝えて行きたく思った。世界遺産となった「富士山の日」の今日家族4人で寿司ランチしお店でおしゃべりしながら心にそう感じたようだ。世界が平和で平穏でありますように。そう心から願わずにいられない。我が家の庭の白梅が満開である。友人宅の紅梅もきっと見事なことだろう。三寒四温の季節どなた様もお体大切に。
2015.02.23
コメント(0)
大晦日だった昨日のこと。感慨深い名画の終盤場面を偶然懐かしく垣間見ることが出来嬉しかった。お昼に年越し蕎麦を食し家の掃除を済ませ洗濯物を取り込んだ後我が家の男性陣が作ってくれた温かなお汁粉(手作りお餅入り)を味わいちょっと心が落ち着きホッとした頃を見計らって夫が発したこんな言葉からテレビのリモコンスイッチを入れてみようと思いついたようだ。「BSで今面白い映画を連続して流してるよ。今ヘップバーンの昼下がりの情事やっているから見る?」それでもって自分の生まれる前の時代に制作されたという美男美女のコメディータッチのモノクロ映画(米)を偶然目にすることになった。実はこの映画タイトルがジョークだと感じられたくらいれっきとした親離れ(子離れ)の映画だった。この映画を見てラストシーンに描かれた女主人公の父親の後ろ姿が特別1番印象に残り心に刻まれた。私立探偵として描かれた父と娘ラストシーンはこんな感じであった。パリ駅をゆっくりと走り出す列車足をかけて乗る彼についていきたいけれど駅で見送らねばと考え話し出すオードリー言い訳を口にしながら列車の横を早足で付いて歩いてゆく彼女のことを愛しさからどうしても手離すことが出来ずにとうとう抱きしめ列車内に引っ張り上げ遂には乗せてしまう富豪のゲーリークーパー列車内で涙の口づけを交わし運命に喜びを感じ合う二人とは裏腹にすべてを察知し駅のホームで2人を遠くから見守り娘のビオラを持ちながら1人ホームを立ち去る優しい薄笑みを浮かべた初老の父親の姿私の瞳はここで釘づけになった。一生懸命に育てた娘大事に大事に育てた大切な娘美しく賢く愛らしく成長した可愛くて可愛くて愛しくて愛しくてたまらないこの世で誰よりも愛している娘の君も私を抱きしめ言ってくれた「パパ、大好きよ」と。そんな大事な娘が恋に落ち親から巣立ち今私の手元を離れてゆく旅立ちの時だ愛しい娘よ出来ればずっと自分の傍にいて欲しかった自分の側でずっと笑っていて欲しかったでも致し方ないこと君は成長し年頃になり恋を知った娘の幸せを祈ることこそ親に課せられた業娘よ幸せになるんだよさらばずっと笑って明るく暮らすんだよ笑顔こそが私が君に与えた贈り物だ君は私の宝君は私の誇りだ宝を手離すことは本当に切なく淋しいけれど今この時が父娘の区切りの時別れの時だと感ずる君の旅立ちの時なんだ愛する君の為潔く私は身を引こう老兵は立ち去るのみ愚痴は言うまい成長した君を祝福して送らねばと思うおめでとう娘よ幸せに暮らすんだよ駅のホームを1人立ち去ってゆく初老の父親の背中が私には妙に心切なく淋しく印象的に感じられて強く心に刻まれた。そして潔い父親のこの後ろ姿が現代日本社会に生きる私達日本人に大切な何かを教え導いてくれてるように感じられた。無償の愛親としての覚悟心の置き方人の心の素晴らしさ温かな優しさなど掛けがえのないのものを年末に放映された懐かしいモノクロ映画はしみじみと教えてくれたように感じられて非常に感慨深かった。最後になりましたが新年明けましておめでとうございますA HAPPY NEW YEAR今年も素晴らしい年でありますように世界の平和を祈念します
2015.01.01
コメント(0)
文章作りが脳細胞にいいことを実感するのは脳細胞が活性化してイキイキと働くからだと思われる。文章作りが趣味で大好きならば尚更のことだ。大好きな時間を心から楽しんで堪能出来る。情報の受け手となる読書などと違って脳細胞が能動的に働く為か眠気や欠伸などに陥ることなく時間をより楽しんで心弾みつつ過ごせるように思う。指先を動かすことが脳細胞活性化に役立つらしい。このようなことは文章作りだけではなく指先を動かす作業であれば模型作りや手芸工芸陶芸絵画彫刻などにも言えるようだ。調理料理は無論のこと家庭菜園や園芸…茶道華道書道や各種楽器演奏に至るまで幅広い分野に渡って介在している。いずれも本人が大好きで没頭し心から楽しめることが前提条件となる。元来日本人は真面目であるが故か遊びと言う言葉に悪意を感じてしまう国民性らしい。しかしながらよくよく考えてみるに子供は遊びの中で学ぶ。遊びを通し見聞を広めそうした遊びの様々な実感の中から自身の脳を育て成長させてゆく。教育の根本は遊びにあると言っても過言ではない。人は周囲の(多くは大人達の)温かな見守りの中で愛情と厳しさを共に感じながら社会人となり人として成長を遂げる。遊びを通して様々なことを学習し協調性や思いやりの心を身につけ独自の感想や意見を持つようになるのである。公共教育にあっても家庭教育においても肝心なことは先に手出しをしない先手を打って教え込まない本人の思考が定まる前に安易に答えを導き出さないことだろう。そうした折り大人の側も腹に据えかねるようなことがあれば口を挟んで構わないわけだがそれもタイミングと口調が大切で発言する側の説得力や表現方法が問われるように思われる。子にとって親はいつの時代も容易に乗り越えられない高さのある壁でありいつかはまた乗り越えなければならぬ大きな山のような存在である。そうした高い山を如何にして乗り越えるか思春期に入った若者達は絶えず無意識下で考えながら過ごしている。反抗や口ごたえはその最たるもので彼らの成長の証である。そうした反抗の場に出くわした親は狼狽えることなくむしろ反抗期には当然のこととして受けとめ腹の内で喜ばなければならぬ。親サイドは(教師の側も含め)風林火山ではないが反抗期に入った青年子女達を凛としながら柔軟な対応で受けとめタイミングを計りつつ早く褒めたり叱ったりするところとゆっくりと見守り口を挟まないでいる時とを見極める必要性が生じて来る。注意勧告すべき時は若輩者に強く申し述べ動じずじっくり落ち着いて対処すべきは対処することが重要になる。親から独立しようと精神的にもがき始める彼らには自ら道を探さねば本人の為にはならぬことを感じ取らせねばならない。親が諭し先を導くことだけが素晴らしいことではないからだ。こういったところが人作りや人間教育の難しいところであるように思われる。しかしながら裏を返せばそうしたところがまた味わい深い醍醐味でもあるわけである。コインの裏と表のように世の中には二面性のあるものが存在する。表ばかりを見裏を見ないのであれば味わい不足の感が拭えない。思春期の口ごたえを成長と捉えるのも似た味わいだ。人は生きる上で様々な味わいや趣向楽しみを持つことが肝要だと思われる。好きこそものの上手なれとはよく言ったものだと思う。勉強しなさいと言った直接的投げ掛けでは思春期に入った当人の反感を買うばかり。学習の面白さや趣き深さを自らが感じ取った者は学習が好きになるに違いない。勉強しなさいではなく親のほうもよく考えてより具体的な間接表現を編み出す必要がある。8月の暑い頃次男坊の夏休みの課題に付き合って家族旅行も兼ね早朝出立日帰り決行で大学のオープンキャンパスの行事に参加し筑波学園都市(研究都市)にお邪魔したことがあった。オープンキャンパスの行事参加であればいずれのキャンパスでもよくたまたま筑波大学のオープンキャンパスが日程的に都合良かったのでファミリーツアーも兼ねてキャンパス内の広い敷地を歩かせて頂いた。兄弟は各自スマホを持ち別行動夫婦は1日で2万歩近くを一緒に散歩し健康的なウォーキングが出来た。次男坊の為の見学であったけれど長男のほうが熱心に見学しもっと長く居たかったようである。大学内の学食も味わえ楽しい思い出になった。何事も楽しみ味わってこそ人生も豊かになるというもの。時を楽しみ味わう心は大事にしたいものだと思う。先人達は言った。「短気は損気急がば回れ。」何事も先を心配し過ぎず考え過ぎずポジティブ思考プラス思考で明るく朗らかに生きることが大切であるように思われる。皆と楽しくストレスを発散するのがいい。意固地にならず意地を張らずに明るく柔らかく笑顔を心掛けて話に耳を傾けることも大事であろうと思う。楽しみながら行なうエクササイズの存在も趣き深い。スポーツ(私の場合はダンスパフォーマンス)で汗を流すと脳内にセロトニンと言う物質が沢山作られる。このセロトニンは別名快楽物質とも言い心を爽快にさせ前向きな気持ちにしてくれる効果を持つ。運動でいっぱい体に汗をかくと実に気持ちのいい爽やかな気分になる。気持ちのいい汗は健康作りの面で大いに効果がある。合言葉とするなら自分に負けるなでいいのではないだろうか。自分自身の実感を知り己の思いを見つめることが明日の未来に生かされる。人は多くの人に支えながら今を生かされて生きている。人は気付きや目覚めを心に感じ日々生じる好奇心と共学し成長する。心に常時感謝の気持ちを持つ人は幸いである。「今日は5時間も眠れた。有難い。」「今日も食事が出来る。有難い。」そんな些細なことであっても心に感謝の気持ちが有れば心穏やかに過ごすことが出来る。今日も元気に明朗に過ごせて有難い。そう心にニッコリ微笑みかけ過ごしてゆきたいものである。
2014.10.08
コメント(0)
言葉の面白さ、興味深さ、大切さは、歳を重ねるごとに理解が深まるようだ。わたくしごとで恐縮なのだけれど、私ども夫婦は、ほんのちょっとしたことでも互いに「ありがとう。」を欠かさない。夫婦の仲なのだから(言い合う)必要はないと考える人もいるだろう。しかしながら、人間の心は(可笑しなもので)話し言葉か書き言葉でなければ、なかなか上手に相手に気は伝わらないものだ。「ありがとう。」と言われて嬉しくない人も少ないだろう。日常生活において、夫婦でダイニングを共有する時間は結構長い。夫婦でキッチンに立ったり、早朝お弁当を作ったり、食卓を囲んだりするのは日常茶飯事だ。「あっ、それ取って。」「はい。」「ありがとう。」「お鍋の火、弱めてくれる?」「はいよ。」「ありがとう。」などなど何気ない感じで、さりげなく「ありがとう。」を口にしているように思う。長い暮らしの中で培われた生活習慣だからだと思われる。親しき仲にも礼儀あり!と言う言葉があるけれども、まったく持ってその通りで、素晴らしい名言であると、つくづく感心に感じるらしい。親しき間柄の仲間うちにあっても、心の中で、心配りや配慮を工夫せよ!と教えてくれているような素敵な言葉であると思うからである。そうした気遣いや心遣いがあれば、愛情や友情は、きっと長続きするし、色褪せないことだろう。更に、継続は力なり!と言う言葉もある。何かを長続きさせ、継続的に行なえば、その人の能力や技能は向上し、その人間の実力はアップする!と言った意味合いの言葉だ。継続は力なりの例は、一杯ある。こんな具合いである。人間は年齢を重ねると、衰弱するのではなく成熟する。歳をとっても取り組み次第では筋肉は鍛えられる。心の持ち方次第で、幸福感は金銭欲から脱却してゆき、時間空間の楽しみ方や味わい方へと変貌し高揚してゆく。食べ過ぎ、飲み過ぎ、吸い過ぎ、寝過ぎ、洗い過ぎ、栄養の取り過ぎ、運動過多、目の酷使、仕事のやり過ぎ、気にし過ぎ、考え過ぎなど、様々な、し過ぎ行動(やり過ぎ)に気付く。大らかな心が培われ、小さなことに対し、1人でくよくよと思い悩まず、明るさが生まれ、笑顔や笑いが多くなる。人を大事にし、和やかな雰囲気作りを重んじるようになる。何かを失うことに恐れを抱かず、与えることに喜びを見出すようになる。吐いて吸う呼吸を認識するようになり、深い呼吸を意識し始める。何かに没頭し熱中する自分を好きになり、また自己を愛するようになる。趣味や仕事に対する過度の没頭にも、自然とセーブ(抑制)が効くようになる。真面目だけが素晴らしいのではないのだと悟り、ユーモア精神を様々な場面で発揮するようになる。ものごとに対し執着しないようになり、深刻にならず、寛容性が深まってゆく。人に自慢せず、隠れた努力を惜しまず、感謝の心を持つようになる。労いの言葉を進んで口にし、照れや恥ずかしさ、面倒臭さなどを払拭してゆく。人は1人で生まれ1人で死んでゆくと言う事実を改めて悟り、他者から認められずとも、心に不満を抱かずに、穏やかな心持ちで、毎日を平常心で過ごすことが出来てくる。わかりやすい言葉に配慮し、聞き上手、話し上手(伝え上手)になる。などなど・・・。書きつくせないが、様々な変化、向上が見られるようになる。中でも、重要で趣き深いのは、自分を好きになることだと思われる。自分を好きな人は、他者からも愛され、他者を愛することが出来るからであろう。今後も、言葉を大切に使うよう意識して心掛け、体を大事にし鍛え、様々に精進を重ねてゆきたい。文武両道。人間には、体の鍛錬も勉強も、両方必要だ。人生は、奥が深く、且つ趣き深い。特に意思伝達の言葉を持った人類は、言葉を大事に使わなければならぬ。直に会って直接相手の顔を見て話す機会(会話)も重要なら、文字言葉を駆使するようなメールなどの書き言葉も大切であろうと思われる。心を込めて、温かな優しい言葉を使いたいものだと、つくづく思う。今年も、うだるような猛暑の中、8月がやって来る。改めて、世界の平和を、心より祈念したい。
2014.07.26
コメント(0)
昨年度の終わりには卒業式。新年度の初めには入学式。人生の節目節目にはそうした華やかな式典があり子の成長の喜びを心に噛み締めしみじみと心嬉しく味わう時間がある。子育てと言うのは長い眼(スタンス)で見なければわからないと言うけれども全くその通りであると思うようである。次男の卒業式においては式典会場の中で卒業生が入場して来るのを待つ間各保護者(親)宛てに生徒達(子供達)が予め認(したた)めた手紙を読み子供の思いを噛み締められる時間があった。そうした熱い思いが込められた手紙を読み夫婦(多くの家庭が両親参加であった)揃って息子の成長ぶりを味わうことが出来た。この次男坊の中学校では卒業生の女子生徒全員が袴姿で式典に参加していて彼女らの髪飾りも大層華やかだった。袴姿の3年生がかなり大人びて見えたせいで後ろ席に座っている下級生達が皆可愛く見えたのを覚えている。中学3年間で20センチも背が伸びた息子は何やら体が一層大きく見えその成長ぶりが眩しく感じられた。そう言う意味で卒業式は1つの節目として感極まる時間であったように思う。新年度から新たな高校生活がスタートした次男は文武両道の学校方針の下(もと)幼い頃お泊りなどをして仲良く遊んだ同い年の従弟(いとこ)とも同じクラスになり今張り切って通学している。またこの次男より更に背が高く伸びた長男(2人とも父親の背を抜いた)は2千人以上もいる入学生と共に真新しいスーツ姿で得意分野の専門性を更に深め追究しようと大学教育を選び入学式に臨んだ。大会場で行われた入学式直後には親とは別室において大学側が予め準備した昼食を食べ保護者も学生もそれぞれ別々の会場で大学学習内容の説明を受け質問応答の時間を持った。長男の大学入学式は4月初旬であったがそれより以前に彼は親元を離れ3月末から1人楽しい下宿生活を始めている。彼は専門教育を学ぶべく大学生活をスタートさせ親元を巣立ち独り暮らしを始めた。独り暮らしを始め家を離れたわけだがどうも離れたような気がしないのは私ども夫婦だけだろうか。例えばの話こんなこともそう感じる理由であるように思う。夫(父親)が夕食時(或いは団欒時)家族3人で食卓を囲みながら長男に電話をかける折り家族4人普段と全く変わらない会話が出来る。今は昔と違い様々な電信情報ツールのお蔭で離れているような気がしないと言うわけだ。今の子はスマホやタブレットパソコンなどに囲まれ操作に精通していて多くの情報機器を上手に使いこなしているせいで沢山の情報にも恵まれ全く持ってホームシックには掛からないようである。親の方もまた然りで至極さっぱりしていて淋しいと言った思いは皆無であるように思う。親も子も双方共に自分独自の大切な時間を持ち各自個人のプライバシーを尊重し合い運動などによる体作り健康作りに取り組んでいるからか適切な距離感が心地良く感じられるのだろう。汗を流すスポーツ(エクササイズ)の存在は強く深い達成感や成就感を齎してくれる。長男も次男も彼らの父親である夫も母親のわたくしも4人共に各自自分の好きな運動をチョイスし各自の仲間と共に熱心に取り組んでいるけれども満足感成就感の味わえるエクササイズと言うのはストレス発散にもなり非常にヘルシーだと体感させられる。ビューティフルエイジングにも通じ大層趣き深い。5月の連休ゴールデンウィークにはファミリーツアーを楽しみ新たな思い出を作りたいと思っている。時は初夏。裏手の竹林には小川のせせらぎがあり小鳥のサンクチュアリがある。そうした辺りから明け方素晴らしい鳴き声で不如帰の囀りが聞こえて来る。本当に心洗われる瞬間だ。ホーホケキョ。この素晴らしい囀りをあなたにも届けたく思うほどだ。
2014.04.29
コメント(0)
1月は行き2月は逃げ3月は去ると言われている。それほどまでに時間が過ぎるのが早く感じられる季節なのだろう。寒い寒いと言っていても既に立春である。暦の上では春が立ったわけだ。先月の下旬には日の入りが延びたなあと言う確かな実感があったけれどこの季節は三寒四温で寒い日もあったり温かな日もあったり。日々健康に留意し気を引き締めてこの三寒四温に対処してゆかなければならない。寒さを甘くみないと言うこと。日常における薄着の心掛けは大切だがこの時節急激な天気の変動もある。常に自分の体に対し今日の体の状態を問い掛けるように心掛け個人個人異なる自分だけの独自の感じ方感覚感触を大事にしてそうした感覚に耳を澄ましていく必要がある。決して無理をしないと言うこと。慎重過ぎるのもよくないけれど慎重な判断と言うのはとても大切であるように感ずるらしい。先月最後の火曜日の日であったかラジオのデスクジョッキーの女性がこんなことを言って嘆いていた。「今朝天気予報では気温が上昇すると聞いたので家を出る時にわざわざ薄着のコートに着替えて来たら今日は風が強く寒くて今とても後悔しています。」こんなこともあるわけだ。あまりに厚着に慣れ過ぎると体を充分に動かせずに運動しにくくなる。体を動かすことが大好きなので厚手のウエアにはあまり縁がないのだが薄手のウエアも上手に重ね工夫して上手く着まわすことにより三寒四温の気温の不安定な日々を上手に乗り切り温度差調節を図りたいと思う。厚着によりプクプク膨れたボディーラインは見た目が悪くカッコ悪い。逆に格好つけようと薄着過ぎ風邪を呼び寄せてしまうのもあまり褒められた話ではない。モノゴトには何時もいい塩梅(あんばい)というものが存在するようだ。何事もほどほどに越したことはない。ジムのエクササイズにおいても言えることなのだがウォーミングアップの折りには上着を羽織って徐々に体を温める。体を動かし続け体温が上昇して来ると少しずつ上着を脱ぎ捨て汗が噴き出せば薄着(例としてタンクトップ1枚など)になって身軽な服装(動きやすいコスチューム)で踊る(運動する)ことになる。そして筋トレや有酸素運動(エアロビクスなど)が終了しストレッチや瞑想タイムに移ると少しずつ体が冷えて来る。マットに身を横たえながら上がった心拍数を下げ腹式呼吸によりクールダウンする折りには再び上着を羽織って身体が冷えないように工夫するわけだ。健康を保ち体を大切にするにはこうした衣類の細やかな着脱が重要になる。汗のついたままの衣服をそのままにしておかないと言うこと。すぐに着替えることが必要だ。体を大切にすることはイコール身体を冷やさないことに通じるように感ずるらしい。常に体を温め体温を上げた温かな状態にしておくことが健康を保ち美しくある為には肝心であるように思われる。健康である為には自分の体とよく対話することが重要なのだろう。体を冷やさないようにするだけでなく疲れを残さないようにすること。決して無理をしないこと。面倒臭いと思わず何事もポジティブに捉えて小まめに体を動かすこと。そうしたことが大切になって来る。体は動かさないでいると時の経過と共に硬くなって来てしまうので筋肉を減少させないようにする為にも体を鍛えることが大切である。更にお洒落心を忘れず見た目に拘る気持ちを持ち続けると言うこと。特に姿勢の良さは大事だと思われる。ヨガに太陽礼拝のポーズと言うのがあるけれども祈ったり拝んだりする気持ちや感謝の気持ちを常に心に持って笑顔をいつも心掛け背筋を真っ直ぐに保つことが健やかな美しさに繋がってゆくように思う。三寒四温で日に日に温かくなり過ごしやすくなって来る。過ぎ行く季節を味わいながら美しい四季の有り様に感謝し温かな気持ちで子供達の旅立ちの季節を見守っていたい。季節の変わり目体調に充分留意下さいね。
2014.02.04
コメント(0)
正月最初の大河ドラマ「軍師官兵衛」で感涙させられた年明けであった。何のことはない母と子の会話内容だったのだが現代人が疾うに忘れてしまった日本人の血に流れる武士道の精神(武家の魂)をちらと垣間見た思いがして非常に感動した。事の発端は体の弱い実母の身を案じた少年官兵衛が敵地にあると言う漢方薬になる薬草を取りに行き敵の捕虜になってしまったことにあった。勇気ある実父の計らいでどうにか親子共々無事に生きて戻って来られたのだが少年の手によって差し出された薬草を病床の実母は素直に喜べずに息子に感謝の気持ちを述べる前に彼の頬を叩いて武士の棟梁としての心構えを説き彼を諭すのだった。母「お前の配慮のない行いがどれだけの人間を案じさせたかわかるか?現に御前の傅役である小兵衛は自ら腹を切り殿に詫びようとしたのじゃ。わたくしは小兵衛に向かってそなたが死ねばこのわたくしも生きてはいないと諭し思い届ませたのだけれど…。お前はこの黒田家の嫡子。黒田家の跡取りであることをもっと自覚し今この母とここで約束しておくれ。これからは父上の言いつけを必ず守ると…。」この発言を受けて息子である少年官兵衛も病床の母に願い出た。息子「では母上もこのわたくしと約束下さい。薬湯をしっかり飲んで必ず病を治すと…。」上記のシーンには涙をハラハラと零しながら愛しい我が子を説得するか弱い病床の母の姿があって涙なくして観られなかった。それでつらつらと心に思ったのだけれど今も昔も同じだろうと思うが男子たるもの優しいだけでは困難な世を渡ってゆくのは難しい。勿論人の気持ちがわかり他者に優しく接し温かな態度で対処することは非常に大切なことだろうとは思う。しかしながらその場その場に置かれた状況を的確に把握し場に相応しい適切な判断を下し冷静且つ沈着な態度と行動を心掛けることは家族を守る上でも家族の指揮官リーダーとしても男子たるもの必要事項(非常に重要な能力)なのだと推測する。平和を願う気持ちが非常に強いものだから武士の世の有り様を賛美するつもりは毛頭ないけれど人類の生きて来た歴史を知り歴史の有り様から様々なことを学ぶことは至極大切なことであるように感ずるらしい。武士の生き様は金の有り無しに左右される商人のそれとは違って精神性が重視され何やら趣き深く感じられる。家の有り様や存続を重要視する精神は現代社会にも影響を与えるものであって感慨深いようだ。更に上記のシーンから愛情を持って慈しみ育てた子はいつの世も母のことを思い(慕い)案ずるものだと言うことがわかって感動的である。常日頃身近かにいて見えにくいが親子の絆は非常に深く強いと言うことが改めてわかり正月早々感銘を受けることが出来た。それで改めて心に思ったのだが日頃身近かに接する人ほど感謝の言葉を心掛け労いたいものだと感じたようである。新年会や様々な集まり習い事などの顔合わせなどにおいても和顔施を心掛け自分自らが積極的に笑顔を作って人を和ませることは非常に大切なことだと改めて心に感ずることが出来た。2014年も健やかに逞しくそして美しくキレイに朗らかに過ごして行ければ有難く嬉しく感ずるらしい。それでは最後に年頭に当たり己を鼓舞する意味でも心に留め置きたい古人の名言を下記に書き記したい。この時節センター試験や中学高校受験を控える受験生もいるだろうと思う。極寒のこの時期体に気をつけて下さいね。松下幸之助の言葉「一方はこれで十分だと考えるがもう一方はまだ足りないのかもしれないと考える。そうした言わば紙一重の差が大きな違いを生む。」石坂泰三の言葉「人生はマラソンなんだから百メートルで一等をもらったってしょうがない。」小林一茶の言葉「金がないから何も出来ないという人間は金があっても何も出来ない人間である。」
2014.01.12
コメント(0)
冬は寒いと言うのが定説である。日本列島に美しい四季があるからだろう。そうした冬の趣きの1つにキーンと張り詰めた冬の朝独特の空気感があるように思う。嘗て清少納言は言った。「冬はつとめて。」と。冬には冬ならではの早朝の景色が1番似つかわしいようである。厳しい寒さの中に存在するそこはかとない(香り立つ)美があるからかもしれぬ。寒いからこそその寒さの中に冬ならではの良さを見い出すわけだ。しかしながらである。また別の意味合いで考えてみると冬の日中にも冬ならではの趣きや味わいは存在するように思われる。冬の晴れた日の日中にこそ味わえる日向ぼっこもその1つであるように思う。快晴の日の昼日向に柔らかな光線の中身をさらしていると不思議と心優しい気持ちになって温かな温もりの心地良さに思わず目を細めたくなって来る。庭の木漏れ日の中に身を投じながら椅子にタップリと腰を掛け太陽の恵みの温もりを味わっていると冬の愉しみを見い出せた喜びに理由もなく嬉しさが心に込み上げて来る。風を避(よ)けポカポカとした陽だまりの中読みかけの書物のページをめくったりしていると御日様の有難さ日光の温かさ温もり日向ぼっこの趣きを心嬉しく実感出来るように思う。人間が生きる上での幸せとはこう言う中にあるのだとほのぼのと心嬉しく実感することが出来るらしい。そう言えば北風は強く激しく吹いても旅人のコートを脱がせることは出来ず暖かな太陽の温もりには勝てなかった。日向ぼっこを庭の片隅で楽しんでいるとそうしたイソップ物語の一節までもが心に温かく彷彿として来て何やらとても趣き深い。さてもである。ここまでつらつらと書き綴って来てつくづく心に思うのであるが文章作りと言うのは非常に面白い。エッセイの作成も作り物語の制作も非常に楽しく趣き深い作業であるように感じられる。これからの世の中はますます国際化情報化が進み国際語である英語の必要性は増すばかりだ。英語の学習習得は必要不可欠としてもである。やはりわが国の言語である日本語は愛すべき母国語であると思う。これから先もずっとこの日本語を愛して大切にしてゆきたい。日本語を愛(め)で心に掛けて大事に使って行きたく思うようだ。何かを愛する人は美しいと言う。音楽を愛し文芸を愛し大好きなダンスをこれからも愛し大事にしていきたい。姿勢を正しコアを鍛えいつもにこやかに明るく朗らかに笑顔で人に接していたいと思う。クリスマス年の瀬(年末)と慌ただしく時が過ぎてゆく。そしてまた新たな年が明ける。ゆく年くる年。お世話になった全ての方々に感謝の気持ちを捧げ新たな年をまた新たな気持ちで明るく朗らかに迎え寿ぎたい。2013年ありがとう。2014年こんにちは。(世界の平和と日本の益々の発展を祈ります。)
2013.12.21
コメント(0)
本日は語呂合わせでいい夫婦の日であるらしい。要するに今日は夫婦の日であるようだ。お蔭様で私ども夫婦も数年前に銀婚式を終え今現在も相棒とは良好な関係を維持継続しているわけだけれど上には上がいるもので実家の両親などは既に5年も前に金婚式も済ませその上現在も夫婦で力を合わせて1つ屋根の下に元気で暮らしている。安全に眠ることの出来る自宅があり頼りになる相方がいまだに健在でオール電化の2階屋に2人だけで住み仲良く毎回キッチンに立てている実家の両親などは名実共にいい夫婦であるように感じられ幸せ者だとつくづく思う。父は以前から結婚して子育てを行なって初めて人は1人前なのだと言うポリシーの持ち主なのであるが私ども夫婦も2人の子供を育ててみて実際に親になる大変さと親であることの有難さが実感としてわかったような気がする。現代社会では少子化が急速に進み結婚形態に縛られるのは面倒で結婚自体どうも面倒臭いと考えるそんな若者達も増えて来た。独り身は自由ではあるけれどその裏で自分のことは自分で全てしなくてはならず強靭な心体の継続は欠かせなく高齢になるにつれてどことなく淋しさが否めない。つい先ほども生後2カ月のベビーを抱く若いママとバッタリ遭遇したのだが赤ちゃんと言う生き物は文句なく可愛く愛らしいものだ。わたくしが母親に「大事にして。」と声を掛けると「はい。ありがとうございます。」と応じ明るい答えが返って来た。話が横道に逸れてしまったが現代社会においては結婚していても互いに仕事などで慌しく子宝の授からない夫婦も珍しくない。子供は成長しいずれ親元から巣立つのだから子のあるなしに関わらず子が巣立った後はどの夫婦も新婚当初に戻り2人だけの生活になるわけだ。聞くところによると離婚経験者の人達も離婚当初もう結婚なんて懲り懲りと感じていても時の経過と共にいい人がいたら再婚したいと考え始めるようである。古人曰くの人には添うてみよであろうか。何ごとも思い込むことなく先入観だけで判断せずに実際に試してみよとの古人の仰せである。要するに夫婦の日の意味するある種の趣旨(意図)と言うのはずっと1人ぼっちでいるよりは2人の方が面白いんじゃないのか相方探し、始めましょうよパートナーのいる人は相棒との良好な関係を改めて築き合おうじゃありませんかと言うことであるらしい。友人曰く夫婦は親を離れて1対になるのだとか。上記の内容は近居でもいいけれど同居は出来れば好ましくない何らかの理由で親世代と子世代が同居をしていても精神的に子世代の夫婦が完全に自立を成し遂げていて親世代との間に適切な距離感を保てていることを前提にしているように感じられる。せんだってもサバンナのライオンの生活をブラウン管で眺めていた折り親ライオンは2才になった雄ライオンだけを群れから追放して自然の厳しい掟を力で示し教えていた。動物の世界では大人になる為のある種の厳しさが存在するように思われる。今はまだ少年である我が家の息子達もいずれは家から巣立ち独立し自分の家族を持ちたい時期も来るであろう。親は子に対して常に良好な距離感を保ち甘えさせず過保護にさせずに温かく厳しく接しなくてはならない。親は読んで字の如く木の上の立って見る心掛けを持って子の精神的経済的肉体的成長と自立を温かく見守って行かなければならないと思う。話を元に戻すといい夫婦の日のいい夫婦とはいい家庭生活を意味し子供の心が安心し安定し家庭で安らぐことの出来る良好な状態を指すように思われる。またそうした良好な関係とは基本的に両親の間に諍いごとがなく家庭の中に笑いと笑顔が絶え間なくあって楽しいユーモアとジョークが頻繁に言い合える状態(関係)でもあるように思う。親子の間にも夫婦の間にも双方に適切な距離感が存在し互いの間のプライバシーがちゃんと確保されていて更に言えば何かの緊急事態には家族全体が一致団結し家族の力を発揮することの出来る関係であるように思われる。上記の如くの集団になる為には日頃から周囲の多くの方々に対してまた家族構成員に対して感謝の念が大切である。また家族全員の健康と安全は勿論のこと人生の宝物とも言える友人の存在も親世代子世代共に大事になるように感じられる。友人達の健康と安全をここに心から祈念したく思う。そして今健康で安全に生かされていることに対しても心から感謝したい。最後にこの文章を読んでいるあなたにもありがとうの言葉を伝えたく思うようだ。本当にありがとう。
2013.11.22
コメント(0)
本日は霜降である。読んで字のごとく霜が降り出す頃とされる。しかしながらまだまだ温かく霜が降り出すような気配はない。地元の気象台によれば霜が降り出すのは1ヵ月程先になるらしい。本日の朝刊の天候欄によると高地である信州の長野では10月の23日あたりから霜が降り始めるのだと言う。昨今の異常気象で様々に天気の異変が気になるところではあるけれど秋は次第に確実に深まり落葉樹は姿を変えてゆく。そこで今回は小倉百人一首から3首。吹くからに 秋の草木の しをるればむべ山風を 嵐といふらむ文屋康秀白露に 風の吹きしく 秋の野はつらぬきとめぬ 玉ぞ散りけむ文屋朝康 (康秀の子)玉は露のことである。嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は竜田の川の 錦なりけり能因法師温故知新と言う言葉があるけれど日本には古来から日本ならではの秋の風情の存在がある。そしてそれは現代も古(いにしえ)も変わらない不変の味わいであるように思われる。秋の深まりを感じる今日この頃いかがお過ごしだろうか?11月は霜月とも言う。体調を崩しやすい時期でもある。様々にお体ご自愛のほどを。冷えやすい季節を上手に乗り切るのには血流をよくすることが肝心だ。体を動かすことが重要であるように思われる。わたくしごとで恐縮なのだが週4で通っているジムエクササイズの中に大好きなダンスエクササイズがある。前期レッスン曲はフラダンス(ハワイアンフラ)とジャズダンス(スマップのシェイク)であったのだが今期は2曲ともにジャズダンスで1曲目が既に完全に振り付けをマスターしたキャンディーズのナンバー年下の男の子そして2曲目が(今集中して習っているのが)嘗てのワンピース(主人公ルフィーの人気アニメ)主題歌であった東方神起のナンバーシェアー ザ ワールドだ。歯切れのよいリズムの上にビートを体に刻みやすい曲でかっこいいスマートな振り付けが大層気に入っている。是非ユーチューブなどで視聴してみて欲しい。音楽は書いて字のごとく音を楽しむ芸術だ。ジャンルを問わずクラシックもJポップもKポップも大好きである。音楽鑑賞は素敵なことだと感ずるらしい。
2013.10.23
コメント(0)
庭に咲いたマンジュシャカもお彼岸の期間が終われば見納めである。燃えるような赤色が特徴のマンジュシャカは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言われている。別名は勿論彼岸花。彼岸花は秋の季語である。彼岸花庭の片隅燃えて立つ 元気その彼岸花は紅色も白色も両方あるけれど天上に咲く花はどうも白色のほうであるらしい。一般的によく知られているのは赤色の花である。土手が真っ赤に染まるほど沢山のマンジュシャカが咲き誇っている風情はお彼岸ならではの光景だ。雨に打たれて静かに佇むように咲いているそんな真っ赤な曼珠沙華の味わいもまた格別な感がある。普段の何気ない風景の中に秋の趣きが息づくのを見い出すのは何とも心地良く味わい深い。懐かしい流行り歌までも心温かく脳裏に思い起こさせノスタルジックな気分に浸れて非常に趣き深く感じられる。そう言えば数日前に美しいお月様を秋の夜空に眺めることが出来た。素晴らしい中秋の名月であった。人間は何かに成功したり困難な目標を達成したりすると感動感激する生き物であると聞くけれど飛び切り美しい月を澄んだ夜空に見上げ清々しい気分に浸りながら名月と相対する時間を持つ折りにも同様大きな感動の波が心を震わせ感激の嵐となって興奮を呼び起こすようである。普段から身近かに音楽に親しみ音楽を友のようにして暮らしているとロックであろうとジャズであろうとJホップであろうとクラシックであろうとそれぞれのジャンルにこそ存在する音楽自体の良さがわかって来てそれぞれの良さを知り理解しそれぞれにジックリ味わおうとする温かな思いが強まって来る。音楽は読んで字の如く音を楽しみ感動を享受し心を豊かにする芸術だと心しみじみ実感出来るように思う。音楽もまた運動(カラダの鍛錬)も同様なのだが物事を一方から分析しようとせずに多角的多面的に見る視野が広がるようだ。多面的にモノゴトを見ようと試みることは大変大事なことのように思われる。心から短気を追い出し短慮を減らし少しのことでイライラしたり怒らなくなって来る。多面的にモノを見る眼が出来るとモノゴトをちょっと立ち止まって考えるようになり慎重と落ち着きが行動に伴って来るように感じられる。多面的に考慮するように心掛けていると自然に臨機応変が身についてきて日常生活の中においてもちょっとした応用が広がるように思う。メイクアップの折りなども楽しみながらアイシャドーの色をノーズシャドーに使ってみたりアイブロウ用にしてみたりと工夫や思いつきが様々に活用出来て味わい深いようだ。公共の場などでお手洗いを拝借する折りなどにも股関節のエクササイズを考慮して洋式トイレより和式トイレのほうをわざとチョイスしてみたりして発想の転換が何やら面白いらしい。彼岸花の時節お彼岸の期日には両家の仏壇に家族で線香を手向け先祖の霊に手を合わせて来ることが出来た。お彼岸が過ぎると秋も本番である。日増しに秋めき秋が深まって来る。そんな秋はお洒落の季節でもある。あなたはこの秋どんなお洒落を楽しむのだろう。
2013.09.27
コメント(0)
脳細胞に快い感覚を呼び起こさせるものに感涙の存在があるようだ。その感涙とは言わずと知れたことだが感動感激のあまり涙することである。涙の有り様にも多々あって悲しみや悔しさ怒りや淋しさなどで涙する場合は独りよがりの面もありあまり健康的であるとは言い難いけれども感謝感激感動の嵐で涙する場合は別で脳細胞の活性にも関与し健康上いいものであるらしい。最近では感涙の場を求めわざわざ劇場や映画館などに足繁く通い涙活を行なう種族も目立って来ているようだ。がどうも進んで感涙を求めに頻繁に涙活すると言うのも偶然性が希薄なせいか進んで行なってみようとは思わないようである。感涙は偶然性を伴ってこそ何かしらの趣きが増すのではないかと心のどこかで感じるからだろうか?よくは分からないのだけれどテレビドラマなどで偶然にも感動的な場面に遭遇し不覚にも感動のあまりぽろぽろと大粒の涙が目から零れ落ちた場合などはああ見て良かったなとしみじみ思い見て本当に良かったと言う感激の実感が脳みその奥の奥からジワジワと温かく湧き上がって来て快感の脳波を形成するものらしい。せんだってもフィトネスで疲れた体を癒ししばし休息させ予めビデオに録画して置いた大河ドラマの八重の桜を昼下がりに眺めていたら新島襄と再婚を決めた娘の八重の為に式用のウエディングドレスを準備した八重の母が八重に向かって飛び切り感動的な名台詞を吐いていた。(涙腺の弱い私が感涙してしまったのは言うまでもない。)風吹ジュン演じる八重の母が発したしみじみと心が篭もった愛情深い言葉に思わず感涙してしまった私であった。「八重おめえには小さい頃から驚かされることばっかだった。鉄砲を撃ってみてぇと言ったりその鉄砲さ撃ってお城で敵と戦ったり。そんでもって今度は耶蘇の人と一緒になって西洋の式を挙げるって言うでねぇか。人が考えもしねぇことをすんのが八重だ。そんな八重を誇りに思ってる。自分の信じたように生きてみせ。わたしはずっと八重のことを見守ってっから。」そんなような内容の心温まる台詞であった。思えばである。現代の我々世代の子育てにおける様々な問題もこうした八重の母のような大らかで懐の深い慈愛に満ちた見返りなどを子に要求しない無償の愛で優しく温かく子供の心を包んであげれば大体の問題は解決の方向に向かうような気がする。そう言った意味合いで八重の母の言葉は深い意味を持つように思う。光と愛に満ちた素晴らしい示唆であるように思われる。いつの世も母の愛は尊く且つ偉大である。要するにである。感涙とは心が動かされ感激のあまり脳みそが快感を覚えそうした感激に打ち震える為感極まって自然のうちに涙する健康的な現象であって出来うれば偶然的に遭遇したい事象であるように思う。そうした感動感激に幸運にも遭遇出来た場合には心の中でそっと手を合わせ感謝する気持ちも大切なのであろう。人は応援者が傍らにいるとより強くなれる生き物である。そうした当たり前のことを心の中にほのぼのと温かく思い起こさせてくれる素晴らしいドラマシーンであった。話は変わるがランニング・ハイと言う言葉がある。有酸素運動を持続し行なっていると脳細胞が快感を覚え快さに興奮し感動する折りが訪れることだ。こうしたような実感もまた感涙の効用と類似したところがあるように思う。汗を掻く運動は心地良いものである。暑い暑いと言っていても四季の訪れは巡り確実に秋は実感としてやって来る。日本各地で秋は運動会や体育祭が催され人々が運動に集うだろう。運動は身も心も軽くスマートにかっこよくしてくれる。スポーツの秋。様々な運動で心地良いいい汗を流したいものだと思う。秋は台風の季節でもある。どうぞお体ご自愛下さいね。
2013.09.10
コメント(0)
朝晩はめっきり涼しくなって来た。とは言っても日中はまだまだ猛烈な暑さが継続している。日が落ちて暗くなると庭は虫の音に包まれて初秋の風情が感じられる。けれども季節の変わり目のこの頃と言うのは1日の気温差が大きく体調を崩しやすいらしい。カラダを冷房や冷たい飲み物などでむやみに冷さないように努め疲れを体内に溜めないように気を配らねばならない。疲れを溜めないようにするにはバランスの取れた栄養補給と充分な睡眠時間確保が非常に大事だろう。バランスのとれた適切適度な食事内容ゆったりとした休息や深い眠りが特にこの時節は大切になるようだ。そうしたことに加えてカラダに負荷をかける毎日の運動習慣もカラダを作り整える為に重要になって来るのではなかろうか。汗ばむくらいの有酸素運動と筋肉トレーニングなどの無酸素運動を毎日の運動プログラムの中に上手に組み入れ愉しみながら継続して自分にあった運動を実践してゆくことが必要になって来るように思われる。短時間であってもいいのでカラダがちょっと大変だ(キツい)と感じるくらいの強さの運動がいいように思う。病は気からと言う言葉もあるように精神面の安定も非常に重要である。心を静めイライラしたりせずに健康であることに対しても感謝の念を持たねばならないだろう。毎日のようにいらいらくよくよしている人は努めてストレスから回避するよう心掛け何かしらの自分の愉しみを見つけストレスを上手に発散するようにしなくてはならない。自分の好きな趣味の時間を持ちそうしたことを積極的に行なってゆくことが非常に大切になって来る。1つの例としてカラオケを挙げてみよう。カラオケは健康にいいらしい。大きな声で歌を歌うと横隔膜が刺激されて動くので結構いい運動になる。座って歌うより椅子から立ち上がって立って歌うほうがより効果的だ。なるべく大きな声で歌いリズムに合わせてステップタッチなどの動きを合わせて行なうと汗ばむほどのエクササイズになりより効果を実感出来る。お腹から声を出すことも様々な効能が期待出来るように思う。猛暑の中冷房の中でうたた寝もいいけれど同じ冷房の中にいるのであれば親しい友人と一緒に愉しくカラオケに興じてみるのもいいだろう。つい先日もそうした愉しい機会があり外の猛暑を避けカラオケを介してお腹から気持ちのいい声を出し動いて踊って来ることが出来た。同じ歌を一緒に歌い合うことも共感の想いが通じ合い心地良い感じが味わえるように思う。歌うこと自体ストレス解消になってエクササイズ効果と合わせ一石二鳥の効果があるように思われる。英気を養い厳しい猛暑を乗り切り新たな実りの秋を迎えられるよう日々運動と食事と睡眠に気をつけて様々な書物に勤しみ精進してゆきたい。猛暑が続いた8月葉月が終わってゆく。少年老いやすく学成り難し一寸の光陰軽んずべからずとはよく言ったものだ。時の過ぎ行くのは早いものである。過ぎ行く月日を大切に過ごしてゆきたいものだとつくづく思う。9月長月は台風の動きにも留意せねばならない。まだまだ厳しい残暑が続きますがどうぞお体のほう大事になさって下さいね。
2013.08.31
コメント(0)
世界には今も尚数多くの争いごと(戦闘)があり尊い命が今この時も失われている。心が痛んでやるせない気持ちになる。暴力行為での問題解決は絶対的に不可能だ。話し合い(上手な対話や何かしらの心の交流)で双方が折り合いをつけ悲しい戦争を何としても回避しなくてはいけない。暑さが最高潮になる葉月のこの時期と言うのは亡くなられた故人の魂に対し思いを寄せる時節であることも重なり改めて世界の平和と共存を心から祈念したく思う。世界が平和でありますように。戦争や争いごとがありませんように。人が人の心の善を信じ互いに心を通わせ合えますように。人が人に対し感謝の念を持って心温かく優しく接することが出来ますように。昨夜も南の空に高く美しいお月様が昇っていた。天を仰いでキレイな月を眺めていると清々しい晴れ晴れとした気持ちが心に込み上げて来る。人はそうして自然に感謝し自然の姿から何かを学び自然から様々な知恵を習得してゆくのではあるまいか。心和やかに心大らかに心穏やかに茹だるような暑さはこの先もまだ続いてゆくらしい。お体どうぞご自愛なさって下さいね。
2013.08.15
コメント(0)
暑い暑いと言っていても暑さが和らぐわけでもないのでここは積極的に猛暑対策をとりたいものである。集中豪雨や突然の竜巻突風洪水や高温気象など近年は異常気象に見舞われている。こうした異常気象にカラダを慣らしてゆく為にも普段から上手に冷房管理(冷房対策)や入浴方法を施し食事内容や休息睡眠に気を配りたいものだ。また上記に加えより積極的な猛暑対処を考えるには日常生活における健康(体力)作りが欠かせないように思われる。そうした健康作りの根幹を成すものは何と言っても継続的な運動であろう。毎日続いている根気ある運動タイムがあればあなたの健康は大丈夫だと推察する。健康作りは向上に向かっているように想像するらしい。更に言うとそうした運動習慣が身につきやらなくてはならないから毎日取り組むと言うような消極的な姿勢ではなくてやらないとどうも気持ちが落ち着かずやると楽しくてたまらないから取り組むと言ったような前向き姿勢であればより運動効率がアップし向上に弾みがついてゆくように思う。人体を構成する筋肉は年齢と共に次第に失われてゆくと言う。骨密度も同様であるらしい。要するに人間は体を動かさないで運動を怠けていると筋肉骨格が減少してしまう生き物のようである。転倒したはずみに骨折してしまったりもろくなった骨が姿勢を圧迫して痛んだりして寝込んだりすることも起こりうるように空想するようだ。そうした老化現象をくい止め老化スピードを緩やかにしてゆく為には運動を継続してゆく必要がある。単純に歩くだけでもいいけれど腰をかがめて床の拭き掃除をしたり重たい荷物を持って移動させたり人体に様々な負荷をかけカラダを動かしてあげることが有効(肝心)だ。冷房の効いた部屋にいて冷たいものをカラダに取り入れじっとして体を動かないでいるとカラダが老化し(老け)始めカラダを支える大事な骨が溶け出して様々な筋肉が次第に減少してしまう。カラダを動かすことを億劫がっていると老化速度が加速してゆき実年齢より早く年をとってしまうようだ。足腰から年をとるとはよく言ったものだと思う。実際足腰を鍛えている老人は矍鑠(かくしゃく)としていて溌剌と若々しい印象がある。見た目年齢が若いと長生きだと言うデータもあるらしい。生涯自分の口から食物を摂り自分のチカラで立ち上がり自分の足で歩く為にも若いうちから心掛けて継続した運動を行い筋肉と骨を鍛える必要がある。何事も無理強いは禁物だけれど充分な休息と栄養補給を施した上で毎日毎日その人に合ったその人その人に相応しい適切な運動を継続して実践してゆくことは非常に大事なことであるように感じられる。あなたはどんな運動を選択し日々楽しんで続けてゆくだろうか?(お互い気持ちのよい汗を流したいですね。)体作りは健康作り健康作りは心作り。カラダ作りと言うのは各々の自信作りにも繋がってゆくようだ。毎日の継続的な運動実践によって心身共にしなやかで軽やかな柔軟な(若々しい)体を作りたいものだと思う。猛暑対策は体力作りから。そう感ずるようである。8月葉月も8日頃には立秋を迎え暦の上では秋が立ってゆく。時は流れ留まることを知らない。立秋以後の暑さを残暑と言うけれど猛暑日は立秋を過ぎてもまだまだ長く続いてゆくようだ。運動も無理のない範疇で行い運動後のカラダはしっかりと休息させてあげバランスのよい食事を心に掛けて健康に留意して行きたいものだと思う。暑さの折りからどうぞお体お大事に。健康を心から祈念しています。
2013.08.04
コメント(0)
猛暑日が続いている。熱中症には充分気をつけなくてはならない。次男坊が本年度の学校全体行事全学年キャンプから帰宅した。一段と男らしく逞しくなって戻って来た。嬉しいことである。母親のわたくしのほうはと言うと今年度4月からスタートした第1期スポーツ教室の2講座全てに出席が叶い11名の仲間と共に2枚の皆勤賞状を頂くことが出来た。こちらも有難いことだと思う。44回全てのレッスンに参加が出来て大変満足している。カラダを動かせる喜びと大好きな趣味であるダンスエクササイズに仲間と集い合える歓びに今感謝の気持ちで一生懸命取り組んでいる。自然の中で暮らし自然と共生するキャンプ生活もフィトネスを始めとする室内エクササイズもカラダ(体力)作りの大切さを感じさせてくれるいい機会であった(になった)。言わずと知れたことだが筋肉は使わずにいると次第に衰える。中高年女性に多い骨粗しょう症も筋肉不足(筋肉弱体・筋肉低下)と無関係ではない。転んで骨折するのも元はと言えばカラダの様々な部位の筋肉の衰えが原因である。転倒骨折し寝たきりにならない為にも普段から気を付けて運動しなければならないと思う。お蔭様でピースフルなエクササイズであるダンスに心魅せられ熱心に取り組んでいるのでパワフルでムードのある様々なダンスパフォーマンスを踊りこなすのにはカラダの中心である体幹部分を鍛え太腿を始めとする様々な箇所の筋肉を引き締め強くしなやかにする必要がある。有難いことに同じ趣味仲間に恵まれ指導者であるインストラクターにも恵まれているので楽しみながら体力作りを行なうことが出来ているようだ。あとは自分の気持ち1つで継続した適切な運動を実践してゆけばダンスの向上は期待出来るように思われる。今期のエクササイズレッスンでインストラクター4人が順番に壇上から教示してくれた主なエクササイズはカラダを強くしなやかに保つストレッチと筋トレそれに体幹部分を鍛えるバレエエクササイズ笑顔を作りながら手先と膝間接をしなやかに柔らかく舞う甘いムードのハワイアンフラダンス切れのいい動作で力強くカラダを動かし腰と脚力腕力を強化するボクササイズ音楽のリズムに乗って早いビートをカラダに刻みながらクールに(かっこよく)振り付けを楽しむジャズダンスであった。年をとっても心掛け次第では美しくしなやかな筋肉を作ることが可能になる。(運動をやらなくてはならないと言った強制的な気持ちではなくやらないと気持ちが悪いし面白くないと言うようなエクササイズを楽しんで行なおうとする前向きな気持ちで取り組んでゆきたく思う。)出来うれば単独ではなく仲間と一緒に楽しくエクササイズ出来れば尚一層喜ばしい。まだまだ暑い日が続くけれど短時間でいいのでカラダと向き合う機会を作って体力作りに励んでゆきたい。話は変わるがオンボロPCの調子が非常に悪いようだ。が感謝の気持ちを大事にモノを大切にしながら大切に使ってゆきたく思う。では猛暑の折りからどちら様もお体大切に。心から暑中お見舞いを申し上げます。
2013.07.15
コメント(0)
七夕が近い。願い事を短冊に書き記して竹の小枝に飾る風習は夏ならではの趣きがある。あなたは何を夜空のお星様に祈るのであろうか?わたくしもジムに飾られた竹の小枝に願い事を認(したた)めた短冊をそっと吊るしてみた。せんだってのこと休日の早朝ゆっくりと朝食をとり食卓のテレビを楽しんでいたら薪ストーブを使って煮炊きする1人の年老いた老婆がブラウン管に映し出された。5年前に亡くなったのだと言うご主人が1人田舎家に残される連れ添いのことを不憫に思い病を押して妻が自給自足の生活に困らないようにと生きているうちに沢山の薪を割って作り薪を小屋に積んで山にしてくれてあった。その薪の山を見ながら「亡くなる前に私が困らないように作ってくれたんです。」と老婆がしみじみ語ったのだがその言葉の中で特に印象深いフレーズがあった。それが亡くなったご主人のことを指して言った「神様になった。」と言う言葉だった。その趣き深い言葉を聞いた瞬間わたくしの心に何やらほのぼのとした思いが生じ人は死んでも魂は残されて人に影響を与えてゆくのだと言う温かな心情が彷彿として来た。人はこの世から物体的にいなくなっても神々しい何かに変化して(神々しいものに変化を遂げて)残される者に様々な影響を与えてゆくのだと言う感慨が心に温かく浮かんで来た。死者が神になると言う言葉(発想)は何やら非常に神秘的で心に新鮮に感じたようだった。人は死んでからも念の世界において生きている者と交信が出来生きている者達とテレパシーを分かち合えるのだと言うことも同時に感じ取ることが出来て趣き深く感じられた。七夕飾りを目(ま)の当たりにするとそう言ったような崇高な魂の存在が心に嬉しく蘇って来て非常に神秘的な温かな気持ちに包まれる。何やら心温かく不思議な気持ちに浸ることが出来るようだ。フィトネスで疲れた体を癒しふと目を遠くに向け爽やかな風に吹かれていると瞬間様々なインスピレーションが心に静かに湧き上がって来て温かなイマジネーションの世界に浸ることが出来る。誰かが遠くで囁いたようであった。人間は本当に面白い生き物だね。ほんとそうね、そう思う。ある人はダイヤに目が眩みある人にはダイヤは石ころでしかない。確かにそう言うところはある。お金は最低限必要な分だけあればいいと言う生き方もあれば金銭に目が眩み物質的な豊かさのみを追い求める人間もいる。そう。お金を稼ぐことが人生のステイタスのように齷齪する人間ね。例えばそう、釣りは好きかい?いいえ、殺傷は好みじゃない。例えばの話釣りも煙草もパチンコも人の好みの問題だ。そうね。でも、悪いけど、そのどれも好きじゃないの。わかった、でもね。好きな人には、そうした時間が楽しみに感じるんだろうよ。西洋人達がワインを楽しんで集いはしゃいで歌い踊るのと同じようにね。日本人はいまだ二宮尊徳を信奉してる?精神的に貧乏性で皆一緒でないと落ち着かないのかもしれない。まだまだ個を尊重しないところがある?それもあるけどこうあるべきみたいな生き方がまだ蔓延してるのかも。ふうん。話を元に戻すと人生も趣き深いものだし人間も面白い生き物だからもっと味わって生きたいものだね。好きな分野気に入った空間を持つことは素敵。気になる人がいたり大事にしたい人がいることも素敵でしょ。人は楽しさを感じたいし喜びに浸りたい。面白く明るい人が楽しいしそう言う人に癒されたい。暗く陰湿なのは御免被りたい。人間的によく出来た包容力のある逞しい人がいい。優しく思いやれる心温かな人に惹かれやすい。笑顔がいいね。明るい笑顔がいい。風に吹かれているとそんな空想世界が広がって豊かな気持ちになれるようだ。そう言えば先月末日本古来から伝わる輪くぐり行事に参加して来た。愛らしい浴衣を着た少女達(おさなご達)が数多く見受けられて趣き深かった。可愛い浴衣姿に小さな幸せを感じることが出来た。そんなささやかな幸せ感を大事にしたいと思う。また今年は夏鶯の囀りが早朝竹林の方角から聞こえていて心癒される。ホーホケキョの素晴らしい囀りを耳にすると何とも言えない幸福感が胸に込み上げて来る。自然神に対する敬虔な祈りの気持ちをこれからも胸に大切にして行きたい。(自然に対し感謝の念を忘れずにありたいものだと思う。)
2013.07.03
コメント(0)
蒸し暑い日が続いている。体調管理が大変になって来ているようだ。どちら様もどうぞお体には充分お気をつけ下さいね。さて健康と美は守りの体制よりも攻めの体制のほうが望ましいと言われている。かの有名な三浦雄一郎氏も同じようなことを述べていたように思う。目標を自分の中に明確にしモチベーションをしっかりと持つと言うことが非常に大事であるらしい。その人その人にあった自分にふさわしい目標目的を掲げ果敢にポジティブに楽しく実践に取り組むことが健康で美しい体型作りには欠かせないようだ。決して無理をすることなくその人その人にあった自分のペースを確保し継続して実践を続けてゆくと言うことが重要であるように感じられる。小さなことにクヨクヨすることなく大らかな気持ちを常に心の中に持って精進に邁進することが非常に大事であるように思う。何事に対しても当てはまることだが面倒臭いと思わずに小さな実践でいいから継続して行なってゆくことが最も大切であるように思われる。またそうした実践を心から楽しんで好きで行なうことが大事であるように思う。そうした思いがあれば毎日続けることも苦にならず簡単に楽に継続が叶うように感ずるらしい。何事も成功の秘訣は好奇心を持つと言うことと好きであると言うことだと思われる。好きであれば自ずと実践にも熱が入りチカラを入れて行動に取り組むことが可能になる。そしてそこから向上心も芽生えて来る。向上心が生まれれば上手になりたい成功したい賛美されたいと言う熱い想いも自然と湧いて出て来て一生懸命努力する態度が尚いっそう培われていくように想像出来る。結構尽くめであるように思う。であるからして好きだと言う気持ち楽しみに思う気持ちをまず持って持ち合わせると言うことが何よりも大切であるように思われる。そうした気持ちがモノゴトの向上や成長の礎(糧)になるからである。勝ち負けに拘(こだわ)ったり他者からの評価に心乱すことなく常時明るい朗らかな気持ちを心に持って毎日を楽しく明るく生きることが最も重要であるようだ。楽しく生きる為のコツは他者に対し決して無理強いをしないこと。他者が嫌がることを強制したりしないことであるように思われる。他者の自由を尊重し他者の考えを無理に変えようとしないことだろうと思う。プライドや誇りの気持ちを持つことは決して悪いことではなく大変結構なことだと思うけれども謙虚さがなく他者を赦してあげられない気性やユーモアを解せず笑えない性分…下手(したて)に出ることの出来ない態度や姿勢などは好きで楽しもうとする心にブレーキをかけ悪影響を及ぼしそうした心を阻害してしまうように想像する。話は少し反れるけれども1日1回汗を掻くことは健康と美にとって非常に有効な手段である。音楽に身を委ね無心に踊っていると自然と心が浄化され清らかになってゆくのを肌で実感出来る。心が昇華され心が澄み落ち着き平成になってゆく。気持ちが弾んでキレイになってゆくのが手に取るようにわかるから不思議なものである。そして何より気持ちのいいことは全身に汗を掻くことだ。気分が晴れて心から晴れやかな気持ちに包まれるからだろうと思う。大量に汗を掻いた後運動後のカラダをシャワーを使って温め筋肉マッサージをして癒してあげるのも本当に心地良い。気心のしれた仲良し同士で互いに寝転がり背中に指圧を施し合う時間も大変気持ちがいいものだ。要するに脳細胞を気分よく満たしてあげ機嫌よくしてあげること和ませ癒してあげることが美と健康には不可欠であるように感ずるらしい。真夏に向けて素肌を外気にさらす機会も増える。そうした季節に適しているのは自分のカラダを心から愛しみ心地良く癒してあげられる自己マッサージである。滑りのよいクリームやジェルなどを使って丹念にユックリと優しくボディーをリンパの流れに沿って自己マッサージしてあげることは健康と美にとって非常に有効な手段であるように実感している。笑顔や深呼吸と同様自分自身に対しスキンシップしてあげるマッサージは健康的な美しさを育める非常に効果的なアイテムであるように感ずるようだ。ユッタリとした寛いだ時間に身を委ね副交感神経を優位にしながら自分自身のカラダと向き合える(会話出来る)至福の時間は大変貴重であるように実感するからだと思う。たとえ短い時間であっても必ず効果はある。スキンシップを通して心身を癒しいとおしむ気持ちを大事にして心豊かな時間を楽しむことが豊かな人生にとっても非常に大切であるように感ずるから。父の日の今日多くのお子さんがご自分の父親(お父様)に対し日頃の感謝の気持ちを伝えたことであろうと拝察する。わたくしも父の足裏にマッサージと指圧を行ないお父さん!ありがとう!の気持ちを伝えて来ることが出来た。娘が言うのも何なのだが父は体脂肪も少なく細身のハンサムダディーで髪の毛も高齢の割にはあって実年齢より10歳は若いように感じている。母からの話でも高齢であってもパートナーである妻(実母)とのスキンシップは健在で夫婦仲の良いところは心強く頼もしい限りだ。スキンシップの効能を嬉しく垣間見た気がしてとても趣き深く感じられた。この難しい世の中厳しい社会を乗り切ってゆく為には心を癒し和ませる時間を作ることが大切である(になる)。心を弾ませ時間を楽しもうとする心を養うことだと思われる。ジメジメとした季節が続いてゆく。心をいつも晴れやかに明るく朗らかに暮らして参りましょう。
2013.06.16
コメント(0)
人間の体は食べた物で作られる。そう思うようだ。であるからか食事内容は非常に大切な項目になるように感じるらしい。年齢を重ねると誰でも代謝が落ち口にするもの全てに気を配る必要性が生じて来る。必要な栄養はしっかりと確保補給しながらも不必要な余分なものをカラダの中に取り入れないことが大変大事になるようである。漢方の考え方においては「気」と「血」と「水」のバランス(調和)が最重要視されている。アンチエイジングの面からも上記の3点は非常に重要なポイントになるように思う。まず1ポイント目の「気」であるが「気」と言うものを常時生き生きと明るく保つことが大切になる。嫌な顔をしないでいつも笑顔を絶やさずに落ち着いた気分で晴れやかに心朗らかにいると言うこと。更に言えば何でもいいので心惹かれる(心浮かれる)分野を持つように努めそうした自分の趣味の世界を広め深め心から楽しんで味わうことが「気」を上手に高揚させてゆくように実感している。気心の知れた愉快な仲間達と軽くドリンクを補給しながら談笑したり明るくはしゃぎあったり刺激を与え合い愉快に騒ぎあうことが長い人生を楽しんで生きることに繋がってゆくように感ずるらしい。銀幕スターに恋心をいだくことも「気」の高揚には大きな効果がある。要するに「気」とは「やる気」(意欲)とか「気持ち」のこと。何に対しても向上心や意欲を持って果敢にポジティブな気持ちで「気」の高揚に努めることが健康と美にテキメンの効果を齎すようだ。次に2つ目のポイント「血」であるが「気」と共に大切なのは「血」の巡りである。「血」をカラダに巡らすには自分の体を充分に動かしてあげなくてはならない。つまり適切な運動が大事になって来る。カラダの「血行」をよくする為にはよくカラダを動かし充分に運動してあげることが非常に重要になる。手っ取り早く運動するには歩くことだ。他にも温かな湯にユッタリと浸かって心身をリラックスさせてあげたり自分のカラダにマッサージをしてあげたり指圧してあげたりすることが血行を良くすることに繋がってゆく。「血」の巡りには食事内容も欠かせない。炭水化物たんぱく質脂質ミネラル食物繊維…つまり様々な栄養素をバランスよく体内に取り込むことが非常に大切になって来る。食べ物をよく咀嚼し感謝の気持ちで味わって美味しく頂くことが日常生活において非常に重要になるように思われる。男性も女性も中高年になって来るとビール腹と言われるような下腹の出たタイプが見られるけれどその多くは摂取カロリーの取り過ぎであって食べ過ぎ飲み過ぎの傾向が強いようである。中高年に美食は禁物だ。栄養素はしっかりとバランスよく補給しながらも粗食に努めることが大切になる。特に解毒作用を持つ肝臓は物言わぬ臓器と言われている。食べ過ぎ飲み過ぎ傾向にある人は常日頃からご自身の肝臓を充分にいたわり内臓(胃腸も含む)を休ませてあげることが大切である。3つ目のポイントは「水」である。この「水」に関しては個々の人間の体質と運動量が関与して来るので飲む水分量は一概には言えないようだ。常識的に喉が渇いたらすぐに水分補給に努めることが肝心である。喉が渇く前にも一度に大量に飲むようなことをせずにチビチビと水分をカラダに補給してあげることが重要になる。「水」の項目には水毒と言う問題もあるので水は沢山摂取すれば良いと言うものでもない。水分の取り過ぎがかえって体調不良を引き起こすこともあるわけだ。下腹が出てポチャポチャと音がする場合などは多分に水分過多であって明らかに水の取り過ぎが考えられる。舌が白く舌の両端がギザギザと波打ち口内炎や舌炎などが出来る場合にも同様な心配が想定される。水分は個々の体質に応じて水の摂取量を適切に調節してゆくことが肝心だ。上記の3ポイントの他にも毎日カラダや髪を洗ってしっかりと乾かし身体を清潔に保ってあげることや歯磨きやウガイ手洗いを励行すること心を安らかに温和に保つことなどがアンチエイジングになりうるように思われる。運動後の身体を充分に休息させ夜間の睡眠をしっかりと確保することカラダと脳を充分に休ませてあげることも美しさと健康には大事な項目になるだろう。人は誰でも年をとる。しかしながら努力によって老化の速度を遅らせることは(心掛け次第で)充分可能である。例えば同窓会などの折り同じ年齢なのに老けて見える人と見えない人が生じてしまうのは何故だろう。日頃の心掛け(アンチエイジングに対する意識)がそうしたことに大きく関わっているように想像される。出来うればいつまでも若々しく元気に健やかにありたいものだ。生き生き溌剌と凛として背筋を伸ばしていたいと思う。(明るい笑顔を絶やさず心朗らかに大らかにありたいものだと感ずるらしい。)特に中高年は自分自身のオリジナルな実感と言うものを大切にしていくことが大事になるようだ。己の実感を通して自分自身のカラダで感ずるものを信頼し自己の健康と美に活かして活用してゆくことが大事になるようである。人はひとりひとり違った体質を持つ。また人の感性は多種多様である。であるからして自分自身をよく知って自分のカラダに合ったものをよくチョイスして取り入れてあげることが重要な鍵になって来るように思う。心を解きほぐし心を解放させ心を自由にさせてあげることも上記のポイントと共に大事なポイントになるようである。心の柔軟さ心の柔らかさが本当の意味での心身の若々しさに繋がってゆくようだ。短気を起こさずに心の度量を大きく持って他者に対して寛容でいることが非常に大切であるように感ずるらしい。カラダを鍛えるのと同時に心を鍛えることもまたアンチエイジングには大切な項目のように思われる。笑顔と深い呼吸様々な運動とバランスのよい栄養補給そして睡眠の確保こうした点を基本にしながら仲間と集い合う楽しく愉快な時間や好きな趣味などの時間を確保し心から大事にしてあげることが人生を豊かにする上でもアンチエイジングの面でも大事になるように思う。話は飛ぶのだが三浦雄一郎氏が齢80を超え世界最高峰に登頂したことは記憶に新しい。年齢を重ねても好奇心と目的意識とチャレンジ精神を忘れないことが若々しさに繋がるように感ずるようだ。日本列島は今鬱陶しい梅雨の季節を迎えている。季節柄どなた様もお体充分にご自愛下さいますように。
2013.05.29
コメント(0)
今年もGWが終了。楽しい時を過ごした人も多いのではないだろうか?我が家もワゴンを走らせロングドライブを決行。息子達にもいい思い出を作ってあげられた。家族4人ヤマメ釣り堀で早朝12匹を次々と釣り上げその場で内臓をキレイにした上炭火で皆塩焼きしてもらって食して来た。同じく美味しい甘味噌の付いた炭焼きの五平餅も堪能しみずみずしい新緑の風景と共に気持ちよく味わって来ることも出来た。久しぶりに屋根付き温泉露天風呂にも浸かりお天気にも恵まれ山の緑とそよ風と青空と鳥の声を心地良く感じながら日常から離れてゆったりとした時間を愉しんで来れた。さてそうしたGWも終わり本日は母の日である。どなたにも実母の存在がある。今日は命を世に生み出してくれた実母に対し感謝の念を捧げそうした感謝の気持ちを伝える日。不肖わたくしも2人の子の母となったが母と言う存在はつくづく持って貴重で有難いものだと言えるように思う。そうしたことは妊娠期間十月十日(とつきとおか)を受胎の瞬間から胎児と共に過ごし苦労を共にして来たことから生じているように感じられる。一般的に母と言うのは無償の愛。子に対し無償の愛で多くの愛を注ぐ。生まれても何一つ出来ない嬰児に対しまずは乳を含ませ母乳を与え嬰児のオムツを頻繁に替えて様々な世話を施すのである。出産自体が困難な事業で非常に大変なことなのだけれど何も1人で出来ない嬰児を育てる恩と言うものは筆舌に尽くし難い。命を掛けて出産することだけではなく1人では何も出来ない乳幼児期を通し子育てしてくれた恩と言うのは言葉に出来ないほど偉大なことだと思う。人は1人前になり社会に向かって活動を始めるとそうしたような過去の恩を忘れてしまいがちになる。本日はそうした恩を心に思い出し感謝の気持ちを新たにして新たなる感謝の念を伝えてゆく日であるように思われる。人は様々ではあるけれど往々にして世の年老いた母親などを拝見すると家族と離れて老夫婦だけで暮らしている場合或いは独り暮らしなどの場合など心淋しい思いをしていることが多いようだ。そうした折りに手紙であろうと電話であろうと構わないので年老いた母親へ連絡を取って親子の交流が出来るように取り計らうことが大事であるように想像する。亡母などの場合においては事情が赦せば亡き母の眠る墓地の墓参りをしたり出来なければ室内等に生前の写真などを飾って花を手向けてもいいように思う。要はそうした感謝の気持ちが大切であると感じるらしい。人は気持ちの生き物である。であるからして気持ちと言うものをいつも心の中に大切にしていたいと思う。「お母さん、ありがとう。」の一言でいい。あなたはこの大切な言葉を言葉にして伝えているだろうか?更に言うならばよく出来た嫁は義母に対しても同じように感謝の気持ちを忘れないだろう。(上記を間逆に考えるならばよく出来た義母と言うものも年配の立場であろうが年若の息子の嫁に対して同様な感謝の気持ちを持つだろう。)思うに母の日と言うのは様々な意味において命と言う掛け替えのない非常に貴重なものの尊さを世に伝えているように感じられる。多くの動物が1人前になると住み慣れた巣を巣立って親と離れ独り立ちしてゆく。人間の場合は有難いことに住まう距離が親子で離れていても様々な連絡手段がある。親子の間にもプライバシーは大切で適度な距離感は必要不可欠だろうが今日の母の日は特別な意味があるようだ。本日は命の根源の記念日なのだから。お世話になったお母様に感謝の言葉を掛けてあげて欲しい。そう思うらしい。話は脱線するのだが立夏を過ぎて半袖やノースリーブなど素肌を出す機会が増えて来ている。しっかりとした紫外線対策と共に気温上昇に合わせてリンパマッサージなど素肌に対する様々なスキンケアも必要なのではないだろうか。スッキリとした顎のラインキレイなデコルテ部分引き締まった二の腕や足首他者が1番目がいくホッソリした余肉のない背中その他にも内腿や下腹部の有り様などこの季節に再度見直したい部分が多々あるように空想される。しっかりと栄養をバランスよく補給しながら運動で体脂肪を落としてスッキリとしたキレイなカラダのラインを作りたいものである。体力作りを兼ねながら健康を促進させ美しい女性らしいボディーを目指したい。そう思うようである。そしてなるべくならお金を掛けないで楽しく爽やかにキレイを目指したいと思う。週4で通っているダンスレッスンやフィトネスも取り組み方が大切であるように実感している。仲間の皆さんと仲良くさせて頂きながらいつも心に感謝の気持ちを持ってレッスンに励んでゆきたい。これからも積極的にデコルテや背中の開いた細身のコスチュームに身を包みミラーに映し出されたボディーラインから目を離すことなく様々なエクササイズに取り組んでいきたいと思う。インストラクターが今期セレクトしてくれたジャズダンスレッスン曲のスマップのシェイクと言うナンバーは非常にカッコよくスマートな振り付けで大層気に入っている。その中で歌われているハレルヤと言うフレーズは神の恵みへの感謝を表す語である。感謝の心をこれからも大事にしていきたく思う。
2013.05.12
コメント(0)
人は賛辞と思われる言葉を他者から掛けてもらえると嬉しいものだ。そうしたようなことは他者から掛けられた言葉をいいようにいいようにポジティブに受け取り褒め言葉であると自らが認識し判断することがまず肝心になって来る。掛けられた言葉を心底賛辞であると認識し素直に心から喜べるポジティブで前向きな感性が必要になると思われる。更に言えばそうしたような賛辞を感謝の気持ちを持って自らの心に受け入れ素直に喜べる心の有り様も大切になるように思う。せんだってのこと。ピンクカラーの花柄模様のヘア飾りを頭に付け自慢のロングヘアーを愛らしくポニーテールに結んでフィトネスのダンスレッスンフロアに集っていたら…同年代の親しい友人から「可愛い。後ろ姿10代だよ。」と嬉しい言葉を掛けてもらえた。有難いことである。そうした折り随分と嬉しかったのを脳細胞が覚えている。ジムにはウォーキングコースなども設置されているのでまた別の日に耳イヤホンを使用しながらお気に入りの音楽を聴きつつリズムに合わせ独自のエクササイズウォークを行なっていたら別の年配の女性が温かな声を掛けて下さった。「誰かと思ったらららさんじゃないの。あなた年々若返るんじゃない?何処のお嬢さんかと思ったわ。」それで瞬時に「ありがとうございます。」と軽く頭を下げ明るく微笑みながら口早に御礼を述べたのだが…軽く会釈してその場を通り過ぎた際何とも言えない嬉しさが心に込み上げて来てしみじみそうした賛辞は有難いことだなあと心に感じたのを思い出す。褒め言葉と言うのは掛けてもらえた(掛けられた)側の人間の心の励みにもなるしこれからも頑張ろうと思う強い気持ち(意欲)の鼓舞にも繋がってゆく。気持ち(やる気)を高揚させ奮い立たせることが出来る他者からの賛辞の言葉はとても貴重で有難いこと(もの)だと言えると思う。また上記の内容を真逆に捉えるのであれば自らが率先して先に他者に向けて賛辞と感じてもらえるような言葉を進んで掛けてゆくことが大切になると言えるようにも思う。今改めて認めてあげることの重要性褒めてあげることの必要性を心にしみじみ感じるようである。認めてあげることの大切さは子育ての折りにも非常に重要になるように思われる。「よくやっているね。」とか「頑張っているね。」などと言った言葉は取りも直さず親が子の努力をそのまま認めてあげる言葉になるように思う。また上記の言葉だけではなく至極単純に「ママ嬉しいな。」であるとか「ホント感心しちゃう。」などと言う言葉もそうした効能のある言葉に当たるように思われる。(再度申し上げるがそうした言葉の効用も言葉を受け取る側が純粋に素直であることを前提とする。)賛辞をそのまま賛辞であると素直に感じ取ることが最も大切になって来るわけである。賛辞を素直に認識出来る脳細胞を携えた子の心はすくすくと伸びやかに成長してゆく。家庭教育にとって特に大切なのは叱って育てることよりその子を認め褒めて育てることであるように感じられる。そうしたような温かな褒め言葉はいろいろな場で活用し様々な人間に向けて発信してゆくことが大切であると思う。周囲の人間に対し真心からの賛辞や感謝や認識の言葉を伝えてゆくことは非常に大事なことであると思われる。周囲の家族や友人の心を明るくさせ温かな気持ちにさせるのはとても意義深いことであるように思うからだ。例えば「ありがとう。」の一言だけでいい。いつも常時己の心の中に持ちそうした感謝の言葉を自分の外に向かって発信し積極的に放ち活用してゆくことが重要になって来るのではなかろうか。風爽やかなゴールデンウィークいかがお過ごしであろうか?自宅の庭の草刈りをし家族4人で炭火を使ってバーベキューをしたりリビングの大型(52インチ型)テレビでファミリービデオ会を開きいつもの日より少し豪華な手巻き寿司パーティーをしたりして共有した時間を楽しむことが出来た。時間と言う貴重なものを楽しむと言うことの重要性を改めて心に温かく思うようである。
2013.04.29
コメント(0)
ダンスパフォーマンスに魅せられて久しい。汗をかいてカラダを動かす醍醐味には他にも様々なエクササイズがあるはずなのにどうして中でもダンスが好みなのだろうと改めて自分自身に問うてみた。そうしたエクササイズにはどうもメロディーとリズムが欠かせないようである。ビートをカラダに刻むのが非常に好みであるらしい。音楽なくして自身のエクササイズは語れない。そう感ずるようなのだ。であるから例えばテレビ番組などにおいてもダンスパフォーマンス関連の放送内容が組まれると予め番組を予約撮りしておき後からユックリ観ると言うのがお決まりになっている。せんだってもそうした番組を拝見したわけだが今までに印象に残っているダンス番組をあげてみよう。皆女優達が挑戦する短期間の短い旅であったようだ。最初は黒木メイサのスペイン旅で情熱的なフラメンコのダンス修行であった。次が栗山千明のアルゼンチン旅で男女で脚を絡ませて踊るタンゴのダンスレッスン。最後が剛力彩芽のアメリカニューヨーク旅でバーや壁を自由に使いながらセクシーに踊るビヨンセ風ジャズダンスの個人レッスンだった。いずれもホテルに泊まり込んでの本場レッスンで短期間ではあったが本場の緊迫感が伝わり非常に趣き深く感じられた。3者共にその道の専門凄腕トレーナーが付きっ切りで指導してくれ本当に数日でめきめきダンスが上達し大変興味深かった。どのジャンルのダンスにおいても体幹(コア)の部分の大切さと姿勢の重要性がわかりレッスンフロアに流れ来る激しく切ないメロディーに乗って踊ることが何よりも大切であることが伝わった。流れ来る音楽を自分自身の個性的な感性で感じ取りオリジナルな感性を重視した上で感じたままをカラダで情熱的に表現することが最大級に求められていた。自分の殻を打ち破って気恥ずかしさや恐れの気持ち(恐怖心)を自分の心から完全に払拭し自分自身に強く自信を持って堂々と自由に熱く情熱的にダンスパフォーマンスすることが最も必要であるように想われた。そして大変趣き深かったのは当然のこととは言え3者共にレッスンルームの壁全面に張り巡らされた大きな鏡の前で自分自身をシッカリと見つめ全身の動きをしっかりチェックし鏡に映し出された自分自身の等身大のカラダとしっかり向き合って自身のボディーからほとんど目を離さないことであった。そして当然のことながらそうしたことで全身の映るミラーの大切さを改めて思い知らされた。世の中には自分の体重や体脂肪ばかりに目がいってしまい自分自身の全身の姿(等身大の姿)を毎朝毎晩大きな鏡の前で充分チェックすると言う大事なことを疎かにしている人が案外多いように想われる。どこぞの書店であったか「少々のナルシストでなければ恋も出来ない!」と書かれていた文章を今しがた急に思い出すけれど自身の姿に真っ向から向き合えないでいるとなかなかキレイにはなれないように想像される。体重や体脂肪の数字のほうも大事だろうとは想うが案外そうしたことよりも遥かに効果的なのは自分自身の姿(全身の姿)としっかり向き合うことではないだろうか。数字自体よりも案外見た目(外見・全身バランス・格好)のほうが肝心で重要であるように感ずるようなのだ。顔全体を毎朝毎晩ジックリ眺めていたとしても肝心要な全身の姿をシッカリと全部映し出しジックリと観察すると言うことは案外疎かになりがちであるように想われる。本場の緊迫感漂う素敵なダンスレッスンを拝見して大きなミラー前に姿勢を正して立ちシッカリと自分の全身ボディーを映し出すことが如何に大切であるかがよくわかった。自分自身の全体の姿とシッカリ向き合うことが大事なのだと改めて感じることが出来たようだ。話は脱線するのだが真剣さも必要ではあるが非真面目さも重要であると日々想う。すぐに怒りの心情を心に感じたり心配や困惑の気持ちを心をいだいたりするようなことは健康上もよくないように想像するらしい。短気は損気と言う名言を脳裏に懐かしく思い起こすようである。新しい年度になって次男坊の学年もクラス替えがあり新しい担任が発表された。新しい学級にはクラス写真撮影も必要なようで普段は自由な服装で登校が許可されている(自転車通学は全校禁止JR通学私鉄通学バス通許可の)自由な校風の学校ではあるのだが…写真撮影日は当然皆正装(次男坊の場合ネイビーカラーのブレザーに白ワイシャツグレイのパンツボトムにエンジのネクタイ姿)であった。それで毎年想うのだがいい先生がたばかりで息子は本当に幸せ者だと感ずるらしい。いい先生と言うのは例えばの話…クラス全体写真を撮るにしても「いいか、お前ら。後でブッ飛び風のお馬鹿でおちゃらけた面白い仕草のふざけた集合写真も絶対撮ってやるから。最初はいいな!皆ちゃんとよそ行き顔をしてしっかりと真面目に写(と)るんだぞ。念を押すがいいって言うまで撮影の時ふざけるんじゃない。」と釘をさすものである。上記の発言内容が何故素晴らしいかと言えばである。子供と言うのはフザケタリ面白がるのが当然と言う言わずと知れた当たり前の事実をしっかり把握しているところにあるわけだ。そうした事実をしっかり理解し把握した上で直すべきことや改めることを上手に指示し示唆しえていると言うわけである。真面目であるのみの先生にはこうしたようなことが心に思いつかない。したがって生徒達の心の中に羽目を外したり馬鹿が出来ない子供ストレス(モヤモヤ)が積もりモヤモヤしたものが解消(発散)出来ずにいて結果様々な蟠(わだかま)りが生じて来てしまうのだ。集合写真を撮るのも全体でまず「いい子ちゃん」顔の整列写真を撮りそうした上で更に何枚かお馬鹿な仕草で爆発している戯(たわ)けた面白い表情や仕草の「お馬鹿写真」も撮ってあげるわけである。こうしたようなことが日々の学校生活の中で行なわれていれば学校生活が楽しいものになり学校生活が明るくもなる。そう言えば新年度初めて発行された「学年だより」に学年部職員紹介の欄があった。A組担当の教師はフザケて自身の顔写真を載せずに代わりになる「笑えるセールスマン」のアニメを載せて自分の文章の最後をこう綴って締めくくっていた。「では卒業までともに歩んでいきましょう。オーッホッホッホッホッ」(爆)上記を目にして何を馬鹿な!とか(俺達を馬鹿にして~!)と目くじら立てた人には心にゆとりがない。ユーモアを解する心とはこうしたことであることと示し暗に教えているのが上記の愉快な文章なのである。そしてその下部に掲載されていたイケメンのイングリッシュティーチャーも自分の顔を載せず「どのような自分になっていたいですか?」と言った問いかけ文面と共にかっこいい面立ちのダルビッシュ投手の顔写真を代わりに載せていた。!(^^)!(そのプリント部分を見た瞬間わたくしが大声で笑い出し吹き出したのは言うまでもない。)人間には心のゆとりとサービス精神(ユーモア精神)が大変大切であることを改めて心に温かく感ずるようである。
2013.04.11
コメント(0)
中国に次いで人口の多いインドは人口12億だと言う。そうしたインドで話される言語はヒンディー語と英語である。多くの日本企業が今このインドに目をつけ様々な分野で経済活動の拠点を定め文化的経済的交流に努めている。大勢の人が住むインドは多くの日本企業にとって魅力的な国なのだろう。人口が多いだけに様々な意味合いにおいてチカラになる。英語が国際語となり久しいけれど日本国内においても経済発展と共に国際化(国際競争)が進み英語を巧みに操る人間が増えている。上記は大変喜ばしいことではあるけれど日本の人口減少と共に愛すべき日本語の衰退も空想が出来一抹の淋しさは否めない。世界の恒久平和を祈念する折り同時に日本の発展(日本語の生き残り)も心に祈願してしまうのは理由があるようである。そうした理由はわたくし自身が日本人であることと「和を持って尊しと為す」と定めた日本古来の(飛鳥時代の)古い憲法精神が自身の奥深くに今もひっそりと息づいていることにあるように思われる。はんなりと優しく美しい顔立ちの仏像に代表される和を尊ぶ精神の存在が繊細で温かな印象である日本語を永遠にこの世から無くして欲しくない切ない気持ちにさせるらしい。そもそも和を尊ぶ精神とはいったいどのようなものであるだろうか。和とはうまく調和のとれていることでありバランスがよくつりあいのとれていることである。争いをやめ仲直りの気持ちを常時心に育むことであって対立や疎外がなく仲間同士が仲良く協力し合う状態を長く保ち続けることでもあるように思われる。武力を行使し武力を持って相手にチカラを見せつけ恐怖心を味わわせて威嚇によって恐怖心から屈服させるようなこと(仕方なく従わせること)は和の精神に合致しているとは言えないように思う。どんなことがあろうと威嚇や体罰が教育的配慮でないのと同様武力の行使は和の精神に反するものであることに相違ない。和の精神を上手に発揮出来る人物こそ真のリーダーであろうし世界のリーダーであるように思う。そうした人物こそが心の奥で人々から尊敬され支持されるのではないだろうか。和の精神を真に愛する者こそ真の意味合いにおいて世界のリーダーになれるように想像される。そう言った尊い和の精神を古来から受け継いでいるわが国日本の同胞達は胸を張って堂々と心に誇りの気持ちを持って世界の中で活躍し真の実力を発揮して欲しいと切に思う。健康と安全に心を配り世界の中で大いにその活躍の場を広げて行って貰いたい。日本アニメのインド進出報道に接し感慨をいだきながらブラウン管の中に夢中になっていた。小さな島国ではあっても日本には世界に誇れる様々なものがあるように感じられる。例えば今が盛りの桜花の存在もそうだろうと思う。今日本各地でこの時期桜の開花を喜びそして寿ぎ町おこしの一環として郷土の復興と発展を祈りながら様々な春の祭りが企画運営されている。何と喜ばしいことではないだろうか。桜は散るからこそ美しい。ハラハラと春の風に漂いながら舞い散る桜の花びらには観るものを感動させる春ならではの風情と趣きとが存在する。お堀端に居並ぶ桜並木があまりにも見事であった為見とれ今を盛りと咲き乱れる様子に目が釘付けになって感銘を受けて見入ってしまっていた。時も時キラキラと光る夕日に照らされた舞い散る花びらがとても可憐で非常に美しく愛おしく感じられたので不覚にも感動が心に込み上げて来て感涙に浸ってしまったようだ。感動出来る心を持つことは別に悪いことではない。逆にそうしたことは素敵なことではないかと感涙の効能を心のうちに嬉しく再認識出来有難く感じたようである。3月弥生の終わりには長男の誕生日があり卯月4月の初旬には自身の誕生日と春祭りの乱舞が巡って来る。たとえ桜は散ってしまっても地域の発展を願い市民の皆さんと共に稽古を重ねて来た乱舞の舞いを披露し胸を張って日本の発展(復興)を心に祈りながらあの桜花のように舞い踊りたいと思う。日本の国花でもある桜の花を心から愛で桜の美しい季節にこの世に生を受けたことを深く感謝し誇りに思いながら桜の精になって優雅に美しく舞い踊りたいと願うようである。
2013.03.25
コメント(0)
ホワイトディーが間近だ。日本全国見渡してもバレンタインチョコのお返しが習慣的に板についてきた感がある。(先月のこと付き合っている彼女のバースディープレゼントにと自分の少ない小遣いを駆使してクリスマスプレゼントとは、また一味違った使いやすい小型バックを贈った少年がいた。数日後メールが届き少年の母親のところへ彼女の母親から御礼のメッセージが入ったようだ。この2人女性同士(母親同士)で親しい間柄(女友達)であるらしい。いずれにせよ今のティーンエイジャー達は皆所謂お坊ちゃんお嬢ちゃん育ちで各家庭で大切に執り扱われているようである。)そうしたティーンエイジ達から少し年齢を上に転じてみると人生の伴侶を見つけたいと考える結婚を意識した青年期の紳士淑女達がこの時期ホワイトディーのお返しにいろいろと苦慮しているようだ。奇しくも時は3月弥生。3月弥生は別れと新たな旅立ちとが合わさった複雑微妙な時節でもあるようである。入社5年目を迎えた翔は同期入社の智と2人先ほどから男同士で仲良く気さくに親しく何やら話し込んでいた。両名とも会社の先輩から結婚も人生のノルマだと聞かされ気が重いようであった。「…んなこと言われてたってねぇ~相手あってのことなんだし~先輩も無理なこと簡単に言うよなぁ。」翔が小さく呟いた。「だよな~。早く身を固めて子供を作れなんてそんな無茶難題をそう簡単にサラリと言われてもちょっと困るよな~。先輩には日々感謝してるけれど人のことだと思ってそう軽々しく言って欲しくないよね。ホント迷惑千万だよ。」智もそうした翔の言葉に大きく頷いたようである。「ノルマってのは仕事だけで充分だもん。」「ホントそうだよな。昔のことはいざ知らず今の女の子に先輩だって付き合ったら正直ウンザリするところ多分にあると思うよ。言うなればもうこれは結婚以前の話だと思う。」その言葉を聞いて翔は同感に思い身を乗り出した。「そうだよな。付き合おうとしても途中で嫌になっちゃうもんね。」「わかる、わかる。甘いって言われるかもしれないけどお前オトコかよって言いたくなるような子実際いるからね。」「いるよなぁ。そう言うのに限って我侭で男を立てないし~。」「そうだよな~。あの類は凛々しさとは随分掛け離れた異質な感じだから。」「そうだよな。確かに質が違うわ。」「自分が出来るところは主張して目立っても構わないけれど後はさり気なくあって欲しいなぁ。男は家庭に安らぎが欲しいし家に帰ってからも言い争いなんかしたくないよ。」翔はそれを聞いてもっともだと苦笑し急に笑い出した。「せんだっても実はいたの。そう言うタイプ。」「どう言うタイプ?」「こう言うタイプ!あたし今まで一生懸命勉強して自分が就きたい職業にやっと就職したもんだから子供は欲しいけど折角就くことが出来た職業は絶対手放せないし旦那になる人には自分の職の大変さを充分知ってくれて理解し積極的に応援してくれる人じゃないと困るって言うタイプの子。」「そんなのばっかだよな。」智は軽く溜息を吐いて下を向いた。翔は更に続けて言った。「だから俺その子に言ってやったの。」「何て?」「俺はね。女の子にあなたの子供だから産みたいの!みたいな可愛いタイプを無意識に求めちゃうしそう言う感じの楚々とした子が何か昔から好みだなぁって。」「言ってくれたね。まぁ当然だろ。」「結婚がノルマって言うのも在る意味わかるけど俺ノルマって言葉がヤなのは何かどうも純愛の有無が問われてる気がするからだと思う。」「職業最優先で伴侶選択なんて何かゲンナリだもんな。でそう言われてその子何か言った?」「もっともだと思ったのか黙ってた。」「今、多いよね。そう言うタイプ。でもさ。俺が遭遇した子よりマシだと思う。」智は思い出したくないと言うような素振りで次の話を切り出した。「どう言うタイプ?」翔のほうも興味深く聞き返した。「要するに何て言うか今どきのオンナ光源氏って言うような凄腕タイプの子。」「ああ、いるよねぇ。そう言うタイプ。」「だろ~?過去の付き合いをただ自慢したいだけじゃなく付き合ってきた彼氏達にいい思いをいだいていないのかよくはわからないんだけれどともかく男に多くを期待しない自分は自由に生きたいって言うタイプの子。よく言えば恋を重ね謳歌しようとするタイプかな。」「何が謳歌だ!ただ心が淋しくて貧しいだけじゃない。そう言うのに限って物凄く甘え上手でオマケに我侭で男を片っ端から切って棄ててるんだろ?」智は笑いながらそれに応じた。「かもしれないな。内心いろいろと自慢したいタイプなんだから。自称オンナ光源氏なんだしね。契っては投げ、契っては投げ!なんだろうよ。」苦笑する智を尻目に翔のほうはやってやれないよ!と言ったやり切れない風情であった。「ヤだね。そう言うタイプの子。何か公衆トイレみたいでさ。清潔感から程遠い感じがするもん。今思い出したんだけれどそう言うタイプに俺、昔言ってやったことあったわ。」「へぇ、初耳。何て言ったの?」「メンタルに美しさを感じ1つ1つの思い出を大切に出来る人がいいなぁ俺は好きだなぁ!って。」「思い出を大事に。そりゃそうさ。それで?」「反応は同じ。黙って聴いてたよ。」「へぇ。今どきの子にしては珍しいな。そう言うタイプの子に限って反論することが多いのにね。」智は首を傾げた。翔は顎に手をやりながらちょっと遠い目をしたようであった。「ともかくノルマが多い世の中男は体力勝負だろうが?」「そりゃそうさ。」「だらしないカラダつきじゃ生活まで締まりなくダラしなく見えちゃうしそれに何と言っても不健康っぽい。」「そりゃそうだな。」「ね。一緒にジムに通わない?」「いいねぇ。連れがいると思うと心強いし楽しいし長続きしそうだ。」「じゃ決まり。やろう、やろう。」厳しい仕事をこなしてゆく上にも男はまず体力作りが大切と考える今の2人であるようである。
2013.03.09
コメント(0)
健介は教室でクラスメートの陽司や昭則それに幸太郎や道哉達と思い思いに弁当箱を広げていた。いつもこうした昼ご飯の時間は仲間うちで仲良く自由気ままに各自持ち寄った弁当を食べるのが習慣になっている。やんちゃな昭則などは周囲に見つからないようにして仲間うちに小さなゼリーを1個ずつ配ったりし友達に対して気遣いの心を発揮しているようだ。気の合う仲間同士で気楽に気ままに肩の凝らないおしゃべりに興ずるのが昼休みの醍醐味であるらしい。男同士気の合う仲間は最高だと互いに感じているようである。親しい仲間と気ままに愉快な会話を交わし合える昼休みは猫がじゃれ合うような感覚で特にお気に入りであるようだ。愉快な会話などと書くと一見聞こえはいいけれど実はそのほとんどが聞くに堪えない馬鹿話の類であって時折り笑いが過ぎてしまい皆涙目になって抱腹絶倒することもあるらしい。兎にも角にも親しい仲間が大勢いて学校生活が非常に楽しいことはどうも事実であるようである。世の中には地域や学校が違うと陰険極まりない目を覆いたくなるような凄惨で残酷な出来事が存在するように聞いている。テレビの全国ニュースなどで聞くに堪えない体罰実態や陰湿なイジメ報道がなされるたびに胸が締め付けられるような痛ましい気持ちになるのは淋しい限りであるようだ。そうしたような報道内容は考えるに一律に生徒の心に規制をかけ生徒を個として捉えようとせず生徒集団を十把一絡げに捉えて生徒サイドに物事を熟慮させることをせずに生徒の自由な発想や発明を取り上げてしまうことが原因として背景にあるように思われる。生徒達の心から新しい発見や発想の機会を奪ってしまうことが事件の背後には存在するように想像するらしい。健介は今屈託のない底抜けに明るいひょうきんで面白い親友達の1人1人の朗らかな表情を眺めながら友達こそ人生の宝だと心から思うのであった。何物にも換えがたい友情の絆を心から大切にしたく感ずるらしい。この連中と一生仲良く親しく付き合って行きたいと健介は素直に思うようだ。やんちゃな言動を大目にみてくれる現学校の自由な校風も大好きである。先生方も生徒1人1人を大切に育ててくれ個を尊重してくれるし生徒自らが深く考え生徒自らが行動を起こす機会を数多く学校行事の中に作ってくれている。考えてみれば有難いことだとつくづく心に感ずるらしい。時折り調子に乗り過ぎてしまい生徒達が学校行事で羽目を外し盛り上がり過ぎることもよくあるけれど先生方は常時温かくそうした状況を落ち着いて見守りいつも大目に見て生徒の自主自立の精神を大切にしてくれている。それはきっと究極のところで俺達生徒の心を信じてくれていて人間の魂を根本的に傷つけ甚振るような冷徹で極まりない悪さをお調子者の俺達が決して行なわないことを心の中でわかってくれているからだと想像する。考えてみたら親との繋がりだってそうだ。普段曖昧な態度で言葉を濁したり思春期特有の態度で拗ねたり反抗してしまったり自分に素直になれなかったりするけれども究極のところで親達は俺達のことを信じてくれていて見守ってくれている。あれはそうだ。俺が小4の時「二分の一成人式」と銘打った参観があり隣りに座った母親に対し大きく「親」と言う字を俺がプリントに書いて見せながら「親と言う字は木の上に立って見る」と書くから黙って見守ることが親としての本当の姿じゃないの?と物申してからそうした感覚が始まったような気がする。親として子供に言いたい気持ちを抑え親が子に後ろ姿で教えると言うのは非常に難しいように想像するけれども俺等子供だっていつかは大人になり自分の子供を育てなければならない時がやって来る。そうしたことを空想すれば毎日毎日聞きたくもないお小言をぐちゃぐちゃ聞かされるのは真っ平御免だと想像出来る。心配も程ほどにしろよ!と言いたくなる。先生も親も子供をホッタラカシにして放任することだけは絶対に良くないけれどもある程度子供をホットケ状態にして子供に自由を与え自由の裏には責任があることを教示したり子供の自主性や新発想を尊重したりすることは非常に重要なことではないかとつくづく心に思う。陰湿なイジメの裏には究極のところで親友にも親にも相談が出来なかったその子の寂寥感が否めずとても心が痛んで悲しい。今回俺達(健介も陽司も昭則も幸太郎も道哉)も先日のバレンタインデーにはチョコを複数(俺は7個だったけど多い奴は10個も)女の子達からもらったけれどそのほとんどが気軽な友チョコで普段から自由に女の子と仲良く活発に会話している証だと思う。俺は思うんだけど大人達は不純な発想ですぐに男女に真の友情はない!ように空想するように思う。が俺は決してそうは思わない。必ず男女を問わず真の友情の絆は世の中に存在するように心の中で信じてる。男女を問わず友達は多いほうがいいだろうし同性の親友の存在は特に心強いものだ。健介は今食べ終わった弁当箱を仕舞いながら目を細め爆笑しながら親友のツマラぬギャグを聞いていた。幸太郎が傍らで大声で言った。「野村~?お茶、飲むら~?」全員爆笑。これだから友達は面白い。
2013.02.23
コメント(0)
「馬鹿みたいだな。人と自分を比べてしまうのって。」「突然どうしたの?何のこと?」百合は不可解な顔をして瞳を上げ悠馬を見た。悠馬はそんな百合の声に急に我に返って言葉を濁した。「別に何でもないんだ。ただ呟きたかっただけ。何でもないよ。人は人だって言うこと。」それを聞いて百合は小さく明るく微笑んだ。「人は人?そんなの当たり前のことじゃなあい?」悠馬はちょっと照れたような表情を作って「そうだな」と言うような優しい素振りを見せた。「春明達がどう付き合っていようが俺には関係ないってこと。人と比べるようなことじゃないし。でもさ。そう想ってはいてもやっぱクラスメートだからかどうしても友達の動向が気になっちゃうんだ。」百合は「そう」と言いたげに言葉を返した。「この間もア~ちゃんと春君と私達4人でダブルデートして映画を皆で観たばかりでしょ?楽しかった?」「うん。まあね。」悠馬は素直に頷いた。「そう。じゃ良かった。春君やア~ちゃんだけじゃないしカップルになって今付き合ってるのは。」悠馬はフフフとちょっとニヒルに苦笑いした。「だよな?道哉なんか既に彼女歴3人目だって言うし。」百合は言った。「何?何が言いたいの?付き合った人数?」「まさか!俺せんだっても春明から悠馬は愛に一途だよなって褒められたばかりなんだぞ。」百合はほんのりと顔を赤らめた。「そう?嬉しいな。ありがとう。」暫くの間ちょっとした沈黙があった。悠馬は想った。もしかしたら恋って言うのはこうしたような言葉にならない風情って言うかちょっとした微妙な雰囲気の中にある味わいや醍醐味なのかもしれないなと。いたずらに言葉を交わして相手と親しくなることだけが恋の醍醐味ではないように感ずるらしい。時間と距離感が恋を育てることもある。そう想うようだ。ああそうだ。思い出した。確かそう言えばいつだったかあれは諒太郎伯父さんが俺に「悠馬たとえ離れていてもたとえ小さな諍い事で互いを傷つけ合っても互いの心が通い合い繋がり合っていれば恋は必ず成就するよ。しないのは初めからその人と縁がないのさ。1番大切なのは相手を大切に想う気持ちだと想う。そうした優しい気持ちと忍耐の情が互いの恋を深めさせ互いの愛情を充実させ人間を成長させてゆくんだからね。」とそう教えてもらったことを。伯父さんは続けざまにこうも言ってたような気がする。「年頃になれば誰かを好きになるのは当然で至極自然なことだと想う。何も特別なことじゃない。むしろ逆に自分の殻に閉じこもったり閉鎖的になったり投げやりな気持ちになったりして自らが恋する気持ちを遠ざけてしまうほうがずっと問題で異常だってことを悠馬には知っておいてもらいたい。悠馬あのな。大事なのはね。大切な人を大切に想うってことさ。単純なことだろう?大切な人を大切に想い大切に扱って大事にしてゆくと言うこと。たったそれだけのことなんだよ。」そんなふうに話して遠い目をしていたことを今しがた懐かしく脳裏に思い起こした。百合が傍らで言った。「はい。バレンタインチョコ。ちょっと小さいけど。」悠馬は差し出された小さな包みを受け取り「ありがとう。」とお礼を述べた。「食べるの何か勿体ないな。」「チョコは食べられるのを待ってるのよ。」「そう?」「そうよ。」「じゃあ分け合って食べよ。」「いいのよ私は。チョコあげたほうなんだし。」「遠慮するなよ。」しょうがないわねとクスクスと笑い出す百合を見て「何だよ」と言いたげな表情の悠馬だった。男はいつまでも子供だと百合は想う。でもそんな悠馬が何故か愛しく感じられる。なんやかんや言ってはいても自分のことを気遣ってくれ悠馬は優しくしてくれる。とても嬉しく有難いと想う。手つなぎ愛は幼いかもしれないけれど今はそれで充分だ。無理に背伸びなんかはしたくない。それに何よりも今1番心に嬉しく感じるのは人を好きになることっていいことだなあって想うこと。素晴らしいなあって想う。好きな人がいるってとっても心が温かく有難いことだとつくづく幸せに感じるらしい。百合はチョコの包みを大事にそうに持つそんな悠馬に目を遣りながら優しい表情を作ってニッコリと笑い掛けた。悠馬がそんな百合を見て微笑み返したのは言うまでもない。
2013.02.07
コメント(0)
海は赤子の空を胸に抱きながら心に嬉しく想った。3番目に授かったこの子が上の子供達(兄弟達)と(年が)離れて生まれて(我が家にやって)来たことで家の中に再び新たな華やぎが膨らんだなあと。高校生の長男の陸も中学生の次男の悠も休みの日は勿論学校から帰るとすぐ空のところにやって来ては末っ子が起きているかどうかを確認し「空ちゃん、ただいま。」と笑顔で挨拶をするのを欠かさない。挨拶するだけでは飽き足らないようで空に向かって「いないないばあ」をしたり可笑しな表情を作って見せては空を笑わせ嬉しがらせている。家の中にいつも明るい笑い声が溢れ笑顔が絶えないように想う。最後に授かった空が陸や悠のように男の子でなく上の兄弟にとって異性である女の子だったことが幸いしているように感じられる。空のほうもお兄ちゃんの帰宅が待ち遠しいようで時折り大きな高らかな笑い声を上げては周囲を和ませ驚かせているようだ。赤子の誕生と言うのはいつの世にあっても喜ばしくめでたいことであるように想われる。命の伝承や煌きはとても喜ばしくめでたいものだとつくづく心に感ずるらしい。海は時折り心に想った。兄弟は他人の始まりと言う言葉もあるけれどこの子達は幾つになっても結束を守り兄弟3人チカラを合わせ終生仲良くして行って欲しいなあと。年の順からいって先に陸次に悠そして空の順で家を離れ親から独立し好きなパートナーを見つけてそれぞれ結婚し巣立って行くだろう。親としてそれは喜ばしいことであり嬉しい限りに想われる。特に母親としては3者それぞれの幸福を心の中で祈りいつも平等に彼らを愛していたい。そう想うようだ。そしていつの日か両親が先に亡くなる日が来ても兄弟3人いつまでも仲たがいをせずずっと仲良くあって欲しいなあと想うらしい。そんな遠い未来のことを時折り海は小さな空のカラダを抱き空に乳を含ませながらぼんやりと心の中に願うのであった。思えば人間とはつくづく不思議なものだと想う。神様は授かり者としてこの世に小さな命(赤子)を授け夫婦(両親)の生活の中にしばしの間素晴らしい子育て期間を与えて下さるように想われる。そしてそうした楽しみとも想える(子育て)期間ののち鳥が巣から離れ勇気を胸に巣を潔く飛び立って行くように(子鳥が親鳥の元から力強く巣立つように)愛しい我が子と離れ再び夫婦だけの時間に戻るのである。この当たり前とも想われることを近頃は面倒臭く想う若人が増加しているようで世の中の少子化傾向はなかなか歯止めが利かないらしい。若人の中にどうせ元の夫婦の生活に戻るのであれば苦労も多いであろう子育てのステップを拒否し初めから生まない選択を決めるカップルが存在するのも一因だろう。夫婦相互の仕事の忙しさが起因している場合も考えられる。また独身女性の中に今の自分の生活レベルを下げるような苦労を伴う結婚を避ける傾向が見られるのも否めない事実であるようだ。更に子供側だけの問題に留まらず親サイドの我侭で可愛い子供を一生傍に置きたい一心から同居(近居)等を強制し子供側が心に想い描く結婚が出来ないケースも出ているようである。いずれにせよ夫婦は親を離れて一対になると言う。家族と言うのはたとえ距離的に離れていても相互の心の絆や温かな思いやりの気持ちさえあれば心強く結ばれるものだ。上記は遠距離恋愛が成功するパターンとどこか似ている感がある。天からの授かりものであるベビーをいっとき(親が)天から預かり子の成長と共に再び天に返すと言うような発想が今家族を形成する者に必要になっている。赤子の微笑みは天使の笑みであると言われている。いつぞやテレビ画面に映し出された戦火の中生まれて間もないあどけない表情をした天使の笑みを見い出し思わず両の手を合わせその子の幸せを祈ったことがあった。天使は無垢の状態でこの世に生まれて来る。そうしたことの意味する重要性を世に生きる全ての人間は今一度強く心に認識しなければなるまい。命その伝承と重み。海は今し方末っ子の空を胸に抱きかかえながら命を育む女性の肉体と魂が何故か無性に愛おしいものであるように感じられて来た。自分の名のように命を育む女性のカラダは神秘で海そのものだとつくづく感ずるらしい。雄大で悠久な偉大な海であるように感ずるようである。最後に生まれた末っ子の空が上の兄弟とかなり年が離れて誕生したそうした喜びで周囲から甘やかされて育ち我侭な子(女性)にならないように気を引き締めて育てなければと海は心に想うのだった。沢山の愛を受けて愛情深く育てられた分沢山の愛を他者に向かって与えられるように思いやりのある優しい言葉遣いの出来る気配りある女らしい子に空は育って欲しいと海は想う。愛することの出来る子は必ず人から愛されると言う。優しさを発揮出来る子は必ず人から優しくされるとも言われている。心の絆を大切にする子は必ず自らのチカラで逆境より這い上がれるものであるらしい。海は今小さな命を預かる身であることを改めて幸福に感じると共にこの小さな命が大きな航海に出てゆく日のことを心に思い描きしっかりと育てなければと再度自らの身を引き締めるのであった。大寒が過ぎたようだ。来月初旬の立春まで日本列島は1年で1番寒い時期を迎えることになる。海は顔を上げ青い空を見上げにっこりと笑顔を作って澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。どこかでヒヨドリが快く一声鳴いたようである。
2013.01.21
コメント(0)
今よりもっとキレイでクールに(かっこよく)なりたい。そんなふうに考える女性は世の中に多いのではないだろうか。昨今はおなごだけでなく男性までもが(オネエと言う方々も含め広範囲に)上記の達成を望んでいるようである。思えばカラダと言うものは幾つになっても変えられるものであるらしい。高齢になろうともその取り組み方如何では美しくキレイに変われるもののようだ。体の鍛え方次第取り組み方次第では幾つになっても随分キレイに変化出来るようである。何と喜ばしく嬉しいことではないだろうか。カラダは鍛えれば答えてくれるのだ。さてもである。キレイになりたいのであればまずもってキレイになるぞ!と言う強い思いが必要になって来る。また逆にキレイになりたい気持ちだけが先行してもキレイにはなれない。気持ちばかりが空回りし美への取り組み方が適切でないのであればキレイは手に入らないのだ。何事にも言える話ではあるけれども目標ばかりが高くても実践がついていかなければ目標には達成出来ようもない。大切なのは精神面だけでなく実行力(実践する継続力)である。さてここで一言付け加えたい。そうした継続力に本当に大切なのは実践を心から楽しむ気持ちのようだ。楽しみながら行なうことが非常に重要になって来る。例えばである。ヨガやストレッチなどのエクササイズを美しくなる為にだけ取り組もうとするとなかなか長続きすることは難しい。しかしながらそうしたエクササイズを心地良く気持ちの良いことだと考える(感ずる)とカラダを動かすことが根本的に好きになる。カラダを動かすことが好きになりエクササイズに対し心地良さや快感を覚えると取り組み自体にも熱が入るようになり継続が容易くなるのである。不思議なことだと想う。キレイと言うのはキレイを創造しようとする時間そのものを心の底から大事にし且つまた楽しむと言うそうした心の持ちようの中に育まれると言っても過言ではない。人生そのもの(過ぎ行く時間そのもの)を心から楽しみ味わうそう言った心の持ちようが美を育む過程に大切になるのである。ある人は朝1番起きがけにコップ1杯の水を必ず飲み干す習慣があると言う。命の水とも言えるものらしい。腸のキレイを助け育む立派な心掛け(習慣)であるように想う。またある人は家族が起き出す前に化粧台に向かって手早くメイクを施し化粧をするのが習慣化されている。肌のお手入れと言う女の嗜みが自然に身につきキレイが深化定着しているのである。いつぞや拝見したテレビ番組の中で阪神淡路大震災の後共に独り身になった90歳代の男性と女性が2人仲良く映し出されていた。共に家族の同意を得た上で再婚を果たし2人一緒に住み始めたのだがこの高齢の新妻の女性が朝1番起きてすぐ行なうのが丁寧なメイクアップであった。新郎を気遣う新妻の心遣いが何とも初々しく且つ又愛らしく感じられた。超高齢になろうとも毎朝お化粧し毎晩お化粧を落とす作業を心から楽しんで行なう愛らしいお婆ちゃまと言うのはとっても美しくいじらしく感じられお化粧と言うものは健康的でいいもの(習慣)だなあと大変感服して見せて頂いたことを懐かしく思い出す。わたくしがタートルネックを避けデコルテの見えるデザインの洋服を心して身に着けるのもよくよく考えれば施したメイクを1日大切にしたい気持ちが心の何処かに存在するからだと想われる。今し方デコルテと言う言葉で思い出したのだが「クール・ジャパン」と言うテレビの中で外国人の見た日本のかっこよさを英語で語るトーク番組があり「なぜ日本人の女性は胸の谷間を見せた洋服を着ようとしないのか?」と言う話題(疑問)について(短パンは穿くのにどうして胸の谷間は見せないのか不思議だ西洋においては反対で脚のほうは見せないけれど胸の谷間は積極的に見せてアピールすると言ったようなことが)話し合われていた。国際化社会が進化する現代(昨今)日本の女性達も様々に自分をアピールしながら上手に魅力的に見せクールな(かっこいい)ファッションを個性的に楽しむであろうことは想像に余りある。大胆と繊細を上手に操り自分自身で上手く使いこなすことが必要になって来る。例えばお淑やかな和服の慎み深い着こなしの中にしっとりと襟足を見せると言ったキレイに対する心遣いがそれである。様々なTPOに合わせて自分磨きを忘れない心掛けが重要になるように想われる。キレイは千里の道である。お洒落を尊びファッションやメイクヘアスタイルに気を遣うことは勿論のこと(女性の嗜みとして当然のこと)幾つになっても若々しさを保ち美しいボディー(体型)をキープすることも大切である。千里の道も1歩からだと言う。健康と美を心に念じ感謝と謙虚と笑顔を胸に刻んで弛まぬ精進を明るく朗らかに楽しみながら継続して行こうではないか。
2013.01.15
コメント(0)
小寒が過ぎた。我が国には毎年正月7日の日に七草粥を作って食すと言う古くからの風習がある。セリナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ(春の七草)が七草粥の具材になり食卓にのぼる。1年の無病息災と招福を祈願して頂く七草粥はお餅や祝い酒など正月料理で疲れた胃を休め平常の食生活に戻る区切りの役割も含み持つ。今朝は我が家も頂いたが温かな七草粥に心和んだ方もきっと多かったのではないだろうか。脳の唯一の栄養素はブドウ糖である。良質の炭水化物を含むお粥を始めとする温かな朝食の存在は1日の活動(活気)を支える大切な栄養源だと言える。キレイはしっかりと排出出来るカラダ(腸のチカラ)とそうしたカラダの指令系統を司る脳をどちらも若々しく保つことにある。人間の「脳」について書かれた心に残る文章を下記に記し記憶に残して心に留めおきたい。新しい年が明けた。昔風の「数え年」で言えばみなが一斉に年を重ねたことになる。先日、ある人が心に残ることを言った。「超高齢化社会」などと年を重ねることが、あたかも問題のような風潮。長生きは、おめでたいことではないか。その通りだと思う。お年寄りは長生きしたほうが周囲も嬉しいに決まっている。長年苦労されて、今の日本を築き上げた方々。できれば、末永く生きて人生を楽しんで頂きたいと思う。人間の脳は、何歳になっても変わりうる。前向きに挑戦する気持ちさえ忘れなければいつまでも若々しくいられる。脳は、新しいことを学習するのが大好きである。新鮮なサプライズがあると「よろこび」を表すドーパミンが放出される。その度に、学びの階段を一歩上ることが出来る。新しいことに挑戦する脳は、いつまでも若い。世の中は、アンチエイジングが大流行。肌の若々しさを保つ工夫も大いに結構だが挑戦すること、学び続けることこそが最大のアンチエイジングの秘訣だと知っておきたい。ところで、新しいことに挑戦すると言ってもなかなか、その勇気が出ない方も、いらっしゃるかもしれない。挑戦に必要なのは「根拠のない自信」。子供の頃には誰にもあるのに、だんだん消えて行ってしまう。人間の脳は自分を支えてくれる「安全基地」があってこそ新しいことに挑戦出来る。家族との絆。友人たちとの語らい。自分とつながる人々の笑顔こそが、安全基地となる。子供が、次々と新しいことに挑戦する根拠のない自信を持っているのもお母さん、お父さん、保護者の笑顔と言う安全基地があるからこそ。何歳になっても、周囲の人との絆と言う安全基地が私たちを支えてくれる。日本の社会では、近年、「自己責任」と言う言葉が流行った。しかし、1人で挑戦しても、限界がある。米国のシリコン・バレーでも友人や知人の輪が、ベンチャーを支える。日本が前に進むためにも私たちを包んでいる絆を大切にしたい。年が改まる。家族や友人たちと、団欒の時を持つ。自分を支えてくれる安全基地を育む時は今。大いに絆を強めたい。人々の温かさが、「挑戦する脳」を育む。大切な人の笑顔が、前向きに生きる勇気とふくよかな希望を与えてくれるのだ。上記の内容が示すように家族の(絆の)存在は大事である。我が家もご多分に漏れず毎年正月元旦と2日の日には家族全員で夫婦(両家)の実家に出向き新年の挨拶をしている。兄弟や従兄弟たちと話が出来る機会と言うのは有意義であって大切である。(新春の大河ドラマ「八重の桜」の中で兄が妹を思い薄暗い蔵の中へ夜食を持って来てくれたシーンに感涙してしまった。)話を戻すとそうした家族だけではなく友人たちとの親睦も非常に重要であるように思う。毎年元旦の日には若かりし頃お世話になった塾生の集まる新年会へと足を運び同輩だけでなく先輩がた後輩たちとも交流を図り見聞を広めるように心掛けている。また毎年正月松の内には親しい仲間同士の同年代の新年会もあり二次会のカラオケなどでは今年も男性6名女性4名計10名ほどで夜が更けるまで大ハシャぎしては愉快で楽しい時間を共有し合っている。楽しく相互に歌い踊っては盛り上がり友好(友情の絆)の輪(和)を深めて交流を図っている。これからも大いに相互の絆を強め家族や友人たちとの団欒の時を大切にしてゆきたく思う。人々の温かさこそが上記の文面にもある「挑戦する脳」を育み大切な人の笑顔が前向きに生きる勇気とふくよかな希望を与えてくれるのだから。そうした人との絆には感謝の気持ちが欠かせない。気持ちを表わす感謝の言葉は心を込めて直接言葉で相手に伝えることが最も肝要であるように思われる。何事もバーチャル内に留まっているだけは確かなものにはならず(確かに伝わらず)実感を伴わない(齎さない)。実感を通じて様々なものを学び自ら気づき目覚めることによって学習を深めてゆきたいものである。心豊かに大らかに健やかに明るく過ごしてゆきたいものだと思う。
2013.01.07
コメント(0)
冬至が過ぎた。冬が深まりを見せるこうした季節に降る雨と言うのはなかなか乙なものであって所謂恵みの雨でもある。カラカラに乾燥し乾いた空気をいっときでも湿らせくれる恵みの雨の存在は非常に貴重で優しいものがあるようだ。そうした優しい雨が天から降り注ぐ嬉しい日にはピチピチチャプチャプランランランと楽しくお出かけするのもいいだろうしベリーダンスレッスンの復習に興じるのもいい。暖かな暖炉を静かに見つめて心豊かに物思いに浸るのもいいように思われる。いずれにせよ健康であることに感謝して過ぎ行く日々を感謝の気持ちで過ごすことが何よりも大切であるように感ずるようだ。そうしたような日には空想の世界などに遊びフィクションの世界を味わうこともまた非常に趣き深く有意義に感じられて来る。「とうとう雨になっちゃいましたね。」手元のコーヒーカップを包みながらそんなふうに呟くと先輩は意外と明るい声で「雨の日もあるし晴れる日もあるから人生は面白く味わい深いんだと思うよ。晴れの日ばかりじゃつまらないだろう。」とそう言ってお茶目に返事を返した。「そうですね。でもあれですよね。実際に顔を見て話をするのって効能的にも大きなものがあるってつくづくそんなふうに思います。」そんなような率直な感想を述べると先輩はちょっと苦笑いしてこう呟いた。「まあ人間生きてるうちが華だからね。死人に口なしって言葉があるけれども全くその通りで持って人間死んでしまえば元も子もないのだから。人間はね。生きているうちに積極的に人と会って会話をして実際に顔を見て人と話をすることによって言葉の大事さを改めて知ることがとっても大事なんだと思う。伝えるべきことは生きているうちにちゃんと伝えておかなければ死んでからでは伝わらないものだから。」「ホントそうですね。」再びそんなふうに素直に返事を返すと更に先輩はこう付け加えた。「携帯メールや電話の伝達じゃ相手側の表情や雰囲気がつかめないから興ざめな部分が実際に随分と多いように思う。」そうした意見を受けて「そうですね。実家の母も娘のコールは嬉しいけれど何よりも訪問自体を喜んでくれますもの。」と応じると「そうでしょ?実際に会って会話することは一方的に相手を拘束するような攻めの電話やメールなどとは違って人生の時間自体を共有して味わいそうした共有感を楽しんでいる感がある。最近息子がね。メールでなく直接彼女と会ってちゃんと告白し付き合い始めたんだけどメールでなくて直で口頭で伝えて本当に良かったって零してたよ。」とそんなことも示唆してくれた。「へ~先輩とこもそうですか?うちのもそう。奇遇だわ。面白い。」率直に感想を漏らすと「ほうそうだったの?まあお互いそんな世代に入って来たんだってことだね。」とニコヤカに応じてくれた。先輩は続けて言った。「まああれだと思う。」「何ですか?」「要するに文字や言葉で幾ら美辞麗句を着飾ったところで実際に会って会話を交わしその人の瞳を見て会話しなければどんな人なのかわからない。瞳をみれば人柄と言うものがわかるものなんだよ。」「目は口ほどにモノを言うって言葉もありますしね。」「うん。そうでしょ?特にね。女性はね。瞳の邪険な感じの子は要注意らしい。」「そう言うもんですか?」「古人曰くさ。そう言う面多々ありだと思う。」「へえ。」「目に和みのない人間ってのは慈悲の心少なく意地の悪い傾向にありってこと案外言えるのかもしれない。」「目に優しさが出るわけですね。じゃ女子は特に会話の機会において柔らかな目をするように気をつけなきゃいけないな。」「まあ女子に限らず誰でもそう言う配慮が大事なんじゃないの?」「そうですね。」「会話の折りに大事なのは恥ずかしがらずに相手の目をしっかり見て落ち着いて会話を交わすこと聞き入ることが大切だと思う。」「ホントそうですね。はい。教え肝に銘じておきます。」「あははは…。」「あははは…。」街中を行き交う人は足早…。今年も繁華街にはメリクリの定番山下達郎のヒットナンバー「クリスマスイブ」が美しいメロディーになって流れている。
2012.12.22
コメント(0)
今年もいよいよ師走。世の中は慌ただしく年の瀬に向かって動いている。がいつの折りにも過ぎ行く日々を健やかに明るく健康で大らかに和やかに楽しく過ごせるのが何よりであるように思われる。来年も本年同様朗らかな笑顔と謙虚と感謝の気持ちを大切にしながら健康に気をつけて様々に精進を重ねてゆきたい。素直な気持ちを大事に他者から学ぼうとする前向きな姿勢とほんの小さな狭い領域であっても一隅を照らすことの出来る明るい心を携えてゆきたく思うらしい。(あなたと接しているといつも安定が感じられておまけに明朗で楽しいよと心から相手に感じてもらえるようなそんな和やかな温かな人間に成長してゆきたく思うようだ。)昔から古人曰く「男には7人の敵がいる」とか。敵かそうでないかは定かではないけれどいずれにせよ様々に殿方は大変であることには違いない。そんな大変な男心を察して支え和ませてあげるのももしかしたら女の力量(嗜み)ではないだろうか。或る時はオドケやフザケや笑いを駆使しスキンシップを図るのも一考だろうし静かに微笑みだけを持って話に耳を傾けて同調共感し慰め労をねぎらうのもいいように思う。「女に貫禄はいらない」の名言はせんだってデビュー40周年を迎えたユーミン(松任谷由実)の弁。なるほど。女が貫禄を身をつけると高圧(高慢)になりかわいげがなくなる。幾つになっても愛らしくかわいげのあるレディーでいたいものだ。女性は幾つになっても柔らかくフェミニンで装う嗜みを身につけた可愛いひとがいい。馬鹿を聞いてあげられる広い度量と自分からも時折り馬鹿が言える楽しく面白いひとがいいと思う。(とは言うもののそういった馬鹿話の類いは飾らないけれどフェミニンで可愛らしく下品に陥らない可愛げのある範疇で…。)年齢を重ねるごとに芳醇な味わいとなめらかさを感じさせる素敵なレディーになりたいものである。「男には7人の敵がある」と言っても女子(おなご)のほうにだって殿方にはわからない特別な苦労(生理痛)がある。そう言ったような所謂ブルーディーの日には心して明るい気持ちを心掛けテーブルにお花を飾るのもいい。お部屋の中にもいい香りがするスプレーなどを撒いたりなどして(御香などを焚いたりして)気分も爽やかにフィクションストーリーなどを楽しんで味わってみるのも一興だろうと思う。そう言えば今月9ドラマで「Priceless」を放映しているけれどこれが結構面白い。録画したドラマを息子達もリラックスタイムなどに眺めることがある。わたくしの楽しみは主人公キムタクのお洒落なファッションだ。気温が今よりもっと高かった頃彼(主人公)がスーツのボトム(ズボン)を穿いて白い半袖シャツの上に腕まで捲り上げた青いワイシャツをさりげなくカッコよく羽織っているのを観男のファッションセンスがよく表れているなあと感心したことがあった。(主人公の金田一二三男(木村拓哉)が毎回放送の中で着ている「KINDAICHI23」の背番号が入った野球チームのユニホームもとても新鮮に感じられる。)古今東西どうも男も女も装うセンスが肝心なようである。(*^_^*)
2012.12.05
コメント(0)
本日17時半の時報と共に街中のシンボルロードに飾られた凝ったイルミネーションが点燈し(点燈式があり)カラフルに彩られたクリスマス(~お正月)の灯りの祭典が今年も華やかにスタートした。美しいイルミネーションに対し携帯のカメラを向ける市民でシンボルロードは賑わいを見せているようだ。楽しさを感じさせる光の飾りつけは人々の心をウキウキとさせ行き交う人々は口々に「キレイだね。」と言う感動の言葉を連発していた。イルミネーションの点燈は多くの人々に幸福の思いを運んでいるようである。綺麗なイルミネーションを見つめる人々の表情は明るさに溢れ朗らかな笑顔がこぼれていた。世の中が平和であることは素晴らしいことだ。クリスマス飾りで溢れる賑やかな人通りを見て綺麗なイルミネーションに平和の有難さを重ね世界の恒久平和と我が国の復興と発展を心から祈りたく思った。今日は二十四節気の1つ小雪。小雪がチラつく頃とされる。(本日は陽気も良く暖かな日で1日ストーブ要らずで過ごせた。趣味仲間達とも連れ立って長距離ウォーキングが出来た。)そんな本日は語呂合わせからいい夫婦の日だそうな。実家の父から教えてもらった。父は定年後に自ら自学して料理を覚え妻(母)に美味しい手料理を作って食卓に並べている。私ども夫婦もそんな仲のいい彼らを見習って久しぶりにカップルで長距離(高速)を飛ばし立ち寄った古刹の御札とお守りを母へのお土産としてしばし古刹の紅葉を楽しめた。日本庭園の魅力と古刹の風情に時の経つのを忘れ日本独自の紅葉の美しさを心から堪能することができた。自然の美しさに足をとめ感じ入ることの大切さをしみじみと心温かく感じて趣き深かった。イルミネーション点燈による人工的な美の有り様。それもよし。楓の燃えるような自然美(天然の美しさ)の有り様。それもまたよし。それぞれの美しさの中に人の心を打つ独自の素晴らしさがあるように思う。ありがとうの心を何に対してもいつも心に大切にしていたい。(*^_^*)
2012.11.22
コメント(0)
ポンコツPCの様子が良くないけれど今日は雨の休日。久しぶりに文章作りを楽しませて頂いている。楽しむと言うことは健康にも通じ良いことであるように思われる。BS放送などで海外取材した欧州の映像を垣間見るとヨーロッパの先進諸国などでは特に人生を楽しもうとする気持ちが顕著であってマイクを向け返って来る言葉も明朗で心地良いものがある。人生に対する楽しみ方も実に個性豊かであって様々な方法で各自が自由気ままに自分の人生を楽しんでいるように見受けられる。自分自身が他者と違っているからこそ面白く味わい深く感じられるからであろう。人生を楽しむと言うことに関しても一種の風格さえあってインタビューを受けている際の笑顔の有り様にも心のゆとり(余裕の按配)と共に長きに渡って培われた伝統の重みと誇りとが息づきにじみ出ているようだ。上記は非常に素晴らしいことだと思う。彼らの中にはどうも強い悩みごとや困りごとはないようである。いやあったとしてもケセラセラと言う一つの確固とした生き方(信条)がそうしたような暗さを払拭させ微塵も周囲に感じさせないのかもしれぬ。温かな木漏れ日に似た明るい笑顔の存在が悩みごとの存在さえ一掃させている。彼らの心の中は潔く清々しい。こんなふうな感じだろうか。人生において困ったなあとは思わない困ったことは何一つないからだ生きていさえすれば何とかなるどうにかなるものだケセラセラケセラセラ明日は明日の風が吹くお天道様よ今日も一日楽しく生かしていてくれてありがとう今夜もまたリラックスしながら天上に輝く美しい月の精に導かれるようにしてすべてのことを一たん打ち捨て深い眠りへといざなわれてゆこうあなたの温かなみむねにいだかれるように或いはまた宇宙を旅する旅人のようにフワフワと柔らかな宇宙空間に身をゆだねながらケセラセラケセラセラなるようになるさ人間なるようにしかならない明日はまた明日の新しい日が昇る誰に対しても明るい笑顔を向け柔らかな態度と謙虚な姿勢を大切に楽しく面白く過ごしてゆこうそうさ人生は一度きりのものだから人生は楽しむものだからとそんなふうに彼らは自分の心の中でとなえ日々を明るく朗らかに過ごしているのだろう。人に対して優しく接するよう心がけその日に出会い互いに表情を見て目と目を交し合ったすべての他者に対して爽やかで気持ちの良い温かな雰囲気が伝わるようにとそう努めながら暮らしているように見受けられる。さて今日と言う一日はあなたにとってどんな日だっただろうか?どんな毎日の中にも必ずいいことがひそんでいると言う。積極的にそんないいことを見つけてゆきましょう。(今日はお花を持ってお墓参りが出来た。とか今日は卵焼きがキレイに焼けた。とか今日はフィトネスレッスンの皆勤賞状を頂いた。とか今日は趣味仲間とランチしおしゃべりが非常に盛り上がった。などなど)些細な小さなことであっていい。そうそうあのきんさん、ぎんさんのぎんさんのお子さん達も雑談が長寿の秘訣であると言っている。日々の運動を欠かすことなく食事内容全般に気をつけるようにし小まめにカラダを動かしてカラダのメンテナンスに気を配ること。そうしたことと共に楽しく愉快に他愛無いおしゃべりに興ずることが健康の鍵になるようだ。いずれにせよ心の持ちようがとても大切であるように思う。それではまた。(どうぞお元気で。)(^.^)
2012.11.17
コメント(0)
楽天と言う企業の経営姿勢が問われている。善の心を大事にし顧客やユーザーを真に大事にしようとする会社か否か。ブログ消去は作者の意思ではなく楽天の実力行使によるものである。ボランティア活動の為取り急ぎここに書き記す。
2012.10.12
コメント(0)
やれやれどうにかブログを消されずに済んだようだ。有難いことである。宜しければまたららワールドを可愛がって頂き贔屓にして欲しいと思う。気軽に気楽に(これからも)遊びに来て貰いたい。さて…随分と以前から(もう足掛け10年以上に渡って)週4で持ってフィトネスレッスンに通っている。カラダを動かすことが大好きであるらしい。週4のペースでウォーミングアップからクールダウンまでプログラミングされた90分間のエクササイズレッスンを受けている。自分自身が此れほどまでにダンス好きでカラダにビート(リズム)を刻むのが大好きだとは思わなかった。自分でもビックリしているくらいである。此れほどまでに深くダンスエクササイズにノメリ込み皆勤賞状を何枚も頂いて足しげくレッスンに通いフィトネスに熱を入れ通いつめるようになるとは思いもよらなかった。そういうことが出来るようになったのは自分自身が非常に音楽好きであることが大きく関与しているようだ。(音楽に親しめる環境を作ってくれた実家の父には感謝しなければ…)また同じ趣味を持つ仲間にも恵まれたことも大いに影響している。受講生同士で楽しく集いながら互いに切磋琢磨して刺激をもらい励まし合いつつ続けて来たように感じるらしい。毎回のレッスンを心から楽しみに思い連続して熱心にフィトネスに取り組んでいるうちにカラダのラインが自然とスッキリしボディーラインがキレイになって肌を出すことに対しても抵抗感なく踊れるようになって来た。潔く肌を出したセクシーなダンスドレスを身にまとい自信を持って皆の前で堂々とダンスパフォーマンス出来るようになって来たように思う。ダンスパフォーマンスに心魅せられてからと言うものの恥ずかしさなどは何処かに吹き飛んでしまいダンスパフォーマンスが出来る喜びに震えながらただただ音楽の中に自らを集中させてカラダを動かせる感激に身を投じ歓喜の気持ちでエクササイズに取り組んでいるようである。仲間達と共に同じ振り付けで踊れる(カラダを動かせる)喜びと言うものも長続きに大きく貢献し大いに関わって来たようだ。1人きりで(淋しく)エクササイズに取り組むよりも同じ趣味を持ったサークル仲間(同士)で愉快に楽しく取り組むほうが運動効果(能率)も高まり継続的なエクササイズが出来るように実感するらしい。ダンスパフォーマンスに対する自信とダンス熱が高じて来ると自分のカラダに対するメンテナンスの意識も同時に高まって来るようで毎朝毎夕のストレッチやリンパマッサージメイクアップやヘアケア(ロングヘアアレンジ)普段のドレスなどのお洒落にも自ずとチカラが入り運動だけではなく(運動と言った枠に囚われずに)日常生活の見直し(睡眠や休息、食事内容など)にも大変気を遣うようになり意識して気をつけるようになるようである。トレーニングジムにはライブラリーも併設されているので運動後読書も出来て静と動のバランスのとれた有意義な時間が確保されているように感じている。毎回のジャズダンスのレッスンはインストラクターが選曲して下さり今までもアバやマイケルジャクソンアヴィエルラヴィーンなどの洋楽やKARAなどのKポップスマップやピンクレディープリンセスプリンセスアンルイスなどのJポップを踊っては来たが今回新しくレッスンに入ったレッスン曲はチーフがセレクトしてくれた嵐のナンバーでフェースダウンと言うイケてる曲であった。とてもノリのいい曲である。今までにもジャズダンスだけでなく妖艶な中東の踊りであるベリーダンスや陽気で明るいハワイアンフラ(ダンス)激しいフットワークが特徴のボクササイズヨガや太極拳基本のバレエエクササイズなど…様々なダンスパフォーマンスにチャレンジして来たが特に前回の優雅なバレエは印象的だった。前回のダンスレッスン曲だったナンバーはバレエエクササイズの特有の優雅なメロディーが使われていてSweetboxの歌うRead My Mindと言う曲を流し手先(指先)までの神経を行き届かさせながら優美でシットリしたしなやかなバレエの動きを心から楽しんで姿勢よく踊っていたように思う。上記のナンバーの非常に美しいメロディーを聴きながらほとんどプリマドンナ(の気持ち)になって繊細で大胆なタッチを意識しそうしたムードを醸し出すようにして踊っていた。メロディーを生かすようにしカラダで表現出来るようになると心癒されるだけではなく本当に自然な形でキレイなプロポーションと美しい姿勢がダブルで持って形成されてゆくようである。特にバレエは美しい姿勢を作る素敵なチカラが秘められていると言うことを身をもって実感出来るのが嬉しく感じられるようだ。バレエにはバレエの良さがありジャズダンスにはジャズダンスの良さがあることを音楽(メロディー)はわたくしに教えてくれている。厳しく激しいレッスンを終えてクールダウンの後静かなフロアに身を横たえる時フィトネス仲間同士で互いの背中に心地良い指圧も行なうことが出来本当に心満たされた至福の時間を味わえている。2つ結びに結んだロングヘアの先端からポタポタと滴り落ちる汗の粒が激しいエクササイズの有り様を示す折り厳しいフィトネスレッスンをやり切れた(終えた)と言う心地良い疲労感と共に厳しいレッスンをやり抜いた(やり通した)達成感と充実感(上手に踊れた成就感と満足感)が心うちに実感出来背中への指圧(心地良いスキンシップ)も快感と安らぎのダブルの効果を齎してくれているように思う。つくづく持って継続はチカラなり!と言った先人の残した素晴らしい言葉を心に嬉しくかみ締めるようである。ビバ!ダンシング!これからも健やかに美しくありたいと思う。真に美しい人は笑顔と感謝と謙虚の心を忘れないと言う。今後も心を引き締めて精進を続けてゆきたい。読者のあなたに感謝の気持ちを込めて。それではまた。(*^_^*)
2012.10.06
コメント(0)
数日前のことである。今回もまた楽しく文章作りをさせて頂こうと自分のブログにアクセスしてみたら…何とビックリしたことか!マイブログが何処にも見当たらない。どうなってしまったのか?!サッパリわからなかった。マイブログが消去された事情がわからずにいると楽天サイドのほうから連絡が入り10月3日までに歌詞を消去しないとブログを再び消去します!と警告される始末。わたくしとしては悪気があって歌詞を書かせて頂いていたわけではなくて読者の皆様の心が安らげばと思ってしていたことなので全く持って不本意ではあるのだけれど自分がブログを閉鎖したように思われても困るので一応ここに意思表示しておきたくなった。言われたように歌詞消去は行なってみたけれどもし万が一10月3日に再び当ブログが消去されてしまった場合そうしたことは作者サイドの意思とは無関係に楽天のほうの意思で(意思による行為(実力行使)で)強行に行われたものであることをここに表明しておきたいと思います。(今回のことはパソコン操作に慣れた長男が英語圏(国外)から帰って来て本当に有難く心強く感じられた。)消去中のアクセス記録はゼロであろうとも復活直後のアクセス数は急に跳ね上がり感謝の気持ちで満たされることが出来た。本当にありがとう!感謝の気持ちを込めて。(*^_^*)
2012.09.30
コメント(1)
イッツ クール!カッコいいよね!そんなふうに外国人が捉え感じるものは我が国において沢山あるようである。カラオケ(の様子)もその1つであるらしい。そのカラオケであるが今や都会のカラオケ模様は物凄い進化を遂げていてビックリする程の内容になっている。例えば…映像に映る台詞内容を複数の人数で配役を決めて言い合いまるで声優の仕事をしているような面白い風情を味わうことも可能になった。都会のカラオケではお洒落感覚でそうした趣きある風情を楽しみ合えるようになって来た。今やカラオケでは歌を歌うだけが味わいではなくなったようである。通信カラオケの分野では特に進歩が顕著で最新カラオケにおいては遠く離れた所で歌う友人とも同じ曲を同時に歌い合えるようになり楽しく2人してハモることも可能で離れた場所で歌う2人の様子を同時に画面に映る2人の姿で確認も出来共に映像で相手の歌う様子を垣間見ながら臨場感を味わうことが出来るようになって来ている。貸衣装の無料提供も行なわれる所が出て来て希望のコスチュームを選びそれを身にまといながら主人公気分で気持ち良く歌うことも出来るので楽しさは倍増するようである。戦艦大和のコスプレやスマートなタキシードシンデレラ風お姫様ドレスやアニメキャラの可愛いコスプレなど客の様々なニーズに答えコスチューム貸し出しを無料で行なっている。また一方では純粋にカラオケを大勢で楽しみたい人達の為に持ち込み自由の格安カラオケも出て来た。30分間歌い放題で1人50円以下と言う格安カラオケも登場しているらしい。持ち込み自由の為学生コンパグループなどはスナック菓子や飲み物をカラオケ内に大量に持ち込み中高年グループはお手製のケーキや和菓子などを仲間同士で差し入れては昼間から自由気ままにカラオケを楽しんでいるようである。イッツ・クール。カラオケは日本が誇る素晴らしい文化であるように想われる。アジア諸国やロシア欧米にもカラオケはあるけれど日本ほど(の内容)ではないようだ。イタリア人曰く「イタリア人は大勢で歌うことが好きな国民性だからカラオケボックスのような狭い場所は嫌なんじゃないか。」またメキシコ人曰く「本国は生演奏で歌うことが多いからね。」…てなもんである。新宿新橋銀座などで53人の方に聞いて見たんだそうな。人通りの多い中で「ちょっと歌ってみて下さい。」と声を掛けたら53人中43人の方が歌ってくれたのだとか。歌ってくれたのは全員日本人であった。お酒を飲まないと歌えないよ!と拒否反応を示して歌わなかったのは何と外国人の方々ばかりだったようだ。趣き深く感じられたのは外国人の方達は人前で踊るのは恥ずかしくはなく大丈夫なんだけれどオンチだから歌は歌いたくない!と言う考えの人が大半だったことである。これを日本人に当てはめると真逆で反対のようになるように空想された。カラオケは健康に大変良いそうだ。上記は医学的にも認められ推奨されている。大声を出してお腹の底から歌うことはストレス発散にも一役買うらしい。あなたも最新カラオケで日頃のストレスを発散してみませんか。(*^^*)せんだっても紐解いた書物にこんな記述が登場していた。「国語とは読み書くチカラを養う。読みとは相手を理解すること書くとは相手を納得させること。」なるほど趣き深く想い感じ入るようである。敬老の日秋の彼岸も間近か。年長者をねぎらい故人の尊い魂にこうべを垂れたいと想う。ご清聴どうも、ありがとう。(^^)
2012.09.16
コメント(0)
文章作りと言う作業はジャズダンスのレッスンにある種似た趣きがあるように想う。非常に面白く且つまた楽しく感じられる。趣き深いものもあるようだ。そうしたことはどうも我が国の母国語日本語が大好きだからであるらしい。今回も大好きな文章作りを通して繊細で優美な日本語と楽しく朗らかに触れ合ってみたいと想う。(*^^*)昨今巷を賑わすニュースの中に様々な国際問題が飛び交っている。国家間の困難な話題を耳にすると命の尊さや貴重さを(心に)想うせいで瞬時に平和を祈り和の国の人として和やかな心情の大切さを(胸の内に)感じるようである。せんだっても片付けがてら本などを分類整理していたら偶然ホッコリ世界史関連の書物が出て来た。片付けながら書物を紐解いていたら改めてアジアは繋がりながら発展したのだと言う事実を感じ取ることが出来たようだ。現在多くの日本人が何らかの(宗派の)仏教と言う宗教に帰依している。死者の冥福を祈る様々な法事(法要・追善供養・葬儀)の有り様をみれば明らかであるように想う。法事などの場で僧侶により唱えられる経(仏の教えを記した文章)は我が国が島国でありながら歴史的にみてアジア大陸の影響を強く受け進化発展して来たことを表わしている。日本人の思想である経の精神と言うものを心の中に想い描く時釈迦によって作られた仏教と言う教えと釈迦と言う人物を育てたインドと言う風土を同時に心温かく想像するようだ。下記の文章は我が国の言語である日本語が古くはインドで花開いた文明の影響を強く受けて出来上がった事実を趣き深く述べた文章である。こんなような文面であった。「日本の中のインド文明大乗仏教はグプタ朝時代にヒンドゥー教の諸神を仏法の護持神としてその教養の中に取り込んだ。それらの神々は中国で漢字名を与えられそのまま日本に渡来してきた。川の神サラスヴァティが七福神の弁財天つまり芸事の神、弁天様になりもともとはガンジス川のワニを神格化したクンピーラが航海や漁業の神、金毘羅様になったのは有名だがそれ以外にも多くの神々が日本に渡ってきては民衆の信仰を集めている。大阪の生駒山の聖天様はもともと韋駄天でヒンドゥー教の神(破壊と創造の神)シヴァの子供で像の頭を持ったガネーシャであり映画「寅さんシリーズ」で有名な東京の柴又の帝釈天は雷神インドラである。奈良の秋篠寺の美しい梵天像の正体は宇宙の根本原理をつかさどるブラーフマで弁天様とは夫婦である。若者の街、東京の吉祥寺の名の起こり吉祥天はヒンドゥー教の主宰ヴィシェヌの妻富と豊かさをつかさどるクラシュミである。仏教では吉祥天は七福神の軍神毘沙門天(多聞天)の后とされるが毘沙門天は財宝の神クベラである。運慶の作で名高い増長天は伝説の神山メル山(須弥山)にあって南方世界を守護するヴェルダカである。速く駆けることを「韋駄天走り」というが韋駄天はシヴァの子で子供の病気を治すスカンダであり昔、鬼が仏舎利を盗んだときにスカンダがこれを追って取り戻したと言う故事に基づいている。天神つまり大自在天の本体は雷神で破壊神のシヴァである。日本の雷神「天神様」の菅原道真はいつも牛と一緒だがこれはシヴァの乗り物ナンディ(聖牛)と関係があるかもしれない。なぜかヴィシュヌは日本に渡来していないがヒンドゥー教では釈迦そのものがヴィシュヌの化身である。縁が遠いように思えるヒンドゥー教の聖なる言葉サンスクリット語も日本語の中に息づいている。まず「あいうえお」の五十音の配列が中国のサンスクリット学の影響で出来た。仏教用語が日本語化したものにはサンスクリット語源のものが多い。「奈落に落ちる」の奈落は地獄を意味するナーラカ。墓の後ろに置かれる塔婆は仏塔を意味するストゥーバ。「刹那的」の刹那は瞬間を意味するクサナが語源である。誰もが日本語だと想っている瓦は実は祭式の皿を意味するカパラが語源である。ヒンドゥー教はインド特有の神秘的な宗教のように見えるが実はその神々と言葉は日本人の中に深く溶け込んでいるのである。」そんなような趣き深い文面だった。「知る」は「楽しみなり」と言う言葉があるけれども全く持ってその通りであると心に嬉しく感ずるらしい。国家間の軋轢(不和・衝突)などを耳にすると平和の貴重さ(尊さ・有難さ)を心の中に温かく想い描き国際人としてあるべき姿(紳士的な対処法)を互いに柔軟に模索すべきだと改めて想う。躍起になって感情的な言動に及ぶことなく(感情を高ぶらせることなく)冷静な態度を保つよう心掛け国際法上(国際マナー)に違反した暴力的行為(脅迫的挑発的行為)に対しても穏やかに上手に対処出来るよう様々に工夫し最善の方法を考えるべきだとつくづく想うようだ。我々が暮らすかけがえのない地球は1つしかなく取り替えはきかないからである。そうした事実を踏まえ近隣国同士が互いに愚かな戦火を交えることなく双方共に穏便(穏和な)方法で和やかに対処することを心から望みたい。破壊したり傷つけたりすることは容易(たやす)いことであっても建設したり相互の溝(傷)を埋め合ったりすることはなかなか持って容易ではないからである。猛暑が続いた8月葉月も終わり朝晩には涼しい風も吹くようになって秋の風情が感じられるようになった。カレンダーのページがまた1つ新しくなり長月9月がスタートしたようである。まだまだ(日中は)残暑が厳しいもののこうした季節(ゆく夏・晩夏の風情の残り香)の中に命の尊さを重ね改めて平和と言う貴重でかけがえのないものを強く心うちに祈念したい。平和の尊さと言うものを改めて心の中に大事にしようと想う。ご清聴どうもありがとう。(*^^*)
2012.09.02
コメント(0)
健康+美を考えるのであれば睡眠+栄養+運動はどうしても欠かせない要素となる。上記の3点を如何に前向きに楽しく行なえるかどうかが鍵になり健康+美に大きな比重を占めているように想われる。寝苦しい夜に如何に深い睡眠をとり食欲が落ちる夏場に食欲や体力を落とすことなくバランスの良い食事をとることが出来るかは運動の有無が大きく関わって来るように感ずるらしい。運動に対する楽しさの実感が睡眠と栄養の両方に深く関与し大きな比重を及ぼしているように感ずるようである。運動を行なう者は睡眠と栄養食事も制することが出来睡眠食事の両方をクリアすることが出来るように想像するらしい。カラダを動かすことが睡眠の充実感と食欲の亢進を左右していると言ってもいいように感じるようなのだ。逆にこれを考えるとカラダを動かすことが大嫌いであると言う人は美+健康からも遠ざかり美+健康からも嫌われやすいと言うことを上記の内容は暗に物語っているように想えて来る。だからと言ってただ単にやみくもに運動すればいいと言うものでもなく(美+健康を手に入れたい理由で)嫌々ながら仕方なくしょうがなく運動すると言うような取り組み方(態度や雰囲気)では高い効果が発揮出来ないように空想するらしい。つまりは運動することが楽しくってたまらない楽しくって仕方ないと言ったような明朗なポジティブ精神で持って気持ち自体が高揚するようにハイテンションな姿勢で運動を行なうようにすると様々な高い効果が発揮されやすくなるように感じるようだ。特に男性の方は筋肉トレーニングを取り入れつつ並行して有酸素運動を行ない(女性の方はストレッチを取り入れた有酸素運動を)普段の生活の中に意識的に取り込むようにすると安眠と食欲の安定にも繋がって相互に高い効果を発揮してくれるように想う。寝苦しい夏場は特にぐっすりたっぷりとした安眠が何をおいても必要になるし猛烈な暑さを乗り切り疲労感をためない為に食欲の質を落とさないようなバランスの良い適切な食事内容がどうしても必要になって来る。そうした折りに運動の習慣の或る無しは非常に重要な鍵になりそうした運動の実践が本当にその人にとって心から楽しいものであるか否かは非常に大切な要素となるようだ。勿論注意も大事である。夏場の猛暑の時期に無理な(その人に不適切でその人にあわない)運動はかえってカラダを痛めることに繋がるし安眠妨害や食欲妨害にも陥る危険性があるからだ。運動を行なう折りには心から楽しんで行なうように個人で行なわず仲間で行なうようにするとか女性の方であればメイクアップとかヘアアレンジなどお洒落や音楽等も手助けしてもらう形で様々な楽しみを盛り込みつつ工夫して行なうようにすると気持ち自体が高揚しハイテンションに持ってゆくことが可能になるように想う。くれぐれも熱中症などには留意をして水分補給にも充分に気を配りご自身にあったエクササイズを心から楽しんで行なって頂きたい。健康+美は見た目年齢の若々しさに深く関与するところがある。今現在世の中には本当に多くの各種多彩な健康+美の方法が論じられ存在しているようだ。そうした方法は実践しなければ意味がない。或る人には適合しあっていてもあなたにあっているとは限らないものも存在する。何事も実践をし実際に試してみてご自分の感覚や実感を通じて様々な方法の効能をご自身で判断してゆくことが大事になって来るように想われる。勝気な性分が邪魔をし他者と自分を比較してしまうことほど愚かで恐ろしいことはない。あくまでも人は人自分は自分であるように想う。ご自身に対する自信の気持ちは内に秘めるように努めて謙虚な姿勢で持ってモノゴトに対処するようにすることが肝要になって来る。人と直接会って接したり情報などを享受する折りにはいつも常にポジティブな明朗な素直な気持ちでいることが大事になるようだ。素直な明るい心がその人を人間的に伸長させ進化させて行くように想われる。また謙虚な姿勢で人の話に耳を傾けることはとても重要なことなのだけれど人間は様々な形でパフォーマンスを行なうこともまた同じように大切なことであるようだ。例を挙げると作曲にしても絵画にしても作文にしても何らかのプレゼンテーションにしてもそうした制作過程を通じて自己表現の面白さだけでなく自分自身の中の進化(変化)を自分自身で味わえることが1つの成果であり醍醐味にもなる。その中で作文を例に挙げると人間は「考えたことを書く」のでなく「考えるために書く」のである。書物の中にはこんなような趣き深い記述も存在して来る。「文章は頭の中ですでに考えていることの写しではない。書いてみようとすること書いたものを自分で読み直すことを通じて考え自体が深まってゆくのである。そのときにどのように考えを進めるかと言う指針と人間がついどのような考えに流されやすいかと言う心理的な傾向を自分自身で知っておくことは素朴な意見から脱するための手助けになるだろう。」そんなような大変興味深い記述である。人は書くと言うことを通じて自分の考えを進めたり新しい考えを出したり出来る。上記は非常に趣き深いことであるように想われる。(*^^*)本日は久しぶりに同窓生の女医と逢ってお茶の時間を共有し楽しい時間を過ごすことが出来た。時間が過ぎるのは早いもので8月葉月が目の前であるように想う。(*^^*)猛暑の折りからどうぞおカラダのほう幾重にもご自愛下さいね。今回もご清聴感謝しています。どうもありがとう。(*^^*)
2012.07.27
コメント(0)
書くことは非常に楽しいことであるように想う。書くと言う行為には人を惹きつけてやまない不思議なチカラが潜んでいるようである。文章作りをしていると不思議と心癒され次第に心が穏やかになってゆくのを嬉しく感ずる折りがある。心が次第に和やかになり安らいでゆくのを実感として心地良く快く感じるようだ。こうした気持ちは不思議なことなのだが情報収集の折りなどにはあまり感じないようである。上記は非常に趣き深いことであるように想われる。書くことが楽しいのには然したる理由はないように想う。要するに楽しいから楽しいのだろう。元々好きで楽しいことは直感的なことであって特別な確固とした理由など存在しないものであろうしそうした根拠を突き詰めたく想うこと自体野暮なことであるように感じるようだ。ジャズダンスが好きな理由もこうしたことと類似しているように想われる。昨今スポーツ教室の全てのエクササイズプログラムに参加出来その証として受講生の数名がインストラクターから名前を呼ばれ皆勤賞を授与された折りに不肖わたくしも御多分に洩れることなくインストラクターから氏名を呼ばれ有難く皆勤賞の賞状を頂戴した。嬉しい限りに想うらしい。賞状自体あってもなくても無関係に何らかの拠ん所無い事情がない限り全てのエクササイズレッスンに出席するようには想像するのだけれどそうした参加理由もただ単にダンスが好きでカラダをダンスビートに乗せて動かすことがただ単に好きで楽しいからに他ならない。(今期インストラクターがセレクトしてくれたダンスレッスン曲はプリプリのヒットナンバー「♪ダイヤモンド」であった。)心から好きであって且つまた楽しいと言うことは非常に健康的なことであり尊んで然るべきであるように(心に嬉しく)感ずるようである。日本人と言うのは往往にして非常に真面目な国民性であるようだ。上記(真面目)は尊ぶべきことであって決して悪いことではない。しかしながら真面目であることがモノゴトを楽しみ柔軟に味わうことの妨げになってはならないように想えて来る。このことは近年非常に重要なことであるように感ずるらしい。今現在精神的に病んだり欝的な症状に苛まれている人々の多くが非常に真面目な性質であるところに起因しているからであるように想う。国際的に視野を広げてみると現に例えばの例として英語圏の国などにおいてはほんのちょっとしたことであっても別れの挨拶などの折り気軽に気楽に「…have fun!」「…enjoy!」(楽しんで!)と言う言葉が日常的に使われていて「…have a good time!」(楽しもうね!)と言う言葉も頻繁に(数多く)使われている。(勿論「Relax!」(リラックスしてね!)と言う言葉や「Don’t worry!」(心配しないで!)などの言葉も日常茶飯事であるように想う。)それで今し方急に思い出したのだけれどわたくしごとで非常に恐縮なのだが先日学友達数名と楽しそうに仲良くアメリカのアクション映画を観に出かけてゆく14歳の息子に向かって「楽しんで来てね。」とこちらから朗らかに声を掛けたら彼は即座に元気よく明るくそして素直に「ありがとう。」と言ってにこやかに快い返事して嬉しそうに出かけて行った。(そうした折り「Have fun and don’t be late coming home.」とも伝えたかったのだがまあいいかしら!とも感じたようであった。彼は家族愛をテーマにした金曜ロードショーのアニメシネマ「サマー・ウォーズ」などもファンで好きであるらしい。)話が逸れて大変申し訳ないのだけれど楽しむことの大切さが真面目さに掻き消され邪魔されて壊れされることのないよう充分に味わわせてあげたいものだと心から感ずるようだ。遊びも学びも2つ共に大切であることを幼少の頃からカラダを通して学び教えて気付かせるべきだとしみじみ心に想うようである。勉強における楽しさを心に嬉しく感ずることが出来た子は自然な形で勉学にも勤しむことが出来発展的な勉強に着手することが出来るようになると言われている。何事につけても楽しむことや好きであると言うことがどんなことであろうと上達の鍵になり向上の礎になることを肝に命ずるべきであるように想う。言わずと知れたことなのだがあなたの貴重な人生は1度きりのもの。ご自分の人生を心から楽しんで生きることが大切であることはご自分の日頃の心掛け次第であるように想われる。ご自分の人生を心から楽しみ日々の暮らしを味わいながら楽しんで生きると言うことがその人の生き甲斐を充実させ意義の深いものにしてくれるように感ずるらしい。「Lets have fun!」 (楽しんで参りましょう!)様々なことに興味関心の幅を広げ多くの好奇心を持つことが人生を豊かにし明るく朗らかに生きることに繋がってゆくように想う。(*^^*)あなたの人生はあなただけ(ご自身)のもの。顔を上げ前を向きニッコリと明るく微笑んで気まずさや気恥ずかしさを払拭し拭い去り楽しいことだけを考えながらご自分の好きなことに邁進し明るく生きて参りましょう。幸福はそうしたような前向きな明朗な姿勢の上に必ずや舞い降りて来るように感ずるようです。楽しんで生きる姿勢未来を楽しみに感じる姿勢と共に大切に想うのは感謝の心であるように感じます。(特に女性の方は直感力と想像力に長けた機嫌のよい明るく朗らかな人が素敵であるように想います。)(*^^*)今回もご清聴心から感謝しています。どうもありがとう。(*^^*)
2012.07.21
コメント(0)
信之介は、百合香と並んで歩いていた。正確にはほんの半歩ほど百合香のほうが、信之介の後ろを、歩んでいると言って良かった。夏祭りの夜だった。男女の浴衣姿の風情と言うものは夏祭りの晩には相応しく感じられた。ただ1つ、難点を言うならば…履き慣れない草履や下駄が互いの足先に食い込んで時折り痛みを伴なうようでそぞろ歩きするにはやや不都合であるようだった。歩きながら、信之介のほうから先に百合香に向かって、声を掛けた。信之介「ちょっと、そこで、休んで行かない?」百合香のほうも、快くそれに応じて頷いた。信之介「俺さ。ここへ来ると…亡くなった爺ちゃんのことを思い出すんだ。」百合香「そうなの?」信之介「俺って、爺ちゃんっ子だったみたい。」百合香「一緒に暮らしていたの?」信之介「そうじゃないけど…祭りの時には、ほとんど、一緒にいることが多かったから。」百合香「そうだったの。で、どんな人だった?」信之介「曲がったことが嫌いで、凄く実直な人だったよ。男にしては、器用なところがあって、おまけに洒落者で周囲に対する気遣いを、忘れない人だった。」百合香「ステキな人だったのね。」信之介「うん。俺が悪戯しても、怒られた記憶は少ないし優しい人で、いつもニコニコと朗らかに笑ってることが、多かったな。」百合香「宮沢賢治の詩の中にある雨にも負けず、みたいな人だったのね。」信之介「ま、そんな感じかな。友達のことは、大事にしろよ!って、よく言われたよ。女の子は守ってあげなきゃ、ダメだぞ!って。そんな台詞も、口癖のようだった。」百合香「男らしい人だったのね。」信之介「そうだね。男らしい男だったと想う。男は人前で涙を見せるな!って小さい頃から、よく言われたもの。」百合香「小さい頃、泣き虫だったの?」信之介「俺?あははは。そんなふうに見える?ま、普通じゃない?」百合香「そうね。今は…そんなふうには見えないけど。」信之介「そう?今も、当時のままだったら…ここで、誰かに取り囲まれ、絡まれたとしても…百合ちゃんのことを守れないだろう?」百合香「ありがとう。頼もしいわね。」信之介「あっ、そうだ!思い出したよ。人間は、ちょっとくらい、小心者がいい!とも言ってたような気がするわ。カッコつけて、勇気を見せびらかすのが、偉いわけじゃない。何事も、自慢げに話す人間に、碌なのはいない。人の批判や批難ばかりを、口にする人間も、同じようなものだって。小心者くらいで、ちょうどいいのは…カッコぶって、キザッぽく、カッコつけて勇気のあるところを、見せびらかしたいばかりに勢いに任せて、気勢を揚げたりすることがないからだって、言ってたな。」百合香「そう。」信之介「小心者くらいでいいのはモノゴトに慎重で、何事にも控え目だから大きな失敗を仕出かすことが、少ないからだってそんなふうにも言ってたような、気がする。」百合香「そうなの。なるほどね。言おうとすることが、一々、的を射て感じられ昔の人って、立派だったなって今つくづく想うわ。」信之介「だからね。俺もね。今ここで、何人かに囲まれて、絡まれたとしても…逃げるが勝ちの精神を発揮して爺ちゃんの教えを守り…面と向かって対峙することなくすぐに百合ちゃんの手をとって、引っぱってそのまま、一目散に、逃げちゃうかもしれない。それでいいかい?男らしくないかな?」百合香「それでいいわ。喧嘩することないもの。争いごとって、醜いだけのように感じるから。世の中、平和なことが、1番だって想う。」それを聞いて信之介は、内心、安堵の気持ちを新たに覚えたようだった。百合香といるといつも心が和み、心癒されるのはとても不思議なことのように想われた。百合香の存在が、何故か、不思議なことだがとても貴重なもののように想えて来るのだった。信之介「百合ちゃん。」百合香「なあに?」信之介「やっぱ、何でもない。」百合香「え?可笑しな人ね。人に声を掛けておきながら何でもない!なんて言う人、いるかしら?」信之介「ちょっと、がっかり?」百合香「うん。」信之介「ちょっと変?」百合香「うん。」その返答を聞いて信之介は、急に豪快に笑い出した。百合香「まあ。ホントに可笑しな人ね。ますます変な人。」信之介「ごめん、ごめん。」そうした百合香の反応を見て信之介は、更に心安らぎ満面の笑みを浮かべて百合香のほうに自然に自分の右の手を伸ばし手つなぎの合図を送ったようである。百合香のほうも、ややカラダを斜めにして信之介のほうに向けて、自分のカラダを倒し信之介の澄んだ瞳を、ジッと覗き込んでからそっと、微笑んだらしかった。まるで、小さな悪戯ッ子が、ニッと笑って見せるような明るい和やかな笑顔だった。そうしたような不思議な明るさにますます信之介は、心和み心癒されてゆく自分を感じていた。信之介は、百合香の持つ、天真爛漫さと明朗さにこれまでも、何度となく、心癒されて来たことを想い出し心嬉しさを、心に新たにしたようだった。様々な閉塞感と言うものに、ぶち当たるたびに心を解放し、心を解き放つことの大切さを百合香の明るさから感じ取れる自分が何故か、いとおしくも想われた。信之介「家まで送るよ。」百合香「うん。そうして。ありがとう。」百合香も素直に自然なままを自然にそのまま口に出来嬉しい様子であった。感謝の言葉を口にした後で百合香は、差し出された信之介の右手の手のひらを自分の左手で、そっと受けとめた。夏祭りの人込みが、歩みを進めるほどに少しずつ、遠のいて感じられた。街中の喧噪を背に静かな住宅街へと向かう2人には互いの手の温もりがあった。そうした手のひらの温もりが互いの絆の存在を、相互に伝えているように想われ言葉の存在は、今、不必要であるようだった。夏祭りの喧噪が心に懐かしい郷愁を運びながら次第に、2人から、遠ざかって行った。(ジ・エンド)夏本番。猛暑の夏到来ですね。オカリナの音透きとおる蛍の夜 神山ゆき子 星一つ残して落つる花火かな 酒井抱一(*^^*)今回も最後までお付き合い下さり心から感謝しています。(*^^*)
2012.07.16
コメント(0)
せんだっての七夕の日にご縁を頂いて「思春期の心の特徴と自立への道すじ」と題された講演会に参加することが出来た。有難いことである。心に深い感銘を受けた素晴らしい講演内容であった。講話の冒頭母校の先輩である講演者の男性が思春期の特徴である「いじめの構造」について語って下さった。いじめのカラクリは加害者の心の中のあり愛に満たされていない状態がイジメを引き起こすと明言なさった。そうした「心の愛」とは一体何か。「自分が人から必要とされていることの実感」「人が皆つながり合い支え合って生きていると言う実感」「命は多くの生き物の命を頂いて生きていると言う思い」であるらしい。日本の子供達は自己否定感(自分はダメな人間だと言う思い)が非常に強くアンケート調査によると日本の中学生の半分以上高校生においては3分の2以上の生徒達が強い自己否定感(自分はダメな人間だと言う思い)を心にいだいているのだと言う。上記の数字はアメリカや中国の子供達が大体1割から2割程度であるのに比べかなり高い数値になる。こうしたような原因は勉強競争による弊害や子供時代における遊びの喪失家庭の不安等が齎すものであるとされ分析が出来るようだ。入試の在り様なども知識偏重傾向(記憶力重視の傾向)にあり未知の学問の追及や新しい発見(新しい発想)の考案などに疎いことが指摘されている。日本教育に観られる詰め込みの在り様は今後世界の中で取り残されてゆくのではないかと言う新たな懸念までもが生まれて来ているようである。未来社会を担う思春期の若者にとって最も大切なことは上記に観られるような強い自己否定感を払拭し自らの心の中に新たに自己肯定感を育成構築することのように想う。自らを愛する子は他者に対しても愛する心を発揮出来るからである。わけのわからない「トンネル」の中でもがき苦しんでいる思春期の若者に対し自立の道を見つけさせトンネルの出口を発見させる為にはまず持ってありのままの自分を認めること(自己肯定感)が最も大切で思春期特有の「もがき」を受けとめてくれる友人を作ることも非常に重要になって来るように想われる。学校においては学校行事やHR活動部活動に積極的に取り組むように促し仲間を意識させることで集団や社会との関わりを感じることが大切でそうした対人関係(友人のチカラになること・協力)の学習が右脳を発達させ勉学による左脳の発育をも刺激する形で若者の心により深い満足感(心に愛を満たし必要とされている実感)を齎してくれるようだ。思春期の若者を育てている家庭では彼らに安らぎの気持ちを感じさせるように仕向け親サイドは話を聞く側に回って子供の心を受けとめることに努めることが肝要になって来る。彼らを叱る場合であっても余計(余分)なことはなるべく言わずに遅刻などの行為に関してのみ手短かに叱るように心掛け感情的に怒らないことが肝心になる。子供は親の分身ではなく子供には子供の人生があり子供の人生の主人公は子供自身であると言うことを親側が常に意識し把握して彼らに接することが大事になるようだ。親と言えども子供に対して高飛車な態度は慎むべきで時には親も子に向かって弱音を吐いたりし子供側に親近感を感じさせることが大切であるように話をされていた。親も子もお互いに「辛い」と言い合えるご家庭が最も良好な家庭であると明言されていたように想う。勉学の志と言うものは非常に大事ではあるけれど親自身が子供に向けて受験偏差値絶対主義を抜け出す価値観を創出し人間は支え合い繋がり合い生きていることを伝えて思春期の若者の心の安定と自立を促すことが肝心であると結んでいた。講師(講演者)のK先生は2人の息子さんがいらしたのだけれどその息子さんのお1人が不幸にも大学生の時にハングライダーの不慮の事故で亡くなられたらしい。お話を伺って先生のお心を慮り不意に涙が溢れそうになった。K先生は公立高校の教諭として長きに渡り高校で教鞭をとられていたのだが母校の後輩達を教えていらっしゃる時にそうした不幸な出来事に遭遇し深い悲しみを心に覚えたと話された。当初は悲しみだけではなく親を残して先に逝った息子に対し怒りの気持ちも込み上げて来たそうである。教諭として高校の修学旅行で立ち寄った広隆寺の仏の前で30分以上に渡って立ちつくし仏に向かい助けを請うたそうなのだが仏様は何も語ってはくれず途方に暮れていたとのこと。それでもなお怯むことなく長時間その場に立ちつくし仏像を見つめているとやっとのことで仏様はその重い口を開いてK先生に対し手を差し伸べてくれたのだと言う。(そう言うようにK先輩(先生)には感じられたらしい。)仏様が先生に向かって言葉を掛けたそうした言葉の内容が非常に趣き深く印象に残ったので下記に書きとめて置きたくなった。悲嘆(途方)に暮れるK先生に対し手を差し伸べた仏様が語った言葉はこう言ったものであった。仏様曰く「お前は自分の辛い気持ちから解放されたい一心で今そうして私の前に立ち祈っているのであろう。何故お前は息子の魂を慮り息子の魂を解放してやり亡くなった息子の魂を解き放ってあげようと祈らないのか。」そんなように耳に届いて聞こえて来たのだそうな。その時K先輩はああ何て俺は未熟な人間なのか!と想い様々な心の在り様に改めて想いを馳せたのだと言う。非常に感慨深い含蓄のあるお話に懸命に耳を傾けさせて頂いていた。K先生は最後にこうおっしゃった。「未熟であることに喜びを感じて生きよ。」と。K先生曰く「未熟者なればこそ若さがある。成熟の1つの形が果実であるようにポタリと実が落ちてゆく成熟の在り様は死そのものである。未熟はいまだ死なずに生きている証であると捉え未熟の中に喜びを見出すべきだ。」とそうおっしゃられた。なるほどと頷ける講話内容に対し感銘の気持ちを感じて講演会場を後に出来たように想い出す。大変心に染みる含蓄のある深い話であった。(*^^*)小暑を過ぎまして時期お彼岸がやって参ります。亡くなられた故人の霊魂が各家庭の仏壇に戻って来ると伝えられるお彼岸の期間には多くの方がご先祖のお墓参りやご供養を行ない仏壇にお線香や供物を供えるように想像します。人間と言う生き物は亡くなってカラダは滅びても魂自体は残って無くならずわたくし達のように現在を生きる者を皆温かく穏やかに見守ってくれるように感じます。感謝の気持ちを新たにし心和やかに穏やかに様々な魂の存在に静かにこうべを垂れ祈りを捧げていたく想うようです。(*^^*)暑さの折りからどうぞおカラダお大事に。暑中お見舞いを申し上げます。(*^^*)
2012.07.09
コメント(0)
全1171件 (1171件中 1-50件目)


