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☆★ ドイツアフリカ軍団の勇将ロンメルが前線指揮に愛用した車両 ☆★ This is the off-road battle car which used a tire and a caterpillar.~ タイヤとキャタピラを併用したオフロード戦闘車 ~ ★☆Sdkfz.250/3(無線指揮車)の特徴★☆上部に特徴的な大きなフレームアンテナを装備し、搭載した高度な無線機を使用して、機械化部隊の統制指揮及び空軍部隊との連絡連携による作戦行動の指揮に活躍した。また、どんな悪路の路面環境でも十分対応できるようにキャタピラ駆動部を装備したハーフトラックタイプを採用した。アフリカ・サハラ砂漠を疾駆するロンメル乗車の「グライフ(GREIF)」(1942年)ロシア正教会前を作戦中の第3装甲師団所属のSdkfz.250/3無線指揮車(1942年)★☆アフリカでもロシアでも機械化部隊の前線指揮車★☆同型車両で最も有名なものは、アフリカ軍団で活躍したエルヴィン・ロンメルの愛車である「グライフ(GREIF)」や「アドラー(ADLER)」だが、サハラ砂漠を砂塵をあげて疾駆するロンメル乗車の「グライフ」と対照的にロシア正教会の前を土ぼこりを出しながら走行する同型のSdkfz.250/3の勇姿(いずれも1942年撮影)を見れば、同無線指揮車がアフリカでもロシアの地でも最前線の機械化部隊の作戦行動に欠かせない車両であったことがよくわかる。★☆『 Sd Kfz 250 ハーフトラック 』★☆【中古】プラモデル 1/48 グライフ 「ミリタリーミニチュア」楽天で購入ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2007/01/13
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★☆1943年ロシア戦線での「メッサーシュミットBf109 G-4・R6」の再現★☆ MESSERSCHMITT Bf109 G-4/R6 Erich Hartmann The war plane which the super ace loves ~前人未踏の352機撃墜の記録を成し遂げたスーパーエースの愛機~ 数年ぶりの戦闘機作成、何か懐かしいものを感じるこのごろ。さて、作成したプラモデルに関しての話題をひとつ。第2次大戦中のドイツ空軍には桁外れのスーパーエースが存在しました。その中でも、個人で300機以上の敵機を格闘戦で撃墜した強者のパイロットが二人いて、そのトップは、352機を撃墜したエーリッヒ・ハルトマン(Erich Hartmann)大尉、次いで、301機撃墜のゲールハルト・バルクホルン(Gerhard Barkhorn)少佐でした。二人ともその戦績の大半は、東部戦線での圧倒的に数的優勢なソ連空軍機を相手にしたものでした。終戦後、部隊ごとアメリカ軍に投降したはずが、どういうわけかソ連軍の捕虜となり長い抑留生活を終え、1955年に釈放され帰国、それぞれに生き残り、当時の西ドイツ空軍に少佐として入営、ドイツ空軍の再建や指導に当たり、その後ハルトマンはわずか48歳の若さで退役、バルクホルンは、少将まで昇進し戦術攻撃航空団司令官を務めた後に退役しました。 人類史上第1位と第2位の二人のスーパーエースの 2ショット! 左がハルトマン、右がバルクホルンだ。 二人が同じ航空団に所属していた時期もあった。 1943年頃の撮影。 作成したプラモデルは、FineMolds製の「1:72Scale、メッサーシュミットBf109 G-4・R6」です。72分の1スケールなので、すべてが小さく、塗装などにかなり苦労しました。機体の大まかな塗装には、TAMIYA SPRAY-WORKのエアーブラシを使用しました。また、塗装色も特殊なものが多く、不足分を少し買い足しました。このモデルは、かなり以前に購入し、ずっと本棚の上で眠っていたものです。機体の塗装やデカールなどのマーキングに際しては、1943年5月、第52戦闘航空団第7中隊に所属していたハルトマン(当時少尉)が、ロシア戦での占領した旧ソ連領内のタマン空軍基地に在籍していたときに使用した愛機を再現することにしました。 ハルトマン使用のメッサーシュミット「 Bf109 G-4/R6」を再現しました。 ドイツ機は、パイロット個人の個性的な塗装がバラエティーにあります。 これは、その中の、ハルトマン固有の塗装・マーキング状態です。 これは、塗装やマーキングで参考にした図面です。 上からみた場合と横から見た場合では、デザインが異なるので、まるで違って見えます。 左側面の独特なマーキングですが、英数字や記号などのそれぞれに固有の意味があるそうです。ヒョウ柄の模様にも特徴があります。 「Bf109 G-4/R6」の諸元は、全幅9.924m、全長9.020、エンジンは、ダイムラーベンツDB 605Aで離昇出力1475ps/2800rpm、最大速度630km(高度6600m)、武装(機首上部→MG17 7.92mm機関銃×2、(プロペラ同軸)MG151/20→20ミリ機関砲×1、(ガンパック)MG151/20→20ミリ機関砲×2 ハルトマンは、148機を撃墜したところで、その功績 により、1943年10月29日付けで、「騎士鉄十字章」 を授与され、愛犬とともに撮影したもの。世界最高の 撃墜王は、1922年4月19日にシュツットガルトに生 まれ、高校卒業後の1940年に戦闘機パイロットを目 指し、東プロイセンの空軍訓練連隊に入隊しています。 終戦を迎えたときは、まだわずか23歳でした。とい うことは、入隊した18歳から23歳までの5年足らずの 実質4年間で352機を撃墜したことになります。 彼は、1993年9月20日に71歳で亡くなりました。 ハルトマンは、戦闘時は僚機と行動をともにしましたが、戦闘中にどういうわけか一度も僚機を失うことがなかったというのも奇跡的なことでした。このメッサーシュミットを見ると、旧日本軍の「飛燕(ひえん)戦闘機」にスマートなエンジン部が酷似しています。もしかすると、日独の間に戦闘機の技術的な支援交換があったのかもしれません。 ハルトマンは、そのあまりの強さから、ソ連軍から「黒い悪魔」として恐れられていました。数多くの戦闘に参加しながら、終戦時まで生き延びることができたというのも強運でした。 ハルトマン中尉は、敵機300機(正確には301機) を撃墜し、空軍基地に帰還した際、戦友達から花輪 を受け祝福され、軍報道部の取材班から写真撮影や 空軍報道担当将校からもインタビューを受け、シャ ンパンで祝杯をあげた。一介の中尉に過ぎないのに 第6航空艦隊司令官デスロッホ上級大将が直々に 出迎えをしている。 後方から見ても、ヒョウ柄模様は無く、直線的な模様だけになります。 ★☆Luftwaffe March(ドイツ空軍マーチ)★☆ 機体の部品は72分の1サイズなのでとても小さく、ピンセットが必要でした。しかし、完成すると、なかなかの出来映えに満足しました。作成で最も面倒な点は、機体の塗装でした。特に塗装する順番やデカールの正確な位置への貼付でした。1/72 メッサーシュミット Bf 109 G-6“ハルトマン1943”【75998】 ファインモールド楽天で購入 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2018/10/07
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★☆ 主人公ビンセントの地球侵略者との孤独な戦いを描くテレビドラマ ★☆ The Invaders( This article is about the television series. )~ いつもハラハラ、ドキドキだった戦慄のサバイバルドラマ ~ 『 The Invaders 』・・・この英語を直訳すると、「侵略者たち」、または「侵入者たち」という意味になります。 今回ご紹介する『 The Invaders 』(日本語読みの題名は「インベーダー」)とは、アメリカABC系列で、1967~1968年の間、全43話が放送されたテレビドラマで、日本でも、1967~1971年(再放送を含め)の間、NET(現テレビ朝日)系で放映された人気の高い外国テレビドラマでした。REALISTはまだ小学生ながら、主人公デビッド・ビンセントが、人間そっくりに化けて人間社会で地球支配を策動する宇宙からの侵略者たちから絶えず命を狙われる孤独な存在であっても、人類を守るという正義のために果敢に立ち向かう姿や絶体絶命の大ピンチの時など、いつもビンセントを自分に置き換えて「自分だったらこうする」と考えながらハラハラドキドキしつつ手に汗して観ていたサバイバル風SFサスペンスドラマであり、家族みんなで楽しめる娯楽作品でした。『 インベーダー 』のイントロオープニングシーンです。『 The Invaders opening titles 』 ドラマのプロローグシーンの冒頭に出るこのドラマの表題『 The Invaders 』ですが、1975年ごろから、日本国中で大流行したコンピュータゲームの「インベーダーゲーム」がありますが、そのネーミングからも、このアメリカ発のテレビドラマによる強い影響があったわけです。 このドラマの最初のナレーション部分は、こうです!・・・・・・・「・・建築家デビッド・ビンセントは深夜に車で仕事からの帰宅途中、迷い込んだ田舎(いなか)道で空飛ぶ円盤が着陸するのを目撃します。これにより、彼は宇宙からの侵略者(=インベーダー)の存在を知ってしまいますが、その事実を誰に説明しても信じてもらえません。しかし、ビンセントはインベーダーの陰謀を追って全米各地を飛び回るわけです。そのうち、他にインベーダーの存在を知る者が現れますが、その誰ももすぐに殺されるため、ビンセントは孤独な戦いを続ける。・・・・」・・・というもので、その中で43話が展開されるわけです。 毎週何曜日だったかは忘れましたが、夜の8時前後でなかったかと思います。海外作品ですが、毎週、楽しみにして親子で観た記憶があります。 主人公デビッド・ビンセントが仕事で疲れて、人里離れた空き地で止めた車の中で寝ていると、もの凄い轟(ごう)音とまぶしい光で目が覚め、ふと前方を見ると、大きな円盤が地上に着陸するのを目撃してしまいます。ここが、このドラマの出発点です。 このドラマの宇宙からの侵略者たちの特徴は、・・・・・・人の容貌に化けているので、その外見からはまったく普通の人間と区別がつきません。ただ、死んでしまうと、瞬く間に赤く燃え上がり、あっと言う間に黒い煤(スス)状となって蒸発して消えてしまいます。したがって、死体の存在がないために、その存在の証拠が証明できず、ビンセントが侵略者の存在を必死で訴えても、他の人はほとんど信用しません。他の特徴では、例外もありますが、手の小指が伸びきった状態で、曲げることができないと言うことです。ビンセントは、この点を外見上の見分け方としていました。また、彼らには、脈拍や心臓の鼓動もなく傷ついても血が出ません。酸素が彼らにとっては猛毒であり、酸素に触れないように人の姿の全身スーツで自分の身を保護しているわけです。 地球に向かう侵略者の円盤と進行中の円盤船内から目的の地球を眺める人に化けた侵略者たちのシーン。このドラマで気になったのが、バックグラウンドミュージックでした。それは、奇妙なリズムや響きであり、それが陰気で無表情な侵略者たちを表現する絶大な効果があったようです。 このドラマでは毎回、最初にストーリィのさわりの部分からまずスタートしました。その後、いつものイントロシーンが始まります。それは、このドラマの端緒となった出来事のシーンを再現し、そのオープニングナレーションで主人公ビンセントの境遇が理解できるようになっており、その後、ドラマのさわりに続く話が展開されることになります。この様なドラマスタイルのために、毎回、新しいストーリィを初めて観る人でも、容易にこのドラマが理解できるような構成に工夫されていました。 毎回繰り返されるオープニングナレーションの日本語版の内容はこうでした!・・・・・・「 ・・・遠く、暗い宇宙の奥から、地球を目指してやって来るもの・・・それを今、私たちは、『 インベーダー 』と呼ぼう。滅びゆく星からの侵入者たち、彼らの目的は、地球を我が物にすることにあるのだ。・・・デビット・ビンセントは、とある夜明け、仕事を済ませての帰り、激しい疲労と戦いながら車を走らせていたが、迷い込んだ田舎(いなか)道で、彼ら『 インベーダー 』を目撃した。・・・この一瞬から若き建築家の人生は大きく書き換えられたのである。 人間の姿をした宇宙からの侵入者『 インベーダー 』が地球にいる限り、デビッド・ビンセントは、この恐るべき事実を全世界に訴えなければならない運命を背負ったのだ。・・・」日本語のTV版です。このさわりの部分が終わると、いつものイントロシーンが始まり、日本語のオープニングナレーションを聞くことができます。これは、1967年2月に放映されたものです。この「脅威の核爆弾」は、続きもYOUTUBEにあるので、興味ある人はどうぞ!『 インベーダー 「脅威の核爆弾」 1 』 写真は、主人公デビッド・ビンセント役を見事に演じた俳優ロイ・シネスです。日本のテレビでは、その声優は露口茂氏が演じました。このドラマの制作総指揮はクイン・マーチン、制作は、アラン・A・アーマー、音楽は、ドミニク・フロンティアが担当しました。とにかく、ドラマに流れるシーンごとに合わせた音楽の独特な雰囲気が醸し出す効果は凄いものがあります。これまた日本語版での雰囲気あるナレーターは、加藤和夫氏です。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/05/23
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☆★ 映画「硫黄島からの手紙」 ★☆ Letters from Iwo Jima ★☆映画『硫黄島からの手紙』について☆★ この映画は、クリント・イーストウッド監督と『プライベートライアン』製作のスピルバーグによる『父親たちの星条旗』に続く、硫黄島2部作の第2弾です。日本の最南端にほど近い太平洋に浮かぶ東京都小笠原村硫黄島は、東京の山手線一周ほどもない小さな島に過ぎませんが、1945年2月当時は、アメリカ軍の本土攻撃を食い止める最期の砦として重要な拠点でした。アメリカ軍は当初、上陸前の徹底的な航空爆撃と戦艦の艦砲射撃で陸上構築物を破壊殲滅するとともに、圧倒的な航空戦力、海上戦力、上陸戦力の違いからわずか5日間で簡単に陥落できると豪語したわけですが、予想を遙かに上回る日本軍の激しい抵抗によって激戦は36日間にも及んだわけです。 1944年6月、硫黄島日本軍守備隊司令官として着任したアメリカ駐在武官の経験を持ち、親米派でありながらアメリカを最も苦しめた指揮官として知られる知将・栗林忠道中将が家族に宛てた手紙をまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』を基に、本土防衛最後の砦として、死を覚悟しながらも一日でも長く島を守るために戦い続けた男たちの悲壮な最期を見つめ、その人物や苦悩に焦点を当てながら、戦争の愚かさ、無念さ残酷さを見事に描いたものでした。届かぬと知りつつも家族への思いが綴られた数百通の手紙が、戦後61年が経ち洞窟の地中から発見されるシーンがその物語のプロローグに使われ、最後のエピローグにも再び登場しています。 ★☆ 『 "Letters from Iwo Jima" - Clint Eastwood Segment 』 ★☆ ★☆鑑賞結果・感想★☆ 本作品は、戦争映画にありがちな戦闘シーンそのものよりも戦場に置かれた兵士達の苦悩や戦争の悲惨さというものを痛切に考えさせられるものでした。この作品は、世界中に公開されるアメリカ人のクリント・イーストウッド監督によるハリウッド製の作品でありながら、全編日本語が使われています。したがって、アメリカや他の国では英語の字幕が出るそうです。既に毎年アカデミー賞までの賞レースの先陣を斬って発表されるナショナル・ボード・オブ・レビュー賞(“アカデミー賞につながる賞”として評価が高い)では、「最優秀作品賞」に選定されています。 細かい当時の時代考証も相当に研究し尽くされているのには驚きました。当時、一般の警察もが恐れていた警察の上の警察であったスパイや反国家思想分子摘発に目を光らせていた憲兵隊のパトロールシーンやその振る舞いや態度、兵士の服装の細部、機関銃などの使用武器、戦中の日本家屋や看板、一般人の服装、千人針の習慣等々、戦後は消えてもう目に触れることのないものまで見事に再現されていました。おそらく、実際に使用された実物を基に再現したものだろうと思います。 一番驚くべきことは、アメリカ人の作品でありながらも日本人の立場から描かれている点なのです。これまでは、先の大戦の戦勝国アメリカの作品であれば、当然に敵であった日本軍やドイツ軍を表現する場合、「アメリカ軍が正義の軍隊で英雄(ヒーロー)ばかり、敵軍の日本軍やドイツ軍は残忍で醜くくすぐに負ける弱い軍隊」として強調され表現された偏ったものでした。しかし、クリント・イーストウッドは、一方の視点ばかりでなく、敵方の視点や立場にも立った公平な感覚で冷静に戦争の悲惨さや戦争犠牲者に対する敬意を表し、戦争反対を訴えたものであり、その意味でも見事で革新的な作品でした。見終えた直後は、「男たちの大和」で母親を呼びながら死んでいった可哀想な若い兵士達のシーンを思い出してしまいました。 ★☆「硫黄島の戦い」の概要★☆ 1945年2月19日にアメリカ海兵隊が上陸を開始、3月26日になり日本軍の組織的戦闘は終結しました。日本軍は20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死しました。一方、アメリカ軍は戦死6,821名及び戦傷21,865名の損害を受けました。太平洋戦争後期の島嶼防衛戦におけるアメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦闘でした。 ★☆クリント・イーストウッド監督のこの映画に対するコメント(抜粋)★☆『数年前に元となる本(『「玉砕総指揮官」の絵手紙』)を読みました。(スティーブン)スピルバーグに話して、映画化の権利を買ってもらったのです。そしたら「監督しなさい」と勧められました。映画を撮ることになって、まず行ったのは1945年の戦況を調べることでした。硫黄島の戦いでは日本側のユニークな防衛に興味を持ち、(渡辺謙が演じた)栗林という実在の兵士の人間性を知りたくて日本から本を取り寄せ、もちろん翻訳したものですが、読みました。その結果、アメリカ側、日本側に似通ったものがあると知りました。若くして人生を終わらせてしまった人がいることは共通しています。多くの霊が眠っている硫黄島。追悼と敬意を表し、戦争を知らない若者たちに伝えたい。』『大事な歴史の一部である「硫黄島の戦い」を正確に描くということは非常に大事なことでしたし、両側でたくさんの命が失われたことを、彼らへのトリビュートにしたいという気持ちがありました。映画の中で栗林中将がみんなに言う「何年も経ったら君たちのことをみんなが思い出し、そしてあなた方の魂を祈ってくれる」というセリフがあります。私たちに忘れてはならないと言っている、とても大事な言葉だと思います。国のために戦い、そして死んでいった人たちがいることを忘れてはならないと思います。彼らの大半が若い、子供のような青年たちだったと思います。二宮さんや加瀬さんが演じている兵士がまさにそうで、それはアメリカ側も日本側も同じだと思います。硫黄島では2万1000人の日本兵士が命を落としています。これは非常に大きな数字であり、我々はそのことも忘れてはいけないと思います。単に敵に殺されただけではなく、硫黄島という土地柄、飢えや水不足、そして病気から死んでいった人も多くいます。この映画は戦争の空しさというものを描いていますし、両サイドとも勝者や敗者というものではありません。やはり犠牲となった若者、これが一番忘れてはならない事実だと思います。』 『日本側は守備の立場でしたが、あの島に行った兵士たちはもちろん生き残って国に帰りたいと思ったでしょう。でも最初から帰ることはできないと覚悟して行った人たちです。私は彼らの気持ちや死を覚悟するとはどのようなことか共感できず、出来る限り日本兵の気持ちになろうと一生懸命自分で勉強し、共感できるように持っていきました。2005年4月に硫黄島へ行ったとき、島を歩いて本当感動しました。多くの母親があの戦争で息子を失ったのです。それは日本側もアメリカ側も同じです。ですからこの映画はどちらが勝った負けたの映画ではないのです。戦争というものが、特に若い人たちの人生を中断させ、あるいは人生を失わせて、どういう効果・結果を及ぼしたかを描くことが日本側のポイントです。』監督: クリント・イーストウッド 製作: クリント・イーストウッド スティーヴン・スピルバーグ ロバート・ロレンツ 製作総指揮: ポール・ハギス 原作: 栗林忠道 『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫刊) 吉田津由子 (編) 原案: アイリス・ヤマシタ ポール・ハギス 脚本: アイリス・ヤマシタ 撮影: トム・スターン 美術: ヘンリー・バムステッド ジェームズ・J・ムラカミ 衣装デザイン: デボラ・ホッパー 編集: ジョエル・コックス ゲイリー・D・ローチ 音楽: クリント・イーストウッド ★出演★: 渡辺 謙 ~「栗林忠道中将」役 二宮和也 ~「西郷」役 伊原剛志 ~「バロン西(西竹一中佐)」役 加瀬 亮 ~「清水」役 松崎悠希 ~「野崎」役 中村獅童 ~「伊藤中尉」役 裕木奈江 ~「花子(西郷の妻)」役 「劇場情報」はこちら!ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2006/12/16
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★☆ 悲しい美女の呪いの伝説が残る『 姫山 』 ★☆ ~ 山口県山口市大内(おおうち)姫山 ~ 『 姫山(ひめやま)』は、山口市大内にある『 姫山美女伝説 』で知られる標高199mの里山、四季を通じて川面に優美な姿を映し、地理的にも三田尻や陶、嘉川方面から山口方面に向かう旧街道を見下ろす要地として、その昔は城若しくは砦(とりで)が築かれていたと伝わる山で、付近には、国立山口大学吉田キャンパスが位置する。 REALISTの5月29日(火)登頂の記録。標高は低いものの、春山で登山道が荒れて極めて登りにくい山だった。山口市内大内北部にある『 金成山 』山頂からREALISTが撮影した『 姫山 』。山腹に見える白い四角形は、テレビ山口の電波反射板。 右手に「姫山」のある川沿いの道を進むと、石の鳥居(とりい)のある登山口に至る。姫山伝説」が書かれた看板、付近に軽自動車1台分の駐車場がある。『 姫山美女伝説 』・・・その昔、殿様が美女を見初めて、無体な恋慕をよせ、殿中に捕らえ入れて想いをとげようとしたが、美女は節操深く殿様の邪意を受け入れなかった。殿様は美女を縛って城の井戸に釣り下げ蛇(へび)責(ぜ)めにした。美女は悶え苦しみ、美しく生まれた身のつらさを、二度と後々の女性にさせぬため「この山の上から見えるかぎりの土地では、永久に容色兼英の女性は生まれぬように」と悲しみ悶え死んだという。姫山の名はこれに由来するというのである。崩れかかった階段がしばらく続く、この辺りはまだまだ登りやすい。 傾斜角の急な整備の良い階段が続いた。やがて、ゆるやかな階段に・・寺跡に到着、広い敷地に壊れた灯篭、新しい祠がある。寺跡に残る手を清める石鉢と水をたたえた池の跡。 寺跡から望む山口市大内方面、昔の寺の僧はここから観ていたのだろう。寺跡の奥を進むとシダ類の草が伸び放題、歩きにくい、草をかき分けて進む。まもなく、巨大なテレビ電波反射板出現!昭和44年設置と記載あり。木々の間を進む、右手の木の枝に赤色テープ確認! 急斜面の藪(やぶ)の道にロープあり、握りしめながら登る。 背まで伸びた草の中の道は、蜘蛛(くも)の巣だらけでストックで払いつつ進む。 進路をふさぐ折れた木。何か巨大な魔物に引き裂かれた様な木々が・・・。 奇怪な周囲の木々の様子がなんとも異様だ。赤いテープを確認。 まだ続く・・ここから早く抜けたい!何故か、この辺りを歩くと背筋がぞっとする恐怖心があった。 また、目の前に根元から引き倒された木が、「ここから入るな!」と・・・やっと、まともな林道に脱出!やれやれ、頂上部分だ!明るい空!・・ん?鐘の様なものがある!落ちていた『 姫山 』の標示板と三角点。 山頂ポストがある、休憩用の丸太椅子に蜘蛛の巣排除で活躍したストック。山頂からの眺め、山口市内の中園町方面、NHK山口、市立図書館が見える。 ここで、簡単な食事を済ませたが、一刻も早くここから逃げ出して下山したい気分だった。こんな陰気な空気を感じたのは初めてだった。登りの倍の早さで下山した。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/11/06
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★☆ 第2次大戦後期に最も活躍したドイツ軍・IV号戦車H型 ★☆ PamzerkampfwagenIV Ausf.H ~ IV号戦車シリーズの集大成~ この作品は、「PamzerkampfwagenIV Ausf.H(ドイツ軍・IV号戦車H型)」(戦車兵1体、シュルツェン、スペアキャタピラー(48枚)付、TAMIYA、1/35スケールモデル)です。Box Art (By Tamiya)★☆『German War Files - Panzer IV Heavy Tank』★☆ ☆IV号戦車の変遷とH型について★ IV号戦車は、1935年、ドイツのMAN社、ラインメタル社、クルップ社の試作車をクンメンスドルフ試験場でのテストの結果、クルップ社のデザインが採用され、まず、1936年にIV号戦車A型が生産された。1937年には改良型のB型、続いてC型、翌年にはD型と少数づつ生産された。これらの戦車は、ポーランド戦において実戦に投入され、E型が実戦の教訓から改良修正された最初のIV号戦車であった。主な改良は、装甲の強化であり、追加装甲板が取り付けられた結果、前面装甲は60mmに増強された。1941年6月22日、ソ連軍との戦闘が始まり、ここでドイツ戦車部隊は、初めてソ連の誇る重戦車KVー1、KVー2、Tー34中戦車と遭遇し、この強力な敵を相手に苦戦を強いられることになった。これに対抗すべく前線からの要求を受けて当時生産中のIV号戦車F1型からそれまでの短砲身の75mm砲から装甲貫徹力を増した長砲身43口径75mm砲を装備したF2型が登場したが、対ソ戦向けにはさらに車体と操縦室前面に30mm増加装甲板をボルト止めで防御力が強化された改良型のG型が投入された。1943年4月から生産が始まったH型は、主砲を43口径からさらに強力な48口径75mm砲40型となり、装甲も増強されて、前面装甲は80mmに達した。また、「シュルツェン(前垂装甲板)」と呼ばれる厚さ8mmの補助装甲板が砲塔の周囲を5mmの装甲板が車体の側面を取り囲んでいた。後にJ型も生産されるが、IV号戦車シリーズの集大成であり、1944年7月までに3,774両が生産され、4号戦車全生産数1万両の中でも最多であり、ヨーロッパ、アフリカ、ロシアとあらゆる戦場で活躍した。IV号戦車は、大戦初期では主力戦車のIII号戦車の火力支援戦車として、タイガー、パンサー戦車の登場後の後期でも主力戦車として、改良に改良を加えて長期間にわたり使用された。・・なんと、第2次世界大戦後の第1次中東戦争中の1967年6月9日、シリア軍がイスラエル軍との戦闘で使用遺棄した1943年クルップ社製のH型が発見されたのは有名な話である。主要諸元は、エンジンは出力300馬力のマイバッハ水冷V12エンジン、前面装甲は80mm、重量は25トン、最高速度は38km/hである。 ★ 作品について ☆ 歴史考証から、このH型は1943年4月以降から生産されており、この年の2月18日以降は軍通達により、ドイツ軍の車両の基本塗色はそれまでのジャーマングレイからダークイエローに変更されていることから、ダークイエロー1色(ダークイエローを基本色で迷彩も可)で塗装した。シュルツェンは、砲塔の周囲のみを装備して、車両両側面用シュルツェンは、(戦闘等で外れたり取り除いた車両も多数あったため)取り付けなかった。ドイツ軍で多用された予備キャタピラを活用した防御力強化は、多くの活用事例の写真を参考にして砲塔上部、車体前面、車体後部に設置した。(キャタピラの小さな1片は重量が40kg位もあるらしい。)砲塔後部シュルツェンに、所属の師団マーク「第1SS戦車師団」を貼付した。 ☆ 感想 ☆ この戦車キットは、洗面器、バケツ、ジェリ缶、工具、牽引ロープ、斧、スコップ、予備キャタピラ、シュルツェン等の細かい車載装備品も多数あり、組み合わせ方によっては数種類のバリエーションを楽しむことができるのがとてもいい。戦車兵の顔立ちもきめ細かく、塗装のテクニック次第ではさらに一層のリアルさを演出することが可能だと思う。史実に忠実なリアルさを追求するには、もはや現実には存在しない本物(少数はまだヨーロッパ、アメリカの博物館に現存)では当然無理なので、大戦当時撮影された現存写真等多数を参考にした。装甲強化や可能な限りの改良を加えたのが4号戦車H型です。大戦後期にパンサー、タイガーと共に活躍しました。 1/35 ドイツ IV号戦車H型 (初期型)【35209】 タミヤ楽天で購入 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2006/09/30
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