remoremoと★きらきらひかるもの★
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おひさしぶりです。ずいぶんご無沙汰です・・実は5月31日の早朝に同居していた義母が亡くなりました。前日の夜まで元気だったんです。。。どうして?どうして??心の中で今も叫び続けています。朝5時にトイレに行こうとしたのか・・突然倒れ意識を失いました。義父の義母を呼ぶ声で目が覚めました。私たちも「おばあちゃん!おばあちゃん!!」って呼んだけど反応がないんです。救急車で病院に搬送。。心臓マッサージを1時間以上していただきましたが、戻ってきませんでした・・医師から「もうこれ以上は・・あとは家族でお別れをする時間にしたいと思います」といわれても何のことだかわからず・・呆然としたまま、義母の手を握っていました。声をかけることもできませんでした。ぼーっとしながら、義母につながれたモニターの脈拍数を眺めていました。倒れて、たった2時間で、もう会えないところに逝ってしまいました。あの時「おばあちゃん、頑張って!!」って声をかけたら戻ってきてくれたのかな・・・と今も後悔しています。あまりに突然のことで、私は何もできませんでした。手を握っていることしかできなかったのです。人工呼吸器をはずされ、「7時6分でした」と医師から言われても涙も出ず。。。夢の中にいるようでした。義父、私たち家族は最期をみとることができました。通夜、葬儀とバタバタしていたので、気持ちがまぎれていましたが、少しずつ、元の生活に戻る中。。淋しさと悲しみでいっぱいです。いつもと同じ生活なのに、おばあちゃん(義母)だけいない・・・前日まで元気に笑って話したのに。。最後の会話は、休憩中に家に戻った私におじいちゃんの愚痴を話し、「そろそろ行くね~」という私に「気をつけてな~」でした。私の代わりに全部家事をしてくれてた義母。。休みの時に手伝おうとしても「Remoちゃんはしなくていいから」って。。今、私が家のことをしていますが、何をさわっても義母の愛用していたものばかり。亡くなった時より今の方が、ずっとずっと悲しく辛いです。通夜の前夜、通夜の晩。。の二晩、ずっと眠ってる義母の傍について線香のお守りをしていました。前日まで「現役バリバリ主婦」だった義母の顔は、ふっくら綺麗で優しくて、眠っているようでした。私も子供たちも何度も何度も「またまた起こしてごめんね~」といいながら白い布をめくっては義母の顔を見ました。「よく寝たわ~」って今にも起き上がりそうな、いつもの顔でした。亡くなった晩は私ひとり、通夜の晩は子供たちとついていました。通夜の晩、私たちしかいなかったから、みんなで「おばあちゃん」と話しました。いままでの思い出、感謝、育児、家事までおばあちゃんにしてもらったことも「ごめんね..ゆっくりさせてあげれなくってごめんね」って謝りました。子供たちと私、たくさん泣きました。長男ち~が「おばあちゃんは、僕のもう一人のお母さんだったよ」って義母に語りかけてました。本当にその通りでした。たくさん泣いて、しっかり「お別れ」できたので、葬儀では泣かずにお別れできました。なのに、今が本当に悲しくて悲しくて。仕事も少しずつ復帰して、家のこと自分のことでバタバタしてるんだけど、気分の浮き沈みが激しいです。大切な人を亡くすっていうのは、こういう事なんですね。暗くなっちゃいましたけど(^^;)何にもできない「ダメ嫁」だったけど、本当に義母には優しく大事にしてもらいました。義母は自分がワンマンな夫、舅・小姑で苦労してきたので、私には本当に優しくしてくれた。前日もワガママな義父にガミガミ言われてた。。。義母の人生・・幸せだったのかな。。好き勝手なことばかりしてる嫁のremoremoの事、どう思ってたんだろう??「いい時代になったな~」って思ってたのかな。。16年間一緒に生活してきました。毎朝子供たちを学校に送り出した後、おじいちゃんとおばあちゃん、私の3人で喫茶店にモーニングを食べに行ったよね。。もう行けないんだ。。嫁・姑の間柄だったけど、自分の母と同じように、本当に大好きでした。もう会えないんだな・・・
2006年06月11日
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