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31日、日曜日は我が小学校の体育館で一日中練習試合をしていました。 我がチームには他のチームが到着する前の7時50分に集合するように言ってありました。昨日の午後に練習会をしていましたので、ネットもそのまま張りっぱなしにし、点示板も出し、お茶セットや指導者の昼食用のテーブルなども出したりしておおよその準備は済んでいました。後は靴を脱いでおいておくためにシートを敷き、ストーブやジェットヒーターの設置などをするだけで良いようにして昨日は解散しました。 集合時間にはみんなが集まり、Kチームも隣の町からほどなく来場。そして間もなく、石川県からと富山市からと本日の練習会参加チーム全チームが集まり、準備運動を兼ねてそれぞれのチームがアップを開始、9時半ぐらいから1セット回しの練習試合をして行きました。我がチームは下級生チームに加えて6年生チームも、下級生が構成する4チーム相手に一日中参戦してくれていました。次々とたくさん練習試合をしたおかげで、夕方にはどのチームもずいぶんと試合に臨む姿勢が強化されたようで、実り多い一日になったようでしたよ。 今日の練習会は会場は我がチームの小学校を使ってもらいましたが、Kチームが呼びかけて実現したものでした。いつもKチームにはお世話になりっぱなしで、こんな時こそ出来るだけの事はしなければと思うのですが、したことと言えば、せいぜい試合ができるようにコートを作り、お茶の準備をしたくらい。練習会の進行やお客様チームへの接待なども、ほとんどKチームでやって下さり、結局今日の練習会もどっぷりとKチームにお世話になった形になってしまいました。そのKチームの保護者では、参加者全員に温かいみそ汁を振る舞われ、指導者にはみそ汁に加えておかず数品も用意してくれていました。 遠くから駆けつけてくれたチームに、このように「練習の相手になってくれて、ありがとう!」という感謝の気持ちをこの接待で表わしているのですね。 こんな練習会や各大会は、親にしてもいろいろ見習う事は多くあるものなのですね。子どもも親もそして指導者も、自分たちで練習しているだけでは得られないものを、こういうところへの参加で他のチームから習うことが出来るという事。どういう形であれ、“井の中の蛙”状態からは子どもも早くから脱皮すべきなのですね。 今日の病院行きは日中の試合中にちょっと抜け出して行って来ました。届け物が早く欲しいと朝早くに電話があったのですが、行ける状態になったのはお昼近くでした。届け物をさっさとおいて、りえばぁはまた会場に戻りました。あきじぃは昨日より行動範囲が広くなったようで、今では病棟を出てラウンジで過ごしたり、自販機でお茶やコーヒーを買ったりして飲んでいるようです。こんな忙しい時は無理に来院しなくて済むようになって、りえばぁも少し気が楽になって来ましたよ。
2010年01月31日
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土曜日。午前中は月曜日の書道教室に持って行く今月の規定(課題)を書いていました。りえばぁの受けている科目(~の部と呼んでいる)は、楷書、行書、草書、仮名、隷書、現代文体(漢字仮名交じり)の6つです。書道教室は月に3回あり、1回2時間。だいたいは第1、第2、第4の月曜日に行っています。今度の月曜日は2月の第1回目ですので、1月最後の教室で渡された課題をまずは書いて行き、それを先生に直してもらい、それを元にそこで書いたり家で書いたりして第2回目に持って行き、また直してもらいます。そうして第3回目の日にその月の分の清書を提出して審査を受け、級や段をもらっていくというそんなどこにでもある教室のやりかたになっています。教室には8人の生徒と1人の先生(60代になったばかりの女性)がいて、和気あいあいに練習をしているのですが、ここに2月から男性が1人加わることになって生徒が9人になるようですよ。再々紹介させてもらっていますが、この生徒8人のうち、4人はもうすでに師範代になっていてそれだけでも優秀な教室と行った感じを受けると思いますが、師範代にも格があるようで、それぞれの科目で師範精、師範妙、師範佳と3つがあり、4人の方はそのほとんどを最高の師範精をとっておられるのです。中にはその科目によって、最高までいっていないところもあるようで、それに向かっての練習や、後はもっぱら自分を磨くために競書に提出しているという感じではないかと思っています。 一番長い人で18年ほどで、その方は雅号ももらい、この会のお手本などを書く理事という役にもついているようですよ。こうした一般の師範という資格の上には、専門師範の部もあり、そこには臨書を勉強して行くための「天」、「地」という格が設けられています。臨書も「漢字臨書」「かな臨書」とあり、「一字書の部」というのも勉強できるようになっていて、他にも「漢字条幅」「かな条幅」と見上げれば首が痛くなるほど、上には上があるのですね。「今より少しだけ上手になればいい!」 と軽く思って通い始めた書道教室・・・・・熱心な皆さんに引っ張られて、だんだん深みにはまって抜けられないような、そんな感じでいるところです。 今から18年・・・お・お・お・お~~~~おーまいがっと!どこまで進級できるでしょうかね。 kenがこの漫画本をプレゼントしてくれました。 これは第6巻ですので、その5巻までも見ていることになるのですが。 寝ていた枕元に「プレゼントです」と書いたメモと共に置いてあったのですが、これが今HHKでテレビ化されて何曜日かに放送されているようですね。漫画とはいえ、これがなかなか勉強になるんですよねぇ。専門的な事も書かれていますし、第一ここに載っている書は本物の先生による作品ですし、このドラマで指導されている方はあの著名な書道家石飛博光先生だということですから、ドラマも見てみたいという気持ちなのですけどね。ずらずらとバックミュージック的にかけている画面からはそれが見あたりませんのです~。 ----------------------午後からはスポ少の練習会でした。明日は我が小学校のこの体育館で県内外のチームと1日練習会をすることになっています。コートが2面必要のため、そのコートづくりから始めなければなりませんでした。ちょうどKチームに修業に行っていた6年生が来てくれて、その6年生にも手伝ってもらって準備をしていました。コートを作り(テープを貼って)、ネットを張ったところで、下級生の練習の指導は6年生に任せ、りえばぁと軽い肉離れを起こして練習を自粛している1人の子でそのあたりを掃除したり、用具を出したりとその間は終始明日の準備に専念していました。6年生が下級生に教えている様子をちらちら見ていたのですが、これがなかなかどうして立派なものでしたよ。一年前はこの下級生と同じだったのにと思いながら、今更ながらこの1年間の成長ぶりを驚き、嬉しい気持ちでいっぱいでいた私でした。
2010年01月30日
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金曜日の日記を書いておきます。早く出勤する人がいない事もあり、りえばぁは近頃ずいぶん遅く起きるようになってしまって、今日もずいぶん遅くまで寝ていました。あきじぃが入院してからはその起床時刻はたいてい7時半過ぎが多いですからね。お婆ちゃんが廊下をぱたぱた歩く音で、「ああ、朝ご飯が食べたいのだろうな!」と思いながら、もう5分、もう5分と寝ているのです。 起きられないと言うより、もう少し寝ていてもいいかとその後にすることを計算し、合点して寝ているわけ。 近頃のりえばぁ、早くも寝ているのですよ。夕べもその前の夜も11時過ぎにはグースカ寝ていましたし、睡眠不足では決してないのです。人間って、楽なことはすぐに慣れるもので、そのうちあきじぃが退院した暁には、この悪い習慣がすぐに直る物かと心配しているところでもあります。今日は起きてからはお婆ちゃんに食事をしてもらい、急いでディーサービスに行く支度をしてもらっていました。お婆ちゃんは一時より温かくなった今日の日も、着る物は山のように多く、見かねて2枚ほど減らしましたが、ほっとくとその姿は人を大いに驚かせるほど着ているのです。迎えに来られた施設の人も、2枚剥がされてもまだだるまのように着ぶくれしたお婆ちゃんを見て笑顔を見せていました。そして着ぶくれで足下が見えないお婆ちゃんの手を引いて車に乗せていました。シートベルトをかけるにも苦労していましたね。 お婆ちゃんを送り出してからは、久しぶりに書道の練習をしました。書道に対する今年の目標も掲げているのですが、あきじぃの事や一気にのしかかってきたスポ少の事もあり、なかなかゆっくり練習する時間を取れないでいました。毎日数枚でも書いていこうと決心したにもかかわらず、筆を持てない日が続き、それが少しストレスになって来ているように感じていました。まあ、りえばぁの書道は、それが上達したところで趣味の範囲にしかならないのは分かっているのですが、この年齢になると何年かかろうが・・・などと悠長なことは言っていられないとも思ってしまうのですね。自分でやろうとして、やりかけた物はある程度目処をつけられ、自分で納得してでないと止められないというのがこのりえばぁの性分なのですね。 ----------------------午後からは早々に家を出て、病院に行って来ました。お婆ちゃんの帰宅を迎えるため、病院には長くいませんでした。 あきじぃもこの1~2日の間で、車いすに乗ってリハビリセンターや病院中を自由に動き回れるほどになりました。それがリハビリの第1歩のようですが、そのおかげでトイレも歯磨きもその場所に行ってできるようになり、他の身の回りの事もほとんど自分で出来るようになりました。私が忙しくて病院に行けなくても、物が不足したら売店まで買いに行くことも出来ます。少なくても、困って大変だということは無くなって来たようで、これでまずは一段階、や二段階ほど快方に向っているように思います。みなさんにはいろいろご心配を頂いていて、感謝しているところです。あきじぃの今はこんな状態だということでここでご報告しておきますね。 ---------------------夜はスポ少の練習会でした。今日は我が団だけで主たる活動場所である小学校の体育館で、いつものように練習していました。明日は午後から。そして日曜日は、この我がチームの体育館でKチームが招いた県外チームと終日練習試合をすることになっています。身のある練習を少しでも多く、そして練習試合や公式試合など実践を交えた交流試合の経験も一つでも多くしていくことで、我がチームもそれなりのチームになっていくものと思っています。
2010年01月29日
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28日木曜日の日記を書いていませんでした。相変わらずですね。 木曜日は仕事。山の方面まで行って来ました。このところ雨がちょこちょこ降っている富山県でして、その雨や風が雪を溶かしているようです。我が家の辺りの田んぼはすぐにでも春作業が出来るのではないかと思わせるほどになっているのですが、今日行った山の方ではまだまだ真冬って感じですね。そういう事もあるのかもしれませんが、その山の方面の方たちの会話からはのんびりと家の中でコタツに潜って過ごしているような雰囲気がありました。件数は少なかったのですが、時間を指定される方がいて、結局今日も30分ほど残業になってしまいました。 ----------- 家族が1人、それもあきじぃという太陽と共に起きて寝てと一日をしっかり刻んで暮らしている者がいない我が家は、食事にもそれほど力を入れる必要も無いようで、今は買い物もほとんどしなくて済んでいます。りえばぁは毎週1回、生協の共同購入を利用していますが、それさえもあきじぃが入院してからは特別に注文をすることを止めています。定期的に購入している牛乳、豆腐、納豆などは運んできてくれてはいますが、それも残るようになって来ているのですよね。冷凍庫、冷蔵庫の中はなかなか減らず、その上お歳暮などで頂いた食品もあり、買い物などすると大変な事になります。あきじぃは麺類が好きで、朝から夕方まで三度食べても良いと言うくらいの人。怪我の前に買っておいたうどんやそばがたくさんあって、この2週間はその処分に大変でした。お婆ちゃんもこのりえばぁも麺類をあまり好みませんし、kenは食事時間が不定期なため、あらかじめ作っておくこともできませんしね。鍋に入れたり焼きうどんにしたりして、やっと片付けましたよ。 ところで、病院でのあきじぃ、ベッドの上での生活のため、食事も出された量でもう満腹といったところのようです。あれもこれも食べたいだろうと思うのですが、それだけで十分と言うのですね。人間、動かないと食欲も湧かないようです。病院では時々栄養士さんが患者さんを周り、食べたいものをリクエストしてくれるそうです。あきじぃはすかさず、「うどんかそばを!」とお願いしたら、さっそくその夜は麺類が運ばれてきたとか・・・・・。今時の病院、なかなか親切な取り組みをされているものですね。 昨日(29日)午後、病院に行ったらベッドが空でした。しばらく待っていたら戻って来ましたが、車いすに乗って今日初めてリハビリセンターに行って来たところだとの事でした。松葉杖を作るためにその採寸と、先生による診察。骨の具合に寄っては当初予定の1ヶ月より先に伸びるかも知れないと言われたと困っていました。例年2月末からは春作業が始まっていますからね。いくら私やkenが手伝おうと、あきじぃにしか出来ない作業もありますから、それらが出来ないとなると別の事を考えないとならないからなのですね。よりにもよって、今年は転作田は一枚もなく、我が家所有の田んぼ全てを耕作することになっていますので、これまた大変な事です。無理なことをすると、一生涯に亘っての障害を残す事にもなるかもしれませんから、それは絶対避けたいですし・・・・・。出来ないとなると、近所の大きな農家に耕作をお願いすることになるかもしれません。 まずは後2週間あまりの回復の状態を見て判断と決断をするということになるでしょう! 怪我だけは一生懸命あせってリハビリしたって治りが早くなるわけでもないでしょうから、まあ、“なるようになれば”という気持ちでいないといけないでしょうね。 ----------------夜はスポ少の練習会。お隣の町の体育館に行き、Kチームと一緒に練習してきました。今日は我がチームのメンバー7人が揃って参加でき、両チームの6年生たちと合わせて計40名ほどがわいわいと元気よくボールを追いかけていました。
2010年01月28日
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水曜日と言う日は、案外のんびり出来る日なのですが、今日はあっという間に過ぎ去って行った感じでしたね。まずはお婆ちゃんをディーサービスに送り出し、その後は家のことや書類整理などで忙しく、気がついたときはお昼を過ぎていました。今日が休みのkenを起こし、一緒にお昼を食べ、4時に帰って来るお婆ちゃんの迎えを頼み、りえばぁは家を出ました。最初に行ったのは郵便局。そこで年賀はがきの当たりをもらい、余ったはがきと書き損じのを切手に変えてきました。それから予約していたカイロプラクティックに行き、銀行を経由して自動車修理工場へ。今日はあきじぃの田んぼベンツ(軽四)に乗って出かけていましたので、雪で曲がったワイパーを乗って出たついでに直してもらいました。修理工場の人の手によって、ペンチでちょいちょいとあっという間に元に戻ったその田んぼベンツでそのまま走らせ、あきじぃのいる病院を覗いて来ました。しばらくいたらリハビリの先生が来られ、あきじぃの足の様子を見て曲げたり伸ばしたり、さすったりいましたが、今はまだその程度で本格的なリハビリは抜糸が全部済んでから行うということのようでした。しばらくは、車いすに乗って病院を散歩するようにと勧めていましたが、そのうち松葉杖デビューも近いような事も言ってられましたね。 ところであきじぃの今入っているところの病棟は本来の整形外科病棟ではなく、何か深刻な患者もいるようなところです。あきじぃの部屋の他の3人の方もそんな雰囲気の元に、それぞれカーテンで仕切られた自分のスペースの範囲でその病気と向かい合っているように感じます。あきじぃは自分のスペースを囲っているカーテンが鬱陶しいようで、半分しか閉めていないのですが、その向こうでは点滴をずっと打っている人や、食事をしていない人の様子も垣間見られるのですね。足だけしか問題がない元気な患者あきじぃには、この部屋にいることだけでも修業をしているようなものではないかとりえばぁも感じているところです。病院というところ自体敬遠したところなのに、このような病室にはりえばぁ自身にも居心地が悪く、用事を済ますとさっさと退散したいのが本心で、帰りがけに「がんばらっしゃい!」と言い残してくるのもそういう意味も含めてのこと。あきじぃも承知していて、笑ってバイバイしているのですが、病院の中の世界を見ているだけで世の中、何が幸せかというと何をおいてもやはり一番は“健康”としか言いようのないことを実感するのですよね。 町の医院に通うくらいならそれほどの負担はないのですが、家族の誰かが入院となったらたちまち家の中の時計が狂ってしまうと言うのがどこの家でも常でしょうね。でも、生身の人間の身体に、時にそんなこともあり得ることを普段から家族が思い、寄り添って助け合って暮らしている家庭の中においてでも、それぞれ自立して過ごす事が大切ではないだろうかと感じている今日この頃です。 ------------------私の友人でお世話になりっぱなしになっているあの中村勇さん(朝顔博士)がこの度素晴らしい賞を受賞されました。新川経済倶楽部の第27回新川地域発展賞で地域の発展に寄与した人として表彰されました。地域の人に夢を与えた人をと選び毎年表彰をされているようですが、そこに今回我らが中村氏が選ばれたと言うことです。これは大変喜ばしい事ですね。全国の皆さんにも私からもここにご報告して、今後ますますのご活躍を祈りたいと思います。中村さんからは私の「おめでとう」のメールのご返事に、今も元気で黒部市にいる朱鷺を添付して来てくれましたよ。
2010年01月27日
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26日、火曜日は仕事でした。今日の県内の天気は小雨模様でしたが、だんだん良いお天気になって来ました。あの13日の夜、一晩に60センチも積もり、92歳にして「こんなに降ったのは生まれて初めて!」と驚かせた雪も、お日様の力と雨や風のおかげですっかり消えました。もう田んぼの稲カブさえも見えているのですよ。ですが、今日行った我が地区の山の方面はまだ道路だけしか地面が見えていないといったところ、田んぼはまだまだ雪深い奥底にあるようでした。同じ町内ながら6~7キロのちょっとの差でこんなに違うのだと今更ながら驚いて来ました。仕事先は同僚のみなさんの分も引き受けたにも、それはりえばぁのマイペースで進めることが出来ました。たくさんの訪問先があったのですが、1時間程度の残業だけで済みました。 ----------- ところで、平成22年用お年玉付き年賀はがき・年賀切手(くじ付)当選番号が発表になりましたね。 新聞紙上で見あたらないというお客様がいらっしゃいましたので、局から配布のを渡してきました。次のWEBサイトからも確認できよるようですが、下記に載せておきますのでご確認下さい。 www.yubin-nenga.jpあなたにもしかして何か良いものが当っているかも知れませんよ。 A組・B組・C組共通1等(下6けた) 9754242等(下6けた) 630838、 446722、 2596683等(下4けた) 09774等(下2けた) 52、 00 カーボンオフセット年賀限定C組限定賞(下5けた) 27520 りえばぁには300枚ほど届いたうち4等が8枚ありましたよ。 ------------------週に数回あるスポ少の練習会のうち、今日からは月曜日に変えて火曜日にKチームの練習場所に行って一緒に行うことにしました。いつもと違ってちょっと頑張らなければならないところは、その場所が隣町の小学校であること。そして、始まりの時間が夕方5時からとずいぶん早いと言うところです。行きに15分ほどかかりますし、我が団の子どもたちは一つの学校からの生徒だけでありませんので、それぞれ集合時間に集まるのにどうしたら良いのかと家族ぐるみで相談する必要もあります。それに子どもたちはそれぞれ学習塾などに通っていますので、練習日を変えるとなると、それらも調整する必要も出て来るのですね。今日は一人の子がその関係で行けない状態になりました。6人を連れて学校に急いだのですが、到着したらもうすでに体育館の二つのコートにはネットが張られて練習するに準備が整っていました。その学校に通う生徒や近くの学校の子が早く来て準備をしてくれていたのですね。そんなところにお邪魔して、一緒に練習させてもらうということは我がチームにとってはプラス以外の何ものでもありませんよね。自分の少々の事は何とか都合をつけてもらって、「ぜひ、いらっしゃい!」と言ってくれるここの練習会に今後ずっと参加できれば幸いな事だと思っているところです。今日の子どもたちは、Kチームの指導者から絶えず「声をだせ!低いぞ!聞こえない!はい、そこでスクワット5回。腕立て伏せ5回!」などと言われ続けていました。それに対しての子どもたちは、Kチームの子どもたちも同じように言われているのを見て、「そうなんだ!」と言うような感じで、言われたことをやっていましたね。良い刺激を受けて、気持ちランランという感じで本日火曜日の練習会を終えたというところでしたよ。 土日に試合がなければ、通常の練習会は週に4回。火曜日と木曜日はKチームと合同で隣町の小学校や体育館で。金曜日と土曜日は我が小学校の体育館で通常の練習会をするということになります。 --------------------------その会場に子どもたちの親が迎えに来てくれていましたので、子どもたちを親に送ってもらうように頼んで、りえばぁはあきじぃのいる病院へ行って来ました。すでに夜8時の面会時間は終わっていましたが、一日一回は顔を見せないとあきじぃが寂しがります。なぁんて悠長な事を言っていられれば良いのですが・・・・・。なんやかんやと連絡もあるし、まだ自由に動けないあきじぃですから、身の回りの事をしてもらいたいことがあるようなのですね。 お婆ちゃんの事も気に掛かりましたし、病院での長居は無用と、せっせと周りを整え「それでは!」30分ほどいてさっさと帰宅しました。 あきじぃの足の様態は日に日に良くなって行っているようです。が、まだ抜糸をしていないため、リハビリらしいことでは一日数回のトイレに行くための車いすの乗り降りと、ベッドの上で足の指を動かすだけのようです。 リハビリの先生も時々病室に来られてその様子を見て下さっているようですけど、そこのところはまだ少しかかるのかなと思っているところです。筋肉というのは使わないと衰えるものらしく、あきじぃの足は目に見えてずいぶん細くなっているように思います。歩けるようになったらすぐに元に戻ると思いますが、これを見るとお年寄りがベッドで寝てしまうと、回復が難しいと言われるのも納得のいくことだと思っていました。寝ていた期間の3倍かかると言われていますものね。動けないあきじぃを見て、忙しくて日々ばたばたと動き回っている方が人間として幸せなのだろうと感じていました。
2010年01月26日
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1月25日は天神様がお帰りになる日です。「どこへ?」と聞かれてもりえばぁは答えられませんが、ともかく昔からそう言われています。今朝になってそれを思い出したりえばぁは、朝食の後、赤飯を作りお供えして、掛け軸を外しました。12月31日に奥座敷の床の間に掛けた菅原道真公が描かれた掛け軸です。この日は、なるべく早く帰ってもらう!ものと言われているようで、りえばぁはその早くというのが何時頃なのかも分かりませんでしたので、ゆっくり召し上がってもらう時間もないと思い、すぐに下ろして箱に収めました。来年まで一年を通して、天神様は家族の願いを叶えてくれることだろうと思いながら、丁寧に片付けていました。 ------------------------------今日は1月の競書提出日でした。あきじぃの事やスポ少のことなどいろいろあって、今月は書道をほとんど練習していませんでした。でも、“参加することに意義がある?” と勝手に思い、ともかく数枚ずつでも書いて持って行かなくっちゃ!と思い、10時頃から6種類の課題を書いていました。2時近くまで書いて、それを持って書道教室に出かけてきました。 同時に2月の課題の載っている会報も渡されて、そこには成績ものっていましたが、今回は残念ながら進級しているものはありませんでした。ある程度の自信を持って提出したはずだったのですがね。りえばぁの書道も今ちょっと休憩中というところでしょうか。 書道教室が終わってすぐに病院に行きました。教室のあるところは同じ黒部市内で病院にとても近いのです。改めて出かけなくてもよく、こんなときは好都合なのですね。あきじぃには毎日たくさんのお見舞の方が来て下さっているようです。仕事やスポ少では皆さんに迷惑をかけているのに・・・みなさんに感謝、感謝ですね。一日でも早く全快してもらわなくっちゃね!
2010年01月25日
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24日、日曜日のことです。昨日から引き続いての小学生バレーボール大会に、今朝も入善ICに6時半集合で県西部の町まで出かけてきました。雪も心配された高速道路でしたが、それはきわめて良好で、何の心配なく走行することが出来ました。我がチームの本日の会場はその町にある高校と言うことで、ナビに案内されながらその会場に行きましたが、時刻は開場の8時にはまだ少しあり、体育館前で待つという状態でした。早く到着すると言うことは駐車するにも、体育館内でもコートを確保するのに余裕で出来ます。気持ちにもゆとりが生まれますので、人が集まるこういうときは断然“早いほうが良い!”のですね。 その高校の第1体育館と第2体育館には昨日の結果で各グループ最下位の16チームが集まり、一日をかけて試合をして行きました。同じようなレベル同士での試合はそれなりに試合をしているように見えるものです。我がチームの今回の大会の目的は、試合慣れしていない子どもたちにまずは“試合とはこういうものだ”というように理解させようというところでしたので、弱い相手は都合が良いと言うことになると思っていました。 二日間を通して、それはその通りになったように思えましたね。一日目の第1試合ではあがって、こちこちになっていた子どもたちでしたが、2つ、3つと進むに連れて、徐々に良い試合をするようになって行きましたからね。まさに一試合ごとに成長しているという感じだったように思えましたね。子どもたちは学習能力がある事を今回も確認しましたよ。 で、本日は最初に各4コートにて4チームずつの総当たりリーグ戦が行われ、その後にその結果で1~4位まではトーナメント戦でこのグループでのチャンピオンと2位を表彰すると言うことになっているようでした。我がチームはグループ戦で他の3チームを下し、Cコート第一位でこのトーナメント戦に進む事ができました・・・・・が、バレーを始めてまだ3ヶ月しか経っていない子が3人もいる我がチームですからね。今まだ勝てるのは、ここまでというところでしたね。 ----------次の試合を審判してから帰らせてもらうことにしましたが、時刻はまだ3時を過ぎたばかりでした。こんな時どこか途中のショッピングセンターに寄って遊んで帰るというところですが、私が夕方にお婆ちゃんを施設に迎えに行く用事があることを知ったからか、今回は現地解散を保護者の方で決められていました。 そのりえばぁはあきじぃの病院に寄ったり、施設にシュートスティに行っているお婆ちゃんを連れに行くにはまだ時間がありましたので、ふと富山大和デパートで開かれている“書初め展”を見て帰ろうかと思いつきました。私の側にいた子どもたち2人が「私も行きたい!」と言うので、りえばぁはその2人を乗せてさっそく富山市に向かいました。お天気は朝よりさらに良くなって、遠くの白い山々も素晴らしかったですね。 県西部の方から呉羽山を抜けて富山市に入った途端に目の前に広がる景色です。りえばぁはこの眺めが大好きです。大阪、金沢方面からここ富山市に入るときには、いつもドキドキしてくるような感動を覚えるのですね。この目の前を富山空港に離着陸する飛行機が横切るのに遭うときがあるのですよ。 砺波ICから高速に乗り、26キロほど走って富山ICで下り、大和デパートに行きました。今日は日曜日、大和デパートのイベント広場では全国の有名なラーメン店が店を開いて大変賑わっていましたね。そちらを尻目に駐車場からデパートに向かい、6階ホールに展示されている作品を鑑賞しました。 素晴らしい作品ばかりで、じっくり見ていたかったのですが、子どもたちを連れていたことと、夕方までには帰宅しなければならなかったため、さあ~と一回りして来ました。その代わり、今回の優秀作品と自分が気に入った作品を写真で撮ってきましたので、後で何度でも鑑賞できるかなと思っています。 その中から、我が教室から出品の賞を取った作品を紹介します。 このそれぞれ真ん中のは我が教室の師範代の方のお二人の作品で、今回見事特選を取られました。そして、次のも師範代の方の作品です。 この作品はりえばぁと同じ“秀作賞”でしたね。そして、次のはりえばぁのです。上の師範代さんたちの作品に共通しているのは、大きくて斬新な書き方をされているところですね。このように書くと見栄えがするのですね。りえばぁも大きく書いたつもりでしたが、比べてみると心細い感じを受けませんか? 三人の方は、これまで毎年いくつものコンクールに作品を出品されていますから、ここいらの書き方を修得しておられるのですね。他に賞を取った方の作品を見ると、やはり同じような印象を受けましたよ。書もまた写真と同じで、綺麗にまとめただけでは見る人に感動を与えないのではないかと思いました。「わっ、綺麗!上手!」と見た瞬間思っても、二度三度と見たいとは思いませんからね。その点からも、りえばぁ多くの作品の中で特に「好きだなぁ!」と思える作品は次のでした。一緒にご覧になって下さい。 左「祥雲」・・・祥の足の部分と雲の字形が何とも言えない雰囲気を持っているように思えます。想像が果てしなく続いて行くようですよ。やはり特選が当っていました。 右の真ん中「不動心」・・・大変力強いですね。りえばぁと同じ賞でしたが、実に堂々として頼もしく思えました。好きな書体、好きな言葉ですね。 人の作品を鑑賞することは、自分の作品づくりに参考になると思いますので、何度も見て雰囲気だけでも自分のものにしようかと思っているところです。 こんな可愛い子どもたちがお伴でしたよ。 右がmomokaでキャプテンです。 そして、左がreinaで副キャップテン。まだまだやること、話すことが頼りない子どもですが、一年後には心身ともずいぶん成長していると思いますよ。momokaはりえばぁの編んだチョッキを着ていますね。 ----------------- デパートを後にしたのは、5時半近くになっていました。富山ICには少し遠いこともあって、国道を走って帰って来たのですが、渋滞であきじぃのいる病院に着いたのはそれから1時間も過ぎた頃でした。先に二人のお母さんたちも病院に到着していて、子どもたちと一緒にあきじぃの見舞いをしてくれました。子どもたちは二日間の大会での報告と、みんなで書いてくれた色紙をあきじぃに渡していました。色紙は2枚あり、いつ書いたのか6年生の分もありました。一様に「怪我をして驚いた!早く良くなってバレーボールを教えて欲しい!」と書いていましたね。あきじぃはそれを見て嬉しさを満面にして「ありがとう!」と礼を言い、「ごめんね!」と謝っていましたよ。 私はお婆ちゃんの迎えの約束の時間がとうに過ぎているのが気になり、子どもたちとほぼ一緒に病院を後にし、施設へ急ぎました。お婆ちゃんは他の入所者と団欒しながら私を待っていました。約10日ぶりの様子を歩きながら窺っていたのですが、ずいぶん自由にさせてもらっていたようで、少しわがままが強くなっているように思いました。週に3回ディーサービスもありますが、これからの家でのお世話はますます私の手に重くかかって来るのではないかと思い、その覚悟をしておく必要を感じていましたね。
2010年01月24日
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今は日曜日夜8時を過ぎました。龍馬伝を見ながらこの日記を書いているところです。 実は先ほど県西部の町で行われていた小学生バレーボール大会から戻って来ました。 毎年この大会にご招待頂いて参加させてもらっているのですが、土日と2日間に亘るため、県内ですが冬場の高速道路を往復するのは危険と思い主催者が用意してくれたところで宿泊していました。こちらの方から参加される他のチームはどんなに雪が降ろうと2日間通いで参加にされていましたので、私たちもずいぶん前から今年はそのようにしようと決めていました。 そんなところ、あきじぃが怪我で入院。そしてすぐに一晩に60センチも降る大雪になり、この大会の日のお天気はどうだろうかと少し不安を覚えていました。ともかく当日の雪の状態がどうかというところだったのですが、時雨れると予報は出されていましたが、幸いにもそれほどの雪にはならないとのこと。それでも時間に余裕を持って集合をかけました。我が町のICから高速道路に乗り、そのまま80kmをゆっくり走行して行きました。 そして無事に到着し、開会式を経てそれぞれの会場で試合を行って行きました。入場行進です 今回の大会は男女合わせて64チームという大変大きな大会でした。 この中には長野県から参加したチームもおります。朝の4時半に出発し、途中は雪のため、のろのろ運転しながら4時間もかかって到着したとのことでした。 我がチームの子どもたちは、新チームになってこういう大きな試合は今回初めて経験するので、いったいどんな試合を展開してくれるだろうかと思っていました。これは私ばかりでなく、保護者のみなさんも、そして当の子どもたちも同じ気持ちだったようです。一日目の試合を終えた結果で、二日目の組み合わせが決まるところ、我がチームは残念ながら一番下位のグループ同士での試合をすることになりました。ですが、二日間を終えたところで、一試合ごとに良くなって行くのを見て、それだけで収穫があったと喜んでいるところです。二日目の今日は朝が少し雨が降っていましたが、だんだん良いお天気になって行きましたので、みんなも無事に帰宅できてほっと一安心でした。 集合写真は一日目の試合会場となったところ(開会式会場でもある)で「本日の記念」として、帰りがけに撮ったものです。
2010年01月23日
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遅れている日記を大急ぎで書いておきます。22日、金曜日のことです。 午前中は家の中の事やkenの弁当を作ったりしているうちに時間が経ち、やっと11時過ぎに家を出て、まずはりえばぁのかかりつけの医院に行きました。りえばぁ、昨年の10月から血圧の薬を飲んでいるのですが、一度来院したら一ヶ月分をもらって来ています。「ミカルディズ錠」という黄色がかった白色の薬剤で、1日1回朝食後に服用するというものです。薬を飲むのに慣れていないりえばぁは時々この薬を飲むのを忘れてしまいます。この薬は徐々に血圧を下げていく効果を期待しているようですので、なるべくなら忘れないようにして飲み続けた方が良いらしいのですがね。「時々忘れてしまうのですよね」と先生に言うと、「まあ1週間もまだも飲み忘れたら困りますが、1日2日は良いですよ。」と言ってくれましたので少し安心しましたが、してはいけないことは朝忘れたからと言って、昼に飲んだり、夜に飲んだりする事だそうですよ。1日かけてじわ~と効かせる薬のようで、不定期な飲み方は逆に不安定にさせてしまうのかもしれませんね。 ------------- それからあきじぃの入院している病院に行きました。昨日より足の具合が良くなっているのでしょうね。車いすも上手に乗り降り出来るようになって、だんだん病院生活が過ごしやすくなっているようですよ。あんなに好きだったみかんも「食べたくない!」と言っていたのに、今日は「持ってきてくれ!」というので持って行きましたし、「コーヒーも飲みたいな!」などと言っていますよ。 りえばぁは病院にしばらくいて、それからホームセンターに行って来ました。スポ少のチームプラカードを作ろうと思い、ボードや柄の部分を求めようと思ったのです。ホームセンターでは長さを切ってもらい、木工用ボンドも買って来ました。それを持って、夜のスポ少練習会へ。今日はいつもの我が練習場所である小学校で、早めに初め、早めに終わるつもりで準備をしていました。ネットを張って、集まった子どもたちに準備運動やパスをさせている間に、りえばぁは先ほどのプラカードの木を木工ボンドで貼り合わせ、重しをして乾かしておきました。練習している間の1時間半ほどで板と柄は見事くっついてくれましたが、家に帰ってからは念のために身近に釘を打っておきました。「チーム名」と紙に墨で書き、両面テープで留め仕上げました。明日はこれを持って、県西部の町で行われる小学生バレーボール大会に行って来ます。お天気は雪模様と言うことですが、あまり降らないように願いながら、今日も睡魔に襲われた形で布団に潜り込みました。
2010年01月22日
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今日は23日ですが、日記が20日で止まっていました。そのため、記入率もだんだん下がっているような気がします。それよりも、日記は毎日書くものですね。ということで、まず21日の事をさらさら~と書いておこうかと思います。 皆さんはどうぞ読み捨て下さいませ。 23日は木曜日でしたね。木曜日はりえばぁは局の仕事日でした。 今日はなぜか自分の受持区域だけで40軒以上訪問先があったため、他の皆さんの分をお手伝いする余裕がありませんでした。先日火曜日も同じ件数ほどあったのですが、範囲がとても広く、時間がかかりました。しかも初めてのお宅もあったため、事前に地図で確認していていつもより1時間も出発が遅れてしまいました。 今日は自分の地域ですので、ほとんど掌握しているため、とても効率よく回ることができましたので、それほど遅くならずに局を出ることができました。そのままあきじぃの入院している病院に行き、6時近くまでおりました。 今日木曜日は、Kチームとの合同練習会の日です。新チームになって初めて7人揃って練習に参加することになり、その集合時間を午後6時15分にしておりました。Kチームを指導される方は常時3人おりますので、指導体制は万全です。今、我がチームの6年生がお世話になっているのですが、下級生チームもあきじぃの怪我の事もあり、練習には大いに協力すると言って下さっています。具体的には週に4日ある練習会の2回ほどをKチームの練習時間に合わせて会場に来られれば良いねと言っていて、こちらとしても願ってもないことですから、今それを検討していると言うところです。とりあえずは、以前からの木曜日を再開すると言うところから初めて、もう一回は火曜日あたりを考えています。ですが、火曜日に塾に行っている子どももいますので、それらは調整がつき次第と言うことになると思います。いざ、練習会の日を変更するとか、一日余計に入れるなどになると、塾などに通っている子が多いため、その調整が難しいですね。今の子どもたちは、学校の他にほとんどが塾に行っていますからね。ピアノ、そろばん、習字、学習塾・・・前にはスイミングという子もいましたね。1週間のうち、家にじっとしている日はあるのかと思うほどで、親もその送り迎えに大変な思いをしているのですね。小学生のうちから、時間もお金もかかり大変な事ですね。
2010年01月21日
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20日、水曜日はやっと落ち着いた一日を送ることが出来たように思います。ゆっくり起床して遅い朝食を摂り、午後3時01分の電車で東京経由シンガポールに帰る長男を送った後は、夕方近くまで机の上の整理をしていました。スポ少関係、あきじぃの保険保険関係、届いた郵便物やダイレクトメールなどに目を通し、それぞれに対応し、処理していました。4時半過ぎに家を出て農協などに行き、町への用事の途中で床屋さんに寄り、久しぶりに顔そりをしてもらいました。このところ、洗顔もしないで寝てしまう日が多く続き、ただでさえすっきりしないりえばぁの顔は人様に見せられるような顔から遠くなっていました。床屋さんの椅子に座り、顔を剃ってもらい、温かいタオルや、冷たいコットンを当ててもらっているうちにあまりの気持ちよさについうとうと寝てしまいました。顔を剃ってもらう気持ちよさは何とも言えず、終わった後の爽快感はこれまた夢うつつと言った感じになります。りえばぁ、身体が重いような気のするときは、このように床屋さんに駆け込むということをよくしますね。直接、身体のマッサージが効果があるとは思いますが、りえばぁが行っているカイロプラクティックなどは予約制ですから、今すぐしてもらえるのは難しいですからね。1時間ほど、床屋さんのマッサージチェアに横になっていると、心も身体もリラックスして鬱陶しいのが取れるような気がして来るのですよね。料金は決して安くはないですが、こんな風にりえばぁ時々贅沢しているのですよ。 床屋さんが終わってからは、病院に行きました。あきじぃはちょうど夕食の終わりの頃、ご飯もおつゆも完食。でも鳥の唐揚げが残っていました。あきじぃは仕事もせず、ベッドに横になっているだけの生活に、食べ物や飲み物から余計なエネルギーを摂らないようにと考えているようです。水分はお茶と水。 当初、スポーツ飲料を飲みたがっていたのですが、それも糖分を摂らないようにしたいと止めています。一度に3~4個も食べていたみかんも、昨日の屑箱からは1個分の皮しか見つかりませんでした。 そんなこんなで復帰に向けて自分の体調を管理し、筋肉も衰えないようにとあれこれ考えて軽いトレーニングをしているようです。日に日に良くなって行っているのは確実に思います。 今晩はヨーガ教室のある日でした。行こうと思えば行けたのですが、病院の帰りもぎりぎりでしたし、なにぶん今は気分が乗らず休ませてもらいました。次回は周りが落ちついている頃と思いますので、「今日はごめんね!」と言うところでしたね。
2010年01月20日
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19日、火曜日はりえばぁの仕事のある日です。あれこれ最低限の事だけをし、とりあえず出勤しました。渡された端末にはいつもと変わらぬ件数だけが打ち出され、これだけではちょっと散歩程度で終えられるように思いました。しかし、今の時期特別の仕事が正規職員に与えられているようで、集金業務はそのほとんどを私にして欲しいような感じになっていましたので、それを引き受けたところ何とその数45軒近くしまいました。初めてのところもあり、それを調べているうちにいつもの出かける時間を1時間も過ぎ、最後まで回るのはいったい何時になるだろうかと、出発前から少々焦って来るほどでしたね。件数もさることながら、その範囲が滅法広く、我が町と隣町の山から海に縦に長く、そして隣の市から県境まで横に広いものになりました。 昼ご飯を摂りに戻る時間も惜しく、そのまま走り続けていましたが、最後は薄暗くなった5時を過ぎ、ある家からは「今日、来られるとはがきを頂き、朝からどこにも出かけられなかった!」と文句を言われる一幕も!結局全部を回りきれずに、2軒ほど残し、帰局したのですが、そこには先に帰っていた皆さんが待っていて、りえばぁの最後の締めを手伝ってくれました。仕事が終わったのは6時近く。 そのままあきじぃのいる病院へ。行ったもののまだ欲しいものがあるということで、一端家に帰り、外出していた長男と夕食を食べ、再び病院へ行きました。8時を過ぎたところでしたので、本来の面会時間は終わっていて、あきじぃは看護師さんに点滴を打ってもらう準備をしているところでした。傷口を縫った箇所があまり良くない状態と見て、そしてその箇所には何やら機械のようなものが当てられ、注射は骨を早く再生させる薬が入っているようでしたね。 あきじぃは時々、大小の怪我をします。これまで、このように病院で入院するほどの大きな怪我もしたりしてきましたが、その都度病院での治療が違って来ていて、前回と比べると格段の進歩があることを感じます。薬剤も改良されているのですが、何より医療に関する考え方が変わって来ているからだと思うのです。あきじぃも理学療法士さんが出勤した 月曜日からさっそく車いすに乗ったり、マッサージなどリハビリなども徐々に始めたようですが、脳血栓や脳障害などで倒れた患者さんに対しても、手術の翌日からベッドから起こし、廊下を歩かせたりとリハビリを早く初めていると言いますからね。一日でも早く行うことで、社会復帰も早くなるという事のようです。あきじぃは日一日ごとに元気になっていくと思います。 局に出勤したとき、りえばぁは衝立一枚向こうのお隣のあきじぃの会社に挨拶に行って来ました。突然の怪我で迷惑をおかけしたこと、仕事に穴を開けたことなど、大変申し訳ありませんと謝って来ました。あきじぃの上司は気の毒がって、「○○さんはこの局にとって大事な人なんですよ。早く良くなってまた復帰してもらいたい!」と言われました。あきじぃは病院のベッドで、「今度出勤したときは、席がないかも知れない!」と言っていたので、その事を言ったら、「いえいえ、治ったらまた来て働いて欲しいです」と言われました。りえばぁは、「それを聞いたら、一生懸命リハビリをすると思いますので言っときます」と言って辞して来たのですがね。りえばぁが今日回ったところのお宅でも、「あの日はその近辺でも郵便屋さんがバイクをひっくり返していましたよ。危ないですね!」と言っていましたが、冬場のオートバイは本当に危険と思います。でも、全国の郵便局全てがそういう体制になっていますからね。
2010年01月19日
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<このところのこと=日にちの整理> あきじぃが怪我をして救急車で病院搬送となり、今日までのことがちぐはぐな記憶になって来ましたので、ここいらで整理しておこうかと思います。怪我をして入院となったのは13日の水曜日。そして手術が行われたのは15日の金曜日夜遅くでした。16日(土)の午後3時近くまでそのまま集中治療室で過ごし、それまでの特別室から今の4人部屋に移り、今日に至っています。りえばぁはその間、病院を行ったり来たり。 14日のこと 入院となった13日のその夜には一晩に60センチの雪が積もり、14日は車も出せずに出勤予定も休みにさせてもらいました。kenがいたにしても、とても私たちの手作業では20メートルプラス7~8メートルの除雪は不可能と考え、病院のベッドの上から我が家の近くの土建会社に電話で除雪をお願いしてもらいました。その土建会社も冬場の除雪を町から委託されていることもあり、今日のどか雪にそちらの方に時間がかかっているようで、なかなか我が家まではすぐに来られない状態のようでした。kenの出勤をどうするかなどと考えていたのですが、その日は電車も当てにならず、“だめもと”で出勤時間まで空けてもらえるか再びお願いしてみました。そうしたら、お願いした30分ほど前に来てくれて、大きなでブルトーザーあっという間に綺麗にしていってくれました。ところがその除雪機械はとても大きいため、除雪の出来るのは町道からまっすぐの20メートルの部分だけしか出来なかったのですね。kenの車は、その先の車庫に入れてありましたのでkenは楽々出勤できましたが、私のエルグランドを入れてあるところまではクランクのため、自分の手で除雪するしかありませんでした。病院に行くにも、まずは除雪とばかりに、何十年ぶりにスコップを持って雪を避けていました。夜には先生の手術や今後の治療方針についての説明があるとかと病院へ行くも、その日の手術が長引いたことで説明を聞いて帰宅したのは夜遅い11時でした。お婆ちゃんには夕方6時にお風呂に入れ、ご飯を食べてもらい、コタツで休んでいたのを見て、8時には布団に入って寝るように言って家をでました。「はい、はい!」と良い返事に、てっきり寝ているだろうと思って帰宅した家の居間にはお婆ちゃんがまだ起きていて、その前には何冊もの電話帳や地図などが積まれ、受話器も置かれていました。私は驚いて、「どうしたの?何をしようと思ったの?どこに電話しようと思ったの?」と聞いたら、お婆ちゃんは「病院に電話しようと思った。」と言うのです。そこからいろいろ一言三言やりとりがあったのですが、お婆ちゃんは病院に行った私がなかなか帰宅しないことで心配になって寝ても眠れなかったのでしょう。 ともかく寝かせましたが、こんなとき一番ネックになるのはこのお婆ちゃんの事。今後「どうしようか」と思いましたね。 15日(金)のこと そして翌日15日も夕べの新たな20センチの雪積に、まずそれを除雪することからはじまりました。お婆ちゃんに朝食を摂らせ、ディーサービスにいく支度をしてもらい、それをちらちら見ながら家の内外を駆け巡っておりました。ディーサービスに送り出してからは再び除雪。11時に出勤のkenを送り出してから、家の中のあれこれをし、今日夕方からの手術に付き添うべき病院に向かいました。折しも今日金曜日はスポ少の練習日でした。そのことは保護者にお願いし、後の報告では協力し合って無事に終えたと言うことでした。あきじぃの手術は病院での本日最後になったようで、待合室にいる私に「終わりました!」と連絡があったのは10時半くらいでした。先生の説明を聞き、あきじぃの顔をちらっと見て家に帰ったのは夕べと同じ夜11時過ぎ。ディーサービスから帰った後、kenが会社から帰って来るまで隣町に住むお婆ちゃんの娘についていてもらいましたが、夜遅くなってもお婆ちゃんは寝床になかなか入らなかったようです。私からの「無事に終わったよ。心配ないから休んで!」という連絡で、やっと安心したかのように寝たのだとkenが苦笑しながら言っていましたね。 16日土曜日のこと今日はあきじぃが集中治療室から出て一般病棟に移る日でした。その時間は、午前中と聞いていましたので、午後に行けば病室で身の回りを整えてあげることができると考えていました。朝を少し遅いスタートとし、まずはお婆ちゃんをショートスティーに行ってもらうために施設に送り、なんやかんやと家の事をしていました。そして、今日の16日から明日17日にかけてはKチームや他のチームとの1泊の練習会を予定していました。 会場の都合で午後から始まったその練習会への送迎は保護者の皆さんにお願いし、私は病院に向かいました。とっくに病室に移っているとばかり思っていたのに、病室の都合であきじぃはまだ集中治療室の中。それから30分以上も経った午後3時ほどにやっと入る病室が決まり、その病室に移りました。今度の部屋は4人部屋で、各人はそれぞれカーテンで仕切り、開放病棟のはずなのに暗い感じで、誰がどんな状態でいるかも分からないような部屋でした。私は夫のベッド周りを整え、そこに見舞いに現れた息子たちと共にしばらくいて、午後6時過ぎにスポ少の子どもたちのいる宿泊施設へ向かいました。そこで、子どもたちやKチームの皆さんと食事を一緒に摂って、その後のレクリエーションを見守り、家に帰ったのは夜の8時半過ぎ。それからは息子たちに夕食の鍋物などを作り、ほっとしてパソコンに向かったまでは良かったのですが・・・。1分もしないうちに眠気に襲われ、そのままダウン!そんな16日土曜日でした 17日(日)のこと日曜日は朝9時過ぎに家を出て子どもたちがいる体育センターへ行きました。そこで夕方5時近くまで練習試合に付き添い、終了後は病院へ行きましたあきじぃには今日の報告をし、子どもたちの指導についての相談もしていました。そこへ長男が現れ、帰りは生の魚が食べたいだろうと思い回転寿司に立ち寄り、kenには折り詰めにして土産にし、夕飯はそれで済ませました。 で、この日記は18日の分ですね。18日月曜日は、シンガポールから帰国した長男がお正月に帰ったのは数年ぶりとあって、大好きなお雑煮を作って食べさせたりしているうちに朝の時間はどんどん経ってしまいました。 午前中は少しのんびりし、午後からは書道の教室へ。それから病院に行って夕方には戻り、夜はスポ少の練習会に行きました。今週末には県西部の町で大会があり、我がチームも参加することにしています。あきじぃはいませんが、りえばぁと保護者で何とか試合をさせてあげようと、そのためにも 今日の練習は欠かせないものと思い行っていました。体育館にはあきじぃが怪我で入院していることを知った6年生たちが来てくれて、下級生の相手になって、寒い体育館の中は大きな歓声で賑わっていましたね。 今度の我が新チームの子どもたちです。みんな素直で、一生懸命練習できる子どもたちばかりですので、そのうちきっと皆さんに良い結果も報告できると思いますよ。 17日の練習会において隣のコートでは、我がチーム6年生とKチームの6年生が入り交じってゲームをしていました。いつの間にか、我がチームの子どもたちも自発的に髪の毛を短くし、ユニフォームもそれとなくKチームと似た感じに揃えていました。2つのチームの6年生は全部で15人おりますので、紅白に分かれて、そして審判役にも、また点数板も自分たちでやり、わいわいキャーキャーとゲームを楽しんでいるようでしたよ。
2010年01月18日
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15日夜遅くに手術を終えたあきじぃは一晩集中治療室で過ごし、予定では翌日午前中くらいには病室に移れるということでした。集中治療室の面会時間は11時から2時間ほどの間ということで、早く行っても会うこともできませんし、何もすることがありませんので、16日の朝は少しゆっくりスタートとなりました。まずは朝食を食べ終えたお婆ちゃんにショートスティー行きを説得し、渋っていたお婆ちゃんに「言って来るよ!」と 自分の口から言ってもらえ、これで安心して施設へ送り届けることが出来ました。その施設はこれまでのショートスティーで何度か利用していますので、お婆ちゃんには慣れているところです。そして、この寒い時期 は温かい施設で過ごすのは寒がりのお婆ちゃんには快適なはずですし、そしてそれは何よりも私や家族が安心して他の事に集中できる事になり誰にとってもベストな事と思いました。お婆ちゃんは昨日もストーブにくっついて暖まっていたらしく、着ていた上着の裾を焦がして、かちかち山の狸になりかねない事をしていました。自分の部屋の電気コタツは何時間も付けっぱなしで、おまけにそのコタツの中には衣類をいっぱい詰め込んだりしているのもよくあることで、少しの油断もできないのです。何もしないで、大人しくしていてもらえればこちらとしては有り難いのですが、足が丈夫なお婆ちゃんは突如思い出してはあれこれとやりだすものですから、その行く先々でいろいろなことが起こっているのです。お婆ちゃん一人を残して家を留守にすることは極めて危険にもなって来ているのですね。これまでは家の中でも「今、お婆ちゃんは何をしている?どこにいる?」と始終気を配ってきました。そしてその後を必ず点検しては後始末をする必要がありました。食べるものやお風呂の準備など身の回りの事などはそれほど苦にもならないのですが、何でも準備してそれを言ったところで、すぐ忘れてしまうお婆ちゃんには約束やお願いなどしてもその通りには決してならないのです。こういったこと、普段でも大変なのに、これから留守をすることが多くなる日々をそれらを心配しながらでは私の気持ちも、病院のベッドにいるあきじぃにもいらいらさせる事になります。 ショートスティーの利用は通常前月の10日までに申し込む必要があります。ですので、りえばぁにはこういう事態になっても、お婆ちゃんを施設に行ってもらおうなどとは全く念頭にありませんでした。周りの人から「“緊急”ということで、それは出来るかも知れないから相談してみたら・・」と言われ、さっそくケアマネージャーに相談し、差額が発生する部屋なら受け入れできると言っていますがと言われ、まあこの際安心料を払うと思うことでお願いした訳です。 -------------- ちょうどこの日16日~17日はスポーツ少年団の子どもたちがKチームのお誘いで“お楽しみ合宿”を予定していました。あきじぃがこんな怪我などしていない時に決まった事です。手術も急に決まった事で、体育館や宿泊施設への送迎は保護者にお願いし、りえばぁはお婆ちゃんを施設に送り、午後にあきじぃのいる病院に向かいました。午後も2時近くになっていましたので、あきじぃはてっきり病室に移っているものとばかり思っていました。ナースセンターで病室はどこか(特別室から出て新しく・・)と尋ねたところ、今はまだ集中治療室にいるとのこと。(え~~~、まだ?何で?)とどきっとしながら、看護師さんに「何か起きた訳ではないですよね?」と聞きました。看護師さんは「○○さんは、とても元気なのですが、移ってもらう病室がなく・・・」とのこと。りえばぁは、ともかく言われた集中治療室の待合室まで行き、そこから電話をし、様子を伺いました。時刻はもう午後2時20分ごろになっていました。電話の向こうの看護師さんは、「今、移ってもらう病室を検討しているところです。2時45分くらいには出られると思いますので、そちらで待っていてもらえませんか?」と言います。 りえばぁは、あきじぃの顔を見てすぐに子どもたちの練習会場へ駆けつけるつもりでいましたので、それも出来ないような気がし、その旨を保護者に連絡してじっくり待っていることにしました。それから言われた時間よりオーバーした3時過ぎにやっと「お待たせしました!」と呼ばれ、集中治療室から出て来たあきじぃの顔を見ることが出来ました。移動するベッドに付き添って新しく入った病室は4人部屋。みんなカーテンで仕切られてとても鬱陶しい感じがするのですが、個室を希望するにもここしか空いていないという、満床に近い今はしばらく我慢するしかないようです。あきじぃの手術後の足はギブスで固められ、物を置いても座っても叩いても大丈夫なようでした。 健康な右の足にも何か撒かれていましたが、受傷した足と共にそれは一定の間隔で空気を送って運動機能に刺激を与えているようで、その機械の音がリズムを刻んでいました。 他に脊髄に痛め止めを注入しているようで、背骨に添って細いチューブが貼り付けられていました。そう言ったことで痛みはないようですが、何のせいか少し熱があるとのことで看護師さんが時々体温を計りに来たり、水枕を持って来たりしていましたね。 そうこうしているうちに、息子kenとたまたまシンガポールから帰国していた長男が揃って顔を見せ、あれやこれやと話をしているうちに6時も近くなったことでそこを辞し、息子たちは家へ。りえばぁはスポ少の子どもたちのいる施設へ急ぎました。6時からの夕食は子どもたちや保護者と共に一緒にとり、その後はKチームが企画してくれたレクリエーションで子どもたちが楽しく交わり遊んでいる様子を見て来ました。画像はその様子です。 我がチームの6年生も下級生たちもKチームの子どもたちと交わり、弟や妹たちも一緒になってレクリエーションで楽しんでいました。 最後はビンゴで、先に上がった子どもたちが豪華?な景品を選んでいますね。こんなに穴だらけになってもなかなかビンゴにならない子もいるのですね。 レクリエーションが終わってからは、りえばぁは息子たちが夕食を前にしていることで、子どもたちのことは保護者に任せて帰宅しました。17日の出来事を書く間もなく、16日の出来事でいっぱいになった今日の日記でしたが後日のために書いておこうと思いましたので、見て下さる皆さんにはつまらなかったかと思いますね。なぁんて事を思いながら、この日記を閉じます。
2010年01月17日
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今朝の外も雪が降り続いています。が、ちらちら降っていますので、今日はそれほどの積雪量にはならないのではないかと思っています。 でも気温も低く、とても寒いですね。夫のいない我が家では寒いからといって家の中にばかりいることもできず、外にも気を配らなければならないのですね。納屋に薪を取りに行ったり、洗濯物を干しに行ったり、また訪れる人が往復できるように道も空けておかなければなりません。昨日、一昨日に綺麗に雪をすかした事で、今日はその必要もないかと思っているところですが、屋根から落ちた雪が通路をふさいでいますので、その分だけでも取り除かなければならないと思っています。ですが、それは凍っていてとても固くなっているのですね。もう少し待ち雪が緩んでからにしようかと思って太陽の出て来るのを待っているところです。 今時刻は朝10時を過ぎました。急遽お願いしたお婆ちゃんのショートスティ。希望が叶って先ほど無事に送り届け、一つ心配事が消えて今ほっと一息ついているところです。 さて、肝心のあきじぃの手術ですが、昨日夜遅くに行われました。病院での本日の手術、最後と言うことでしたが、こんなに遅くなるまで手術が行われているとは知りませんでしたね。7時頃からとかの当初の予定でしたので、私は5時頃に病院に行きました。病室で待っていると、看護師さんが来て前の手術が伸びているからあきじぃの手術ももう少し遅くなります。すみませんと言って来ました。でも、「さあ、行きましょう!」と病室を出たのは6時45分ころ。手術室の前まで私も着いて行きました。「ご家族はここまでね。」と言われた場所まで行ったのですが、淡々としている私を見て、看護師さんが「最後に何か言わなくても良いですか?」などと言うのものですから、私も「え~、そんな危ない手術なのですか?」と冗談ですかさず返してやりました。たぶん、他の人は手術をする人に「頑張って!」とか、「しっかり!」とかと言葉をかけるのでしょうね。りえばぁ、たかが足。しかも金属を入れるだけではないかなどと軽く思っているものですから、それに手術中は全身麻酔で本人は眠っていますものね。頑張るのは手術中ではなく、それが終わってから後の事ですから、いまは特別言葉がけなど要らないと思っているのでしょう(人ごとのようですね)から、そういう気の利いた言葉はりえばぁからは出てこないのですね。 看護師さんは、そんなつもりでないと笑いながら「いえ、いえ!大丈夫ですよ。」などと言い、あきじぃはそんな看護師さんや手術室の看護師さんにベッドを押されて向こうに消えて行きました。 手術は1時間半ほどで終了すると聞いていました。と、すると今はまだ7時前。遅くなったとしても9時頃には終わるのかなと思って、家族待合室で待っていました。そんな時、りえばぁの手には毛糸と編み針があります。テレビを見ながら、時々時計を見、編み針を動かして待っていました。8時半過ぎから時計を見るのも近くなって、編み物をする手もそぞろになって来ていました。勝手に自分が思った9時になっても、9時半になっても「終わりました!」という連絡もなく、「何か異常が起きた?」などとも頭をよぎったりしていました。何せ、夕べの医師による手術に際しても説明にも、万に一つの事も言われていましたからね。そして終了を告げられたのは、10時を過ぎていましたね。さっそく、私は集中治療室の近くにある部屋に行き、まずは医師の報告を聞きました。パソコンに映し出されたあきじぃの左足には金属の棒が入り、上下はボルトで留められていました。ここまでは全く心配することもない予定通りの手術だったようです。医師の「何か質問は?」という問いかけに、私は「ある人の言うには、金属が入っていると雷が鳴ったときに気をつける必要があるとか聞きますが・・」と質問しました。医師は、「そんな事はないですよ!」と一笑していましたけどね。後は身体に異物が入ったことで、その関係の異常が発生するかも知れないということでした。それを診るためにも今晩は一晩、集中治療室で過ごすと言うことでした。医師の話を聞いて、そのまま帰ろうとする私を見て、中から看護師さんが「麻酔が切れて話が出来ますから、一度会って行かれますか?」と言って下さったので、中に入って様子を見て来ました。手術を施した足は間違いなく左足でした。(実はここが肝心なのです) 病室を出るとき見えた左足の甲にはマジックで×印2個が付けられ、本人にも手術前に「この足ですね」と確認するのだそうですよ。あきじぃには、手術は無事に済んだこと。綺麗に金属が入っていたこと。今晩は辛いかもしれないけど、明日になったら楽になるから、今晩は頑張って!と言い、りえばぁは家に帰って来ました。病院を出て家に電話をし、電話口に出たkenに手術は無事に終わったことを言い、お婆ちゃんはどうしているかと聞きました。お婆ちゃんは、kenの側で「大丈夫だから、早く寝っしゃい!」と何度言っても、寝ないというのです。私はとっくに寝ているものとばかりと思っていましたので驚いて、kenにはもう心配ないから寝るように言いましたが、“手術”と聞いてお婆ちゃんも心配だったのですね。明日から24日までちょっと長い施設でのお泊まりをしてもらいます。どこにも行きたくないと言っているお婆ちゃんをどう説得するか、あれこれ考えながら車を走らせていました。 画像は手術前に撮ったあきじぃの牽引されている足です。すみません、汚いです。 踵の骨にボルトを差し・・・おもりで引っ張っています。 聞いただけでぞっとしてくるのですが、見てまたどきっとするシーンです。食事がのどを通らない・・・この写真を載せながらそう思い、これから私も昼食兼用の朝食を頂きます。 「写真は撮るな!ブログに載せるな!」と怒っていましたが、あきじぃにはどうすることも出来ませんからね。それに自分のこの怪我で皆さんから温かいコメントを頂いたり、親戚からメールや電話があることを言うと、「ブログは書いてもいいけど、俺の事は書くな!」と日頃から言っています。でも、りえばぁその話になると、すぐに話題を変えてはぐらかしているのです。 書くなといったって、この私のブログは私の日記ですから、その日にあったことや家族や関係者のことは関係ないと言うわけには行きませんからね。それにこのように病状を載せるのも、みなさんや親戚・知人への報告になっていることですからね。本人は、このブログを見ることはありませんから、そこは詳しく言わなければ済むのですからね。
2010年01月16日
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これから病院に行って来ます。留守の間の事も準備をしておきました。洗濯物を干し、夕飯にお婆ちゃんの食べるものを用意し、kenにはカレーを作りました。明日からのディーサービスの準備は明日の朝にすれば間に合うと思いますので、それは保留です。 私も先ほどの雪かきで汗をかきましたのでお風呂に入り、その後湯船を洗い、スイッチを入れればお湯が注ぐようにしました。お婆ちゃんの部屋を確認し、薪も小屋から運んでおきました。外に出たら、屋根の雪が通路を遮っていましたので、それをスコップで避けてスキップして通れるほどにきれいにしました。しかし、“風と太陽”ではないですが、お日様の力って大きいですね。雪がちらつく間に時折差す太陽の光が雪を溶かしていますよ。あんなに高かった雪の山が見る間に低くなって来ています。 さあ、準備が出来たところで出発するとしましょう。病院に行く前に寄るところもありますからね。それはスポ少の子どもの親のところです。今日、金曜日はスポ少の練習日です。雪やあきじぃの事故でこの大事な時期にたくさん休んではいけないと、今日は保護者で子どもたちを見てくれるということを言って下さいました。ボールや籠、救急箱などを届けて来ます。 写真は昨日からのものです。せっかく撮ってありますので、アップしておきますね。 土建会社の人が来てくれてあっという間にこんなに綺麗になりました。でも、機械が大きいので、このまっすぐしか除雪はできません。ここから曲がったエルグランドを入れている納屋まで約7メートルほどはりえばぁが除雪しなければなりません。出勤する前のkenにも手伝ってもらって、何とか綺麗に除雪できました。 ご苦労かけたスコップに敬意を表してパチリ! りえばぁが放り投げた雪がこんなに高くなり、向こうが見えなくなりました。 家の前はまだこの通り・・ 病院に行く前にあきじぃからの頼まれ物が軽四の中にあるからということで、それを取りにいきました・・・・・・が、車はご覧の通り、雪に埋まっていました。長靴を履いてはいましたが、とても近づくことはできません。たとえ、その場所まで行ったにしても、とてもドアなど開けられませんよね。そう思って、あきじぃにはその訳をと思って、写真に撮り、「こんなのだから、取って来られなかった!」とあきらめてもらいました。 今日はたぶん、病院に泊まることになると思います。傷病名は「左脛骨骨幹部骨折、腓骨骨幹部骨折」手術名は「骨折観血的手術」・・骨の中に金属の棒を入れ、ボルトで固定する手術のようです。それでは、行って来ます。
2010年01月15日
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昨日、手術に関する医師の説明を聞きに病院を訪れたのは夜の8時でした。医師との約束の時間だったのですが、今日の手術が長引いて結局医師との面談は9時を過ぎていました。そこから丁寧な説明を聞き、あきじぃの用事を済ませて帰宅したのは午後11時になっていましたね。今日はあきじぃが手術するのですが、その時間帯は夕方からの事ですので、今朝はそれほど急いで起きる用事はなかったように思いました。6時の目覚ましも無視して、結局は7時半まで寝ていましたね。廊下を歩くお婆ちゃんの足音ややけに静かな外の様子が気になり、それに今日はお婆ちゃんがディーサービスに行く日ですので、これ以上寝ていたらその準備が間に合わなくなってしまいます。中身は軽く、しかし今は重い頭を枕から引き離し寝床を抜け出しました。そして一番にしたことは、やはり外の雪の様子を見ることでした。玄関の郵便受けには新聞も届けられていて、それほどの雪ではないのではと少し安心しながら玄関の戸を開けました。 果たしてそこには新たに20センチほどの新雪があり、新聞配達の人の歩いた足跡が見え隠れしていました。 新聞がいつも届く時間帯は4時頃です。なのに、昨日は8時頃でしたから、昨日の朝から見れば楽勝というところでしょう。外は確認しただけにし、 まずはストーブに薪を入れ、温かくなるまでにと思い、もう一つの灯油のストーブに火を付けました。お婆ちゃんを呼び、今日はディーサービスに行く日であることを告げ、ストーブの横で着替えをさせました。お婆ちゃんの着る衣服は近頃すっちゃかめっちゃかになって、下から上まで選んであげ、着る順番も言わないと大変おかしな事になってしまいます。その様子を見ながら朝ご飯の支度をし、ともかく朝食を摂ってもらいました。その間にりえばぁは、納屋までの道をつけ、納屋から薪や豆炭を持って来て、赤々と燃えている薪ストーブに入れ、豆炭をほこらしました。ご飯の終わったお婆ちゃんに歯磨きさせ、迎えに来るまで自分の部屋ではなく、この居間で暖まって待っているように言いました。自分の部屋に行くと、電気コタツの電気を付けっぱなしにしていたり、その中に衣類をいっぱい詰め込んだままにしていることがしょっちゅうで、その後をまた見なければならないからなのですね。それで、持っていく物は玄関に出してあるし、お婆ちゃんは黙ってここで座って待っているだろうとの思いで、今度は家まで迎えに来てくれる人のために、通りまでの道を除雪しようと外に出ました。昨夜から積もった雪は、やはり除雪をしないと車は出ないように思えます。町道からまっすぐは後で昨日の土建会社さんが空けてくれるだろうとの考えで、そちらはやめてりえばぁの車を入れてある車庫までをしなければならなく、ともかくスコップを持ちました。ところが昨日より幾分暖かい感じがして手袋をはめずにスコップを持っていたものですから、すぐにマメが出来てしまいました。慌てて手袋をはめ、再び作業開始。昨日からの除雪の雪が高くなり、その上に放りあげるのはちょっと大変。家の中も気になった事もあって、休憩を兼ねて今ちょっと休んでいるところです。さっき入れたコーヒーも冷たくなって、それを飲みながらブログを書いているところですが、「こんな大変な時に、よくブログなど書けるね!」と呆れたみなさんの声も聞こえて来るように感じますが・・・こうしてブログを書く時間が休憩の時間になっている今のりえばぁというところでしょうかね。お婆ちゃんは、雪で遅くなった迎えの車に乗って無事に施設に向かいましたが、私が外に出ている間にストーブで着ていたコートの裾を焦がしていました。これまでもストーブの側に立っているお婆ちゃんを見て、「ストーブにくっつきそうになっているよ。離れないと燃えるよ!」と注意をしていました。が、それは「はい、はい!」と答えていてもすぐに忘れてしまうのですね。 そんなお婆ちゃんを気にしながら暮らすには大変と思い、今朝ケアマネージャーにお願いして、明日から1週間ほどショートスティーに行ってもらうことにしました。お婆ちゃんは「どこにも行きたくない!」とだだをこねていますが、行ってもらわないと安心していられませんからね。病院で所在なげに家の事を心配しているあきじぃにしても、治る物も治らないと行った心境にいるでしょう!あきじぃの入院期間は1ヶ月ほどと言うことでしたが、手術を含めてその事はこの後のブログで綴ります。 さて、kenを会社に送り出す時間になりましたので、これで休憩を終わりにします。さぁ、頑張るぞ!
2010年01月15日
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・・・そんな状態でいるりえばぁです。夕べ、音もなく降っていた(らしい)雪が、今朝起きて見たら・・・・・びっくり!お婆ちゃんではないけど、「こんな雪、初めて見た!」という感じです。玄関のガラス戸をそっと開け、50センチ物差しをその積もった雪に指して見たら、すっぽり埋まってしまいました。 たぶん60センチはあるのではないかと思います。 台所の窓から 庭の木々に積もった雪 「さあ、どうしようか!」と考えましたが、とりあえず夕べのうちに洗濯を済ませていたものを納屋の二階に干さなければとの思いで、納屋までの道をつけにスコップで雪を避けていました。 いつもよりずいぶん早めに起きての除雪作業でしたので、あたりはまだ暗く、そのためか雪道のためか、向こうの県道を走る車はライトを点灯して走っていましたね。すいすいと淀みなく走っている様を見ると、県道の除雪はみんなが寝ている真夜中に行われたのだろうと思っていました。我が家はその県道から100メートル東に入り、 そこから我が家への道(宅道)が20メートルほどあります。県道からの道は町道ですので、町から委託された業者によってその部分は除雪してもらえます。問題はそこから家の車庫までの20メートルほどの事で、いつもはどれほど降ろうとあきじぃが早起きして除雪してくれていたのですけどねぇ。それが昨日の事故であきじぃは病院の中。田んぼの真ん中に住んでいて、ここ数年スコップ一丁持ったこともなかったりえばぁです。突然の大雪、陸の孤島となってしまった事に少々の不安を覚えてしまいました。 雪を避けている後から、その部分はみるみる白く積もっていきます。どれだけ汗をかいて見たと事で、この降り続く雪にはその甲斐もないと思ったことから、ふと考えたのは近くの土建会社の人にブルトーザーで宅道を除雪してもらおうと言うことでした。 今空かしたばかりの道が、後を振り返るともう雪で埋まってしまっています。 家に入りすぐあきじぃに電話をし、あきじぃから頼んでもらう事にしました。今、その方を待っているところですが、その方も町からの依頼でどこかの町道を除雪している事だと思いますから、すぐにとは行かないだろうと思っています。今日はりえばぁ、局の仕事があったのですが、8時半を待って局に電話をし、「車が出ないので、休ませて欲しい」とお願いしました。そして、今日の夜のスポ少練習会も中止にする連絡もしましたので、りえばぁはそれで良いのですが、後は午後から出て行く息子kenの事です。今日は幸い午後も遅い出勤のようですので、3時頃まで開けてもらえば間に合うのではないかと、今はまだのんきに構えているところです。 今現在も雪は降り続いています。屋根の雪も高く積もりましたが、まだふわふわの軽い雪ですので安心していられるのですが、これがもっと降り続き、重くなると雪下ろしをどうするのかと、それも心配するところです。カーテン越しに時折明るくなって来て、開けて見ているのですが雪は降り続いているのですよねぇ。 天気予報では夕方までこの状態は続くと言うことです。まさに雪との戦いというところですが、ここは頑張らなくっちゃね!
2010年01月14日
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あきじぃ、左足骨折(脛骨・腓骨)で入院しました。郵便物の配達中に凍った雪の道で転倒し、動けなくなって救急車で病院に運ばれたということです。りえばぁ、その時は出かけていて、しかも携帯電話を家に置いたままでしたので、連絡がついたのはそれから1時間半後でした。あきじぃは転んだとき乗っていたバイクが自分の足を直撃し、その時にすぐに「やったな!」と骨折を思ったそうです。通りかかった人が心配してあきじぃを助け起こそうとしてくれたようですが、あきじぃは「俺は大丈夫ですから、郵便物を拾って下さい」とお願いしたそうです。あきじぃは転倒したとき、咄嗟に手から離れた郵便物がどこに落ちたか見ていたそうで、その場所をその方に言って一枚残らず回収したということでした。そして自分は自ら側道に身を寄せ、バイクもその方や他の人に寄せてもらってから、郵便局に電話をし、そこから連絡を受けた救急車があきじぃの元にかけつけ、病院搬送となったようでした。私への連絡はすでに診察が終わったあきじぃからで、びっくりしてどきまぎしている私を尻目にずいぶん落ち着いた口調でそのいきさつを淡々と話しました。あきじぃって、そう言う人なのですね。どうにもならないとなったら、すぐに考えを切り替えて冷静になれるのですからね。 私もとりあえずの必要品を持って病院に行きましたが、今の時期病院もたくさんの患者さんで病室が埋まっていて・・・・・あきじぃ、なんと特別室に入れられていたのですよ。1泊11,000円だそうで、 そこにはバス・トイレはもちろんのこと、キッチンやクローゼット、畳の部屋や応接セットなどもついていました。看護師さんも、「高い部屋ですから十分にご利用下さい。」と案内されましたが、どれだけ設備が整っていたところで、歩けないあきじぃがこれらを利用することは出来ませんからね。温かいし、食事も出来るし、お風呂にも入れるし、いっそのこと、お婆ちゃんも連れて一家でここで寝泊まりしようかね!と冗談なども言い合っていましたけどね。ベッドが空いたら他の部屋にさっさと移ってもらわなくちゃ、支払いが大変なことになります。 部屋のことはともかくとして、当のあきじぃは「まあ、しばらく休むさ!」とすでに観念してすっかりリラックスしていますよ。留守中の事を私に指示し、kenと一緒に家の保持に努めるようにとあれこれ言い渡されました。 後で電話をしたら、私が帰ってから医師が来て、筋肉が縮まないようにするために踵に穴を開け、今は足をベッドに固定されているのだと言っていました。ベッドに繋がれた状態で身動きが出来ないようになっているようですよ。手術は早ければ今週金曜日。場合によっては来週になるそうです。何日入院が必要で、その後のリハビリに何日要するのか・・・・・完全復活までは結構な日数が必要なのではないかと思っているところです。これからのりえばぁは、お婆ちゃんのこと、スポ少のこと、除雪のこと、家の内外のこと、自身の仕事と、あれこれ忙しくなって来ることは覚悟していなければなりません。特に、「泣きっ面に蜂」とか「弱り目に祟り目」などと、災難が重なることのないように、家族一同十分気をつけて過ごすよう気をつけてやって行かなければならないと思っています。 しかし、今朝はこの冬一番の寒さでした。昔はこれが当たり前の凍った道路・・・・今朝はずいぶん久しぶりにその光景が見られました。 昨夜出された大雪の予想は、それほどではなく、ただ冷たい風を伴っての雪が窓ガラスに張り付き、寒さをよりかき立てていましたね。そんな中をバイクで仕事する危険性を案じ、仕事に行くあきじぃには「今日は大変やね。ゆっくり気をつけて下さい」と送り出した次第でした・・・・のに。
2010年01月13日
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12日、火曜日はとっても寒い日でした。りえばぁは局の仕事に行きましたが、自分の分も月に一番多いこの日、それに加えて同僚の分もわんさか予定されて、全部が終わって帰局したのは午後4時近くになってしまいました。そこからお弁当を食べてちょっと休憩し、帰局後の締めの作業をし、「失礼します!」と事務室を辞したのは夕方5時でしたね。寒い上に雨が降っては、それだけで仕事が進みません。行く先々の人たちは、寒そうにしている私を気遣って「大変ですね。気をつけて頑張って下さい」と声をかけて下さいました。それに答えてりえばぁは、「はい、寒いですが仕事ですからね!」などと平気な顔をして(つもり)で笑っていましたが、でも今日は本当はとても寒い一日でしたね。
2010年01月12日
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11日、月曜日夜の練習会で、やっと仕上がったチョッキをみんなに渡しました。子どもたちは大喜びしながらさっそくそれを着て練習していました。厳寒の体育館の中は冷蔵庫のように寒いのですが、当の子どもたちは夏と変わらず半袖、半ズボンの姿なのです。少し動くと、暑くてたまらん!と言い出し、頼むから着ていてくれと言ってもすぐに脱いでしまうのです。でも、ちょっと休むと途端に冷えてしまいますので、今の時期は小まめに衣服で体温調節をする必要があり、私たちはバレーボールの指導以外にもそこを注意していかなければならないのですね。その点でも、この毛糸のチョッキは脱ぎ着が楽な分大いに活用できそうですね。今晩も脱いだり着たりしながら走り回っている子どもたちを見てそう思っていました。 子どもの一人がお正月に編みかけたものを「出来たよ!」と言って持ってきました。 並太の毛糸を8号針で横70目、それを表編みだけ表と裏を繰り返し、ガーター編みで11センチ、ただコツコツとひたすら編むというものでした。あのお正月の2日に家に集まった子どもたち。書初め、食事会、ポスター作り、宿題のドリルの勉強・・・そして最後にみんなで編み物をしました。まったく編んだことなどないという子どもたちでしたので、それは仕上がるには至らず、途中で時間切れになってしまいました。そこで、「編めても編めなくても構わないから!」と とりあえずそのまま持たせてやりましたが、今時、子どもたちの母親も手編みなどしない人がほとんどで、うろおぼえで帰った子どもたちは、たぶんその続きは出来ないだろうと思っていました。ですので、この子どもがきちんと最後まで編んで来た事は驚きの事でしたね。聞いて見ると、その家にはお婆ちゃんもいて、そのお婆ちゃんに習って編んだようでしたよ。とても上手に出来ていて、ここが褒め時とばかり、私もあきじぃも大いにその子を讃えたのですが、・・・・・・さあ、ここまで編んだら、あとはりえばぁが仕上げてあげないといけませんね。 これはチョッキが仕上がってから、子どもたちが編んでいる物と同じものを見本にと思って編んだ物です。 小物いれですね。三つ折りにして、ふたの部分に別糸で小花を編み、縫い付けました。花の真ん中についている飾りは、りえばぁの昔の洋服を処分するときにボタンだけを切り取っておいたものです。「使うことはないかも!」などと思っていたのですが、こんなところに生かされるとは思っていませんでしたねぇ。 また、ふたの裏にはスナップを付けて、中に入れた物が飛び出さないようにしてあります。 その子(hitomi)の編んだ物も、こんな風に可愛く仕上げてあげたいと思います。 ところで、子どもたちが「編み物をしたい!」と言ったとき、りえばぁは「わぁ~、面倒だ!」と思ったと同時に「しめた!」とも思いました。もちろん女の子たちですから、こんな事に興味を持った事が嬉しかったのもありますが、「編み物ってこんなに面倒な事なんだ!」「しんどい事なんだ!」と、わかることで、りえばぁが編んであげるチョッキを大事にしてくれるのではないかと思ったのですね。編み物にかかわらず、今では何でも手軽に驚きの物が買える時代です。作るより買った方が安くつくということもあります。でも、手作り品は物を大事にする心を育てるのではないかと思うのですね。どの子も優しい娘に成長して欲しいと願い、そのためにしてあげられることがあればと思って、あれこれ考えている私たちなのですね。 ☆ ☆そうこうしているうちに仕上がりました。ジャ~ン! hitomiの嬉しい顔と、まだ編み終わっていない子どもたちの顔が目に浮かびますね。
2010年01月11日
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自分で勝手にこぎ出した舟もやっと岸にたどり着きました。そうです。子どもたちのチョッキがようやく完成しました。まずは作品を見てやって下さい。 みんな同じサイズ、同じ模様ですので、このまま渡したら大変な事になってしまいそうですね。「私のはどれだ!」と、引っ張り合いになりかねません。 そこをどうしようかと思ったのですが、手っ取り早いのは刺繍と考え、左下のところに別色の毛糸でイニシャルを入れました。これで脱いだとき混じってもわかりやすいですね。 寒い体育館の中ですが、これを着て練習したらへいちゃらとまた子どもたちは練習を頑張ってくれるでしょう。子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かべならが、編み目を整えるための最後の仕上げであるアイロンかけをしていました。 ----------------- 11日は成人の日ですが、我が町では今日日曜日に成人式が行われました。この成人式にはりえばぁも町から招待を受けているのですが、もたもたしているうちに時間が経ってしまい、行きそびれてしまいました。あれこれしながら、スポ少の卒業生で今年は誰が成人式を迎えたのかな?などと思っていたのですが、午後、玄関の呼び鈴が鳴り、そこに綺麗な着物の女性が父母に付き添われてたっていました。 この子の名前はitiyouと言います。実は20数年前、この子の両親が結婚する際に、あきじぃと私とで仲人をさせてもらったのです。 同じ町に住んではいますが、少し遠くでもあり、生活するに共通点もそれほどなく、近年においては日常のお付き合いは皆無と行って良いほどでした。親たちでさえそんな感じですから、娘のこの子とはもっとの事で、実に小学生以来の再会となりました。 でも、清く正しく育って来たようで、常識もきちんと備わっているようで、今時のキャピキャピギャルとはほど遠く、とても感じの良い雰囲気を持っていましたね。落ち着いていてしっかりと挨拶をしてくれましたし、何より近年のど派手な着付けではなく、清楚な着付けを見ただけで、この先のこの子の人生が確かな物として写り安心感を抱かせてくれるようでしたね。 全国の市町村でも日曜、月曜と一斉に成人式が行われているようですね。どこもその特徴を出し、良い成人式を催しているようですが、中には一部のバカな成人者によって大切な成人式をぶちこわしているところもあるようです。人に迷惑をかけて大人社会への一歩を踏み出す成人者もいるようで、この人たちは自分たちのしていることをどう見て、そしてこの先の一般社会でどう責任を果たしていくのかなと嘆かわしく思っていました。早く良くないことだと気がついて、長き人生をしっかり歩んでいってもらいたいですね。
2010年01月11日
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お婆ちゃんを美容院に連れて行きました。今日の美容院は、お婆ちゃんが自分一人で行けていた頃の行きつけのパーマ屋さんでした。でも、そこはずいぶん久しぶりのはずでした。 その美容院は我が地区内ですが、1,5kmほど離れた国道添いにあります。三輪自転車を自分で漕いで行っていたときの終わり頃には、この1.5kmの道路も車道の真ん中を走って行き交う車を止めたり、国道の渡りかたにも危ない様子が見られました。また、美容院での代金を支払うにも勘違いなどが起こり、お互い不愉快な思いもしたということもありました。 そんな事もあり、美容院には私の方で髪の毛の様子を見て連れて行くようになりました。でも、そこは長年通い慣れたその美容院ではなく、りえばぁ行きつけの美容院や他の店に連れて行っていました。実はその美容院は丁寧で綺麗にしてくれるのですが、ずいぶん料金が高いのですねぇ。パーマ液が特別なものを使っているからだそうなのですが、私にはもったいないと思う気持ちが高く、そこにわざわざ連れて行く気にはならなかったのです。お婆ちゃんにしてもその美容院でなければ嫌だとは言いませんでしたので、 この一年の間に一度も行っていなかったように思います。で、今回連れて行ったのは、お正月に届いたお婆ちゃん宛の年賀状や、あきじぃに「○○さんは元気ですか?」と配達の都度言われる言葉に、根負けをした形でたまには連れて行こうかと思ったのですね。 そして今日の朝8時半過ぎに家を出たのですが、3分ほどで着いた店内には肝心の美容師さんの姿がなく、住まいに通じるドア越しに大きく呼びかけましたが返事はなし。でも、店前の美容院のシンボルである(なんて言うの?)のが、くるくる回っているし、店の中でもテレビや電気がついていましたので、直に現れるだろうと思いました。でも、今日はりえばぁ一時でも無駄な時間を過ごしたくないと言う気持ちでいましたので、バッグの中からメモ用紙を出し、そこに伝言を書いてお婆ちゃんに持たせ、店の人に渡すように何度も言って帰宅しました。そのメモには「髪はお婆ちゃんの好きなようにしてあげて下さい。そして終わりましたら下記へ電話して下さい。」と携帯番号を書いておきました・・・・が、 ・ ・ それから2時間以上も経った11時半頃、携帯電話ではなく家の電話に、「終わりましたので迎えに来て下さい。」と言われるのです。もしやと頭をよぎりましたが、その通り、 渡してくれたと思っていたメモはお婆ちゃんの服のポケットの中にありました。 店の人はお婆ちゃんのことを「お元気ですね!」と感心して褒めてくれましたが、「身体は元気ですが、何でもすぐに忘れて、これこの通りですよ。」と言わざるを得なり、店にはお婆ちゃんの実態を知ってもらう事になってしまいましたね。綺麗にぴっかぴかになった頭に満足しただろうと思って、「きれいだよ~」と言ったのですが、反応は今ひとつ・・・。 あれほど頭を気にする人が、それほどの思いもしなくなったのかとその衰えにがっくりしてしまいました。 毛染めをして部分パーマをかけて、カットをしてもらって、料金は12,000円也。(ギョエー)その金額だけはしっかり覚えていたようで、家に帰ったときに年中変わらない自分の財布を持ってきて、私に渡すお金が足りないと言っていましたけどね。 そんなすったもんだと、大変記憶にも新しい出来事だったはずなのですが、夕飯時のあきじぃからの「今日、どこかに行って来た?」の問いかけに、「な~ん、どこにも行かんよ!」としら~とした顔で答え、浮き浮きした声で、「パーマに行って来た!」と答えるだろうことを期待していたあきじぃをがっかりさせていました。それでもあきじぃ、何とか美容院に行って来たことを思い出させたいらしく、その後の答えを待っていたようですが、お婆ちゃんの口からは 「あいの風(ディーサービスのこと)に行って来たっけ?」とか、「川瀬さん(行きつけの医院)に行ったっけ?」などと一向に肝心の美容院という言葉が出てこなく、 そのうちおかしな方向に事態が動いて行くように思われたらしく話は途中で終わっていましたね。美容院、病院、あれこれと大したことのないのに振り回されるような感じになって、仕方がないと思いながら少々いらつくこともありますね。それは私たち自身、お婆ちゃんはまだまだ自分の事は自分で出来るのが多いことで、ちょっと考えればできるはずなのにという気持ちでいるせいなのでしょうね。大きな気持ちで、見てあげなければならないのですが・・・修業が足りません。 -------------------------------午後はスポ少の練習会でした。今日も子どもたちは元気です。3時間の練習時間のうち、半分はトレーニングに要し、途中休憩では紅茶やみかんなどを食べながらゆっくり、でも真剣に練習していました。今日、明日と6年生はKチームと一緒に滋賀県の方に遠征しているそうです。雪の高速はどういう状態なのかと少し心配になりましたが、子どもたちは張り切って出発したそうです。いろいろな事を体験して、さらに大きく成長してくれると期待しています。
2010年01月09日
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1月も8日にして、スポ少バレーボールの活動は今日が初練習、今年はずいぶんゆっくりスタートとなりました。折しも今年は、夜の練習からの始まりとなったのですが、子どもたちは練習を待っていたようで、みんなニコニコして元気で参加してくれました。今は6年生が抜けて下級生だけ7人の練習会。寒い体育館がなおさら寒い感じがしてくるようですが、今年の下級生はともかくみんな元気です。身長も一番小さい子で144センチというほどで、ずば抜けて大きい子はいませんが、平均して大きく感じられるのではないかと思っています。子どもたちは見ている間に大きくなりますから、今年夏頃には身長と共に体力もつき、バレーボールの技術はもちろんのこと、精神的にも成長してたくましくなっていることでしょう。「ファイト、ファイト!」とランニングする後ろ姿をみながら、りえばぁそう思っていました。 新チームの良いところは、どの子も素直であることですね。こちらの言うことにも理解する力があり、練習も熱心にコツコツ出来る子ばかりです。保護者の皆さんも、私たちと一緒になってチームの子どもたちを育てて行こうという気持ちを表わしてくれていますので、今年もきっと楽しいチームづくりが出来るのではないかと期待しているところです。 子どもたちへのチョッキもあと少しで仕上がります。みんなお揃いでそれを着て、寒い体育館での練習が少しでも温かく練習が出来るようにしたいと思って、今せっせと仕上げにかかっているところです。
2010年01月08日
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7日、今日は仕事日でした。富山県地方は朝からみぞれがしとしと降り続いていました。外歩きをするには雪よりも始末の負えないのがこのみぞれ模様のお天気です。 そんな中、りえばぁには他の社員さんたちから依頼された訪問先もたくさん予定され、自分の分と合わせて全部で30件近くになりました。それで、今日は件数も多かったのですが、その範囲が海から山と縦長に、また我が町と隣町までの横に長くということで広範囲な距離になりました。今日のようなお天気はバイクで回るのは大変な事なので、そんな時、社のスーパーカーで仕事をしているりえばぁがみなさんの“おたすけマン”になるのですね。 今日の行った先で特に大変だった地「雪国」域がありました。国道からも海からも近い地域なのですが、そちらの地区に行くには一つのトンネルを抜けなければなりません。そして抜けたすぐそこには続けて高速道路と北陸新幹線の高架橋があり、そこをくぐると間もなくその地域はあり、それほど山奥というところではないのですが・・・・・、そこは川端康成の小説「雪国」と同じように、雪がたくさん積もっていました。 「笹川地区」というところなのですが、山と川に挟まれた狭い土地柄、家々が山の斜面に添って2列、3列と折り重なっている箇所もあります。雪でもなければ、それほど不便とも思わないのかも知れませんが、りえばぁの家の周りのように平面の田んぼの中とは大違いで、りえばぁは訪問するお宅を探しながら、この土地の独特な雰囲気と入り混んだ道に迷いそうになりましたね。道路から山の斜面にびっしり乱立している家々には、このように階段状の石段が積み上げられています。 ほとんどの家がこのように自分の家にこのような石段を上り下りしながら出入りしているようです。他に道はありませんでしたから、たぶんそうなのでしょう!ですから、家の前に車を乗り付けるということが出来ませんから、それらの家はずっと下の駐車場においては、そこから歩いて家まで来ると言うことなのだろうと思っていました。このひな壇の3段飾りのように斜面に添って建てられている家々の間には道路もありましたが、その道幅は狭く、小さな車がやっと通れるというような感じでした。ですが、どんなに雪が降っても山からの水を道路に流しているため、その道路にだけは雪は全くありませんでした。でも、この土地には絶対ゴム長靴は必要だろうなという感じでしたね。 シャーシャーと山の水が流れています。こちらの地区には4軒訪れる家があったのですが、用が叶ったのはそのうち2軒だけ。長い時間をかけてやっと探しあてたのに、あとの2軒にはカギがかけられ、その家の方は不在でした。 残念!今日訪問する事は知っているはずのお宅ばかりなのですが、不在で空振りも良くあることです。でも、今日のこの土地での事は、みぞれの中探し当てるのに時間もかかり、骨折り損のくたびれもうけ!って感じでしたね。 ----------------- 私の仕事先である入善郵便局は、東を新潟県を境にし、西は立山黒部第四ダムを源に流れる一級河川黒部川からこちら、朝日町と入善町という二つの町からなる下新川郡を管轄しています。 富山県 > 下新川郡 左が入善町、右が朝日町 下新川郡(しもにいかわぐん)は、富山県北東部の郡である。人口41,019人、面積297.61km²、人口密度138人/km²。(2009年11月1日、推計人口) 以下の2町からなる。 朝日町(あさひまち)入善町(にゅうぜんまち) そのことから、りえばぁもこの範囲内で自分の受持地区の他に皆さんの分をもその日によってお手伝いという形で回っているということです。
2010年01月07日
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私の局での仕事も始まり、またお正月休みにしていたスポ少の活動も間もなく始まります。こうして、平成22年もあらゆるものが発進し始めている中、年末から編み始めた子どもたちへのチョッキ制作にあせあせと余念のない日々をすごしているりえばぁです。 そして、そのチョッキを早く仕上げたいものと、少しの暇で一段でもとせっせと編み針を動かしているため、皆様への訪問ができずにいます。皆様には私の拙い日記にコメントをいただいている事もあり、大変心苦しく思っているところですが、そのうち、一気に見させていただきますのでどうぞお許しくださいね。 さて、昨日5日の初仕事もみぞれが降るとても寒い日でしたが、予定されてところも順調に終わることができ、今年も自分では好発進できたかなと思っているところです。 週に2日だけのパートお婆ちゃんですが、みなさんのお役に立てるよう今年もまた頑張って見ようと思います。昨日あきじぃが届けてくれた年賀状の中に、先の局長と現在の局長からのものがありました。現在の局長からは添え書きがあり、そこには、「汗の流れ落ちる猛暑の夏も、風雪の強く吹く冬も、黙々と渉外社員のバックアップをいただき感謝しています」とありました。これを見て、この言葉は半分以上はお世辞だろうと思うのですが、でも、正直嬉しい気持ちでいっぱいになりました。私は局長へはおこがましく思うところから、年賀状を出していませんでしたので、すぐ返事を出しました。そこには、「余りの人生の一部を、自分の出来る事で人様の助けになれれば幸せな事と思っています。今年も健康で明るくお客様との対話が出来ることに努力し、この仕事を与えて下さった局の皆様に感謝しています」と書きました。私の局での仕事はお客様のお宅を訪問して、その家の方とコミュニケーションをとりながら進めて行く仕事です。そこには毎月お顔を拝見する人もいれば、一度で終わりという方もおります。そのどちらであっても、他人様と親しくお話をするということは、それほど簡単なことではないのですね。 60歳までのりえばぁの会社生活では、事務所での事務員や労働組合の職員として、そこに来て下さる方たちとは仕事を中心としての対話はありました。その点においては、ずっと現場で機械と対話しているだけの仕事ではなかったことに自分の財産となって今の仕事にもつながっているように思っています。 会社では目的が同じで話をするという事が多かったですから、それほど人間を見て深く対話をするということは少なかったと思います。でも、今の仕事のそれと違う大きな点は、こちらからその方のお宅を訪問しての事ですからね。その方の都合とか、心身の具合、家族関係、もちろん年齢的にも性格的に一人一人、一軒一軒違いますので、その対応の仕方も都度変えなくてはならないのです。でも、何よりその前に自分自身の気持も服装も整えておかなければ、それは相手にとっても礼を欠くことになりますから、人との対話はまず自分からと言う事になると思っています。60歳もずいぶん前に過ぎ、自他共に老人会員が似合う歳になって来ているりえばぁです。家には92歳のお婆ちゃんがうろうろしていますし、このお婆ちゃんの事も考えなければなりません。今年はこの先どうなっていくのかわかりませんが、来年の今頃も今日の今とあまり変わりなく、こんな事を言っていられれば何よりな事ですね。大きな事を望まず、「昨日と変わらない平々凡々の普通の生活が今日もできた!」と。その事のための小さな努力は欠かさないようにしたいと思います。 -------------- 毎日雪が降っています。あきじぃが行った雪囲いも今年は十分にその役目を果たしているようです。宅道から先の町道は、町から委託された建設業者の大きな除雪機械のよって、降っても車がすぐに通れるように雪をよけてくれているのですね。
2010年01月06日
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1月5日火曜日は今年初めての出勤日でした。よりにも寄って、その仕事始めとなった本日はみぞれの降るとても寒い一日となりました。りえばぁ、仕事では局の車を使っていますので車の中は温かく、それは助かっているのですが、ずっと乗りっぱなしではないですからね。お客様のお宅に伺っての仕事ですから、その乗り降りにお天気が悪いと困ってしまうのですよね。と、まあ、こんな事はバイクで仕事をされている皆さんに申し訳ない事ですから、とても口に出して言えない事ですけど・・・。ところで、暮れの31日にりえばぁは局に届けものをしました。それはこれ! 模造紙1枚の大きさです。昨年はこの半分にも満たない小さな紙に、それなりのおめでたい言葉を書きました。そして年末年始も休まずに働いている社員さんにせめてものお“正月気分”をとの思いで、社員さんが出入りする通用口の入口のホワイトボードに貼りました。その個所には、配送センターの女性の方が年間通してきれいにお花を飾ってくれていて、お正月にはお正月用の花を飾ってくれていました。それをふまえて、今年も同じようにそこに貼ってもらおうかと考えたのですね。その事は局の総部部課長からも頼まれていましたしね。 で、何がびっくりしたかと言うと、これが社員通用口にではなく、お客様がこられるホールのまん真ん中に貼られていたからなのですよね。そんなつもりで書いたものではなかったので、りえばぁ本当に驚いてしまいましたよ。あれを書いたときは、りえばぁ数時間前からの急な腹痛にお腹をよじらせていた時でした。31日のお昼にもなろうとした頃で、時間もなく、少し焦っていました。腹痛を我慢して何とか書いて、ストーブの横に置いて乾かし、何とか届けました。そんな心もこもっていない、不満足なものでしたからね。 kenも「お母さん、お腹が痛くてうまく書けないんでしょう!」などと言っていたくらいのこの書ですし、多くのお客様の目に留まるであろう、そんなホールに掲示されていたなどとは今日の今日まで思いもよりませんでしたよ。 ------------------------------もう一つ、驚いたことがあります。それはお婆ちゃんのこと。4日、今年初めてのディサービスの日。その日お婆ちゃんは、下着の上に上着を着ないで毛糸のチョッキと、ダウンのチョッキを2枚重ね着し、その一番上にオーバーオールのようなのを着ただけで行ったようでした。 お婆ちゃんは感覚的に動きます。それが特に近頃多くなりました。ぼう~と所在なげに見える様子からは、何にも考えていないように見えるのですが、突如何かを思い出したようにその事を始めるというのが出て来ています。前後を考えていませんので、それが何であろうと、その後には必ず決まって私たちを困らす事態が発生しています。危険な事以外は、少し注意してもそれ以上は言わないようにしてはいるのですが、そんな事が今後は加速しそうで大変心配ですね。 いろいろ、「はぁ~~~?」というような事が起こるのですが、その中でお婆ちゃんの近頃目立ってダメになって来ているものは衣服の着衣です。体感温度も壊れて来ているのかと思うほど、着る物が毎日バラバラでしかも順番で着る事ができなくなっているような感じです。変化のない毎日だと思うのに、部屋から出て来るその姿を見ると「うわ~、何と言う格好している!!」と驚く事が多いのですね。着替えさせるにも面倒がりますので、そのままにしていますが、何枚も同じものを重ねてはだるまさんのようにぶくぶくになっていたり、セーターや上に着るものを着ないで、下着だけになっていたり・・・・・。 4日のディーサービスから帰ってから連絡帳を見たら、そこには「上着の下にベストが2枚着て、その下は下着でした。」と書かれてありました。りえばぁは、お婆ちゃんがディーサービスに行く時も、お婆ちゃんの服装は上から見ただけでその下は見ませんので、どのような服装になっているのかはチェックしていません。何度も着替えるのを面倒がりますからね。時間もとてつもなくかかりますので、本人がそれで良いというのなら、それで良いかと思うようにしているのです。施設にはそれを承知してもらって、暑かったり寒かったりは調整してもらうようにお願いしているところです。
2010年01月05日
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子どもたち用のベスト、ともかく編んでいます。テレビを見ながら、ガスに鍋をかけながら、時に居眠りをしながら・・・やっとここまで出来ましたが、でも、完成までにはまだまだこれから先、時間がかかります。 一枚試作品として仕上げた後は、残り6枚を同時進行で編んでいます。 一段でも編めばそれだけ確実にゴールに近づきますし、編まないといつまでも仕上がりませんので、こうしてちょっとの時間でもせっせと手を動かしているというところです。時々私のその様子をあきじぃが見て、「良くやるな!」と半分あきれ顔で呟いています。こんなに根をつめて編んで、目や肩が凝らないかと見ているものは思うようですが、りえばぁそれほど肩こりも目の疲れも感じないのですね。それはきっと、手元はほぼ見ないで編んでいるからなのでしょう!でも、時々は気分直しに、こうしてブログをのぞいたり、書いたりと別の事をしてはまた気分を新たに編み針を動かしていった感じです。7枚の完成まではまだ3~4日はかかると思うのですが、乗りかかった船でもありますから、最後まで頑張る事にしましょう。しかし、誰に頼まれたわけでもないのに・・と、自分の事を外から眺めて呆れている部分もあるのですねぇ。 ---------------------------3日、書道教室の先生から一枚の葉書が届きました。他の年賀状と一緒になってあきじぃが配達した中に入っていましたので、何気なく思っていました。と、数枚を裏を返して見て行ったのですが、その一枚には年賀状以外のはがきがありました。そこには「入賞のお知らせ」とあるのです。「何の?」と思いその先を読んで見ると、 “書初めコンクール”一般の部で審査の結果、「秀作賞」に入賞しました。おめでとうございましたと書いてありました。教室を主宰している書道院がこの1月末に富山大和デパートで開催される「新春書初めコンクール」に私の作品を選んでくれたらしく、会場へ見に行って下さいと付記されていました。下記は先日見ていただいたもので、その賞に入ったというのは、書いている字体の一字を書き方を変えて提出したものです。いま我が家の廊下の奥にかけて、お正月らしい気分にしているこれですが、“秀作賞”というその賞、どれほどのものかわかりませんが、ともかく選ばれたということは正直嬉しいですね。平成22年が始まって、今年の書道にもあることを目標をかかげていますが、それの励みにもなるようで心からありがたく思っているところです。
2010年01月04日
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昔から新年2日は「書初め」をする日と言われていますね。“なぜ2日に書き初めをするのか”、調べて見ても未だ定かではありませんが、りえばぁの実家では子どもの頃からごく普通に行われてきた行事でした。りえばぁ、子どものときの実家には兄の子どもが私の3歳下の姪を頭に甥が2人いて、合計4人の子供がいました。その4人が2日には、寒い廊下に習字の紙を伸ばして書いていました。上手に書けても書けなくても、それが乾いたらその全部を茶の間の長押にかけてもらってお正月中飾っていましたね。小正月の15日にはそれを神社で他の縁起物と一緒に燃やしていましたので、それを考えると書道の上達を願って行われる、まあ“筆始め”と言うべきか、結構真面目な意味での神聖な行事だったのでしょう。まあ、昔はそんなことなど一つも考えることなく、ただ「2日は、書き初めの日」としてだけで行っていました。こちら富山に来てからは、そういう習慣の無い我が家でしたから、数年間はすっかりその事さえ忘れていましたが、再び、「2日に書き初めを!」としょうと思うようになったのは、子どもたちが小学生になったときのことだったと思います。普段授業などでそれほど書道の時間などはなく、筆を持つ機会もない今の子どもたちのようですが、この冬休みには必ず「書初め」の宿題がありますからね。 ----------------------で、 そのことはおいておいて、12月のバレーボールの練習中の時、一生懸命頑張っている下級生たちを見て、ふとりえばぁはこの子どもたちをお正月に家に呼ぼうかなと思ったのですね。話の中で「書初め」の事が出て来て、「じゃ、2日に先生家に来て、書き初めをする?」と言うと、子どもたちは目をランランに輝かせて、即決まったということでした。下級生7人のうち、maiだけは父母の実家に帰るため参加ができないということでしたが、後は全員参加。reinaの2年生の弟が加わりましたので結局集まった人数は7人となりました。 午前10時に集まって、迎えに来てくれた親に渡したのは午後5時。その間の一日の様子を写真に撮りましたので、どうぞ見てやって下さい。 家に来て、まず納屋の二階で書き初めをしました。 約1時間半でほぼみんなが仕上がりました。そのご、書いた書初めはその場に広げたままにして乾かすことにしました。他の荷物は全部片付けて、今度は温かい家の中に入りました。 ストーブにあたったり、おやつを食べているうちにお昼に近くなりました。玄関でピーンポーンと呼び鈴が鳴り、注文しておいたピザが届きました。 さあ、お昼タイムです。 りえばぁ得意のカレーライスも登場です。お代わりしてくれた子もいましたよ。 小学生が“花札” 学校に貼るポスター作りもしました。 切ったり、貼ったり、コメントを入れたり・・・・すべてを子どもたちに任せました。頭を寄せ合って、あれこれ相談して 今年後半の「活動の記録」が出来上がりました。 (すごく上手で、りえばぁはとても感心しましたよ。これからはこういうものは子どもたちに任せようかと思っているところです。) 子どもの一人が宿題のドリル?を持って来ていました。漢字や計算がたくさん乗っていて、まだずいぶん書いていないところがありました。それをああだ、こうだと皆で教えあっていましたね。4年生の子の宿題は5年生の子にはやはり簡単に分かるようですね。 私はそれらを見ながら子どもたちのチョッキをせっせと編んでいたのですが、それを見て、「私も何か編みたい!」と言う子がいて、結局みんなが編むことになりました。 残り毛糸を探し出し、編み方を教えていたのですが、初めて編むという子ばかりで、時間ばかりが経ってしまいました。夕方5時になり、迎えの親の来た事で、そこで今日は終わり!ということで、毛糸と編み針はそれぞれ持って行ったのですが、まあ、たぶん、一列も編めず、「わからん!」と持って来ることになるでしょう! そんなこんなで今年2日目は終わって行きました。
2010年01月02日
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皆さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 さて、こちら富山は寒い雪の中で新年を迎えました。この写真はさきほど7時頃の元旦の我が家です。昨夜からの雪が窓ガラスにはりついて、家全体が凍っているように見えますね。雪の量はそれほどなく、気温が低く風が強かったようです。 でも、人間の身体ってうまくしたもので、この寒さでも慣れるとそれほどにも思わなくなるのですね。 洗濯ものを干しに納屋の二階まで行って来たのですが、一枚羽織っただけでそれほど寒いとは感じませんでしたよ。四季のある日本って「良いぞ~!」と一人つぶやき、年中常夏に住んでいる長男夫婦を思い出して、ついこの写真を今年一番に載せてしまいました。 外からはこんな氷のような我が家ですが、居間には薪ストーブが焚かれ、ストーブの上にはやかんにお湯が煮立ち、シュンシュンという小さな音を立てています。その音はなぜか心を穏やかにして、ストーブの暖かさで身体の芯までぽか~と暖かくしてくれます。そのストーブの横で、りえばぁはお正月番組を見ながらせっせと子どもたちのチョッキを編んでいるのですよ。幸せって、こんな事でも感じるものなのですね。 正月らしく、廊下の一番奥に先日書いた“書初め”をかけました。一枚は今月末の富山大和デパートでの書初め展に展示されるため出してありますので、これは書き方を変えた2枚目のものです。「寿山福海」 意味=長寿と福徳のいや増すことを この句は、「寿は南山に比し、福は東海の如し」を端的に言い換えた表現で す。寿命は、中国・西安の南方にある終南山のように堂々と高く、そして福海は 東海(東シナ海)のように大きく深い事を寿ぐ、めでたい言葉です。この「福海」と は、善い行いによって得られる、心の豊かさです。 いくら富を蓄えても、満ち足りた心がなければ幸せとは言えませんね。逆に、 貧富にこだわらずのんびり構えれば、そこには豊かな心が芽生えます。もちろ ん、富と心の両者に恵まれれば、それに越したことはないのですが。 またこれは、心と体の関係にもあてはまります。思い悩むことが多ければ、そ れが体に少なからず影響を与えますし、逆に心が晴れやかであれば、多少の 体の不調は気になりません。 このように、心と体は密接な関係にあります。豊かな心のあり方が、真の幸せ へとつながっていくのです。 りえばぁ、このような作品を書くときにはその意味を噛み締めて一字一字書いてはいるのですが、“のど元過ぎれば~”とせっかく有難い言葉に触れても、すぐにその事を忘れて、元のいけないりえばぁに戻ってしまうのですね。今年は書道の上達とともに、それらを少しでも身につけたいと思っています。 ----------- 我が家の一番の元気印であるあきじぃは、さきほどお雑煮をいっぱい食べて仕事に出かけて行きました。今日は午前7時から“出発式”があるそうです。年賀状配達があきじぃの今日の仕事ですが、日頃の数十倍も時間がかかります。しかも雪道をバイクでですからね。十分注意して、皆さんが待っている大切な年賀状を無事に届けてくれるように願っているところです。
2010年01月01日
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