灰谷健次郎氏が死去 神戸市出身
2006/11/24神戸新聞より
「兎の眼」「太陽の子」など、ひたむきに生きる子どもの姿や人間の優しさを描いた児童文学作家の灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)さんが二十三日午前四時半、食道がんのため静岡県長泉町の静岡がんセンターで死去した。七十二歳。神戸市兵庫区出身。葬儀・告別式は故人の遺志で行わず、喪主もおかない。
灰谷さんはJR兵庫駅の裏の長屋で生まれた。ピーナツの皮むきや印刷見習い工、溶接工をしながら定時制高校に通い、一九五六年に大阪学芸大(現大阪教育大)を卒業。神戸市立妙法寺小など市内の小学校に十七年、教師として勤務した。
だが母や兄の死などがもとで退職し、アジア各国や沖縄などを放浪。詩や小説にも取り組んだが、最終的に児童文学に希望を見いだした。七四年、厳しい環境にあっても希望を失わない子どもと若い教師の交流を描いた長編「兎の眼」を発表。日本児童文学者協会新人賞を受賞し、ミリオンセラーとなった。
「太陽の子」(七八年)は、神戸の下町が舞台。琉球料理店の一人娘で小学生のふうちゃんを主人公に沖縄戦をテーマにした生と死を描き、幅広い世代に支持された。
八〇年からは淡路島の北淡町(現淡路市)で田畑を耕し、自給自足生活を送った。八三年には教師時代の同僚らとともに「子どもが中心」を理念とする太陽の子保育園を、神戸市北区に開設した。
九一年、沖縄県渡嘉敷村に移住。九七年、神戸市で起きた連続児童殺傷事件の容疑者少年の顔写真を新潮社刊行の写真週刊誌「フォーカス」が掲載したことを批判し、同社と「兎の眼」など自分の全作品の出版契約を解消した。米軍普天間飛行場の移設問題では反対派の抗議行動に自分の漁船を提供するなど、社会的活動でも知られた。
神戸新聞で二〇〇四年十一月から「乾いた魚(さかな)に濡れた魚(うお)」を連載したが、翌年二月、病気・長期療養のため打ち切られた。一九七九年にはコラム「随想」も担当した。
【ろくべえまってろよ】が大好きでした。
大人になってからも何度も読みました。
子供が出来たら読んで聞かせます。
灰谷さん、安らかにお眠りください。
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