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下照姫神社(由緒)
御祭神下照姫は大国主神の御子神に座し
容姿は光り輝くばかりの艶麗なりしが故にかく称え奉る
御鎮座は最も古く年代不詳なれど
その昔此の宮は現在の近接「吉聖の森」に鎮座し
大小の祭礼盛大に行われしが
応仁の乱後、戦火の厄を蒙り社運衰微したり
慶長5年、藩祖黒田長政公
博多の街割をなしたる時、現在の地に移せり。
古来、住吉神社恒例の大祭神輿の渡御ありし祭りの頓宮なり
此の縁起により明治45年住吉神社の摂社となれり
旧瓦町は黒田藩の瓦師として
備前国より随行した由緒ある町で
当神社は町の守護神として
なの津と言った頃に鎮座され吉祥天社とも称し
古来より博多及び周辺の人々に
縁結びの神として親しまれ敬恭されている
神社の由緒書きを読むことなど 滅多になく
たまに気が向いて目を通しても
その内容をすぐに忘れるような
私ですがどうしてだかこの由緒書きを
その場で二度、読み返しましたよ (・_ ・)ジーッ
写真からも推測できると思いますが
この社はビルとビルの隙間の
とんでもなく狭いスペースに挟まれるように
建っています。
由緒書きによると
大変古い歴史がある。。。らしい。
(年代不詳不明などの記載は、多分よくある)
吉聖の森という森があった
(聞くところによると、竹林だったとか?)
大小祭礼が盛大に行われていたが
戦火の厄を蒙り衰微し
黒田長政公の都市計画の際に
今の地に移された。のですね。
戦火の厄を一身に受けたが故に
社運衰微しちゃいました
と、書いてありますね。
これをさーっと読んだ時
凄いことが書いてある。。。と思って
言葉と言葉の間、行と行の間
そこに、凄いんだけど風化してしまった
物語が沈んでいるな~。。。とか。。
由緒書きにあった
住吉神社の摂社になれり
などを読むと住吉神社よりも歴史は
浅いかのような印象を受けますけど
実はもっと古いんじゃあなくって?とか
なの津と言った頃に鎮座され。。
流してしまいそうな一文に何か、込められてないですか~?
地元福岡に住んでいる からそう感じるのかな~?
そう 思って、簡単に調べてみると
色々と出てくるから面白い。
こういうのは、「ん?」と気になってしまった瞬間に
もう、ハマっているのかもですね
ちょっと、追っかけてみようなか?
すっきりしたいので。