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Ryu-chan6708

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2006.05.09
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カテゴリ: 読書感想
 史上、最強の剣客と言われた柳生十兵衛は、何故、43才で若くして死んだのだろうかという疑問がなかなか消えず、ミスティリー好きにはどうしようもない(この日記の5月5日参照)。

 その謎に挑戦したのが時代小説家 山田風太郎で、これが「柳生十兵衛死す」 である。
 「大日本剣道史」に 山城国相楽郡大河原村弓ヶ淵の上の畠 において鷹狩りの時、にわかに歿す。よって奈良奉行、中防長兵衛検使の上、事済み、柳生下村の墓地へ葬る」 とあるという。
 山田風太郎はこの記述をもとに無敵だった十兵衛が何故、 弓ヶ淵(今の京都府相楽郡南山城村にあり、観光地でもあるという) で死んだのかという小説を展開している。その終末は確かに無敵を貫き通した最後である。うまい展開である。
 山田風太郎は、無敵の剣客として柳生3部作を書いていただけに、いつかは十兵衛の最後を書く運命であったと言って書いたという。しかし、例のごとく、そのアイデアがあまりに奇抜なので、もっと現実的なストーリー展開がないかと思っていた。

 そしたら十兵衛の弟である柳生烈堂をよく主人公に登場させる 時代小説家火坂雅志 の初期の頃の本に、十兵衛の謎の死を扱ったものがあるということをどこかで知った。しかし、古い本である。古本屋をさがしたがない。ようやく図書館にあることを見出した。これが 「柳生烈堂」(副題が「十兵衛を超えた非情剣長編時代小説」とある) である。文庫本で平成7年の発刊である。山田風太郎の「柳生十兵衛死す」は平成4年の作である。

柳生烈堂は実在の人物で、柳生但馬守宗矩の四男。長男十兵衛とは異母兄弟。 十兵衛は43才でなくなったので、柳生家は次男宗冬が継ぐ。三男は若くして死ぬ。烈堂が生まれたのは、父宗矩が66才のときだというから、他の兄弟とは親子ほど年令が違う。 十兵衛が亡くなったときはまだ、13才である。

 この小説では、山田風太郎と違い、柳生十兵衛は誰かに斬られて死んだことになっている。 何故、無敵の兄は斬られて死んだのか、切ったのは誰か、烈堂が長兄十兵衛の死のなぞを追うミスティリーである。烈堂は謎を解くため、桑名、奈良、讃岐と旅をする。
 火坂氏は烈堂は劇画「子ずれ狼」の白髪に眼帯姿の烈堂とは全く異なり、体は大きいが母親に似て美男であったという。

 烈堂はついに兄の仇をとるが、そのシーンは武蔵と小次郎の巌流島の試合そっくりでガッカリした。山田風太郎のほうがましかもしれない。しかし、十兵衛はやはり、無敵の剣客だとして終わる点は共通している。小説でも十兵衛を倒す敵は作れないのであろう。

 山田風太郎の「柳生十兵衛死す」で が重要な要素として登場するが、この小説でも能が重要な場面として登場する。これは但馬守宗矩の高弟、木村助九郎の書いた 「兵法聞書」 に能との関係が書いてあるがらであろう。

 2時間ほどで読みきった。





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Last updated  2006.05.10 09:36:19
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