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Ryu-chan6708

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2006.11.05
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 歴史



A氏 :何が?

:NHKの「 硫黄島玉砕戦 」のドキュメントから映画「 父親たちの星条旗 」の街道まで来たんだが、その結果、この映画が2部で日本側から描いた「 硫黄島からの手紙 」があるということを知ったんだがね。
 これは12月9日からのロードショーだという。

A氏 :その手紙は硫黄島の 総指揮官栗林忠道中将 が硫黄島から家族宛に送った41通がもとになっているらしいが、それがどうした?

栗林忠道中将が俺の高校の先輩 だったんだよ。
 当時は 旧制中学 だがね。
 もっとも、40年ほど上だから先輩というにはあたらないかね。

A氏 :同郷の縁か。

:それで知的興味が湧いたね。
 しかし、この「硫黄島からの手紙」は図書館ではもう予約待ちが多くてすぐ読めない。
 そこで、同じ栗林大将(戦死後、大将に昇格)が アメリカに留学時代に、長男に書いた絵手紙 47点を集めた 玉砕総指揮官』の絵手紙 」は予約待ちがないのでこっちを読んだ。
 「硫黄島からの手紙」は、この後の時期に硫黄島に行ってからになるね。

 アメリカ大陸の半分を横断している。

A氏 :英語はどうだったの?

A氏 :38才でアメリカに英語を習いながら単身留学だね。
 もっとも中学での英語の成績は抜群だったという。
 高校を出るとき、外交官か軍人かで迷ったという。


A氏 :その頃だと、まだ、日米関係は悪化していなかったろうね

:この本では、硫黄島からの41通のうちから、次女にあてた7通と家族にあてた2通をのせている。
 2通とは、硫黄島での最初と最後の手紙だね。
 最後の手紙は2月3日。
 米軍の上陸は2月19日。
 最後の総攻撃の大本営への電文は3月17日。
この電文は大本営の参謀が「御遺骨と思ってくれ」と家族に渡したという。

A氏 :栗林総指揮官は米軍から賞賛された名将だったというが、所詮、本土の支援はゼロだし、アメリカ軍の物量を相手ではどうしようもなかったね。
 軍人として無念だったろうね。

:辞世の歌の1つにその心があらわれているね。

国のため重きつとめを果たし得で、矢弾尽き果て散るぞ悲しき

 この硫黄島の戦いでは米軍は1週間で陥落させる計画で、十分な弾薬を投入した。
 例の学者参加の OR(オーアール) が活躍する。
 しかし、栗林総指揮官の地下トンネルの戦術に悩まされ、1ヶ月を超える戦いとなり、米兵もかなりの死傷者を出す。
 これから、アメリカ軍が安易に地上戦をする作戦を変え、徹底的な空爆がメインになり、かつ、日本本土の戦いに用心深くなる。
このような命知らずの戦いを日本本土でされたら米軍だってたまったものではないからね。
ボッダム宣言が本土攻撃の前に出されたのも、この硫黄島の戦いのせいだというね。
 マッカーサーは、 天皇の存在は400万の兵力に相当すると 言ったというが、精神性も数字に置き換える欧米思考だね。

A氏: その意味で、本土決戦を救った栗林総指揮官の徹底的な抵抗も無駄ではなかったと言えるのかね。

私: 心安かれと御冥福を祈ります。

「玉砕総指揮官」の絵手紙





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Last updated  2006.11.05 10:27:46 コメントを書く


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