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私 :例の 大阪市立桜宮高校 の バスケットボール部主将の自殺問題 で、一挙に部活と指導者の暴力が問題になったね。
A 氏
:このスポーツと暴力の問題は 2年前
に、このブログでは、まず、野球で取り上げているね。
武芸家の 甲野善紀
氏は、人の身体能力は奥が深いから、その能力を発揮するには 知的な工夫
が必要だという。
だから、 甲野氏
は、スポーツにも 個性的な工夫を尊重する。
怒鳴る高校野球
に大いに批判的だ。
プロ野球の巨人にいた 桑田真澄 投手は、現役のとき、 甲野 氏の指導を受けたことがあり、同じように 怒鳴る高校野球 には批判的だった。
A氏
:君のブログ「『 野球道』の再定義」絶対服従からリスペクトへ
」によると、 怒鳴る高校野球
は 飛田穂洲
の「 野球道
」からきているのだという。
それは「 精神の鍛錬
」「 練習量の重視
」「 指導者や先輩への絶対服従
」でサムライ野球だが、これには、 なぐるなどの暴力や暴言を伴う
。
桑田選手もグランドで殴られない日はなかったという。
私
:その 桑田
氏が 早大大学院社会人1年制コース
を首席で卒業し、最優秀論文を受賞したのが「『 野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究
」だ。
この論文は、 体罰という暴力
や、汚く罵る監督やコーチや先輩の 言葉の暴力
の 全否定
だね。
A氏
:君のブログ「 教える力 育てる力
」では 合気道6段
の評論家 内田樹
氏は、日本の スパルタ教育
も、それなりの効果があるから、つい、その方法を採用してしまうのだという。
人を 限界状況
に追い込むと、思いがけない力を発揮する。
日常と切り離すわけだ。
私
: 火事場の力持ち
だね。
日露戦争
以降の日本の軍隊は、この方法を体系的に導入したという。
ところが 米軍
は 反対の発想
で、飲食ともに日常生活の延長のように配慮する。
彼らには「 人間というのは日常的な合理性の中で生きているほうが通常はパフォーマンスが高い
」という経験則があるからだという。
A氏 : 米国流 は 甲野流 と通ずるところがあるね。
私
:しかし、この限界状況に追い込む 日本式
は 深刻な難点
があると内田氏は言う。
それは、「 胆力
」がないことだという。
人間を追い詰めると恐怖や苦痛や不条理に対して、「 鈍感
」になる。
これは「 胆力」
があるとは違う。
氏の言う「 胆力
」とは「 危機に対して、カッとならず、冷静に知的に、自分の論理を信じ、淡々と対応する力
」というような意味だね。
「 胆力
」を鍛えるというのは、 幕末から明治初期までの教育
では、重要なプログラムだったが、それから後は、体系的に整備されなかった。
「 追い詰めて鬼にする
」型の教育プログラムの方が、短期的に効果があるから、時間的余裕がなかった近代日本は、その型を追いかけたという。
行き着いたところは「 未完のファシズム・『持たざる国』日本の運命
」だね。
A氏 :ところで、 橋下徹 大阪市長は部活動の指導者の暴力反対を表明したが、同じ 日本維新の会 の 石原慎太郎 共同代表とは全く理念が違うね。
石原氏が 1969年
に出版した「 スパルタ教育
」には、強い子供に育てるための100ヶ条が書かれていて、その12条に「 子どもをなぐることを恐れるな
」というのがある。
教育理念で二人は対立的になったね。
私
;石原氏は、少年を更生させるので有名な 戸塚ヨットスクール
の支援者だね。
ヨットの演習のために特別にデザインされた、 極めて乗りにくい小型のヨット
に子供を一人で乗せる。
こらえきれずに転覆した船を自力で元に戻し船にはい上がっては、また帆走させる作業の反復をさせる。
それによって自力での努力の末の達成感を味わわせ、その満足が不思議なほど早く子供たちに自ら一人前としての充実感を与え 彼等をタフな人間
に変えてしまうという。
A氏: 人間を極限まで追い詰める近代の日本式の方法だね。
私
:この方法で、 恐怖
に鈍感になるから、それなりの効果もあるが、演習は死との賭けだね。
だから、戸塚ヨットスクールでは、この方法で 少年が一人死亡
し、生徒の死亡事故の責任を問われ 戸塚宏
氏が刑務所に入れられた。
しかし、氏は出所後も少年の更生に、この方法を続けているという。