朝日新聞2014年9月2日の記事です。
2011年4月1日午後2時16分。自宅のベッドで眠るCYさんの息づかいが弱くなっていった。「よくがんばったね」「ありがとう」。両親ときょうだいら8人が口々に声をかけた。
CYさんは大きく息をすると、眠るように逝った。17歳だった。
長崎市から100キロ余り離れた、東シナ海に浮かぶ五島列島の福江島。小児がんの治療で入院していた長崎大病院から戻り、半月しかたっていなかった。
1995年の冬。2歳だったCYさんは、不機嫌そうに家でごろごろとすることが多くなった。当時、母SYさん(49)は妊娠6カ月。「おなかの妹に、やきもちやいているのかな」と思った。
一方で、今まで元気に走り回っていた子とは思えない異変に違和感を覚えた。96年1月、島の中核医療施設、五島中央病院に連れて行った。「便秘や風邪では」と言われた。
数日後に再度受診し、CT撮影をした。「おなかに異常な影がある」という。長崎大病院での受診が決まり、五島中央病院はCYさんを送るために海上自衛隊のヘリコプターを要請。だが、この日は雪で飛べなかった。翌日も悪天候は続き、船も欠航した。2日後、高速船で本土に渡り、ようやく病院へたどり着いた。
検査の結果、右副腎に8センチ大の神経芽腫があることがわかった。小児がんの一種で、乳幼児から10歳以下の子どもに多く見られる。発症年齢で病状が大きく異なる。病状によるが、手術、抗がん剤、放射線を組み合わせて治療する。
そのまま長崎大病院に入院した。CYさんが島を離れて暮らすのは初めてだった。
大部屋に入院したCYさんには、妊婦のSYさんが1人で付き添った。当時の規則で、寝泊まりする付き添いは女性にしか許されていなかった。同じ長崎大病院で出産することにし、CYさんの手術前になるように調整した。
島には父TYさん(51)と4歳だった長男が残された。TYさんは、慣れない幼稚園の準備や洗濯、食事の世話を担った。
突然降りかかった小児がんは家族の暮らしを一変させた。長期間にわたる、闘病の始まりだった。
写真:3歳のCYさん。入院は思いがけず長期に及んだ
(写真は掲載を控えさせていただきました)
(患者さんのお名前は頭文字とし、写真も掲載を控えさせていただきました。)
私が2回目の抗癌剤治療をしていたころの記事です。
私は片道1.5時間の病院への通院・入院ですが、それでも遠くて不便と思っています。離島となると、想像を絶する困難ですね。
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