写真:思いがけぬ再発で入院生活に=2010年8月
(写真掲載は控えさせていただきました。)
4歳で小児がんの神経芽腫の治療を終え、長崎県・五島列島の福江島で高校生活を送っていたCYさん。2年生だった2010年6月、突然肩に痛みを感じた。
痛みはなかなか収まらない。初めは「ソファに寝転がっているからだよ」と父Tさん(51)は冗談交じりに言った。だが、右肩に学生カバンがかけられなくなるほど痛みが強くなった。テストも左手で右腕を支えて受けた。
島で最も大きな五島中央病院へ行くと、悪性の腫瘍(しゅよう)ができている可能性を指摘された。だが、この病院では治療できない。本土に船で渡り、長崎大病院で詳しく調べることになった。
主治医は、腫瘍が再発か抗がん剤治療の影響によるものと指摘した。「自分の前で全部話して欲しい」と、CYさんは両親と一緒に話を聞いた。取り乱さなかった。
検査を終えると、CYさんはベッドでぽろぽろと涙をこぼした。母Sさん(49)が理由を尋ねても、黙ったままだった。
検査の結果、首の骨の間に2センチの神経芽腫ができていることがわかった。神経を圧迫し、肩の痛みが起きていた。右の鎖骨にあるリンパ節にも転移があった。
幼い頃に患った小児がんの再発だった。10年以上たっての再発はまれだ。CYさんや家族、主治医にさえ思いがけぬことだった。
放射線と抗がん剤の治療を受けた。8月末には腫瘍が半分以下に縮小するまでに回復した。しかし、放射線治療の副作用で唾液(だえき)が減り、声がかすれた。ご飯が食べられず、体はやせこけた。
病室に高校の教科書を持ち込み、勉強を続けていた。だが、秋になると体調がすぐれず、本が開けなくなった。「治療に専念して、2年生をやり直せばいい」と、Tさんは声をかけた。それでも「同級生と一緒に大学入試センター試験を受けたい」。口癖のように言っていた。
年が明けた11年2月、腫瘍はほぼ無くなった。「先が見えてきた」と喜んだ矢先、激しい頭痛や嘔吐(おうと)に襲われた。
予定していた外泊で島に戻ったが頭痛は悪化。姉弟が温かいタオルを交代であてた。「頭が割れるように痛い」。予定を早めて病院に戻った数日後、意識を失った。
(患者さんのお名前は頭文字とし、写真掲載も控えさせていただきました。)
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