ワルディーの京都案内

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2015/07/07
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テーマ: 癌(3550)
カテゴリ: 癌治療情報

朝日新聞「患者を生きる」2014年10月3日の記事です。


 普段の生活が、発病で一変する。急性リンパ性白血病のシリーズでは、そんな患者の姿を紹介しました。同じ病気を克服した人からの投書を紹介します。

 ●「元気の素」3カ条

 43歳の秋、急性リンパ性白血病と診断されました。すぐに入院するように言われました。それまで外資系の仕事の責任者として、海外を飛び回っていました。山のように抱えていた仕事を放り出し、突然の入院。大混乱でした。

 再発、再々発、骨髄移植を経験し、もとの職場に復帰しました。退院して10年後に当時の看護師さんにお話を聞き、当時の医師5人、看護師20人の全員が「生存の確率なし」と判断されていたと知りました。

 今振り返り、私の「元気の素(もと)」は、(1)治療に笑いを取り入れる(2)退院後の、近い将来の目標を設定する(3)自分の病気は研修医と同じレベルまで徹底的に調べて治療に参加する、です。

 退院後14年、今では風邪やインフルエンザ以外に大した病気もせず、英語が苦手な日本人向けの講座を開く「日本グロービッシュ協会」という団体を立ち上げ、元気に働いています。

 (神奈川県 M.H 58歳)


 ●移植で救われた

 56歳のとき、息切れがひどく、血液検査で急性リンパ性白血病と診断されました。化学療法を2年半続けて経過観察も良好で、ほぼ治った、と思っていました。

 ところが、5年以上たった2010年、まったく別の血液検査で再発が分かり、「治すには移植しかない」と言われました。

 弟と白血球の型が一致し、移植を受けることができました。手術の8日後が東日本大震災でした。震災が発生したときは、無菌室で点滴中でした。天井からつるされていた点滴薬や点滴棒はシャンデリアのように揺れました。

 病院での検査は続いていますが、いまでは元気にしています。65歳でも移植のできる医学の進歩はめざましく、10年前なら助からなかったかもしれません。

 急性リンパ性白血病で治療を終え、元気に暮らしている人も多くいる。そのことをぜひ、お伝えしたいです。

 (北海道 男性 68歳)


写真:自らの体験を生かし、患者の相談にのる仕事に就いた=「急性リンパ性白血病」編から




(お名前はイニシャル表記にさせていただきました。写真も割愛させていただきました。)



気持ちを強く持つことが、フィジカルを維持することの要因の一つだと思います。

 私自身、PCを病院に持ち込ませてもらって、会社や友人と連絡とったり、治療期間の退院中に京都検定の受検があったので、それに向けて勉強したりとかで、結構忙しくアグレッシブに行動できたのもよかったのだと思います。

 「自分の病気は研修医と同じレベルまで徹底的に調べて治療に参加する」も大切です。

 二つめのお便り。その通り、医学の進歩はめざましいです。すべての医者が進歩についていけているわけではありません。患者や家族が自分で色々調べることも大切です。


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最終更新日  2018/08/19 07:49:07 AM
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