朝日新聞「患者を生きる」2014年10月7日の記事です。
新シリーズ「働く」です。仕事をしながら患者になったとき、人はどんな思いになり、生活はどう変わっていくのか。様々な職業の人たちを取り上げています。
最初は20代で子宮、卵巣の摘出と向き合うことになったタレント麻美ゆまさんの連載です。
去年の10月7日スタートですから、私の抗癌剤治療第3クール中の記事です。第2クールのあとのCT撮影で、腫瘍が11センチから7センチくらいまで小さくなっていることが確認でき、希望をもって治療に臨んでいた時期の記事です。
ボーイッシュなショートカットに、明るい笑顔。はきはきとした口調。7月末。タレントの麻美(あさみ)ゆまさん(27)が、東京都内で開かれたイベントに登壇した。
卵巣腫瘍(しゅよう)の中で良性と悪性の中間に分類される「境界悪性腫瘍」を発症し、抗がん剤治療を終えて1年。治療前に背中まであった髪は、副作用ですべて抜けた。ようやく、ここまで伸びてきた。
イベントは、作家の大野更紗(おおのさらさ)さんとの対談だ。テーマは「女性と闘病」。難病の自己免疫疾患を発症した大野さんは「(病気と)診断されると、まず働けない。それがつらくて、つらくて」。
麻美さんも、当時を振り返った。「仕事がなくなって、経済的にも追い詰められました」
働けなかった期間は、無収入。「治すことも仕事」と周囲に励まされ、治療に臨んだ。今、闘病の経験を伝える仕事が舞い込む。これも、私にしかできない仕事。
「私も人の話を聞いてパワーをもらった。自分の病気の経験を話すことで、役に立ててもらえば」
◇
麻美さんが症状に気づいたのは、自身の芸能活動のピークといえるほど多忙な日々を送っていたころだった。
2005年、故郷の群馬県から上京した。東京で働いて、お金をためて留学したい。笑顔と元気がとりえの18歳は、夢を持って芸能事務所に所属した。そこでもちかけられたのは、アだルトビデオ(AV)への出演だった。
受け入れがたかった。だが、人生のチャンスかもしれない。いずれ留学ができるかもしれないし、仕送りで親を楽にさせてあげられるかもしれない――。覚悟を決めて臨むと、意外なことを知った。AVは、見ている人は「エロ」を想像するけれど、演じる側はそうでない。演技だし、仕事だからだ。
いかに「みせるか」に注力した。せりふ、表情、体のライン……。服を脱ぎ、頭から足の先まで、裸での勝負。「テレビドラマでは放送されない、ラブシーンの続きを私はやってる」
デビュー作品のDVDは売り上げランキング1位となり、レンタルも好評。瞬く間に人気女優にのし上がった。
08年からは、民放深夜のバラエティー番組にレギュラー出演。番組から誕生した歌やダンスを披露するアイドルグループ「恵比寿マスカッツ」の一員として、ライブツアーで各地を巡った。
レッスンは、長いときは1日12時間に及んだ。その一方で、AVへの出演も続けた。週末に行うサイン会は、47都道府県で達成した。
帰宅すると疲れて倒れ込んだ。休みの日は友達にも会えなかった。衣装をそろえたり、美容室に行ったり。自分を「みせる」ことに時間とお金を費やした。AV出演をきっかけに活躍の場を広げ、応援してくれる人も増えた。私を見て、元気になってくれる人がいる。充実していた。
12年12月。グループの解散が、翌年4月に迫っていた。年明けの2月から、集大成ともいえる解散全国ツアーが予定されていた。「5年間の活動をやり遂げたい」と使命感に燃えていた。
◇
体が異変を告げたのは、ちょうどそのころだった。何だか、おなかがゆるい。「ふだんは快便な方なのに、おかしいな」。市販の整腸剤を飲んで様子をみることにした。
年が明けると、下腹部の張りが気になってきた。「ガスがたまっているのかな? 妊婦さんみたい」。おなかがぽっこり出て、ズボンやスカートのウエストがきゅうくつになった。病院へ行こうと思ったが、そこまで深刻には考えなかった。解散全国ツアーを目前に控え、通院する余裕はなかった。
13年1月中旬、体重は増えないのに見た目が変わるほどおなかが出てきた。整腸剤を飲み続けたが、効果はない。日ごろから不調があるときに通っていた都内の総合病院の内科を受診した。X線撮影と触診を終えた医師から「腹水がたまっています。最近、やせませんでしたか」と聞かれた。
食べている割に太らない――。年末年始の帰省の際、こんなことを母に話した。正月だったこともあり、母が「もちでも食べなきゃね」と言っていたのを思い出した。
「婦人科を受診してください」。医師はそう告げた。
「え? どうして婦人科?」。おなかの調子が悪いのだから、腸炎か何かかと思っていた。医師のけげんそうな表情も、気にかかった。
*
あさみ・ゆま 1987年生まれ、群馬県出身。2005年にアだルトビデオ女優としてデビューし、人気が出る。08年、民放のバラエティー番組から生まれたアイドルグループ「恵比寿マスカッツ」のメンバーに。その後、女優としてテレビや映画へと活躍の場を広げる。13年に境界悪性の卵巣腫瘍がみつかり、治療のため休養。復帰後はタレントとして活動する一方、治療経験の講演活動やチャリティー企画への参加にも力を注ぐ。
写真:「病気になるのは特別なことじゃない。気を使わず、病気のことを聞いてもらいたい」と話す麻美ゆまさん
写真:病気になる以前、テレビ番組の収録に臨む麻美ゆまさん=2012年
(「アだルトビデオ」の部分は全部片仮名だと「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」と拒絶されましたので、一部を平仮名に変更しました結果です。)
冒頭、「病気と診断されると、まず働けない。それがつらくて、つらくて」「仕事がなくなって、経済的にも追い詰められました。働けなかった期間は、無収入。」とあります。
幸い私はリストラで早期退職した後、再就職して1年以上経過してからの発病だったので、健康保険から傷病手当金が給与の3分の2は1年半出る状態だったので、経済的には困るということはありませんでした。仕事ができないことについては、もともと早期退職したときに、このままサラリーマンは引退したいと思っていたくらいなので、つらいとは思わず、制限はあるけど色んなことができると別の方向でポジティブに考え方くらいです。でも、まだまだ一家を支えていたり若かったりすれば、働けないということは大きな問題だと思います。
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