ワルディーの京都案内

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2016/07/29
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テーマ: 癌(3513)
カテゴリ: 癌治療情報
読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

なかにし礼さんの最初の「がん」治療のときの古い記事です。その後、再発され、すでに復帰されています。


≪2014年6月12日の記事≫ 

[作家・作詩家 なかにし礼さん]食道がん(2)27歳で激しい心臓発作


 母、姉と恐怖の逃避行。行けども行けども、日本人の死体が転がっていた。終戦後の1年余、ハルビンで物売りをして暮らした。

 再会した父はソ連軍に連行され、2か月後に帰ってきた時は健康を害し、間もなく死亡。満州(現中国東北部)で資産家だった父の全てを失い、1946年(昭和21年)秋、引き揚げ船で帰国した。

 北海道・小樽の父の実家で、新しい生活を始めた。学徒出陣して戦死したと思われていた兄が、復員。次々と無鉄砲なことを始め、一家を何度も混乱させる。

 兄は借金してニシン漁に手を出し、失敗。担保の実家を失った。この悲しい体験は、後に作詩した「石狩挽歌」の元となる。

 親類を頼って青森市に移り住んだ。小学校では「満州、満州」といじめられた。7年後、兄の住む東京に。しかし、兄とけんかして家を飛び出し、アルバイトをして食いつないだ。

 19歳の時、シャンソン喫茶で働いた。フランスの流行歌が好きになり、フランス語学校に通い、歌手に頼まれて訳詞を始めた。

 4年遅れで大学に入り、最初の結婚。新婚旅行先のホテルで偶然、声をかけられた俳優の石原裕次郎さんから、人生を変えるアドバイスを受けた。「日本の歌を書きなよ」

 2年後、27歳で作詩家活動に入る矢先、突然の激しい心臓発作に襲われた。


2.jpg



 なかにし礼さんは、心臓に病をかかえていたため、その後、食道がんになったとき、医者から奨められた手術を拒み続け、陽子線治療を選択されました。27歳のときですから、ずいぶん若いときから心臓が弱かったのですね。



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最終更新日  2019/04/17 07:59:30 AM
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