ワルディーの京都案内

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2021/05/17
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テーマ: 京都。(6369)
カテゴリ: 若冲と応挙
【2021年5月17日(月)】

 昨日、近畿地方も梅雨に入ったようです。平年より21日、去年より25日早く、昭和26年に統計を取り始めてから、最も早い梅雨入りとなりました。コロナの影響かと思いたくもなります。

 16日連続在宅の後、今日、久しぶりの長時間外出となりました。雨がひどくなくて助かりました。事務所で諸事しました。


「奇想の画家 若冲と応挙」#6 です。

◆第1章 近世日本絵画史概略(続き)

1-5 江戸時代後期

 江戸時代後期の特徴は、江戸での展開です。

 下に#2で示した年表「近世日本絵画の代表的な画家」の、該当部分を拡大して示します。


年表「近世日本画の代表的な画家」の該当部分拡大




 前項に書きましたが、18世紀後半に、 南蘋派 秋田蘭 谷文晁 酒井抱一 が、それらの画風を受け入れながらも、独自の展開をしていきます。さらに、文人画は、江戸の地にとどまらず、関東各地に広まりました。たとえば、水戸の 林十江 立原杏所 です。

 また洋風表現は浮世絵師の間にさらに入り込み、 葛飾北斎 歌川国芳 によって新生面が開かれていきます。下の国芳の風景画は、洋風画の陰影法を取り込んでいますが、その付け方は極端で、空の諧調表現も独特です。


歌川国芳 「忠臣蔵十一段目夜討之図」 天保2~3年(1831-32)




 国芳の人物画には、江戸っ子の粋から乖離したグロテスクな絵を描いたものも多くあります。図7は水滸伝のヒーローたちをエキゾチックな筆致で描いたもの。「武者絵の国芳」と有名になりました。図8は、「寄せ絵(だまし絵)」と呼ばれるもの。いずれも印象的です。国芳はこのように風景画も人物画も独特の画風を持っていましたので、辻惟雄氏は、「奇想の画家」の一人としてあげています。


歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一個金毛段景住」  同「みかけハこハゐがとんんだいゝ人だ」




 一方上方では 浦上玉堂 岡田米山人 円山応挙 呉春 の流れをひく 四条派 が活躍します。また、幕末になると勤王派による王朝復古の風潮が盛り上がり、 田中訥言 (とつげん)に始まり、 冷泉為恭 (れいぜいためちか)へ受け継がれた 復古やまと絵派 江戸狩野 狩野養信 (おさのぶ)が、やまと絵を極め、極彩色の王朝絵巻の作品を多く残し、面白いことに、そこに遠近法を取り入れたりしています。和と洋、新と旧の出会いといっていいでしょう。

 洋風画は 亜欧堂田善 (あおうどうでんぜん)、 安田雷州 (やすだらいしゅう)によって深められました。下に亜欧堂田善の「両国図」を示します。#5で示した 勝川春章 のぎこちない遠近法は払拭されて、より正確になり、陰影法も非常に繊細です。

亜欧堂田善「両国図」(部分) 19世紀初め 秋田市立千秋美術館




 そして江戸時代は終焉を迎え、明治維新という大きな時代変化を経て、絵画は近代画壇へと繋がっていきます。

 江戸時代の絵画史を駆け足で紹介しましたが、今回、とりあげる 伊藤若冲 円山応挙 はいずれも江戸時代中期の画家です。しかも、#5で示した画家年表を見ていただいたら分かりますが、応挙の生存時期は若冲の生存時期に完全に含まれています。全く同時代に生きたといっても過言ではないでしょう。若冲の方が先に生まれ、応挙が亡くなった後も、若冲はしばらく存命だったということです。それでは、次回から先にこの世に生を受けた若冲のほうから紹介していきます。


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最終更新日  2021/05/18 03:10:08 AM
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