ワルディーの京都案内

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2021/05/21
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テーマ: 京都。(6362)
カテゴリ: 若冲と応挙
【2021年5月21日(金)】

 今日はもともとは年イチの会の全体会でしたが、緊急事態宣言で集まっての開催はなくなり在宅になっていました。その後、ワクチン接種1回目がちょうど今日に入り行ってきました。

 打ったときの痛みは、ほとんどなかったです。昔に比べると針も細くなったりしているのでしょうね。ちょっと頭痛がしましたが、それ以外の副反応は今日はなかったです。


「奇想の画家 若冲と応挙」の第8回です。

◆第2章 伊藤若冲(続き)

2-2 大典顕常との交流

 若冲の生涯を語るうえで忘れてはならない人物が 大典顕常 (だいてんけんじょう)です。 梅荘顕常 とも呼ばれます。若冲が画家として成功するのに大きな役割を果たしました。禅の高僧であり、漢詩人、文化人としても、当時著名だった人物です。若冲の庇護者ということで、若冲の父親的な存在というふうに誤解しがちですが、実は若冲より3歳年下です。ですので、よき理解者、支援者であると同時に親友のような存在だったといってもいいかもしれません。


大典顕常 世継希僊筆
 11歳で 相国寺 (しょうこくじ)塔頭(たっちゅう)の 慈雲庵

 大典は33歳の頃、若冲と知り合います。若冲36歳の頃で、後述しますが、若冲が絵のスタイルについて色々模索していた時期です。そして大典は41歳のとき、慈雲庵住持を隠退し、詩作や書に身を投じ、42歳のとき(若冲45歳)、12巻に及ぶ 「小雲棲稿」 という漢詩文集を著します。その第8巻に 「藤景和画記」 (とうけいわががのき)と題し、若冲の人となりや若冲の絵のことを書きました。


大典顕常筆 「小雲棲稿」巻之八 「藤景和画記」の部分




 「藤」は「伊藤」の「藤」で、「景和」は若冲の字(あざな)です。「景和」の落款は若冲の初期の絵にも使われています。

 さらに48歳のとき(若冲51歳)、相国寺塔頭の 松鷗庵 に若冲の寿蔵(生前に建てる墓)を建てます。そして、そこに若冲のそれまでの生涯についての記述を漢文で刻みました。同じ文章が、さきほどの小雲棲稿の第9巻に 「若冲居士寿蔵碣銘(けつめい)」 として収められています。この寿蔵は、現在は相国寺の墓地に移され、足利義政や藤原定家の墓と並んで建っています。


若冲の寿蔵(相国寺墓地内)と寿蔵碣銘




 他にも種々若冲のことを知る手掛かりは残されていますが、この「藤景和画記」と「寿蔵碣銘」が、若冲の生涯を知るうえで、最も重要な情報源となっています。

 大典は54歳で、慈雲庵住持に復帰し、61歳で相国寺第113代住持に就き、禅の高僧としても名を残しました。

 大典は、若冲が画家として成長する支援をしたのみならず、若冲についてこのような重要な記録を残しました。そういった2つの意味で、大典顕常は、若冲を語るうえで、忘れてはならない存在なのです。


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最終更新日  2021/05/23 11:58:55 PM
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