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2007.08.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類

年々、当時を知る人々も高齢化して、その年に生まれた人でさえ、還暦を過ぎているのだ

から、、、記憶が風化するのは仕方のないこと?

だからこそ、いつも記憶をリセットし続ける必要があるのだと思う。

中1の夏休みの宿題の中に、体験感想文の提出があった。

あの年は先日、この日記に書いたように、祖母の入院という事件?があった夏で、最初

はそのことを書くつもりでいたのだけど・・・

8月6日の朝、たまたまNHKを観ていたら、カ~ン、カ~ン♪という鐘の音が響いてきて

それが「平和の鐘」の音で、ちょうど「原爆記念日」の式典が始まるところだと知り、まるで

引き寄せられるように、見入ってしまった。。。

私が中1の頃のことだから(いつ頃?^^;)

原爆の記憶も、もっと生々しく、はっきりしていたのではないかと思う。

女学校に通う14~5歳の娘さんを亡くした母親がインタビューに答えていて、何気なく

聞いているうちに、、、思わず、居ずまいを正したくなるような心境になり、当時の私の年

と変わらない少女の死、その娘との最後の朝の会話を聞いて、涙が止まらなくなった。

戦時中の貧しい食糧事情の中で、かわされた最後の母と娘の会話!

その衝撃が、あまりに大きくて、書かずにいられなくなり、それを提出したところ、、、、

担任の推薦でクラス代表として、「全校、夏休み体験作文発表会」でその作文を広い講堂

の壇上で、読むことになってしまったのだった!

それから数日は、朗読の特訓!当日まで、不安の日々が続いた。

作文の内容は、今でもはっきり憶えている。

☆カ~ン、カ~ン♪ 平和の鐘が鳴り響く。

今日、8月6日はあの原子爆弾が、広島に投下された日だ。

白いハンカチで、汗を拭いながら、娘さんを亡くされた母親が話している。

      (中略)

「あの時、ちょうど庭に植えたトマトが大きくなって、もう少しで食べ頃だったのです。」

「食料事情が悪くなっていたので、どのお宅でも、庭でトマトや、茄子、きゅうりを作って

いたんです」

「あの頃は学校でも、授業はなく、勤労奉仕に娘達もかり出されていました」

「あの日は夏休み返上で、学校に集合し、近くの工場へ手伝いに行くことになっていて、

娘は出かけるところでした」

「庭のトマトが大きくなっていて、あの子が食べたそうな顔をしたので、、、」

「『食べたいんだっら、もいでこようか?』って聞いたんです」

「すると、娘は『まだ少し青いから、もっと赤くなってから、みんなで食べよう!』って」

「ニコっと笑いながら言ったんです。」

「あの子が出かけてから、しばらくすると、空が急光って!あれがピカドンだったんですね」

「ちょうど、それは娘の学校の方でした」

       (中略)

「夜になっても、あの子は帰って来ませんでした」

「私は、今でも、後悔しているんです」

「どうして、あの子に、青くてもいいから、あのトマトを食べさせなかったんだろうか!って」

「今はこんなに、真っ赤なトマトがあるのに!」

「トマトを見るたびに、今でもあの日の娘を思い出して涙がこぼれます。」

        (中略)

泣きながら、話す母親の後ろに、あの原爆ドームの無残な姿が見える。

人類はこれからも、進歩し続け、ごく普通に宇宙旅行が出来る日も、やがて来るだろう。

けれど、どんなに時代が変わろうとも、この日本の国に、広島の街に原子爆弾が落とされ

たくさんの人々が阿鼻叫喚の中で、亡くなった!

この事実だけは、変わることなないのだ。。。

お願いです!もう二度と、こんな悲劇は繰り返さないで下さい!もう、、、二度と。。。

                         1年A組 ○○○○子






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Last updated  2007.08.07 02:00:13
コメント(8) | コメントを書く


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作文の内容は、今でもはっきり憶えている。  
 人は、後悔を引きずりながら生きていくんだね。 (2007.08.07 08:54:22)

Re:広島の原爆記念日は私にとっても、忘れられない日です。(08/06)  
おはようございます
おかげさまで無事帰ってきました

読ませていただきながら涙しました
当時母方の祖母は長崎にすんでおりました
叔父は出征して一人暮らしだったはずです
それが長崎の原爆で、、
母は私を負ぶってさがしにいったそうですが、、
しかし周りの親戚に反対されて母達は祖母の長崎原爆の被害申請は出さないままいつしか年数だけはたっていきました
身体が弱かったので母が長崎に連れて行ったからと責められていました
長崎は勿論広島の原爆記念館にも行きました
今も強く強く平和と戦争反対 みんなの幸せを祈る事は忘れません
不思議な事に長男の誕生日は長崎原爆投下された日と同じ8月9日です (2007.08.07 10:13:03)

広島には、六年住んでいました  
ふうさぎ.  さん
そう、その日の朝、社宅の四階から、その時間に、サイレンと、鐘の音、その音を聞きながら、黙祷したものです。でも、千葉に、戻り、もう、十年も経ち、黙祷する事もなくなってしまいました・・・高齢化とともに、風化してしまうことは、怖いけれど、広島の子供達は、生れた時から、平和の思いをもって、育っています、人々の心の温かいところだったことを思い出します・・・ (2007.08.07 22:39:10)

Re:作文の内容は、今でもはっきり憶えている。(08/06)  
たかが、人生じゃないか!さん
> 人は、後悔を引きずりながら生きていくんだね。
-----
★あの作文を全校生徒の前で読んだことを…後悔していた時期もありました。
反響が大きくて、私のイメージが出来上ったようで
とても窮屈な思いの毎日でしたから(--; (2007.08.08 00:34:46)

Re[1]:広島の原爆記念日は私にとっても、忘れられない日です。(08/06)  
はあちゃん0408さん
>おはようございます
>おかげさまで無事帰ってきました

>読ませていただきながら涙しました
>当時母方の祖母は長崎にすんでおりました
>叔父は出征して一人暮らしだったはずです
>それが長崎の原爆で、、
>母は私を負ぶってさがしにいったそうですが、、
>しかし周りの親戚に反対されて母達は祖母の長崎原爆の被害申請は出さないままいつしか年数だけはたっていきました
>身体が弱かったので母が長崎に連れて行ったからと責められていました
>長崎は勿論広島の原爆記念館にも行きました
>今も強く強く平和と戦争反対 みんなの幸せを祈る事は忘れません
>不思議な事に長男の誕生日は長崎原爆投下された日と同じ8月9日です
-----
★私も、思い出しながら日記を書いているうちに、
涙していました。
その後、何回も色々な方の体験談を聞いたけど…
あのお母様の「青いトマト」の印象は強烈で忘れる
ことが出来ません(--; (2007.08.08 00:40:11)

Re:広島には、六年住んでいました(08/06)  
ふうさぎ.さん
>そう、その日の朝、社宅の四階から、その時間に、サイレンと、鐘の音、その音を聞きながら、黙祷したものです。でも、千葉に、戻り、もう、十年も経ち、黙祷する事もなくなってしまいました・・・高齢化とともに、風化してしまうことは、怖いけれど、広島の子供達は、生れた時から、平和の思いをもって、育っています、人々の心の温かいところだったことを思い出します・・・
-----
★住んでいらしたのですか!
私はまだ一度も行ったことはありません。
地元の人にとって8月6日は、忘れられない深い
想いがあるとおもいます。 (2007.08.08 00:46:03)

Re:広島の原爆記念日は私にとっても、忘れられない日です。(08/06)  
アイス2019  さん
おはようございます。
ご無沙汰しています。
アイスです。
青いトマトのところで、
涙しました。

主人の母に、こんな話を聞いたことがあります。
昔はね、トマトなんて、赤くなるまで待って食べることが少なくてね。かあちゃん(母の母)なんて
いつも青いトマトを食べていたよ。
と母は懐かしそうに、自分の母を思い出すかのように
話していました。

今は、食糧事情もよくなり、トマトはいつだって食べられるけれど、今日のこの日記に出逢えて、読ませていただけて、平和の大切さをあらためて感じました。
ありがとうございます。

(2007.08.09 06:45:27)

Re[1]:広島の原爆記念日は私にとっても、忘れられない日です。(08/06)  
アイス2019さん
>おはようございます。
>ご無沙汰しています。
>アイスです。
>青いトマトのところで、
>涙しました。

>主人の母に、こんな話を聞いたことがあります。
>昔はね、トマトなんて、赤くなるまで待って食べることが少なくてね。かあちゃん(母の母)なんて
>いつも青いトマトを食べていたよ。
>と母は懐かしそうに、自分の母を思い出すかのように
>話していました。

>今は、食糧事情もよくなり、トマトはいつだって食べられるけれど、今日のこの日記に出逢えて、読ませていただけて、平和の大切さをあらためて感じました。
>ありがとうございます。
-----
★お久しぶりです。

露地トマトの美味しい季節、
トマトを食べていると、今でもこのお母様のお話しを思い出します。

短かかった彼女の人生・・・
青くても最後の日にトマトを食べさせてあげたかった!母の想い・・・

ささいなことだけど・・・
胸がひきちぎられるほど、辛いです。 (2007.08.09 08:33:31)

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