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年々、当時を知る人々も高齢化して、その年に生まれた人でさえ、還暦を過ぎているのだ
から、、、記憶が風化するのは仕方のないこと?
だからこそ、いつも記憶をリセットし続ける必要があるのだと思う。
中1の夏休みの宿題の中に、体験感想文の提出があった。
あの年は先日、この日記に書いたように、祖母の入院という事件?があった夏で、最初
はそのことを書くつもりでいたのだけど・・・
8月6日の朝、たまたまNHKを観ていたら、カ~ン、カ~ン♪という鐘の音が響いてきて
それが「平和の鐘」の音で、ちょうど「原爆記念日」の式典が始まるところだと知り、まるで
引き寄せられるように、見入ってしまった。。。
私が中1の頃のことだから(いつ頃?^^;)
原爆の記憶も、もっと生々しく、はっきりしていたのではないかと思う。
女学校に通う14~5歳の娘さんを亡くした母親がインタビューに答えていて、何気なく
聞いているうちに、、、思わず、居ずまいを正したくなるような心境になり、当時の私の年
と変わらない少女の死、その娘との最後の朝の会話を聞いて、涙が止まらなくなった。
戦時中の貧しい食糧事情の中で、かわされた最後の母と娘の会話!
その衝撃が、あまりに大きくて、書かずにいられなくなり、それを提出したところ、、、、
担任の推薦でクラス代表として、「全校、夏休み体験作文発表会」でその作文を広い講堂
の壇上で、読むことになってしまったのだった!
それから数日は、朗読の特訓!当日まで、不安の日々が続いた。
作文の内容は、今でもはっきり憶えている。
☆カ~ン、カ~ン♪ 平和の鐘が鳴り響く。
今日、8月6日はあの原子爆弾が、広島に投下された日だ。
白いハンカチで、汗を拭いながら、娘さんを亡くされた母親が話している。
(中略)
「あの時、ちょうど庭に植えたトマトが大きくなって、もう少しで食べ頃だったのです。」
「食料事情が悪くなっていたので、どのお宅でも、庭でトマトや、茄子、きゅうりを作って
いたんです」
「あの頃は学校でも、授業はなく、勤労奉仕に娘達もかり出されていました」
「あの日は夏休み返上で、学校に集合し、近くの工場へ手伝いに行くことになっていて、
娘は出かけるところでした」
「庭のトマトが大きくなっていて、あの子が食べたそうな顔をしたので、、、」
「『食べたいんだっら、もいでこようか?』って聞いたんです」
「すると、娘は『まだ少し青いから、もっと赤くなってから、みんなで食べよう!』って」
「ニコっと笑いながら言ったんです。」
「あの子が出かけてから、しばらくすると、空が急光って!あれがピカドンだったんですね」
「ちょうど、それは娘の学校の方でした」
(中略)
「夜になっても、あの子は帰って来ませんでした」
「私は、今でも、後悔しているんです」
「どうして、あの子に、青くてもいいから、あのトマトを食べさせなかったんだろうか!って」
「今はこんなに、真っ赤なトマトがあるのに!」
「トマトを見るたびに、今でもあの日の娘を思い出して涙がこぼれます。」
(中略)
泣きながら、話す母親の後ろに、あの原爆ドームの無残な姿が見える。
人類はこれからも、進歩し続け、ごく普通に宇宙旅行が出来る日も、やがて来るだろう。
けれど、どんなに時代が変わろうとも、この日本の国に、広島の街に原子爆弾が落とされ
たくさんの人々が阿鼻叫喚の中で、亡くなった!
この事実だけは、変わることなないのだ。。。
お願いです!もう二度と、こんな悲劇は繰り返さないで下さい!もう、、、二度と。。。
1年A組 ○○○○子