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今日2月2日は5年前に亡くなった、父の誕生日。
偶然、ミクシイで、あの、てんつくマンさんの誕生日であることを知り、早速、お祝いの
メッセージを送信したけれど、きっとたくさんの人から届いていることだろうナ~☆
誕生日って、その人がこの世に誕生した日だけど(読んで字の如し?^^;)
昔、昔の時代や、現代でも広い世界の国の中では、自分の誕生日を知らない人は大勢
いるのだろうと思う。(年齢すらわからない人もいるし・・・)
でも、今の日本では、ほとんどの人は自分の誕生日を知っているし、家族や親しい仲間か
らお祝いをしてもらう大切な記念日になっている。
もちろん!恋人同士だったら、、、最大に盛り上る大事な日ではないかしら♪^^
夜景の美しい、素敵なレストランの窓辺のテーブル、、、
ほのかに揺れる、キャンドルの灯を見つめて、、、
彼がそっと、手を握り、あなたの手に何か小さな箱を渡してくれる。
ドキドキしながら、その箱を開けると、、、そこには指輪が!
「お誕生日おめでとう!これからもずっと一緒にお祝いしよう!」
「結婚してくれないか?」・・・・
キャ~~~ッ!映画みたいだわ~~!
あっ、これは私の誕生日ではなく、よくあるベタな?ドラマのワンシーン!(^^;
ほとんどの女性は、こういう誕生日を一度は過ごしたい!と思っているはず♪^^
あっ、ついでですが、私の誕生日は2月6日です。(もうすぐです!^^)
その日は仕事ですが、、、夜は今のところ、先約ありませんので、、、どうぞ!?(笑;
と、、、ここまで書いておきながら、、、なんなのですが・・・
最近、誕生日もどうでもいいような気がしている。(歳のせいではありませんよ!^^;)
この地球上の生物で、誕生日を知っているのは人間だけだろう(知らない人もいるけど)
人間と暮している、犬や猫だって誕生日は知らないと思う。
最近のペットとの相性占いなどがあるところを見ると、一部は人間並み?(^^;
ほとんどの生物は誕生日も、ましてや命日なども関係なく、生まれて死んでゆく。
墓碑銘もない。ましてや銅像もない(あっ、渋谷のハチ公は例外です^^)
ただ、ただ生まれて死んでゆく。
与えられた日々を、ただ、ただ生きてゆくだけ・・・
それ以上でも、それ以下でもなく
生きていた証を残すこともなく・・・
残すものがあるとしたら、それは個々の生物の種、、、、種の保存だけ。
それすら、残せなかった生物は、かつてのマンモスのように地上から消えてゆく。
それが自然なら、、、それもいいのだろうナ~~。
昨夜は、あの教授の「哲学塾」に行ってきた。
先日、行き違いで、無断欠席になっていた私なので、、、
恐る恐る、出かけたのだけど・・・
特に何も言われなかった~~(笑)
隣の席の男性から、「先週、先生はしきりに、○○さんは来るはずだから・・・と言っていた
んですよ~」と笑いながら言われたけれど、、、(あらっ?待っていらしたのかしら?^^;)
昨夜は、ハイデガーの哲学から始まり、サルトルの哲学の話しになり、、、
次回もまたさらに、サルトルの哲学らしい。
教授はサルトルがお好きのようで、、、
私はサルトルと聞くとすぐに、長年のパートナーのボーボワールを思い出す。
終了後の懇親会(飲み会!^^)での会話から、どうもサルトルと教授の生い立ちは似てい
るような気がした。(女性の影響大!?^^;)
っていうか、、、哲学者には、共通の傾向がある?
サルトル哲学は、いわゆる「実存主義」として、その名前だけは知っていたけれど、、、
詳しい内容までは知らなかった。
サルトルの言う「存在と無」
存在は現象に過ぎず、存在は存在者ではない。という話しを聞きながら、ふと、思った。
「存在」という生きている証を求めて、人間はその生命を終えるその日まで、あがくのかも
知れないと・・・(それを、ある人は成長と呼ぶのかも?)
そして、時代の権力者は、その死後も証を残したいのだろうな~~と・・・
生きている、この瞬間!
今、この時だけが存在の全て!
今顕れている現象そのものが、、、存在なのだから・・・
こういう解釈でよろしいのでしょうか・・・・?サルトル様~~!