全24件 (24件中 1-24件目)
1
今までの人生で一番感動したこと、または、嬉しかったことは?と聞かれたら 『初めての出産で我が子を抱いた時』とすかさず答えちゃいますよね。(そういうと、我が家では、2番目、3番目からブーイングがでますが)『生まれてきてくれて、有難う。』『こんな私を母親に選んでくれてありがとう。』とそのとき本当の自分の生きる【目的】を、胸で眠るちいさなエンゼルに示されたような気がします。知っていますか?子供って3歳までに《一生分の親孝行》を済ませてしまうんですって。だから、思春期になった彼らが『黙れ糞ババァ』と少々ぐれようがそこで親の権威を振り回して頭ごなしはだめですよ。 我が家でもこんな事がありました。私立中学で寮生活をおくっていた次男。ある日、学校から緊急呼び出しがあり何事かと飛んでかけつけた。 というのも我が家は母子家庭しかも母親は花屋稼業が忙しく、母親らしいこと は何一つしてやれない。入学、入寮の時生活指導の教師に 体罰OK、世の中の理不尽さ、教えてください。 『でも、先生 生命だけは残してください。』 とお願いしてきたので、ハラハラドキドキ恐る恐る生活指導室の扉をノック とりあえづ保健室ではないから命は無事 ホッドア開けて、そこに見出したものは泣き出しそうな顔をした担任の先生(教師キャリア豊かなおじいちゃん先生)と不貞腐れて珍奇な格好をした我が息子。由緒ある学校の制服を自分で改良して(上着の丈を詰め襟を詰めズボンは腰の下)訴えるがごとき先生の話を聞き終えておもむろに『先生、この制服のどこがそんなにいけないのでしょう?私はカッコイイと思います。まあ、裁縫苦手なこの子が自分の手で一針一針丁寧(ひっちゃかめっちゃか)に、最新の流行を取り入れて改良しています。私はとてもいいと思いますので、今日今からそれを着てかえります。それを着て学校中を一回りして、彼のニューデザインをみんなにも知ってもらいましょう。』男の子って自分は得たいの知れない格好するくせに母親にはまともであって欲しいんですね。不貞腐れた姿が3歳以前の素直さに戻って『ごめんなさい』 1件落着でした。紀子様のご出産で母親だったころの幸せ思いました。
2006年09月06日
コメント(5)

世の中の変化に置いてけぼりをくわないようにとパソコンワールドに首つっこんで早6ヶ月。ようやく指1本ながらキーボードが打てるようになったところ、でも、まだいろんな絵を取り込んだり写真で飾ったりイメージだけは先走ってもなかなか思うようにいきません。でもすごい事ですよね。私がキーボードで悪戦苦闘している間にも、技術はどんどん進化して【ユビキタス】到来ですね。あ~ぁ、ちょつと待つてよ。ついていけないよう。知らない言葉もいっぱいだし、この画面だけでも〈エディタ〉だの〈アフィリエイト)だの意味わかんないし。でもね、赤ん坊でも3年経てば3歳、歩けるようになるし、しゃべれるようになりますよね。何にもしなけりゃ、〈アフィリエイト)ってなんだ?とも思わないし、いろんな、イメージもわきませんよね。まあこの世の中では一用済んだ身だし、あせらず、あわてずいきますか。
2006年09月01日
コメント(2)

お茶の淹れ方に決められたルールや手順は無い、とはいうものの一つだけ心にとめていただきたい事は 【香りと味】を引き出す熱湯です。日本の緑茶と違って中国茶は熱湯で淹れることが大原則です。湯を充分に煮えたぎらせてから一気に急須に注ぎいれます。烏龍茶や包種茶がもつ独特の香りや成分は【高温】でなくては生まれてきません。花の香りのリナロール、シスージャスミン、β―ヨノンといった部質は特にその傾向が強くこれらのお茶は日本茶のようにタンニンが多くないので熱湯を使っても苦くなりません。 工夫(功夫)茶器でゆったり、おいしく ここに工夫茶器の写真貼り付けようと頑張ってみたのですが ごめんなさい。私のドジパソコンはいうこと聞いてくれません。 ドジパソになめられてなるものか。です やった~ ついに写真の取り込みに成功。ありがとう。ひきこもりのひろちゃん。私の愛器鰭奇古堂の茶器
2006年08月31日
コメント(1)

2週間あまりのご無沙汰の言い訳を一言 その1お盆休みに孫達がやってきました。10歳、7歳、5歳、子犬のようにじゃれあってすねて、はぶてて、泣き喚く、我が家にはテレビなるものが無くて唯一静かにさせる手段がパソコンゲーム おかげでその間私はパソコンに手がだせません。 その2台風一過のごとく彼らが帰ってしまった後あまりの静けさ(寂しさかな?)にパソコン開く気にならず。あいつら、超ウルサイけどそのうるさいことがまたまた、可愛いんだよね。 その3気をとりなおして真面目な世捨て人暮らしをとキーボードの前に座ったら今度はな~んと、目の前に白い星がチラチラまるで虫が飛び回るように、寄る年波には勝てないものかと本も読まずに目に夏季休暇を与えておりました。はい。もう充分にお休みいただきました。またまた、つぶやき再開です。よろしくお付き合いくださいませね。
2006年08月25日
コメント(2)
茶の淹れ方、なんていうといろんなしきたりや手順があって難しいものと気構えないでくださいね。 物事はすべて本質だけ、理解していただければよいと思います。現在の中国茶道といわれるものは、今からおよそ30数年以前1970年代末に台湾で、ひとつの作法(茶芸)として見直されてきました。その目指すところは、お茶を通じて偉大な中国文化に触れること洗練された所作を身に付け、お茶を楽しむ事。生活に躾けと美をもたらすこと。 個人の好みや、その日々の気分、体調、環境が味覚に 大きく反映します。 ですから、お茶の淹れ方に決められたルールなどは 存在しなく、むしろ自分がくつろぐために、とか 相手の今の気分を思いやる事の方が大切で、 淹れ方の手順や道具ばかりにこだわるのは『お茶の世界』 から逸脱しているのではないでしょうか。 私は『粗茶でございます』。とは申しません 『これ、美味しいです。召し上がってみてください』。 と、すすめます。
2006年08月11日
コメント(0)

先ほど書いた茶経十章またしても画面レイアウトがひっちゃか、めっちゃか。ですね。ちゃんと、プレビュー画面見ながらやってるのに、今回は、1回の書き込み画面の容量オーバーでこうなっちゃつたんですね もう。融通が利かないんだから。 失敗経験生かして上手にはやくなります。 お見苦しい点今しばらくご容赦を。
2006年08月07日
コメント(0)

暑さ真っ盛りの8月、夏ばてしていませんか? 今日は茶祖【陸羽】の著した茶経についてつぶやきます。 陸羽(733~803)28才のときの著作 7000余字で綴る、簡潔な表現の中に当時の茶に関する情報を総合的にとりまとめた『茶の百科全書』というべきものの出現であった。この書物が世に出てから喫茶の風習は、にわかにブームを起こし、中国国内に普及すると共に日本に渡り,近世ではこの不思議な東洋の飲み物は、世界規模に拡がっていった。 茶経の十章 一の源 茶のおこり 二の具 製茶器具 三の造 茶の造り方 四の器 茶器 五の煮 茶の煮立て方 六の飲 茶の飲み方 七の事 茶の歴史 八の出 茶の産地 九の略 略式のお茶 十の図 茶経を書いて掛けておくべきこと。
2006年08月07日
コメント(0)

この、ムーミンルームでは大好きな北欧家具の ご紹介をします。http://www.rakuten.co.jp/lod-inc/757756/757775/#717279
2006年08月04日
コメント(2)

人はいつ、どのようにして、お茶を飲み始めたのでしよう?いろんな学者や歴史家たちが、この問題に取り組んでいますが今だ明確な答えは出ていません。数千年前、歴史のヴェールの彼方に神農伝説があります。 野山を駆け巡って色々な植物を採集し、自らそれを食して 身体に良いものと悪いものを見分けることを、仕事とする 男がいて、毎日山野をかけめぐり、疲れきった男は あるとき木陰で一休み。 持参の水筒の水を飲んで一眠り。 その水に木の葉がハラリと舞い落ちてきて 目覚めた男はまたしてもその水、いっ気飲み。 その途端身体中に活力がみなぎり元気百倍。 それ以来男は、どんな薬草。毒草を試そうが、 一日の終わりには、その木陰でその葉をひたした水を飲んで 身体の毒素をけしていた。といわれています。 茶の起源地としては、アジアの中でもヒマラヤ南麓からアッサム、雲南の山地を経て江南地方にいたり西日本ににまで達する東アジアの温暖帯に照葉樹林帯があり茶という植物もこの照葉樹林を構成する植物の一つ当初はさまざまな、茶樹以外の野生植物葉と野生の茶葉とが雲南、アッサムを中心に茶的に利用され、その後は主として野生茶樹の葉が利用されるようになり、また、野生茶樹から栽培種の茶樹が現れ、今日ではほとんどがその栽培茶樹が利用されるようになりました。 次回中国茶道は茶のバイブル【茶経】 についてつぶやきます。 猛暑の8月になりました。 お体ご自愛くださいませね。
2006年08月04日
コメント(0)

先ほど『娘だった時 タイムスリップ』に書き込んだのですが【白洲次郎の本読んでます。】でアフィリエイト画面から本の紹介画面をコピーして貼り付けしようと頑張ってみたのですが うまくいきません。説明よんで、何度もチャレンジしましたがもう、お手上げ。 きっと解ればなぁ~んだそんなことかで終わるんでしょうが、もう1時間以上もああでもない、こうでもない、と どなたか心やさしい方助けてください。 超ひまもてあまし人間みたい。
2006年08月01日
コメント(2)
![]()
今、【白洲次郎、占領を背負った男】を読んでいます。 信念とロマンがキラキラで、ほんの半世紀まえのことなのに 今、周りを見渡してもなかなかそれらが見つかりません。 贅沢な教育がそれらを可能にしたのかな? う~ん?やはり環境かな?半世紀前、10代の娘だった頃に思いを馳せてみた。 小学生時代 雨がふります 雨がふる~ 遊びにいきたし 傘はなし~ 紅緒のかっこ(下駄)も緒がきれた~ の歌のとうり、この歌に身をつまされた記憶 戦災で家が半分程焼け落ちたまま、2階建ての母屋部分に 家族6人で住んでいて、焼け落ちた離屋部分に防空壕があり その周り一面かぼちゃの花が咲いていた。 そのかぼちゃの花が食卓にのぼった記憶。 朝、暗いうちから夜中まで、働く疲れきった母の姿 それに倍して、上半身いつも裸で汗が光っていた父の姿 そんな中で末っ子で両親や姉兄に可愛がられて育った私 何かのきっかけでつむじを曲げて、 『嫌だ。嫌だ。もう生きていたくない。汽車に飛び込んで死んでやる。』 と言った時の父の顔 突然グローブのような手の平手打ち。 『親を脅迫するのかっ。』 『ごめんね父さん』あの時小さな私は部屋の隅まで吹っ飛びましたね。 あの時の父さんの顔にいっぱいの愛と哀しみを見たのに ひねくれでいじけの私は、ますます依怙地になっちゃいましたね。 大人たちが、誰も彼もが生きるため、なりふりかまわず 動き回る姿が どうして。なんのため。が分からずに いっぱいみんなを梃子摺らせてしまいました。 だって夢とかロマンとかがまだ分かって無かったんですね。 私もまもなく父さんが生きた67年に近づきます。 もう少し見ていてくださいね。
2006年08月01日
コメント(0)
大介~ェ 純也~っ 元気にしとんね~っ たまには、オカンに顔見せんしゃいよ~ オカンは今ブログちゅうもんにはまっとっちゃ。 今度教えちゃるけに、一回出て来んしゃい。 あんたらに会えんくなっち、な~んとのうさびしいっちゃ。 待っちょうばい。
2006年07月29日
コメント(5)
地震。かみなり。火事。おやじ。この4つの言葉は何を表現する時の言葉でしょうか? どなたか教えてください。
2006年07月28日
コメント(2)
今日はちよっと真面目な話していいですか? (この言葉明らかに第三者を意識していますよね。)本当のところ今までの私だったらアンチブローガ―で、このようなものに対して、かなり批判的な薀蓄をまくしたてていたはず。今回ブログに入ったきっかけは、次男のブログに『オカン』として登場したこと。(ちょつとひやかし)ここ十数年来の社会生活での価値観の激変と、生活環境の変化戦後の焼け野原の時代から高度成長期を経てバブル崩壊までの60年期を生きてきて次の60年期、どこへゆくのか?19世紀農業化社会。20世紀工業化社会。21世紀情報化社会農業も工業も食うためとか生活を便利に効率よくとか目に見えるもの手でさわれるものだから、分かりやすいけど。良も悪しきも目でも手でも確かめることの出来ない、『情報』何が正しくて、何が偽りか、それを知る方法ってなんだろう?って考えた時『経験』と『コミ二ケーション』かなと60年前は無論30年前にも無かった新時代のコミニケーションフィールドの一つがブログかなと。だから、『ひとりごと』とか『つぶやき』とか言いながら第三者を意識してるんだ。誰か私の考え、思いに共感してくれる人いませんか?なんですね。そして、『経験』このフィールドの中での失敗の経験談人事ではなく自分事として、考えたらいいですよね。私も今日からひやかしではなく、自分の娘として女として、母親としてのそして何よりも人としての経験、思い出せるかぎり書いていきます。どちらかと言えば『反面教師』的なことばかりなので 最初にごめんなさいです。
2006年07月28日
コメント(0)

分かってる。 分かってる。 分かってるってば。 歳も考えました。周りの迷惑も考えました。 でも乗るのは私です。べつにナナハンに乗ると言ってる訳じゃなし たかだか50ccのミニバイクじゃん。 これで侘しい団地の片隅暮らしにほんのちよっぴり視野を拡げることが出来れば、言うことなし。 64歳が何じゃい。暴走行為にふける歳ではないから安心しな では、さっそく横浜の孫達の顔でもバイクに乗って見にいこうかな。 ちなみに、ここは埼玉県上尾市
2006年07月28日
コメント(5)

団地の集会所で毎月2回、の花レッスンが始まりました。最初は一人、二人、マンツーマンの時も何度かありました。でもね 団地の片隅の花屋さん【清水花屋】さんの頑張り(努力)のかいあってだんだん人数も増えてきました。 清水花屋なぁ~んていうクラッシックな名前だからっておなかの出っ張った、クラッシックなおじさんをイメージしないでね。30代の男盛り、3児のパパ、愛妻家のいい男 とりあえず今日はミスター清水のご紹介まで
2006年07月28日
コメント(0)
新宿パークタワービルで《夏の大茶会》が催された。 世界のお茶とインテリア ときては無視できずいってきましたよ。 な、なぁ~んとそこに懐かしい文字『奇古堂』があった。 中国茶道(いざ清香の世界へ)で台湾通いが始まり私が勝手に師と仰いだ人が『奇古堂の沈甫翰』さんだったのです。 興味のある方私のお気に入りhttpのぞいてみてね。日本茶。紅茶。台湾茶。中国茶。さまざまな世界のお茶と茶道具、インテリアを融合させたブースをぬけて一路『奇古堂』ブースへあった シンプル.イズ.ベストあれから8年余りの歳月を経たというのに何の『お変わりもなく』時の経過を感じることもなく清香へのいざない。時の流れも茶に対する違和感も感じることなく、ひとときを過ごせたのはやはり、沈先生のお茶に対する『理念』が一貫しているからかなぁ~。沈先生の場合お茶に対する理念=生き方理念で、もともとが工学分野の学者様。いつも少年のような好奇心とそれを解明しようとする行動力中国茶ブームの到来もその元のところでの沈先生の貢献は大なるはず。と思うのは 私一人ではないでしょう。あ、いけない、いけない、お茶について話し出すと手前勝手の一人よがりがとうとうと、つづくのが茶人の悪い癖興味のない人、うんざりですよね。私もお茶界覗いてうんざり感、いっぱいありました。 お茶はおいしく飲むべかりけり。 お茶はたのしく飲むべかりけり。 です。
2006年07月26日
コメント(1)
ちまたには、いけばな教室、フラワーアレンジ教室、フラワーデザイン教室、と、花を媒体としたカルチャーがたくさんあって でもせっかく人間止め たんだから『先生』とだけは呼ばれたくないな~。な~んて思いながらいろいろ考えましたよ。 そうだ才能持ち寄り交流会でいいじゃん誰でも物事の得手、不得手があるだろうし、取りあえず私は花には 長年たづさわっていたから言い出しっぺになろう。そう思いながら周りを見回していたら、在りましたよ。団地の中にもちいさな花屋さんがふおっふぉー 花屋さんにはどんな得手、不得手があるかな? ということで始まった花交流会5ヶ月目でレギュラー10名弱 見えてきましたよ。いろんな才能が つづく
2006年07月25日
コメント(0)
(中国茶道の続きです)さあ、優雅なひとときをと包みをといてテーブルをセッティング。 淹れてみた。飲んでみた。ちがう。やっぱり違う。これではない。がっかりエーイ最後の手段と、最初に出会った関西、有馬温泉の会員制ヴィラに恐れ入りますがと電話をいれる。 そこで分かったことは、台湾のさる実業家が年に何度か保養の為有馬に来られていてそこでの茶席に私が、たまたま出会ったということ。 台北市の『奇古堂』という茶舗が次なる私の目的地。その年まで日本から一歩も出たことのない私。お茶を求めて早速パスポートの申請。文章にすれば、わずか数行。でもこの間の時間の経過は約一年。次の一年は花屋家業のかたわらの台湾通いで明け暮れた。 つづく
2006年07月24日
コメント(1)
ブログ開設4日目、なかなかイメージどうりの画面ができずです。他の方たちのブログいろいろ見せてもらって、どうしたらあんなことできるの?と指をくわえて見ています。でも まっててくださいね きっといろいろ覚えますから。 記号の使い方 動画の取り込み方 写真の取り込み方 等など分からないことだらけ でも、楽しいですね 当分どじな画面でもお許しを
2006年07月24日
コメント(0)
埼玉の片隅。団地の住人になって、2年弱。 ようやく人間時代の、諸々のしがらみをほぼ、断つことができました。でも、片隅とはいえ人間社会で、日々の営みをさせて貰っている以上 やはり 何らかの形でお役に立てること、と言うか必要とされる 存在でなくてはならないのでは?『人様の役に立つこと』 『必要とされる存在』 う~ん何か私にできることあったかな?とりあえず母親やってた頃、子供達を食わせる為【花屋】をやっていて そのときにフラワーデザインの講師の資格もってたなまづは、団地の中で『花交流会』でも始めよう。
2006年07月23日
コメント(0)
かくしてここから夢想だにしなかった【乗馬倶楽部設立】への道へと続くのですがそれはまたの機会にして、まあいずれにしても、そのきっかけづくりは…我が愛する次男坊shin君だったのでした。 その日住宅地の空き地に5頭の馬たちが草を食む姿をながめて過ごし、彼らがどこへ帰ってゆくのか見届けようということになり、空きっ腹かかえてお馬の並足の後を車で時速10キロ未満ノロノロでした。宅地をぬけ丘をこえ畑地をぬけて、なぁ~んと風光明媚な玄海国定公園のなかプレハブの小屋がぽつんと一軒、小さな丸馬場が一つ。でも、さっそく入会しました。【乗馬スポーツ少年団】に
2006年07月21日
コメント(0)
十数年前の関西のある会員制のヴィラの片隅。ふとした、きっかけで飲ませてもらった【ウーロン茶】 その香りと一口、口にふくんだとたんの、なんともいえない清々しさ、50ン年の身体中の澱がスーツと拭い去られたような、なんともいえない爽やかで それ以来何とかもう一度あの感じを、と 中国、台湾土産のお茶を試してみたけど どこか違う。 横浜中華街へ出かけていって、一日中中華街をハシゴでも駄目。あの時の香りではない。かろうじて見つけた茶舗で、一番美味しいと店主の太鼓判付のお茶5,6種類買って、淹れ方も聞いて、器も買って帰ってきた。奇古堂 つづく
2006年07月21日
コメント(0)
1981年初夏のある日のたそがれ時、 次男のshinが ランドセル放り投げて駆け込んできた。長男10才 次男8才 長女1才 3児のママの私。主人はいない。 『お母さん、お母さん。お馬が。お馬が、とおったよ。』 なぬ、なぬ?住宅地のコンクリート舗装の道路に《馬》? 『うん。馬が5頭。通った。T君も、乗ってた。僕も、乗りたい。』 日常生活の変化に敏感な私。(野次馬根性が旺盛なだけだって?)3人の子供達を車に詰め込んで、馬の通ったと思われる後を追っかけた。 夕食準備もおっぽらかして。
2006年07月21日
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1