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チェリー1974

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2011.01.17
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カテゴリ: つぶやき



16年前の今日は、阪神淡路大震災の日でした。

1月15日に成人式で振袖を着て、その2日後の出来事でした。

すごい音と揺れで目が覚めましたが、なかなか揺れがおさまらずベッドの中で布団にくるまって、しがみついていたことを思い出します。

揺れがおさまると、布団を頭にかぶって2階の自分の部屋から1階のリビングへ駆け下り、コタツにもぐりこんで、母とTVでニュースを見ていました。
(妹は、気付かずにぐっすり寝ていましたが。。)

地震の犠牲になった方の数がどんどん増えていくのを、何度も襲ってくる余震に震えながら見ていました。

落ち着いてから自分の部屋に戻ると、アップライトピアノやベッドが揺れて、かなり動いていて、地震の大きさを感じました。

私が住んでいるのは大阪の北摂なので、被害は少ない方でしたがしばらくは、世界が変わったかのような印象でした。

その頃20歳の私は、実家で生活していましたが、今の主人でもある当時の彼とは電車で2時間半ほどの離れたところで下宿していましたから、連絡が取れるまでは心配で、気が気ではありませんでした。

地震の後は、携帯も家の電話もパンク状態でしたから、連絡がつくまで時間がかかりましたから。

学校の生徒さんや教授の中には、神戸にお住まいの方もいらしたので、被害を受けた方もいらっしゃったようでした。

そういう理由もあり、私の卒業した年は卒業謝恩会は中止となりました。

幼児教育科を専攻し保育士を目指していた私なのですが、その春から内定していた保育園から、地震の影響で後片付けがあるので、手伝って欲しいという連絡が入り、研修というかたちで保育園へ通うことになりました。

子ども達と過ごすのは楽しい毎日でしたけれど、地震の恐怖で情緒不安定になってパニック気味の子どももいました。

当時の子ども達は、もう成人しているようですが。。

被害の大きい場所では、本当に寒い時期の大変な映像を何度も繰り返し見て心が痛んだものでした。

ただボランティアの方の活動や、人と人の支え合う様子を映像を通して見て本当に人と人との助け合いの暖かい心のつながりは素晴らしい物だと感じたものでした。

でも、神災の被害で、尊い6,434人もの命がなくなってしまったんですよね。。 

心からご冥福をお祈りいたします。

私が病床にある時、震災を思い出しました。

命の尊さ、はかなさを感じたものでした。

今、生きている私。

生かされている私。

この一瞬一瞬を大切に生きていかなければ。




命はみんな平等に終わりの日が来る。

ついそんなことを忘れてしまいがちだけれども、

今、生かしていただいているのだから、精一杯生きよう。












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Last updated  2011.01.18 01:05:16
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