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サリィ斉藤

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カテゴリ: 今日のつぶやき
私の父の両親は、父を含めて3人の子どもを育て、私をはじめ7人の孫が出来ました。


そして、私の祖父母にとってはひ孫にあたる子どもは、現時点で偶然にも同じ人数なのですが、その数は…
1人。

少子化が社会問題になって久しいですが、「人口減少化時代」の到来は身内を見ればひしひしと実感できる私なのです。

私のほか、上は四十代前半、下は二十代前半のいとこ達が「子どもを持たない理由」というのは様々です。
離婚したり未婚だったり…という状況まで含め、当人たちにも「なぜ私には子どもがいないのか」ということを、明快に「それはこういう理由です」とすらすら説明するのは、とっても難しいことだと思う。

つきあいの長い友人たちでも、やはり子どもがいない人の割合が多いのだけれど、置かれている状況や本人たちの思いは多種多様。

当然ながら私もその一人で、約9年の結婚生活を経て未だに子どもがいないということに関しては、状況やタイミングや気持ちや身体、さまざまな原因が絡まりあって、気がつけばこんなに時間が経ち、もう若くない夫婦になっていた…としか表現しようがない。


「少子化対策」と言葉にするのはたやすいけれど、政府が打ち出す案に「あぁ、それはいい!」と思えるものが少ないのは、「少子」という現象を生み出している要因が単純ではない上に、人の心の部分に根ざした、目にみえにくいものも多く含まれるからなのかな。
女性だけに目を向けていても解決する問題ではないということも実感しますし。

わが家の場合は、決して「子どもは産みたくない」という決断をしたわけではないのだけれど、人にそういう話をすると「じゃあ早く病院に行って治療すれば??」という話になってしまう。

色々と考えた末に、自分たちの子どもが出来たらうれしいけれど、自然に任せよう、医療の力で解決を急がないよう…という結論を出した私たちは、少数派なのでしょうか。

ひと昔、ふた昔前なら「しょうがないよね」とあきらめるしかなかったことが、科学の進歩で実現できるようになって。
でもそうなると、「運を天に任せる」という選択は「努力を怠っている」というのと同義語になってしまうような。

いくら社会問題化しようと、子どもを産むか・産まないかは個人の自由だし、他からどうこう言われる筋合いではない!ということは百も承知なのです。
その上ありがたいことに、双方の親も含めて誰からも「まだ産まないの」「どうして産まないの」と責められることもない私。

それなのに、「出生率またも最低」などという新聞の見出しを見るたびに、いつも頭の片隅で 「産んでなくて、ごめんなさい」 と肩身の狭い思いを抱いてしまうのは、自分でも「努力を怠っている」と認めているからなのかもしれない…

そんな風に思うのは間違ってるよ、と、どれほど温かい言葉をかけてもらっても、どうしてもこの自責の念から解き放たれることがないのは、大好きだった祖父母や夫をはじめ、大切な人の遺伝子を残していけないということに対する、生き物としての本能的な哀しみなんでしょうか。








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最終更新日  2006.06.02 16:41:10
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