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しばらくmixiだけで告知していましたがこちらでも。日時:2008/5/24(土) 13:00~15:00場所:藤沢市市民活動推進センターB会議室(JR藤沢駅北口より徒歩約5分)テーマ:私の責任・あなたの責任参加費:\100_対象者:選択理論心理学に興味のある人選択理論心理学の基盤である3R(責任:Responsibility、現実:Reality、正義:Rightness)の一つ、責任について学びます。どんな構成にしようかと構想中...
May 18, 2008
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久しぶりの日記です。先月、5/26に開催した勉強会で、付き合っている女性を怒らせてしまったら選択理論的にどう対処するか、という話が出ました。その場にいた唯一の男性だった私が出した回答は、・まず、わかってあげられなくてごめんね、と謝る。・次に気持ちを分かってあげる。寂しかったんだ、とか、悲しかったんだ、とか。・どうして欲しかったのか、きちんと聞く。というものです。どう対処すればいいのか自分でも正直良く分からないことが多いですが、女性陣からは好評でした。素直に謝れる男性って少ないんだって...僕なんか、自分のプライドよりも相手との関係を優先させた方がいい(というより、その位に思える相手でないと付き合いは続かない)と思っているので、あまり抵抗はないから、そっちの方が意外でした。色々な発見がありますね!次回は6/23。久しぶりに会議室が取れましたので気合い入れてやります!
June 1, 2007
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こんばんわ。あっという間に桜が開きましたね。数日前にはつぼみだったのが、もう5分咲きを越えてしまいました。春本番ですね。今日は上質世界の話をしましょう。上質世界とは、基本的欲求を満たす人や物や状況や価値観などが入ったイメージの世界、ですよね。人は誰しもこの上質世界をその人の内面に持っています。上質世界が空白では人は生きられません。必ず、何かが入っています。そこに何が入っているかでその人の人生の幸せ度が決まって来ます。本当に欲求を満たすものが入っていればいいのですが、欲しいものが手に入らない経験をすると、「代用品」を上質世界に入れたりもします。例えば、分かりやすい例では、十分に愛してもらえなかった子どもは、わざと怒られるようなことをして注目を引こうとします。怒られるのでも無視されるよりは何倍もいい、という風に判断してしまうのですね。そして自分は愛されないという思い込みも出来ているから、愛される自分というのが上質世界から外れてしまっているんです。悲しいことですけどね。こういったことは共依存の関係にも見られます。アルコール中毒の夫と、その夫をかいがいしく世話をする妻、というように。あるいは、中毒なんかもそうですね。ギャンブルとか麻薬とか。一度欲求充足される経験をしてしまうと、それが上質世界に入ってしまって、なかなか外せなくなってしまうんです。人は人間関係の中で本当に欲しいものが手に入らなかったらゲームをするようになる、と言ったのは確かエリック・バーンだったと思いますが、人間は関わりあいのないことは耐えられないので、つい本当に欲しいものが手に入らないと「ないよりはまし」と自分で勝手にストーリーを作って(「私は愛されない」とか「私は嫌われ者」とか)そのストーリーを現実の人間関係の中で再現して満足する、といったことをやってしまいます。習慣というのは恐ろしいですね。こうした傾向は人間誰だって多かれ少なかれ持っています。何だか一生懸命やっているんだけど、全然うまく行かない。そんな人は、自分の上質世界に何が入っているのか、一度良く見つめる時間を持って下さいね。私は何を求めているのか。その答えを探してみて下さい。そして、その欲しいものを手に入れるために何をしているのか、良く観察してみて下さい。欲しいものとしていることがずれていたら、勇気を持って上質世界に新しいものを入れてみましょう。世の中には、モデルになる人や事例が沢山あります。それを自分の中に取り込んでみて下さい。少しずつでいいですから。「していること」の修正が欲しいものを手に入れるには一番早い方法ですが、行動の変革はなかなか大変です。それを助けてくれるのがイメージの力です。上質世界に深く入ったイメージは、あなたを強い力で突き動かしてくれます。時々は時間を取って上質世界の棚卸しをしてみて下さいね。上質世界には、以前は自分を幸せにしたけど、今はそれほどでもないものも入っています。本当は自分を幸せにはしてくれないものだって入っています。それを外して、新しいものを入れて下さい。新しいものを入れる一番楽で簡単な方法は、もっと良いものを見つけることです。たまには視点を変えて世の中を見てみましょう。きっと何かが見つかるはずですよ。
March 29, 2007
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こんばんわ。久しぶりの日記になります。先月、JPSA東京支部の勉強会での学びをシェアしたいと思います。選択理論心理学は「人の動機付けは内側から」「他人は変えられない」「人はそれぞれ上質世界が違う」を基本において、人と温かい関わりを持つことを教えてくれます。これとは対極にあるものとして、世間一般で信じられている「外的コントロール心理学」というものがあります。それは「人の動機付けは外側から(外部からの刺激に反応して人は行動する)」「他人は変えられる(よって脅す、罰を与える、褒美で釣る、等の手段で人を操ることが出来る)」「自分は正しい、相手は間違っている(相手を正してあげることが正しいことだから私は相手を変えて良い)」という選択理論とは反対の基本原理に基づいています。基本原理が異なると、行動も異なってきます。選択理論が勧める7つの習慣(傾聴する、支援する、励ます、尊敬する、信頼する、受容する、意見の違いを穏やかに交渉する)は人間関係構築の原則であり、思いやりの表現です。相手を尊重した立場です。一方外的コントロールの習慣(責める、脅す、罰する、文句を言う、ガミガミ言う、批判する、褒美で釣る)は力の原理であり、使い続けると最終的には人間関係を破壊してしまいます。誰だって、批判的で支配的な人のそばにいたくないですからね。ところで、どこまでが外的コントロールなのでしょうか?外的コントロールとは、その人が嫌なことを、その人を変えようとしてやり続けること、です。望んでいないこと、すなわちその人の欲求を満たさないことを押し付ける立場です。これは他人に対してのみならず、自分自身に対しても同じことです。我慢と忍耐の違いが言えますか?我慢とは、自分で自分の欲求充足を怠っていることです。自分の欲求充足には自分で責任を持つのが原則ですから、これは無責任な態度ですね。始まりは相手に対する愛や思いやりであったとしても、我慢は最終的に耐えきれなくなって終わりを迎えます。我慢する側も、された側も、Happyではありません。忍耐とは、耐えることを自ら認めている状態です。自分自身の欲求充足を放棄した訳ではないんです。ですので責任のある態度と言えます。忍耐はOKですが、我慢はNGですね。そして、動機が愛や思いやりであったとしても、強制は人間関係を壊します。例えば、落ち込んでいる人をお茶に誘って相談に乗る、数学がわからない人に分かるまで教える、出来ないことを手伝ってあげる、等、ついやってしまいがちですが、こうした行動は慎重に行うべきです。最初のは、本人が望んでいればOKですが、話したくない人に無理に話させるのは相手を尊重しているとは言えませんね。二番目は、相手に続けるか止めるかの選択肢を与えていないので、たとえ最初は相手が分かることを望んでいたとしても、やり過ぎでしょう。三番目は、他人のやることを肩代わりするのはNGです。親切心であっても。さて、人と人との関わりは4つのステージがあります。1番目は、愛・友情のステージ。お互い対等な関係です。2番目は、カウンセリングのステージ。相談に乗って欲しい人と相談に乗れる人との関係です。3番目は師弟関係のステージ。教えて欲しい人と教えてあげられる人との関係です。4番目はマネージメントのステージ。相手が求めなくてもアプローチを掛ける必要のある関係です。4番は組織や契約などがあれば必然的に生じる関係ですからちょっと特殊と言えますが、1~3番は相手次第で入れ替わりますよね。で、男女関係では1番目のステージ以外はあり得ません。2番目以降のステージを使うと、関係が崩れます。対等平等ではなくなってしまうんですね。パートナーが悩んでいるとき、ついアドバイスを送りたくなりますね。パートナーが出来なくて困っているとき、つい教えてあげたくなりますね。でも、本当の愛は、そこで待つことです。パートナーにしてあげられるのは、受容と傾聴のみです。そこから先は、パートナーの自己評価を信頼しましょう。選択理論の教えの一つに、全ての行動はその人にとってその時の最善の行動である、というのがありましたね。十分な情報が与えられ、手に入れたいものが明確になっていれば、自己評価して最善の行動を起こすものなのです。そこを信頼してあげてください。時には、客観的に物事を見られる立場にいるカウンセラーを使うこともあるでしょう。誰か、専門家の援助を仰ぐこともあるでしょう。その時に「私ではパートナーの役に立てない」と(力の欲求が満たされないことが原因で)男性女性ともに思ってしまいがちですが、そうではありません。あなたがどれだけイコールパートナーとして相手を尊重してあげられたのか、そこを誇りに思って下さいね。
March 11, 2007
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こんばんわ。今日は大崎で開催された勉強会に参加して来ました。選択理論の集中基礎講座の同期生にも再会出来て楽しかった一日でした。そこで得た学びについてシェアしたいと思います。選択理論の基本的な概念の一つに「全行動」があります。この日記でも何度か取り上げていますが、覚えていますか?http://plaza.rakuten.co.jp/schar/diary/200605190000/全行動を説明する時に、良く自動車の絵を使います。自動車の4つの車輪に、全行動の4要素である思考、行為、感情、生理反応を対応させるんです。前輪が思考と行為、後輪が感情と生理反応、ですね。そして自動車のハンドルを握っているのが私自身。ハンドルを切って、自分の進みたい方向へ進みます。進みたい方向とは、自分自身の基本的欲求を満たすと思われる方向です。私たちは生まれてから死ぬまで、欲求充足を目的として最善の行動を選び続けています。この自動車を自分が幸せになるように動かすには、ちょっとしたコツがいります。それを7か条にまとめました。1.自分が行きたい方向性を決める方向性がはっきりしていると、選択がしやすくなります。2.運転するのは自分「他の人に幸せにしてもらおう」はストレスの溜まる人生です。自分の人生は自分で責任を持ちましょうということですね。3.ルールを守る他人は他人で自身の欲求充足のために行動しています。道路と同じでルールがないと危なくて走れないですよね。他人の欲求充足を妨げないことです。4.感情や生理反応に振り回されず、より良い行為と思考を選択する車の後輪ではなく前輪に意識を向けて下さい。特に「言葉」には注意して下さいね。ある人が言っていましたが、ぐち、不平、不満は「うんち」。寄って来るのはハエだけ。ハエが好きならそれでもいいですが、人に寄って来てもらいたかったら言葉を変えて行きましょうね。5.過去にとらわれず、前に進むグラッサー博士はこのことを「人は自ら進んで選択しない限り決して過去の犠牲者となることはない」と言っています。とは言っても過去は全て気にしないのではなく、良かったことはちゃんと思い出して、いい状態の自分の行為や思考の癖を分析したり、現在の行為と思考を選ぶヒントにしたりして、活用して下さい。6.嵐、試練、台風、などもやって来るが、全て一過性、やがて過ぎる悪いことは永遠には続きません。諦めずに行きたい方向へ進み続けて下さい。逆境は、樹が大地に根を張るように、準備の時期です。7.選択肢がある時は必ず幸せな方を選ぶ自分の幸せとは何か、を常に意識して行為と思考を選びます。致命的習慣は使わない、と決めて下さい。特に、お互いの上質世界が食い違っているときは、「交渉する」ことで解決を図って下さいね。子どもに交渉のスキルを身に付けることは最高の教育の一つです。さてこの自動車、基本は一人乗りです。が、お子さんや配偶者を乗せて走ろうとする方がいます。私の言う通りにすればいいから、と。そうすると人間はお互いに上質世界が違うから必ず衝突しますし、主導権争いが生じます。そこで致命的習慣を使うと人間関係は破壊されてしまいます。もし、誰かが力づくででも主導権を取ったとしたら、同乗者は自分が何を求めていて、何が好きなのか、分からなくなってしまうんですね。そんな状態で「さあ、ここからは自分で運転しなさい」と自分の車に乗せられても、何をしていいのか分かりません。自動車の運転の仕方を全く知らない人が路上に出たらどうなるか、想像してみて下さい。運転者も、周りも、危なくて仕方がないですよね。愛する人であっても、自分の車には乗せないで下さいね。では、安全運転で、自分の望む方向へ、行ってらっしゃい!
January 16, 2007
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今日は3人と少人数の勉強会でしたが、セルフイメージの話で盛り上がりました。選択理論を使ったカウンセリングは「リアリティセラピー」とも言い、その名の通り現実的であることが特徴の一つですが、セルフイメージの低い人は現実をありのまま見ることが出来ず、自分は嫌われているのでは、とか、あの人が私を攻撃する、とか、現実を自己攻撃の妄想でゆがめてしまいます。現実をありのまま捉えることで問題は問題でなくなったりするのですが...悩む必要のないことで悩んで時間を浪費するのは非常に勿体ないなあと思います。セルフイメージを上げるにはどうすればいいか、という話になって佐藤先生が紹介して下さったのが一日を次の4つの文を使って振り返る、というものでした。今日、私は以下のことを誇りに思う。それは.....。今日、私は成功した。何故なら.....。今日、私は~とすごくいい会話をした。今日素晴らしかったことは.....。こうすると達成感が生まれて、セルフイメージが高くなるということです。なるほどその通りだ、と思ったのでシェアしますね。
January 14, 2007
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こんばんわ。ちょっと間があいてしまいましたが前回の続きです。大切なパートナーとの絆を深める三つの法則があります。法則1:時間をかける法則2:愛とセックスの欲求の違いを知る法則3:手間をかける遠回りなようでも、この3つの法則を理解し実践すると、本当に穏やかで温かく安心していられる関係が築けるはずです。法則2については前回の説明を参考にしてもらうとして、今回は法則1と法則3について説明します。男女関係というのは距離ゼロ(くっついている状態)から距離無限大(お互いを全く意識しない状態)まで、幅広い距離を取る人間関係です。最初は見知らぬ他人同士が、お互いを意識し、特別な存在だと感じて徐々に距離を縮め、二人の世界を築いて行くんです。育った背景も違えば基本的欲求の強さや上質世界も違う二人がコミュニケーションを取るのですから、衝突したり、うまく行かなかったりするのは当たり前です。人は「誰かのことを好きになる」のは誰かから習わなくても出来ますが、「誰かのことを愛する」には学習が必要なのです。「この人はなぜ、こんな考え方、感じ方、行動をするのだろう?」というのを一つ一つ理解しあうことで、親密感は育まれて行きます。この過程で焦らないことです。逆説的ですが、距離を縮めて行く過程で、いつでも「辞める」あるいは「立ち止まる」や「一歩引く」といった選択肢を持っておいた方が、かえって関係は築けるものです。相手のことを見る余裕ができるからです。距離を早く縮めすぎると、相手のことはかえって分からないものです。「こうだろう」という自分の思い込みで相手を判断し、期待し、期待通りにならないと裏切られたように感じて、結果的に険悪になってしまう...こんな経験は誰でも少なからずあることでしょう(^_^;普通の人はテレパシーで会話する訳にはいきませんから、声で会話しますよね。お互いが色々な話が出来る距離が一番相手のことがわかります。お互いが自分のパーソナルスペース内に相手を入れている状態です。表情も読み取れますしね。この距離で時間を掛けて下さい。これより近い距離になると身体が接触し、特に恋愛の初期にはドキドキしたり恥ずかしくなったりと意識が相手ではなく自分に向いてしまうので、相手のことを良く見られなくなってしまうんです。相手と良好な関係を保ってコミュニケーションするには、以前に取り上げた「身につけたい習慣」を使って下さいね。忘れてしまった人は、「耳は尊く、うちは紳士」と語呂合わせで覚えて下さい。 耳 ー傾聴する は ー励ます 尊くー尊敬する う ー受け入れる(受容する) ちは―違いを穏やかに話し合う しんー信頼を育む し ー支援する(相手のしたいことを否定しない)そして、相手との関係を築くのにも時間を掛けて下さい。それにはまず、人間関係の4つのレベルのモデルを頭に入れておくといいでしょう。レベルA話し合って問題を解決出来るレベル(穏やかに交渉可能)レベルB会話、コミュニケーションが出来るレベルレベルC一緒に何か(お互いに楽しいと感じる、努力を必要とすること)をすることが出来るレベルレベルD一人で何か(楽しいと感じる、努力を必要とすること)をすることが出来るレベルレベルDは意外に思われるかもしれませんが、この部分は相手から見たあなたの魅力に相当する部分になります。何かに取り組んでいて楽しそうな姿は相手から魅力的に見えるんです。誰だって、魅力的でない人に近づいてはこないですよね。なのでせっせと魅力に磨きをかけておきましょう下位のレベルに到達していないと上位のレベルには行けません。良く「話し合いをしたいのに話し合いにならない」という悩みが生じますが、それはレベルB以下が上手く出来ていないからです。お互い仙人ではないのですから、欲求が満たされていない状態での話し合いは困難ですね。夫婦やカップルの衝突はレベルDからいきなりレベルAを目指すような場合に生じやすいのです。一歩一歩、上のレベルを目指してください。そして、手間をかける部分は、このレベルCの部分です。一緒に何かをする時間を、「クオリティタイム」という「お互いを意識しながら協力して創る良い時間」にしていくことに知恵を絞って下さい。そしてクオリティタイムとは、相手を意識するものお互いが価値を認めたもの(一方の価値観を他方に押し付けては駄目)努力の必要なもの繰り返し行えるもの限られた時間で出来るもの言葉によらない方が良い(会話は安全なものを)生存の欲求ではなく心理的欲求(愛・所属、力、自由、楽しみ)を満たすものという条件を満たすものです。ですので、ドライブに行くよりは散歩を。散歩は相手のことを意識しペースを会わせなければならないですよね。映画やDVDを見るよりは、遊園地へ。受け身なものではなく、手間を掛けましょう。外食するよりは、一緒に料理を作りましょう。お互い協力しあいましょう。念押ししておきますがセックスはクオリティタイムではありません。愛し合っている者同士のセックスは本当に深い喜びをもたらしますが、それは二人に贈られたギフトだと捉えて下さい。関係を築き上げた結果、得られるものです。関係を築き上げる手段ではありません。クオリティタイムを取るというのは、とりもなおさず、その人の為に時間や手間ひまを費やしても惜しくないと感じている証拠です。その姿勢は必ず相手に伝わります。自分の為に相手がこんなことまでしてくれた、と理解することが出来たら、相手のことがより一層愛おしくならないでしょうか?自分も相手の為に何かしてあげたい、と思わないでしょうか?与え、受け取り、素敵な関係を築いて下さい♪
December 2, 2006
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こんばんわ。このところ順調にアクセス数が伸びているようです。ありがたいことです。今日はお友達の長野さん主催の講演会に行って来ました。講師は選択理論心理士の渡邊先生で、演題は「大切なパートナーとの絆を深める法則~男女の心の距離・身体の距離~」です。選択理論を使って男女間の望ましい関係について講演頂きました。最前列で聴く事が出来てラッキーでした。新鮮だったのは、選択理論の観点からは性行為は親密感をもたらす行為ではないことです。意外に思われる方も多いかと思いますが...親密感というのは愛と所属の欲求が満たされた時に生じます。誰かと繋がっている感じ、誰かとの間に愛情を感じられる関係、自分が受容され、信頼され、役に立っている感じ。親密感というのは言うまでもなく心理的な欲求です。それに対して「セックスしたい」というのは生存の欲求から来ています。身体的欲求を満たす行為です。特定のパートナーに対して感じる強い性欲は、愛情のバロメーターではないんです。確かに性行為ではお互いの身体の距離はゼロですから、相手がとても近くなったように感じます。でもそれは、相手が自分のものになったような「錯覚」なのです。パートナーを「所有する」ことは誰にも出来ません。所有者意識からは親密感は生じないのです。厳しい現実があります。渡邊先生が実際に専門学校生を対象に統計を取っています。好きな相手とセックスをするのは当然、と答えた人は60%。ですが、セックスをしたことで親密感が増した、と答えた人は42.7%に低下します。さらに、セックスした相手は信頼出来る、と答えた人はたったの8.7%です。パートナーとの間でより親密感を感じたくて性交渉に及んだはずなのに、欲しいものを手に入れられた人は非常に少ないのです。人は親密感を感じたがる生き物です。そのため、人は誰に教えられた訳でもなく、素敵な異性を見つけると距離を縮めようとします。相手を見、話をし、相手を理解し共感していく過程で、心の距離は勿論、身体の距離も縮めて行きます。心の距離が身体の距離よりも近い場合は二人の間に問題は生じにくいものです。心が近くなった分だけ相手を物理的に近くに引き入れるというのは自然な行為です。逆に身体の距離が心の距離よりも早く近くなると、すれ違いが生じやすくなります。「相手の考えていることが分からない」「大切にされている気がしない」等、様々な疑いが出て来ます。また、相手を自分の所有物のように感じやすくなります。そうすると「○○してくれない!」と様々な不平不満が出て来て、お互いが相手を変えようと不毛な闘争を繰り広げるようになってしまいます。親密感を感じたかったのに、手に入ったのは分離感だった...こんな経験のある人は少なくないと思います。ではどうすればいいのでしょうか?それには、時間を掛けて、手間をかけて、パートナーとの間に友情を育み、パートナーを「所有する」という幻想を手放していくことです。友情のベースにあるのは相手に対する「尊敬」です。「自分が上」と感じていると「所有している」という幻想を抱きやすくなりますが、お互いに「尊敬」があると「所有する」という発想は生まれて来ません。対等な関係でいられます。今パートナーがいらっしゃる人は、彼または彼女を尊敬してみて下さい。今いらっしゃらない人は、尊敬出来る人を捜して下さい。そこから色々な変化が訪れるでしょう。親密感を感じる方法についてはまた稿を改めてシェアしたいと思います。
November 12, 2006
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随分久しぶりの日記です。書かなかった理由は色々あるのですが、一番大きいのは自分の中でアウトプットできるものがないって感じてしまっていたことです。しばらく学びから遠ざかっていましたので...継続学習の大切さを改めて感じた次第です。さて、今日は地元の図書館へ行って来ました。そこで色々と本を物色しました。私は「Newton」という科学雑誌が大好きです。特に、年2~3回は載る宇宙にまつわる特集が大好き♪時間を忘れて食い入るように読んでしまいます。ビッグバン理論、インフレーション理論、素粒子や超ひも理論、銀河や銀河団、ブラックホール、太陽系、ハッブルの天体写真、等、名前を聞くだけで拒絶反応を示す人も多数いそうですが、私はとってもわくわくします。今日も一冊借りて来てしまいました♪私はこれで、楽しみの欲求も力の欲求も一緒に満足させることが出来ます。なんてお手軽。上質世界に入っているものって、見たり聴いたり体験したりするとはっきりわかりますよね。それも、真ん中にしっかり入っているのか、それとも周辺にはいっているのかまで。手に入れた時のわくわく感やウキウキ感が全然違うんです。そう言えばこの感覚は、最近の読書では忘れていたよなあって思います。このところは「これは上質世界にいれようかな? どうしようかな?」という本ばかり読んでいたような気がしますね。入って来るものも多かったんですが、素通りしたり、満足のレベルは低かったりしたものも多数ありました。改めて、欲求はバランスよく満足させなければ、と感じたのでした。
October 28, 2006
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こんばんわ。8月も残り少なくなりましたね。小学生の息子たちは、宿題の追い込みの真っ最中です。今年は例年になくカブト虫やクワガタ虫を捕まえて、二人とも上機嫌なのですが、その分勉強は疎かになってしまいました。誰もが通る道なので最後まで投げ出さずにやり遂げてもらいたいものです。さて、久しぶりの日記ですが、今日はクオリティタイムのお話をしましょう。クオリティタイムとは、自分自身の5つの基本的欲求が満たされる、充実した時間のことです。人間は基本的欲求が満足されないと不幸を感じます。我慢や自己犠牲ばかりしていては、決して幸せにはなれません。1日は24時間しかありませんが、この中で必ず欲求を満たす時間が必要になります。そして欲求は、一度満たしてあげても、次から次へと満たしてあげなければなりません。どんなに満腹になっても時間が経てば空腹になるように、生きている限り欲求には際限がありません。そして、どんなにおいしい料理でも毎日続くと嫌になるように、マンネリは駄目なのです。常に新しい満たし方を開拓し続ける必要があります。厳しい現実ですね。しかし、自分の力で欲求を満たすことを覚えなければ、いつまでたっても欲求不満のままです。欲求不満が続くと、人は過去や外部の環境のせいにしたがります。ですがこれは、正しくありません。本人だけが見ている幻想です。今が幸せな人には、過去は全く関係がない、ということは覚えておいて下さいね。で、欲求充足を意識して行いましょうという話になるのですが、注意して頂きたいのは、自分の基本的欲求を満たすためなら何をしても良い、という訳ではありません。自分の願望は、常に誰かの願望と衝突する可能性があります。自分の欲求充足をするのに、他人の欲求充足を妨げない。これが大原則です。そうでないと、他人との衝突/競争に勝つことばかりに意識が向いてしまい、安心して欲求を満たせなくなります。ではどうすれば効果的に欲求充足が出来るかですが、ここでクオリティタイムを意識して欲しいんです。クオリティタイムとは単に欲求が満たされるだけでなく、幸せをより強く感じることが出来る時間です。具体的には、次の条件に当てはまるものです。努力のいるもの相手を意識すること基本的欲求を満たすこと限られた期間、繰り返し行えること話をする時は安全な話題に限ること7つの致命的習慣を使わないこと血を吐く程の努力は必要ありませんが、やはり簡単に手に入るものは感激も薄いものです。達成感のあるもの、これが重要です。また、一人だけで欲求充足するよりも、身近な誰かと仲良くした方がより簡単に欲求は満足されます。特に愛・所属の欲求は相手が必要ですから、これも大事です。そしてある欲求を満足させたけど、別の欲求が満足させられない、というのもあまり気持ちがよいものではありませんよね。楽しいからと言って徹夜で騒ぐと生存の欲求が満足させられなくて次の日が辛いでしょう? また、いくら身体に良いからと言って、猛吹雪の中ジョギングに出かけるのは楽しみとは言えないですよね?そんな風に、基本的欲求をバランスよく満足させられるように心がけてみて下さい。さらに、1回だけで終わってしまうものは、その時は良くても欲求は毎日満たさなければなりませんから満足度は低くなります。継続して満たしてあげられることがポイントです。折角楽しく過ごしたいのに、相手と口論になってしまっては勿体ないですよね。お互いの欲求充足を最優先にしましょう。例え真剣に議論しなければならないことがあったとしても。欲求が満たされていると、おおらかな気持ちになれるので、微妙な問題も話し合えるものです。欲求が満たされていない段階で同じことをすると、まとまるものもまとまりませんから、順序を間違えないことです。そして最後の、7つの致命的習慣を使わない、即ち、自分にも相手にも外的コントロールを使わない、これはとても大事なことです。外的コントロールのある状況では、人は安心できませんし心からリラックスすることが出来ません。自分を解放できる状況に持って行き、本当に自分のための時間を楽しむために、習慣を変えて行きましょう。さて、あなたはクオリティタイムが取れていますか?毎日でなくても構いません。週1回でも、月1回でも、定期的に取って下さい。日常生活の慌ただしさに流されないで!それだけで元気さが違って来ますから。皆様の幸福を願っています。
August 29, 2006
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こんばんわ。昨日今日と、普段からお世話になっているアチーブメント(株)の子ども向け研修アチキッズ2006のアシスタントに行って来ました。朝7時過ぎの電車に乗って都内に向かうのは結構ハードでしたが、それだけの価値がある二日間でした。アチキッズ2006では、小学生から高校生まで、幅広い学年の子ども達が一緒になって学び、また遊びます。いや、どちらかというと遊びの合間に学びがあるような感じです。選択理論をベースとしているので、外的コントロールではなく子ども達の自発性を尊重し、承認と励ましを基調とした温かい関わり合の中で子ども達の成長が促される二日間です。最初にクラス分けがあり、今回は大人が多いこともあってか全部で13クラス×各4人の割り振りとなりました。異学年の子ども同士が組めるように配慮されているので、私が担当したクラスは中学生二人、小学生二人となかなか良いバランスでした。各クラスには大人が二人づつ付き、さらに全体の運営サポートスタッフが12人もいるので、子ども達は本当に大人と密に関わることが出来ます。そして大人は子どもに教えるのではなく、子どもと同じ目線に立って子ども達の中にある創造性を引き出し、表現するお手伝いをするのです。そりゃあじれったいこともありますが...子ども達は本当に見事に成長してくれました!私ともう一人で担当したクラスのメンバーは結構引っ込み思案で、最初にクラスの名前と二日間で取り組むテーマとクラスのメンバーをみんなに紹介するポスターを描いたのですが、なかなか意見は出ないし筆も進まないし、非協力的なメンバーもいるし、時間ギリギリになっても完成しなくてお世辞にも良い出来映えとは言えませんでした。私も「何でこれだけの成果しか出せないんだろう?」と我が身の力のなさを呪いましたが、これも普段の行いの結果と受け止めて、「どうしたら意欲を持って取り組んでくれるだろうか?」と手探りを続けながら二日間過ごしたように思います。初日は遊びの時間をふんだんに盛り込みながら、両親の好きなところや自分の好きなところを探して行きました。子ども達は普段から承認よりも批判の方を多く受けているせいか、「わかんねー」と言いながら全然出て来なかったのには驚きました。私から見たら10個や20個は出て来るのですが...それを押し付けるのは大人の知覚ですよね。なので子ども達には「人から言われて嬉しかったことってないかな?」等と直接こちらから伝えるのではなく、自分たちの頭で考えてもらえるように手を替え品を替え色んな角度から質問し、話を聴いて、子どもが「あ、そうか!」と閃くのをひたすら信じて待つ、ことに徹しました。待つ、と言っても、相手に全て委ねてしまうことではありません。当然自分の側は、コントロール可能な自分の行動を通じてその時点でベストと思われることをやり続けながら、です。時には話を聴くことだったり、また質問して情報提供することだったり、膝に載っけてあげることだったりするのですが、とにかく自分が結果を出してもらうために出来ることは何か、を考え、行動することの連続でした。嬉しかったのは、自分の世界に入ってしまって明後日の方向を向かっている子どもに向かって「(トレーナーの)○○先生は見えているかな?」と聞いたらその子がちゃんとトレーナーの方を向いてくれたこと。命令したりお願いしたりしなくてもいいんだ、というのが実感できた瞬間でした。二日目、子ども達には明らかな変化が見られました。非協力的だった子どもはそれでもクラス別の活動に参加してくれることになりましたし、引っ込み思案だった女の子に笑顔が出て来ましたし、「わかんねー」「考え中」と言いながら実は取り組むことを放棄することが多かった男の子は諦めずに取り組んでくれるようになりましたし、別の男の子は積極的に手を挙げて皆の前で発表するまでになりました。どれも、初日の最初の出会いの時からは想像できない変化です。また二日目には名物「選択の実習」がありました。これは「友だちを作るにはちょっとした勇気が必要だけど勇気を出して挑戦してみるといい結果が手に入るよ」というのを実習で体感してもらうものです。友だちになりたくない、が1。どうしようかな、が2。友だちになりたいな、が3。とっても友だちになりたい!が4。向かい合ってお互いに数字を見せ合い、数字が異なるときは言葉を使わずに交渉して時間内に数字を一致させる、というものです。数字が一致したときは、1は無視、2は相手を見る、3は片手握手、4は両手握手、をやります。大人の研修では大抵「4」に収斂して行くのですが、「子どもは平気で1を出すよ」と聞いていたので、どうなるかなあと内心不安を抱えながら、それでも「私は4以外は出さない!」と強く心に決めて実習に臨みました。子ども達は「相手が4を出してくれたら嬉しいけど、本当に出してくれるかな?」と半信半疑で向かい合ってくれます。内面の不安が見て取れます。私は「絶対4!」と決めているので、不安はありません。自分の出来ることを精一杯しよう、と思っているので、顔は自然に笑顔になりますし、お互い4で一致した時には手を振り回したりジャンプしたりして少々大袈裟なくらいに一緒に喜びます。私が相手をしてもらった子どもたちは一人を除いて「4」を出してくれたので、とても嬉しく思いました。二日目の午後はいよいよご両親への感謝の手紙書き、そして授与式です。二日間の成果がここで試されます。子どもたちは照れながらも立派に感謝状を書き上げてくれました。そして、子ども達が実際に親に感謝状を読み上げて手渡す授与式は感動の連続でした。涙腺緩いなあ、と思った一日でした。昨日今日と子ども達を身体を使って遊び、今日は20分ほど一人の男の子を肩車して歩いたこともあって、肩から腿にかけて筋肉痛です。明日はちょっとキツイかもしれませんが、後悔はありません。子ども達に、そして一緒にアシスタントや運営スタッフとして関わった大人達に、また子ども達のご両親に、様々なことを教えてもらいました。この夏の一番よい思い出になりました♪
August 16, 2006
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私が所属するJPSA(日本プロスピーカー協会)千葉支部1周年&埼玉支部2周年を記念した特別講演会を行います。(JPSAとは簡単に言うと選択理論心理学と時間管理/行動管理技術の普及を目的にスピーカーを養成する団体です)都心や神奈川方面からはちょっと遠いのですが、きっと心の琴線に触れることでしょう。当然私も行くつもりです。日時:2006年8月11日(金)19時~21時(受付開始18時30分)場所:サンシティ越谷(小ホール) 越谷市南越谷1-2876-1 048-985-1111交通:JR武蔵野線『南越谷駅』徒歩3分、東武伊勢崎線『新越谷駅』徒歩3分定員:450名参加費:無料 第一部「考え方が変われば人生は変わる」 講師:島田実JPSA千葉支部長第二部「実績は実在なり~生保営業週5件314週は語る~」 講師:小原健志JPSA埼玉支部長第三部「戦略的目標設定とその達成技法」 講師:青木仁志アチーブメント株式会社代表取締役社長ご参加、お待ちしています。
August 8, 2006
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こんばんわ。最近、努めて人の話を聴こうとしています。本を読んだり、自分で考えたりの独学もいいのですが、自分自身をもっと早くもっと大きく成長させようと思ったら、やはり自分とは異なる経験や考え方に接して影響を受ける方が遥かに早道だ、と思うからです。結果を変えたければ行動を変えること。最近はこのことを努めて意識しています。ここでは先月、Oさんから聴いた話を皆さんにもシェアしようと思います。これまで何回もお伝えしてきていますが、選択理論心理学の基本的な考え方は「人の動機付けは内側から」です。そして内側からの動機付けとなるのが人が生まれながらに持っている5つの基本的欲求であり、その5つの基本的欲求を満たすと自分自身が認識している上質世界です。自分が何を求めているかが明確であればあるほど行動は首尾一貫してきますし、逆に曖昧であれば行動も場当たり的で一貫性が失われてきます。#積極的に行動しているのに何だか満たされない、思うように結果が伴わない、 そんな時は自身の立ち位置をもう一度振り返ってみる時なのかもしれません。Oさんは、願望の明確化とセルフ・カウンセリングの手法を使って、幸せな家庭を築き、仕事でも生保の営業で地域ナンバーワンの実績をあげているスーパーワーキングマザーです。お会いすると一目で分かるほどの強烈なバイタリティがあり、声も大きく、迫力があるのですが不思議と暖かさを感じさせる話し方をするとても気さくで素敵な方です。セルフ・カウンセリングというと何だかとても高度なことをやっているように感じる方もいるかもしれませんが、実際はとても簡単です(簡単でなければ使えません!)。だから、あなたにも今からすぐ使えます。自分自身に、以下の4つの質問を順にするだけです。自分は、何を求めているのだろうかその(欲しい物をを手に入れる)ために、自分は今何をしているのだろうかその行動は、欲しい物を手に入れるのに効果的だろうか?もっと良い行動はないだろうか? それを考えだし、実行してみよう!たったこれだけですが、Oさんは壁にぶつかったときや思ったような成果が上がらない時、自分自身に対して「自分に取って一番大切なことは何だろうか?」と問いかけることで自分自身を行動に駆り立てて、ここまでやってきました。Oさんの場合は、セールスの現場においては「お客様の大切な物を一緒に大切にしていきたい」という自分の願望を発見することで、自分も相手もHappy、というWin-Winの関係を構築していきました。そしてOさんが素晴らしいのは、このセルフカウンセリングを他人に対しても使い、そしてその答えを全身全霊で聴くことが出来たからです。セールスの現場では勿論、Oさんの所属する営業所の職員にも使って、昔は士気も低くトップも孤独で独裁的であったのが、彼女がセルフカウンセリングと「相手の一番求めている物を明確にする」という姿勢で接することで、今では営業職員の士気も高く、上司も協力的になり、大変良い職場に変わりました。「聞き出す」、この能力があったからこそ、今のOさんがあると思うのです。勿論これは、私がOさんの話を聞いた「解釈」なので他の人は別の解釈をするかもしれませんが、私に取っては皆さんにシェアするだけの価値がありましたので、紹介させてもらいました。自分に、そして他人に、「一番欲しいもの、大切な物は、何?」と質問することはそう難しくありません。しかし、その答えを真剣に「聴く」ことは誰にでも出来ることではないでしょう。「それはあなたにとってどんな意味があるの?」「手に入ったらどうなるんだろう?」等と好奇心を持って深く深く掘り下げて行くこと。そして最終的には、答える当人が「え、私って本当はこんなことを望んでいたんだ!」と驚くところまで掘り下げる。それが本当の「聴く」姿勢ではないかと思います。自分に厳しくしてしまう時、あるいは人と親密な関わり合いが持てない時、まず「聴く」ことから始めてはいかがでしょうか?
August 3, 2006
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こんばんわ。今週末は藤沢勉強会があります。何人かから参加表明を頂いているのでどんな出会いがあるのか楽しみです。さて、久しぶりに選択理論の話をしましょう。以前に「行動のシステム」の話をしたことを覚えていますか?人間の行動は「全行動」と言って「行為(すること)」「思考(考えること)」「感情(感じること)」「生理反応(身体の反応)」が同時に起こっていること、そしてそれは生きている限り続くこと、その目的は基本的欲求を満たすことで常にフィードバックが働いて次の行動を選択していること、等をお話しました。今日はその応用で、感情を選ぶことに触れたいと思います。選択理論心理学では(別に選択理論心理学に限ったことではなく、他の心理学、例えばビジョン心理学等も同じ立場を取りますが)「感情は自分で選んでいる」という見方をします。心理学を勉強したことのない人には意味不明かもしれませんが....出来るだけ分かりやすく説明します。感情を感じるきっかけは何らかの身体の反応です。肉体的な苦痛を感じれば嫌な思いをしたり怒ったりします。しかし、この時の感情は一時的なもので、すぐに引いてしまいます。この時に感じる感情は「基本的欲求」が満足されているか否かを教えてくれるシグナルです。人間は本能的に「基本的欲求」を常に満たそうとしますから、長い間感情が残ってしまうと困る訳です。瞬間的な反応でないと、満たされているのか、満たされいないのか、分からないですからね。ドリス・ワイルド・ヘルマリング著の「みんなに好かれる人避けられる人」でも感情のピークはすぐに過ぎてしまうと紹介されています。この本は理解しやすいので興味があればご一読下さい。でも、同じ感情がずっと残ることがあります。それは楽しい感情であることもありますが、怒りや苦痛の感情がいつまでも残るのは嫌な物ですね。何故残ってしまうのか?それは意識しないうちに「思考」という燃料を感情に注ぎ込んでしまうからです。「思考」の力を借りて「感情」は心の中で燃え続けます。例えば何か嫌な出来事があってそれがずっと尾を引いているとしましょう。冷静に頭の中を覗いてみると、自分自身に対してこんな言葉掛けをしていないでしょうか?「あの人がこんなことをしたから...」「私はなんて運が悪いんだろう...」「○○(←人や物や状況が入ります)のせいで...」こうした思考が感情を燃え続けさせる薪の役目をしていつまでも炎が消えない原因となっています。まず、そのことに気付いて下さい。気付けたら、感情は自分で選んでいる、という言葉の意味が今よりも掴めるでしょう。感情を完全に制御することは出来ないと私は思います。瞬間的に周囲の状況に反応して出て来る感情は、生きている証でもありますから。でも、感情を自分の望む方向に持って行くことは可能です。それには、自分の「思考」を望む方向に持って行くことです。「思考」とは、出来事をどう解釈するか、ということでもあります。出来事そのものは何ら意味を持ちません。出来事に意味を与えているのはあなた自身です。意味付けが肯定的であれば肯定的な感情が、否定的であれば否定的な感情が生じるのです。そしてその意味付けは、自分で選ぶことが出来ます。例えば、いつも「楽しさ」や「わくわくした感じ」を感じていたいと思ったとしましょう。でも生活していれば、楽しくもなければわくわくもしない出来事に頻繁に遭遇します。その時に「どうしたらこの状況を楽しめるだろうか?」「どうしたらこの状況でもわくわく出来るだろうか?」と問い掛けてみましょう。最初は何も出て来ないでしょう。「そんなの無理だよ!」という反応が普通でしょう。でもそこで負けないで、根気よく続けて欲しいんです。きっと、今までとは違った視点で出来事を捉えられるアイデアが一つや二つは出て来るものです。そうしたらしめたもの!自分の中でその考えをどんどん膨らませて行きましょう。最初は誰だって失敗します。だってこれは、自分自身の価値観や感じ方のクセを書き替えて行く作業に他なりませんから。いつの間にか否定的な思考が頭の中を支配してしまったりします。でもそんなときこそ、改めて選び直してもらいたいんですね。自分が、その否定的な考えを持ち続けたいのか、それとも肯定的な考え方に改めたいのかを。選択の力は、神が人間に与えた最大の力だという人さえいる位、強力な物です。感情を直接コントロールすることは出来ませんが、思考をコントロールすることは出来ます。是非、思考をコントロールする術を身につけて下さい。最初は自分の内言語、つまり頭の中や心の中でどんな会話をしているか、に気付くことからです。次に、自分の望む感情に持って行くには、どういう考え方に変えればいいのかを自分で探ることです。自分一人で出来なければ、誰かの力を借りることに躊躇しないで下さい。人の話を聞いたり、本を読んだりしてヒントを得ましょう。得たら実践してみましょう。これだけで随分と変わります。やってみて下さい。最初は小さな一歩です。しばらく続けても、何も変わらない気がします。でも、そこでやめない選択をしてもらいたいんです。選択理論的な考え方を身に付けるには、意識して続けても2年は掛かると言われています。それ位の大事業なんです。しかし、一度身に付けてしまったら、一生見返りが得られます。投資するに値するチャレンジだと思いませんか?それでは、皆さんの幸せを願いつつ、今夜はこの辺で。参考文献:ちょっと字が小さくて見た目より読み応えがありますが、良い本です。
July 21, 2006
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お久しぶりです。インドに行っていたこともあって更新する機会を逸してしまいました。お知らせが一つ。大田区「森の保育園」の協力で選択理論心理学の集中基礎講座が開催されます。こちらをご覧頂きたいのですが、7/29、7/30、8/12、8/13と週末を利用しての講座です。講師は渡辺先生! 会場はJR大森駅徒歩5分の所に借りています。私が聞いた時には残席あと5名とのことでした。この夏、ロールプレイを通して選択理論を自分の身体に落としてみませんか?
July 18, 2006
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「リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名活動」http://www.craseed.net/制度改悪に伴い、リハビリの保険給付に日数制限が設けられたこと、ご存知でしたか?社会復帰を目指して懸命にリハビリを続けている患者の希望の灯を消してはなりません。リハビリによる社会復帰の道を狭め、寝かせきりの患者を増やすのがあるべき医療の姿でしょうか。皆様のご協力をお願いします。6/26まで受け付けています!『キッズコーチング』Amazonキャンペーンアチーブメント出版日本プロスピーカー協会専務理事を務める佐藤英郎の新刊『キッズコーチング』の発売に伴うキャンペーンです。7月1日(土)にamazon.co.jpにて、『キッズコーチング』をお買い求めいただき、アチーブメント出版のサイトからキャンペーンのご登録いただきました皆様に、このamazonキャンペーンのためだけに特別に収録いたしました、『キッズコーチング フォローアップCD(非売品・3000円相当)』をプレゼントいたします!(amazonキャンペーン限定です)
June 24, 2006
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こんばんわ。今日は夏至。一年で一番昼間が長い日でしたね。夏至の日は一番高くまで太陽が昇ります。地球上で夏至の日に太陽が真上に昇る場所をつないだ線が北回帰線ですね。北回帰線は北緯23.4度です。東京の北緯はほぼ35度。ということは、太陽は天頂から35ー23.4=11.6度傾いた位置を通ることになります。#実際に動いているのは地球の方ですが、相対性原理により全ての運動は相対的(自分が止まって周囲が動いているように見える)ですからツッコミはご容赦下さいね。(^_^;天頂から11.6度離れているとは言うものの、もし同じ角度で切り立っている崖を下から見上げたら真上にそびえ立っているように見えるのと同様、人間の目から見たら真上から照らされているように感じてしまいますよね。日差しは強烈。当然のことながら紫外線も強烈です。高校で三角関数を習ったことのある人はちょっと思い出してみればどれだけ強烈か分かるでしょう?cos(11.6°)≒0.98なので熱帯地方で真上から照らされた場合と2%しか違わない量の紫外線を浴びています。日焼けするはずですね。(^_^;ちなみに冬至ではcos(11.6°+2×23.4°)≒0.52なのでほぼ半分。全然違います。梅雨の合間の晴れ間、日焼けによる火ぶくれや日射病には十分注意して過ごして下さいね。さて、前振りが長くなりましたが今日も選択理論の話をしましょう。これまでの説明で欲求と行動とが結びついていることが何となく理解頂けたでしょうか。選択理論では「人は欲求充足のためにその時に考えうる最善の行動をしている」という視点から人を観察します。私がこうやって日記を書いているのも「欲求充足のための最善の行動」である訳です。書き終えた時私は達成感を味わって力の欲求を満足させることが出来ますから。もしあなたにどうしても欲しいものがあったとしましょう。それは花や食べ物やお金といった具体的な物かもしれませんし、資格や愛情や賞賛という形のない物かもしれません。あるいは特定の誰かに愛されたい、という人間関係であったり、一人でのんびり旅行がしたい、という特定の状況かもしれません。欲しいものがはっきりしているのはとても素晴らしいことです。でも、欲しいのに、努力しているのに、手に入らない、そんなことも少なからずあるでしょう。そんな時、自分に問いかけてみて欲しいんです。今自分がしていることは、欲しいものを手に入れるのに役に立っているだろうか、と。例えばどうしてもオーストラリアに留学がしたい、と思っているとします。でも英語は全然駄目。TOEICの得点が500点位しかない。一生懸命勉強しているのに、全然点数が上がらない。こんなときはストレスがたまりますよね。「自分には才能がないんだ!」と諦めてしまうのも一つの選択ですが、それでは勿体ないと思いませんか?自分の才能/能力のせいにするのは一番簡単ですが、最も自尊心を下げる行為です。それは諦める癖を付け、自分自身を幸せから遠ざける最短コースとなってしまいます。もしかしたら勉強している教材が良くないのかもしれません。大学留学を目指して中学生の参考書や問題集に取り組んでいたって成果は上がらないですよね。あるいは勉強時間が短いのかもしれません。本人は勉強しているつもりでも、それは一日30分しか集中出来ていないのかもしれないですね。勉強よりも夜のテレビドラマの方が気になってついつい見てしまっていたり...才能と行動とは因果関係はありません。どんなに才能があっても、それを発揮して何かを成し遂げたい/手に入れたい、という望みがなければ、才能は磨かれずに終わってしまいます。手に入れたいものがある時は、是非自分の行動に焦点を当ててみて下さい。何をしているか。それは欲しいものを手に入れるのに相応しいかどうか。そうすることで初めて、自分が主人公となって行動の舵を取れるようになります。行動の舵を取れると欲しいものは手に入りやすくなります。もし「こうすればいいのは分かっているんだけど、つい別のことをしてしまう」と言う人は、欲しいものとは別に満たされていない欲求がどこかに隠されているのかもしれません。つまり、ついしてしまう行動こそが自分に取ってはその時の最善なのだと潜在意識は知っているのです。その時は、一体自分はどんな基本的欲求が満たされていないのだろう、と考えてみると見つかると思います。見つかったら、その基本的欲求を満たしつつ、自分の欲しい物と両立させるにはどうすればいいのか、と考えてみて下さい。それには今の自分の枠を超えて成長することが求められるのかもしれませんが、今までの自分のパラダイム(価値観、ものの見方/捉え方/考え方)にはなかった視点を発見することが出来ればあなたは確実に幸せに近づいて行くことでしょう。後は手に入れた視点に沿って行動を修正していく。その繰り返しが人生を生み出して行きます。全ては自分の欲しいものを明確にし、自分のしていることとのギャップを自己評価し、修正して行く、その繰り返しです。自分が単に反応しているだけなのか、それとも自分自身で舵を取っているのか。折に触れ意識してみて下さい。きっと何かが変わり始めるはずです。それでは。
June 21, 2006
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こんばんわ。今日は選択理論勉強会初の試みである児童虐待をテーマにした朗読劇を見て来ました。知識としてDVや児童虐待のことは知っていましたが、目の前で体験者の手記を元に生々しい言葉で展開される現実にただただ引き込まれるばかりで言葉もありませんでした。愛情は相手が幸せになることを手助けする行動を通してしか伝わらないことを改めて思い知らされました。また、人間は基本的欲求が満たされていない不幸な状態が長く続くと容易に弱者を虐げてその犠牲の上に欲求充足を図ってしまうことや、ちょっとした救いの手が暴力の渦中にある被害者にとってはどれほど有り難いのかを学ぶことが出来ました。重いテーマでしたが、参加した価値は十二分にありました。
June 13, 2006
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こんばんわ。最近、ここを訪れる方の顔ぶれが変わって来ているようです。ここのところ(以前から訪問して下さっている方は相変わらずいらっしゃるものの)アフィリエイターの方々が増えています。まっとうなページから怪しげなページまで色々あって、足跡を辿るのはそれはそれで楽しいのですが、何を思って見て下さっているのでしょうね。今はアフィリエイトも少ないパイの奪い合いになっているようでなかなか厳しい世界でのようですが、長く続けられるといいなあと思います。さて、今日は我が家の食卓の話から入ります。我が家ではご飯は玄米を炊くことが多いのです。白米に比べて多少時間は掛かりますが、圧力鍋があればそんなに気になりません。食物繊維やビタミン/ミネラルが多いのが魅力。ですが、しっかりと噛まないと、栄養として吸収されずに単にお腹の中を通過するだけになりかねません。今夜も玄米ご飯。子ども達に「30回以上は噛んでね。そうしないと折角食べてもお腹の中を通り過ぎるだけだからね。出来たら100回噛んでみてね」と声をかけてみました。子ども達は早速挑戦!「百回噛めたよ!」「どう、甘い?」「うん、甘い!」そんな会話をしつつ、「150回噛めたよ!」「200回噛めたよ!」と、どんどん自分から回数を増やして行きます。「すごいね」「えらいね」と誉めてあげるとどうでしょう!噛む回数はどんどん伸びて、300回、400回、600回、、、とうとう1110回を突破してしまいました!これには私もびっくりです。これがもし、最初から「1000回噛むのを目標にしてみない?」と高いハードルを提示していたらどうだってでしょうか?恐らく「そんなこと出来る訳がない」「つまらない」と挑戦すらしなかったに違いありません。しかし最初は「30回以上、出来れば100回」と十分に手が届く目標を掲げたことにより、やってみようという気が起き、そして実際に比較的簡単に達成することが出来ました。達成したことが自信となり、また誉められる体験をしたことや、ご飯を噛むと甘くなるというのが実感として体験出来た結果、自分の中に「もっと噛む回数を増やしてみよう!」という思いが沸き起こり、結果本人も驚くような記録が生まれました。一旦、本人の中に動機付けがなされると、後は「すごい!」「良く出来たね」と誉めて認めて励ますだけでどんどん先へ先へと進むようになります。人の動機付けは内側から。子ども達に教えてもらいました。そしてもう一つ。最初は小さな一歩から、そして少しずつ改善を積み重ねて行くことで、最終的には大きな結果が生まれることも。進みたい方向に向かって、まずは自分に出来ると思う範囲で一歩を踏み出すこと。達成出来たら必ず承認してあげること。そして段階を追って達成を続けて行くこと。大事はこうやってなされるんだよなあと改めて思いました。学んだことがそのまんま日常生活の中にありました。こうやって眺めてみると日常生活は何と気付きの機会に満ちていることでしょう!さて、明日はさくら・桜さんを始めとするいじめ虐待防止委員会の方々が主催する勉強会が大崎であります。午後はDVを題材とした朗読劇があります。DV被害者の方が自らの体験を元に発足した朗読劇団が来てくれます。非常に勇気のある方々であり、またマスコミ取材も受けて各方面から評価されている、実力も備わった劇団です。委員会でも初の試みであり、成功を願っています。時間がある方は是非お越し下さい。参加費は千円です。それでは。
June 12, 2006
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こんばんわ。いつの間にか6月です。子どもと共に過ごしていると何かと慌ただしく、過ぎてしまった時間は本当にあっという間に感じます。週末から次男が風邪を引いてしまったらしく、高熱を出してだるくなって昼寝しては回復するということを繰り返しているので親としては気が気ではありません。今日は熱も下がり始めて一安心ですが、念のため楽しみにしていた隔月のJPSA研究会はパスすることにして夕方から子どもと過ごしました。長男は今月末に林間学校に行き、2日目の昼食にカレー作りの実習があります。そこで彼に予行演習をしてもらおうと今夜はカレーを作ることにしました。足りなかった豚肉を買ってきて、早速作り始めます。ジャガイモを洗って、人参も洗って、タマネギをそろえたら順に皮を剥いて、とここまでは順調でしたが、ジャガイモを切り始めてすぐにアクシデントが!包丁を研いで切れ味を良くしてあったのが裏目に出たのか、彼の左手人差し指がすっぱりと切れてしまいました。あまり深くはなかったのが幸いでしたが、彼は痛がって痛がって大泣きしてしまいました。すぐに絆創膏を巻いて止血をし、彼を休ませて次男に手伝ってもらうことにしました。次男は保育園時代に調理の経験はあれどもまだまだ手元はおぼつかなく、さらにペースダウンしてしまいましたが、形が不揃いになりながらも何とか怪我もなく全ての材料を切り終えることが出来ました。出来上がったのは20時をすぎてしまいましたが、不思議と一家3人で穏やかに食卓を囲むことが出来ました。いつもだったらがつがつと食べるのにそんな素振りもなく、また疲れていたのかおかわりもせず、ゆっくりと夕食を楽しむことが出来ました。さて、近況報告が長くなってしまいましたが、今日は人生をより良くするために非常に重要な2つの区別の話をしたいと思います。2つの区別とは、事実と現実、コントロール出来る事とコントロール出来ない事(もしくは変えられる事と変えられない事)、の区別です。この2つの区別がはっきりついてくると、判断が的確になり、悩んだり落ち込んだりといった自分のブレが少なくなり、また自分の力を一カ所に集中させる事がより容易になるので、人生をより楽に過ごす事が出来ます。人間の記憶は必ず主観が入っています。出来事をそのまま記憶するのではなく、必ずその出来事を見て、聞いて、感じて、解釈した結果を記憶しているのです。良く同じ場所にいて同じ体験をしたにもかかわらず記憶が全く異なる事がありますが、それは記憶が主観的なものだからです。例えば、誰かに「あんたバカね!」と言われたとしましょう。#あんまりいい例えではないかなあ...(^_^;事実は、ある人が「あんたバカね!」と言った、たったこれだけです。「あんたバカね!」というのも単なる空気の振動に過ぎませんから、それ自体に善悪はありません。しかし人はこの事実に様々な解釈を乗っけます。ある人は「やっぱり私はバカなんだ」と落ち込むでしょうし、またある人は「ムカツクー!」と腹を立てるでしょうし、また別の人は「ああ、この人は私の事を何も分かっていないんだなあ」と憐れみを覚えるかもしれません。こうして事実に対して下した解釈が、その人にとっての現実になります。事実は一つしかありませんが、現実は無数に存在します。事実とは物理現象として説明出来ることです。そこには客観性があります。数式で記述する事だって出来るでしょう。現実はあくまで個人個人の事実に対する解釈ですからどこまで行っても主観的です。事実と現実を混同したままでいると、何よりも自分自身が混乱します。先ほどの例だと、もし、「あんたバカね!」と言った人は私の事を嫌っているんだ、という現実を事実(動かしがたいもの)だと捉えてしまうと、それ以外の解釈は出来なくなってしまいます。本当はその人はあなたと仲良くなりたいんだけどうまく言えなくてついバカだと言ってしまったのかもしれません。あるいはあなたの力を認めているが故に敢えて厳しい言葉を掛けたのかもしれません。ある出来事に対する解釈の仕方は一つではありません。必ず複数の解釈が出来ます。最初は難しいかもしれませんが、「今自分が捉えているものは事実だろうか、現実だろうか?」、と自問していると、別の可能性が思い浮かぶようになります。どの解釈を選ぶのかは自分で選択出来るのです。どうせ選ぶんだったら、自分に取って一番のものを選んでしまいましょう!より肯定的で積極的で自分も周囲も幸せにする解釈を選べるようになるのが成長なんです。事実と現実の区別がつくようになると、自分がコントロール出来る事とコントロール出来ない事の区別もつくようになります。他人に「あんたバカね!」と言わないようにさせることは残念ながら出来ません。他人の口はあなたの口とは違うのですから、あなたの意思とは全く無関係に動いてしまいます。他人の脳とあなたの脳は違うのですから、他人があなたの事をどう思うかは全くあなたのコントロール範囲外にあります。他人の行動をあなたの思う通りに操る事は出来ないんです。その代わり、あなたは自分自身の行動はコントロールする事が出来ます。「あんたバカね!」と言われても、落ち込んだり傷ついたり逆上したりするのではなく、穏やかにやり過ごす事が出来ます。他人に嫌われたくないのであれば、嫌われる可能性の少ない言動を取る事が出来ます。この人は私の事を分かってくれない、と絶望する前に、どうやったらこの人に私の事を分かってもらえるだろうか、と自分で出来る事を探す事も出来ます。人間の心とは不思議なもので、コントロール出来ない事に焦点を合わせると、あれもだめ、これもだめ、やっぱり自分は駄目なんだ、運がないんだ、とどんどん元気がなくなってマイナスの方向に落ちて行きます。逆にコントロールできる事に焦点を合わせると、あれが出来る、これも出来る、自分もなかなかやるじゃない、こんな自分も可愛いなあ、とどんどん元気が出てプラスの方向に進む事が出来ます。良く、「○○すればいいということは分かってはいるんですけど出来ないんです」と言う人がいますが、これは出来ない事に意識を向けている状態なんです。「分かってはいるんですけど」の部分に「今の自分では出来ないけれど」という前提が隠れているんですね。「今の自分に出来る事」ではなく「今の自分には出来ないけれど出来たらいいなあと思える事」に意識が向いているんです。そんなときは今の自分から一足飛びに理想の自分になろうと焦っている状態だ、と思って欲しいんです。あなたにとっては次の一歩はとても大きな飛躍なのかもしれません。いきなり10mの段差は越えられません。あなたが無理なく登れる範囲、例えば30cmづつに区切って地道に一つ一つ登って行くしかないんです。意識を自分の出来ることに向けて行けば、方法は必ず見つかります。心理学を勉強すると良くこんな事を言われます。「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる」これを実感出来たらもっと楽になることでしょう。かくいう私もまだまだ修行中の身なので大きな事は言えないんですが少しでもこの感覚を掴んでもらえたらいいなと思います。饒舌になりましたが参考になれば幸いです。それでは。
June 6, 2006
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こんばんわ。先週、大学の後輩が亡くなりました。早すぎる死に言葉もありません。残念です。さて、今日も選択理論の話を進めたいと思います。前回は全行動、すなわち行為(していること)、思考(考えていること)、感情(感じていること)、生理反応(身体の変化)の4つが同時に起こっていること、そして前2つは制御出来るが後ろ2つは出来ないこと、前2つが向かう方向に後ろ2つは付いて来ること、等を説明しましたね。今日はその続きをします。選択理論心理学の提唱者、ウィリアム・グラッサー博士は精神科医です。精神科と言えば薬漬けのイメージが強いですが、グラッサー博士は一切薬を使用しません。カウンセリングだけで問題を解決していきます。精神科医の世界では得意な存在です。(彼が伝統的な精神医学に疑問を持った経緯は昨年出た「警告!」に載っています)普通の精神科医は患者の症状を見ます。そして「これは○○だ」と診断を下し、病名を付けて患者を病人にします。異常行動は治されるべきだ、という考え方が根底にあります。グラッサー博士は全く別の見方をします。彼は精神病というのは存在しないと言います。一見問題があるような行動も、当の本人に取ってはその時に出来る最善の行動をしているに過ぎない、と捉えます。たとえそれが過呼吸とか自律神経失調症とか意識でコントロール出来ない身体の反応であったり、あるいはある種の狂気だったりしても。そしてそうした問題行動の真の原因は不幸である、という見方をします。不幸とは基本的欲求が継続して満足されない状態であり、その中でも自分の大切な人との間に満足いく人間関係が築けないことが最大の原因だと言います。実際に彼はこの考え方で一切薬を使わず、世間では「精神病」と呼ばれる人々を治療してきました。(精神病というのは存在しないので治療というのも変ですが他に適当な言葉がないのでご容赦下さい)何故不幸が人を常軌を逸した行動に駆り立てるのか?それは、人間は他の動物と違って創造性があるので、不幸な状態が続くと、例えそれが突拍子もないことだったとしても、こうすれば基本的欲求が満たせるかもしれないという行動を創造するからです。人間の脳ってとんでもない力が備わっていますよね。中にはうまく行くものもありますが、大抵は効果的でなかったり、場所や状況が違えば有効だけれでも今は有効でない、といった行動が大半になります。それらの中で極端なものが他の人々から見て「精神疾患」と区分されているに過ぎないのです。どんな状況であれ、最善と思われる行動を選択し続けるのが人間なのです。グラッサー博士はその人の望むもの(上質世界)を明確にする手伝いをし、今の状態や行動が自分で選択したものであると認めてもらい、その上で今の行動では欲しいものが手に入らないことを認識してもらって、効果的な方法を考え出して実際にその方法を試して自己評価してもらう、ということをやっただけです。それで精神病と言われていた患者は正常に戻りました。もし、あなたの目の前にいる人が、あなたにとっては全く意味不明な行動をしたとしても。それは彼/彼女にとっては精一杯の行動なのです。そんな時に「何、この人?」と忌み嫌って避けるのではなく、「この人は本当は何を手に入れたいんだろう?」と興味を持ってあげることが出来たら、あなたの人生は変わって来ませんか?人を裁くのは簡単です。でもそれでは心の平安はなかなか訪れないでしょう。他人に対して柔軟な物の見方が出来た時、あなたはずっと楽になることでしょう。知識として知っているだけでなく、実際に人と接している時に思い出して活用してみて下さいね!それでは。
May 28, 2006
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こんばんわ。一週間ぶりの更新になります。日曜はいよいよ藤沢勉強会です。天気は良さそう。お初の方が2~3人見えるかもしれないので楽しみです。リード役をするのは初めてなので不安はありますが、精一杯やります。16日に大崎勉強会に出て来て準備は万端!さて今日は、選択理論の4つの基盤(基本的欲求、上質世界、全行動、創造性)の三番目、全行動のお話をさせてもらいますね。前回の行動のシステムで、基本的欲求が満たされないときに人はそれまでの経験から最も効果のありそうな行動を選択する、という話をしましたね。その時の行動は「全行動」と言って、行為(すること)、思考(考えること)、感情(感じること)、生理反応(汗が出たり呼吸や脈拍が早くなったりといった肉体の反応)が同時に起こるのです。なぜ「全行動」なのか、というと、上の4つは人間の生命活動そのものだからです。人間が生まれてから死ぬまでにできる唯一のことは「行動」です。私たちは自分の肉体を通じてのみ、外界に影響を及ぼすことができます。それは声(言葉)かもしれないし、手足を介しての物理的な力かもしれませんが、私たちが唯一コントロール出来るものはただ一つ、自分自身だけ。それも行動することだけです。そして、どんな行動でも選べるんです。ですから望むものを得られる方向に意識的に行動を向けて行き、幸せになりましょう、というのが選択理論心理学の基本的な考え方です。少々話が脱線しましたが、人は行きている限り何らかの行動をしています。例えば眠っている時は眠ると言う行為を選択しています。それに伴って思考活動は停滞し潜在意識が活動を始め、呼吸や心拍数は起きている時よりも少なくなり、代謝は落ちます。夢の中で様々な感情を感じることもあるでしょう。このように、一つの行動の中に、行為、思考、感情、生理反応、の4つが同時に起こります。そして、コントロールしやすいのは行為と思考の2つです。感情と生理反応は、直接にコントロールすることは大変難しいです。ヨガの達人にでもなれば別でしょうが、凡人にはまず不可能でしょう。選択理論心理学では、行為、思考、感情、生理反応、の4つを車の四輪にたとえます。前輪が行為と思考、後輪が感情と生理反応です。前輪はハンドルを切ると動きますが、後輪は動きません(四輪操舵の車はどうなるんだ、という突っ込みはここではしないで下さいね)。ハンドルを切ると前輪を向けた方向に車体は曲がり始めますよね。先に曲がりたい方向に動くのは前輪で、後輪は後からついて来ます。行動もこれと同じです。前輪である行為と思考を変えることで、後輪である感情と生理反応は変わって来ます。ところで、この車のたとえでハンドルを握っているのは誰ですか?他でもない、自分自身ですよね。私たちは単に外界から五感を通して得た情報に反応して行きている存在ではありません。意識的にせよ無意識的にせよ、常に行動を選択しています。そしてその選択の基準は、あなたの上質世界に何があるか、です。行動のシステムは人間に備わった本能と思ってもらって構いません。常に自分の基本的欲求を満たすと思われるものに向けて行動を起こそうとします。ですが人間は完璧ではないので、時に行動を間違えてしまいます。基本的欲求を満たすのに効果的でない方法を選んでしまうこともあります。以前に「7つの習慣」で書いた外的コントロールなんかはその最たるものです。仕方がないですよね。人間はそれまでに脳に入れた情報からしか判断を下せないのですから。その時点ではそれが最善最良の行動な訳です。さて、そうして選んだ最善の行動が基本的欲求を満たさないときはどうなるでしょうか?当然嫌な気持ちになりますよね。人によっては怒ったり落ち込んだり。どきどきしたり赤面したり逆に血の気が引いたり。場面によって様々な反応があらわれることと思います。そのときは皆さんの感情や生理反応が教えてくれているんです。「基本的欲求が満たされてないよ。このままでは駄目だよ」と。だから嫌な感情や不快な生理反応と言うのは単なる身体からの情報に過ぎないのです。それに囚われてしまうからにっちもさっちもいかなくなってしまうのですね。うまく行かない時は、感情や生理反応に焦点を合わせるのではなく、どうやったら欲しいものが手に入るのか、と行為と思考に焦点を合わせましょう。そして行為と思考を、今までのパターンを打破して変えて行きましょう。それが良い行動であったかどうかは、後輪である感情や生理反応が教えてくれます。更に言えば、欲しいものに向けてハンドルを切るのも自分なら、車体を動かす為にアクセルを踏む、あるいは躊躇してブレーキを踏むのも他ならぬ自分自身なのです。欲しければアクセルを踏む。怖くても踏む。踏むと決める。手に入れるまで踏み続ける。選択の力を意識的に使うことで人は驚くほど変わります。そしてその選択をし続ける動機付けとなるのは、あなたの上質世界に入っているものです。上質世界に入っているイメージが鮮明で具体的である程、動機付けの力は強くなります。ですので、何が欲しいかを決め、それを手に入れる為に行動して行くとき、人は強さを発揮します。その時に思考と行為に焦点を当て、欲しいものを手に入れるのに効果的な行動なのかを常に自問自答しながら進んで行くと、欲しいものが早く手に入ります。少々まとまりがなくなりましたが今日はこの辺で終わります。
May 19, 2006
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こんばんわ。今日は上の子の初めての調理実習でした。とても楽しかったのか、夕食の後、まだ食べ足りないと見えて「作る!」といって昼間作ったばかりの温野菜サラダと野菜スープを披露してくれました。ちょっとドレッシングを失敗してしまったけど、3人でおいしく頂きました。調理は彼の上質世界にしっかりと入ったみたいです。父としてはお風呂も入れてほしいんですけど...(^_^; 調理に時間がかかったせいで今日もお風呂に入らずに寝てしまいました。まあ私も小学生の頃はカラスの行水だったんでお風呂が好きになれない気持ちはわかりますが、毎日汗をかいているので少しはからだのことも考えてほしいなあと思う今日この頃です。さて、そろそろ選択理論心理学の4つの柱の3つ目となる全行動の話に移りたいと思いますが、その前に、行動のシステムの話をします。そうすることで基本的欲求や上質世界と全行動との関係がより分かりやすくなると思うからです。人は常に五感を通して現実世界の情報を入手しています。このとき、得られた情報が全て脳に送られるのではなく、その人の興味・関心のあることだけが脳に送られ、知覚されます。情報は常に整理され選別されているのです。脳に入った情報は、その人の上質世界にあるイメージと比較されます。そして、現実が自分自身の基本的欲求を満たすかどうかを瞬時に判断します。基本的欲求が満たされていればいいのですが、そうでなければ脳はフラストレーションシグナルを発します。このままでは駄目だぞ、何とかしろ、とささやく訳です。何か行動を起こさざるを得ない、そんな衝動に駆られます。そこで、過去の経験から、最も効果のありそうな行動を選び出します。それは自分のしたことか、見聞きしたことの中から選ばれます。過去の経験に良さそうなのがない場合は、脳はそれまでの経験から新しい行動を創造します。良く子育てで意識では「親のようにはなるまい」と考えていても無意識的に親と同じことをしてしまうという話を聞きますが、それは上のような理由からです。人間は記憶の中に行動のストックを持っていて、そこから瞬時に最適と思われるものを選び出す、あるいは組み合わせて新しいものを創造する力を持っています。これが行動のシステムと呼ばれるものです。ところが、残念なことに、最適と思っているのは本人だけで、実際には効果的でない行動というのは幾つもあります。例えば何回か取り上げた外的コントロールに基づく行動などがそうです。人間はそれまで脳に入れた情報以上のものを引き出すことは出来ないんです。ですので人が行動パターンを変えるのは、何らかの形で今までストックしてきた行動以上に効果的なものが世の中には存在する、と基本的欲求が充足される経験を通して学んだときなのです。上質世界が張り変わるときもこれと同じです。良質な情報との出会いとそれに伴う自己評価でしか人は変わりません。ということは、もし自分自身で「何だかうまく行かないなあ」と感じていることがあるとしたら、それは新しいより良質な情報を手に入れなさいというサインだと捉えることが出来ます。また、人に行動を変えてほしければ、強制したり罰したり脅したりするのではなく、もっといい方法があるよと教えてあげる方が、遠回りに見えて実は効果的なのです。ただし、せっかく情報提供したとしても、相手がそれを受け取るかどうかは相手の選択にかかっています。そこはコントロールすることが出来ません。自分でコントロール出来ることと出来ないこととの線引きはしっかり認識しておいて下さい。それが人間関係でストレスを溜めない秘訣です。この行動のシステムを知っていると、他人の行動がどんなに突拍子もないものに見えたとしても、それはその人にとっては最善の行動なのだ、という見方が出来ます。人は常に欲求充足にとって最善の行動を常に選択している、との立場に立てたのなら、他人の行動に振り回されることは少なくなるでしょう。何故なら人間関係でのストレスは、相手の行動の中に自分を攻撃したり貶めたりする意図を見ることから生じることが多いからです。相手の行動の中に何らかの自分に対する意図を見ているのは他ならぬ自分自身です。それは自分の上質世界というフィルタを通して見ているから見えるのであって、その人自身がそう思っているかどうかとは全く関係がありません。このような立場を取る限り、誤解の上にコミュニケーションが成り立ってしまいます。そうではなく、相手は相手に取っての最善を尽くしているのだと理解出来れば、そこに自分を攻撃する意図を見ることはなくなるでしょう。仮に相手が自分を攻撃してきたとしても、「可哀想に、この人は効果的な方法を知らないのだ」と冷静な観察者の眼を持ちながら対応することが出来るようになります。人間関係において、誤解は必然、理解は偶然です。相手の上質世界を理解し、行動の真意を理解することで、より良好な人間関係を築くことがしやすくなります。それは自分自身の幸福となって返ってきます。知識を上手に活用したいですね。それでは。
May 11, 2006
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こんばんわ。息子達の野球チームは市の春季大会で4位に入ることが出来ました。集中力を切らさなかったらひょっとしたら優勝出来たかもしれない位のチームでしたが、勝負は水ものなので、こればっかりは仕方がないですよね。この経験を次の大会に活かしてほしいと思います。さて今夜も選択理論心理学の話をしたいと思います。選択理論では、人間には二つの立ち位置があり、自分の意志でどちらでも選べると捉えます。二つの立ち位置とは、タイトルにあるように、責任の立場と被害者の立場です。責任の立場とは、自分の人生は自分が源であって、自分のしていることは100%自分に責任があると言う捉え方です。つまり、自分の人生に対して能動的自発的に関与して行こう、という立場です。一方の被害者の立場とは、○○だから自分はこうなのだ、と自分の今の状態や過去の人生や普段取っている行動の原因を自分の中ではなく外部環境に求めます。人生に対しては受け身の姿勢で、刺激を受けたからそれに反応しているだけなのだ、という立場です。被害者の立場を取ると、誰かが自分のことを幸せにしてくれる、という思考パターンに陥ります。人は怒りを溜め込み易く、人生は失望の連続となってしまいます。そして外部で起きることに振り回され、疲れてしまいます。一方で責任の立場を取ると、例え被害にあったとしても「自分に責任があるとしたら?」という視点で物事を見ますので、自分のコントロール下にある領域とそうでない領域とが自然に区別が出来るようになってきます。自分の幸せは自分で作るものだ、とうい姿勢で人生に望みますから、他人を裁くことよりも自分の成長を重視するために怒りを溜め込みにくくなり、自分で人生のコントロールを握ろうとしますから充実感も得やすくなります。被害者の立場を取るときに得られるものは、自己満足、安心、自由、優越感、攻撃、逃避、諦め、心地よさ、責任転嫁、言い訳、共依存、注目、自己正当化、善良感を味わう、相手をコントロールする、報償金、ストレス解消、等があります。どれも一時的には居心地が良いのです。でも、長期的に見てどうでしょうか?上に挙げたようなものを求めている人物を、果たしてどれだけ信頼出来るでしょうか?おそらく全幅の信頼は置けないと思います。人間関係においてはこちらから一方的に与えなければならないので、どちらかと言えば距離を置きたくなる人物でしょう。しかし被害者の立場を取り続ける限りは誰かに面倒を見てもらわなければならないので、もっとくれ、もっとくれ、と人に迫ってしまいます。そうすると人はどんどん逃げて行きます。そうなるとますます自分は被害者だ、という意識に陥りやすくなり、人を遠ざけてしまう自分自身の問題になかなか気づけなくなります。悪循環です。ここから抜け出すには、被害者の立場を捨てて、責任の立場に移行するしかありません。責任の立場で得られるものは、自己成長であり、学びであり、人々からの信頼です。自分で自分を幸せにする、という立場です。自然と人が寄ってきて、自分の人生をサポートしてくれるようになります。リーダーシップと言い換えてもいいかもしれません。言い訳を手放し、自分で人生の舵を取ると決めたときに人生は良い方向に変わり始めます。簡単ではありませんが、将来自分に多大な見返りをもたらすことでしょう。聖書でも言うではありませんか。狭き門より入れ、と。一度、自分の言葉をチェックしてみて下さい。自分は責任の立場でメッセージを発しているのか、それとも被害者の立場でメッセージを発しているのか、と。大きな発見があるはずです。被害者の立場だな、と感じたら、責任の立場に立つとしたら何と言うだろう/どうするだろう/どう考えるだろう、と自己評価してほしいんです。自己評価から全ては始まります。自己批判や自己嫌悪からは何も始まりません。今とっている行動が自分の幸せに役に立つのか役に立たないのか。シンプルにそれだけを問うてみて下さい。それでは。
May 4, 2006
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こんにちは。4/30の藤沢勉強会はリフレーミング(否定的な言葉の肯定的な言い換え)をやりました。平塚から初参加して下さったYさん、どうもありがとう!選択理論(リアリティセラピー)の基本は、今抱えている問題をいじらずに、いかにして意識の焦点を自分の幸せに向けて行くか、その為にはどんな風に行動を変えて行けば良いのか、を自己評価により発見して行くことです。過去は扱わないので投影も扱わないし親子関係にも踏み込まない、非常に珍しい心理学です。で、今抱えている問題から焦点を外す時に非常に有効なのがこのリフレーミングなんです。また、他人を励ましたり受容したりといった、人を元気づけるコミュニケーションにも非常に有効です。例えば。Aさん:あの人は攻撃的なんです。Bさん:そう。エネルギッシュなんですね。攻撃的、と言うと言外に「あいつは悪い奴」というメッセージが伝わりますが、エネルギッシュ、と言い換えるとそのようなメッセージは伝わりませんよね。逆に積極的、明るい、といった肯定的なメッセージが伝わります。物事には必ず両面があって、肯定的に解釈することも出来れば否定的に解釈することも出来ます。どちらを選ぶかはその人の選択です。どうせ選ぶんだったら、自分が気分よくなれる方を選びたいですよね。否定的な方を選ぶと、自分自身も暗い、嫌な気持ちになります。その否定的な解釈を相手に伝えると、その相手から反発が返ってきて、より一層嫌な気持ちになりますし、相手も嫌な気持ちになります。肯定的な方を選べば、自分も気持ちがいいし、伝えた相手も気持ちがよくなります。そしてそれが自分への肯定的なメッセージとして返って来る確率が格段に高くなります。セラピストの石井裕之さんも言っていますが、コミュニケーションは相手を気持ちよくさせた者の勝ちなのです。どんどん相手を気持ちよくしてあげましょう。それが自分自身が気持ちよくなる一番の近道です。自分もOK、相手もOKの方を選んで行くと、人生は楽になります。楽しい人生を送る枠組みとして是非選択理論を日常生活に使ってみて欲しいと思います。では、勉強会で取り上げたリフレーミングの例を幾つか紹介します。資質を言い換える私は受け身的なんです→慎重なんですね、控え目な方なんですね、奥ゆかしいんですね、謙虚な方ですね、等私は怒りっぽいんです→情熱的なんですね、正義感が強いんですね、感情が豊かなんですね、等私は気が動転しやすいんです→想像力が豊かなんですね、真面目なんですね、繊細なんですね、感情が豊かなんですね、等あの人は大袈裟な友情表現をするんです→情に篤い人なんですね、情熱的なんですね、等上司は威張り散らす所があります→責任感が強いんですね、威厳があるんですね、自信があるんですね、等あの人は依存的なんです→甘え上手なんですね、相手を立てているんですね、等夫は支配的なんです→リーダーシップがありますね、頼りがいがありますね、等彼女は自己批判的な所があります→謙虚な人なんですね、誠実なんですね、自分を冷静に見ているんですね、成長出来る人ですね、等あの人は神経過敏なんです→良く気がつく人なんですね、神経が細やかなんですね、人に思いやりがあるんですね、等人間関係を含めて言い換えるあの人は大袈裟な友情表現をするんです→きっとあなたのことを大好きなんですねあの人は依存的なんです→あなたを信頼しているんですね夫は支配的なんです→あなたのことが大好きで気になってしまうんですねうちの親は何でも一番を求めるんです→期待されているんですね上に挙げた以外にも幾つもの言い換えが可能です。否定的なことを言われたら、是非使ってみて下さい。否定的なことを言う癖のある人は、思考回路がそうなってしまっているので、1回言ったくらいでは「でも...」とまた同じことを言って来ると思います。それでも、何回でも言い換えて返してあげて下さい。2回3回と繰り返している間に相手の中で自己評価が起きて段々とあなたには言わなくなります。そこまで言い続けてあげて下さい。どうしても変わらなかったら、あなたの方から話を打ち切って下さい。あなたが相手の暗い気分に巻き込まれない為に。自分の気分はコントロール出来ます。それは意志の力によってではなく、行動によって可能になります。良い行動を選択して下さい。いかなる場合でも肯定的な言葉を使っていれば、あなたは日々幸せになって行くことでしょう。次回の勉強会は5/21です。佐藤先生の都合がつかないために、私が講師を務めます。どんな出会いがあるのか楽しみです。それでは。
May 2, 2006
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こんばんわ。いつの間にやらこのページも2000アクセスを突破しました。感謝です。明日(もう今日ですが)からゴールデンウィークですね。30日は藤沢勉強会です。楽しみなのですが、息子の野球チームが市の大会を勝ち上がると丁度準決勝...心が騒ぎます。落ち着け、落ち着け...(^_^;さて、今日は上質世界を上手に使って理想の自分を作って行く、という話をしましょう。良く言われることですが、人間の脳は、現実とイメージ、過去と未来、否定と肯定、の区別がつかないそうです。意識の深い所では、全ては今、なんですね。例えば、あるイメージがかき立てられると、無性にそれが欲しくなったりします。衝動買いなんかはまさにそれですね。でもイメージというのは常に移り変わっているので、後になって「何でこんなもの買ったんだろう?」ってことになってしまう訳です。人間と言うのはとても好奇心が強いですし、興味の対象は非常に移ろいやすいので、いちいちそれに振り回されていては疲れてしまいます。でも、中には持続性のあるイメージもあります。そんな時は、表面意識では感じていなくても、潜在意識では常にそのイメージを現実世界においても追い掛けているんですね。ですので、探していた情報が急に目に入ったり、気になる車やファッションなどが急に町中に増えたように感じたり、いろいろな体験をします。でも、それは大抵は以前から身の回りにあったものなのですよね。意識の焦点が変わったから自分の中に取り入れられるようになっただけです。このことを利用すると、自分を望む方向に変えて行くことが出来ます。持続性のあるイメージと言うのは、とりもなおさず上質世界に張ったイメージです。自分がなりたい姿や欲しいものを具体的に願うと叶いやすい、というのは上質世界に張ったイメージを元に脳が現実世界でも同じものを探し始めるからなんですね。このとき、否定的なイメージではなく、肯定的なイメージを描いた方がうまく行きます。脳は否定形を理解出来ないので、否定的なイメージは、否定しようとする対象のイメージと、それを打ち消すイメージの二つに分かれて同時に脳に入り、脳はどっちを実現すれば良いんだか混乱してしまうんですね。脳の中で綱引きしている感じです。肯定的なイメージだと脳にもダイレクトに伝わりますから素直にそこに向かって行きやすくなります。自分が「将来こうなりたいな♪」というイメージ写真を上質世界に入れてしまいましょう。こうなりたい姿になっている自分をイメージして、それを大好きになってしまいましょう。その過程で今の自分とのギャップの大きさに自己嫌悪してしまうかもしれませんが、それでも好きになれるはずです。嫌悪感が強い場合でも繰り返し繰り返し、こんな自分だったらどんなに素敵なことがあるだろうか、と想像力をかき立ててみて下さい。どんな景色が見えるのかなあ。人からはどんな賛辞を送られるのかなあ。どんな気分を感じているのかなあ。五感をフルに使って想像してみて下さい。その時の心地よさが強ければ強い程上質世界に深く入ります。なりたい自分の姿が上質世界に入ったら、行動は変わって行きます。私はこれを実感しました。出方は人によって様々ですが、私の場合は他人の行動を見て「自分だったらこうするな」とイメージし、また現実に「自分がなりたい姿だったらこの場合どうするだろうか?」と自己評価して今までは取れなかった行動に出たり、といった形で出て来ました。そうそう自己評価する場合は、自分を責めないように!大切な人、と思って、身につけたい7つの習慣を使って関わって下さいね。他人にも優しく、自分にも優しく、ですよ!では今日はこの辺で。
April 28, 2006
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こんばんわ。今日は雨の予報だったのですが、何とか少年野球に支障ない程度の降りにおさまってくれたので一日楽しく過ごすことが出来ました。小五の長男は何だか見る度に上達して行く感じ。他の子もそうです。リトル(4年生以下)の時代は全然上手くならないな~と思って見ていたのが嘘のよう。成長するときって傍から見てたら突然なんだなあ、ということと、努力と成果は全く比例しない(必ず成果が遅れる)、ということを子どもから学びました。最近はmixiに参加したせいもあるのか、楽天日記参加者以外の訪問者が格段に増えました。中にはエロサイトの業者さんも混じっていることと思いますが、私の日記に興味を持って見に来てくれるって本当にありがたいことです。どう感じていらっしゃるんでしょうかねえ。話が聞けるものなら聞いてみたいです。さて、今日も上質世界の話をしたいと思います。人間誰だって自己嫌悪したくなる時がありますよね?勿論、私にもあります。(^_^;それが上質世界と何の関係があるの? とお思いになるかもしれませんが、実は大ありなのですよ。以前に私と私の関係というのを書いたのですが、自己嫌悪すると私と私の関係は悪くなります。これは理解してもらえますよね?自己嫌悪している自分が大好きっていう人はあまりいないと思います。逆に、どうして自分はこうなんだよ~って思ってしまうのではないでしょうか。このとき、自分の中では、イメージの中の自己像と、現実の自己像との比較が行われています。イメージの中の自己像というのはとりもなおさず上質世界にある自分イメージです。それはなりたい姿であったり、やりたいことであったり、自分が理想とする自分、こうであったら自分は本当に幸せだろうなあというイメージです。それに対して現実の自己像とは、あなたが「自分はこんな人間である」と感じているイメージです。それは必ずしも真実でなかったりしますが、あなたの心は真実と現実の区別がつきません。知覚した世界(=あなたにとっての現実)が真実なのだと錯覚してしまいます。そして脳は上質世界にある自己像と現実の自己像とを比較して、現実の自己像が上質世界にある自己像と違っていた場合は現実を上質世界に近づけなさいという指令を出します。しかしこの時点では、脳はどうやったら上質世界と現実を近づけられるか、は分かっていません。ひたすら、何かしろ、何とかしろ、と行動を促すことを繰り返すだけです。で、何も浮かばなかったりすると、攻撃の矛先が自分自身に向いてしまうのですよ。言わば自分自身が上質世界と切り離されている状態です。この状態が続くと苦しいですよ! だって四六時中「何とかしろ、何かしろ」と急かされる訳ですから。気が休まる訳がないんです。自己嫌悪を抱えていると余裕がなくなって、周りがよく見えなくなります。人のことも良く見えないし、人の話も良く聞こえない。それより、自分のことを何とかしてくれよ、という意識にどうしてもなってしまいます。そうすると良好な人間関係を築きにくくなってしまいますよね。するとますます欲求充足がしにくくなって、満たされない状態が長く続くようになります。悪循環です。選択理論では、「あらゆる問題行動の唯一の原因は不幸であり、それは大切な人との間に良好な人間関係が構築出来ないことが原因である」と人間の行動を捉えます。心理学の世界では良く自己嫌悪を抱えていると幸せになれないと言いますが、それは自己嫌悪が良好な人間関係を構築するのを妨げる方向に働くからですね。誰だってそんな状況にずっといたくなんかありません。そんな時こそ上質世界を上手に貼り変えて抜け出して欲しいんです。ポイントは何故自分の中で葛藤が生じるのか、という部分です。上質世界のイメージの中の自分と、現実の自分とが異なっているからいたたまれなくなってしまうんです。イメージの中の自分が現実の自分と一致していたら、心の中は平穏でいられるんですね。簡単でしょ(笑)。まあそんな風に自分を受け入れることが出来たら誰だって苦労はしない訳で、それは十分理解しています。じゃあどうやっていくのか、と言えば、まずは自分自身に対してどんな言葉を使っているかをチェックして欲しいんですよ。以前に七つの習慣で書いた、人間関係を破壊する致命的習慣を使っていませんか?ってことなんです。もう一度書きますが、文句を言う脅す責める罰する批判する(コントロールを目的として)褒美で釣るガミガミ(同じことを繰り返して)言うです。他にも、無視する、罵倒する、命令する、等、色々あります。これを自分自身に使ってしまうと、自分との関係は悪くなってしまいます。だって自分の一部を切り取って「お前は駄目だ!」と烙印を押しているようなものですから。自分が良い部分と悪い部分に分裂してしまいます。分裂してしまった部分は隠さないといけませんが、これがなかなかエネルギーを使います。そんなことに費やすエネルギーがあったら、もっと有意義なことに使いたいですよね。そこで、自分に対して使っている言葉を置き換えてもらいたいんです。習慣を置き換えるで書いた、選択理論的な関わりの言葉に。それは傾聴する尊敬する受容する貢献する励ます信頼する意見の食い違いは交渉するといった態度から生じる言葉です。そして、自分自身の出来なかったことや足りないものを見るのではなく、出来ていることや可能性を見てあげて欲しいんです。難しければ他人の力を借りてもいいでしょう。根気よく、粘り強く、自分の良い所、長所、好きな所を一つずつ丹念に見つけ出してみて下さい。あたかも赤ちゃんに接するような感じで、温かく、穏やかに、愛おしく自分を見つめてみましょう。大抵は一つ見つかったら芋づる式に出て来るものです。そうして出てきたことを思い切り、大袈裟な位に承認してあげましょう。そうすることで、現在の自分が少しずつ上質世界に入って行きます。勿論、生きている限り上質世界と現実を完全に一致させることは出来ません。悟りを得ない限り。ですが今の自分も、これからなるであろう自分も、両方が上質世界に入っていた方が絶対に心は平穏で楽しく幸せでいられます。私も随分と自分を上質世界に入れてきましたが、まだまだ沢山の自己嫌悪を抱えています。人に偉そうに言える立場ではないのかもしれませんが、それでも自分が本当に穏やかな人間になってきたので、皆さんにも伝えたいんですね。上質世界にある自己像が自己概念を作ります。現在の自分も、将来の自分や理想の自分も、どちらも入れてあげましょう。長くなりましたのでこのへんで。
April 23, 2006
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こんばんわ。天気が下り坂なのが気になります。明日は少年野球春期大会III部開会式の日ですが...どうでしょうか。さて、我が家の浴室の電球が先日お亡くなりになりました。スイッチを入れた瞬間、まるでストロボのようにピカっと光ったかと思うと、全くの無反応になってしまいました。一瞬何が起きたのか理解出来ませんでした。そこで近所のスーパーに買い物に行ったついでに新しい電球を買いました。それまで白熱灯を使っていましたが、エコを自認する私の上質世界に相応しい蛍光灯を使った電球(消費電力が低くて明るくて寿命が長い)がいつもより安売りされてましたので、思い切って購入しました。電灯に近い色味のもの(これが好きなのです!)を買って、さあこれで浴室も明るく快適なると思いきや...色が白っぽいのです。(T_T)確かに明るくはなりましたが、何かが違います。まるで学生時代に通った銭湯のよう...なんだかくつろげません。キーッ!とフラストレーションが溜まりますが、選択理論を実践しているお陰ですぐに元に戻ることが出来ました。私がどんなに電灯に八つ当たりした所で、色は変わらないんです。確かに電灯に近い色の赤いパッケージだったよなあ。だったら私は最善の選択をしているんだよなあ。だったら私にはどうこうすることも出来ないよなあ。もしかしたら製造元の間違いかもしれないが、元々こんな色なのかもしれない。だったらこれは学びの機会に違いない。安くはなかったけど、某N社製はこんな色になるんだよ、というのを教えてもらった。これで私は一つ賢くなれたよ。この色を変えることは出来ないけど、この次に同じメーカのものを買うかどうかは私の選択だよね。だったら良い選択をしよう!とまあ、こんな具合。勿論、こうやってさりげなく楽天日記で文句を言うことも私の選択です(笑)。自分のコントロール出来ることに意識を向けると、必要以上に外部環境に煩わされずに済みます。当然のことながら、私が次に同じメーカーのものを買う場合はもっとずっと慎重になることでしょう。(余談ですがこうして人はブランドを変えて行くのですね。良い勉強になりました)人が一番ストレスを感じるのは、報われない仕事をする時だと言われています。コントロール出来ないことを無理矢理コントロールしようとすることほど疲れることはないでしょう。コントロール出来ることと出来ないことを切り分け、日々気持ちよく過ごしたいですね。ではまた。
April 22, 2006
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こんにちは。本日未明に1984アクセスを達成しました。1984 2006-04-22 00:46:53 221.242.*.*1984年はMacintoshが発売された年なので、私にとっては好きな数字です。未来がジョージ・オーウェルの1984年(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150400083/)みたいな息苦しい社会になりませんように。ひとまず。
April 22, 2006
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こんばんわ。今日は気持ちのよい青空でした。空気も澄んでいて、富士山が奇麗でしたよ。右に丹沢の山並み、左に箱根の山々の稜線を従えてそびえ立つ富士山は、中央付近まで雪に覆われていまして、その雪原に太陽光が反射してまぶしく、本当に神々しい美しさでした。今日は何度か外に出る機会があったので、青空を見上げてみました。本当に抜けるような真っ青な青空に出会える機会は滅多にありません。今日はとてもラッキー!(^^)目線を上げて行って空の色が青から群青に変わるさまを眺めていると、この空が宇宙に続いているんだなあって実感出来る時があります。宇宙の絶対的な静寂さと寒さを肌で感じます。本当に寒いんですよ! 熱が奪われて行く感じ。特に天頂付近が透き通っているとそう感じます。知識として知っていること(宇宙の温度は-270℃!)と現実が一つになる瞬間です。Zガンダムの主人公カミーユ・ビダン君のように星空までは見えませんでしたが(見えたら見えたでちょっと怖いが(^_^;)自分がこの宇宙の一員であること、そして地球に守られていること、を実感しました。スター・ウォーズ・サーガに出て来るフォースを感じると言うのはこういう感覚なのでしょうかね。それでは。
April 21, 2006
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こんばんわ。今日は子どもの通う小学校の授業参観&学年懇談会でした。5年生になると一泊で野外授業があります。私が小学生の頃は海へ行きましたが、息子の小学校は山です。それも八ヶ岳の結構標高の高い所へ行って泊まるんです。ちなみに今日の気温は5℃だとか。平地は17℃位はあるので全くの別世界ですよね。6月の最終週に行くのですが、まだ肌寒いと思うので、天気に恵まれることを祈るばかりです。それとは別に、小さかった息子がここまで大きくなったのか、と思うと感慨もひとしおですね。いよいよ親離れのカウントダウンに入ったのが寂しくもありますが、笑顔で彼の進みたい道へ送り出してあげようと思います。さて、今日は久々に風邪を引いてしまったこともあって簡単にお話し出来る内容にします。前回、上質世界を取り上げた時に、自分の成長とともに上質世界もバージョンアップして行きましょうという話をしました。今日は上質世界を上手にバージョンアップして行くのに役に立つ、上質であることの6つの条件をシェアしたいと思います。Always useful(いつも役に立つ)Best at the time(その時点での最善)Continuous Improvement(改善し続ける)Destructive Never(破壊的でない)Evaluation self(自己評価に基づく)Feels Good(気持ちのよい)自分の上質世界に入っているものに対して、あるいは自分の日々の行動に対して、この6つの条件に照らして上質を追求して行けば、長期的に見て必ず右肩上がりに自分の状態が良くなって行くことでしょう。是非使ってみて下さい。それでは。
April 20, 2006
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こんばんわ。今日は子ども達をファミリーサポートの人に預けて、五反田のアチーブメントまでJPSA研究会に参加しに行ってきました。息子達よ、不良な父を許したまえ。今回のテーマは「選択理論の実生活の適応」でした。任せとけ、と言いたい所でしたが、自分の言葉と、自分の経験とで伝わるように話す、というのはこれがなかなか難しいものです。つい抽象的、論理的に話してしまう私にはプロスピーカーになるための良い試練と捉えて精一杯やってきました。幸運にも皆さんの前でシェアする機会に恵まれたので、選択理論を学んで一番良かったな、と思えた「自分でコントロール出来ることと出来ないことを区別し、コントロール出来ることに集中する」というのを子どもとの関わりの事例を交えて話してきました。拙いシェアでしたが、誉めてもらえると挑戦して良かったな~と思います。単純です(笑)。終了後はトンボ帰りで子ども達を迎えに行き、寝付かせました。慌ただしい一日でしたが、本当に行って良かったです。次回は6/6。もう行くと決めました。どんな課題が待っているのか、楽しみです。それでは。
April 18, 2006
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こんばんわ。湘南地方は何だか急に寒くなりましたが皆さんはお変わりなくおすごしでしょうか。ゴールデンウィークまであと一息。充実感を持って休暇を迎えられるように明日も精一杯のことをやりましょうね(ゴールデンウィークがお仕事の方はごめんなさい)。今日も上質世界の話をします。選択理論心理学の4つの基本的な人間の捉え方は、基本的欲求、上質世界、行動のシステム、創造性、です。(もう一つの基本原則として3つのRというのがありますがそれはまた別の機会に)特に最初の3つの関係が理解出来れば人のことも自分のことも良く分かるようになるので、まどろっこしいと思うかもしれませんがもうしばらくお付き合い下さい。上質世界にはその人の基本的欲求を満足させるであろう人やものや状況や価値観が入っています。そして人は上質世界に入っているものを現実世界でも得ようとして行動を起こします。好きなものをつい食べてしまったり、好きな人には会いたくなったりするのもそのためです。ひいきにしているスポーツチームのTシャツや帽子を身に付けるのも、自分の好きなものを得たいっていう願望の顕れと言えるでしょう。大抵は上質世界に入っているものは自分を幸福にしてくれます。ところが、逆に上質世界に入っているものが自分を苦しめることがあります。例えば、親の愛情が薄かった子どもは、わざと悪いことをして親の注意を引くことを覚えます。そうすれば親が構ってくれた、というのを学習するんですね。ところが親は確かに構ってはくれるけど、怒られたりしかられたり、決して子どもの基本的欲求を満足させてはくれません。それでも、欲求が満たされない時間が長かったので、脳は欲求が満足されたように記憶してしまうのですね。そうして欲求を満たそうと同じことを繰り返します。ところが親の方は自分の基本的欲求を満足させられないものですから、子どもの悪さを押さえ込もうとしますよね。そうすると子どもは子どもで、もっと自分に目を向けてもらうためにもっと悪いことを考え出して実行するしかなくなってしまうんです。果てしない軍拡競争です。それはどちらかが倒れる、つまり嫌になって相手のことを完全に上質世界から締め出すまで続きます。恐ろしいですね。他にもアルコール中毒なんかはそうですね。分かっちゃいるんだけどやめられない。そんな経験は多かれ少なかれ誰でも持っていると思います。分かっちゃいるけどやめられないことは、脳が「これは自分の基本的欲求を満たすことだ」と認識していることなんです。それは昔は確かにそうだったかもしれないし、あるいは単なる誤解なのかもしれないし、とにかく今は基本的欲求を満足させないものなのです。そんな時は役に立たなくなったものを上質世界から捨てて、新しくより良いものを入れる必要があります。ところが人間は習慣の生き物ですから、上質世界から何かを捨てるというのは難しいんですね。タバコを吸ったことのある方は禁煙の辛さを思い出してもらえれば良く分かるでしょう。人は上質世界に何かを入れる時は慎重になりますが、一旦入れてしまうとなかなかそれを外に出せなくなります。そんなときは、自分のそれまでの殻を破って、自分の基本的欲求をより上質な方法で満たすものを探す必要があります。人が変わるきっかけは良質の情報との出会いなのです。良質の情報との出会いによって、自己評価が起き、「あ、こっちが良さそうだぞ」と判断が働き、上質世界の貼り替えが起こります。上質世界をいかにスムーズに貼り変えられるか、言い換えれば古いものを手放し良質なものをいかに抵抗なく取り入れて行くかがあなた自身の幸せを左右する鍵になります。自分の上質世界を貼り変えられる人間はこの世でただ一人、あなた自身です。あなたが出来なければ誰も出来ないのです。もし、何かうまく行かないな、と思ったら、自分の上質世界を勇気を持って貼り変えて欲しいんです。手放す時は怖いですが、必ずより良いものがやってきます。その時のポイントは、単にいらないものを捨てるのではなくて、先に新しいものを入れようって決めることです。上質世界に自分の基本的欲求をより良く満たすものが入ってくれば、自動的に自己評価により古い、あまり効果的でないものは取り去られます。常に入れるのが先です。それが抵抗なく自分を変えて行ける秘訣です。人は日々成長しています。今日の自分は昨日の自分とは違うのです。昨日まで自分を助けてくれたものが、今日は自分を苦しめることになるかもしれません。成長した度合いだけアンテナを張り巡らせて下さい。そしてより良いものを取り入れることに謙虚になって下さい。あなたは地上でただ一人の欠けがえのない存在ではありますが、完全無欠ではありません。ある面では自分より優れた人物は沢山います。どうぞその人々から学び続けて下さい。そうすればあなたが成長した分だけあなたは幸せに、そして周りの人も幸せになって行くことでしょう。うまく行かないとき、迷ったとき、それは上質世界を貼り変えるタイミングなのかもしれません。皆さんが毎日少しでも幸せを増やして行かれますように。それでは。
April 17, 2006
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こんにちは。知人から成分解析 on WEBを教えてもらってやってきました。のむりんの解析結果のむりんの51%は愛で出来ていますのむりんの28%はマイナスイオンで出来ていますのむりんの8%は濃硫酸で出来ていますのむりんの8%は言葉で出来ていますのむりんの5%は理論で出来ていますん~、なかなかいい男じゃないですか(笑)。こういうのはニセ占い師の予言と同じで、当たるも八卦当たらぬも八卦なのですが、自分にどんな魅力があるんだろうとか、人は自分をどう見てくれているんだろう、ということを考えるきっかけにはなりますね。人は外部から仕入れた情報に基づき判断し、思考や行動を選択して、それに基づいてまた現実を見ようとするので、現実を良くしようと思うんだったら判断と選択の質を上げて行くしかないんですね。これを単なるお遊びとして楽しむも良し。信じるも良し。自分を見つめるきっかけにするも良し。自分がさっきよりも幸せでいられる選択をしてもらえれば良いかと思います。ちなみに、本名でやってみた結果はこちらです。<姓と名の間にスペースなし>68%は信念で出来ています20%は柳の樹皮で出来ています8%はミスリルで出来ています4%は心の壁で出来ていますおお、私は何て素晴らしいんだ!(笑)<姓と名の間に全角スペース>84%は鉄の意志で出来ています8%は時間で出来ています6%はマイナスイオンで出来ています1%はミスリルで出来ています1%は成功の鍵で出来ていますこれも素晴らしいですね。これで成功間違いなし!(笑)<姓と名の間に半角スペース>66%は運で出来ています18%は白インクで出来ています9%は濃硫酸で出来ています4%はお菓子で出来ています3%は言葉で出来ていますこれもいいじゃないですか。運も実力のうち、出会いに感謝♪では。
April 16, 2006
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こんにちは。南関東は昨日の午後から気温が下がってきて、風も北風になり、季節が1ヶ月戻ったような感じです。明日の予報は雨。鎌倉の鶴岡八幡宮では神事の流鏑馬が開催されますが、生憎の空模様ですね。馬も乗り手も寒いだろうなあ。息子達の野球チームは両方とも試合が組まれていますが、どうなるでしょうか。さて前回は時間の都合で中途半端な所で終わってしまったのでその続きです。人は誰でも5つの基本的欲求を持っています。この基本的欲求は生まれてから死ぬまでなくなることがありません。そして基本的欲求は毎日満足させる必要があります。でないと脳が欲求不満のシグナルを出してとてもフラストレーションが溜まるのです。そこで人はこの基本的欲求を満足させるために日々行動しています。最初はなかなか手に入らないかもしれません。しかし何回かトライしていくうちに「あ、こうすればいいんだ!」というのを学んで行きます。そうした経験の積み重ねで、人の脳の中には自分の欲求を満たすもののイメージの世界が出来上がります。これが上質世界です。上質世界は人が外の世界を認識し始めた瞬間から形成され始め、生涯に渡って変化し続けます。つまりより良いものが入ってきたら古いものは外に出されます。こうした出したり入れたりの経験は当然人によって異なりますから、上質世界は一人一人違うのです。良く「価値観が違う」と言いますが、それは上質世界に入れているものが違うのです。選択理論を学んでいると、価値観が異なる人とも折り合いを付けることが容易になります。選択理論を知らないと、衝突するか無視するかしかありませんが、選択理論を用いて関われるようになると共同作業なんかも出来るようになりますよ。それはさておき。何だか欲求が上手く満たされないなあ、と欲求不満を自覚している人は、一度自分の上質世界と、周りの人の上質世界が衝突していないだろうか、とチェックしてみて欲しいんですね。人は誰しも、自分の上質世界こそが絶対だと思いたがる傾向があります。人間は保守的な生き物ですから、上質世界は変化させられるとは言え、一度上質世界に入れたものは簡単にはそこから出そうとしないのです。(良く「あの人は頑固だ」という言い方をしますが、これはその人が上質世界の入れ替えに頑強に抵抗するっていう事なんですね。)自分が正しいって思っているので、自分の上質世界に反する上質世界の持ち主に対しては反射的に反発してしまうのです。反発が生まれると、人間関係はなかなか円滑には生きません。人間は社会的な生き物で、他人との関わりの中から自分の欲求を満たしています。人間関係が良くないと、残念ながら欲求充足出来る機会は減少してしまいます。(特に愛と所属の欲求は顕著です。)ですので良好な人間関係を築きましょうと選択理論では教えます。それはとりもなおさず自分のためなのです。「え~、そんな事言ったって、あの人となんて仲良く出来ないよ~!」と反射的に反発が出ますが、その人に心を煩わせられるのと、自分が幸せになるのと、どちらが大事ですかってことなんです。別にこびへつらったり、無理に合わせたり、自分ばかりが我慢したりといった事ではないんです。逆に、徹底的に利己的なんです。だって、自分の幸せが第一の目的なのですから。どんどん利己的になりましょう。自分の上質世界を大事に出来るように、それと衝突する他人の上質世界も大事にしましょう。そのために必要なことは、相手の上質世界を知ることです。まず相手を良く観察しましょう。人の行動には必ず理由がある、そしてその理由とは欲求充足だ、というのが選択理論の教えです。仮にあなたをいつもイライラさせたり怒らせたりする人がいたとしたら、「この人はどうしてこんなことをしたり言ったりするのだろう?」「この人は何の欲求が満たされていないんだろう?」「この人は私にこんなことをしたり言ったりすることでどんな欲求が満たされると思っているんだろう?」と考えて欲しいんですね。人間とは不思議な生き物で、フォーカスをほんのちょっと変えるだけで全く違った心理状態になれます。どうして私がこんな仕打ちを受けなきゃいけないの!(怒)という被害者の意識から、この人が本当は何をしたいのか探ってみよう!(好奇心)という観察者の意識へ、簡単に変わることが出来ます。最初は難しく感じるかもしれませんが、やってみると案外簡単なものです。誰かの話を聞くときは、心の隅でこう思ってみて下さい。「この人は私と話すことで何を得たいんだろう?」「この人が満たしたい欲求/満たされていない欲求は何だろう?」「私はこの人に何をしてあげられるだろう?」相手の本心が聴けると、会話はとてもスムーズに進みます。そして、おまけとして、相手はあなたのことを上質世界に入れてくれます。誰だって自分のことを分かってくれる人は好きでしょう?あなたが相手に好かれる人になれば良いんです。そうすれば相手はあなたの欲求を満たそうとしてくれるでしょう。結果としてあなたの上質世界に入っているものが現実世界で得やすくなりますよ。長くなりましたのでこの辺で。
April 15, 2006
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こんばんわ。今日はさくら 桜さんらが主催して下さった、ハッピーワンデーセミナーに参加して選択理論を堪能してきました。午前中は講義、午後は実習(ロールプレイ)。理論は一通り頭に入って入るものの、やっぱロールプレイは奥が深い! 毎回新たな発見があります。今回は2つの事例でカウンセラー役をやらせてもらいました。1例目は40年夫と連れ添った女性の事例。口を開けば悪口ばかりで友だちもなく外にも出ない夫と別れたいけど経済的に難しいしどうしよう、という内容でした。まず今ある制限(経済的に自立出来ない、夫の性格は変わらない)の中で気分良く過ごす方法を見つけて行きましょう、と方向性についての合意が取れたので、クライアント役の方が非常に素直だった事もあり、トントントンと進みました。そして、旦那さんが悪口を言いはじめたら、ただ受け身で聞くのではなく、今日は何分で話し終えるのかな?とゲーム感覚で話を聞いてみましょう(例えば今日は最長記録、とか、聞き方が良かったから最短記録、とかです)と提案して、制約条件の中でも気持ちよく過ごせそうだ、と解決策をひねり出す事が出来ました。我ながら良い出来でした(勿論クライアントさんの協力があってこそ、です)。2例目は大学生になった息子とコミュニケーションが取れないお母さんの事例。息子が殆ど口をきいてくれない、という内容でした。カウンセリングではともすれば相手の気持ちを思いやる事なく「こうしたら?」と答えを先に用意してしまいがちになるのですが(特に時間が10分と限られている中で何らかの結果を出そうとすると)、今回は相手の気持ちのサポートもしつつ今までの効果の薄かった行動を改めてより効果的な方法を試してもらえるように持って行こう、と思ってカウンセリングに臨みました。結果は...う~ん、時間に破れました。相手の気持ちを大事にしよう、と思うとどうしても今抱えている問題/症状にこだわりがちで、その下にある不幸=基本的欲求が満足されていない状態を見ることに移行するまで時間が掛かります。入り口までは辿り着けたのですが、そこから先に進めませんでした。残念。今の気持ちのサポートもしつついかにこれから先のことに意識を向けて行くか。今後の課題ですね、これは。帰りに森の保育園にお邪魔させてもらって、新しい園の様子を見せてもらいました。いいところでしたよ! ついでに園児達と少し遊んできました。今日はこの辺で。
April 11, 2006
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こんにちは。先週から学校が始まりました。進学祝いも兼ねて水曜日に子ども達の好きな回転寿司を食べに行ってきました。10皿平らげたのにはびっくりしましたが、満足してくれたみたいで良かったです。今日は上の子の市の公式戦です。勝ってくれると信じていますが、こればっかりは自分でどうこう出来る事ではないですし、変に気負わず練習した通りのプレーを見せてくれればいいと思います。さて前回の続きです。自分の欲するものをハッキリ意識出来ていると心が落ち着き、智慧が回り、動機付けが強くなるので「どうやって手に入れようか」という方向に思考が向きやすい、という所まで話しましたね。人間は誰しも5つの基本的欲求を持っていて、それを満足させるために行動し続けています。そして基本的欲求を満足させてくれる人や者や状況や価値観といったイメージが上質世界に入っています。当然の事ながら上質世界は誰でもが持っていますが、その内容は全て異なっています。どんなに価値観や育った環境が同じだとしても違いはあります。幸せになるためには自分の上質世界に何が入っているかを知るのが大切なのは勿論、自分の身の回りの人の上質世界を知っておく事が大事です。人間はプライドの生き物だと言われます。上質世界に入れているものを否定されると、人はプライドを傷つけられてしまいます。そしてプライドを傷つける言動をした人を嫌います。これはご自身の経験に照らしても妥当な事だと理解してもらえますよね?逆に、上質世界に入れているものを承認されると、人は機嫌が良くなります。プライドが満たされるからです。ということは。あなたが周りの人と良好な関係を築きたければ、相手の上質世界を否定しないことがとても重要になります。何故なら人は上質世界が違う、あるいは上質世界を否定して来る人とは長時間一緒にはいられないからです。欲求充足されない時間に耐え切れなくなるんですね。あ、もう出かける時間なのでひとまずこれにて。
April 9, 2006
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こんばんわ。湘南地方は今日は雨です。桜も散りはじめて、今週末には木が裸になってしまいそうな勢いです。息子の野球の試合は日曜。花に囲まれた中で気持ちよく戦ってもらいたかったのですが、無理のようです。さて今回は、上質世界の続きをやります。前回の最後に、上質世界に何が入っているかをきちんと知っていると幸せになれます、と書きました。今日はそのことから始めましょう(初めての方は選択理論心理学カテゴリーの日記を一通り読まれてからの方が理解が早いでしょう)。上質世界とは、自分を心地よくしてくれる人やものや状況や価値観などが入った、脳の中のイメージ写真です。もっと簡単に言うと、好きなこと、好きな人、好きなもの、です。脳は五感を通して知覚した外の世界と、上質世界とを無意識のうちに絶え間なく比較し、私たちに様々な感情を感じさせます。もしそれらが現実世界で手に入ったなら、私たちは幸せを感じます。楽しくなったり、うきうきしたり。様々な心地よい感情を感じます。逆に手に入らないと、不平不満を抱きます。怒ったり、いらいらしたり、悲しかったり、出来たらあまり感じたくない感情を沢山感じることになります。そして私たちは何らかの行動を起こします。そうせざるを得ないんです。だって脳は、現実とイメージが違うから手に入れるように、とか、現実とイメージが合っているからそのまま味わいなさい、といった指令を、感情を感じさせることで発しているからです。常に何らかの行動を促しているんです。これは本能のなせる業なので、自分で思い通りに操るのは困難です。不可能ではないにせよ、多大な意志の力と、強烈な集中が必要でしょう。なので殆どの人は感情に振り回されて、つい怒鳴ってみたり、悪態をついたり、かんしゃくを起こしたり、等々の外的コントロールの行動を、欲しいものを手に入れるには必ずしも効果的でないとは分かっていながらも、つい選択してしまうんです。行動しろ、手に入れろ、という絶え間のない脳からの指令に耐えられないんですね。そのプレッシャーがどれだけ強大なものかは、これをお読みの皆さんなら少なく見ても10年を超える人生のキャリアがある訳ですから良くお分かりでしょう。出来ることなら不快な感情は出来るだけ感じずに、快適な感情を選び続けていたいですよね。そのために是非とも必要なことは、どうなったら自分が快適と感じるかを知ること、即ち、自分の上質世界に何が入っているのかを知ることです。大抵の人はこれを意識出来ないんです。上質世界は誰の脳の中にもありますが、普段意識していないので、何だかぼんやりしたイメージしか浮かばない人が多いんです。勿論言葉でも説明出来ません。それでは焦点が絞れないんです。「何とかしなきゃ」という状況になった時に、何を手に入れれば良いのかがはっきりしていなければ、過去の自分自身の経験や、これまでに見てきた他人の言動から「こうすればいいかな?」っていう選択肢を片っ端から試して行ってまぐれ当たりに期待するしかなくなります。「そう言えば昔、お父さんは欲しいものが手に入らなかったらちゃぶ台をひっくり返して怒鳴っていたな~」なんて記憶がヒットすると、欲求が満たされない時にそれがいけない行動だとは分かっていてもつい同じことをやってしまいます。例えば子育てでも、子どもの目線で自分の親を見て「あんなことはすまい」と心に決めていても、自分が親になればつい同じことを子どもにしてしまう、というのはそのためです。的が定まっていない限り矢は射れません。流鏑馬でも的が決まっていなかったら矢はどこに飛ぶか分からないから危なくて仕方がないですよね。(流鏑馬を見たい方は鎌倉祭りへ。今年は4/16です)それと同じです。欲しいものがはっきりしているから、何が不足しているのかを余裕を持って判断出来るようになるんです。何が足りないのかが具体的になればなるほど、どうやって手に入れれば良いのかの智慧が湧いてきます。手に入る見通しさえはっきりすれば人の心は落ち着き、感情にそうそう振り回されることはなくなります。それに欲しいものが明確であればあるほど、それを手に入れよう!というモチベーションは高くなります。ここまでは納得して頂けましたか?これで説明の半分は終わりました。残り半分はまた後日にしたいと思います。それではごきげんよう。
April 5, 2006
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こんばんわ。桜がそろそろ散りはじめていますね。夜桜を愛でられるのも後数日かと思うとちょっと物悲しく思います。さて最近は楽天会員外の方の訪問が多いようです。無意味なアダルト系のトラックバックが増えているのもそのせいでしょうか...気づく度に消しているのですが、今のところはいたちごっこです。向こうは業者さんなのでしょうか。何せURLさえ分かっていればペタンと貼付けられるのですから、中身なんか読んでいようが読んでいまいが御構いなしですね。私は気にする方なので日記に書かない日でも消しに来ていますが、これだけ多いと諦めてしまって荒らされ放題の方も少なからずいるのではないかと想像します。テクノロジーを逆手に取って楽しさをぶちこわすなんて困った人もいるものですね。ともかく周りの環境に影響されずに、自分の望む未来に向かって自分の出来ることをやる。選択理論の教えをこんな場所でも試されているような気がします。それでは。
April 4, 2006
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こんばんわ。今日は久しぶりのお休みの土曜日です!先月はずっと土曜は仕事で子ども達にも寂しい思いをさせてしまいましたが、今日はオフです。上の子は残念ながら風邪を引いていて家にいましたが、下の子は風邪も治って(ちなみに上の子に移したのは彼です(^_^; 学校で余計なものもらってくるんじゃない!)、キャッチボールしようとせがまれたので一緒に近所の公園へ行きました。公園には桜の木が何本かありますが、どれもほぼ満開に近く、とても奇麗でした。桜の木のそばでキャッチボールをしていると時々桜吹雪が舞います。本当にのどかで美しい光景です。こんなに奇麗なのに誰も花見に来てないなんて、と思っていたのですが、昼過ぎから続々と人がやってきて、午後にもう一度行ってみたら何組もお花見を始めていました。子どもはそのうちに友だちの家へ遊びに行ってしまったので、私は図書館に出かけました。道中川のそばを通ったのですが、そこは川沿いに数百メートルに渡って桜が植えられている場所で、こちらも満開で本当にいい眺めでした。家族連れやカップルでお散歩を楽しんでいる人に何人も出会いましたし、あちこちで携帯を取り出して写真に収める姿が見られました。あと数日で散りはじめてしまうかと思うと本当に残念です。明日の湘南地方は雨のようです。映画でも見に行こうかなあと思いつつ、お花見の予定を組んでいなかったことがちょっぴり残念です。もっとも、男の子は花より団子なので、花を愛でるなんて芸当はまだまだ出来ないでしょうが...(苦笑)最近思うのですが奇麗なものを奇麗だと思えるときって心に余裕があるときですよね。何だか感動することが多くなったのはそれだけ余裕が出てきたのかなって思います。仕事がいそがしかったり、子どもに手が掛かったり(下の子は喘息持ちですし)でなかなか自分の時間は持てませんが、それでも余裕があるってことはそれだけ自分も成長しているのかな、なんて桜を見て思いました。それでは。
April 1, 2006
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こんばんわ。私の職場は小高い場所にあって、富士山が良く見えます。近くに丘が幾つかあるのですがその丁度間の見通しが利く方向にあって、裾野の方まで見えてとても奇麗です。右手に丹沢の山、左手に箱根の山を従えた姿は美しいの一言に尽きます。今日は富士山に夕陽が沈む瞬間を目撃しました。冬の間は富士山の山頂よりも左側(南側)に沈むのですが、いつの間にか山頂の右側に沈むようになっていて、季節の移り変わりを感じました。山腹に沈んで行く太陽がオレンジ色の未知なる宝石のように輝いていて、完全に沈んで見えなくなるまで見とれていました。そうしたら、何が起こったと思いますか?富士山の向こうに隠れた太陽が、空をピンク色に染めたんです。富士山のシルエットがクッキリと浮かび上がって、本当に幻想的な眺めになりました。夕暮れ時の一瞬に演じられた偶然のショータイムに感動しました。富士山が暗闇に隠れた頃、上空には西の空に移ったばかりの細い月が...宇宙から降って来るエネルギーをしっかりと受け止めているような姿勢で輝いていて、これまたいい眺めでした。18歳まで四国に住んでいて富士山とは縁遠かった私が、こうして日々富士山を見て過ごすなんてびっくりですね。美しいものを美しいと思う心をずっとなくさずに生きて行きたいものです。ちなみに私は93歳までは生きるつもりです。次にハレー彗星が地球近辺に帰って来るまで。そう決めました。まだまだ先は長いのです。こんなところで老け込む訳には参りません。それでは。
March 31, 2006
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こんばんわ。今日は仕事でつくばに行ってきました。行きは高速バス、帰りは初めてつくばエクスプレスに乗りましたよ。なかなか快適な旅でした。時間が十分にあったので、尊敬する吉野真由美さんが登場するというので買っただけで読んでいなかったプレジデント誌を往復の時間で読むことが出来ましたし、現地では咲いたばかりのさくらに心を洗われました。初めて知ったのですが、つくば市の研究施設が並んでいる一角にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)の筑波宇宙センターは見学自由なのですね。年末年始を除いて平日はずっと10時~16時で受け付けてくれています。春休みのうちに子どもを連れて行ってみたいなあと思いました。ネットで探すとJAXAは他にも色々公開していますね。JAXA-i東京事務所に併設された展示コーナー。東京駅のすぐそばの一等地にあり、週末もやっています。ちょっと息抜きに。コズミックプラザつくば駅近くのつくばエキスポセンターにある展示室。ロケットの模型が目印。科学技術週間 筑波宇宙センター特別公開普段見られない所まで見せてくれます。目玉は向井宇宙飛行士のミニミニ宇宙学校! でももう満席だろうなあ...小型超音速実験機特別展示マッハ8!という超スピードを出すという実験機が3月24日(金)から 4月10日(月)まで、江東区の日本科学未来館に展示されるそうです。見てみたいなあ。航空宇宙技術研究センター 一般公開学生時代から「何をやっているんだろう?」とずっと気になっていた三鷹市の航空宇宙技術研究センターの一般公開が4/23にあります。宇宙ロボット操縦なんて面白そう!閑話休題。さて、今回は久しぶりに選択理論の話をしますね。以前に取り上げた5つの基本的欲求、覚えていますか?生存の欲求愛・所属の欲求力の欲求自由の欲求楽しみの欲求です。人間は生まれてから死ぬまで、何らかの手段でこの5つの基本的欲求を満たすために行動する、というのが選択理論心理学の基本的な人間の捉え方です。この何らかの手段でというのがポイントで、要は欲求が満たされれば何でも良い訳です。これが例えば、愛・所属の欲求が満たされるには毎日朝晩ハグして愛してると伝えなければならない、なんて決まっているとしたら怖いですよね?欲求の強さが人によって異なるように、どうなれば満たされるか、というのも人それぞれです。そしてこの、誰もが脳の中に蓄えているどうなれば満たされるかという情報のことを「上質世界」と呼んでいるんです。ちなみに英語ではQuality Worldと言います。素敵な訳語だと思いませんか?上質世界とは、欲求が満たされる人や物や状況や価値観なんかが一杯詰まったイメージの世界です。人は知覚した現実を上質世界と常に比較しながら欲求が満たされているかどうかを判断し、満たされていれば幸せを感じ、満たされていなければ不満を抱くんですね。こう書くと難しいですが、これは皆さんごく普通にやっていることなんです。例えば、生存の欲求を満たすためにご飯を食べるじゃないですか。ご飯を食べる、という行為は同じでも、じゃあ何を食べるか、は人によって違いますよね。「これを食べたい!」って思えるものがあなたの上質世界に入っているものです。私だったら、ラーメン、焼きそば、パスタといった麺類は確実に上質世界に入っています(そば/うどんは外れも多いので今ひとつですが)。あとはチョコレート。クラシックショコラなんかを目の前にしたら思わず顔がほころんでしまいます。(^_^)これも上質世界のイメージと現実に目の前にあるクラシックショコラを無意識のうちに比較して、欲求が満たされるから幸せな感情が起きてきたんですよ。ちょっと乱暴な言い方をすると、大好きなもの、です、上質世界とは。想像しただけでわくわくしたりニンマリしたり出来るもの。それが手に入ると思えば苦労も厭わないもの。そのようなものです。上質世界に何が入っているかをきちんと知っていると幸せになれますよ! その理由はまた次回にお話したいと思います。本日のBGM:ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間エンヤの曲はいいですね!
March 30, 2006
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こんばんわ。大船学習センターで3週に渡って持たせて頂いた講座「人生で二番目に大切な健康の話」が終わりました。仕事のピークと重なって準備に追われた中での講座でしたが、その場で持てるものは全て出してメッセージすることが出来ました。頂いたアンケートを見ても概ね好意的に受け取ってもらえたようです。ありがたいことです。健康は日々の積み重ね! これから聞いただけに終わらないようにフォローの日々が始まります。ひとまず。
March 25, 2006
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こんばんわ。今日は短信だけです。上で案内している通り、次回の藤沢勉強会は4/30の予定です。その他に勉強会やらセミナーが開催されていますので告知しておきます。4/11 9:30~17:00 ハッピーワンデーセミナー@大崎(詳しくはさくら・桜さんのページをご覧頂くのが早いかと思います)4/11 19:00~21:00 月例リアリティセラピー研究会@五反田(お問い合わせは開催会場のアチーブメントへ)可能であれば両方出たいと思っています。
March 21, 2006
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こんばんわ。気がついたら日記は今月はまだ書いてなかったんですね。先週トップページは更新していましたが、手が回っていませんでした。こりずに来て頂いている方、ありがとうございます。先日大船学習センターで講座をやりました。タイトルは「人生で2番目に大切な健康の話」です。なかなか先に準備を整えることが出来なくて前日も徹夜して資料を仕上げ、それでも講座は午後2時からだから午前中にちょっと無理をして予定を入れたら電車が遅れて焦ってしまったりと、このところ色々なものが後手後手に回りながらも何とかやり遂げることが出来ている感じです。見ず知らずの多数の人を相手に話すのはJPSA会員になってから初めてでしたが、自分が現在持っているもの(これまでに自分の中に蓄えたもの)しか出て来ない、というのを改めて感じました。余計なことは考えず、自分の持っているものを相手の上質世界に届くように届けよう、と終始意識していたお陰か、2時間という長丁場でしたが受講生にはとても好評でした。足を運んで下さった皆様には本当に感謝致します。そんなこんなで、仕事が忙しいのに加えて仕事以外でも色々な活動を入れているのでどうしてもここの優先順位は落ちてしまうのですが、今日はどうしてもシェアしたいことがあったので優先順位を上げて書いています。実は先週、仕事の合間を縫って埼玉まで出かけてきました。JPSA埼玉支部の朝食学習会に出るためです。朝5:31発の東海道線に乗る、という初めての体験をしてしまいました。片道2時間近くかけて、傍から見れば馬鹿みたいですが私にとっては学びの機会と言うのはとても優先順位の高いものです。力の欲求(達成、成長、等)が強いんでしょう。子ども達や会社の同僚には申し訳ないですが、こちらを優先させてもらいました。思ったより遠かったんですが行って正解でした。とても良い気付きがありました。それがタイトルにある「私と私との関係」です。選択理論では人間関係を4つに分類し、その全てにおいて満足行く関係を築くことを目指していきます。4つの人間関係とは、私と私との関係、私と身内(家族、恋人、親友、等)との関係、私と社会との関係、私とメンターとの関係、です。学習会では私と私との関係を取り上げました。私と私の関係というのは自己概念と繋がっています。それは自分を見ている私(自己評価)、人から見られている私(他者評価)、なりたい自己像(願望)、から出来ています。勉強会では私と私とどんな関係を結んでいるかを意識させるために次の5つの質問を出されました。私のような人が上司だったら大変嬉しいですか?私のような人が部下だったら大変嬉しいですか?私のような人がパートナー(恋人、配偶者)だったら大変嬉しいですか?私のような人が親だったら大変嬉しいですか?自分が大好きですか?Yesの数が多いほど私と私の関係は良好です。成功者は例外なく全てYesです。それだけ自分を愛し、信頼しているんですね。皆さんは如何でしょうか? 私は最初の質問に対してだけNoを出してしまいました。自分のリーダーシップに疑問を持っているんですね。自分にリーダーが務まるだろうか、という自分の資質に関する疑問、そして上司に無意識のうちに色々なものを求めている依存的な自分の存在、に気づきました。選択理論では責任の概念を重視します。全ては自分が源、という考え方です。これは自己概念や自己重要感を高める上でとても重要な視点です。私の場合はどこかで「自分が源」と決め切れてないんだなあって思いましたね。自分が誰かの役に立つことは出来ても、集団の中でビジョンを示し、メンバーを励まし、率先して行動するだけの力が自分には足りない、そこは誰かが補って欲しい、という意識です。責任を引き受けるのをまだ怖がっているんでしょうか...でも気づいたのだから、修正して行けばいいんです!そのための学びなのですから。私の中にはリーダーになりたいっていう気持ちがあります。とても強いと思います。だって力の欲求が強いですから(笑)。自分の描くイメージと、私が今の自分に下している評価とのギャップが大きいのでそれが怖れを作り、自分を信じられないんじゃないかと思いました。その部分では私と私の関係は「批判」という外的コントロールを使っていたんでうまく行かなかったんですね。だからますます萎縮してしまって力が発揮されず、さらに自分を苛めるという悪循環に入っていました。これからは、自分の中に既に持っているもの、出来ていることをもっともっと見つけて、一つずつ丁寧に承認して行こうと思っています。自分の中に葛藤を抱えたまま、他人に対して100%の受容と承認はなかなか出来ないですよね。まずは自分から。全ての源は自分にある。その言葉がまた一段深く自分の中に入りました。長くなりましたのでこれで。
March 12, 2006
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こんばんわ。今日は上の息子の小学校の授業参観&懇談会でした。今の小学校は単なる知識教育だけでなく、様々な創作活動をやるのですね。教室の後ろには、ケナフを使った紙すき、谷戸訪問、風車作り、調理実習、などの写真がズラリ。子ども達はとても生き生きとした表情で写っていました。表には絵本の読み聞かせでイメージした場面を描いた絵が貼ってあって、男の子と女の子の感性がはっきり違っていて面白く、色使いも上手で子どもたちの想像力は大したもんだと感心することしきり。傑作だったのは、意味不明の言葉の羅列からイメージされるものを書いてみましょうという15マス位の課題。各マスの上に言葉が書いてあって(擬音語とも擬態語とも違う、全く意味不明の言葉です)、その下に絵を描いているんですがこれが面白い!そうやったらこんな発想が湧いて来るんだろう?と思いました。中にはイメージが出来ずに白紙のままだったり、はたまた将来は漫画家か?と思わせるような絵があったり、エイリアンや動物や植物や色々なものや様々な色に出会えて、何だかこちらもうきうきとした楽しい気分にさせてもらいましたよ。残念だったのは今年から来年度のPTAの委員(各クラス2人)を年度末に選出することになったためか、懇談会に出ないお母さんが増えたこと(ちなみにお父さんは毎回私一人です)。結局決まらなくて、懇談会欠席者も含めて未経験者の中から選ぶということで落ち着いたんですが、私自身やりたくない訳ではないけど今のPTA活動ではお荷物になるだけだろうなあと尻込みしてしまいますから、お母さん方が尻込みする気持ちは分からなくもないです。ただ、意識は高く、それでいて目線は落とした活動を行ってくれるリーダーがいないとPTAは円滑に回らない訳で...ここ2~3年を見ているとその時々の委員が背伸びせずにやりたいことしか出来てないよなあ、と感じてしまって、特にフルタイムで仕事を持っていたりすると手伝いたくても手伝えないんですよね。言い訳ですけどね。(^_^;子どもたちのために何が出来るのか、見直す時期に来ているのかもしれません。それでは。
February 28, 2006
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こんばんわ。2/19の勉強会は、最終的に9名の参加者でああだこうだと様々なシェアをしながら楽しく終えることが出来ました。初参加の3名の皆様、ありがとうございました。今回の学びのテーマは外的コントロールと内的コントロールでしたが、私たちの普段の行動がいかに外的コントロールに満ちているのか、一つ一つの場面を振り返ってみると痛感させられますね。また来月、楽しい学びの機会を持ちたいと思います。それでは。
February 22, 2006
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世間はバレンタインデーで賑わっていた2/14は2ヶ月に一度のJPSA研究会でした。何だかんだ言ってもJPSA会員になってから皆勤を続けています。やろうと決めたら不思議と何とかなるものですね。自分の中では多分一番優先順位の高い学びの場になっています。恋人のいない私にはちょっと寂しい(苦笑)思いをした日ではありましたが(今年の夏休みには新しい恋人と過ごす、という少々無謀ではないかとも思える目標を立てた私にとってはこういう時期も必要なのでしょう(笑))、とても良い学びの機会になりました。既にシェアして下さっている通り、テーマは誠実さでした。人を動かす力を持ったメッセージを発するプロスピーカーとしての誠実さとは何か。短い会長の講演の中にもぎゅっとエッセンスが詰まっていて、自分自身のあり方や足下をしっかりと自己評価して来ました。例えば与えられる愛(依存と甘え)を求めるのではなく、与える愛(自立)に生きているか相手の可能性を心から信じているか真剣に研鑽を積んでいるか(=自己愛、自分をどれだけ愛し、大事にしているか)自分を良く見せよう、偉く見せようとするのではなく、人を引き上げようと誠心誠意尽くしているか自分自身が何を目指し、何を目的として、何を求めているのかが明確になっているか等。選択理論心理学をベースとした研究会では基本は自己評価ですが、自己評価ほど自分を駆り立てるものはないなあと感じています。そしてそれは回を重ねる毎に深く自分の中に入って行きます。後半の実習では、人生において、また仕事において、自分自身の誠実さとは何かを考えました。私の場合、人生の誠実さというのは2つ出て来ました。一つは自分を偽らないこと。好きなものは好きと言うこと。好きなことや求めるものがあったら、状況が悪くても、言い訳することなく、そちらを目指して進んで行くこと。自分の好きなものを選ぶ勇気を持って人生の舵を取って行くこと。もう一つは、自分の能力を提供すること。自分に出来る力があっても、面倒だ等の自分の感情に流されてやらずにいたことを改め、喜んで自分の力を提供すること。前者はともかく、後者は何でこれが誠実さなの?と思われるかもしれません。私の場合、自分に自信があるのでしょうか、自分の力を隠さず、誇張せず、出し惜しみせず、等身大で提供することこそが誠実さだ、と思ったのです。何のために能力開発しているのか? 勿論能力を発揮するためです。何故私は頭が良く生まれて来たのか? 世界に貢献するチャンスをもらったからです。だったら、自分の力を自分一人のものにするというのはとてもエゴイスティックな生き方ではないでしょうか?能ある鷹は爪を隠す、というのも時には重要でしょう。しかし、鷹は鷹、鳶は鳶、と堂々と名乗って生きていられた方が遥かに楽ではないか、と思うのです。多少の摩擦は避けられないでしょうが、でも私はやってみたいんです!自分の心に、そして自分の力に正直な生き方を。そして気づきました。日記を書ける時間はあっても、面倒くさがって日記を書かなかった自分に。なのでこれからは、自分に出来ることには今までより優先順位を一つ上げて取り組みます!ここにも、どんなに忙しくとも、週に一度は必ず書き込むつもりです。これを今年一年のコミットメントにしたいと思います。研修で習った言葉が思い起こされます。私は出来る、今すぐ実行!それでは。
February 16, 2006
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こんばんわ。随分と間があいてしまいました。気がつけばこれが2月最初の日記だったりします。(^_^; 懲りずに見に来て下さっている方、ごめんなさい。今日は予告通り楽しみの欲求を引き続いて取り上げます。さて、前回は、楽しみの欲求と言うのは一見「楽しみ」という言葉からは想像もつかないようなもの、例えば「勉強」なんかも該当するんだよ、というようなことをお話させてもらいました。私自身、勉強が楽しみの欲求を満たすものだとは知らなかった頃は「自分はきっと楽しみの欲求は弱いに違いない」と思っていたのですが、それを知ってからは「自分は何て楽しみの欲求が強いんだろう!」と自分自身への評価ががらりと変わりました。ですので、皆さんもきっと様々な楽しみの欲求をお持ちのことと思います。楽しみの欲求と言うのは本当に千差万別多種多様で、それが人間の素晴らしさであり創造性であるんだなあといつも感心します。他の欲求、例えば愛と所属の欲求ですと、求める相手は家族だったり友達や恋人だったりあるいは職場や学校の仲間だったりと、求める個人は一人一人違うにせよ、求める対象というのは比較的まとまっていますよね。それが楽しみの欲求では本当に様々なんです。ある人にとってはそれが遊園地かもしれません。遊園地が好きな人の中にも、ディズニーランドが好きと言う人もいれば、豊島園が気に入っているという人もいるし、いやいや遊園地と言えば富士急ハイランドでしょという人もいますよね。お酒を飲むのが楽しいという人同士でも、ビール党もいれば日本酒党もいるし、ウィスキー以外飲まない人だっているし、ワインが一番という人だっている。TV、映画、音楽、スポーツ、ゲーム、ギャンブル、芸術、等々、人間の楽しみの欲求を満足してくれるものは本当に数限りなくありますし、その中でも様々に細分化されていって、きりがありません。とにかく対象は幅広くいんです。きれいにまとめようとすると「好奇心」という言葉が一番適切でしょうか...共通しているのは「楽しい」「わくわくする」「興奮する」「時間を忘れて熱中出来る」といった強烈な感情が伴うことです。話は少し飛びますが、感情と言うのはとても大事です。人は大人になるとついつい理屈や道義でケリをつけようとして感情を押さえ込むようになりますが(私だけ?(笑))、自分の基本的欲求が満足されているのかどうかを教えてくれるのはこの感情なんですよね。例えばムカっとくることがあったとして、それをすぐに態度で表現してしまうと「あいつはガキだ」なんて評判が立ってしまったりするんで何事もなかったように涼しい顔をしている、なんて芸当は大人になったら程度の差はあれ誰でもやっていることですが、本当に大事なのはムカっときた時の怒りを押さえ込むのではなくて、その時の心の変化を敏感に察知して「あ、自分は何かの基本的欲求が満たされていないんだな」と感情を自分の状態を知るシグナルとして受け止めることなんです。それが大人になる、成熟する、ということです。真面目な日本人は(日本人に限ったことではないんですが)大人になると感情を感じないように感じないようにと自分をどんどん鈍感にしてしまうのですが、逆に感情を繊細に感じられるようにした方が幸せになれるんですよ。何故なら、欲求が満たされないときは、早い時点でそれに気づいて方向修正が出来るからです。鈍感だと、本当にどうしようもなくなってから気づくので、あとはキレて爆発するか、絶望するか、諦めるか、とにかく欲求がなかなか満たされないんで、満たすまでにえらく面倒な道を通らなければならないんですね。感情はシグナルだと捉えて、特に楽しみの欲求はそのシグナルを感じやすいですから、是非日常生活の中で「自分は今、どんな欲求が満たされているのかな? どんな欲求が満たされていないのかな?」とアンテナを張って欲しいんです。それが自分を知ると言うことに繋がるのですから。そして、それを続けて行くと、自分はどんなものを手に入れた時に満足するのか、段々と分かって来ます。この自分を満足させるものというのは、頭の中の一角にあたかもイメージ写真のように保存されています。そして脳は常に現実とこのイメージ写真を比較しながら快/不快の感情を生成して私たちに欲求充足を知らせてくれています。次回からはこの頭の中のイメージ写真である「上質世界」についてお話したいと思います。では、おやすみなさい!
February 15, 2006
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こんばんわ。慌ただしさにかまけている間に1111アクセスを突破していました。ゾロ目を突破する瞬間を見たかったんですが、残念でした。で、誰が来たんだろう、と思ってログを見ると...1111 2006-01-30 15:27:47 ***.googlebot.comでした。げ、見つかっちゃった(笑)。これで下手に過去の日記を編集/削除出来なくなってしまったけど、これからは誰かが「選択理論」でググるとこの日記がヒットするんだなあと思うととてもいい感じです。これからも書いて行きますのでよろしくお願いします。あと1回、楽しみの欲求について書いて、上質世界の話に行きたいと思っています。それでは、おやすみなさい!
January 31, 2006
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