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「?!」
唐突に『ランティエ』が大笑いを始めてぎょっとした。反対に、高野が苦り切った顔で黙り込む。ただ一人、お由宇が肩越しに視線を投げ、歌うように言った。
「それで?」
「それでって……後はそうたいしたことじゃないんだ」
笑い続ける『ランティエ』を横目に付け加える。
「たださ」
「ただ?」
「『ランティエ』の方はわかったけどさ、どうしてお由宇が関わってるのかなと思ってさ」
「駄目ですねえ、由宇子さん」
『ランティエ』は喉の奥でくつくつ笑いながら俺を見た。細くなった瞳の底に、ぞっとするほど冷たい光があった。
「なかなかどうして、大した『大物』じゃないですか」
「『ランティエ』」
お由宇がにっこり艶やかに微笑した。
「志郎と付き合ってみれば、もっと驚くわよ。彼、マイクロフィルムのマの字も知らないで、今のセリフを言ったんだから」
「え」
どきりとしたように『ランティエ』はバックミラーの中から俺を見つめた。で、肝心の俺はといえば、頭の中は見事にパニック、交通整理のお巡りさんが一個連隊で欲しい。
「頼むから、お由宇」
言い飽きたことばを口にする。
「謎掛けは、もうちょっとヒマな時にしてくれ」
「わかったわ。構いませんね、高野さん」
「…仕方ありません」
高野がむっつりと答える。
「仕方ないって……なんだ? まだ何か俺に隠してたのか?!」
「今までの話で納得しててくれれば、こっちの手間が省けたんだけどね」
お由宇は軽くウィンクして前に向き直った。
「話は10年前に戻るけど、アルベーロの事に気付いたなら、どうして大悟のことに気づかなかったの、志郎?」
「大悟?」
あの、周一郎の義理の父親がどーしたんだ。
「考えてもごらんなさい、10年前、政局の不安定なスペインに、いくらパブロ・レオニの名を借りたとは言え、どうして朝倉大悟が食い込めたのかしらね。どうして、ETAは手出しをしなかったのかしら。首相をダイナマイトで吹っ飛ばすなんて、派手なことをしているのに? そして、パブロはどうして、そこまで『青の光景』に拘ったのかしら。仮にも裏の世界で『青(アスール)』と異名を取るほどの男、大悟1人に手こずるなんて? 付け加えれば、パブロ・レオニはバスク人よ。アンダルシアの、それもスペイン人には歓迎されないジプシーの娘、ローラを手に入れるのに、どうしてそこまでこだわったのかしらね」
「……」
「どうしたの?」
「悪いが、予備の脳を使い果たした。3分待ってくれ、湯をかけて作る」
「別に作らなくても、事は簡単よ。大悟は切り札を持っていたの」
「切り札?」
俺は眉をしかめた。
「スペードのエースとJ(ジャック)か?」
「武器密売人のリストを写したマイクロフィルム」
お由宇の声は淡々と続いた。
「ほんの手違いだったのよ。ある情報屋が『青の光景』に隠したリストは、RETA(ロッホ・エタ)の作戦では『青(アスール)』のコードネームを持つパブロに渡り処分されるはずだったの。なのに、どうしたことか汀佳孝の手に渡ってしまい、おまけにそれをRETA(ロッホ・エタ)が取り戻す前に、朝倉大悟に押さえられてしまった。大悟は朝倉財閥の情報網を動かして、その辺の事情は知っていたんでしょう。それを盾にRETA(ロッホ・エタ)とパブロを抑えたの。パブロの方はと言えば、汀が『青の光景』をローラに託したと思い込んで彼女を娶れば持っていない、それどころか、競争相手の朝倉大悟に押さえられてしまっている。けれど、大悟はその絵を渡そうと申し出た。諸手を挙げて賛成し、絵を取り戻すのと引き換えに南欧の貿易網を開放したパブロは、マイクロフィルム入りの絵さえ手に入れば、いつだって大悟を葬れると思っていた。ところが、渡された絵にマイクロフィルムはなかった。詰め寄っても知らぬ存ぜぬで押し通され、南欧貿易網の要は取って代わられ、もうRETA(ロッホ・エタ)を動かすしかないと決心したパブロだったけれど、先手を打った周一郎の罠が待っていた………そして、あの、惨劇」
お由宇は肩越しに薄く笑った。
「私が来たのは、リストを手に入れるようにICPOから頼まれた為よ。最近どうやらまた動きが激しくなって来たようだから………10年間は長いけど、特殊なルートでもあるから、それほどメンバーが変わってないはず。朝倉大悟が手に入れたところまでは突き止めていたから、あとは周一郎君と交渉するだけだと思って、あの学園祭の日に会う予定だったんだけど」
お由宇のことばが蘇る。何が学園祭に誘ったら?だ。何が喜ぶわよ、だ。なんのこたない、俺をダシにしてただけじゃないか。
「日本にアルベーロが来てるって情報が入ったでしょ。おまけに、周一郎君を追っているみたいだって言うし。そっちに先に連絡を取ってたら、一足違いでスペインに飛ばれちゃったし……一応、警告はしておいたんだけど」
「私が……不注意だったのです」
高野が絞り出すように吐いた。
「佐野様から御連絡があったと言うのに……坊っちゃまをお一人にすべきではなかったのです」
「お前が悪いんじゃないさ、高野」
俺は落ち込んだ高野を慰めた。そーとも、大体何もかも一人で背負い込んじまうあいつが一番悪い! そりゃ、俺が知ってたところで、せいぜい睡眠薬か枕の『代わり』で、助けらしい助けにはならなかったと思うが……。
(けど、待てよ?)
アルベーロは、俺達が日本に居る時に、既に『誰か』からの依頼を受けて、周一郎を追ってたわけだ。『誰か』ってのは、誰なんだ?
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