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どういうこと。
どういうことなんだ、それは。
「着きまし…」
「ありがとうございますっ!」
タクシーの運転手への礼ももどかしく、美並は急いでドアから飛び出し、まっすぐ真崎のマンションへ駆け込んでいく。
「ああ、くそ、鍵っ」
『きたがわ』でうろたえて立ち上がった美並に気付いたように振り返った大輔の、奇妙に余裕のある笑みが蘇って、今になってもっと早く合鍵を手に入れておけばよかったと歯噛みする一方で、ひょっとして真崎は事情を見抜けなかった美並に失望しつつあったのかもしれない、そうも思って気持ちが竦む、その耳に。
『行けよ、姉ちゃん』
顔色をなくした美並の異変を感じ取ったのだろう、明が促した。
『あいつの所に行ってやれよ』
待ってなんかいないかもしれない、迷惑かもしれない、また追い詰めるだけなのかもしれない、それでも。
エントランスのガラス扉は閉まっている。入り口で802の部屋番号を押して呼び出そうとしたが反応がない。携帯もまた繋がらない。
戻っていないのか、それとも。
誰か通らないかと周囲を見回したが、20時少し回った時間というのは勤め先から戻ってくるにしても、出かけようとする時間にも半端なのだろう、通りがかる人影はない。
ガラス扉の前をうろうろする美並に不審を募らせたのか、顔を上げて凝視している管理人と目があって、美並は決心した。
どんどん、とガラス扉を叩く。
ぎょっとした顔になった相手が腰を浮かせる。
「すみません、開けて下さい!」
どんどん、とまた激しく扉を叩いた美並に、一瞬ためらった相手は、女一人だと見て取って意を決したように管理人室から出て来た。緊張した面持ちでこちらへ向かってくるのを確かめると、美並も叩くのをやめて大人しく待つ。
「あのねえ、あんた…」
隔週ぐらいに通ってきている美並の顔を見知っているはずだが、相子のこともある、真崎が女性問題を抱えているらしいと思っているのだろう、うっとうしそうな顔で言い出した相手に、
「警察」
「…は?」
「警察、呼んで下さい」
「……」
管理人は凍りついて美並の顔をまじまじと見つめ、続いて美並の背後を眺めた。マンションの中に用事があるのではなく、誰かに追われたのか、何か事故でも起こったのか、そういう顔で、もう一度美並を見る。
「…あのね、少し行った先にコンビニがあって、そこに電話があるから。第一あんた、携帯持ってるだろう?」
できれば関わり合いになりたくない、そう決めたらしい。事なかれ主義、都会の無関心、助けを求めている女性を突き放すとは、と怒れもするが、逆にそれを使うことはできる。つまりは大ごとにしたくない、自分が負い目をかぶりたくないということ、ならばそこに付け込ませてもらう。
「802の真崎さん」
「は…?」
外に問題があるのだろう、そう予想していた相手がまた呆気に取られた顔になるところへ畳みかける。
「自殺するかもしれないんです!」
「えっ…」
今度は明らかにうろたえた顔になった。
全く見知らぬ相手でもない、どうやら付き合いのある女性らしいとは知っている、その女性が血相を変えて訴えてくるからには満更根拠のないことでもないのだろう、しかも第一声が警察を呼べ、なのだ、何か確信があるに違いない。
だが、そういうことになっては困る、自殺者が出ても、警察騒ぎになっても、マンションの安全性を管理している立場には大きな傷になってしまう。
計算が動いたのか、管理人は慌てて身を引いた。
「入って」
「え?」
「あんたが確かめて、ほら万が一間違ってたら」
勘違いだったり、思い違いだったり。
急いで付け加える相手の頭には、できればそうであってほしいという願いと、万が一自殺していたりした場合に第一発見者などにはなりたくない、そういう不安が交錯したはず、そこへあえて畳みかける。
「ついてきてもらえます?」
「いや、でも、それはあんた」
携帯持ってるなら、管理人室の番号を教えるから連絡してくれればいいから、そう言いかけたが、万が一、のときに側で確認しなかったというのもまずいと思ったのだろう、舌打ちしながら管理人室の鍵をかけて先に立ってくれた。
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