戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年03月19日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
天暦5年(951)、良源39歳。覚恵から阿闍梨を譲られる。

前回の藤原忠平との出会いとされる法会では、
幼い観音丸に出家を勧めた梵釈寺の覚恵さんに従って行ったことになってますが、
紹介するのに梵釈寺とした方がわかりいいと思ったので梵釈寺の覚恵と書いたものの、
その頃の覚恵さんは梵釈寺から山科の元慶寺に移ってます。

現地では知らなかったので山科はあまり見てませんが、
山科という地は由緒のある寺が多かったらしい。
元慶寺は藤原氏の創建した寺で、百人一首の

天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ


遍昭さんは円仁や円珍に師事したとも言われる桓武の孫で、
元慶寺は天台宗の寺だったらしい。

余談ですが、 「叡山攻め(97)」 で紹介した奇人変人の花山院は
この寺で落飾してます。
まあそれはこれよりもう少し後の話ですが。

覚恵さんはこの時御年80を超えていたそうで、ウィキペディアによる阿闍梨の解説は

 【現在の真言宗や天台宗では、阿闍梨は普通に密教を学んだ僧侶一般を指し、
  特別な高僧の称号ではない。】

とあるもののこれは現代の話で、かつては


  容易に取得できるものではなかった。】
  (『人物叢書 良源』より)

だそうな。して、

 【世人はその昇進の余りに早いことに驚嘆した。】
  (『人物叢書 良源』より)


良源さんは台密(天台宗)だけでなく東密(真言宗)も学んでいるそうな。
真言宗の側では、良源さんが師事した石山寺座主・淳祐は
他宗の良源さんには上っ面しか教えなかったとしているらしいが、

 【淳祐ほどの高僧がそんなケチなことをしたとは考えられず、これは後代のさかしら
  から出た取り繕いであろう。若くして破格の昇進をはたす良源は、こうした他宗の
  名匠にまで師事勉学した実績をも考えるべきである。】
  (前掲書より)

当時は目に見えない世界が現世に与える影響というのを真剣に、
かつ深刻に受け止めており、良源さんは時代のニーズに合ったスキルを
着々と身に付けていったらしい。

天暦7年(953)、藤原師輔の孫に東宮の座を奪われた藤原元方が悶死。


ここで一旦前回からの流れを振り返ると、途中途中のあまり詳しいことはわからないものの、
ノンキャリア組から転向したとは思えない順調な出世ぶり。
特に藤原忠平との出会いから忠平の死までは10年ほどの期間があるのに
その間の両者の接点というのはあまり記録に残っていないらしく、
なぜ忠平の次男・師輔と親密な関係を築くに至ったのかということについては
色々と推測がなされている。

谷崎潤一郎は『乳野物語』で、天台宗寺院から材料を提供されたにも関わらず
良源さんに対してはあまり好意的な見方をしていないようで、
たとえば良源さんにまつわる様々な不思議エピソードについては

 【(前略)大師がいかに偉かつたかと云ふことを説くために、余りにも愚かしい事や
  荒唐無稽な事を挙げて例証としてゐる傾きがあるので、われわれはたゞ馬鹿々々しい
  気がするばかりである。】

といい、さらには

 【大師の佛教史上に遺した功績などゝ云ふものも、私のやうな門外漢の眼から見ると、
  要するに平安朝の貴族佛教の最盛時に生れ、俗世間の権門と結託して比叡山の物質的
  繁栄と豪華とを持ち来たしたと云ふこと以外に、これと云ふ仕事を成し遂げたやう
  にも思はれない。】

と歯に衣着せぬ失礼な物言い。
材料を提供した光圓師がこれを読んでどう思っただろうとハラハラするものの、
それでもなぜ良源さんが偉大と言われるかについては

 【それは大師の学徳が高く、法器がすぐれてゐたからでもあらうけれども、一つには
  大師の人柄に、時の皇室や貴族の気に入り、彼等の趣味に合致するやうなところが
  あつたのではなからうか。】

と考えてもいる。

良源さんと忠平が具体的にどういう付き合いをしていたのかはわからないけど、
一般的な説として、忠平が次男の師輔に良源さんに師事するよう遺言したという。
仮に遺言はなくて、師輔の個人的嗜好から各種修法を学んだ良源さんに
師事したんだとしても、忠平の死以前に藤原氏との関係をうかがわせるイベントがある。

それが前回天慶8年(945)の母の還暦祝い。
法会の会場となった祟福寺はそもそも由緒のある寺で、
そういう場所で大乗経6部を書写、3日間の供養を行って
最終日には他宗からも僧侶を招いて6組の論議を行っている。

 【孝養のためとはいえ、まだ僧綱(僧侶としての高等官待遇に達する)入りも果たして
  いない三十代の中年職業人としては、かなりのもの要りであったはずである。それを
  可能にしたということは、それ相応の後援者がいたからに他ならない。】
  (『女人成仏への開眼』より)

「それ相応の後援者」が誰かはわからない。
が、前後の流れと当時の良源さんの立場を考えると、
忠平家が有力候補とはいえるだろう。

まだ対外的にさほど目立った活躍もしていない時期に
良源さんをバックアップしたのなら、密教的要素というよりも
天台僧としての資質や彼個人の人柄に忠平は惹かれたのかもしれない。


さて、関係者の簡単な系図はこちら↓。


師輔周辺


長幼の順は相変わらず無視しております。
いやあ~、師輔さんがあれこれ内親王に手を出すもんだから、
どうやったら見やすい系図ができるのかとあれこれ考えて
ゆんべはずっとこれ作ってました~。

師輔の兄・実頼は弟より長生きして、地位も弟より上にありました。
が、師輔の家系の方が繁栄してメジャーになったのは、
外戚の立場をゲットしたからに他ならない。

実頼も娘を村上天皇の女御として入内させていたものの、
実頼の娘は子を産まないまま死去。
実頼の孫が小野宮右大臣実資(さねすけ)で、『小右記』の著者ね。

師輔さんは面白い人で、系図を見てわかるように醍醐天皇の娘を3人も娶っている。
この内親王たちが妻であった期間はカブることはなく、
娶っては先立たれ、娶っては死に別れ・・・で「皇女殺し」の異名を取ったという。

まあそれはともかく、天暦8年(954)10月16日、
師輔は午前0時頃に京を発ち、逢坂の関を越えて近江坂本から
少人数で本坂を上って延暦寺東塔へ入った。

娘婿にあたる高明(たかあきら)・・・この方は臣籍降下して源氏の姓を与えられた方で、
山城側から叡山に登り、師輔と合流して、東塔の講堂で経供養を行ったあと横川へと向かった。
横川入りした一行で公卿なのは、師輔と師輔の長男・伊尹(これただ)、
そして源高明だけ。

横川ではこれに先立って、師輔の援助によって法華三昧堂の建立が進められており、
堂そのものはまだ未完成だったものの、火入れ式に立ち会うためのお出ましだった。

叡山2日目は今回のメーンエベント、長明燈(ちょうみょうとう)の点火式。
まずは法華三昧が行われ、つぎに火打式となった。
火打石を手に取った師輔は、

この三昧の力によって、まさに我が一家の栄えを伝え、国王・国母・太子・皇子・
 三公・九卿の栄華の盛りが踵を接するように絶えることなく、朝家に充満するように。
 もしこの願いが叶うのであれば、この石を三度打つうちに点火するように。

と子孫繁栄を願って石を打つと、見事一発で点火した。
これを見ていた一同は驚き喜び、この火は以後横川の法華三昧堂の不滅の灯明とされた。

翌3日目は横川観光。
4日目は良源さんの企画により阿弥陀経の講説が行われ、10組の問答が行われた。
もちろんギャラリーには師輔がいる。
5日目に下山。
この時には師輔から良源さんへ、錦袈裟などが布施された。


師輔にはこの火入れ式のような伝承が多く、まだ娘の安子が懐妊中のころ、
宮中ですごろくをしていて

「腹の子が男なら、重六出ろ」

と言ってサイコロを振ったら6の目が2つ並んで出たとか、
内裏から帰宅する途中で百鬼夜行に遭遇したとかいう話がある。

谷崎潤一郎のような明治以降の精神世界を軽く見る「文化人」は

 【これらの挿話がしめす師輔の性格は、小心で迷信ぶかくて、ちょっぴり見栄坊で、
  信心のふかさや霊的感応力のたかさへの願望が、ある種の自己陶酔癖によって、
  現実とこんがらがってしまう。さきの百鬼夜行群との遭遇譚などは、もしかれが
  近代的政治家としての合理的計算にもとづくお芝居をやったのでなかったとすれば、
  それは完全な自己催眠劇である。】
  (『女人成仏への開眼』より)

と師輔のエピソードを小馬鹿にする。
きっと谷崎も似たようなことを言っただろう。

ま、これが史実かは検証のしようがないし、わたくしも別に頭っから
信じてる訳でもないですが、だからといって「ウソだろ?」と言うつもりもありません。

これらのエピソードのすべてが後世の創作という訳じゃないのなら、
当時の人は霊的なものを重く受け止めていたんだから、
彼らにとってはそれが「真実」だった・・・
それだけでいいんじゃないですか?

もし当時そういう思想がなかったなら、密教があれだけもてはやされる事もなかっただろうし、
密教が日本仏教のすべてではないにせよ、仏教が日本に広く深く浸透することは
なかったかもしれない。

科学的に歴史を検証しようとすると、後藤氏の説のように
「自己陶酔」「自己催眠劇」なんてズバッと切っちゃう言い方になってしまうようですが、
これはとても悲しいことだと思うし、どうして「完全な」なんて言い切れるのか、
師輔の不思議なエピソード以上にとても不思議なことだと感じます。


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最終更新日  2015年03月21日 21時25分49秒


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