長崎街道 宿場の人々

長崎街道 宿場の人々

2021.04.03
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湧き立ち寄りそぞろ歩いた。神社に老齢の男性がおり、祭りの旗竿の長い柱を眺めていた。
「この柱を10年に一度山から切り出してくる。来年には新しい木を探し、ここに立てる
つもりだ。長年、この仕事に携わっている」と話していた。もう3年前のことだった。
 今回、香春宿を歩き、最後に辿り着いた場所に見覚えがあった。この神社との奇遇の出会
いだった。香春町役場に車を止め、金辺川の高架歩道橋を渡ると街道らしき道に出くわした。
まっすぐ行っても家並みがあるが右の方にも道があり、迷ったが右を選んだ。両側の家並は、
宿場の雰囲気を感じた。
 白壁土蔵もある中、男性2人がお宅を訪問していた。近づく選挙のあいさつ回りだろう。

城となった鬼ケ城もあった」と説明した。よくご存じですねというと「地元に住んでいます
から」というが、状況を詳しくすらすらと語るのは仕事柄なのか説得力があった。
 道は鍵の手のようにぶつかっては左右に分かれている。戦闘時に、迷わせる道づくりであ
る。香春陣屋は、慶応2年に小笠原忠忱によって築かれた。 小倉藩は、慶応2年の第二次
長州征伐で将軍徳川家茂の死去により小倉城に集結していた幕府軍は解散したため、小倉城
を自焼して香春御茶屋へと藩庁を移し、翌年には企救郡を長州藩に譲り和議を結んだという。 
小倉藩の田川郡支配の拠点で、藩主の領内巡視の宿泊地となっていた。町役場も残っており、
宿場の掲示板などは整備されていた。近くに採銅所という地名があり、鉱山で獲れた銅は東
大寺の大仏や宇佐八幡宮の神鏡にも使われたという由緒のある場所であった。





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Last updated  2021.04.03 15:33:17
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