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Mr. Hot Cakeさんのブログのコメント欄
でいただいたご意見について、私自身、以下の点は重要な問題提起であると感じてきました。
>現状の体制のままで貧困をなくすための所得の手厚い再分配をはかろうとするなら、たしかに『厚い既得権を持つ有力な労組・労働団体が「社会性を取り戻していく」方向で再生』という意識改革が実践課題になりますが、(・・・) “何がこういう意識にさせてしまったのか? 制度だろう
(・・・)。
> 何故日本では各自が自己の特権維持、既得権維持を主張してばかりいるのかといえば、
精神論に帰せられるのではなく、 企業別労組を典型とするいろんな組織が細分化されすぎているからだ
と思うのです。
そして、この提起が 拙ブログに寄せられた以下の詳細なコメント(6番目)
に直結しているわけですが、その結論は
>産別組合ならどこの企業でも労賃が基本的同一ですから、下請け労働者の労働を大企業が間接的に安く買いたたくわけにはいかない。それなりの発注費を出さざるを得ないですよね。労働組合の細分化、未組織化はこんな処にも賃金差別を可能にしてしまう温床であると思うのです。
> 企業別という小さなレベルよりも産別という大きな組織にしたほうが、企業活動とその変転・育成に企業と労働者全体との共調・共存が図れる
(・・・)
ということになります。
確かに、「 上記のような制度改革が実現すれば現在の問題の多くは解決に向かっていくのではないか
」、ということについては大変わかりやすくご説明いただいたので、私の認識不足だった部分も含めてよく理解できました。
しかしながら、他方で「 北欧諸国と日本の大きな落差
」を強く感じたことも事実です。
竹内芳郎は「大学闘争をどうとらえるか-全共闘の問題提起に応う-」(『課題としての文化革命』に収録)の中で 「理想(全体)というのは原理的にイマジネールなもの(想像的なもの)であり
、向かうべき方向を指し示すものとして重要であるが、 現実の実践は部分的改善の積みあげにならざるを得ない
、と述べています。
Mr. Hot Cakeさんの提案が「理想(全体)」だとすれば、私が前記事で述べたことは「部分的改善の提案」ということになるのだろうか、と思ったりもしています。
「過ちを正すのに、遅すぎるということはない。 私たちは、この社会に生きている。この社会を変えていく以外に、“すべり台社会”から脱出する方途はない
」、というのが『反貧困』の締めくくりでした。
まさにこの“すべり台社会”の中、「 非正規労働者の組合員が増加したことで労組の組織率が34年ぶりに上昇した
」 背景には、
まともに生存していけない状況が広がっており、「生きるために反撃するしかない」現実
があるのでしょう
。
そして「 そのような現実や解決への展望に関する問題提起
」(例えば NHKスペシャル「ワーキングプア」や湯浅誠の『反貧困』
)を受け止め応答していくこと、 そしてそのような問題提起を受け止めた討論を 「なぜこのような制度(例えば企業別組合)しか生み出せなかったのか」
というところまで深めていくことが大切だ
と現時点で私は考えています。
「意識と制度」の問題は、鶏と卵の話に似ていますね。つまり、Mr. Hot Cakeさんの言われるように、 組織が細分化されすぎている(例えば企業別組合)結果、「自己の特権維持、既得権維持」ばかりに意識が向かう
、ということは確かに言えることでしょう。
ただ、それと同時に、 「日本的な精神風土(文化)」のなかで、そのような細分化されすぎている組織が生み出されてきた
、(それ以外のものを生み出せなかった)ということも成り立つように思われるのです。
その精神風土というのは、私たち日本人が持っている 「悪い意味での集団主義的な傾向」、「集団同調主義的で無責任な傾向」
です。
嵐で船が難破して救命ボートが足りない、誰かが海に跳び込まなければならない時、米国人なら「跳び込む人こそが英雄だ」と言われれば跳び込み、英国人なら「跳び込む人こそが紳士だ」と言われれば跳び込むが、 日本人なら「みんな跳び込んでいますよ」と言われれば跳び込む
。これは、私が笑えなかった笑い話です。
組織の大小に関わらず、例えば「大政翼賛会」、「大日本産業報国会」になだれをうって参加していった日本人の心性と、「企業丸抱えの労働組合で集団的エゴイズムをなかなか超えられない」日本人の心性は通底しているのではないでしょうか。
(さらには「郵政民営化選挙」等、選挙のたびに現れているかに見える同調主義的な傾向、「イラク戦争」に加担した指導者が大部分の国で事後に強い批判を受けて権力の座を追われたにもかかわらず、日本ではまともな責任追及も行われず選挙結果にも全く反映されないことなど、すべてがつながっているように思えます。)
『国家と文明』の執筆後、 竹内芳郎はそのような「精神風土」をも含めて『文化の理論のために』、『意味への乾き』等
(人権思想ともからめながら、ぜひその内容にも触れてみたいと思っています) で解明していくのですが
、実践的方向性については次のように結論づけています。
「このような精神風土に抗して “討論文化”〔 個々の集団・共同体の利害を超えた原理、(例えば人権思想)
などをもとにしっかりと意見交換し、理非を争いながら妥当性を目指していく文化〕
を打ち立てていくことを抜きにしては、この日本的現実を変えていくことはできない
」と。
竹内芳郎が主催する 「討論塾」
も含め、たとえ時間がかかろうとも「教育実践」が重要であることは論を待たないでしょう。 湯浅誠の『どんとこい貧困!』
なども、そのような実践の一つであろうと考えています。 続く
教育問題に関する特集も含めて
HPしょうのページ
に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
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