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書評:大江健三郎『「新しい人」の方へ』



 2003年12月1日付のフランスの新聞『リベラシオン』に大江さんのイラク派兵反対を訴えるインタビューが掲載された(http://www.liberation.fr/)。その記事をひょんなことから読む機会に恵まれたのだが、その直後にこの本の書評の依頼の話しがあった。なにかしらのご縁を感じた。そして大江さんから、どこへリンクしていくのかと思ったら、大学時代に1度だけ読んだ、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にリンクしていったのであった。
 本書は週刊朝日に連載された記事を15章収録したもの。その第3章に「子どものためのカラマーゾフ」がある。大江さんの指示に従って再読してみて、新たに得るところがあった。かつて読んで気に入ったところには本にdog earsがしてあった。今回感銘を受けたところは、大江さんが「本に赤鉛筆で線を引くこと」を奨励していることもあって、アンダーラインを引いたり、書き込みをしてみた。
 『カラマーゾフ』に教育に関しての言及がこんなにあったというのは新しい発見だった。「いったい楽しい日の思い出ほど、殊に子ども時分親の膝もとで暮らした日の思い出ほど、その後の一生涯にとって尊く力強い、健全有益なものはありません。諸君は教育ということについていろいろ喧[やかま]しい話を聞くでしょう。けれど子どもの時から保存されている、こうした美しく神聖な思い出こそ、何よりも一等よい教育なのであります。過去においてそういう追憶をたくさん集めた者は、一生すくわれるのです」(米川正夫訳、岩波文庫 第4巻403ページ)のようなフレーズが心にしみる。
 大江さんは『カラマーゾフ』から中編を切り出すのは容易だという。そしてその部分には全体に通じるメッセージが含まれているという。
 30代の私は、幸いなことに50代の先輩方と親しくお話しさせていただく機会があるのだが、学生時代に読んでいた本のことを伺うたびに自分の読書の「希薄さ」を悲しく思う。なんとなく薄いのだ。そんな私でもかろうじてドストエフスキーは数冊読んでいる。しかし今の中高校生や大学生はどうなのだろう? 古典と言える作品には逆境にあっても心に明かりを灯すメッセージがある。
 現代の情報洪水の中で、はるかかなたに押し流されてしまった古典を次の世代に橋渡しするには、大江さんが示してくれたように、長編をそのまま出すのではなく「中編に切り分けて出すこと」が必要だ。そのなかには全体のメッセージが入るかどうかは、切る人である我々の腕次第である。まずは大江さんの「切り取り方」を『カラマーゾフの兄弟』を片手に、この本で追体験していただけたらと思う。


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