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*** 徒然なるさらし日記 (13) *** 母の厳しさ ひしひしと 感じれど その身を焦がして 助けてくれた事も たくさん ありました 私に 不思議な予感が あった訳では ありませんが 実家の近くに住みたい という気持ち 考えても考えても 振り切る事できず 片道 電車で1時間くらいの所から 実家の近くに 引っ越して来た その数ヵ月後 わたくし 体 壊しましてん 突然の腹痛に 歩く事もできず 病院に行ったら すぐに入院 その数日後には 手術でした 結局 半年間 入院生活 余儀なくされ その間 母は ぐち1つ こぼさず 毎日 子ども達のめんどうを見 朝 夕 2回 自転車20分こいで 息子の保育所通い 勤めてくれました たまの日曜日に 子ども達連れて 実家 行っただけで 夕方には 「あぁ、しんど」「はよ帰って~」 と言って追い払うな母でしたが 長い長い 半年間 しんどい とも もう嫌や とも 何ひとつ 言われませんでした 今 感謝の気持ちで いっぱいです
2010/03/24
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*** 徒然なるさらし日記 (12) *** 離婚が決まった時 私の中には まだ 甘い考え 残っていました これからの 幼子達との生活は 私の母が 助けてくれるかも・・ 一緒に暮らして 何かと 力になってくれるかも・・・ ところが 私の母から 先に こう 言われましてん 「うちには来んというてぇや」 シャッター を がらがらがらと 下ろされました 母は 娘が結婚して家を出て行ったら どんな事があろうが 自分でやっていくのが鉄則 実家の辞書に「ただいま」などという文字はない そんな考えの人だったので 辞書には「実家へ帰る」 ではなく 「実家へ行く」 というのが 正しい表現でした 今 病気の私に 母は泣きながら こう言います 「 私にできる事は何でもしたい 」 「 何でも力になりたい 」 一番苦しかった時 精神的に ほんまに苦しかった時 何もせんで ええから ただ 一緒に暮らして つらい気持ちを埋めてくれる そんな 暮らしができてたら どんなに 気持ちが楽やったやろうか 実家で一緒に暮らしたい気持ち ずっと持っていたけれど 「お母さんさえ ええ言うてくれたら」 「 ここで一緒に暮らせるんやけどなぁ 」 父が ため息混じりに 言うのを聞いては ( 自分で進むしかない ) という 諦めの気持ち強まり それでも 実家の近くに住みたいと 小さな貸家 見つけ 親子3人 そこで 暮らし始めました 自転車で5分と離れていないその場所に 親に相談なく引っ越してきた私に 母は 何も言いませんでした
2010/03/22
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*** 徒然なるさらし日記 (11) *** 調停が終わるまでの 半年間は 本当にしんどかったです これからどうなるかわからない不安をかかえ とりあえず 家賃が半分の 近所の小さなアパートに 引越し 夕方の教室だけではやっていけないので 3歳の息子を 娘と同じ保育所へ預け 午前中 午後と パートに出ました 更に 精神面では 想像以上に きつい日々が続きました 何も知らずに すやすやと眠る 子ども達の寝顔を見ながら この子等の将来を 1人でかかえていく不安 あちら側は 2人で一緒に暮らしている という悔しい気持ちとあいまって 夜になると 真っ黒な不安の雲が襲いかかり 息ができなくなっては 何度も 窓から飛び降りそうに なりました 調停が終わり 離婚成立後 苦しみは 少し消えました 苦しんでいられなかった というのが本当のところでした 無我夢中やった だから しんどいとか考える事もなかったんやと思います 離婚した人なら 同じ気持ちの人 おられると思いますが 離婚は 1年くらい経った頃が一番しんどくなります がむしゃらに前に進み 1年くらいして ふと我に返った時が 一番 しんどい 肉体的にしんどいのは 頑張れる でも 精神的にしんどいのは 頑張れませんでした
2010/03/20
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*** 徒然なるさらし日記 (10) *** 離婚には 協議離婚と 調停離婚があり 協議離婚は 市役所に離婚届を出すもので 調停離婚は 家庭裁判所にて調停してもらうものらしい 籍を入れたまま別の女性と暮らし始めた夫は 離婚の話をしてくるでもなく 中途半端な日々を 送っておった 子供が成人するまでの養育費を約束するため 私の方から調停離婚を決めましたが 自分で申し立てることは 大変なので 弁護士さんに頼むことにしました 弁護士さんは 弁護士協会という所で 紹介してもらえます まず 会って 事情などを話し 引き受けてもらえるかどうか 相談します 最初の弁護士さんに 相手が外国人というだけで 断られました 言葉が通じないのはめんどうだという理由でした 30分程 話をしただけで お金を 取られました 弁護士さん って乗らない話は 断わらはるねんな 初めての体験で びっくりすると同時に 2人目の弁護士さんを紹介してもらう事に お尻 引いてしました たまたま 知り合いに 弁護士事務所で働いていた人がいたのを思い出し そのツテで 紹介してもらった 女性の弁護士さん 事務所に持って行った イタリアからの 山の手紙に 日本語に訳した紙を添付した一式 を読んで 「 こりゃ ひどい女性だわ 」 と すぐに引き受けてくださいました 調停は 月に一度 行われました 最初は 夫婦 別席で話を聞いてもらっていましたが 夫が不利にならないようにウソをつくのと 言葉の問題もあり 2回目からは 同室で 私が通訳しながら 話をしました 最初は 笑われましてん。 世界中 飛び回っていたスチュワーデスさんが 夫の浮気くらい 大目に見ること できないの? 言うて もっと心を広く持ちなさい と お説教されましてん。 1回目と2回目は そんな風に意味もなく過ぎてしまい 回数を重ねるごとに 私の気持ち わかってもらえるようになり 半年の つらい調停の後 ついに 離婚成立と なりました。 最後の調停の日 私と夫、 私の弁護士さん、 そして夫の通訳として呼ばれた相手の女性 が並んで座った 調停員さんから 離婚の決定を告げられた時 「 うわっ!! 」 私は大声をあげて その場で泣き伏してしまいました 家族以外の人の前で 大声で泣いたのは 後にも先にも この時限りです 私の泣き声につられたのか 続いて夫も 大きな声で 泣き出しました そばで見ていた弁護士さんは この時 ( これで本当によかったのだろうか ) と思ったそうでしたが 反対側に座っていた 相手の女性の心理は 知る由もありませんでした
2010/03/17
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*** 徒然なるさらし日記 (9) *** この さらし日記は 自分の身に起こった出来事を ただ単にさらしているのではなく ”書く”という事によって 自分の中にある もやもやしたものを はっきりさせたかった のであります 今 お腹にある痛み 一体どこからきてるんやろ それ 知りたくて 書いている のであります なので これ 読んで 何か わかった方 いらしたら 是非教えて欲しい と思うので あります ★ 人の中のもやもやしたものは 母と子の関係 に 関与するらしい どんな苦しみも つきつめると最後には 母と子のつながり方に たどり着くらしい ★ わたし 人が自分の領域に入って来る事 ずっと苦手でした 中学生の時 仲良しだったFさんに ある日 「親友になって」と言われて 「いや」と即答したら 翌日からFさんは Eさんと行動しはった それ見て Eさんの事 滅茶苦茶 羨ましくなった 羨ましかったけど 自分にはできないと思った 特定の人と べたべた 一緒におるんは苦手 べたべたされるんは ほんまに 苦手 イタリア人 ほんまにべたべた しはる なんでイタリア人と結婚したんやろ 私の両親は お見合いで結婚し あんまり相手の事 知らんと結婚したらしい 小さい時から 母が 「あんな人やとは 思わんかったわ」 「あんな人やとわかっとったら 結婚せなんだわ」 「あんたらがおるから 離婚せんと我慢してんねんで」 言うては 父の悪口を言うのを聞いていた 子ども達の前で 父を悪く言う母 父は 反撃もせずに プィッとどこぞに消える そんな姿を見て 育ちましてん もうずっとそんな風 だったので そんな両親の姿 見ても 何とも感じてなかった と 小さい頃は思っていたけれど 今頃になって それ 違うような気がする なんか それ 私達子供の人間形成に 関わっていたんちゃうかと・・ わたし ほんまは べたべた されたかったん ちがうやろか・・ ほんで 歳 とればとるほど べたべたされたい気持ち 強くなっていってる・・? この辺 なんか もやもやして おります
2010/03/16
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*** 徒然なるさらし日記 (8) *** 物事には すべて 表があったら 裏があります 片面だけ知って すべてを知った気になるのは いい考えでは ありません 結婚して 長女 生まれ 夫 甲斐甲斐しく 子育てに熱中 お風呂に入れたり ミルク作ったり おむつ替えたり 笑わせたり 子ども 可愛くて しかたない 目の中に突っ込んでも 痛くない様子 「 世界で一番 家族が大切 」 口癖のように 言うてはりました 「 家族が第一 絶対に離れない 」 と 言われるたび わたくし 無意識に 何をしても許されるような気が 起こっていったように 思います 愛情の感じられない 冷たい態度 取っていたに 違いない 夫は 友人たちに 「 冷たい妻 自分を愛さない妻 」 だと 言いふらしていたので 夫側の周りの人々は ひどい妻 だと感じていて 会った事もない人から 電話で 「 ご自分が悪いんやないの 」 と ののしられた事もありました 表側と裏側 あちら側があれば こちら側がある 今 思うことは 罪もない子ども達から 家にいる筈の父親を 奪ってしまったこと 父親が家にいない暮らし させてしまったこと 本当に 申し訳なく 取り返すこともできない時間に ただただ 悪かったと 思うばかりのみ
2010/03/15
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*** 徒然なるさらし日記 (7) *** もう 今から12年も前の話で 自分の都合の悪いことを含め いろんな事 忘れていってしまっていますが 夫が家を出て行ってから 次に 家に顔を出したのは 妻子のいなくなった がらんとした木造2階建ての借家に 妻が梱包して置いていった自分の荷物を 取りに行った時 だったと思います その日 たまたま 家を見に来ていた 裏に住む 大家さんの 話では 友人の外国人男性と2人で レンタカーを使って 荷物 取りに来ていた様子で 2人で大声で笑いながら 楽しげに作業していたらしい 子供達の事をかわいがってくれていた大家さんは その姿を見て あきれ返り 心底 情けない気持ちになったそうな 別居が始まっても 夫からは連絡もなければ お金を入れるわけでもなく いろいろな事 ありいの (中略) で 相手の女性も イタリアから帰国し こんなことも ありいの で ついに わたくし 家庭裁判所にての離婚調停 申し立てることに なりましてん
2010/03/14
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*** 徒然なるさらし日記 (6) *** 「 家族は捨てられない 」 と 言いながら 「 でもアモーレも捨てられない 」 言うては 悲劇のヒーローを満喫するイタリア人 「 こうなったんは おまえのせいだ 」 「 おまえが夫を愛さなかったからだ 」 言うて 私をなじる 毎朝 「 愛してるよ アモーレ・ミーオ 」 言うて ねちねちと 重い体 傾けてきはる 「 僕のこと 愛してる? 」 言うて 毎日 傾けて きはるねん あぁ、国際結婚・・・ 挨拶のように 軽く受け流すには 毎日過ぎる・・ いや、1日に1回なら まだ受け流せる・・ 右から左へ 受け流す回数 多すぎる 「 Mi ami? 僕の事 愛してる? 」 言われて 「 Si. Mi amo. うん。私の事 愛してる 」 言うては 「 うんこ行け! 」 言うて 怒らせてましてん 「 僕の事 愛してくれてないのが寂しかった 」 「 だから すべてはおまえのせい 」 そういうて 毎日 なじられてましてん それでも こんなん 一時的な病気やと 思い じっと我慢してましてん 相手の事もよう知らんのに 恋に恋してはるだけや 思うて じっと 我慢してましてん そやけんど そのホコサキが 子ども達にまで及ぶようになり 無邪気に寄っていく子ども達に 「 うっとおしい! あっち行け! 」 と叫ぶ夫の姿 見て わたくしの 気持ち もう あかん 子どもの事 うっとおしがる父親 どこまで腐ってしもうたか ついに 反撃の火蓋 切られ 食いかかる私に 夫 ある夏の午後 着の身着のままで 「 こんな生活 耐えられん 」 と 家を 飛び出して行かはりました 夫が 家 飛び出した時 2人の子ども達は 玄関先で 三輪車乗って 無邪気に 遊んでおりました
2010/03/13
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*** 徒然なるさらし日記 (5) *** 妻が 実家に行っている間 恋愛真っ只中の2人(オェッ)は 夢のような 楽しいバカンスを過ごした筈で ありましたが、 「 やっぱり家族は捨てられん 」 と嘆き始めた夫 しだいに よれよれになり 相手の女性も 「 家に帰りぃ 」 言うて 1週間後 2人は それぞれの道に 帰って行ったそうな 心身共に疲れた様子の夫 わたしの目の前で 顔ぐしゃぐしゃにして泣きじゃくり 家族は捨てられん と 号泣したなり (中略) その後 なんやかや ありながらも いつも通りの日々に戻ったかのようでしたが 遠距離恋愛の火は 消えるどころか ますます加熱していたようでございます わたくし 毎日 夫の ねちねちとしたイジメ 受け始め 「 おまえが悪い 」 「 おまえのせいだ 」 毎日 同じ罵声を浴びせられ 更には 私の 目の前で 新たに送られてきたイタリアからの多数の手紙 読み上げられたり、キスマークのついた便箋の 上から 自分の唇 重ねる姿 見せ付けられたり (中略) ここには 書ききれぬ程の ひどい仕打ち 受け始めましてん なんで・・? なんでなん・・? 毎日 数時間ごとにかかってくる夫の携帯への電話 「 おっと。アモーレからの電話だ。 」 夫は悪びれる事なく わたしの前で 堂々たる態度 2人は もはや ロミオとジュリエット気分(オェッ) 私への風向き どんどん厳しく なりにけり 毎日 毎日 濃いまゆげ 吊り上げ 「 お前が悪い! 」 攻撃受けたわたし 心 どんどん おかしくなっていきました
2010/03/12
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*** 徒然なるさらし日記 (4) *** 実家に行った数日後 夫から 蚊の泣くような声で電話あり 夫 謝る 「 きみは仕事があるから 家に帰って来て 」 「 ぼくが友達の家に行く 」 しばらく反省するらしい それから 約1週間 なんの音沙汰もなく ある日の午後 電話 かかる 「 今から 帰る 」 駅まで迎えに行くと まもなく 全身 よれよれになった 刑事コロンボ 力なく 電車から 降りてきて 私の顔 見ると 世界一情けない顔 しはった (中略) 「 やっぱり家族は捨てられない 」 家に帰り 一部始終を話した後 こう言った夫の その口 乾かん先から この一週間 どこでどう過ごしていたのか 知って わたくし あまりのショックに 号泣の限度 超え 呼吸の仕方 わからなくなり その場で 過呼吸 起こしてしまいましてん 浮気を知った妻が 子どもを連れて実家 行ったのを知り 夫 イタリアに留学中の相手に連絡 相手 イタリアからすぐに飛んできて 2人は 京都で夢のような1週間のバカンスを 過ごしてはった これをきっかけに その後 過呼吸を頻繁に起こすようになり 薬が手放せなくなってしまいました
2010/03/11
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*** 徒然なるさらし日記 (3) *** 予想だにしなかった事実 突きつけられ 頭の中 真っ白になり 現実に戻って 整理することも できないまま 夫が起きてくる時間となりにけり 心の臓 鳴り止まぬまま この 山の手紙 カバンに戻すか 戻さぬか・・ 本能のおもむくまま その束 まとめて 押入れに突っ込みましてん まもなく起きてきた夫 がさごそと 何やら 音がして あちらこちらの戸棚が 開く音がして 真っ青になった夫 私の前に現る 「ぼ・・ぼ・・・ぼくの ・・ かばん・・」 「・・・ さわった ・・?? 」 声だけでなく 夫の体も 震えとった 「・・・ し・・ し・・・ 知らん・・ 」 私も 震えとった その後 かなり長い間 家宅捜査しておられましたが とうとう 私が隠した場所には たどり着けはらへんかった 山の手紙 私が見つけて隠した事は 明らかになり 夫 さぁ どうする・・? 言うのか 言わへんのか・・? 数日間 夫からの告白を 待っていましたが その事に触れる様子もなく おどおどするばかりのしがない男・・ 仕事のない週末になりもうしたので 夫が留守の間 2人の子ども連れて 黙って 実家 行きましてん
2010/03/10
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*** 徒然なるさらし日記 (2)*** (中略) そういう訳で 娘 3歳になる手前で 親子3人 海外の住居 引き上げて 日本に上陸 しましたが お互い 仕事のアテもなし あちこちに 履歴書を送りながら とりあえずの気持ちで 始めた 夫の英会話教室 「 ぼく イタリア人 えいご ちがう 」 言うて だだこねる夫を 「 そんなんわからん 誰も気にせん 」 言うて 妻はちらし作り あっという間に 生徒 集まり R訛りのきつい英会話教室 始まりましたが 1ヶ月も経たないうちに 夫 教え方わからん と ぷいっと さじ 投げはった 投げたさじ 拾わな 生徒 来る 地中海気候の夫 もう やる気なし それなら わたくし やるしかない と 私が さじを 拾うことに なりまして (後略) 1年後には 研修など終えた わたし 英会話 夫 イタリア語の職に落ち着き 次なる子どもも 生まれ わたし 掃除洗濯育児仕事 夫 料理仕事 と めまぐるしい毎日を送っておってん おむつの子供2人 おって 仕事してたら 夫のこと だんだん 疎遠になっていくのん わかってもらえますやろか・・・ ベビーベッドの横で 英語教えてましてん・・ 夜かて ひとりで2時間おきに授乳してましてん・・ (中略) ある日 わたし 掃除中 夫の通勤カバン 分厚いのを見て 不振に思い 中 開けると ・・・ イタリアからの手紙や絵葉書が 山のように出てきた 差出人は 日本人女性 つたないイタリア語 読んでみると 数週間前まで 日本で夫の生徒だった模様 イタリアに留学に出て 恋しい気持ち 綴ってあった えっと ・・ わたくし 結婚前に 夫に ウソだけはつかんといて 言うて約束しとったんで このひとの存在は 知ってましてん 「 僕が結婚してるのを知ってて挑発してくる生徒がおって もうすぐイタリアに留学するから あとくされも・・」 (ぴ~~~) 言うてはった その後 お互いに恋に落ちた(おえっ)ことは 知らなんだ 切ない恋の 手紙の山 全部 読んだわたし さあ、どうする??? (今でも時々思います。あの時どうするんがよかったんやろかと)
2010/03/09
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*** 徒然なる さらし日記 (1) *** えっと・・・ 父親が家を出て行った時 3歳だった下の息子は 思い出すような思い出もないのか はたまた 言わないだけなのか 今日に至るまで 親の離婚については 何も言ってきませんが 小学校にあがる寸前まで一緒に暮らしていた 思い出のある娘の方は 何かにつけ 私に 「なんで 離婚したんよ!」 と 攻めるように(責めてはいないのかもしれないが) 食いかかってくることが 多かった (そして 今も) *** *** *** そこで わたくし ここに さらし日記を書くことにより シューロール家の場合を 実際に検証してみたいと 思う次第と なりました ~ 序章 終わり ~ *** *** *** 《 はしがき 》 この日記を 何かの間違いで 私の大切な子ども達が読んだ時 お父さんの事を悪く思う事のないよう 感情抜きで 事実のみを書きたいと思います 物事には こちら側があれば あちら側がある事 表があれば裏がある事 を ふまえて ・・・・ えっと・・・ よう わからんけど 今日は 以上!
2010/03/08
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*** 異国で暮らす人々 *** このたび 上海で かれこれ 7年(やったかいな?) オンナヒトリで 暮らす 妹の 住居 訪れ ついでに 泊まり 異国で暮らす人の 底知れぬ 強さ 感じました *** *** *** わたくし 国際結婚したその時から 生涯 海外で暮らすことへの 覚悟 決めたつもりでしたが 結局 3年余りで 日本 恋しくなり 自分は海外では暮らせない と思い 帰ってきましてん それまで あちこち いろんな国 行ったり 短期留学したりしてきた自分は どんな国でも 暮らせると 思っていましたが、いざ 住んでみると ども ならん ども あかん えらそうにしとっても 井の中のカワズ 大海に出て 井に戻りましてん ★ そんな経験 したので 長い間 海外に住む 妹のこと 一体どないなってるんやろ 思うて 心配していましたが こんな部屋に こんなん2匹と 暮らしている様子 見て ほんで 仕返しに 妹が 私の泊まってるホテルに 泊まりに来た時 こんな夜景 見ながら 「 いつかは こんな景色が見える所に住む 」 と きっぱり言うたんを 聞いて こりゃ 本気やな 思い、 異国に住む人の強さ しかと 感じました 全国の 異国に住む日本のみなさま あなたがたの強さは すごいです・・・
2010/03/05
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*** 感謝のことば *** いつも思うんは 送られる人より 送る人の方が 千倍も つらい ちゅうこと ですかね・・ *** *** *** 娘の担任は 若い女性の先生でした いつも 淡々としていて ちょっとやそっとの事では動じない そんな感じの先生でした でも 卒業生を見送った日 最後のホームルームで 大粒の涙 ぽろぽろと 流しはった これから新しい世界が待っている卒業生にとって 卒業は 悲しいものではなく 未来への門出。 先生との別れはつらいけど 気持ちは 明日へと向かってる。 それは保護者とて 同じ気持ちでした たぶん 卒業の日 別れを悲しんで泣いていたのは 先生が 一番・・・ 送られる人より 送る人の方が 千倍も悲しい・・ かわいい生徒達を送った先生の 悲しい気持ちは いくばくのものか・・ そんな風に 他人事のように思っていましたら、 昨日 郵便箱に高校の封筒が一通 届きましてん。 封筒 開けてみると 娘からの手紙が入っておった。 「 恥ずかしいから 読んでもスルーして下さい。 卒業させてくれて ありがとう。 (中略) 中学の時もやけど、 いっぱい迷惑かけてごめん。 これからも い~ぱい迷惑かけるけど、よろしく。 (後略)」 手紙は 最後に「 ありがとう 」で締めくくってあった。 子どもから ありがとう の言葉 もらえるとは思ってませんでした。 く~~~ぅ・・・ 最後に 先生に やられました。
2010/03/03
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*** ありがとうの言葉 *** あのね・・・ 今日 娘の高校の卒業式でしてん 小学校の時も 中学校の時も 高校でも 途中でうまく学校生活が送れなくなり 登校するのが難しくなった子でしたが 高2から高3まで担任だったY先生は 学校に来るのが嫌だという娘に 無理に 来いとは 言いませんでした 卒業アルバム めくった時 各クラスの担任の先生が 卒業生に送る言葉を 書いており、、、 「人生で大切な事は・・・」 「己を信じ・・・」 「反省は・・」 などの教訓めいた言葉の中に 娘の担任の先生は たった一言 ひらがなで 「 ありがとう 」 と書いて ありましてん 「ありがとう」 胸が ぢいん と なりました い・・・以上!
2010/03/01
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